パリ・ロンドン紀行⑤・終「パリの景観」2014年4月26日―5月1日
パリに出かける前に読んだ「フランスの景観を読む 保存と規制の現代都市計画」(和田幸信著、鹿島出版会)という本の序文に、ちょっとびっくりするような記述があった。
フランスの「建築に関する法律」第1条にはこう書いてある、という。
フランスの景観を読む―保存と規制の現代都市計画
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和田 幸信
鹿島出版会
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「建築は文化の表現である。建築の創造、建築の室、これらを環境に調和させること、自然景観や都市景観あるいは文化遺産の尊重、これらは公器である」
これに対し、日本の建築基準法第2条では建築物を「土地に定着する工作物のうち、屋根及び柱若しくは壁を有するもの・・・」と、なんとも素っ気ない記述しかない。
日本の法律には、建築や景観と公益あるいは公共性についてはまったく規定されていない。要するに建築は私権に属することであり、個人の好きなように建てられることになっている。この結果、日本中どこの街に行っても、高い建物や低い建物、陸屋根のビルや切妻の建物、灰色の日本瓦の住宅や。青やオレンジ色のスペイン瓦の住宅、さらにはケバケバしいゲームセンターやパチンコ屋などが、おもちゃ箱をひっくり返したように溢れることになる。
フランスの景観は決して何もせずにきたわけではなく、フランスの文化と伝統を反映した街並みを公益として保存しょうとする国や自治体の意思と、これらを公共の財産として受け継ごうとする市民の意識により支えられて、現在の姿を留めているのである。
「華のパリ」の別名がある通り、パリは厳しい景観保全政策で、その"美観"を維持している。そのきっかけになったのが、ドゴール政権下で文化相だった アンドレ・マルローによって作られた マルロー法(1962年8月4日法)らしい。
この法律によって、パリでは第1号の歴史的建築保存地区となった マレ地区にぜひ行ってみたいと思った。旅に同行してくれたパリ通のYさん夫妻に案内してもらった。
マレ地区は、オペラ座近くのホテルからも歩いて行けるセーヌ河右岸のパリ3区と4区一帯。途中、若い日本人女性にも人気という「ラデュレ」で、この店の名物であるフレンチトーストの朝食を楽しみ、マレ地区に入ったのは、午前10時半過ぎ。
緑の並木に囲まれた小さな路地があるかと思ったら、両側に自動車をびっしり止めた小路がある・・・。意外に狭い石畳の道路の両側に同じ高さでそろった石造りの古い建物が続く。なんだか狭苦しい雰囲気で「ここが、パリの誇る景観地区なのか」と、意外な感じがする。素人目には、周辺の街区との違いが見つけられない。
マレ地区は17世紀には優美な貴族の館が並ぶ街だった。それが18世紀になると、貴族に替って手工業者や低所得層が住む街になり、建物の崩壊を防ぐために道路の上に木材の梁を渡すという荒廃した街になっていった、という。
長くユダヤ人の住む場所でもあった。このブログでもふれた「サラの鍵」の舞台にもなった「ゲットー」(ユダヤ人強制居住地域)も作られ、建物の内部を監視するための広場が強制的に作られたという。その後ユダヤ人は強制移送され、一時マレ地区から姿を消した悲しい歴史も刻んでいる。
この法律による保全地区では、 フランス建築物建築家(ABF)という専門官が建造物の新築や改変を厳しく管理している。
そのせいか、多くの貴族の館が、パリ市などに買収され、博物館や美術館になっている。
カルナヴァル博物館は、17世紀のセヴィニュエ侯爵夫人邸だったし、かつて塩税請負人が住んだサレ(塩)館は、国立のピカソ美術館になっている。
建築家の ル・コルビッジェの業績などを紹介している スイス文化センターのある行き止まりの小路は、落書きばかりが目立つ場所だったが・・・。
マレ地区の東端にある ヴオージュ広場と周辺の館は「パリを世界で最も美しい都にしたい」と、16世紀の王、 アンリ4世が作らせたという。
正方形の公園を囲んで建てられた、オレンジとベージュのレンガや黒い屋根のファサード(建物正面のデザイン)で統一された36の館は、 ブルボン王朝初代の王が目指したパリで最古の建築景観を現在に残し、ほれぼれと見とれてしまう。
ただ、マレ地区全体は「貴族館の保存」という最初の目的からちょっぴりはずれ、観光客に人気の街になったようだ。
各通りの1階には、瀟洒な店やギャラリー、カフェ、日本でも有名な紅茶専門店の マリアージュ・フレールなどが軒を並べ、ユダヤ料理などのレストランも多い。
昼食は、ユダヤ人学校前広場近くのユダヤ料理店屋外テーブルで陽光を浴びながら取った。なすびのパテや ファラフエルと呼ばれるひよこ豆のコロッケなど野菜料理ばかり。パリ滞在中に連れて行ってもらった レバノン料理に似てスパイスがきつくない野菜料理がワインに合う。考えてみると、イスラエルとレバノンは、紛争の地の隣国同士だ。
ヴォージュ広場から歩いてすぐの バスティーユ広場から、69番のバスに乗り、パリ最古の橋・「ボン・ヌフ」で降りる.。
ボン・ヌフから見渡せるのが、世界遺産の 「パリ・セーヌ河岸」。ルーブル美術館、 ノートルダム寺院、 オルセー美術館、さらには エッフェル塔まで約8キロに及ぶパリ最大の景観地区である。
この地区は、マルロー法に先立つ19世紀に ナポレオン3世の指示で、セーヌ県知事だったジョルジュ・オスマンが断行した「パリ大改造」の一環として実現した。
ノートルダム寺院のあるシテ島は、大改造まで貧民窟だった、という。
セーヌ河をのぞき込むと、右岸のトンネルから出て、すぐにまたトンネルに消える自動車専用道路が少し見える。大阪や東京の河の景観を無視して縦横に走る高速道路に比べ、なんと風格のある都市設計だろう。
ボン・ヌフを渡りきると、マルロ法にパリ2号目の歴史建築物保存地区・ サン・ジェルマン地区だ。
「17世紀にマレ地区に住んでいた貴族たちが手狭になった館を嫌って、この地区に移ってきた」と文献にあったが、第2次世界大戦以降は、知識、文化人の一大中心地でもあったらしい。
現在は、街の中心にある サン・ジェルマン・デ・プレ教会を中心にブティックやカフェが並び、観光客でごった返している。Yさん夫妻について行った小さなチョコレート店は、あふれる注文客を日本人男性 パテイシエ1人がきりきり舞いで応対していた。
保存地区の広告規制が厳しいらしい。店舗のディスプレーも控えめだ。小さな白い「M」のマークをつけただけのマクドナルドの店舗が、なにかほほえましく見えた。
パリの景観で忘れられないのは、初日の夕方に訪れたエッフェル塔だった。
早くも電飾に輝くこの塔は、広い シャン・ド・マルス公園の真ん中に4本の柱に支えられて真っ直ぐに伸び、レースで編んだような半円形の鉄製アーチの間に立つと、セーヌ川の向こうに シャイヨ宮が望める。
振り向いても、もういちど前を見ても、周りに高い建物はなにもない。胸いっぱいに空気を吸い込み、ため息をつきたくなる。そんなすがすがしい空(そら)空間が広がる。
なんと、Yさんがこの塔にある1ツ星レストラン 「ル・ジュール・ヴェルス」に予約を入れてくれていた。アーチ型の脚の間に設置されている専用エレベーターで高さ125メートルのレストランに入る。
窓際の席からパリの街が一望できる。見事に同じ高さにそろった石造りの建物群。その間を「パリ大改造」で作られた通りが放射線状に延び、細い路地が入り組んだように建物の間を縫っている。
右手の黒い塊は、 ブローニュの森だろうか。正面に見えるのは、悪名高い高層ビル 「モンパルナス・タワー」。
ところが、その素晴らしい風景を撮ったカメラを、翌日、ルーブル美術館で盗難にあって失ってしまった。カメラそのものは、入っていた海外旅行保険のおかげで8%の消費税付きで代金が戻ってきたが、あのすばらしいパリの景観の写真は戻ってこない。
かつてエッフエル塔が出来た時に、この塔の建設に反対した、かのモーパッサンは「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と、エッフエル塔のレストランによく通った、という。
機会があったら、もう一度、このパリの景観を見に来たいと思う。今度は「モンパルナス・タワー」からエッフエル塔の建つパリの街を見るために。
▽参考に読んだ、その他の本
※ 「パリ神話と都市景観 マレ保全地区に7置ける浄化と排除の論理」(荒又美陽著、明石書店)
パリ神話と都市景観―マレ保全地区における浄化と排除の論理―
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荒又 美陽
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※ 「セーヌの川辺」(池澤夏樹著、集英社)
※ 「美館都市パリ 18の景観を読み解く」(和田幸信著、鹿島出版会)
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