シルクロード紀行② 「天山北路を行く・下」
天山北路は、国境に通ずる交通の要路でもある。
行きかう車は、ほとんどが、日本でもほとんど見かけない超大型トラック。西に向かう中国ナンバーは、大きなダンボールをこぼれるように積み上げている。中味は、中国製の衣類や食品だろうか。西から来る車は、鋳鉄の塊や鋼鉄管を載せている。
国境の街・コルガスの街に入る手前の検問所で、若い中国人民軍兵士がバスに乗り込んできてパスポートをチェックした。カメラを向けたら、厳しい目で阻止された。
国境の駐車場は、通関待ちの大型トラックで一杯。国境を守る兵士の横にある標識の石には「312国道 4825」と赤く刻まれていた。終着点・上海まで4825キロという意味らしい。
国境は、目の前の枯れた河。カザフスタン側には、鉄さくだけで人影は見えない。記念撮影の観光客でごったがえす国境に緊張感は見られない。
しかし、秦の時代から、この天山北路では、遊牧民と漢民族の間で厳しい戦いが繰り返されてきた。19世紀、清の時代には、ロシアがイリを占領、その後の交渉で締結された「イリ条約」で、現在の国境が決められた。
第二次世界大戦後に長く続いた中ソ対立で、東西の交流はほとんど途絶え、人々は長年、この国境を越えてシルクロードを西に行くことはできなくなった。交易が再開できるようになったのは、ソ連崩壊以降だという。
コルガスの街で見つけた国道312号線の道路標識には「亜欧(YAOU)路」とあった。亜細亜から欧州に通じる路という意味だろう。 国境を越えて北アジアから地中海に通じる砂漠とオアシスの路・天山南路と草原の北路、そして南方の東南アジアからインド洋、紅海にいたる南海路。この三つのシルクロードは、古代ローマの時代から、絹織物や陶器を運び、東に向かえば唐の首都・長安(現在の西安)から朝鮮半島、そして日本の奈良・正倉院の収蔵品に、その足跡を残している。 中国は今、急激な高度成長。カザフスタンも豊富な石油資源で、いずれも年間10%を越える経済成長に潤っている。 二つの国を貫く現在のシルクロードを行き交う人とモノの群れは、悠久の太古に始まった交易の歴史を引き継いで、新しい盛り上がりを見せている。
コメント
開設おめでとうございます。
今後を楽しみにしています。
Posted by Akira ABE at 2007年10月21日 06:09
さっそくのコメント、ありがとうございます。ご批判、情報をお待ちします。masajii
Posted by masajii at 2007年10月19日 17:00
ブログ開設、おめでとうございます。
さすが味のある文章ですね。道にあふれるトウモロコシの写真があればなお臨場感が味わえたのですが。
読書日記楽しみにしています。
Posted by 元手下 at 2007年10月19日 15:59
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