読書日記「時代の風音」(堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎 駿著、朝日文芸文庫・朝日新聞刊) - Masablog

2013年8月28日

読書日記「時代の風音」(堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎 駿著、朝日文芸文庫・朝日新聞刊)


時代の風音 (朝日文芸文庫)
堀田 善衛 宮崎 駿 司馬 遼太郎
朝日新聞社
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 8月4日付け読売新聞読書欄で「私のイチオシ文庫」という2ページ特集で取り上げられていた文庫本を、〝猛暑払い"に何冊か読んだうちの1つ。

 宮崎 駿が、尊敬する堀田善衛 司馬遼太郎の話しを聞きたいと出版社に持ちかけ「どうせなら3人の鼎談で」ということで実現した本。宮崎は、主宰する スタジオジブリから堀田の著書をシリーズで発刊するなど「自分の位置が分からなくなった時、堀田さんに何度も助けられた」と語っているし、司馬遼の国家論に「ひじょうに感動した」と話しており、鼎談と言いながら宮崎は司会役に徹している。

 単行本が1992年、文庫本になったのが1997年と20年ほども前のバブル崩壊以前の鼎談だから、その後の21世紀の展望については「ちょっと違っているな」と思う部分もあるが、世界を知りつくした堀田と司馬遼の国家、文化、時代論には、目を開かせる思いがする。

 「BOOK」データベースには、この本はこう紹介されている。

20世紀とはどんな時代だったのか―。21世紀を「地球人」としていかに生きるべきか―。歴史の潮流の中から「国家」「宗教」、そして「日本人」がどう育ち、どこへ行こうとしているのかを読み解く。それぞれに世界的視野を持ちつつ日本を見つめ続けた三人が語る「未来への教科書」


 20世紀と言う時代を振り返り、ソ連崩壊について堀田は「ソ連(ロシア)は難治の国。・・・イデオリギー独裁だったので、プルーラリズム(複数主義)の用意がない」と切り出し、司馬遼は「ロシア史というものに、政治、経済、文化の成熟はない」と受けて立つ。

 堀田によると「ロシア革命のとき、農民が二人、レーニンに会いにいった。戻ってきていうには『今日はレーニンというツアー(ロシア皇帝の称号)に会った』(笑)という話がある」と紹介すると、司馬遼は「ソ連には、共産党というツア―がいる」と、この大国の変わらないであろう体質を分析している。

 もう一つの大国、中国について宮崎が「 ウイグルとか チベットが中国領というのは信じ難い」と切り出すと、堀田は「困ったことに征服そのものがあの国の歴史の実体」と話し、司馬遼も「ロシアと中国という二つの古い帝国が世界のお荷物になりつつある」と言う。

 北方四島や尖閣諸島の未来が予測できるような発言だ。

 さらに、 アゼルバイジャン スロヴェニア クロアチアなどで「小さな紛争は(冷戦時代より)かえってすごくなるでしょう」(堀田)、「いまや人類にとって(話しの通じない)外国とは、北朝鮮であり、イスラエルかもしれません」(司馬遼)と、その後の世界情勢をピタリと言い当てている。

 スペインに10年滞在した経験のある堀田は「ヨーロッパ人というのは、大ざっぱにいえば二種類ある」と話す。

  
一つは貴族を含む上層階級で、親戚がヨーロッパじゅうにいる。・・・この連中は、戦争が起こると困るわけです。インターナショナルというより、むしろコスモポリタンです。
 もう一つの中産階級から下というのは、これはナショナリストです。・・・
 いまのイギリスの王室はドイツのハノーバー家からきたプロテスタントの人たちです。・・・つい近年までドイツのしっぽをつけていたわけです。・・・
  スペインの王さまといえば、フランスのブルボン朝の人で、嫁さんのソフイーアさんはギリシャの人です。
 上の階層はそういう流動構造になっている。だから、常に平和でありたいと思っている。ヒトラーみたいなのが出てきて、「ガンバロー」とあおったときナショナリスティックに頑張っちゃったのは、中産階級とその下だった。そういう構造になっている。


 そして堀田は、EC統合によって「ヨーロッパは国境のなかった中世に戻ることになり、レジョナリズム(地方分権主義)の塊になっていく」と予測する。

 一方、司馬遼は「日本がアジアの孤児であることは、鎌倉幕府の成立から決まった。精密な封建制をつくったことで、中国や高麗、その他のアジアとは体制として別な国民になった」と言い、アジアが1つの〝塊"になることはありえないと見ている。
 堀田は、元西ドイツ首相のシュミットに「あなたたちはアジアの友達を持っていない」と言われ、ガーンときたという。

   日本がアジア諸国と違う国になったというのは「封建制の中で、人間が物事をやる能力が身につく。・・・日本人の考え方を製造業に向くようにもっていった」と司馬遼は語る。  もう一つよく分からないが、一度は経済大国にのし上がった日本は、アジア諸国とは異質の体制国家であるということだろうか・・・。

 司馬遼はさらに、これから日本の人口が減っていくなかで「われわれの20パーセントぐらい外国系がはいると思う。・・・憲法下で万人が平等という大原則があるから、日本も小さな合衆国になるでしょう。・・・そうなることをいまから覚悟して・・・決して差別してはいけない。差別はわれわれの没落につながります」と話す。司馬遼が今、目の前にいて話しているような錯覚に陥りそうになる明確な時代予想だ。

 読み終えて、 このブログで「司馬遼太郎が書いたこと、書かなかったこと」(小林竜雄著)でふれた、司馬遼の歴史観を思いだした。

 「時代の風音」で、堀田、司馬遼の両氏が「これまで書き続けてきたのは、戦時中の自分に手紙をだすつもりだったから」と、共に語ったことも印象的だった。
 宮崎が「あとがき」で書いているように「人間は度しがたい」と堀田、司馬遼両氏が呼応するように語ったことも・・・。

 先日、宮崎駿監督の最近作のアニメ映画 「風立ちぬ」を見た。

 「鯖(サバ)の骨のように軽やかな翼を持つ」飛行機の制作を夢見て、 零戦戦闘機を開発した技術者が主人公。なぜ、終戦の日を待っていたように、零戦開発物語なのかと思ったが、零戦を開発し終えた主人公に「あの物量豊かな米国相手に、なぜ戦争を仕掛けのか」と独白させている。

 宮崎監督は「時代の風音」で堀田、司馬遼両氏から教わった「時代の風を読めない愚かさ」を訴えたかったのだと、気がついた。

 


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