「森と人間 生態系の森、民話の森」田嶋謙三・神田リエ著、朝日選書
以前から森が好きだった。
よく山に出かけた若いころは、急峻な岩山が続く北アルプスや北八ヶ岳より、トウヒ(唐檜)の森が続く南八ヶ岳を好んで歩いた。
白神山地のブナの森に分け入ってブトにやられ、北岳を目指す土砂降りのなか、長時間大木に抱きついて遊んだりして腰痛で動けなくなったこともある。ニュージランド南島の太古の森に入り、森に住むペンギンの不思議な生態にふれたことも忘れられない。
畑を借りて野菜つくりをしていたころ、近くの里山は焚き火用の小枝をいっぱいくれる森だった。
ヘンリー・D・ソローの「森の生活」(JICC出版局)、ジョン・パーリン著「森と文明」(晶文社)・・・。本棚には、ほとんど読んでいないのに、森に関する本がやたらと並んでいる。
しかし、それ以上に自分の生活ののなかに“森”が入りこむことは、残念ながらなかった。「森と人間」の著者が言っているように、単に「イメージとしての森」が好きだっただけかもしれない。
著者2人の恩師である北村昌美・山形大学名誉教授は「東洋の森・西洋の森」のなかで、森が好きということでは、ヨーロッパ人も日本人も変らない。しかし、日本人は頭の中で考えているのに対し、ヨーロッパ人は実際に森のなかを歩いて実感している、と書いているという。
共著者の一人・田嶋謙三は「都会の人が年に1、2回森に出かけ・・・山小屋に泊まったことで・・・人と森の共存が成り立つわけではないだろう」と厳しく指摘する。
なぜ、日本とヨーロッパ人との間で、森とのかかわりが、こんなに違ってしまったのだろうか。
国木田独歩の小説「武蔵野」にある雑木林に逆風が吹きはじめたのは、第二次世界大戦後であるという。都市の近郊にあったために、住宅、工業団地の候補地に真っ先になってしまった。そのうえ、農家の燃料が薪や木炭から灯油に代わったため、あっという間に雑木林は消えてしまった。
ところが著書によると、1年間に森で伐られる数量のうち薪や木炭に使う数量は、フランス、スペイン、イタリアなど地中海沿岸の国々では20%を越えている。日本の1%弱と雲泥の差だ。
森が住居の近くにあるため、森の世話をする対価として、ヨーロッパの人々は暖炉用の薪を手にすることが出きる。年中、冷暖房完備の住居に住むことを選んだ(選択の余地なく?)日本人は、代わりになにを失ったのだろうか。
しかし、ヨーロッパ人が常に森を大切に守ってきたわけではない。先にふれたジョン・パーリン著「森と文明」の帯封には「人間はいかに森を破壊してきたか」とある。
長い歴史の末に、森への取り組みを変えてきた国民性の差を思う。
海と農漁民を橋渡しする“魚つき林”が、まだ日本にも脈々と守られているという記述には、ホットさせられる。
森の周辺の海域は森から流れてくる栄養塩に富み、水中微生物の増殖を促すだけでなく、水温に大きな変動がない。森が豊かになるほど、海の幸も豊かになる。
以前に読んだ本を思い出した。気仙沼の牡蠣養殖業者・畠山重篤が書いた「森は海の恋人」(北斗出版、1994年刊))。畠山は、海の環境を守るには海に注ぐ川、そして上流の森を大切にしなければならないと気付く。そして、1989年から湾に注ぐ川の上流の山に漁民による広葉樹の森づくりを始める。
その成果は、同じ著者の「牡蠣礼讃」(文春新書、2006年刊)にも詳しい。海の恋人が産んだ収穫によだれが出る思いがする。
最後に著書「森と人間」は「地球環境を守るために森の木を切ってはいけない」という日本人の常識になっている誤謬に警告している。
森は、伐らないで温存だけを考えていると、二酸化炭素を吐き出す。つまり、地球環境を悪くしている人間と同じになるのである。
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タイトルとおりの内容、気持ちのいい読書はできるが。
避けては通れない。
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