検索結果: Masablog

このブログを検索

大文字小文字を区別する 正規表現

Masablogで“アルフォンス・デーケン”が含まれるブログ記事

2008年12月28日

読書日記「詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡」(谷川俊太郎・徳永進著、朝日新書)


詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡 (朝日新書)
谷川 俊太郎 徳永 進
朝日新聞出版
売り上げランキング: 9063


 この本を読んで「詩のボクシング」というイベントを思い浮かべた。

 まず、臨床体験をストレートな表現のジャブで繰り出すのは、鳥取市内にホスピスを中心とした「野の花診療所」を開設している徳永進医師。 講談社ノンフィクション賞を受けた「死の中の笑み」(ゆみる出版)などの著作も多い。

 受けてたつのは、現代詩の第一人者といわれる谷川俊太郎。重い言葉をグローブに包みこんで、ずっしりと効くボディブローを送り返してくる。

 2人は、たまたま谷川俊太郎がこの病院で手術したことから知り合ったらしい。たった2百数十ページの新書版の往復書簡は、読みやすい文体でスラスラめくってしまうが、行き交う言葉のひとつひとつが心に響く。

 医師は「医者1年生のころから『仕事』と『言葉』のことは気になっていた。臨床のことを誰かに送り届けたいと思った」と書き始める。そして診療所の朝の申し送り会議の様子などを実況中継風に伝えてくる。

 詩人は、こう答える。「死が迫っている人の内側にひそんでいる言葉は、どんなことばなのでしょう。・・・おいそれとことばにならないものを抱えこんでいる人たちのことばは、日常の暮らしのことばとは違う次元に入ろうともがいていることば」

 詩人は、返信書簡の最後に、自作の詩を書き添える。
     見舞い
「・・・あのとき・・・あなたと・・・私は・・・」
切れ切れに言いかけてあとが続かない
だが青白い仮面のような表情の下に
見えない微笑みの波紋がひろがり
ベッドの上の病み衰えたひとは
健やかな魂のありったけで私を抱きしめた
(初出 『抒情文芸』創刊三〇周年記念号)

     さようなら
私の肝臓さんよ、さようならだ
腎臓さん膵臓さんともお別れだ
・・・
とは言うもの君ら抜きの未来は明るい
もう私は私に未練がないから
迷わずに私を忘れて
泥に溶けよう空に消えよう
言葉なきものたちの仲間になろう
 二人は、いろいろな場面で"死"について語り合う。

 死を前にして、二人の娘に無理難題を言い続けた父親が旅立った時、長女は「痛がりのお父さんは、三途の川渡る時、痛がりませんか」と看護婦さんに聞く。ナースが痛み止めのボルタレン座薬を一つ、肛門に入れると、二女がこう頼む。「看護婦さん、もう1つ入れて下さいませんか、ほんとうに痛がりだから」  "こんな行為に、意味はあるのだろうか"と、医師は問う。

 詩人は答える。「ほんとうに深い、切実な人間関係もときには意味を超えて人と人をむすぶのではないでしょうか」

 このブログで書いたアルフォンス・デーケン神父著の「よく生き よく笑い よき死と出会う」(新潮社)に出てくる、精神科医のエリザベス・キュープラ・ロスについて、話し合う記述がある。

 彼女は「死ぬ瞬間」という世界的なベストセラーになった著書のなかで、死に直面した人は、それを否認し、怒り、取引し、抑うつ状態になり、最後は死を"受容する"と分析している。
 しかし晩年、脳卒中で半身不随になったロスはテレビ番組のインタビューで、神への怒りをぶつける。

 詩人は、戸惑い気味にこう問いかける。
 あんなに真摯に献身的に死にゆく人々に尽くした人が、自分のこととなると痛ましいほど神に怒り、・・・『野の花診療所』での死の場面は・・・もっと穏やかで静かな感じがします

 医師は答える。
 テレビカメラに怒りをぶつけている姿をぼくも見ました。すごくよかった。こりゃ本物だと思いました。ぼくは思わずにっこり笑いました


 この本は、朝日新聞の鳥取支局にいた時に2人を知った記者が、朝日新書の編集長に戻ったことから生まれた、という。そのいきさつが「朝日新書」編集長日記に書かれているらしい。読みたいと思った。
 ところが、この日記は朝日新聞の読者向けインターネット・クラブに掲載されており、読者でない人は膨大なアンケートに答えなければならず、サービスも限定されるらしい。読むのは、あきらめてしまった。
「危ない中国点撃」の著者、福島香織記者が常連ライターとして登場する産経新聞のブログや、毎日、おもしろい新書を紹介してくれる日経ビジネスのWEBページに比べると、なんという煩雑さ。

 インターネット・コミュニケーションに焦りながらもついていけない"大新聞"の度量の狭さを、思わぬ場面で実感した。

死の中の笑み
死の中の笑み
posted with amazlet at 08.12.28
徳永 進
ゆみる出版
売り上げランキング: 175599

2008年1月14日

読書日記「よく生き よく笑い よき死と出会う」(アルフォンス・デーケン著、新潮社

 昨日13日(日)、西宮のプレラホールというところで「兵庫・生と死を考える会」(会長・髙木慶子聖トマス大学客員教授)の設立20周年セミナーがあった。


 その会場で、講演されるデーケン神父(上智大学名誉教授)の著書十数冊がロビーで販売されていた。「どれが、一番分かりやすいですか」と聞き、秘書の方に推薦していただいたのが、この本。

 2003年1月の教授退官最終講義をもとに発刊されたもの。長年「死生学」に取り組み、「死への準備の大切さ」を説いてこられたデーケン神父の経験、考え方が分かりやすくまとめてある。


 著者は、4歳の妹の死や生死をかけて反ナチ運動に投じた父などの体験を語りながら、死の準備のための処方せんを具体的に説いておられる。


 デーケン神父は、様々な危機や価値観の転換に見舞われる中年期を過ぎた時期を、豊かな老いを生きていくための「第3の人生」と呼んでいる。

 そして「第3の人生」の6つの課題を示している。

  1. 過去の肩書きなどを手放し、前向きに生きる
  2. 人を許し、わだかまりを残さない
  3. 自分の人生を支えてくれた多くの人たちに感謝する
  4. 旅立ちの挨拶をちゃんとしておく
  5. 遺された人たちに配慮して、適正な遺言状を作成する
  6. 自分なりの葬儀方法を考え、周囲に知らせておく
 の6つ。

どれ一つできていない自分に驚きながら、その部分に線を引いた。


 心震わせながらしか読めなかったのが、まもなく死が訪れることを知った人が体験する「死へのプロセスの6段階」という項目。

  1. 死を告知された人は、まず自分が死ぬという事実を否定する
  2. 「なぜ、今、死ななければならないのか」と、怒りの問いかけをする
  3. 医師、運命、神に対し、死を少しでも先に延ばしてくれるようにと交渉を始める
  4. うつ状態になる
  5. やがて、死が避けられないという事実を受け入れる
  6. 死後の世界を信じる人は、永遠性への期待と希望を抱く・・・。


 私は、三年前の9月に女房を亡くした。

 長年わずらっていた重度のリュウマチ治療のために飲んでいた強い薬で腸に穴が開き、緊急入院して3ヵ月ちょっとしたころ。


 見舞いに行くと「きのうの夜は、死神がベッドわきに立っていたが『まだ死なないわよ。帰りなさい』と、怒鳴ってやったら消えてしまった」と、ちょっと得意げに話した。

 まだ、完治を目指して治療に当たってもらっていた時期だったが、彼女は、心のどこかで死を意識していたのだろう。


 死の数週間まえには「手を握って!まだ死にたくない」と泣いた。数日前には、麻酔薬で朦朧とした意識のなかで「カトリックの洗礼を受けますか?神の愛を信じますか」というN神父の何度もの問いかけに、しっかりとうなずき、緊急洗礼を受け、天国に行ってしまった。


 私の大学時代の友人で、作詞家の松本礼児が、このセミナーでトークショーをやらせていただくことになり、彼のCDをロビーで販売させてもらいながら、この本を読んだ。あの時のことが、本の記述と二重写しになった。


 松本礼児はトークショーで「こども達のかけがえない命を守ってください」という気持ちで自ら作詞した「小さな手」(作曲:MIKI/編曲:竜崎孝路)という歌を歌った。

遊びつかれて ぐっすり眠る 君の寝顔を 飽きずに眺める

近頃ちょっと 生意気だけど 寝息をたてて 天使になった

可笑しいくらい ママに似ている 耳の形も 小さな爪も

かわいい拳 握って眠る 息子よ何を夢見てる

どんな未来を 積むのだろう こんなに小さな手のひらで

 セミナーを終えて一階に出た時、松本礼児は数人の若者に囲まれ、記念撮影を頼まれた。71枚目のCDが売れた。彼らは涙ぐんでいた。「歌って、不思議なものだなあ」と思った。

(追記:2011/12/20)※松本礼児さんは、2011年12月19日、死去されました。ご冥福をお祈りいたします。

よく生き よく笑い よき死と出会う
アルフォンス・デーケン
新潮社 (2003/09/17)
売り上げランキング: 131809
おすすめ度の平均: 5.0
5 死について考える
5 死への準備教育