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2007年10月31日

シルクロード紀行④ 「ジンギスカンが来た草原・下」

 翌日は、カザフスタン国境に近いサリム湖へ。

クリックすると大きな写真になります イリから国道312号線(天山北路)に出て、東へ向かう。別名「果物の道」と言われるだけあって、国道沿いにあるテント張りの屋台には、果物が堆く積まれている。小ぶりだが、甘さたっぷりのリンゴやブドウ、そしてザクロ。ナツメ(500グラムが2元)は、スカスカのリンゴのような味。干したらうまいらしい。スモモ(1キロで4元)は、堅いが甘酸っぱい素朴な味がした。

 昼前に着いたサリム湖は、海抜2073メートルと、世界で一番高いところにある内陸湖(流れ出す川がない湖)。面積は458平方キロ、一番深いところで98メートルあり「天山の真珠」という別名があるとおり、透明で澄んだ湖面が広がっていた。

 魚も多いらしいが、捕獲禁止。水はアルカリ性が強く、飲めないため、周りの草原で羊などを放牧しているモンゴル族の人たちは、湧き水しか使えない。ちょっと飲んでみたが、冷たくてうまい天山山脈の地下水だった。

 夏の最盛期は、約45万頭の羊や牛が放牧されるという、大草原観光(一人140元)に出かけた。まず、モンゴル族独自の儀式。それぞれがハーターという白い絹の布を首に巻き、ツアー仲間のMさんが代表して、白酒を入れた杯に指をつけて天と地面を指し、額につけて飲み干した。

 この儀式は、後日、アルタイのカナス湖畔だけに住むモンゴル族トア人の住居を訪ねた時も同じだったし、数年前に内モンゴルを旅したZさんも同じ体験をした、というからモンゴル族共通のものらしい。

クリックすると大きな写真になります 小型自動車に分乗、湖畔を走る。湖の向こうに山並み、後ろに大草原が広がる。モンゴル族ガイドの指示に従って、川に下りて、小石を3個拾って首の布に包んだ。車で丘にあがると、小石を積み上げた小山が4つほど築かれている。その周りを3回回って、小石を一つずつ落とし、小山の上にある柱に白い布を巻きつけ、儀式は終わった。

 この小山の横に、表に中国語、裏はモンゴル語で書かれた大きな石碑があった。その赤い字を、帰国してから通っている中国語教室の先生に教えてもらいながら拾い読みし、この儀式が、なんとなく理解できた。

 「紀元前1219年、天驕(北方民族の君主)である成吉思汗(ジンギスカン)率いる20万の西征軍は、アルタイ山を越え、サリム湖に入り、将台(兵を指揮し、謁見する台)とオボを築いた。人々は長年、蒙古人民の供養のため朝拝した・・・」。

 オボとは、モンゴル族特有の祭壇、我々が小石をささげた小山のことだった。

 この故事を記念するため「西海草原」と名付けられた石碑がある大草原で、毎年7月中旬にあらゆるモンゴル族が集まって「ナーダム」という祭りが開かれ、競馬や相撲、歌や踊りを楽しんできた、という。

  石碑の百メートルほど横にぽつんとたっている棒は、祭りの時の国旗掲揚のためのものだった。

 しかし、この祭りも「草原が荒れる」のことを理由に、昨年禁止されてしまった。ここの地主は、中国政府。少数民族保護政策と、なにか関係があるのだろうか。

 祭りができなくなった草原に向かって、大きく風を吸い込んでみた。山から駆け下りてきたジンギスカンを思った。

2007年10月23日

シルクロード紀行③ 「ジンギスカンが来た草原・上」

 イリを朝8時に出て、国道218号線を東へ。途中下車しながら280キロ・メートルをバスで走り、世界四大高山河川高原の一つナラティ草原に着いた時は、もう午後3時を少し過ぎていた。

「なんだ、ここは遊園地か」。野球場の三倍ほどの草原には、観光客を乗せるラクダが数匹うずくまっており、その向こうは、なんとゴルフ練習場。観光客があふれる駐車場の柵で休んでいた鷹飼いの老人にカメラを向けたら、右腕に留まらせていた鷹の羽を大きく広げてみせ「5元(約80円)!」と、手を突き出された。
クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります なんだかガッカリした気分は、馬で草原探索をするという初体験で、すっかり晴れた。 カザフ族の少年や少女が後ろに乗ってくれて、ワークツアーのメンバーのうち、約20人で約1時間のツアー。料金は、チップを入れて一人50元。私の同伴者は、日焼けして彫が深い精悍な顔の少年。ウイグル語しか話さないようだが、覚えたての北京語で「止って!」と言うと、ちゃんと馬を止め写真を撮らせてくれた。

 乗ったのは、ちょっと小ぶりの8歳馬。通っている中国語教室の元同級生Zさんは、以前に内モンゴール自治区の旅行した際、同じような馬に乗ったことがあるという。「ロバとサラブレットの間ぐらいの大きさで、乗りやすかった」。どちらも、漢の武帝が追い求めたという匈奴の名馬「汗血馬」の子孫なのだろう。

 こぶりといっても馬上からの目線はけっこう高い。少年の動きに合わせてアブミに乗せた両脚を挙げ下ろしすると、馬はトットとスピードを上げる。草原を駆け抜ける風を心地よく感じ、気分は爽快。翌日から数日間、両脚に軽い筋肉痛になった。
 30分ほど走ったところで、休憩。近くにコヨの林を見つけた。ツアーガイドの張さんによると「生きて1200年、立ち枯れて1200年、倒れて1200年」持つ、砂漠のオアシス特有の木だという。

 小型自動車に分乗して、山並み散策に出かけた別グループの見た高原は、深い谷とどこまでも広がる緑の草原に囲まれ、すばらしい眺めだったらしい。

 約1万6千ヘクタールもあるというこの大草原に、シルクロードらしい物語が残っていた。

 ジンギスカン(成吉思汗)が西征に乗り出したころのこと。一団の蒙古軍が、天山山脈を越えて、イリに向かった。季節は春だったが、風雪が激しく、兵士たちは飢えと寒さで疲労困憊、引き返そうかと思った瞬間。突然、目の前に花があふれた草原が広がった。その時、夕日のように真っ赤な朝日が昇ってきた。兵士たちは、大声で叫んだ。「ナラティ、ナラティ!」。「ナラティ」は、モンゴール語で「太陽」という意味。悠久の昔の兵士たちの声が、そのまま、この大草原の地名となっている・・・。