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2017年11月 2日

 読書日記「バベットの晩餐会」(イサク・ディーネケン著、ちくま文庫)、映画鑑賞記「同」(ガブリエル・アクセル監督、1987年アカデミー賞外国語映画賞受賞)


バベットの晩餐会 (ちくま文庫)
イサク ディーネセン
筑摩書房
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 表題の本はなんどか読んだし、映画も見たが、思いもよらないきっかけで、再読し、DVDまで買うことになった。

 10月中旬の日曜日に久しぶりにカトリック芦屋教会に行ったところ、オプスディの 酒井俊弘神父が説教で1冊の本を紹介された。

   教皇フランシスコが昨年3月に「家庭における愛」について公布した「使徒的勧告 愛のよろこび」。そのなかに、映画「バベットの晩餐会」についての記載があるという。教皇が、公的文書で映画のことを取り上げるのは、稀有の事らしい。

 
人生のもっとも強烈な喜びは、他者を幸せにしようとするときに、天を先取りして訪れるものです。映画『バベットの晩餐会』 の幸せな場面を思い出してみるのがよいでしょう。寛大な料理人バベットは感謝の抱擁を受け、「あなたはどんなにか天使たちを喜ばせるでしょう」と称賛されます。楽しむ姿が見たいからと、他の人を喜ばせようとすることで生まれる喜びは、甘美で慰めに満ちています。こうした喜びは、兄弟愛がもたらす実りであり、自分ばかりを見る人のうぬぼれた喜びではなく、愛をもつて、愛する人の幸せを喜ぶ人の喜びです。相手に注がれる喜びが、その人の中で豊かに実るのです。


 人から無償の愛、幸せ、喜びを受けた者は、他の人にも喜んでもらいたい、と思う。そのようにして「愛の連鎖は、つながっていく」。酒井神父は、説教でそう話された。

 浅学非才の身。酒井神父の解説を聞いても、教皇の言葉をすんなりとは理解できない。その真意を探るためにも「バベットの晩餐会」のあらすじをたどってみることにする。

 ノルウエーのフイヨルドの囲まれた田舎町に、国内でもその名を知られたプロテスタント牧師と美しい姉妹が住んでいた。その宗派は「この世の快楽を悪とみなして断っていた」。

 中年を過ぎたても姉妹は、亡き父の教えを守るために結婚もせずに信者につくしてきたが、地区の信者は年ごとに減り、老人になって、こらえ性がなくなり、怒りっぽくもなっていた。信者同士の喧嘩、口論も絶えず、姉妹を悲しませていた。

 12月15日の牧師生誕100年記念祭が迫っていた。姉妹は、この機会にささやかな夕食会をして、信者たちの平安を取り戻せないものかと、日々悩んでいた。

 姉妹の小さな黄色い部屋にはバベットという家政婦が住んでいた。

 バベットは、パリの有名レストラン「カフェ・アングレ」の料理長だったが、1871年のパリ・コミューン(パリ市民による自治政権)で夫と息子を殺され、パリから命からがら逃げてきて、姉妹に救われたのだ。

 バベットはそれ以来14年間、パリで王侯貴族に提供していたメニューを封印して、毎日タラの干物と古いパンのスープを姉妹と地区の貧しい老人ために作り続けた。

 ある日、バベットは姉妹に驚くようなことを話した。
 「パリの友人に頼んで買っていた富くじ、1万フランが当たりました」。現在価格で1900万円もの価値らしい。

 「生誕100年の祝宴に本物のフランス料理を作らせてください。支払いも私にさせてください」

 「それはだめよ。バベット」と、姉妹はバベットの貴重な金を食べ物や飲み物、それもみんなのために使うことなど、どうしても考えられない」。「だめバベット、それは絶対にだめよ」

 バベットは一歩前に踏み出した。「その動作には、盛り上がる波さながらの威圧するようなものがあった」

 
お嬢さま、自分はいったいこの十四年のあいだに、なにかお願いをしたことがあったでしょうか。ございません。どうしてだとお思いでしょうか、ご主人さま、あなたがたは毎日お祈りをしていらっしゃいます。あなたがたには想像することがおできになるでしょうか。お祈りをしようにもなにひとつ願いごとがないということが、人間の心にとってどんな意味を持っているかということを。いったいこのバベットになにがお祈りできたというのでしょうか。なにひとつないのです。ところが今夜は、自分にはお願いしたいことがあるのです。敬虔で心優しいご主人さま、あなたがたは今夜、こうはお思いにならないでしょうか。十四年のあいだ、善なる神があなたがたのお祈りをお聞きとどけてくださったのと同じ喜びをもって、この願いを聞きとどけてやりたいものだとは。


   たしかに14年で初めての願いごとだった。ふたりは、思案のあげく、こう納得した。1万フランを手に入れた人間には「たった一度のディナーなどどうということもあるまい」と。

 2週間の休暇を得て、バベットが仕入れて来たものは、高価そうなワインやとてつもなく大きなウミガメ、生きたウズラ・・・。

 それらを見た姉のマチーヌは「父の家を魔女の饗宴に明け渡しているように感じた」。バベットが、年老いた信者たちを毒殺する準備をしている夢を見た。マチーヌは「今になってやっと、自分たちが恐ろしい力を持つ危険なことに関わりあっていたことが分かった」と、信者たちに打ち明けた。

 年老いた信者たちは、生まれた時から知っている可愛い姉妹のために、当日の夜は食べ物や飲み物と名のつくもののことはいっさい口にしないで黙っていようと誓い合った。

 晩餐会が始まると、不思議なことにみんなの口が軽くなった。柔和で威厳のあった牧師の思い出を話し合った。

 食事の話しはしなかったが、注がれたものがレモネードと思って飲んだ老女は、思わず舌なめずりをした。シャンパン「ヴーヴ・グリコ」の1860年ものだった。

 悪口をたたきあっていた2人の老姉妹は、手を取り合って牧師の家に出かけた娘時代のことを楽しそうに話していた。商売でペテンをかけた相手の老人に笑いながら謝っている男は、目に涙をにじませていた。若い時に添い遂げられなかった白髪の船長と後家の老女は、気がつくと部屋の隅で長いくちづけをしていた。

 宴が終わって感謝する姉妹に、バベットはもうだれもいないパリにはかえらないし、1万フランは、この晩餐会で使い切った、と話した。

 「わたしはすぐれた芸術家なのです」「わたしが最高の料理を出したとき、あのかたがた(カフェ・アングルの顧客)をこの上なく幸せにすることができたのです」「芸術家が次善のもので喝采を受けるのは、恐ろしいことなのです」

 それをきいた妹のフイリッパは、そっといった。

 
「でもこれで終わりじゃないのよ、バベット。わたしにははっきりと分かるの、これで終わりじゃないって。天国でも、あなたは神さまのおぼしめしどうりの偉大な芸術家になるのだわ。ああ」頬に涙を流しながら。フイリッパはさらにこういった。「ほんとうに、きっとあなたは天使たちをうっとりさせることよ」


※追記:ネットに載っていた晩餐会のメニューと料理の写真

始まった晩餐会
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フルーツを盛り合わせるバベット
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1. ウミガメのコンソメスープ
 アペリティフ:シェリー・アモンティリャード
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2. ブリニのデミドフ風(キャビアとサワークリームの載ったパンケーキ)
 シャンパン:ヴーヴ・グリコの1860年物
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3. ウズラとフォアグラのパイ詰め石棺風 黒トリュフのソース
 赤ワイン:クロ・ヴージョの1845年物
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4. 季節の野菜サラダ

5. チーズの盛り合わせ(カンタル・フルダンベール、フルーオーベルジュ)

6. クグロフ型のサヴァラン ラム酒風味(焼き菓子)
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7. フルーツの盛り合わせ(マスカット、モモ、イチジクなど)

8. コーヒー

9. ディジェスティフ:フィーヌ・シャンパーニュ(コニャック)

2008年3月10日

読書日記「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」(岡田芳郎・著、講談社)

 1か月ほど前に本屋で見つけ、さっそく図書館に問い合わせたが蔵書にはないという。このフランス料理店のことは以前に読んだり、聞いたりしていたので、なんだか気になった。

 数週間して再度検索してもらったら、新刊本コーナーにあり、すぐに借りれた。しおり紐も、折れたままはさんであったから、多分、私が借り入れ第一号だろう。お世話になります、芦屋市立図書館さん。

 白い表紙カバーの表面いっぱいに赤字で、背表紙には3行にわたって書かれた長い表題で、本の内容は一目瞭然。山形県酒田市の名家の御曹司である佐藤久一が、映画評論家に「世界一」と評価された映画館をつくりながら、酒田大火の火元になって失う。その後、日本中の食通をうならせたフランス料理店の運営に全身全霊を傾けるものの、放漫経営の責任を取らされて愛する店を追われてしまう。失意のうちに食道がんを患い、67歳で没する。そんな波乱の人生を一気に読ませる迫真のドキュメンタリー作品だ。

 あの淀川長治に「世界一だ」と言わしめた映画館「グリーンハウス」の支配人に久一がなったのは1950年(昭和25年)、20歳の時。繁華街の路地裏にあったダンスホールを父親が買収して開業したものの、これといった特色もなく興行成績も不振だったため、頼まれて東京の大学を中退して引き受けたのだ。そして、これまでにないアイデアを次々と実行していく。

 東京や大阪のホテルにしかなかった回転ドアを押して入ると、ダブルのスーツ、蝶ネクタイ、白手袋で正装した白髪の案内係に迎えられる。水洗式で高級感あふれた女子トイレでは、座り込んで弁当を食べる人もいたほど。

 ロビー内の喫茶店には、酒田の詩人たちが集い、二階にはガラス越しにスクリーンを見ることができる特別室、和風の家族室。座席数を減らしてでも、観客の快適さを優先するというコンセプトを徹底させた。

 様々なイベントにも先見性を発揮、1960年には、映画「太陽がいっぱい」を東京・スカラ座との同時ロードショーするのに成功、酒田市民の自慢の種を増やした。

 久一はその後、東京・日生劇場食堂課に勤めてフランス料理のすばらしさを知り、1967年、酒田市内にレストラン「欅(けやき)」をオープンさせる。フランス料理研究家の辻 静雄やフランス人シェフ、ポール・ボキューズの薫陶を受け、地元の食材を生かした新しいフランス郷土料理を創造する。百貨店やホテル内に新店舗「ル・ポットフー」も設け、酒田市民だけでなく、作家の開高 健、山口 瞳、写真家の土門 拳、評論家の草柳大蔵、落語家の古今亭志ん朝ら、食通の舌をうならせて評判になる。

 作家の丸谷才一は「食通知ったかぶり」(文春文庫、1979年)で、この店を「裏日本隋一のフランス料理」と絶賛している。食べた料理と酒は。

  •  そば粉のクレープとキャビアの前菜
  •  アカエイの黒バターかけ
  •  最上川の鴨のステーキ
  •  赤川寄りの砂丘で獲れた雉(きじ)のパテ
  •  チョコレートのスフレ
  •  冷えた「秘蔵初孫」(久一の実家である造り酒屋自慢の逸品
  •  サドヤ(甲府市のワインメーカー)のシャトーブリアン(赤ワイン)

 グルメ雑誌編集者の森須滋郎は「食べてびっくり」(新潮文庫、1984年)で「こんな土地で、こんな料理を、こんなに安く出して、ソロバンがとれるのだろうか」と、久一に率直に尋ねた、と書いている。

 久一はこう答えている。「四階、五階、それに六階の一部は、みんな結婚式と披露宴用のフロアー。これで採算がとれて、この三階のレストランは、私たちの道楽――よういえば生き甲斐なんです」

 久一の、こんなこだわりがいつまでも続くはずがない。慢性的な赤字経営でレストランを追われ、最後はガンを患い、老齢の父に看取られて死んでいく。

 しかし、久一の薫陶を受けたシェフたちによって「レストラン欅」「ル・ポトフー」は、今でもしっかり酒田の地に根をおろしている、という。

 この本に引き込まれたもう一つの理由が、著者・岡田芳郎が書く「エピローグ(後書き)」にある。

 「広告代理店を定年退職し、何をするでもなく暗い家の底でうずくまるような生活を送っていた私(岡田芳郎)」は、姉の家で久一の妹に紹介され、取材を始める。そこには「私の惑い多き日々とは正反対の光輝く人生があった」

 著者はこう結ぶ。「久ちゃん、どうやら私の中にあなたが棲みつき始めた」

 素材を生かしたフルコースを一気に味わった後に出たデザートに、ちょっと顔がほころぶ感がする。

 参考本:「美味礼讃」(海老沢泰久、文藝春秋、1992年)
 久一が師事した辻調理師学校創設者、辻静雄の半世紀。帯封に「彼以前は西洋料理だった。彼がほんもののフランス料理をもたらした」とある。
世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか
岡田 芳郎
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おすすめ度の平均: 4.5
5 こんな人がいたんだ...
4 古き良き時代と言えば簡単だが
5 まさに目から鱗

食べてびっくり
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森須 滋郎
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美味礼讃 (文春文庫)
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海老沢 泰久
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おすすめ度の平均: 5.0
5 美味を礼賛する様々な人々を描く名著
5 「美食」と「理想」
5 辻静雄にはまったのは,この本のせいです。