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2009年10月29日

1994年イタリア 初めての海外ツアー その2

 ルネッサンスと呼ばれる西欧のあらゆる近代芸術の源となったフィレンツェの街を堪能した翌日、ツアー一行は、ローマに向けて進み、途中にあるサン・ジミニャーノ、シエナ、アッシジを訪ねて行った。
 9月1日にローマに入ったが、まだ、夏は終わっておらず、暑かったのを思い出す。
ローマでは2日間滞在し、半日の自由時間も楽しんで、ローマ・フィウミチーノ空港から帰国の途についた。
12.塔の町 サン・ジミニャーノ
塔の町として知られている。トスカーナのマンハッタンと言われているらしい。13-14世紀の最盛期には、塔の数は72本に達したが、現在は15本が残るだけだとか。ポポロ宮殿の塔に上ることができ、その上から、町を眺めることができた。

EOS 650 Canon EF 35-70mm F3.5-F4.5
プログラムオートで撮影 ASA400 ネガカラーフィルム 以下同じ
塔の町 サン・ジミニャーノ:クリックすると大きな写真になります
13.サン・ジミニャーノ チステルナ広場
町の中心である広場を見下ろす。広場には古い井戸があるが、チステルナというのは井戸を意味する。井戸の周りで観光客のグループがガイドの説明を聞いている。
サン・ジミニャーノ チステルナ広場:クリックすると大きな写真になります
14.シエナ カンポ広場
小学校の運動場位の広さの広場だった。赤い煉瓦が敷きつめられた広場は白い縁取りによって9つに分けられている。そのひとつひとつが9人からなる都市国家シエナの政府の構成を表しているという。この日も暑い日だった。観光客もマンジャの塔がつくる日陰で一休み。
シエナ カンポ広場:クリックすると大きな写真になります
15.アッシジ サン・フランチェスコ聖堂
前の日は、シエナからペルージャに入って泊まり、この日はアッシジを訪ねた。朝の陽ざしを浴びてサン・フランチェスコ聖堂が映える。
アッシジ サン・フランチェスコ聖堂:クリックすると大きな写真になります
16.アッシジ 上の教会を眺める
サン・フランチェスコ聖堂は斜面に建てられていて、2層に分かれている。前の写真は上の教会で、それを下の教会の脇から眺めたのがこの写真。下の教会は内部は暗く、びっしりとフレスコ画が描かれていた。
アッシジ 上の教会を眺める:クリックすると大きな写真になります
17.アッシジの街角
サン・フランチェスコ聖堂からドゥオモへ向かう道を観光客が歩く。
アッシジの街角:クリックすると大きな写真になります
18.ローマ トレビの泉
あまりにも有名である。バロック様式の舞台的効果にあふれた噴水。観光客はみな後ろ向きになって、コインを泉に投げ入れるが、一日にいったいいくら位のコインが溜まるのだろうか? 投げ入れられたコインはどこが回収するのだろうか?そして何に使われるのか?
ローマ トレビの泉:クリックすると大きな写真になります
19.コロッセオ
「ローマは永遠なり、されどコロッセオ崩れる時ローマも終わる」という中世以来の言い伝えがあるそうで、要するにローマのシンボルである。観客席は5万人を収容したという。紀元前70年ころに建設が始まり、完成したのは100年以上後の80年とのこと。
コロッセオ:クリックすると大きな写真になります
20.スペイン階段
スペイン広場にある137段の広々とした美しい階段。いろいろな国からの観光客が集まる。にわかに雨が降ってきたら、傘を売るちょっと肌の色が違う少年が寄ってきた。
スペイン階段:クリックすると大きな写真になります
21.パンテオン内部
渋谷に同じ名前の封切り映画館があったが、パンテオンとはギリシャ語で「よろずの神の神殿」という意味とのこと。建てられたのは紀元前27年。ドームの中央には採光用の天窓がある。そこから差し込む光は幻想的でさえある。
パンテオン内部
22.ヴァティカンの衛兵
ヴァティカンは世界一小さな国。世界に約8億人の信者を持つカトリックの総本山である。サンピエトロ寺院の入り口にはスイス人の衛兵が立つ。ヴァティカン博物館にあるシスティーナ礼拝堂のミケランジェロ「最後の審判」は修復され、美しい色に復元されていた。
ヴァティカンの衛兵:クリックすると大きな写真になります

2009年10月25日

1994年イタリア 初めての海外ツアー その1

 企業が夏休みを取ることを奨励し始めた頃、家族で海外旅行をしてみようということになった。家内と娘と娘の勤め先の友人であるお嬢さんと4人でイタリア初心者ツアーに参加した。
 まず、ミラノに入り、ベニスやフィレンツェをめぐり、ローマへ行くというコースである。
 持参したカメラは EOS650 で、もちろんフィルムカメラである。後年、そのネガをカメラ屋さんに持ち込み、CDに焼いてもらった。見ていただく写真は、そのCDに取り込んだ画像である。
1. ミラノのドゥオモ
  8月27日 ドゥオモ広場に足を踏み入れ、イタリアのゴシック建築の最高傑作と言われるこのドゥオモの外観を見た時は感動した。大理石による2245の彫像と135本の尖塔で飾られているという。中にも入ってみた。そして屋上にも出られる。屋根の上からはミラノの町が一望できた。

  EOS 650 Canon EF 35-70mm F3.5-F4.5
  プログラムオートで撮影 ISO400 ネガカラーフィルム
  以下同じ
ミラノのドゥオモ:クリックすると大きな写真になります
2.ドゥオモの外観
正面左側の外壁であるが、彫像の一体一体は、それぞれに異なり、見ていて飽きない。
ドゥオモの外観:クリックすると大きな写真になります
3.ガレリア
ドゥオモ広場から見たガレリアの入り口である。正しくは、ガレリア・ヴィットリオ・エマニエル2世といい、19世紀末に建設された。ドゥオモ広場とスカラ広場を結ぶ長さ200m、高さ32mのアーケードには洒落たカフェや、ブティックなどが並んでいた。
ガレリア:クリックすると大きな写真になります
4.スカラ広場
ガレリアを抜けてスカラ広場に出た。オレンジ色のやや旧式の市電の後ろの建物がスカラ座である。スカラ座はオペラ劇場として世界屈指の劇場である。サンタ・マリア・デラ・スカラという教会があった場所に、1778年建てられた。
スカラ広場:クリックすると大きな写真になります
5.ミラノ南西部
自由時間に科学技術博物館へ行きたいと思い、ドゥオモ広場から地下鉄に乗って、S.Ambrogio という駅で降り、上に出ると閑静な街並みがあった。
ミラノ南西部:クリックすると大きな写真になります
6.科学技術博物館
天才科学者でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチが考えたヘリコプターなどのアイデアを、彼のスケッチと模型によって展示されているほか、鉄道車両などの実物、模型も展示されている。もちろんツアーのコースには入っていない。娘が親父の希望を叶えてくれ、ガイドブックから探して案内してくれた。
科学技術博物館:クリックすると大きな写真になります
7.ヴェネチア
翌日の朝、ミラノのホテルからバスに乗ってベニスについた。もちろんバスはヴェネチアの入り口までで、そこから先は運河を水上バスや、水上タクシーで進む。まずは有名なサンマルコ広場へ行く。サンマルコ寺院をマルコと名乗る日本語を話すイタリア人ガイドの案内で見学した後、ゴンドラに乗った。ヴェネチアのホテルは四つ星で、小さいけれど雰囲気の良い素晴らしいホテルだったと記憶している。
ヴェネチア:クリックすると大きな写真になります
8.ラヴェンナ
モザイク芸術で有名なところ。ここはサン・ヴィターレ聖堂の敷地内にあるガラ・プラチディアの霊廟で5世紀に建てられたという。天井いっぱいに描かれたモザイクが素晴らしかった。
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9.フィレンツェのドゥオモ
フィレツェは、私にとって、2回目の訪問である。1980年、今から30年近くも前のことになるが、勤務していた企業の新製品にかかわる学会があり、初めての海外出張をした。まったくと言ってよいほど変わっていない。フィレンツェと言えば、花の聖母(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)というこのドゥオモがシンボルである。
フィレンツェのドゥオモ:クリックすると大きな写真になります
10.ポンテ・ベヴェッキオ
アルノ川にかかるヴェッキオ橋。橋の上には宝飾店が立ち並ぶ。また、ヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿を結ぶ1kmに及ぶ回廊がこの橋の上を通っている。この回廊は、メディチ家コジモ1世の要望でジョルジョ・ヴァザーリが1565年3月から8月というわずか5ヶ月間で完成させたという回廊。現在のウッフィツィ美術館とピッティ宮殿を、ヴェッキオ橋の上を通ってつないでいる。当時は政治の機関(ウッフィツィ)とプライベートの住居(ピッティ)をつなぎ、メディチ家の人物達は外に出ることなく安全かつ安心して移動ができるようにしたという。
ポンテ・ベヴェッキオ:クリックすると大きな写真になります
11.ミケランジェロ広場から眺めるフィレンツェの街
アルノ川上流の小高い丘の上にミケランジェロ広場があり、アルノ川をはさんでフィレンツェを眺める絶好の展望台になっている。
ミケランジェロ広場から眺めるフィレンツェの街:クリックすると大きな写真になります