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2021年9月17日

旅の思い出 海外編 4

6)1994年8月ー9月 憧れのイタリア旅行(2)
サンジミニャーノ、シエナ、アッシジ、ローマ

8月27日から8月30日までミラノからヴェネチア、パドヴァ、ラヴェンナ、フィレンツェ、を観光して、後半は8月30日から9月2日まで、サンジミニャーノ、シエナ、アッシジ、そしてローマを周る、なか7日間の観光ツアーだった。
 ローマでちょっとにわか雨に振られただけで、毎日、ほとんど快晴に恵まれた。

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サンジミニャーノ トスカーナの丘

フィレンツェから南西57km、標高334mの丘の上の街サンジミニャーノ。城壁の中に形成されるこの町は高い塔が連立することで有名だが、これらの塔はかつて富や権力の象徴であり、最も多いときで70を越える塔が林立していたようだ。 いまでも14の塔が残っており、中世の面影を今に伝えている。 サンジミニァーノの塔の上からは、トスカーナのぶどうとオリーブ畑が見渡せた。なだらかな丘が幾重にも遠くまで続く。

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サンジミニャーノ ドゥオモ(参事会教会大聖堂)広場 

サンジミニャーノにもドゥオモがあった。周囲を七つの塔に囲まれたドゥオモ広場に面するこの大聖堂の元の教会は12世紀にローマ教皇エウゲニウス3世により建造された。高さ54メートルの鐘塔をもつ。モデナの司教で397年にこの地で死亡した聖ジミニャーノを祀り、ここから町の名前になっている。ファサードは東向きで、18段の広い階段の上に建つ13世紀のロマネスク様式である。

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シエナ カンポ広場

シエナはフィレンツェから南へ約50kmのところにある。中世には金融業で栄えた有力都市国家であり、13世紀から14世紀にかけて最盛期を迎えた。フィレンツェとトスカーナ地方の覇権を競い、またその経済力を背景として、ルネサンス期には芸術の中心地のひとつであったそうだ。

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アッシジ サンフランチェスコ聖堂

シエナからボローニアへ移動し、そこで1泊した。翌日、アッシジへ向かった。アッシジは首都ローマから北へ約131kmのところにある。フランシスコ会の創設者である聖フランチェスコの出身地として知られており、キリスト教の巡礼地としての性格を持つ都市でもある。最大の見所はサン・フランチェスコ聖堂である。聖堂は町の北西の斜面の上に建ち、斜面を有効に利用するため建物は上下二段に分かれている。上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式になっている。聖堂にはチマブーエ、ジョット、マルティーニなどの画家の手になるフレスコ画が多数描かれ、上堂内部はルネサンス初期の画家ジョットによる28の場面を描いた聖人フランチェスコの生涯のフレスコ画が、また下堂には「玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ」がそれぞれ一番の見所である。私たちが訪れた1994年から3年後1997年に大地震で大打撃を受けた。ボランティアによる修復工事などにより、2000年にはほぼ元の形にもどった。

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アッシジ サンタ・キァーラ修道院

サンフランチェスコ聖堂の関連施設群であるサンタ・キァーラ修道院は、聖フランチェスコの精神に従った女性キァーラ(クララ)のグループが建てた女子修道院で、1257年に完成した。ファサードはサンフランチェスコ聖堂と似ているが、アッシジの町にも多く使われている白とばら色の大理石を縞模様に積み重ね、中央にバラ窓と入口がひとつずつあるだけでシンプルです。

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アッシジ 城塞

アッシジは城壁の街と言われる。市街地は丘陵に沿って東西に長く形成されており、これに伴って城壁も東西に長く築かれた。城壁は市街地西端のサン・フランチェスコ聖堂から山上まで伸び、その山上にはロッカ・マジョーレ「大きな城砦」がそびえる。

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ローマ トレヴィの泉 -1

アッシジを巡ったあと、その足でローマに入った。いよいよ最後の訪問地である。ローマにはたくさん見るべきところがあり、翌日と2日間での観光となった。トレヴィの泉は1762年に完成している。後ろのポーリ宮殿と一体になったバロック・ロココ様式の豪華な造りが魅力の、ローマで最も大きく、 夢のある美しい噴水という。

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ローマ トレヴィの泉 -2

「後ろ向きの肩越しにコインを1枚投げ入れたなら、またいつの日か必ずローマに戻ることができる」と言い伝えられ、いつもたくさんの観光客であふれかえるローマの超人気スポットである。

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ローマ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂 

ローマ旧市街のほぼ中心にあるヴェネツィア広場をバスで通った。写真の建物はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂という。1885年、イタリア統一運動時に核となり、統一後はイタリア王国の王家となったサヴォイア家 のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を王国の国父と見なし、その偉業を讃えるべくその息子であるウンベルト1世の治世に建設が開始された。建設開始から16年後の1911年に落成式が行われ、1925年に完成した。目立って聳え立つ新古典主義の建築物は、古代ローマや中世時代の建物が入り乱れる同地において浮いた存在であり、しばしば景観についての議論の対象となったそうだ。特に地元の人間からは景観を乱す存在として、独特の柱や階段の位置から「ウェンディングケーキ」「タイプライター」「入れ歯」といった蔑称で呼ばれていた。そのためかガイドさんからはほとんど説明がなかったと記憶している。

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ローマ コロッセオ

ローマ帝政期の西暦80年に、ウェスパシアヌス帝とティトゥス帝によって造られた円形闘技場。建造後1900年以上経ってもコロッセオは今もって古代ローマの象徴でありつづけている。各種イベントに使用されることも多く、2016年5月には日本とイタリアの国交樹立150年を記念してライトアップが行われた。観光地としての評価も高く、2015年にロンリープラネット社が発表した「世界の究極の観光地ベスト500」では、コロッセオは欧州最高の7位にランクインした。(wikipediaから引用)

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ローマ ティトゥスの凱旋門 

ガイドさんの説明でコロッセオを見学したあと自由散策となった。フォロ・ロマーノの入り口になるのかどうか、「聖なる道」を歩く。行く手に見える門はティトゥスの凱旋門だ。wikipediaによれば、ティトゥスの凱旋門は82年、ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスにより、先代皇帝でドミティアヌスの兄でもあるティトゥスのエルサレム攻囲戦等での戦功を称えるため建てられたそうだ。この凱旋門は、16世紀以降に建てられることとなる凱旋門のスタイルの手本とされ、その中には有名なパリのエトワール凱旋門などがある。フォロ・ロマーノを見て歩くには事前勉強不足であった。

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ローマ バチカン宮殿

バチカン宮殿  は、バチカン市国内のサン・ピエトロ大聖堂に隣接するローマ教皇の住居である。

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ローマ バチカン宮殿の衛兵

バチカン市国で見かけるローマ教皇を警護するスイス衛兵隊は、カラフルな衣装を纏ったバチカンの花形的存在として目立つ。しかし、バチカン市国なのにスイス傭兵なのだ。 現在のスイスは、傭兵を禁止しているそうだが、儀礼的要素が強いことなどから例外として維持されているという。現存する国軍では創設時期が最古の軍である。

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ローマ 法王の執務室

ローマ法王は教皇とも呼ばれる。毎週日曜にサンピエトロ広場で行っている「正午の祈り」では、教皇が広場に面した宮殿の執務室の窓を開けて姿を見せ、信者に向けて説教したり、メッセージを伝えたりする。ガイドさんから「どの窓」かを説明されたが忘れてしまった。

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ローマ バチカン美術館 地図のギャラリー

ローマの2日目はバチカン美術館見学から始まった。wikipediaによれば、16世紀末に教皇ユリウス2世により創設されたバチカン美術館は、ベルヴェデーレの中庭の大部分を占めており、世界で最も大きな美術品コレクションの一つであり、歴代の教皇が蒐集した美術品の膨大なコレクションを展示している。ミケランジェロをはじめとする画家たちにより装飾されたシスティーナ礼拝堂と、ラファエロを中心とする画家たちにより装飾された教皇の居室は、見学コースに含まれている。地図のギャラリーは教皇宮殿内にある。幅6m、長さ120mの大ギャラリーの壁面にイタリアや教皇領の地図がフレスコ画で描かれる。1580年-1583年に描かれたものである。

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ローマ バチカン美術館 無原罪のマリアの間の天井

「無原罪の御宿り」という教義は聖母マリアが、神の恵みの特別なはからいによって、原罪の汚れと穢れを存在のはじめから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義である。中央の祭壇にマリア像がある。

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ローマ バチカン美術館 ラオコーン像

ラオコーン像 は、バチカン美術館のピオ・クレメンティーノ美術館に所蔵されている古代ギリシアの大理石製の彫像。ギリシア神話のトロイアの神官ラオコーンとその2人の息子が海蛇に巻き付かれている情景を彫刻にした作品である。古代ローマの博物家プリニウスによると、この彫像の作者はロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家であるとしている。(wikipediaによる)

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ローマ パンテオン神殿 内部

パンテオン神殿のファサードはギリシャ神殿のようだった。最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された。現在、ローマで見ることが出来るのは118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されたこのパンテオンである。画家ラファエロの墓もここにある。毎年8月6日と9日には、ここで、原爆忌 Mai più Hiroshima(Never more Hiroshima) が行われている。

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ローマ パンテオン神殿 天井

建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2m の円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは6mに達するが、高さによって材質を使い分けており、ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mに減じる。床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、天井にはオクルス(ラテン語で「目」の意)と呼ばれる採光のための直径9メートルの開口部があり、当時は日時計の役割もあったようだ。雨が降ると雨水が落ちてくるらしく、床には水はけの溝があるという。

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ローマ スペイン広場

スペイン広場は近くにあるスペイン大使館にちなんで命名されたそうだ。広場の中央には、「バルカッチャの噴水(舟の噴水)」がある。東側にトリニタ・デイ・モンティ教会へと続く「スペイン階段(トリニタ・デイ・モンティ階段)」があった。映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘプバーン扮する王女がジェラートを食べたシーンでもおなじみの場所である。 今は保全のため、広場での飲食や階段での座り込みが法令で禁止されたそうだ。

2011年10月24日

北イタリア旅行 その14 フィレンツェ(1) 9月8日


 この日、9月8日は、11:09発の列車でパルマを出発し、途中ボローニャでユーロスターに乗り換え、フィレンツェ(サンタ・マリア・ノヴェッラ)駅に着いたのは、午後1時だった。例の通り、駅構内の一時預かりで荷物を預け、快晴のフィレンツェの町を歩き始めた。
 私にとってフィレンツェは3度目である。今回、最初に見たのは古い薬局だった。そのあと、日本の雑誌でも紹介されているレストランで食事をして、再び歩く。今から30年前に来た時に泊った駅前の Hotel Baglioni も変わらず、むしろ立派に見え、懐かしかった。
 このあと、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の中に入り、見学し、再び、駅に戻り、荷物を取って、この日泊るホテルへ向かった。ホテルはアルノ川の左岸の高台にある。古い別荘のような館だった。

170.フィレンツェに到着したユーロスター
途中ボローニアで、今回初めて乗るユーロスターに乗り換え、13:00にフィレンツェに到着した。この車両はETR500型と言い、ピリンファリーナがデザインを担当したと聞く。さすがにスマートだ。
 イタリアの高速鉄道網の整備は他のヨーロッパ諸国と比べて立ち遅れていると言われていた。1990年代、イタリア国鉄は巻き返しを図るべく300km/hでの走行を前提とした高速鉄道網の整備に取り掛かった。2008年12月にミラノからボローニャに至る高速鉄道の開業に伴って運行を開始したユーロスターは、リニューアルされたETR500型の編成で運行されている。ボローニア、フィレンツェ間は2009年12月に開業し、従来の所要時間56分が約半分の30分に短縮されたという。このスマートな車体にはFrecciarossa(フレッチャロッサ、赤い矢)の愛称が与えられている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2 1/1000秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 なし
フィレンツェに到着したユーロスター;クリックすると大きな写真になります
171.観光客で賑わうフィレンツェ
フィレンツェの駅は大きな荷物を持った観光客が多かった。我々も荷物を駅構内の一時預けに預ける。ここも、とても混んでいて、順番を待たされた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 なし
観光客で賑わうフィレンツェ;クリックすると大きな写真になります
172.フィレンツェにもトラム
ふと、駅の方を振り返るとトラムが見える。フィレンツェに路面電車は走っていなかったはずなのに。帰ってきてから調べてみた。2005年12月から工事が開始され、5年後の昨年2月14日に開通したばかりのようだ。サンタ・マリア・ノヴェッラ駅(フィレンツェ駅)と、郊外のスカンデッチという町を結び、全長は7.4km、14の駅に止まり、所要時間は23分とのこと。これはトラム1号線と呼ばれる。今、中心街の北西にあるフィレンツェ空港から、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅とドゥオーモ広場を経由してLibertàというところに至る、約9キロの路線となるトラム2号線の建設が話題になっているそうだ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/800秒 18.5mm ISOオート ) 露出補正 なし
フィレンツェにもトラム;クリックすると大きな写真になります
173.サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の入口
娘の主人がまず連れて行ってくれたのは、現存する世界最古の薬局と言われるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局だった。狭い入口を入り、廊下を抜けると薬局があった。

左:Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/250秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
右:Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/50秒 10.8mm ISOオート ) 露出補正 なし
サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の入口;クリックすると大きな写真になります
174.サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の門構え
入口の門構えも歴史を感じさせる立派なものだった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/320秒 10.8mm ISOオート ) 露出補正 なし
サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の門構え;クリックすると大きな写真になります
175.サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の内部
この薬局の起源は13世紀まで遡り、1221年フィレンツェに移住してきたドミニコ会の修道院サンタ・マリア・フラ・レ・ヴィニェ(Santa Maria Fra Le Vigne ブドウ畑の中のサンタ・マリアの意)の修道僧たちが薬草を栽培して薬剤を調合していたのが始まりと言われる。この修道院は後のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会へと発展する。1612年には薬局として認可され、一般営業が開始されている。東京にも北青山に提携店があり、ボディ・ケア商品などが販売されているらしい。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/100秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし
サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の内部;クリックすると大きな写真になります
176.トラットリア 「アルマンド」 入口
娘の主人が次に連れて行ってくれたのは、フィレンツェで3本の指に入る美味しいレストラン「アルマンド」という、地元フィレンツェ人に愛 され続けてきた老舗トラットリアだった。オペラ劇場関係者が通う小さなお店は雰囲気抜群で、 極上のトスカーナ伝統料理を食べられるそうだ。日本の雑誌に紹介されているようで、ちょうど我々が居合わせたときに、ここが紹介されている最新の日本の雑誌が届いた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/500秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 なし
トラットリア;クリックすると大きな写真になります
177.トラットリア アルマンド
午後2時を過ぎていたのでお客さんは少なかった。壁にはオペラ歌手の写真が一杯貼られている。女性オーナーのアレッサンドラさん、その叔父さんにあたるダニエーレ氏と、お店の人たちと一緒に、記念写真を撮らせていただいた。こういう老舗レストランは家族経営がほとんどという。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F3.8 1/125秒 26mm ISO2500 ) 露出補正 なし
トラットリア アルマンド;クリックすると大きな写真になります
178.サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
入場料は3.5ユーロ、4人分14ユーロ支払った。しかし、後で気がついたことだが、どうやら65歳以上はフリーだったらしい。ファサード(正面)は2008年に修復が終わりとても綺麗になっていた。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会は、1246年に建設の計画が行われ、現在の教会は1278年からシトー派修道院の伝統的様式に従い、T字型の様式を採用し、建設され始めたとのこと。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F14 1/800秒 27mm ISO400 ) 露出補正 なし
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会;クリックすると大きな写真になります
179.サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 ファサード
ファサードについては、フィレンツェの大貴族、ジョヴァンニ・ルチェッライがファサードを完成させるプロジェクトを立ち上げ、選ばれた建築家はルネサンスの巨匠、レオン・バッティスタ・アルベルティで、工事は1458年から1478年の間に行われたとのこと。内部には有名なマザッチョによる「三位一体」などがあったが残念ながら内部は撮影禁止だった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/500秒 55mm ISO400 ) 露出補正 なし
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会;クリックすると大きな写真になります
180.懐かしい「ホテル・バリオーニ」
1981年に国際化学療法学会への出張でフィレンツェに来た時に泊ったのが、駅の近くのウニタ・イタリアーナ広場に面して建つ、この「ホテル・バリオーニ」だった。外観は全く変わらないが、当時よりグレード・アップしたようだ。屋上には見晴らしの良いガーデンレストランがあったのを思い出す。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 24mm ISO400 ) 露出補正 なし
「ホテル・バリオーニ」;クリックすると大きな写真になります
181.「ホテル・トッレ・デル・ベッロズグアルド」
さて、フィレンツェ駅に戻って、荷物を受け出し、駅前からタクシーに乗って、今夜泊るホテルへと向かった。アルノ川の対岸、つまり左岸の丘の上にある「ホテル・トッレ・デル・ベッロズグアルド」というホテルである。フィレンツェのすぐ郊外にあるベッロズグアルドの丘はダンテやメディチ家の時代から変わらない自然と建物を残しているという。 古き時代と貴族の歴史を伝え、温かい雰囲気がある。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/640秒 8.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
「ホテル・トッレ・デル・ベッロズグアルド」;クリックすると大きな写真になります
182.「ホテル・トッレ・デル・ベッロズグアルド」 客室
フィレンツェ駅からタクシーで10分ほど、アルノ川対岸の丘陵を登ったところにあるこのホテルは、かつて貴族が別荘としていたのに相応しい絶好のロケーションである。敷地から見下ろすフィレンツェの町は、まるで絵葉書から切り取ったような美しさで、言葉を失う。建物も往時のフィレンツェの栄華を思わせる荘厳な趣きで、エントランスを入ると出迎えられる大広間などは、まるで美術館のようだった。客室は広く清潔で、水回りも近年にリノベーションされたようで快適であった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/125秒 18mm ISO500 ) 露出補正 なし
「ホテル・トッレ・デル・ベッロズグアルド」;クリックすると大きな写真になります
183.「ホテル・トッレ・デル・ベッロズグアルド」のベッドから
前の写真で見ていただいたベッドに寝転がり、大きな窓の向こうに見たトスカーナの丘の景色は見事としか言いようがなかった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/400秒 13.1mm ISOオート ) 露出補正 なし
「ホテル・トッレ・デル・ベッロズグアルド」のベッドから;クリックすると大きな写真になります
184.「ホテル・トッレ・デル・ベッロズグアルド」からの眺め
さて、夕食がてら、夕方のフィレンツェの町に繰り出すことにした。時刻は午後7時10分前。ホテルのある丘から見えるフィレンツェの町は、まだ陽が当たり、輝いていた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1000秒 30.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
「ホテル・トッレ・デル・ベッロズグアルド」からの眺め;クリックすると大きな写真になります
185. トスカーナの丘
フィレンツェの町に向かってホテルの右側に拡がるトスカーナの丘陵地帯には、サン・ミニアート・アル・モンテ教会のファサードが見えた。ロマネスク様式のファサードをもつ13世紀頃の教会だそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/2000秒 200mm ISO400 ) 露出補正 なし
トスカーナの丘;クリックすると大きな写真になります