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2012年3月29日

世田谷線巡り 3月6日 3/3


 上町駅からら、宮の坂駅へひと駅電車に乗る。世田谷線は三軒茶屋から終点の下高井度まで全線5kmしかない。宮の坂の先は、山下、松原、下高井戸だ。全部で10駅である。宮の坂で保存車両を見たり、世田谷八幡宮をお参りしたりして、山下へ移動した。山下は小田急線の豪徳寺駅と接続するので、豪徳寺というお寺は、山下が最寄り駅と思い込んでいた。ところが宮の坂が最寄りだった。全線5kmといえども、あちこち歩き回ったのでだいぶ疲れてきた。320円の「世田谷線散策きっぷ」を利用して再度、宮の坂駅へ戻り、世田谷八幡宮とは線路の反対側にある豪徳寺にお参りした。
  12時半に三軒茶屋を出発、午後4時を過ぎた。3時間半、電車に乗った時を除いては休みなしで歩いていたので少々疲れた。昼飯も食べていない。今日の世田谷線巡りは豪徳寺参拝で終わりにし、豪徳寺駅前のファミレスに入ってビールとスパゲティなどを食べてひと休みした。帰りは小田急線で、相模大野、大和を経由して、相鉄線星川にたどりついた。なかなか見どころの多い楽しい散策だった。

28.デハ80型
宮の坂駅のホームの隣にデハ80型の保存車両が置かれていた。デハ80型は1950年から1953年にかけて、28両が製造された。ただし、新規製造は最初の6両(81号から86号)のみで、後の22両(87号から108号)は旧型車の鋼体化改造で登場している。この車両は87号で大正14年(1924年)に旧型車両として製造され、デハ80型に更新され、昭和44年(1969年)まで玉川線を走り、その廃線により、江ノ電に譲渡され、601号となり、1990年に運転終了した。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/320秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
デハ80型;クリックすると大きな写真になります
29.デハ80型(江ノ電601号)車内
玉電から江ノ電に譲られた600形は、それまで江ノ電を走っていた電車に比べて大型で、しかも乗降扉が3枚と、混雑時に威力を発揮することを期待されての入線だったそうだ。ただ江ノ電はホームが普通の電車のように高く、路面電車仕様のままでは乗り降りできないため、600形は乗降扉のステップを切りつめて普通の電車のように改造されている。里帰りして、宮の坂駅前にある宮の坂区民会館で維持されているが、車内のシートなどもきれいだった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/100秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
デハ80型(江ノ電601号)車内;クリックすると大きな写真になります
30.世田谷八幡宮 城山通りの大鳥居
宮の坂駅の線路を背に西へ進んだところの右側に、見あげるような大きな鳥居があった。寛治5年(1091年)後三年の役の帰途、源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い天気回復を待つため、滞在した折、今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の御加護に依るものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の御分霊をこの地に勧請しお祭りしたと伝えられている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/640秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
世田谷八幡宮 城山通りの大鳥居;クリックすると大きな写真になります
31.狛犬と拝殿
明治維新後の明治5年には政府により世田谷地区の総鎮守として郷社宇佐神社となったが、終戦後に神社は国家管理を離れたので、宇佐神社の社号も元の社号「世田谷八幡宮」に戻したという。現在の社殿は昭和39年5月に改築された鉄筋コンクリート製であるが、文化10年(1813年)の建築といわれる本殿は、現在の本殿の中にそっくりそのまま納められているという。狛犬はちょっと不気味だった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
狛犬と拝殿;クリックすると大きな写真になります
32.土俵
参拝を終え、拝殿を背に石の鳥居をくぐったところの左手に弁天池がある。その少し上手に土俵が設けられ、観客席がちょうど円形劇場のように広がっている。江戸時代には「江戸三大相撲」の一つといわれるほど有名になり、現在も秋季大祭の9月15日には、学生や若者の奉納相撲が行われる。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/200秒 8.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
土俵;クリックすると大きな写真になります
33.宮の坂駅
住宅街を分けて山下方面から電車が来る。先にふれたが、山下は小田急線の豪徳寺駅と接続しているので、豪徳寺というお寺は山下駅が最寄り駅だろうと思い込み、ひと駅電車に乗ってしまった。線路の左側が世田谷八幡宮、豪徳寺はこの右側にあった。307・バイオレット

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/1250秒 30.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
宮の坂駅;クリックすると大きな写真になります
34.豪徳寺山門
ひと駅戻って再び宮の坂駅へ。今度は線路の反対側を進む。左手に豪徳寺の山門が見えた。立派な構えのお寺だ。正面に仏殿が見える。山門には碧雲関と書かれている。碧雲関「せいうんかん」と読むそうだ。 寺に入る前に注意書きの石碑を見ると女性のお化粧のにおいはお坊さんを惑わすので禁止と書かれている。 惑わされるお坊さんにはさらなる修行が必要。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4 1/640秒 8.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
豪徳寺山門;クリックすると大きな写真になります
35.香炉と仏殿 豪徳寺
仏殿は世田谷区の指定有形文化財で、1677年完成、江戸初期の建物だそうだ。仏殿の前には大きな香炉がある。 この広大な豪徳寺の敷地はもともと世田谷城の本郭部分にあたるとされている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
香炉と仏殿 豪徳寺;クリックすると大きな写真になります
36.豪徳寺仏殿寺
伝よれば今から500年前に世田谷城内の「弘徳院」と呼ばれていた小庵が豪徳寺の原型だそうである。これは文明12年(1480年)に吉良政忠が伯母の供養ために建てたもので、その法号「弘徳院殿久栄理椿大姉」に因んでいるという。その後天正12年(1584年)に門菴宋関住職が中興開山し、臨済宗から曹洞宗に改宗したそうだ。ちなみにこの門菴宋関住職は忠臣蔵で有名な高輪泉岳寺を開山した人でもあり、豪徳寺は泉岳寺の末寺という関係になるようである。そして江戸時代に入り、寛永10年(1633年)に彦根藩世田谷領が成立後、彦根藩主井伊家の菩提寺として取り立てらた。中興開基を行った二代目藩主井伊直孝の没後に、彼の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」から豪徳寺と寺号が改められたとのこと。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
豪徳寺仏殿;クリックすると大きな写真になります
37.灯篭と本堂
敷地内には仏殿の北側に本堂がある。豪徳寺の敷地内の建物は禅宗伽藍配置の基本通りに、手前から山門、仏殿、本堂と一直線上に建てられている。木製で古い山門や仏殿に対して、本堂は江戸時代からの建物が関東大震災のときに焼失したとのことで、昭和42年に鉄筋コンクリート造りに改築されたそうだ。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
灯篭と本堂;クリックすると大きな写真になります
38.深紅の梅
本堂の脇に、紅梅よりはるかに深い紅色の梅が咲いていた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1000秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
深紅の梅;クリックすると大きな写真になります
39.境内から山門を振り返る
山門は江戸時代に建てられたもの。パトカーで隠れてしまったが、パトカーの後ろに参道が続く。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/640秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
境内から山門を振り返る;クリックすると大きな写真になります
40.三重塔 豪徳寺
境内から山門の方に向かい右手にある三重の塔は、平成18年(2006年)5月14日に落慶したものだ。まだ木の新しさが残り、境内の中ではちょっと浮いた感じの存在である。この塔の特徴としては一階部の屋根の下あたりに、一面に三個づつ、十二支の彫り物が飾られている事である。真北を向いた面の真ん中のところから、時計回りに鼠、牛、寅、兎・・・・と。そして塔の何カ所かに猫の彫り物がさりげなく施されているそうだが良くわからなかった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/640秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
三重塔 豪徳寺;クリックすると大きな写真になります
41.招き猫の奉納所
招き猫で名が知れる豪徳寺、そしてその由縁となる場所は、三重の塔の北側、仏殿の西側にある招福堂という小さなお堂だそうだ。この中には、「招福観音」が祀られていて、「家内安全」「商売繁盛」「心願成就」というご利益があるそうだ。堂の前にある絵馬掛けにかけられているのは、絵馬ならぬ絵猫。そして堂の横の奉納所には多数の招き猫が返納されていた。何故、豪徳寺は招き猫なのか・・・ちょっと長くなるが、せたがや百景公式紹介文を引用した説明によると、世田谷吉良氏の滅亡後世田谷城が廃城となり、城内にあった豪徳寺(当時は弘徳院)もどんどんと寂れ、貧乏寺になってしまった。時の住職が、ある日我が子のように可愛がっていた猫に「私の恩がわかるならば、何か果報を将来せよ。」と無茶な注文をした。その数ヶ月後の夏、鷹狩の帰りの武士達が寺の前を通りかかると、山門の前で「オイデオイデ」と手招きする猫がいるではないか。なんだろうと不審に思った武士は休憩がてら寄ってみた。そして住職が渋茶をもてなしながら説法なんぞ説いていると、急に空が曇りだし激しい雷雨が降ってきた。もし寺に寄っていなければ大変な事になっていたところだ。これも猫が招き入れてくれたおかげだ。と武士はこの幸運を喜び、福を招く猫のいる寺として、この寺を大事にすることを決めた。この武士が彦根藩の二代目藩主井伊直孝公であり、後に豪徳寺を東京における井伊家の菩提寺とすることに決めたと伝えられている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/125秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
招き猫の奉納所;クリックすると大きな写真になります
42.拓本
招福堂の奥にいくつかの石碑が建っていた。その石碑に刻まれた文字を写し取っていた方がいた。拓本は まず石碑の上にぬらした紙をかぶせる。その上から、ハケでこすって空気を抜き、さらにブラシや木槌を使って、文字の窪みに紙を押し込むようにして密着させた後、タンポという道具に墨をつけて墨をなじませる。タンポで叩くようにして、紙に墨を付けていくと墨が濃くなり、墨のついていない文字の部分が鮮明に浮き上がってくるという。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/500秒 30.5mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
拓本
43.駅のミラーに映ったオレンジ
豪徳寺のお参りを終えて帰路に着く。宮の坂駅の進行方向先端に設けられている運転手さん用のミラーに、対向車線のホームに入った 309・オレンジ が映った。再び山下まで世田谷線に乗って、小田急線の豪徳寺駅構内のファミレスでビールを1杯、そして空腹を癒してから帰路に着いた。320円の「世田谷線散策きっぷ」も十分もとがとれた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/200秒 18.1mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
駅のミラーに映ったオレンジ;クリックすると大きな写真になります

2012年3月25日

世田谷線巡り 3月6日 2/3


 松陰神社は初めての参拝だったが、とても立派なお社が印象に残った。次は世田谷、上町へ行く。世田谷駅周辺には、円光院、大吉寺がある。上町には有名な世田谷ボロ市の通りがある。世田谷線は上町駅から北へカーブし、世田谷通りと離れる。

17.世田谷駅
世田谷線は住宅街の中を走る。この世田谷線を走っている電車は、全て同じ形式の車両10編成で、車体カラーはすべて違う。308・レッド

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 15.7mm ISO400 ) 露出補正 なし
世田谷駅;クリックすると大きな写真になります
18.世田谷線
「玉電」として親しまれ、ひところは通学にも利用していた、国道246号を走る渋谷ー二子玉川間の本線は、昭和44年(1969年)5月10日、多くの人々に見送られながら、その60年余りの生涯を閉じた。玉川線と砧線は廃止されたものの、下高井戸線は全線専用軌道だったということもあって、「世田谷線」と改称されて生き残った。そして、2001年に今走っている300型新型車両に全て置き換えられ、カラフルな地元住民の足として元気に活躍している。303・ブルー

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 21.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
世田谷線;クリックすると大きな写真になります
19.円光院本堂
世田谷駅の裏手に幼稚園のある円光院というコンクリート造りの大きなお寺があった。真言宗豊山派寺院のここ円光院は、大悲山明王寺といい、一説によると、この寺は武蔵の豪族吉良家の祈願寺であったと伝えられる。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/1250秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
円光院本堂;クリックすると大きな写真になります
20.大吉寺
世田谷通りに面して、円光院の隣に大吉寺があった。浄土宗の大吉寺は、護国山天照院と号し、創建年代は不詳だが、真言宗寺院として創建、ここも世田谷吉良氏の祈願所となっていたそうだ。後、目黒祐天寺の祐天上人、その弟子祐海上人の尽力により浄土宗寺院として再興したと伝えられる。境内には、有職故実の研究者伊勢貞丈の墓があった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
大吉寺;クリックすると大きな写真になります
21.ボロ市通りと代官屋敷表門
また、ひと駅電車に乗り、上町へ来た。400年以上の歴史を有する世田谷の伝統行事、世田谷ボロ市は、代官屋敷のあるボロ市通りを中心に、世田谷駅と上町駅の間で開催され、小道具や骨董品、日用雑貨などの露店が所狭しと並び、多くの人々でにぎわう。駒沢に住んでいた子供の頃、親父に連れられて行った記憶がよみがえる。ボロ市は毎年1月15・16日と12月15・16日に開催される。この写真の住宅は大場家七代六兵衛盛政が元文2年(1737年)と宝暦3年(1753年の2度にわたる工事によって完成したものである。大場家は元文4年(1739年)から幕末まで彦根藩世田谷寮の代官職を世襲したので、その役宅としても使用されていた。江戸中期上層民家の遺構をよく保存する建物として、主屋およびこの表門の2棟が昭和53年1月21日国の重要文化財に指定されたと、左下に見える石碑に書かれていた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/500秒 8.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
ボロ市通りと代官屋敷表門;クリックすると大きな写真になります
22.代官屋敷主屋
表門の左手にある入口を入ると受付があるが、入場料は無料だった。ちょうど表門の後ろにこの主屋の玄関があり、この写真はその反対側、つまり中庭から見ている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/800秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
代官屋敷主屋;クリックすると大きな写真になります
23.サンシュユ(山茱萸)
代官屋敷主屋の庭にサンシュユが黄色い花を咲かせていた。はじめ蝋梅かと思って近づいたがそうではなかった。昔、中国や朝鮮から伝わり、薬用植物として栽植された。早春にこのような黄色い小花を開き、秋には赤い実が熟すると説明されていた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/640秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
サンシュユ(山茱萸);クリックすると大きな写真になります
24.天粗神社
代官屋敷から再び上町駅に戻ってくる途中、世田谷通りの手前右側に天粗神社があった。創建年代は不詳のようだが、もと横根の地(伊勢森)にあった稲荷社の祠を、嘉永己酉(1849年)当地へ移して新たに祠を作ったと伝えられている。明治42年に近くの世田谷八幡宮に合祀されたが、昭和6年地元の要望により本殿を建築、昭和29年宗教法人として登記されたとのこと。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
天粗神社;クリックすると大きな写真になります
25.上町車庫
上町駅に並行して、世田谷線の車庫である雪が谷検車区上町車庫が併設されている。この写真は裏側の塀の外から撮った。301・玉電色グリーン X クリーム

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
上町車庫;クリックすると大きな写真になります
26.上町から宮の坂駅へ
上町駅から宮の坂駅方面の線路を眺める。同じ色の電車が上りと下りで走っているようだが、実は右側は310・ブルーグリーンで、左側は302・ライトブルーである。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 30.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
上町から宮の坂駅へ;クリックすると大きな写真になります
27.上町車庫 車内から
宮の坂へ向け走り出した電車の車内から上町車庫に入っている玉電カラーの301号編成を撮る。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1000秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
上町車庫 車内から;クリックすると大きな写真になります

2012年3月22日

世田谷線巡り 3月6日 1/3


 1月に都電荒川線に乗った。昭和29年から3年間ほど、駒沢に住んだことがある。小学校の6年から中学2年にかけてであった。当時のいわゆる玉電は、渋谷から二子玉川へ、いわば本線が走り、駒沢は三軒茶屋から4つ目の駅だった。私立の中学を受験した時もこの玉電に乗って渋谷に向かった。雪が降った日で、玉電は大橋から道玄坂の上までの坂道を登れなかった。親父がタクシーで受験校まで連れて行ってくれたのを思い出す。
 その玉電は、今や世田谷線として、三軒茶屋と下高井戸の間を専用軌道を走る。美しいカラフルな車体がTVドラマなどでもしばしば登場する。そういえばこの世田谷線にはまだ乗ったことがないと思い、午前中に雨がやみ暖かくなったこの日、思い立ってG12を持って出掛けた。
 なお、松陰神社のことについては、Wikipediaの記述を多々引用させていただいた。

1.三軒茶屋駅
横浜から東横線で渋谷に出て、田園都市線の乗換、三軒茶屋に着いたのは12時半少し前だった。世田谷線三軒茶屋駅の切符売場で、沿線内なら何度乗り降りしても良い320円の「世田谷線散策きっぷ」を買った。1回の乗り降りでは140円なので、3回でもとがとれる。 世田谷線散策きっぷ 世田谷線の三軒茶屋駅は線路が1本しかない。停まっている電車が発車してから、次発の電車がやってくる。あとで気がついたことだが、電光行き先表示板の「下高井戸」がはっきり見える。シャッタースピードは1/125秒だった。偶然旨くいったのはこの1枚だけ。先日都電荒川線で経験しているのに、このことを全く忘れてしまい、明るいところで撮った電車はすべて、行き先表示を写し撮れていない。同じ失敗をしてしまった。308・レッド

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/125秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
三軒茶屋駅;クリックすると大きな写真になります
2.三軒茶屋を出発
三軒茶屋駅を出発した電車は、西太子堂へ向かう。私はここは電車に乗らずに歩くことにした。西太子堂駅まで300mだ。世田谷線は若林の環七の踏切以外は全て専用軌道を走る。308・レッド

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/1250秒 12.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
三軒茶屋を出発;クリックすると大きな写真になります
3.目青不動尊
三軒茶屋駅の裏手に回り、世田谷線線路沿いを西太子堂に向けて、歩き始めた。すぐ右側に天台宗竹園山最勝寺教学院目青不動尊というのがあった。目黒川傍に勤務先があったときに、よく初詣に出かけた目黒不動が有名だが、五色不動といって、五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)の色にまつわる名称 や伝説を持つ不動尊があるそうだ。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
目青不動尊;クリックすると大きな写真になります
4.三軒茶屋の高層ビル
目青不動尊を出てきたところから、三軒茶屋駅の方を振り返ると、1996年にできたキャロット・タワーという高層ビルがそびえていた。307・バイオレット

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
三軒茶屋の高層ビル;クリックすると大きな写真になります
5.西太子堂駅
西太子堂駅の三軒茶屋行きのホームに上がってみる。都電荒川線と同様に改札口はない。オレンジ色の車体がきれいだ。309・オレンジ

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
西太子堂駅;クリックすると大きな写真になります
6.若林稲荷神社
次の若林へは若林稲荷神社を見て行こうと、少し線路から離れて歩く。由緒としては江戸時代中期の明和6年(1769)にこの社へ土地が奉納されたという記録があるそうで、その頃もしくはそれ以前からあったことが知られている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
若林稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
7.若林稲荷神社本殿
紅い鳥居をくぐり、狐様のお出迎えを受け、朱塗りの本殿に参る。どこから見ても稲荷神社であるが、本殿の額を見ると「稲荷神社・天祖神社」と書かれていた。これは、もともと代田にあった神明社を合祀したものだという。神明社は常林寺という寺の内宮だったそうだが、明治10年(1877)に常林寺が焼失してしまったため、この稲荷神社に合祀されたということだそうだ。だからここには、稲荷神社の倉稲魂命と天祖神社(神明社)の天照大神が祀られていることになる。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1000秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
若林稲荷神社本殿;クリックすると大きな写真になります
8.環七若林踏切
世田谷線は交通量の多い国道138号線(環状7号線)と平面交差する。信号も鉄道優先でなく、電車が信号に従って停車し、道路交通に合わせて信号が変わるのを待つ。自動車はこの踏み切りに関しては「一旦停止」の義務はなく、ただの信号機のある交差点である。306・イエロー

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
環七若林踏切;クリックすると大きな写真になります
9.若林天満宮
境内には紅梅、白梅が咲いていた。若林天満宮(若林北野神社)は環状七号線沿いの若林駅近くにある小さな神社だ。祭神は菅原道真で学問の神様で、創建不明であるが本社は15世紀以前からこの場所にあったと伝えられる。道路沿いにすぐ階段があり、数段上るともう本堂で、境内も狭い。環状七号線建設時に道の拡張に伴って境内の前の方は大幅に削られ、先に訪れた若林稲荷神社に合祀され、本堂だけが残されて現在のような寂しい状態になったそうだ。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1000秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
若林天満宮;クリックすると大きな写真になります
10.世田谷線車内
若林から次の松陰神社前まで、初めて三軒茶屋駅で購入した「世田谷線散策きっぷ」を使用して電車に乗った。車内は明るい。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/320秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
世田谷線車内;クリックすると大きな写真になります
11.松陰神社
駅前の賑やかな商店街を抜け、松陰神社の正面に出る。初めて訪れたがとても立派なお社である。山口県萩市にも松陰神社があり、1984年か85年だったか、福岡勤務時代、夏休みに萩、津和野へ家族旅行をした思い出があるが、その折に参拝した記憶がある。松陰神社は、江戸時代末(幕末)の思想家・教育者である吉田松陰を祭神とする神社であり。松陰の墓所があるここ世田谷と、松陰の生誕地である山口県萩市にある。どちらも、学問の神として崇敬を受けている。世田谷の鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった。松陰が安政の大獄で刑死した4年後の文久3年(1863年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬されたとのこと。明治15年(1882年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社がここ、世田谷に創建されたとのこと。現在の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたものである。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/1250秒 15.7mm ISO400 ) 露出補正 なし
松陰神社;クリックすると大きな写真になります
12.吉田松陰の墓所
吉田松陰は長州藩士にして思想家、教育者、兵学者。明治維新の事実上の精神的理論者とされる。安政5年(1858年)、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと松陰は激しくこれを非難、老中・間部詮勝の暗殺を企てた。長州藩は警戒して再び松陰を投獄。安政6年(1859年)、幕府の安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令。松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、同年、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される、享年30(29歳没)。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
吉田松陰の墓所;クリックすると大きな写真になります
13.松陰神社御社殿
大鳥居をくぐって参道をまっすぐ進むと立派な社殿があった。吉田松陰ほか烈士の墓所はこの左側にある。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
松陰神社御社殿;クリックすると大きな写真になります
14.松下村塾
有名な松下村塾は 山口県に現存する。 この写真は世田谷の松陰神社の境内にある模築である。長州で松陰の叔父・玉木文之進が開いた松下村塾は、近所で塾を営む久保五郎左衛門が名前を引き継いでいた。松陰の幽囚室での講義に久保五郎左衛門が聴くようになると自然と松陰が塾の主となる。当初は3畳という僅かな幽囚室で行なわれていたものの、受講するものが増え杉家の納屋を塾舎に改修。ここに世に有名な松下村塾が誕生した。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/500秒 6.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
松下村塾;クリックすると大きな写真になります
15.石燈籠
境内には毛利元昭公を始め、先生門下の伊藤博文、山縣有朋等の縁故者より奉献された32基の石燈籠がある。その燈柱に刻されている文字は書家竹山先生の所謂、八分隷書体に成るもので貴重な文化財であるとのこと。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/500秒 8.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
石燈籠;クリックすると大きな写真になります
16.石燈籠と白梅
並んだ石燈籠の端に白梅が咲いていた。松陰神社の参拝を終え、再び商店街を通って世田谷線の松陰神社前に戻った。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 8.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
石燈籠と白梅;クリックすると大きな写真になります