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2021年9月13日

旅の思い出 海外編 3

5)1994年8月ー9月 憧れのイタリア旅行(1)
ミラノ、ヴェネチア、パドヴァ、ラヴェンナ、フィレンツェ

1981年の初めての海外渡航は、イタリアのフィレンツェで行われたある学会への出張だった。その時、その美しい街を見て、この次は観光旅行でイタリアに来たいと思ったものだった。
 それから13年後の夏休みに、家族でイタリア観光旅行を実現することが出来た。
 某旅行社のパックツアーだったが、ミラノから→ヴェネチア→パドヴァ→ラヴェンナ→フィレンツェ、そして、→サンジミニャーノ→シエナ→アッシジ→ローマ とイタリアの北側半分を巡った。この時のことはStudio YAMAKOで回顧版として2009nenn10月に 1994年イタリア 初めての海外ツアー として掲載しているので、今回は一部を除いてその写真と被らないような写真を中心に見ていただきたいと思う。フィルムカメラの EOS 650とOlympus μ で撮った写真をデジタル化している。

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ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院

前日に空路でミラノに到着し、朝早くホテルを出発、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見に行った。1296年、大聖堂を取り壊して着工し、その後の変遷を経て、建築家ソラーリによって長い年月をかけ1469年に完成した。教会は第二次世界大戦中に連合軍の空襲を受け、大きな被害を受けたが、『最後の晩餐』の前には土嚢が積み上げてあったため、かろうじて被害を免れたという。

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ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院 「最後の晩餐」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」は、ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院の食堂に描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なもの。レオナルドは1495年から制作に取りかかり、1498年に完成している。フレスコ技法ではなく、乾いた漆喰にテンペラで描かれたことや所在する環境から最も損傷が激しい絵画としても知られ、この時も修復中だった。

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ミラノ ドゥオモ

世界最大級のゴシック建築であり、全長158m、幅92m、高さ108mの威容を誇る。5世紀もの歳月をかけて多くの芸術家によって完成されたという。ドゥオモの前には広いドゥオモ広場がある。

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ミラノ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア

ドゥオーモ広場の北にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアというアーケードがある。イタリア王国の初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に因んで名づけられたという。最初に1861年にデザインされ、イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から1877年の間に建設された。

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ミラノ ドゥオモ の屋上から

エレベータでドゥオモの屋根の上に登ることができた。ドゥオモには135本の尖塔があり尖塔の天辺にはひとつひとつに聖人が立っている。左下にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアの屋根が見える。

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ミラノ スカラ座

現在の建物は2代目のもので1778年に完成した。初代の歴史的建築物のテアトロ・ドゥカーレは1776年2月25日、謝肉祭のガラ・コンサート後に焼失した。新劇場は以前サンタ・マリア・アラ・スカラ教会のあった場所に建設され、ここから劇場名がとられた。

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ヴェネチア イタリア国鉄 サンタ・ルチーア駅

ツアー一行はバスでヴェネチアへ着いた。イタリア国鉄の駅前広場を通って、運河を航行するヴァポレットという水上バスの停留所へ向かう。

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ヴェネチア サン・ジョルジョ・マッジョーレ島

この写真はサン・マルコ広場に建つサン・マルコ寺院の中から撮ったと記憶する。「サン・ジョルジョ・マッジョーレ島」は土地のほとんどが教会という。美しい鐘楼はサンマルコ広場からも見えた。

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ヴェネチア サン・マルコ広場

サン・マルコ寺院の前には大きな広場があり、カフェのテラス席もあって生演奏を聴きながら、最高の時間を過ごせる。私たちは映画「旅情」で有名な老舗のカフェ・フローリアンに入ってみた。

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ヴェネチア リアルト橋

カナル・グランデ(大運河)にかかるリアルト橋。1591年に水面からの高さ7.5mのそりの大きい、石造りの太鼓橋が完成した。橋の上にはアーケードが作られ、商店が並んでいる。

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パドヴァ サンタントーニオ聖堂

ベネチアから西へそれほど遠くないところにバドヴァ サンタントーニオ聖堂があった。1195年ポルトガル、リスボンで生まれ、1231年パドヴァ郊外で没した聖アントニオが奉られている。このサンタントーニオ聖堂はロマネスクのファサード、ゴシックのアーチ、ビザンティン様式のクーポラ、イスラム美術を取り入れた鐘楼など異なる様式の完璧な調和という特徴をもち世界でもめずらしい巨大建築物となっている。聖堂の建設は聖アントニオの死んだ翌年の1232年には始まっていたと考えられており、完成は1310年にまで長引いた。 1394年の火事とそれによる鐘楼の崩壊により聖堂の整理のための改築は15世紀まで続いたそうだ。

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ラヴェンナ ガッラ・プラキディア廟堂

つぎに訪れたのはベネチアから南へ100kmほどのところにあるラヴェンナだ。ガッラ・プラキディア廟堂が印象に残っている。外観は古く、小さくて地味な建物だが、その内部が素晴らしい。ローマ皇帝テオドシウス1世の皇女であるガッラ・プラキディアの霊廟とされる。5世紀半ばの建立。円天井は深い青色が特徴のモザイクに覆われ、奥行きのある構図になっている。

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フィレンツェ ミケランジェロ広場から

1981年、初めての海外旅行で サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母 マリア)大聖堂 を眺めたミケランジェロ広場から、13年後に再び来ることが出来た。世界遺産フィレンツェ歴史地区の 一部として指定されている ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。1296年から140年以上をかけて建設されたそうだ。前回は曇り空だったが、この日は晴れてくっきりとフィレンツェの街並みを眺めることが出来た。

037_940830133TS X800 ○フィレンツェ EOS650.jpg
フィレンツェ ベッキオ橋

ポンテ ベッキオはアルノ川に架かる橋で、イタリア語で「古い橋」を意味するフィレンツェ最古の橋である。先の大戦を生き延びたフィレンツェ唯一の橋だそうだ。河川の氾濫などで何度か建て直されており、現在の橋は1345年に再建されたものという。橋の上には宝飾店が並び人通りが絶えない。

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フィレンツェ シニョーリア広場

フィレンツェの政治の中心だ。ヴェッキオ宮殿は、共和国時代に政庁が置かれた建物で、今でも建物の半分は市役所として使用されている。イタリアが統一された約150年前、一時フィレンツェが首都だったことがあるが、その時はここが政府だったということだ。ここに立つミケランジェロ作のダビデ像は100年ほど前にアカデミア美術館に移されて、これはレプリカとのこと。1984年の国際化学療法学会の折、会社の医師のお供でこのベッキオ宮殿の古いひんやりとした大広間で行われたレセプションに出席したことを思い出す。

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フィレンツェ ウフィツイ美術館

右手前の建物がルネサンス絵画で有名なウフィツイ美術館である。近代式の美術館としてヨーロッパ最古のもののひとつである。メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、イタリア・ルネサンス絵画の宝庫である。展示物は2,500点にのぼりという。塔が見える建物はベッキオ宮殿である。

040_940830152St X700 フィレンツェ EOS650.jpg
フィレンツェ Hotel BAGLIONI

13年前に泊ったホテル バリオーニだ。なつかしい。少なくとも外観はちっとも変っていない。いま旅行案内を見ると、「中央駅前にひときわ目立つたたずまいのエレガントな4ツ星ホテル。観光名所は徒歩圏内。18世紀の宮殿を利用した館内はクラシックな雰囲気。最上階にあるレストランの窓からは、ドゥオモやジョットの鐘楼など素晴らしい景観が楽しめる。」とあった。

2011年10月26日

北イタリア旅行 その15 フィレンツェ(2) 9月8日


 夕方7時少し前に、「ホテル・トッレ・デル・ベッロズグアルド」から、徒歩でフィレンツェの町へ出かけた。まず、目指すはヴェッキオ橋。いくつかの大きな別荘のある丘の道を下る。ポルタ・ロマーナからピッティ宮殿の広場を通りながら、ヴェッキオ橋に着いたのは、7時50分ごろだった。
 空が赤くなっているので、もしかしてと思って、橋の上まで小走りに進んだ。思った通り、見事な夕焼けだった。ベッキオ橋からの夕焼けを堪能した後、ヴェッキオ宮の前を通って、ドゥオーモの方へ歩いて行った。
 ヴェッキオ宮やドゥオーモ、洗礼堂、ジョットの鐘楼はライト・アップされ、多くの観光客で溢れていた。3度目のフィレンツェでヴェッキオ橋での夕焼けや、ドゥオーモのライトアップなど、最高のひと時を過ごすことができた。ホテルに帰りついたのは10時半だった。

185.夕暮れのフィレンツェの町へ
「ホテル・トッレ・デル・ベッロズグアルド」で一休みして、まだ明るい午後7時前に、徒歩でフィレンツェの町へ出かけた。丘陵につけられた道の両側には大きな別荘がある。途中、散歩中の犬を連れたおじさんと、ベンツに乗った女性が車を停めて話をしていた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/160秒 30.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
夕暮れのフィレンツェの町へ;クリックすると大きな写真になります
186.ローマ門
坂を下って、ポルタ・ロマーナまで進み、ローマ門をくぐってポルタ・ロマーナ通りに入り、ピッティ宮殿のある広場まで進んだ。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
ローマ門;クリックすると大きな写真になります
187.ピッティ宮殿
だいぶ暗くなってきた。右手にピッティ宮殿が現れた。1457年、フィレンツェの銀行家ルカ・ピッティはピッティ宮殿の建設に着手した。だがピッティ宮殿の完成を見ることなく、ピッティは1472年に死去し、ピッティの死とともに、宮殿の建設も中止された。ピッティの死から約100年を経た1550年頃、初代トスカーナ大公であるメディチ家の当主コジモ1世が、体調を崩しがちになった妻エレオノーラ・ディ・トレドのためにピッティ宮殿を買い取ったとされる。これにともない中断されていた宮殿の建設が再開され、さらに拡張していった。ピッティ宮殿は、メディチ家断絶の後、ロートリンゲン家、サヴォイア家が住居とした歴史ある建物だそうだ。この中には、今現在、5つの美術館が入っている。 絵画中心のパラティーナ美術館、近代絵画美術館、銀食器美術館、陶器博物館、衣装博物館があるそうだが、なかには入らなかった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
上:プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/60秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
下:プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/25秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
ピッティ宮殿;クリックすると大きな写真になります
188.ドゥオーモを望む
ヴェッキオ橋の手前に出た。アルノ川の向こう側には、茜雲の下にドゥオーモのクーポラが見える。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/80秒 30.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
ドゥオーモを望む;クリックすると大きな写真になります
189.アルノ川右岸
アルノ川は、アペニン山脈のカゼンティーノ国立森林公園から発し、アレッツォ高原、アルノ渓谷を経由して、ここフィレンツェに至り、この古都の中心を東から西に流れる。その後はトスカナ平野を西に向かい、港湾都市ピサでティレニア海に注いでいる。川下に向かって右側を右岸というが、ドゥオーモやヴェッキオ宮、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会らは、右岸にある。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/200秒 18.1mm ISO1600 ) 露出補正 なし
アルノ川右岸;クリックすると大きな写真になります
190.ヴェッキオ橋から夕焼けを眺める
アルノ川は、西にあるピサの方へ向かって流れている。もしかしたら橋の上から、きれいな夕焼けが見られるではないかと、小走りに橋の中央に向かう。ヴェッキオ橋の中央部は宝飾店などがなく、川の上流、下流の両方が見渡せるようにいる。左手(下流の方)を見て、驚きの声を上げた。見事な夕焼けだった。 すぐ下流に見えるのはサンタ・トリニタ橋で、優雅なアーチで有名な石造りの橋だそうだ。川遊びなのか、競技の練習なのか、ボートを漕ぐ姿がある。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/250秒 18.1mm ISO1600 ) 露出補正 なし
ヴェッキオ橋から夕焼けを眺める;クリックすると大きな写真になります
191.ヴェッキオ橋から夕暮れの上流を眺める。
時刻は8時少し前、今度は流れの反対側を見る。一つ上流にある橋はアレ・グラツィエ橋だ。こちらは月が出て、また、美しい光景だった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/30秒 6.1mm ISO1600 ) 露出補正 なし
ヴェッキオ橋から夕暮れの上流を眺める;クリックすると大きな写真になります
192.ヴェッキオ橋
ヴェッキオ橋には、左右に宝飾店などの店が並んでいる。この場所の左右がいましがた夕焼け、夕暮れを見たところ。左側が川下であるが、ちょっと広くなっていて、ストリート・パフォーマーが演奏していた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/30秒 6.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
ヴェッキオ橋;クリックすると大きな写真になります
193.ジェラード屋さん
イタリアはジェラード屋さんが多いが、とくにフィレンツェの町には多かった。いろいろな種類があって楽しめる。もちろん食べてみたが、旨かった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/250秒 6.1mm ISO1600 ) 露出補正 なし
ジェラード屋さん;クリックすると大きな写真になります
194.ヴェッキオ宮
ヴェッキオ橋を右岸の方へ渡って進むと、右側にシニョーリーア広場があって、ライトアップされたヴェッキオ宮殿があった。1981年に来た時、このヴェッキオ宮の大広間で国際化学療法学会の開会式が行われたのを思い出す。ヴェッキオ宮は94mの塔がある力強く優美なゴシック建築で、かってのフィレンツエの共和国政庁舎だそうだ。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/40秒 6.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
ヴェッキオ宮;クリックすると大きな写真になります
195.洗礼堂
プロコンソロ通りというところをドゥオーモの方へ向かい、ドゥオーモの手前を左に曲がり、ジョットの鐘楼の前を通ってドゥオーモ広場に出た。右手にドゥオーモのファサード、左手に洗礼堂がった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/40秒 6.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
洗礼堂;クリックすると大きな写真になります
196.洗礼堂の入口
ふと、洗礼堂の方を見ると入口から明るい光が見える。中を見せてくれているのだ。中は金色に輝いている。洗礼堂もドゥオーモと同じ美しい大理石で造られた八角形の建築で11~12世紀の建築だそうだ。町の守護聖人に捧げられたもので、ドゥオーモができるまでは聖堂として使われたとのこと。ダンテもここで洗礼を受けたと伝えられる。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/25秒 6.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
洗礼堂の入口;クリックすると大きな写真になります
197.洗礼堂の内部
さらに入口に近付いて内部を見た。内部の丸天井部分は「最後の審判」「創世記」などを主題としたビサンチン風のモザイクで飾られていた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/60秒 6.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
洗礼堂の内部;クリックすると大きな写真になります
198.ドゥオーモ
この教会は、花の聖母教会という。かってのフィレンツェ共和国の宗教の中心で、白ピンク、グリーンの大理石の幾何学模様で飾られた美しい大聖堂だ。1296年から172年の歳月をかけて建設され、約3万人が一堂に会することができる大きさと言われる。大クーポラはブルネッレスキの設計による。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/40秒 6.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
ドゥオーモ;クリックすると大きな写真になります
199.ドゥオーモのファサード
19世紀までこのドゥオーモのファサードは未完成のままであったという。フィレンツェの自治体は最初の構想をもとにファサードを再建することを決定、1864年にコンクールが行われ、エミリオ・デ・ファブリスによる新しいファサードが建設された。この建設は1876年に始まり、1887年に完成した。銅製の巨大な扉は1899年から1903年にかけて製作されたものであるとのこと。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/50秒 6.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
ドゥオーモのファサード;クリックすると大きな写真になります
200.ドゥオーモ ファサードの絵
扉の上にある絵に就いて調べてみたが良くわからなかった。フィレンツエのドゥオーモに限らず、イタリアの教会の多くには、ファサードの扉の上に、このような絵がある。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/25秒 18.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
ドゥオーモ ファサードの絵;クリックすると大きな写真になります
201.ドゥオーモの中
ドゥオーモの中にも入ることができた。時刻は夜10時を過ぎている。華やかな外側とは対照的に内部は落ち着いた色調であった。クーポラの内側にはヴァザーリやその弟子たちによるフレスコ画「最後の審判」があった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/40秒 8.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
ドゥオーモの中;クリックすると大きな写真になります
202.ドゥオーモとジョットの鐘楼と洗礼堂
西側へ廻り込んで見ると、左から洗礼堂、ドゥオーモのクーポラ、ドゥオーモのファサード、ジョットの鐘楼が一つになって眺められた。ジョットの鐘楼には明日、上ってみようと思う。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/30秒 6.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
ドゥオーモとジョットの鐘楼と洗礼堂;クリックすると大きな写真になります
203.フィレンツェの町の灯り
夜も10時を過ぎた。ドゥオーモ広場の脇からタクシーに乗って、「ホテル・トッレ・デル・ベッロズグアルド」へ戻った。ベッロズグアルドの丘からは、まだ明々と灯がともるフィレンツェの町がきれいだった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/5秒 21.5mm ISO3200 ) 露出補正 なし
フィレンツェの町の灯り;クリックすると大きな写真になります


2009年10月25日

1994年イタリア 初めての海外ツアー その1

 企業が夏休みを取ることを奨励し始めた頃、家族で海外旅行をしてみようということになった。家内と娘と娘の勤め先の友人であるお嬢さんと4人でイタリア初心者ツアーに参加した。
 まず、ミラノに入り、ベニスやフィレンツェをめぐり、ローマへ行くというコースである。
 持参したカメラは EOS650 で、もちろんフィルムカメラである。後年、そのネガをカメラ屋さんに持ち込み、CDに焼いてもらった。見ていただく写真は、そのCDに取り込んだ画像である。
1. ミラノのドゥオモ
  8月27日 ドゥオモ広場に足を踏み入れ、イタリアのゴシック建築の最高傑作と言われるこのドゥオモの外観を見た時は感動した。大理石による2245の彫像と135本の尖塔で飾られているという。中にも入ってみた。そして屋上にも出られる。屋根の上からはミラノの町が一望できた。

  EOS 650 Canon EF 35-70mm F3.5-F4.5
  プログラムオートで撮影 ISO400 ネガカラーフィルム
  以下同じ
ミラノのドゥオモ:クリックすると大きな写真になります
2.ドゥオモの外観
正面左側の外壁であるが、彫像の一体一体は、それぞれに異なり、見ていて飽きない。
ドゥオモの外観:クリックすると大きな写真になります
3.ガレリア
ドゥオモ広場から見たガレリアの入り口である。正しくは、ガレリア・ヴィットリオ・エマニエル2世といい、19世紀末に建設された。ドゥオモ広場とスカラ広場を結ぶ長さ200m、高さ32mのアーケードには洒落たカフェや、ブティックなどが並んでいた。
ガレリア:クリックすると大きな写真になります
4.スカラ広場
ガレリアを抜けてスカラ広場に出た。オレンジ色のやや旧式の市電の後ろの建物がスカラ座である。スカラ座はオペラ劇場として世界屈指の劇場である。サンタ・マリア・デラ・スカラという教会があった場所に、1778年建てられた。
スカラ広場:クリックすると大きな写真になります
5.ミラノ南西部
自由時間に科学技術博物館へ行きたいと思い、ドゥオモ広場から地下鉄に乗って、S.Ambrogio という駅で降り、上に出ると閑静な街並みがあった。
ミラノ南西部:クリックすると大きな写真になります
6.科学技術博物館
天才科学者でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチが考えたヘリコプターなどのアイデアを、彼のスケッチと模型によって展示されているほか、鉄道車両などの実物、模型も展示されている。もちろんツアーのコースには入っていない。娘が親父の希望を叶えてくれ、ガイドブックから探して案内してくれた。
科学技術博物館:クリックすると大きな写真になります
7.ヴェネチア
翌日の朝、ミラノのホテルからバスに乗ってベニスについた。もちろんバスはヴェネチアの入り口までで、そこから先は運河を水上バスや、水上タクシーで進む。まずは有名なサンマルコ広場へ行く。サンマルコ寺院をマルコと名乗る日本語を話すイタリア人ガイドの案内で見学した後、ゴンドラに乗った。ヴェネチアのホテルは四つ星で、小さいけれど雰囲気の良い素晴らしいホテルだったと記憶している。
ヴェネチア:クリックすると大きな写真になります
8.ラヴェンナ
モザイク芸術で有名なところ。ここはサン・ヴィターレ聖堂の敷地内にあるガラ・プラチディアの霊廟で5世紀に建てられたという。天井いっぱいに描かれたモザイクが素晴らしかった。
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9.フィレンツェのドゥオモ
フィレツェは、私にとって、2回目の訪問である。1980年、今から30年近くも前のことになるが、勤務していた企業の新製品にかかわる学会があり、初めての海外出張をした。まったくと言ってよいほど変わっていない。フィレンツェと言えば、花の聖母(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)というこのドゥオモがシンボルである。
フィレンツェのドゥオモ:クリックすると大きな写真になります
10.ポンテ・ベヴェッキオ
アルノ川にかかるヴェッキオ橋。橋の上には宝飾店が立ち並ぶ。また、ヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿を結ぶ1kmに及ぶ回廊がこの橋の上を通っている。この回廊は、メディチ家コジモ1世の要望でジョルジョ・ヴァザーリが1565年3月から8月というわずか5ヶ月間で完成させたという回廊。現在のウッフィツィ美術館とピッティ宮殿を、ヴェッキオ橋の上を通ってつないでいる。当時は政治の機関(ウッフィツィ)とプライベートの住居(ピッティ)をつなぎ、メディチ家の人物達は外に出ることなく安全かつ安心して移動ができるようにしたという。
ポンテ・ベヴェッキオ:クリックすると大きな写真になります
11.ミケランジェロ広場から眺めるフィレンツェの街
アルノ川上流の小高い丘の上にミケランジェロ広場があり、アルノ川をはさんでフィレンツェを眺める絶好の展望台になっている。
ミケランジェロ広場から眺めるフィレンツェの街:クリックすると大きな写真になります