2008年4月28日

隠居のお勉強:JavaScript(11) try...catch

 サンデー毎日なのに結構なにやかやと時間をとられて、お勉強がすすんでいない。例によって、W3Schools の tutorial にしたがって、次のステップに進もうと思う。

 ネットでいろいろと調べてみると、try... catch という構文は、Ajaxでほぼ必須になっているらしい。私のJavaScript の勉強は、Web ページをもう少し動的にしたいという、だいそれた願望に基づいているから、Ajax に必須なら、特に力を入れて勉強したいと思う。

 try...catch の構文の文法は、次のように解釈できる。
try{エラーをキャッチしたいcodeの実行}
catch(err){エラーをキャッチしたときの処理内容}


 Script を書いていて、プログラムにバグがないかどうかを確認するときなどに使うらしい。エラーの内容を表示するようにしておくと、バグの箇所と特定するのに役に立つということである。本格的に JavaScript プログラムを書くことはまだまだ先のことであろうが、おぼえておきたい。

 W3Schools には、例示として次のようなコードが示されている。
<html>
<head>
<script type="text/javascript">
var txt=""
function message()
{
try
  {
  adddlert("Welcome guest!");
  }
catch(err)
  {
  txt="There was an error on this page.\n\n";
  txt+="Click OK to continue viewing this page,\n";
  txt+="or Cancel to return to the home page.\n\n";
  if(!confirm(txt))
    {
    document.location.href="http://www.w3schools.com/";
    }
  }
}
</script>
</head>

<body> <input type="button" value="View message" onclick="message()" /> </body>
</html>

 try ブロック部分の adddlert("Welcome guest!"); の adddlert は alert のミススペルでエラーとなるから、catch ブロックの処理を行って、confirm-box を表示させることになる。

 あまり意味はないが、テストのために上のコードを少しいじって、このエントリーに取り込んでみた。下のボタンをクリックしてみてください。 Confirm Box が出るはずです。

    
 なお、この JavaScript 部分を外部ファイル化し、テンプレートの head 部分に読み込んで使うことを試したがうまくいかなかったので、直接 head 部分に書き込んでいる。

2008年4月27日

隠居のDIY:書斎の棚シリーズ(1) CDラック

 いろいろなCDやDVDがあちこちに分散して、目的のCD(DVD)を探すのに一苦労するようになった。それに、本もあちこちに積ん読状態になっている。それでそれらをすっきりさせるために前から作りたいと思っていた書斎の棚をボチボチと製作していくことにした。

 「シンプルな棚づくり」を参考に、昨秋からそのためにパイン集成材などを買い込んでいたのだが、ようやく製作意欲が少しでてきたので、始めて見ることにした。棚はいきなり大きなものを狙わず小さなラックなどを作り、大昔に買ったオーディオケースと図体ばかり大きいスピーカー( 1760 x 800 x 400mm )の上に組み上げていくつもりである。

 CD、DVD のケースは、ほぼ145mm x 125mm であり厚さはまちまちである。購入していたパインの集成材は、300mm x 1820mm x 18mm であったから、これを縦に半分に切れば少し窮屈だが、材を有効に使えそうである。マルノコをつけた安物のマルノコスタンドは 1820mm もあるような板を縦に切るのは便利である。 が、気をつけないと途中で墨線からはずれて曲がって切ってしまったりする。節約のつもりで縦に切っているのに元も子もなくなるので要注意である。

クリックすると大きな写真になります CD ラックは背面を壁にくっつけて置けないので、背面に CD が落ちないように背板が欲しい。厚さ 3mm のベニアの端材があったので、これをはめ込むことにした。ただし、板の幅は 150mm 弱なので、CDを横向けにおいたときには 5mm しか余裕がない。この 5mm の間にルーターでベニアをはめ込む溝を掘るのは微妙な作業となる。ルーターにΦ3.2mm のビットをベースから 5mm 出してつけ、手作りのフェンスをガイドを利用して掘り進めると溝の外側に残る部分は厚さ 1mm 強しかないが案外上手くいった。
 なお、このようなルーター作業は溝が必要な部材全てを一度にするほうが寸法がくるわなくていいようだ。また、トリマーでは少し力がないので、ルーターの方が上手くいくと思う。

 ベニア板は、そのままでは不細工なので、これも残っていたライトグリーンの水性ペイントで組み上げる前に塗装した。ベニアの塗装は、ペイントがいいようだ。
 組み上げるとパイン集成材といえども材がわずかにそっていたり、下手な細工で少し隙間ができたりしている。できるだけコースレッドは使いたくなかったが、強度をだすため接合には幾本かのコースレッドを使った。なお、少し太めのビットで穴を掘っておき、ネジ頭が外から見えないようにした。掘った穴や組み上げの時にできたすきまは、木材用パテで埋めた。

クリックすると大きな写真になります 集成材部分の塗装は、「WATOCO」オイルで塗ることにしたが、その前にサンダーで乾いたパテを削るとか、コーナーの角を落としたりした。水性ペイントを塗装したベニア板部分に、オイルがつかないように、マスキング・テープで養生した。この「WATOCO」オイルは、時間が経つにつれて、すこし色が濃くなってくる。
 CDが横倒しにならないように、参考書に載っていたのを真似して、幅 85mm 高さ25mm の小さなカスガイを均等間隔に打ち込んだ。これを打ち込むときは、下穴があったほうがよいと思い、径の細いドリルで苦労して手動(棚の間隔がないので電動ドリルは入らない)であけたが、結果論として打ち込む場所の印だけを付けておいて、下穴なしに直接打ち込んだ(かなずちが強く使えないが)方がよく食い込んでいる。カスガイを使うのが経済的であるが、U字型金具をかってきて、ナットで留めた方がよさそうだ。いずれにしろ、組み上げる前に作業をしておいた方が簡単である。ただし、塗装が少し面倒となるが。

クリックすると大きな写真になります 予定とおりオーディオケースとスピーカーの上においてみるとまあまあのできとなった。ただ、CD は、この3倍くらいあちこちにあるので、もう2つくらい作らねばならない。
 また、本棚からはみ出してあちこちに積ん読状態になっている書籍もあるので、書籍用ラックも作らねばならない。ホビーの一種と考えればこれも楽しからずやである。
 写真の右の方に写っている キャビネットは、今回の書斎棚シリーズとして作り始めたものであるが、用途をよく考えなかったので、余り役に立っていない。

2008年4月23日

春の庭:モッコウバラなど

クリックすると大きな写真になります。クリックすると大きな写真になります。 桜も終わって、かわりに庭の花がいっせいに咲き出した。つい先日までは、鉢植えのパンジーなどが主流だったが、垣根のジャスミンやモッコウバラが黄色い花を咲かせ始めた。お向かいの垣根のレッドロビンも真っ赤である。

クリックすると大きな写真になります。クリックすると大きな写真になります。 孫の小学校入学をささやかに記念して、今年初めにホームセンターで買い求めたときは固い蕾だったチョウジ桜の花が咲いた。ネットで調べてみると、一般的には、サクラという名前がついているが、ジンチョウゲ科フジモドキではないかと思われる。チョウジ桜はフジモドキの別名だという方のほうが多いが、異なる種だとされる方もある。その傍らに、ミヤコワスレがひっそりと咲いている。

クリックすると大きな写真になります。クリックすると大きな写真になります。 裏に作っている小さな花壇に、フリージアが房状に花をつけている。家内はときどき切り花にしているようだ。
 その横の浅い鉢に、ワスレナグサ が雑草のように咲いている。

クリックすると大きな写真になります。クリックすると大きな写真になります。  毎月のガーデニング教室を楽しみにしている家内の作品を二つ紹介しよう。
 一つは、ウッドデッキのフェンスを飾る寄せ植えで、ミニバラなど数種類の花が花束のように植えてある。今までの寄せ植えでは、それぞれが大きくなってくれば地植にしているようだ。
 二つめは、新聞紙を水でゾル状にしたものをセメント(?)で固めたお手製の植木鉢に、ナデシコが植わっている。 

2008年4月20日

隠居の読書:松田道雄の「京の町かどから」「花洛」


 先日読んだ梅棹忠夫の京都案内に、帰化京都人として紹介されている、小児科医であった松田道雄「京の町かどから」「花洛」を読んだ。最近は、このように一冊の本からハイパーリンク的にいきあたる他の本を読む傾向が強くなった。ネット時代の習性なんだろうか。

 両方の本とも、Amazon で検索すると新本はなく、中古本市場(Amazon マーケットプレース)にあった。岩波新書の「花洛」はなんと 1円からある。どの程度痛んだ本なのかの興味あって取り寄せてみた。
 諫早市の「たんぽぽ書店」というところから、丁寧な包装で送られてきた。郵送料は340円である。包装袋の裏に、ゴム印で「このパッケージは『つくし作業所』で段ボール箱や古紙を再利用してつくりました。」とある。『つくし作業所』とは、知的障害者通所施設のようだ。少しでも役に立っているのだろうか。

 筑摩書房の単行本「京の町かどから」は、1971年の第4刷(¥520 )の中古本が¥477であったが、同じように丁寧な包装で送られてきた。
 この本は、1961年に「朝日ジャーナル」に連載したものを一冊の本にまとめたものらしい。1961年といえば、私がちょうど二十歳のときである。そのようなときに、このような本を読んでおれば、ちゃらんぽらんな学生生活を少しは変える気になったかもしれない。今更悔やんでみてもしかたがないが。

 松田道雄さんは1908年生まれだから、多感な時代を大正時代( 1912 - 1926) に過ごしたことになる。このころの京都のインテリゲンチャは、一般的に左偏りの思想を持っていたと思われる。松田さんは、このようなインテリゲンチャに囲まれて育っているので、かなり左よりの医学生だったようだ。ただ、父も誠実な小児科医で、今の中京区手洗水町(四条烏丸から少し北に上がったところのようだ)で開業していたから、町衆との交わりも多い。この2冊の本には、そのあたりが克明に描写されている。

 茨城県の水海道で生まれで、両親とも東国育ちの文化の中で京都に育ち京都の文化人となった。そのあたりについて、松田さんは「京の町かどから」のあとがきに次のように書かれている。
 『京の町かどから』は私の著書で、おそらくもっとも多様な読者をえた本であろう。大正時代の京都をえがきえたためか、その頃を知っていられる京都の年配の方から思わぬ共感をいただいた。ことに京都を遠くはなれていられる方の郷愁を何ほどかそそったようであった。
(中略)
 私自身もこの本にすてがたいものを感じている。幼年期への感傷もあり、過去への低回もありはするが、私の精神の遍歴のなかで、土着的なものとは何かをときあかしていくひとつの転機をなした。
 文化の古い層を残している点で京都はうってつけの風土であった。この古い京の町のなかで、東国からやってきた子どもが、西欧的な思想の洗礼をうけてそだつことほど、京都と断絶したものはなかった。この断絶を半世紀の年月をかけてうめていく過程が、ほかならぬ土着化であった。
 土着ということばは、一部の学者からはあまり好まれないようであるが、それは肌の色が黄いろいとか白いとかいうのとおなじに、人間の宿命である。肌が黄いろいのに、白いかのようにふるまうのは不自然であるというのが私のいまの考えである。


クリックすると大きな写真になります 松田さんといい、梅棹さんといい、京都で育ち生活した人は、どうも京都からは離れられないらしい。『京の町かどから』の口絵の説明文(下のカラムと左の写真)は、そうした想いが溢れている。京都はどうも特別な町らしい。日本に来て 40年近くなり最近になって日本に帰化したビル・トッテンは、京都が好きで京都に住んでいる。京都のインテリゲンチャとは全くことなる思想の持ち主であるが、やっぱり京都がいいようである。
 ながい召集から解放されて、京都駅に近づく列車のデッキから東寺の塔をみた時の感動を忘れない。とうとう京都へ帰ってきた。京都はここにある。京都は昔のままにある。
 爆撃で焼けただれたいくつもの町をみてきた目には、京都の遠景は奇跡のようだった。
 京都とは一たいなんだろう。
 私の喜び、私の誇り、それらはすべてこの町とともにあった。京都、それは、私の過去だ。
 幸いに失わずにもって帰った生命を、私は、私の過去に接続することができる。
 京都ほ過去であるとともに未来である。東寺の塔は、私の回生の象徴であった。
 それから十何年かがたった。
 私は今また東寺の塔に向かって立っている。団地住宅の屋上で立ち並ぶテレビのアンテナを通して東寺の塔をみている。
 そしてもう一度私は問う。京都の美しさとは一たいなんだろう。
 それは京都が愛されているということだ。あの戦火をこえて京都が残っているのは、京都が敵からも愛されたということだ。
 京都とは愛の奇跡だ。
 団地のこどもたちよ、君らは東寺の塔を朝夕みながら誇るべき過去をつくりつつあることだろう。二十一世紀のある日、東寺の塔に愛の奇跡をみるために。


京の町かどから (1968年)
松田 道雄
筑摩書房
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花洛―京都追憶 (1975年) (岩波新書)
松田 道雄
岩波書店
売り上げランキング: 259065
 

2008年4月19日

隠居のお勉強:JavaScript(10) event

 ちょっとサボっていた W3Schools の JavaScript のお勉強を再開した。じつは順序に従って、for..in という構文の学習していたのだが、example の文法がよく理解できない。あとで学習する object のときにも出てくるようなので、スキップすることにした。 object がよく理解できていないことが原因のようなので、その学習の中で理解していくことにした。

 それで今回は、次のステップである event の勉強である。

 Web ページの全ての要素(element)は、JavaScript 関数(function) のトリガーであるイベント(event)となる。例えば、ボタン element の onClick event は、ボタンをクリックすると実行される関数を指示する場合に使用される。イベント(event)は、HTMLタグの中で定義する。

 event には次のようなものがある。
  • マウス・クリック
  • Web ページあるいはイメージのロード
  • Web ページ上のホットスポットにカーソルが乗る。
  • HTML form で input box が選択される。
  • HTML form をサブミットする。
  • 何らかのキーが叩かれる。

 event は通常、関数との組み合わせで使用される。関数は、event が発生する前には実行されない。

 例えば、 onClick event は次のように使われる。
Field1: <input type="text" id="field1" value="おはよう!!">
Field2: <input type="text" id="field2">
Click the button below to copy the content of Field1 to Field2.
<button onclick="document.getElementById('field2').value= document.getElementById('field1').value">Copy Text</button>

 このコードを実行すると次のようになる。Copy Text ボタンをクリックしてみてください。

Field1:
Field2:

Click the button below to copy the content of Field1 to Field2.


 JavaScript で認められている event の一覧を、英語であるが W3Schools から引用加工させていただいて、下のテーブルに記載した。
 詳細は、W3Schools の complete Event reference にある。それぞれの event の使い方を詳しく説明している。

   
Attribute The event occurs when...
onabort Loading of an image is interrupted
onblur An element loses focus
onchange The user changes the content of a field
onclick Mouse clicks an object
ondblclick Mouse double-clicks an object
onerror An error occurs when loading a document or an image
onfocus An element gets focus
onkeydown A keyboard key is pressed
onkeypress A keyboard key is pressed or held down
onkeyup A keyboard key is released
onload A page or an image is finished loading
onmousedown A mouse button is pressed
onmousemove The mouse is moved
onmouseout The mouse is moved off an element
onmouseover The mouse is moved over an element
onmouseup A mouse button is released
onreset The reset button is clicked
onresize A window or frame is resized
onselect Text is selected
onsubmit The submit button is clicked
onunload The user exits the page

2008年4月14日

平安神宮神苑・岡崎あたり

 また家内のアッシーで京都に出かけた。娘の休日に合わせているので、当然土日となる。
 醍醐寺の桜などソメイヨシノの満開時には、出かけるのは億劫であるが、時期は少しずれている。

クリックすると大きな写真になります ソメイヨシノの満開は終わったが、平安神宮の枝垂れ桜は見頃ということをTVで言っていたいうので混雑を覚悟で行ってみることにした。予想どおり、岡崎界隈は観光バスが溢れていた。それでも、岡崎公園の地下駐車場へは、待機の列の最後尾につくと 30 分ほどで入れることができた。

クリックすると大きな写真になります  太極殿の前の広場には、人が溢れていた。顔立ち体格からあきらかに外国人と思われる人たちも多いが、バスのツアー客は話し言葉から判断すると中国人が多いようだ。太極殿の向こうに、満開の大きな枝垂れ桜が見える。皆のお目当ては、太極殿を取り巻くように造られている神苑なのだ。入るには拝観料 600 円がいる。今の平安神宮は後ほどの引用記事にあるように明治 28 年に建てられているが、この神苑もそのときに造られたらしい。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 神苑に入ったところからすぐに、枝垂れ梅が溢れている。それをカメラに収めようと人も溢れている。いまや携帯にも画素数の多いデジカメがついているから、全ての人がカメラマンである。順路表示に従って、東神苑の方に回ると池端に貴賓館(尚美館)があって、そこでは今夕行われる観桜コンサートの準備が行われていた。
 この神苑には菖蒲など季節毎に咲く花も配されているようである。桜が終わった喧噪のない平日にまた訪れてみたいものだ。

 神苑の喧噪から離れて琵琶湖疎水の鴨東運河あたりをブラブラすることにした。その途中に、漬け物の「大安」がある。フラフラと立ち寄って、味見をした牛蒡などの漬け物をいく点か求めた。店の横に、奥行きの深い観光バスが5台ほど入れるガレージを持っていて、入れ替わり立ち替わり入ってくるバスを巧みにガイドしていた。京都人って、大阪人より商売はうまいのではないか。

クリックすると大きな写真になります080412_005.jpg 琵琶湖疎水のインクライン跡にも、家族連れなどが多く散策していた。そういえば隣は京都動物園である。ここには、バスのツアー客はこない。遅咲きの桜や葉桜が川面に花びらを散らしていた。

 日曜日朝、自宅に帰って昨日の毎日新聞夕刊をめくっていると、「建築夢伝説」という特集記事に、平安神宮が取り上げられていた。ちょうど、娘から平安神宮と御所とはどのような関係にあるのかと質問を受けたが、明確に答えられなかったところであった。昨日の体験から、「うん、なるほど!!」と独り言がでた。
 京都三大祭の一つ「時代祭」をつかさどる平安神宮は年間150万人以上が訪れるランドマークで、国内外に広く知られている。しかしもともとは、イベントの記念建造物として計画されたことはさほど知られていない。それがなぜ巨大な神社に変わったのか。国際日本文化研究センター教授(風俗史)で建築評論家の井上章一さんがその歴史を追った。
 平安京は、今から1200年ほど前にいとなまれた。その年代を794年、なくようぐいす平安京とおぼえた人は、多かろう。京都へ都をうつさせたのが桓武天皇であることも、ひろく知られていると思う。  平安神宮は、その桓武天皇と、あとひとり孝明天皇を神としてまつっている。幕末史のファンには言うまでもないが、孝明帝は明治維新の直前になくなった。京都が都であった時代の、その最後をかざる天皇である。皇都=京都のはじまりとおわりに位置する天皇が、ここでは神になっている。
 たてられたのは、1895年、明治28年であった。この年は、平安遷都からかぞえて1100年と1年にあたる。その建都1100年をいわうために、建設された。
 スケジュールが1年のびた点については、訳がある。1895年には、大規模な内国勧業博覧会をひらくことが、きめられていた。内務省が主催するこの博覧会を、なんとしても京都へひっぱりたい。そんな誘致の名目に、平安建都1100年という歴史がつかわれた。建都1100年の事業が、1101年の年へもちこされたのは、そのためである。
 この博覧会は、当初大阪でおこなわれる予定になっていた。それを、京都は大阪からうばいとっている。歴史を都市間競争の武器にする、そのさきがけでもあったろうか。
 くりかえすが、平安神宮の主だった建物は、1895年にできている。だが、はじめから神社としてたてられたわけではない。当初は、建都1100年祭の記念殿として、いとなまれた。もとは、イベント用のモニュメントだったのである。
 建設にあたっては、市民からの寄付金も、よせられた。いわゆる町衆の京都へよせる熱い想いも、この建物をみのらせている。都としての地位をうしなった街の、くじけるものかという気持ちも、そこにはあったろう。
 だからこそ、できあがった記念殿は、のちのちまでのこされることが、のぞまれた。そのためにひねりだされたのが、これを神社にしてしまおうという着想である。はじめに信仰があったわけではない。夢の結晶ともいうべきこの建物を、後世へもつたえよう。そんな情熱が最初にあって、記念殿は神社へとくみかえられた。
 桓武帝と、のちには孝明帝が、祭神にされたのも、皇都としての京都をしのぶためである。どうやら、この街では、王座を東京にうばわれ、かえって尊王精神が高まったようだ。  そういえば、平安神宮でおこなわれる時代祭も、まことに尊王的である。足利氏にはつめたいし、南北朝時代も吉野朝時代としてしめされる。いわゆる皇国史観でそめあげられたパレードが、ここではくりひろげられている。まあ、足利氏のあつかいは、ごく近年になって、やや好転しだしたが。
 記念殿の建築は、平安時代の大極殿にならおうとしている。といっても、正確な復元がなされたわけではない。いくらかの資料は参照されたが、想像でくみたてられたところもある。近代の京都が、平安京のまぼろしをよみがえらせたということか。
 そういえば、建築のかまえもどことなくファンタジーめいている。ディズニーランドが、西洋の中世を幻視しつつ、シンデレラ城をつくりあげた。あれによく似たやりくちが、ここでもとられたように思う。とりわけ東西両翼の楼閣に、私は絵本で見る竜宮城のようなおもむきを、感じる。
 記念殿のすぐ南側で同時にひらかれた博覧会も、ここには影をおとしているかもしれない。私には、楼閣部分が、博覧会のパピリオンめいた建築としてもうつる。外人観光客がおおぜいやってくるのも、そのせいか。


京都・奈良私的観光地図に掲載 

続きを読む "平安神宮神苑・岡崎あたり"

2008年4月13日

大雄山最乗寺

 東京で監査役をしていたとき協会部会で知り合ったゴルフ仲間のコンペが、神奈川県の松田町であった。ゴルフ当日は生憎の雨のためハーフで中止せざるを得なかったが、その分、歳をとってから知り合った愉快な仲間と飲む時間が増えた。関西からのただ一人参加の私を歓迎してくれて、つい度を過ごした。

 翌朝、小田原のビジネス・ホテルの部屋から外を見ると雨も上がったようだ。横浜在住のYAMAKOさん(私のサイトに、蝶の写真を中心としたプロ級の写真を Studio YAMAKO として開いている)にメールで教えてもらっていた

 天気がよければ、私も行った事がないのですが、小田原から伊豆箱根鉄道大雄山線で21分、大雄山駅で降りて、散策されるのもよいかもしれません。最乗寺や足柄森林公園丸太の森などがあります。

というお薦めに従って、昨夜のアルコール抜きに森林浴をすることにした。

クリックすると大きな写真になります 単線の大雄山線は、通学の高校生らで結構混んでいた。終点の大雄山駅改札を出たところ、"クマにまたがる足柄山の金時さん"の銅像近くに、観光案内看板がある。これによると、最乗寺までは 4km ほどで森林浴ができそうな歩道も用意されているようなので歩いて行ってみることにした。

 歩き出して気づいたことであるが、ずっときつい上り坂である。メタボになっている二日酔いの体にはこたえる。それに道幅も狭くて歩道はついていないので危険である。帰る時に気がついたが、大雄山駅から導了尊行きのバスに乗り、仁王門というところで下りれば、そこが"てんぐのこみち"という散策道の登り口となっていたのだ。

クリックすると大きな写真になります その登り口に着くころには、ジャケットの下の長袖ポロシャツは汗でぐしょぐしょになった。一応、小さなショルダーバッグに足もとは少しぐらい歩けるウォーキング・シューズだったが、このような散策には服装が向いていない。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 最乗寺本殿まで続く"てんぐのこみち"は、杉の木立の中に作られた散策道である。午前も早いせいもあって私一人貸し切りである。ウグイスやシジュウカラなどさえずりが絶え間なく続いて爽快である。この散策道のために植栽したのか、ところどころにシャクナゲの紅い花、シャガの白い花やヤマブキの黄色い花などが咲いている。
 多分天気が回復しないだろうとカメラはコンデジしか用意していなかった。このような場合は少々重くても、MP3レコーダーと一眼レフを持ってくるべきである。

クリックすると大きな写真になります ずっと続く参道を登ると最乗寺入り口「三門」の茶店は、18丁茶屋となっていたから、おそらく仁王門から三門までは、約 2km (1丁:60間=109.09m X 18=1978.2m)あるようだ。
 ちょうどこの曹洞宗最乗寺を開山した了庵慧明の600回大遠忌のあとらしく幟などの片付けが始まっているようだった。
 本堂脇に植わった2本の枝垂れ桜が満開であった。

 さすがに疲れて、駅までの下りは1時間に1~2本あるバスに乗った。大雄山の駅まで、260円、これも貸し切りだった。

2008年4月 8日

隠居の読書:梅棹忠夫の「京都案内」

 京都に娘が一人住まいするようになってから、家内のアッシーで行くことが多くなった。行ったついでに、どこかに寄ってくるのが通常になった。京都は訪ねてみたいところが沢山あるのでどこに行くか困るほどであるが、だいたいは娘のおすすめにしたがっている。

 梅棹忠夫の「知的生産の技術」を読み返しているときに、彼の著書を Amazon で調べてみると沢山の著書があるのだが、その中に、梅棹忠夫の京都案内という本があるのが分かった。京都に興味がでてきていたこともあって、さっそく取り寄せて読んでみると、これがなかなか面白い。ちょっと異なる観点から京都を見てみたくなっている。

 この本は、1987年5月に刊行された角川選書を平成16年9月に文庫化したものらしく、原本が加筆・訂正されているということである。元々の原稿は、梅棹さんが「知的生産の技術」でいうところの自分のアルキーフ(文書館:アーカイブ)から、京都に関する講演とかいろいろな雑誌に寄稿したものを集めて編集している。

 この本には、京都を愛してやまない著者の京都びいきの話がいたるところにでてくる。
 1961年に日本交通公社の「旅」に「京都は観光都市ではない―観光客のために存在していると思われては困る!」と題して載せている記事がある。その部分が生粋の京都人である梅棹さんの京都に対する考え方がよく分かると思うので、引用としてはいささか長いが、載せたいと思う。梅棹さんは、「知的生産の技術」のなかで、長い引用はすべきではないというのだが、私には原文のニュアンスを簡略して記述する能力がない。

祇園祭のチマキ
 たまたま、ことしの夏、おもしろい例があった。新聞の投書欄に、祇園祭のチマキについて、文句がでたのである。
 祇園祭のチマキというのは、祭をみたことのあるひとならご承知であろうが、山鉾巡行中に、鉾のうえからなげるのを、群集があらそってうける、あれである。祭のしばらくまえから、これは売っている。それを買って、玄関などにかけておくと、厄除けになる。一種のまじないである。
 新聞の投書というのは、こうだ。そのチマキを買ってかえって、あけてみたらカラだった。京都の商売ほインチキだといって、えらい剣幕で憤慨しているのである。投書したのは、いずれよそからの観光客であろう。観光客ずれのしている京都市民も、さすがにこれには、いささかおどろいた。
 つまり、こういうことなのである。祇園祭のチマキというものは、ずっとむかしは中身がはいっていたようだが、近年ほただチマキの形にササの葉をまいてたばねただけであって、もともとなかにはなにもはいっているわけはない。そんなことは、幼稚園の子どもでもしっている。祇園祭のチマキをむく、というのは、むかしからおろかもののすることの見本みたいにいわれているのである。そういうこともしらずに、逆ネジをくわしてきたその投書子のあつかましさに、京都市民はおどろいた、というわけなのだ。
 よそからの観光客なら、京都の風習をしらないのがあたりまえでほないか、という同情論もありうるが、京都市民の立場からすれば、祇園祭の前後に京都にでてきて、そんな風習もしらずにいた、というのではこまるのである。ちょっとたずねれば、わかることだ。もともと、祇園祭は市民の祭であって、観光客のための祭ではない。祭をみにきてもかまわないけれど、みるならみるで、祭のしきたりについて、観光客は理解の努力をほらうべきである。とやかく文句をいってもらってほこまる。それは主客転倒というものだ。

観光都市ではない
 観光都市のことだから、まァまァ観光客の無理解にも目をつぶらなければならないし、いまのチマキ事件については、こちらの啓蒙不足という点もあったのではないか、という声がきこえてくるようにおもうが、そういうかんがえかたこそは、「お客さまはいつも王さま」という原則に支配された、卑俗なる観光主義というべきである。「観光」の名のもとに、この種の臆面もない無教養が、京都市内を横行しはじめるとしたら、それは、伝統ある京都の市民生活にとって、ことは重大であるといわなければならない。とに、この種の臆面もない無教養が、京都市内を横行しほじめるとしたら、それは、伝統ある京都の市民生活にとって、ことは重大であるといわなければならない。
 だいたい「京都は観光都市である」というかんがえかたそのものが、ひじょうに危険なものをふくんでいる。たしかに、京都はうつくしい都市だし、ほかの都市にくらべれば、なみはずれてたくさんの史跡名勝をもっている。そして、それをみるために、おびただしい観光客がやってくることも事実だ。そのかぎりにおいて、京都は観光のさかんな都市である。しかし、「観光」は京都という多面的な大都市のもつ、ただひとつの側面にすぎない。京都は同時に学問の都であり、美術の都であり、工芸の都であり、商業都市であり、工業都市でさえある。もともと、一国の首都として発展してきた都市であるだけに、そのなかにはさまざまな要素をふくみ、複雑な構造をもっている。その点、二、三の史跡以外にはなんの特徴もない地方小都市が、戦後にわかに観光都市の名のりをあげたのとは、本質的にちがうのである。そういう意味では京都を「観光都市」などという一面的なよびかたでよばないほうがよい。おたがいに誤解を生じるもとである。
 はっきりいって、京都市民のなかで、観光でたべているひとはごく一部にすぎない。大多数の市民は、観光と無関係に生活している。観光の恩恵をうけていない。京都をおとずれる観光客が、なにかの原因でおおきく減少したとしても、打撃をうけるのは少数の観光業関係者だけであって、おおかたの市民は、たいしてこまらない。それによって、都市の性格がおおきくゆらいだりはしないのである。
 このことを、逆に観光客の立場からみると、こうなる。京都では、ほかのはんとうの観光都市みたいに、お客さまづらをしているわけにはゆかない、ということなのだ。観光にきてやって、京都市民をよろこばせてやっている、というわけではないのだから。京都市民全体としては、たくさんの観光客が京都をみにくるのを、たいしてありがたがってはいないのである。ときにはめいわくもしている。


 この記事は、この本に収められている文の一例ではあるが、内容の雰囲気はつかんでもらえるではないかと思う。
 梅棹さんが、"帰化京都人"と称する小児科医の松田道雄さんの京都に関する本も紹介されている。「花洛」と「京の町かどから」である。Amazon で探すと中古本があった。取り寄せて読んでいる。

 梅棹忠夫の京都案内
梅棹忠夫の京都案内 (角川ソフィア文庫)
梅棹 忠夫
角川書店
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おすすめ度の平均: 4.5
4 稀代の博識者による一味違った京都案内本です
5 京都に行くまえ、行ったあとでも

2008年4月 7日

隠居のお勉強:JavaScript Basic (9) Break and Continue

 JavaScript の勉強が、1週間ほど空いているので再開することにした。

 W3Schools の次のレッスンは、Loop で使う break と continue である。

  • 二つの特殊なコマンド break, continue をloop の中で使うことができる。
    • break コマンドは、loop の途中である条件になれば、その loop を中止する。
    • 例を次に示す。
      <html>
      <body>
      <script type="text/javascript">
      var i=0;
      for (i=0;i<=10;i++)
      {
      if (i==3)
      {
      break;
      }
      document.write("The number is " + i);
      document.write("<br />");
      }
      </script>
      </body>
      </html>

    • 結果は次の通りになる。
      The number is 0
      The number is 1
      The number is 2

    • continue コマンドは、loop の途中である条件になる場合のみloop を実行しないが、loop は続ける。
    • 例を次に示す。
      <html>
      <body>
      <script type="text/javascript">
      var i=0
      for (i=0;i<=10;i++)
      {
      if (i==3)
      {
      continue;
      }
      document.write("The number is " + i);
      document.write("<br />");
      }
      </script>
      </body>
      </html>

    • 結果は次の通りになる。
      The number is 0
      The number is 1
      The number is 2
      The number is 4
      The number is 5
      The number is 6
      The number is 7
      The number is 8
      The number is 9
      The number is 10

 構文は理解できたが、どのような時に使われているのか分からない。

 なお、このようなエントリーを編集するときに、< や > を使う場合には、&lt; &gt; とエンコードしなければならないが、今回から HTML エンコードホームというサービスを使わせてもらうことにした。
 W3Schools などの example コードをこのページのエンコード前ボックスにコピペ(copy & paste)すれば、エンコードされた結果がエンコード後ボックスに表示されるので、これをエントリー編集画面にコピペすればよい。
 今までは、< などを一つずつ&lt; などと書き直していたのでずいぶん楽になった。
 今頃気がつくのは、老齢化現象の一つと思うが。

2008年4月 6日

4月のJazz ダウンロード:Spring Is Here etc.

 今月は、 Bill Evans の残した名盤を検索しているときに見つけた "Spring Is Here" をタイトルがちょうど季節にあっているのでダウンロードすることにした。

 Bill Evans の 「Portrait In Jazz」 というレコードのなかに入っている曲で、 Bill Evans ファンには、"Walz For Debby" とともにたまらないらしい。私は、Jazz って、そんなに神妙に聴く音楽ではないと思っているので、もう一つ好きになれないのだが。

 作曲・作詞は、有名な Rodgers and Hart である。作曲が Rodgers で、作詞が Hart である。その Lyrics は、次のように、なんとなく5月病を思わせる。Evans が弾くピアノもなんとなく鬱的である。

Spring is here! why doesnt my heart go dancing?
Spring is here! why isnt the waltz entrancing?
No desire, no ambition leads me,
Maybe its because nobody needs me?
Spring is here! why doesnt the breeze delight me?
Stars appear! why doesnt the night invite me?
Maybe its because nobody loves me,
Spring is here
Spring is here
Spring is here
I hear !


 この "Spring Is Here" は、毎月ダウンロードする曲数を50曲で契約している eMusic では、rock などを除くと36曲がヒットした。

 余裕があったので、奥さんが日本人で有名なピアニスト Mal Waldron が Billy Holiday を偲んで作曲した "Left Alone" をダウンロードした。オリジナルのアルバム「Left Alone」に収録されているトラックは、ダウンロードの対象にはなかった。この曲も Billy Holiday 追悼曲であるから、やはり鬱的である。

  "Left Alone" は、Jazz では 10 曲しかヒットしなかったので、契約の残り 4 曲をRodgers and Hart の作詞・作曲の "Falling In Love With Love" をダウンロードした。この曲はたくさんヒットした。残りは来月にするつもりである。

 eMusic からダウンロードした曲は、MP3ファイルなので、MP3Gain を使って、以前にエントリーで書いたように一括音量調整した。ダウンロードした Jazz のコレクションは、CDで33枚分になった。MP3ファイルのコレクションだから、ファイル 1MB=1分として、ざっと計算((700MB/CD X 33)/60 ) すると 385 時間分となる。塵も積もれば山である。

 この作業に伴って、私のネット放送局 Live365 のRadio Senboku の PlayList に新たな3曲を加え、多少の入れ替えをした。 現在の放送曲リストは、エクセル・シートで見ていただける。上に紹介した曲は、どうぞ Radio Senboku でお聴きください。ただし、Live365 では、規約で曲のリクエストはできないことになっている。順番に出てくるのをお待ちください。

2008年4月 4日

続々:泉北西原公園の桜

クリックすると大きな写真になります ほぼ満開になった泉北西原公園の桜を、花見の宴が始まらない間に撮りに出かけた。

 公園にある池の反対道路側から、池の柵に肘を固定してパノラマ写真を試みた。Nikkor 18-200mm をいちばん広角にすると3枚のショットに収まる。

 これを家内が少し前に求めたコンデジ Lumix に付属していた Arcsoft 社の Panorama Maker 3 というソフトで合成してみた。実際の感じよりは、少し魚眼レンズ的になるが継ぎ目は上手くつながっているようだ。

泉北近辺私的観光地図に掲載

2008年4月 1日

続:泉北西原公園の桜

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります.jpgクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 花冷えがして風が強かったが、春休みで訪ねてきた孫二人と一緒に、泉北桃山公園から西原公園まで三~四部咲きの桜並木をブラブラと歩いた。

 平日でもあるし天気も余り良くないので、さすがに宴を開いているグループはいない。その公園のカツラ(?)の梢で、最近聴き慣れたシジュウカラ「ツーピーツーピー」というさえずりが聞こえる。Nikkor 18-200mm のズームを一杯にのばして撮ったら、先日の電線に停まっているシジュウカラよりは少しましな写真が撮れた。桃山台小学校横の桜並木には、ヒヨドリが忙しく飛び回っていた。が、今年はどうもいいシャッターチャンスがない。

 桜の花に眼を奪われるこの時期であるが、堺市南区役所近くの街路樹に見慣れない房状の花が垂れ下がっていた。いつものように、K's Bookshelf この花の名は?掲示板に夕方写真をアップすると、その夜には なおさん という方が「ツノハシバミ」の雄花ではないかと教えてくれた。こんなときはいつも知識のアンプリファイ(amplify:増幅)がスピードアップしているネット時代に生きていると実感する。

泉北近辺私的観光地図に掲載