検索結果: Masablog

このブログを検索

大文字小文字を区別する 正規表現

Masablogで“ショア”が含まれるブログ記事

2018年11月22日

読書日記「権力と新聞の大問題」(望月衣塑子、マーティン・ファクラー著、集英社新書)



権力と新聞の大問題 (集英社新書)
集英社 (2018-06-22)
売り上げランキング: 90,857


望月衣塑子は、東京新聞社会部記者。政治部記者の牙城である内閣官房・管 義偉官房長官定例会見に出て、既存政治部記者から異端視されながら矢継ぎ早に質問してネットでも話題になっている。

 マーティン・ファクラーは、ニューヨーク・タイムズ前東京支局長で、日本のマスコミへの厳しい批判で知られるジャーナリスト。

 この本は、その2人の対談で構成されているが、マスコミと権力の問題だけでなく、安倍内閣の密かな狙いを批判するなどホットな話題に満ちている。

 知らなかったが、望月記者によると、経済産業省は2017年2月から「執務室全部に施錠を始めた」という。「これは明らかな記者の締め出しであり、取材拒否の姿勢に見える」。これまで取材対応をすることが多かった課長補佐が対応しなくなったらしい。

 古い話しだが、私が経済記者だった頃は、通産省(現・経済産業省)や大蔵省(同・財務省)執務室への出入りはもちろん自由だったし、課長や課長補佐の横に座り込んで、無駄話をしながら、取材をしたものだ。
 そんな、当たり前だったことが、もうできなくなっている。

 「安倍政権がやろうとすることに対してゴチャゴチャ言うヤツは邪魔だ。余計なことは言わず書かない、すべて忖度して都合のいい報道をしてくれる記者だけを受け入れようとするわけです」

 門外漢にはよく分からないことだが、望月記者によると、安倍政権は2013年に特定秘密保護法、2015年に安保法制、2017年にテロ等準備罪(共謀法)を成立させ、昨年は巡航ミサイル導入の報道が相次ぐなど「いつでもアメリカと一緒に戦争ができる」体制を整えつつある。

 2013年に発足した国家安全保障会議(日本版NSC)は、マスコミも実態がつかめないブラッックボックスだという。

 同記者は最近、埼玉県入間市で、自衛隊基地に防衛省所管の病院を作る計画を聞いたという。「ミサイル導入や日米軍事協力を想定して、負傷者の受け入れ体制を想定」しているらしい。

 ファクラー氏は「他国にミサイル攻撃を仕掛ける装備を持つということは、日本にとって戦後最大の方向転換だということを海外の政権やメディアは注意深く見ている。それなのに、日本国内でそういう議論が行われていないのは非常に危険な状態だと思う」と警告する。

 望月記者は言う。「憲法九条の論議が始まる前に専守防衛を超えて敵基地攻撃を持つ装備(巡航ミサイルやイージス・アショア)を一気に持とうとしている。憲法九条の議論の前に現実論として装備してしまえと。民主主義の手続きをすっ飛ばして『そっちを先にやってしまえ』みたいな空気もあり、すごく怖いなあと思っています」

 その法制や装備が現実に使われるのは、我々が死んで孫たちの時代になってからかもしれない。いや、もっと近い話しかもしれない。本当に「すごく怖い」ことである。

 最後に「記者が身の危険を感じたり、国家権力から監視されたりすることがあるのか」という質問に、ファクラー氏はこう答えている。

 「アメリカではビックデータによる監視が可能だから、取材先との秘密裏の情報交換などに、外部の人には解析不可能な暗号を用いた通信方法、例えば "Signal" といったSNSを使う」

 NHKの人気番組ではないが、日本の国民、記者諸侯に、こう呼びかけることにしよう。

 「ボヤーと生きてんじゃないよ!」

2013年9月20日

読書日記「四つの小さなパン切れ」(マグダ・オランデール=ラフォン著、高橋啓訳、みすず書房刊)


四つの小さなパン切れ
マグダ・オランデール=ラフォン
みすず書房
売り上げランキング: 130,851


 この本は、昨年5月のポーランド・ アウシュヴィッツ訪問に同行してくれた若い友人Yさんが自分のブログでふれているので知った。
 Yさんは、あの旅行を自分の人生のなかでかみしめようとして、この本に出会ったのだろう。図書館で、さっそく借りた。

 訳者によると、ハンガリー生まれのユダヤ人である著者は、 アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所に収容された家族のなかでただ1人生き残った。しかし、長い間そこでの体験を封印してきた。「語りはじめるには、まず自分自身について勉強し、自分の人生に意味を与えるところから始めるしかなかった」
 ベルギー、フランスへと渡り、教職の資格を取得し、心理学を修めた過程で彼女は自らの意志でカトリックの洗礼を受けた。アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所での「パン」の経験が、福音書のなかにある言葉とつながったからだ。

 そして、解放されて32年後に沈黙を破って刊行されたのがこの本の前半の「時のみちすじ」。周囲の人たちは驚いた。「いつもほほえみをたやさない明るいマグダさんが、こんな壮絶な過去を持っていたなんて」
 これを機会に彼女は地元の中高校生に自分の体験を語るようになった。その後に書かれた後半部「闇から喜びへ」を加えて、マグダさんが85才の昨年、この本が上梓された。

 「時のみちすじ」「闇から喜びへ」でも、マグダさんは過去の経験を詳しく語ろうとはしない。短い詩と文章で1篇、1篇が構成されている。
 彼女の体験は、巻末に2人のインタビューヤーなどによる「著者の生きた時代について」に詳しく掲載されている。

 炉がはぜる。
 空は低く、灰色と黄色に染まっている。
 風に舞い散る彼らの灰をわたしたちは吸う。
 あれから三十年
 わたしは自分の記憶のぶ厚い壁に穴を開け、揺する。
 希望をほしがっていたたくさんのまなざしが
 ほこりとなって
 消えてしまわないように。(時のみちすじ・まなざし)


 1944年春。ハンガリーから毎日1万2千から1万5千ものハンガリーのユダヤ人がビルケナウ収容所に貨物列車で送り込まれた。すでに収容されていた1人が命がけでなんどか列のなかに入ってきて、唇を動かさずに「おまえは18歳、18歳だからね」というのをマグダは耳にした。
 年齢をたずねられた16歳のマグダは「18歳」と答えた。18歳以上の若い女性は、労働に耐えられるだろうからと右の列に、母と妹は左に行かされた。
 家族の行方をたずねるマグダに女性のブロック長は、炎と煙が見える火葬場の煙突を指さし答えた。「もうあそこに入っているだよ・・・」

 厳しい労働が続いた。バラックの周囲の遺体を集め、人間の遺灰を荷車で近くの湖まで運んだ。マグダは何度もこの湖に身を投じようと思った。

 「生きることを信じよう。絶望を払いのけよう。・・・弱い人はここでは生きていけない。わたしたちは生きのびなければならない。わたしたちには生き証人が必要なのよ」
 これは、見知らぬ修道女の口から出た言葉だった。この言葉は、わたしの心の奥に根を下ろし、衰弱したときに生きる力を与えつづけてくれた。(時のみちすじ・生きる)


 
 (労働に駆り出された帰り)ゴール兼スタートの正門まで、わたしたちは駆けていかなければならない。それは、わたしたちがまだ労働に耐えられるかどうかを調べるための日課のようなものだ。・・・わたしたちは走る、恐怖で麻痺したまま。・・・鞭や杖でぶたれないように、犬に噛みつかれないようにするために、ドタ靴や木靴は捨てる。・・・死に至る選別。(時のみちすじ・足)


 瀕死の女性が合図を送ってきた。手のひらに黴びた四つのパン切れ、かろうじて聞き取れる声で、わたしに言った。「ほら、これをあげる。あんたは若いんだから、ここで起こったことを証言するために生きておくれ」。わたしは四つのパン切れを受け取り、彼女の目の前で食べた。見つめる彼女の目のなかには、善意と自棄の両方があった。わたしは若く、この行為とそれを支える重みをどう受け取ればいいかわからず途方に暮れた。(闇から喜びへ・わたしの人生の意味)


 8月の点呼のとき、自分のいる列に並ぶ人々の背中と足取りが衰弱しきっているのを感じ、マグダはこっそり隣の列に移り、ガス室に行くのをまぬがれた。

 収容所にいたときは、自分の身に何が起きたかを理解しようと思ったことはない。直感の声に耳を傾けながら、本能的に状況に合わせていただけだった。直感とは生のもつ知性だ。わたしたちのなかから出てくるものではないけれども、光のほうへ導いてくれる霊感。(闇から喜びへ・直感)


 フランクフルトに近い収容所で、鉄路に沿って枕木を地面に固定する作業をさせられた。

 親切はたびたびわたしを訪れた。・・・(靴を盗まれてしまい)・・・凍りついた足の痛みはおそろしいほど生き生きとしている。・・・(労働者でもある看守の)男が、人目の届かない焚き火の近くまでわたしを連れていき、新聞紙を丸めて、わたしの足をこすった。・・・バッグから木靴を一足取り出し、わたしにはかせた。この無償の行為によって、彼はわたしを生かしてくれると同時に、自分のいのちを危険にさらしたのだ。(時のみちすじ・親切な看守)


 女性たちは徒歩で出発した。徒歩のグループにはマグダも含まれていて、四人のハンガリー出身の女性たちとともに隊列から逃れることに成功した。彼女たちは近くの森に六日間隠れていた。・・・たまたまアメリカ軍の戦車が森の縁で止まった。・・・ほとんど骸骨同然に痩せこけ、疥癬(かいせん)に蝕まれ・・・。

 一九四五年五月、四人の収容所仲間といっしょにベルギー・ ナミュール駅に到着したとき、わたしたちを待っていたのはパンだった。いい香りがした。思わずパンに向かって満面の笑みを送った。喜びが心に満ちていた。(闇から喜びへ・再生)


 あるとき、適当に聖書のページを開き、マタイ福音書の第二十五章〔三十五説から三十六節〕を読んだ。ふいに感動がやってきた。「わたしが飢えていたとき、あなたは食べ物をわたしにくれた。渇いているときに飲み物をくれた。裸でいるときは、服を着せてくれた」
 わたしは心でつぶやいた。「ここにわたしの知り合いになりたいと思う人がいる」。それ以来〈彼〉はずっとわたしといっしょにいる。(闇から喜びへ・神の顔)


 わたしは確信している。神よ、あなたは ショアを望んだわけではなく、わたしたちひとりひとりの苦しみはあなたご自身の苦しみであったことを。
 幾多の戦争の、あらゆる兄弟殺しの責任を負うべきは、わたしたちがつくり出す偽の神なのだとわたしは思う。(闇から喜びへ・希望の熱烈な支持者)


 昨年、アウシュヴィッツで感じた 「神の沈黙」への疑問に対する答えがここにあった。