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2017年1月31日

読書日記「俳句の海に潜る」中沢新一、小澤實著、株式会社KADOKAWA刊)


俳句の海に潜る (角川学芸出版単行本)
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 このブログにもUPした「アースダイバー」「大阪アースダイバー」の著者で人類学者の中沢新一と、読売俳壇の選者などを務める俳人の小澤實が、俳句ゆかりの地を何度か訪ねながら対談や講演をした。

   月刊「俳句」(角川文化振興財団刊)で随時掲載されていたのが、1冊にまとまった。中沢新一ファンとしては、読まないわけにはいかない。この人の話しは、あまりに感覚的過ぎて、スーと頭に入ってこないのが難点といえば難点だが・・・。

  「アースダイバー」というのは「カイツブリが海の底からくわえてきた土のかけらが陸地を作った」というアメリカ・インディアンの神話。この本の表題である「俳句の海に潜る」は、この神話から取ったらしい。

 中沢が、アースダイバー論を、そして「俳句はアニミズム(精霊信仰)である」と滔々とぶつのに対し、6歳年下の小沢が謙虚に教えを乞うように見える異色の俳句論である。

 「アヴァンギャルドと神話」と題した第4章では、2人は諏訪を訪ねている。

 諏訪大社発祥の地と言われる前宮に行き、「水眼」の清流を見て、縄文時代からの聖地を感じる。山梨で少年時代を過ごした中沢は、周りの大人たちから「甲斐から諏訪の周辺は縄文時代から変わらないのだよ」とよく言われたという。

 小澤も山梨出身の俳人、飯田蛇笏の「採る茄子の手籠にぎゆアとなきにけり」という句を取り上げ「茄子が単なる野菜ではなく、精霊そのものになっている」と話す。

 中沢は「現代は俳句の危機の時代」だという。

 
 俳句の主題はモノ。この非人間なるものにどうやって「通路」を作っていくかが俳句という芸術の本質。和歌、短歌は人間の世界、しかも根幹は文化だから、都市なんです。ところが、俳句は都市に非ざる世界が必ず広がって、人間ならざる世界と回路を作っていく。そういう芸術だから、むしろ抱えている危機は深い。


 小澤は答える。

 
 切字、文語とか、今の若い人には届きにくい。短歌はそれをほとんど捨ててしまって、若者が飛びつくような詩になっている。・・・切字、文語を使いこなせるようになるまでには、時間がかかってしまう。でも、俳句は切字、文語をどうしても捨てたくない。言霊的なふしぎな力がそなわっている。


 2人が諏訪に旅をした2か月前に、中沢は「俳句のアニミズム」と題した講演をしている。この講演の前に、中沢は小澤に「アニミズムらしい俳句」を10句選んでもらい、講演ではそのいくつかを論評している。

  凍蝶の己が魂追うて飛ぶ 高浜虚子

 「これをアニミズム的な詩と呼ぶことはできますが、じつは近代的なアニミズムです。魂が抜けて凍蝶になってしまった。宗教学の定義にしたがったアニミズムで、私としては面白くない」

  蟋蟀が深き地中を覗き込む 山口誓子

 「喩表現によって動物の人間化をおこそうとしています。しかし人間が自分の心の『深き地中』を覗き込むときには、人間は逆に蟋蟀に変化していくことによって、人間と非人間に共通する生命の深淵を覗き込むことになります」

  何もかも知ってをるなり竈猫 富安風生

 「猫は犬に比較すると人間の感情や思考に対して無関心で、その分より原始的な生き物だと言えます。その猫が『何もかも知ってをる』のですから、おそろしく原始的な知性に見つめられているわけです。平凡なようでこわい句です」

  泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む 永田耕衣

 「地霊→鯰→泥鰌という、深から浅に向かう象徴的思考の運動の背景にあって、神話論的にじつに豊かな俳句だと感じます。泥鰌は水底に近く暮らす魚ですが、どこかトリックスターなひょうきんさがあって、水底と水面のあいだをいったりきたりします。その泥鰌が「底のほうには鯰もいるよ」と報告して、また身を翻して水底に戻っていきます。この鯰が地霊と組んで、地震をおこすのです」

  おおかみに蛍が一つ付いていた 金子兜太

 「まさに『東国』のアニミズム感覚です。蛍はお尻を光らせ、その蛍を体につけたおおかみは、目の力をもって存在の光をしめします。・・・私たちの中には、おおかみの目の光の記憶があるように思えます。たぶんこの目の光は、『東国』の自然の放つ霊妙な原始的エネルギーの化身なのでしょう」

 
 こういう目で俳句を見ていますと、俳句とアニミズムが根源的なところでつながっているということがよく分かります。アニミズムと言語の比喩的本質が強く結びついているような。古代的な芸術を残している民族は他ではあまり見かけません。しかもそれが前衛性(アヴァンギャルド)への道も開いている。


2013年1月 5日

読書日記「松本竣介 線と言葉」(コロナ・ブックス編集部編)「『生誕100年 松本竣介展』図録」(岩手県立美術館など編) 出雲紀行・上「島根県立美術館・松本竣介展」


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ネット検索をしていた昨秋、盛岡の 岩手県立美術館(盛岡市)で開かれた画家松本竣介の生誕100年展を知った。
 ちょうど東北ボランティア行を計画していた時期だったが、残念ながら盛岡の会期は終わり、松江市に巡回していた。

 本屋で買ってきた 「新潮日本美術文庫45 松本竣介」(日本アート・センター編)で、青を基調にした清逸でいて透明感のあふれた色調に引かれた。矢も楯もたまらず、友人Mらと昨年11月の連休に松江市に飛んだ。

 2日の夕方、空港から宿に向かうバスの窓から宍道湖に映える夕日のなかに浮かびあがった会場の島根県立美術館を見る僥倖に恵まれた。この 「夕日の見える美術館」は、湖岸の芝生から夕日を楽しんでもらうために閉館時間を「日没後30分」にするという、自治体としてはなかなかシャレたことをしている。

 翌日朝、松江大橋の北端にある宿から美術館までは、整備された宍道湖畔の遊歩道を歩いて20分弱。開館時間の少し前に会場に入ることができた。

 竣介は、旧盛岡中学1年の時に、流行性脳脊髄膜炎にかかり、聴力を失ったことをきっかけの一つとして画家を志すようになったが、昭和4年中学を3年で中退し上京してしまう。

建物;クリックすると大きな写真になります このため、広い会場に展示された作品に、盛岡時代の作品は少ない。すぐに、透明感のある青い絵の具の上に、太い黒い線で形どられた 「建物」(1935年、福島県立美術館蔵)や「婦人蔵」(1936年、個人蔵)などが並んでいる。

 素人目にも明らかに、ルオーやモヂリアニの影響が見てとれる。

 竣介自身「モヂリアニが好きになったのも理由の一つは、量を端的に握んでゐる天下一品の線の秘密にあった」「モヂリアニの作品は、長いこと私を翻弄した。実際困った程だった」と記している。

 竣介は「線に生きた」画家だった。「線は僕の気質などだ、子供の時からのものだった」という言葉が「松本竣介 線と言葉」のなかにある。同時に「線は僕の メフストフェレス(悪魔)なのだが、気がつかずにゐる間僕は何も出来なかった」という言葉も引用されいる。

 岩手県立美術館の原田光館長は「『線描家』序説」(「松本竣介 線と言葉」より引用)という短文に、こう書いている。

 
烏口で引いた硬質の線、何度でもなぞり返して生まれる細線の束、太線の流動、子どもの絵にでてくるような奔放な線、それぞれの線の質を生かすため、青の加減の目くばりがさえたとき、線は街になり、街歩きする人々の姿へと転じる。竣介は無闇な線描家ではない。したたかな計算によって線を生かす工夫に余念がない。デッサンを繰り返してからでないと画家竣介の基本の確立であったろう。

白い建物;クリックすると大きな写真になります
 「線の画家」竣介は、同時に「青の画家」でもあった。

 作家堀江敏幸が自著「郊外へ」(白水Uブック刊)の表紙カバーに竣介の 「白い建物」(1941年、宮城県立美術館蔵)を選んだ理由について「線と言葉」の冒頭文に書いている。

 
空の青みは、中央を左右に横切る高架線のホームの上、画面の四分の一ほどにすぎず、残りを占めているのは、建物の壁だ。白、灰色、茶色、黒、灰緑色。粗塗りのようでいてそうではなく、面で捉えられているようでいて、そのじつ線のリズムがすべてを支えている。青はいたるところ沁みだして白を上書きし、灰に溶け込み、さらにまた藍鼠や桝花に変化する。鉄骨のいかにも重そうな建造 物なのに、海に浮かぷ空っぼの貨物船を思わせる相対的な軽みがあり、人の気配を消しつつ負の印象を与えない。この絵を措いている(私)は、幾度も表面を削られ、また絵の具を乗せられて出来あがった見えない多重露出像となって、青と同様、壁のいたるところに在しているようだ。
  画布ではない板の堅さと、透明な絵具を溶いて薄め、乾いている絵具の上に薄く塗って膜をつくるグラツシの技法が硬質な輝きをもたらしている反面、青を水槽のガラスにうっすらと張り付いた苔のように、鈍く、半透明にひろげていく。画家はこの膜に身を包んで画面のなかに姿を消し、耳を澄ますという行為さえ許されない静寂に身を潜めている。ここには、ある種の若さにしかない繊細さと脆さが、そして若さだけでは持ち得ない時間と沈黙の積み重ねがある。


 浅学非才の身。これほど1つの絵画に惚れ込み、入り込み、表現した文章に会った経験がない。
 ただ、じっと透き通るような空の青に引きこまれ、白い壁の合間に浮かぶブルーに目をこらすしかなかった。

立てる像;クリックすると大きな写真になります 自画像;クリックすると大きな写真になります  竣介の作品なかで、最も迫力があり、名が知れているのは、 「立てる像」(1942年、神奈川県立近代美術館蔵)竣介がよく描くさびれた街の風景のなかに、等身大にも見える大きな人物がスクッと立っている。人物は、 作品「顔(自画像)」(1940年、個人蔵)とそっくり。モデルは、竣介自身であることが分かる。

 神奈川県立近代美術館の水沢勉館長が「『生誕100年 松本竣介展』図録」に寄せた文によると、子どもたちにこの絵を見せると「画面の中から帰ってきたかの様子で戦争が描いてあるね』」と答えたという。

 廃虚の仁王立ちになっている竣介は、耳が聞こえないために兵役を免れている不安と虚無感を浮かべつつ、戦争に反対する不退転の決意を作品にしたように見える。

五人;クリックすると大きな写真になります  作品「五人」(1943年、個人蔵)からも「家族と共に生き残ってみせる。負けないぞ」という叫びが聞こえてくる。縦1・6メートル、横1.3メートルの大作だ。

 竣介「反戦の画家」とも言われる。

 日中戦争が始まった翌年。美術雑誌「みづゑ」新年号に掲載された「国防国家と美術」とい座談会で、陸軍省の将校らが「大事なのは国家であって文化は国家の産物にすぎない。だから総力戦に備えて絵描きも国策に協力すべきだ」と発言したのに対し、竣介は猛然と反論に出たことがある。

 4月号に掲載された「生きてゐる画家」は、いささか分かりにくい長文のものだが、冒頭だけをみても、時局に逆らう決断とした言葉が満ちている。

 
沈黙の賢さといふことを、本誌一月号所載の座談会記録を読んだ多くの画家は感じたと思ふ。たとへ、美学の著書などを読んでゐるよりも、世界地図を前に日々の政治的変転を按じてゐるはうに遥か身近さを想ふ私であつても、私は一介の青年画家でしかない。美といふ一つの綜合点の発見に生涯を託してゐるものである私は、政治の実際の衝にあつて、この国家の現実に、耳目、手足となつて活躍してゐる先達から見れば、国家の政治的現状を知らぬこと愚昧を極めた弱少な蒼生に過ぎないのである。そのやうな私が、現実の推進力となつてゐる方達の言説に嘴(くちばし)をはさむといふことは甚だしい借越であるかも知れない。だが、座談会『国防国家と美術』の諸説の中から私は知らんとする何ものも得られなかつたことを甚だ残念に思ふものである。今、沈黙することは賢い、けれど今たゞ沈黙することが凡てに於て正しいのではないと信じる。


 出雲の出かける直前に、図書館から借りることができた「 舟越保武随筆集 巨岩と花びら ほか」(求龍堂刊)を開いて、アッと思った、舟越保武はなんと、旧岩手中学の同級生で、上京してからも絵画と彫刻とジャンルは違っても互いに励まし合ってきた仲だったのだ。

 この随筆集に「松本竣介の死に寄せて」(岩手新報 1948年8月14日号)が収録されている。

  
水晶のような男だった
 透明な結晶体のような男だった
 適確な中心をえて円満であり
 しかもその稜ほ十分に切れる鋭さをそなえでいた
 構いなく冴えた画家だった
 美についで底の底まで掘りさげて語り合える
 これは得難い友であった
 言葉少なに意味深く、切るように話しの出来る友であった
 自らの仕事を鋭く解剖し、絶えず我が身を鞭うって、精励する真の作家であった
 その竣介が
 突然死んでしまった
 竣介の絵の前で、幾多の既成作家、浸心の大家たちが、冷汗をかいて反省したことであろう
 美術界はかけがえのない作家を失った
 美術家の真の生き方を、純粋な声で絶叫しつづけた
 竣介は
 今は骸になってしまった
 水族館のように静かな青い光のアトリエには
 飽くことのない探究の記録、数々の素描油絵の
 習作が輝いていた
 心ある画家、文芸家たちにほんとうに愛されていた竣介が、なんということだ
 死んでしまうとは
 「アトハキミガヤレ」
 と死んだ竣介はいうにちがいない
 イヤだ、
 も一度生きかえって、あの橋の絵を描いてくれ
 君ののこした子供の絵を仕上げてくれ
 竣介、僕は君に初めて怒鳴りつける
 なぜ断りなしに死んだのだ


 どうしても見たいと思っていた1枚の絵があった。

 竣介の絶筆となった「建物」(1948年、東京国立近代美術館蔵)だ。

 画集を見ただけでも、不思議な感覚に抱かれる絵だ。竣介の「青」をおおうように白と茶色ではみ出すように描かれているのは、教会だろうか。その上に描かれた竣介の細い「線」太い「線」・・・。まるで2枚の絵を重ねたように、荘厳さと立体感にあふれた絵だ。

 島根県立美術館を歩きまわった数時間、この絵を見つけることはできなかった。出口近くで係の人に聞いたら、近くで鑑賞していた女性が「その絵、この展覧会に来ていないのです。私も、見たかったのですが」と、声をかけてくれた。

 この絵は、現在世田谷美術館に巡回中の「生誕100年 松本竣介展」にも展示されておらず、所蔵している東京国立近代美術館の「60周年記念特別展 美術にぶるっ!」で見れる、という。

 会期末の14日直前に東京に行く用事がある。のぞくことができればと思う。

 ▽参考にした本
 ・「求道の画家 松本竣介」(宇佐美 承著、中公新書)
 ・「青い絵具の匂い 松本竣介と私」(中野淳著、中公文庫)
 ・「アヴァンギャルドの戦争体験―松本竣介、滝口修造そして画学生たち」(小沢節子著、青木書店刊)

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