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2016年5月26日

 展覧会紀行「日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展」(於・ 国立西洋美術館、2016年5月21日)



   日本を代表する聖書学者である 和田幹男神父に引率された巡礼ツアーで、ローマの街を回り カラヴァッジョの作品に魅了されて、もう10年になる。

 今回、日本に来たのは接したことがなかった作品ばかりだった。ぜひ見たいと思い、世界遺産への登録が確実になった ル・コルビュジェ作の 国立西洋美術館に出かけてみた。

 上野のお山は、東京都立美術館で「伊藤若冲展」という待ち時間3時間半というばけものみたいな催しがあることもあって、週末の金曜日というのにごった返していた。

 幸い西洋美術館には、約30分並んで入場できた。

 一番、観客の目を惹きつけているのが、「法悦の マグダラのマリア」(1606年、個人蔵)だ。長年、この作品が本当にカラヴァッジョ作であるかどうかが専門家の間で議論されてきたが、ロベルト・ロンギ財団理事長でカラヴァッジョ研究の第一人者であるミーナ・グレゴーリ女史から本物であるというお墨付きが出て、この展覧会が世界初公開となった。

法悦のマグダラのマリア
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 所有者は「ヨーロッパのある一族の私的コレクションのひとつ」としか明かされていないから、この作品を見られるのは、これが最初で最後かもしれない。

 グレゴーリ女史が「真作」と確定した根拠は、第一に、キャンバスの裏にあるチラシに1600年代特有の書法で書かれた署名。第二に、その色使いや手法。「マグダラのマリア」は頭を後方にそらし、その眼は半閉じ状態で、口はわずかに開いている。両肩をのぞかせ、両手を組み、髪の毛は乱れている。服装は白のワンピースに、カラヴァッジョがいつも使う赤の絵具のマント。

 作品をじっと見てみると、右の眼から一滴の涙が流れ落ちようとしており、唇を半開きにしており「法悦」というより、まさに死を迎える寸前の「悔恨」の表情に見えた。

 カラヴァッジョが殺人を犯してローマを追われ、逃避行の末に死んだ時、荷物のなかに残っていた絵画3点のうち1つがこの作品だった。

 最近、マグダラのマリアについての本を読んだり、講演を聞く機会が何度かあった。

 それによると、これまで娼婦としてさげすまれてきたマグダラのマリアは、実はキリストの最後の受難に勇気をもって見届けた聖女で会った、という考えが出てきている、という。

 カラヴァッジョが現代に生きていたら、別のマグダラのマリア像を描くかもしれない。

   もう一つ、どうしても見たかったのが、「エマオの晩餐」(1606年、ミラノ・ブレラ絵画館)だった。

エマオの晩餐 -1
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 新約聖書のルカ福音書24章13-31によると「イエスが十字架につけられた3日後、2人の弟子がエルサレルからエマオの街に向かって歩いている時、イエスが現れたが、2人にはイエスと分からなかった。一緒に宿に泊まり、イエスが賛美の祈りを唱え、パンを裂き、2人に渡した。その時、2人はやっとイエスと分かったが、その姿は見えなくなった」

 実はカラヴァッジョは、「エマオの晩餐」(1606年、ロンドン・ナショナルギャラリー)をもう1枚描いている。イエスはミラノのものよりずっと若く描かれ、光と影のコントラストも明快で明るい。

エマオの晩餐 -2
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 今回の展覧会に出された「果物籠を持つ少年」(1593-94年、ローマ・ボルゲーゼ美術館)や「バッカス」(1597-98頃、フレンツエ・ウフィツイ美術館)に見られる、光と影のなかに浮かびあがる躍動感が印象的だ。

果物籠を持つ少年                 バッカス
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 しかし、ミラノの「エマオの晩餐」は、暗い闇が広がる中に、イエスの静謐な顔だけが柔らかい光のなかに浮かびあがる。

 展覧会のカタログでは「消えた後になってはじめてキリストが『心の目』によって認識できたことが示されている」と、解説されている。

 このほかにも、まさしくカラヴァッジョしか描けなかったであろう多くの作品を堪能できる。

 「エッケ・ホモ」(1605年頃、ジェノヴァ・ストラーダ・ヌオーヴァ美術館ビアンコ宮)は、ヨハネ福音書19章5-7の一節から描かれた。

エッケ・ホモ
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 右側の老人、ピラトは大声で叫ぶ。「この人を見よ(エッケ・ホモ)・・・私はこの男に罪を見いだせない」。しかし、民衆はさらに叫ぶ「十字架につけろ。十字架につけろ」
 イエスは、すでに茨の冠をかぶせられ、紫の衣を着せかけられようとしている。しばられたイエスが持つ、竹の棒はなんだろうか。

 「洗礼者聖ヨハネ」(1602年、ローマ・コルシーニ宮国立古典美術館)は、長年、その"帰属"について論議があった作品。漆黒の闇のなかに、柔らかな光に包まれた若い肉体が浮かび上がる。憂いを帯びた表情は、聖職者で長年会わなかった弟を模したものともいわれる。

洗礼者聖ヨハネ
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 「女占い師」(1597年、ローマ・カピトリーノ絵画館)は、2年前にパリのルーブル美術館で見た同じ名前の作品とポーズはそっくりだが、衣装や背景が異なっている。モデルも違うらしい。

女占い師 -1
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女占い師 -2
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   「トカゲに噛まれる少年」や「ナルキッソス」(1599年頃、ローマ・バルベリーニ宮)国立古典美術館)、「メドウ―サ」(1597-98年頃、個人蔵)など、カラヴァッジョ・ワールドをたっぷりと堪能できた。

トカゲに噛まれる少年            ナルキッソス           メドウ―サ
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 今回の展覧会には、カラヴァジェスキと呼ばれるカラヴァッジョの画法を模倣、継承した同時代、次世代の画家の作品も多く展示されている。

 なんと、そのなかに ラ・トウ―ルの作品を見つけたのには驚いた。

 ラ・トウ―ルのことは、この ブログでもふれたが、パリ・ルーブル美術館の学芸員が、何世紀の忘れられていたこの作家を再発見した。

 今回の展覧会では、「聖トマス」(1615-24年頃、東京・国立西洋美術館)と「煙草を吸う男」(1646年、東京富士美術館)の2点が展示されていた。

聖トマス            煙草を吸う男
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 カラヴァッジョとは一味違う炎と光の世界の作品を所蔵しているのが、いずれも日本の美術館だったとは・・・。

2013年8月 2日

トルコ紀行・下「カッパドキア、そして、またイスタンンブール」


 突然、舞い込んだ家事にとらわれ、このブログもすっかりご無沙汰してしまった。

 トルコに行ってからもう3カ月も経ってしまったが「上」編を書いた以上「下」編でとりあえず、締めくくらないとなんとなく気持ちが収まらない。思いだしつつ、短くともまとめてしまおう。

 トルコ3日目の4月30日。世界遺産・ カッパドキアを見るため、昼前にトルコ中部・アナトリア高原のカイセリ空港に着いた。

 アンカラ大学日本語科出身の女性ガイド、Oya(オヤ)さんに迎えられて車に乗る。ブッシュのような低木しか生えていない荒涼とした道を進む。

 「高度が1000-1500メートルあり、木が生えない」ということだったが、どこかで見た風景だと思った。このブログを始めた5年半前に旅ををしたシルクロード・黄土高原の風景とそっくりなのだ。そういえば、この地域もヨーロッパに向かうシルクロードの一部だったのだと気づいた。

 カッパドキアは、数億年まえに噴火した火山の灰と溶岩が積み重なってできた地層が風雨の浸食でできた 凝灰岩台地といわれる地形。比較的柔らかいので、多くの洞窟が掘られているほか、長年の風雨が奇岩を作りだしている。

 最初に訪ねた国立公園 「ギョレメ屋外博物館」には、重なる山に大小数十もの 岩窟教会が残っている。

 保存のために、写真撮影が禁止なのは残念だったが、単純な十字架を描いたものから、聖書の物語を見事なフレスコ画まで、多彩な遺産である。

 ユダヤ人やローマ帝国の迫害から逃れた初期キリスト教徒から始まって、10-13世紀にかけて多くの修道僧が信仰生活を続けながら描き続けたのだ。

 帰国した後、5月19日の「精霊降臨の主日」のミサで読まれた聖書「使徒言行録」のなかに「カッパドキア(カパドキア)」の文字があったことからも、ここの教会群の歴史の古さが証明されている。

 ガイドのオヤさんに、熱気球フライトに乗らないか、と誘われた。

 今年の2月にエジプトで、過去最大の 熱気球墜落死亡事故があったばかりなので「乗らないでおこう」と"堅い"決意で来たのだが、オヤさんの熱意に負けて、翌日の早朝4時半起きで、同行4人ともバルーンに乗ることになった。

 広場に点在する十数個のバルーンが、ガスの熱を受けて浮かび上がり、お互いに接触する"危険"も見せながら、雄大な岩の奇形を上下し、風に流され約1時間。

「気持ちいいー!」。トルコ人パイロットの掛け声に、ほとんどが日本人の乗客が声を合わせる。降りると、なんと草の上に木机が出され、シャンパンまで抜かれて・・・。

 ところが、同じ場所で5月末に 気球の墜落事故が起き、英国人1人が死去した。

 旅の安全についての教訓がもう一つ。

  ユルギュップのきのこ岩(現地では、妖精の煙突と呼ばれている)を見た後、オープンしたばかりという洞窟ホテルで夕食をしていて気付いた。「財布がない!」

 翌日、帰りの空港でガイドのオヤさんに事情を話し、パスポートのコピーを渡して置いたら、なんとギョレメの観光案内所に預けられていたのを見つけてくれ、イスタンブールのホテルにカーゴ便で届けてくれた。
 今から思うとラッキー以外のなにものでもないのだが「旅は細心の注意を」という教訓が残った。

 イスタンブールに帰り、国立考古学博物館でトロイの出土品やアレキサンダー大王の石棺を鑑賞、かっては貯水池だった地下宮殿のコリンント様式の柱の敷石に使われたギリシャの女神 メドウ―サの顔にギョッとし、ブルーモスクの南にあるモザイク博物館の見事な組み込みに驚嘆した。

 そのたびに、ホテルの近くにあるゲジ公園と隣の タクシム広場を抜けて、トラムなどを利用した。

 ところが帰国後の6月初め。そのタクシム広場で大規模な 反政府デモが起きたという報道に接した。

 イスタンブールで数少ない緑の憩いを感じられるゲジ公園を2020年五輪開催を目指して商業施設を建設しようとしたことにイスラム色を強める現政権への反発が加わり、デモは一時、首都アンカラまで広がった。

 そういえば、イスタンブールに滞在中、ゲジ公園のかなりの敷地を鉄のゲートに囲まれて警官隊が常駐し「メーデーの5月1日はタクシム広場は使えそうにない」というホテルからの忠告を受けたのを思い出した。

 一触即発の状況が近付いていたなかで、我々はのんびり観光を楽しんでいたのだ・・・。

トルコ紀行写真
下に掲載した写真はクリックすると大きくなります。また、拡大写真の左部分をクリックすると一枚前の写真が、右部分をクリックすると次の写真が表示されます。キーボードの [→] [←] キーでも戻ったり、次の写真をスライドショウ的に見ることができます。


ギュレメ国立公園①;クリックすると大きな写真になります。
ギュレメ国立公園②;クリックすると大きな写真になります。
きのこ岩の奇岩;クリックすると大きな写真になります。 熱気球が上がる①;クリックすると大きな写真になります。
ギュレメ国立公園① ギュレメ国立公園② きのこ岩の奇岩 熱気球が上がる①
熱気球が上がる②;クリックすると大きな写真になります。 気球からの風景①;クリックすると大きな写真になります。 気球からの風景②;クリックすると大きな写真になります。 地下宮殿;クリックすると大きな写真になります。
熱気球が上がる② 気球からの風景① 気球からの風景② 地下宮殿
トラムのなかで;クリックすると大きな写真になります。 モザイク博物館①;クリックすると大きな写真になります。 モザイク博物館②;クリックすると大きな写真になります。 モザイク博物館③;クリックすると大きな写真になります。
トラムのなかで モザイク博物館① モザイク博物館② モザイク博物館③