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2010年12月24日

読書日記「司馬遼太郎が書いたこと、書けなかったこと」(小林竜雄著、小学館文庫)、「三島由紀夫と司馬遼太郎 『美しい日本』をめぐる激突」(松本健一著、新潮選書)


司馬遼太郎が書いたこと、書けなかったこと (小学館文庫)
小林 竜雄
小学館 (2010-09-07)
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 「司馬遼太郎が書いたこと、書けなかったこと」を新聞の小さな書評で見つけ、図書館のボランティア中に検索したが、在庫なし。ところが、図書館員のMさんが、本館書庫にある「司馬遼太郎――モラル的緊張へ」(中央公論新社、2002年刊)という単行本を文庫化したものであることを見つけてくれた。ベテラン司書のすばらしい検索能力である。

 読んでみたいと思ったのは、このブログでも書いた半藤一利の「昭和史」(平凡社刊)のなかで、司馬遼太郎自身がノハンモン事件を「(書きたいと思ったが)実は書けないんだ」と語っていた部分があったからだ。

 小林竜雄の著書の「幻の小説『ノハンモン』の挫折」という章には、半藤が語ったことにもふれながら、司馬遼太郎がノハンモンを書けなかった理由がくわしく書かれている。

 司馬(に)は<明治前期国家>までの日本人は「おろか」ではなく、<明治後期国家>以降の軍人たちと大衆が「おろか」だったという結論に至る。


 司馬は、幕末が舞台の「竜馬がゆく」のなかで、すでに昭和史に触れている。
 (昭和史は)幕末史とも比較して「愚劣で、蒙眛(もうまい)」と徹底して(批判して)いる。ここには、昭和前期の歴史を台無しにした「陸軍軍閥」への憎悪がある。


 どうしてノハンモン事件のような軍事のことには政府の介入ができず、参謀本部の中だけで決めることができたのだろうか。・・・
 それは軍部には「魔法の杖」のような万能の力があったためだ。この「魔法の杖」とは司馬の比喩だが<統帥権>のことである。


   そこで「司馬は、<明治後期国家>を収斂するかたちで、ノハンモン事件を題材とする長編小説を構想していた」。そして、司馬は事件の膨大な資料を集め、関係者の取材を始める。
 なかでも、魅力的な人物がノハンモン事件当時の連隊長だった須見新一郎・元大佐だった。

 須見の、上官とくに参謀に対する批判の舌鋒は鋭かった。
 須見は司馬に、ノハンモンは戦後の今も続いている、といって折しもトイレットペーパーの買い占めに走った商社のことを話題にした。そしてきっと課長クラスが指示したのだと類推して、それを辻正信に擬してみせた。
 須見は戦後の日本社会の中にいつもノハンモン事件の影を見ていたのだった。


 しかし、司馬が「文藝春秋」で元大本営参謀だった瀬島龍三と対談したことで、須見は絶縁状を送りつける。
 「よくもあんな卑劣なやつと対談して。私はあなたを見損なった」


 主人公のモデルと思っていた須見を失って、司馬遼の「小説ノハンモン事件」は幻に終わった。

「三島由紀夫と司馬遼太郎」は、最初の本を読んでいる最中に図書館で借りた。
 著者は、この本の冒頭でちょっと不思議なことを書いている。

 二十五年にわたって書き継がれた「街道をゆく」シリーズには、<天皇の物語>がない、・・・


 この本は「『天皇陛下万歳』と叫んで自決した三島由紀夫と、自決直後に始まった『街道をゆく』シリーズに<天皇の物語>を書こうとしなかった司馬遼太郎」の考えの相違を分析したものだ。筆者は、2人の間に「美しい日本」をめぐる対決があった、とみる。

 司馬遼太郎は、絶筆となった「風塵抄――日本に明日をつくるために」(産経新聞、1996年2月12日)で、バブル経済についてこう書いている、という。
 こんなものが、資本主義であるはずがない。資本主義はモノを作って、拡大生産のために原価より多少利をつけて売るのが、大原則である。(中略)でなければ亡ぶか、単に水ぶくれになってしまう。さらには、人の心を荒廃させてしまう。


 「バブル経済に奔走した日本を、はげしく批判せざるをえなかった」司馬遼太郎の死を、著者は「憤死に近いものだった」と分析する。

 「ノハンモン事件を書けなかった」以前から持ち続けてきた"美しい日本を取り戻したい"という思いがはたせなかったすえの憤死だったのだろう。

▽最近読んだ、その他の本

  • 「老いの才覚」(曽野綾子著、KKベストセラーズ)

    著者は、のっけから最近の老人のなさけなさ、才覚のなさに、プンプン怒っている。
    「駅に行くと、同行者が切符を買ってくれるのが、当然のように・・・。切符を渡されたら『席はどこ?』と切符の文字さえ読もうとしません。バックから老眼鏡を出すのが億劫なんですね」
    「『(配偶者やこどもが)・・・してくれないと始終口にしている人がいる。・・・ひそかに『くれない族』と呼んでいる・・・」  

     実績のある人だから言えるのだろうが「私ならこうする」と、老人を叱る高飛車な言い方がいささか鼻につく。関西弁で言うと"なんか、えらそうに・・・"。
     ただ、このブログでも以前に同じ著者の本「戒老禄」(祥伝社)のことを書いたが、老人への厳しい提言はそれなりの含蓄があることは事実。

     それと、著書で引用されている言葉が、いつもながらよい。
     この本でも最後に、ブラジルの詩人、アデマール・デ・パロスの「神われと共に」(別名・浜辺の足跡)のことを書いている。ちょっと長すぎるので、引用をちゅうちょしていたら、WEBページで、全文を書かれているのを見つけた。
     この詩の結びには、こうある。
     友よ、砂のうえに一人の足跡しか見えない日、それは私(神)が君をおぶって歩いた日なのだよ


  • 「影法師」(百田尚樹著、講談社)  
     時代小説を読むのは「火群のごとく」以来だ。この本は、児童文学者のあさのあつこが初めて挑戦した時代小説だったが、今度はあの「永遠の0(ゼロ)」の著者の初時代小説。

     出版社の担当者から「百田さんの書く『かっこいい男』を読みたい」と言われて、頭に浮かんだのが時代小説だったそうだ。
     確かに、下士の出でありながら筆頭国家老にまで上り詰める主人公の名倉彰蔵も、脱藩して寂しく死んでいくおさななじみの磯貝彦四郎も、徹底してかっこいい。

     まさか――いやそうだ。彦四郎は、俺にすべての手柄を与えるために、わざと斬られたのだ。見切りの技を使い、森田門左衛門に背中をわずかに斬らせたのだ。そして俺が森田と戦っている時に刀を投げた。その刀により一瞬の隙が生まれたことで、俺は勝てた――。


老いの才覚 (ベスト新書)
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2008年1月29日

読書日記「アバノの再会」(曽野綾子著、朝日新聞社刊)


 この本を読書仲間・Mに薦められ、図書館で借りた時は「エッ!曽野綾子って、小説も書くの」と、恥ずかしながらちょっと意外な感じがした。

 エッセイはいくつか読んだ覚えはあったし、好き嫌いは別にして、雑誌などで見る横紙破りの発言が目立っていたから。

 ところが、本棚を探していたら、作者の小説が文庫本でいくつも出てきた。「太郎物語」 「生命ある限り「リオ・グランデ」。いい加減な読み方をしているなあ・・・。


 「アバノの再会」の読後感は「なにか、すがすがしい恋愛小説を、久しぶりに楽しんだ」という感じ。 

 妻を亡くした元大学教授の戸張友衛が、北イタリアの温泉保養地・アバノで、昔家庭教師をしていた山部響子と再会。古都パドヴァなどを訪ねながら、32年前の忘れない清い恋を蘇らせる。


 二人が交わす知的な会話、とくに響子の話しがいい。切なく、心細げながら、人生をしっかりつかまえてきた様子が、浮き彫りになっていく。


 「私はあんなに懐かしげに心を込めて、見切りもつけず、動きもせずに、遠ざかる人を見送ってくれた人を見たことがないの」

 「君はよく幸せって言うね」「ええ、見つけるの、うまいのよ」

 「一人の人の行く方向をじっと見ているの、おもしろいものでしょう?マーケットのレジで、私の前に並んだ人が、何を買うのかを見ているのと同じくらい好き」

 「私、虹はいつでも好きだわ。すぐ音もなく消えるから、しつこくないでしょう?」

 「自分が生きているのか、死んでいるのかが分からないような思いになったことはありませんか」

  最後に当然のごとく、別れが来る。「人を深く愛するには、愛する人と遠くにいることが必要だという矛盾です」と・・・。


 恋愛なんかにはまったく疎い独居老人の私見だが、この言葉はどうも気に食わない。小説の結論だから、こういう展開が必要ということだろう。


 現実の作者、曽野綾子は、ご主人の三浦朱門や息子で人類学者の三浦太郎夫婦とのふれあいを中心にした日記を月刊誌に長期連載している。


 随筆集「最高に笑える人生」(新潮社刊)でも、こんなことを書いている。


 「旅に出ていると、私は自分の帰る家と家族がいることを、夢のように感じた。・・・帰る家に家族がいるということは、家が温かいことなのであった」


 本棚からは、小説以外のエッセイなども、いくつか出てきた。

 先の読書日記に書いた、アルフォン・デーケン神父との往復書簡集「旅立ちの朝に」(角川書店)では、著者はこんなことを書いている。

 「あとただ残るのは、自分の気力と本当の徳の力だけという・・・そのような老年の条件のなかで、多くの人はその人なりに成長します」「ユーモアこそは人間性の円熟のあかし」

 「戒老録」(祥伝社)には、こんな文章がある。

 「どんな老人でも、目標を決めねばならない。生きる楽しみは、自分が発見するほかはない」「服装をくずし始めると、心の中まで、だらだらしても許されるような気になるものである」


 デーケン神父の言う「第3の人生」、五木寛之の「林住期」に入って、これらの本に再会できたのも「アバノの再会」、読書仲間・Mのおかげ、と感謝したい。

追記: 「アバノの再会」の文中で、急に有馬頼義・著「赤い天使」という本が登場してくる。話しの筋からは、なぜこの本が出てくるのかが、もう一つ分からないが、気になった。芦屋の図書館を検索してもらったら「以前はありましたが、廃棄処分にしたようです」という返事。

 AMAZONで探したら、新刊古本で見つかった。数日後に、東京・板橋の古本屋から届いた。河出書房新社、昭和41年発行、定価420円の本が、600円に送料340円。

 帯封には「死の深淵しかない戦場で従軍看護婦が見た男たちの激しい生と空しいセックス」とある。しかし「アバノの再会」とは違うけれど、どこか同じような静謐さが流れる小説と思った。

アバノの再会
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曽野 綾子
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最高に笑える人生
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曽野 綾子
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