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2025年9月 6日

2025/6/21-24 関西旅行 ⑦ 大阪関西万博_3 2025年6月23日 大阪市此花区夢洲

トルコ館を出ると、その少し先に大屋根リンクへ上がるエスカレーターがあった。
万博の大屋根リングに登るエスカレーターは、リング内側の5か所に設置されていて、来場者を高さ約12mのスカイウォークへと運んでくれる。

 大屋根リングは、一周約2km、高さ最大20mの世界最大級の木造建築物で、大阪・関西万博のシンボルになっている。私もこの大屋根リングの上に上がって万博会場を見下ろすのを一番の目的としていた。大屋根リングに上がるにはエスカレーターの他に、エレベーターや階段も利用できるようだったが、何処にあるのか分からなかった。

 その「空の広場」にあるエスカレーターを上がった。待望の大屋根リングであったが、あいにく小雨模様だ。大屋根リングへ上がって、左(西)へ進み始めた。最初はタイ館が見えた。期待通り、パビリオン全体が見渡せる。

 1周は無理だと思っていたが、オーストラリア、インドネシア、ベルギー、イタリア、ルーマニア、オランダなどのパビリオンを見て、「進歩の広場」のエスカレーターで下に降りた。大屋根リングの上を歩いたのは全体の3分の1ほどだった。東側のアメリカ館やフランス館も大屋根の上から見たかったが、雨が降っていたのと、杖を突くかみさんも少々疲れて来た。それと腹も減ってきていた。

000_250623434 X700 万博 shinngapo-ru 大屋根から G7X.jpg
大屋根リングから見たシンガポールの赤い大きなパビリオン 2025年6月23日 大阪市此花区夢洲 大阪・関西万博会場

126_250623406 X900 〇万博 タイ 大屋根から G7X.jpg 126.大屋根リングからみたタイ館
大きなパビリオンだ。テーマは微笑の国から届ける未来の「SMILE」といい、メディカルハーブ(特定の健康効果や美容効果を持つハーブを、薬草として利用する分野)や革新への知恵などを表す「SMILE」をテーマに据えた「天使の家」と名付けられたパビリオンだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 9mm ISO125 )
127_250623413 万博 サウジアラビア 大屋根から G7X.jpg 127.サウジアラビア館
正式にはサウジアラビア王国という。産業の多様化にはまだ乏しいものの、世界2位の原油埋蔵量を持つ国であり、世界最大級の石油輸出国でもある。イスラム教最大の聖地メッカと第2のメディナがある。世界銀行の定義では高所得国に分類され、アラブ諸国で唯一G20加盟国である。パビリオンは入り組んだ路地、迫ってくるような石造り風の建物。まるで巨大な迷宮のようにも思える。入り口付近の「前庭」は、レモンなどの柑橘農園や壮大な山々、段々畑など同国の多様な自然景観を再現しているそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 )
128_250623427 X900 万博 インド 大屋根から G7X.jpg 128.インド館
さっき、その前を通ってきたインド館だ。インド館のオープン遅延は、主に建設資材の遅延、工事の進め方や段取りの遅れ、そしてインド側の対応の遅さが原因とされている。特に、日本が代行した「タイプX」パビリオン(日本側が建物を建設して参加国に引き渡す、「建物渡し方式」と呼ばれる方式で整備されるパビリオン)であるため、外装や内装の工事が完了しないまま開幕日を迎え、その後の工事が連日夜遅くまで続けられる状況だったようだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO125 )
129_250623422 X900 万博 オーストラリア 大屋根から- G7X.jpg 129.オーストラリア館
スペイン館、サウジアラビア館があって、その次がオーストラリア館だった。サウジアラビア館は白い箱が並べられたようなパビリオンである。そして、ここオーストラリア館は、エネルギーの源となる明るい人々や才能、雄大なる自然環境などを表現する「太陽の大地へ」をテーマにしている。オーストラリアへは出張でシドニーへ行っただけだった。北の方のキュランダ(オーストラリア・ケアンズ近郊にある世界自然遺産に登録された熱帯雨林の村)へ行って見たかったのだが実現できなかった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 9mm ISO125 )
130_250623429 X900 万博 ベルギー 大屋根から- G7X.jpg 130.ベルギー館
ベルギーには、コロナ前の2017年に行っている。ブリュッセルの世界で最も美しいと言われるグランプラス広場は印象に残っている。日経新聞によれば、「緑あふれる吹き抜け ワッフルやチョコも人気」とある。ビールも有名だ。ブリュッセルではムール貝をあてにビールを飲んだが美味かった。写真はうまく撮れていないが、3階建てのパビリオンはベルギーの3つの地方ブリュッセル、フランダース、ワロンを象徴すると同時に、建築デザインのテーマである「水」の3つの状態「固体」「液体」「気体」を表現しているという。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 )
131_250623430 X900 万博 サルデーニア 大屋根から- G7X.jpg 131.サルディニア
イタリア館に「SARDINIA」、そして「サルディニア夢よ永遠なれ」という幕が掛かっていた。調べてみると2025年6月22日(日)~28日(土)イタリア館にて、「サルデーニャ州ウィーク」が開催されるらしい。サルデーニャは、イタリア半島の西、コルシカ島の南の地中海に位置するイタリア領の島である。サルデーニャ州の独自性と伝統を促進するとともに、社会、環境、テクノロジーの未来についてのグローバルな議論に対する同州の貢献を披露することを狙いとしているとのこと。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO125 )
132_250623432 X900 万博 イタリア 大屋根から- G7X.jpg 132.イタリア館
AIによるとイタリア館の人気は、日本初公開の古代ローマ彫刻「ファルネーゼのアトラス」や、カラヴァッジョの「キリストの埋葬」、ミケランジェロの「キリストの復活」、レオナルド・ダ・ヴィンチの直筆デッサンといった国宝級の至宝が一堂に会しているからで、SNSでの口コミが人気を押し上げている。また、屋上レストランで提供される各地の郷土料理や、イタリア式庭園も魅力の一つだそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO125 )
133_250623435 X900 万博 ルーマニア 大屋根から- G7X.jpg 133.ルーマニア館
「進歩の広場」の近くに来るとルーマニア館が見えた。私にとってルーマニアという国はなじみが薄い。「ルーマニア、明日の国」というコンセプトの下、五感を活性化させる没入型・多感覚の旅を提供すると訴える。最近はウクライナの冷たい隣人とも評されされるが、旧ソ連に領土を奪われた歴史的な経緯があるためだ。旧ソ連の一部だったウクライナに複雑な思いを抱えるのだという。私たちにとっては遠い国に想えていた。日本との外交関係は1944年に断絶したが、1959年に回復し、それ以来、良好な関係を維持している。1989年の革命後、ルーマニアは民主主義と市場経済への移行を開始し、共和制国家へと転身。以後は現在に至っている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 9mm ISO160 )
134_250623442 X900 万博 オランダ館大屋根から- G7X.jpg 134.オランダ館
オランダへは行ったことはないが、ベネルックス三国の一つであるベルギーへ行ったときに、ベルギーではフランス語、ドイツ語、オランダ語が公用語になっていることを知った。私が知っているオランダは「海より低い」ということだった。調べてみると、オランダの多くの都市が海抜以下の低地に位置している。国土の約1/4から1/3が海抜0m以下であり、人口の多くがこの海抜以下の土地に住んでいる。アムステルダム、ロッテルダム、デン・ハーグのような主要都市も、ほぼ海水面以下に位置しているそうだ。パビリオンは、外壁の波打つスラットや鏡面のような屋根など、「水」を象徴的に使ったデザインが見ものという。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 9mm ISO320 )
135_250623791 X900 万博 Z50 Z18-140.jpg 135.大阪フードコート EAST SIDE
大屋根リングの全周は約2kmだそうだが、まだ、3分に1くらいしか歩いていない。会場に10時に入って歩き始めて、この時午後3時になろうとしていた。休み休みに歩いたが、かみさんも杖をついて良く歩いてくれた。アゼルバイジャン館のカフェで飲み物とケーキを食べたが、それ以降何も食べていないので、腹も減ってきた。「進歩の広場」前のエスカレーターで降りた。東口の方へ歩いて、フードコートを見つけて入った。時間が外れていたためか、待つことなく座れた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 32mm ISO1600 )
136_250623810 X900 〇万博 Z50 Z18-140.jpg 136.中国館
フードコートでは、ビールを飲み、たこ焼きなどを食べ、小一時間、ゆっくりすることが出来た。娘は明日東京で仕事があるので、新幹線に乗るためそろそろ会場を離れなくてはならない。ここで別れる。残った3人は、再び会場をうろうろし始めた。ここは中国館だ。中国パビリオンは古代の書物「竹簡」をモチーフにした外観で、様々な漢文が書かれている。日経の記事によれば、中国パビリオンはまるで博物館。中国の無人月面探査機、嫦娥(じょうが)5号、6号がそれぞれ持ち帰った月の土壌サンプルもある。5号が「表側」、6号が「裏側」。「裏側」の土は2024年6月に世界で初めて採取に成功したものだ。月は地球から見ると、いつも同じ面が表を向いており、裏側の場合は通信がしにくく、着陸が一層難しいとされる。表と裏の土を見比べることができ、月の起源や最近存在を示唆される水資源などについてもあれこれ想像することができそうだ。凄い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 28mm ISO220 )
137_250623813 X900 万博 クウェート Z50 Z18-140.jpg 137.クウェート館
中国パビリオンの東隣はクウェート館だった。それらしい女性が立っておられたが、人影がない。人気がないのだろうか?AIに尋ねてみたところ、「クウェート館は、中東の伝統と最先端技術が融合した建築や、五感で文化を体験できる没入感のある展示、そして本格的な中東料理が魅力で、SNSでも高評価が続出しています。特に、巨大な砂漠ドームでの音・光・香りを組み合わせた演出、近未来の砂漠都市を描いた映像エリアは多くの来場者が高く評価しており、海外旅行気分を味わえる点も人気の理由です。」と評価されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO200 )
138_250623816 X900 万博 コロンビア Z50 Z18-140.jpg 138.コロンビア館
また、雨が降ってきた。コロンビア共和国のパビリオンは、日経の記事によれば、「南米北部の国コロンビアといえば、自然豊かな熱帯雨林やコーヒー豆、そしてノーベル賞作家ガルシア・マルケス氏が思い浮かぶ。大阪・関西万博の同国のパビリオンはマルケス氏の代表作「百年の孤独」をイメージさせるものがちりばめられており、見応えがある。」と評されている。また、外観は「百年の孤独」に出てくる「氷の家」がモチーフ。館内では多くの「黄色いチョウ」が舞い、来場者をいざなう。「氷」も「黄色いチョウ」も作中に何度も出てくるイメージだ。」記されている。蝶ならちょっと入ってみてくればよかったと残念に思う。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 18mm ISO200 )
139_250623814 X900 〇万博 オーストリア Z50 Z18-140.jpg 139.オーストリア館 なんだかチョコレート菓子を想起させるようなパビリオンだった。失礼しました。モーツァルトやハイドンを輩出してきた音楽の国、オーストリア。外観は五線譜がモチーフで、螺旋状のオブジェが壮大に立ち上がるデザインが特徴という。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO220 )
140_250623819 X900 〇万博 トルクメニスタン Z50 Z18-140.jpg 140.トルクメニスタン館<br> オーストリア館の近くに、ちょっと目立つパビリオンがあった。シルクロードの交易で栄えた歴史を持ち、遊牧民の文化が残る中央アジアのトルクメニスタンのパビリオンだ。白い馬のシルエットが描かれた外観がひときわ目を引く。外壁の大型モニターの上にはシルクロードを旅するキャラバンの姿も描かれている。白い馬は夜間には黒い馬のシルエットへと変わり、全く異なる印象を受けるという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR<br> プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 22mm ISO220 )
141_250623823 X900 〇万博 スカンギナビア Z50 Z18-140.jpg 141.ノルディックサークル
ノルディックサークルとは、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデンの北欧5カ国が共同で出展するパビリオンである。このパビリオンでは、「信頼」「持続可能性」「イノベーション」といった北欧モデルをテーマに、各国の取り組みを紹介し、北欧の文化やライフスタイルを五感で体験できるレストランやショップも併設されている。建物はイタリアの建築家ミケーレ・デ・ルッキが設計した、持続可能な思考を想起させる1200㎡、高さ17mの木造建築である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO360 )
142_250623825 X900 〇万博 スイス Z50 Z18-140.jpg 142.スイス館
オーストリア館の隣にスイス館があった。半透明のドーム型の球体が連なるデザインのスイスパビリオン。離れて見ると傘をさす人々の上から大きな傘を差しかけているように見える。スイスパビリオンでは、「ハイジと共に、テクノロジーの頂へ」をキャッチフレーズとするスイスの価値観や最先端技術を紹介する展示が多数披露されているそうだ。スイスへ行くことは私のあこがれだった。1998年と2004年にパッケージ・ツアーで夏のスイスを訪れた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 74mm ISO280 )
143_250623829 X900 〇万博 トルクメニスタン入場 Z50 Z18-140.jpg 143.トルクメニスタンパビリオンにの列に並ぶ
時刻は夕方5時。もう一つどこかのパビリオンに入りたい。目の前のトルクメニスタン館の列がそれほど長くない。知らない国だけども入ってみようということになった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 74mm ISO280 )
144_250623838 X900 〇万博 トルクメニスタン入場 Z50 Z18-140.jpg 144.トルクメニスタン館へ入館 -1
順番が来て中に入った。入口で現職のセルダル・ベルディムハメドフ大統領館の肖像写真が迎えてくれる。中に入ってトルクメニスタンを紹介する映像を大型スクリーンで鑑賞する。トルクメニスタンには、古くから馬と深く関わってきた騎馬民族の歴史があり、特に「アハルテケ」という品種の馬は「黄金の馬」として知られ、トルクメニスタン文化の重要な一部となっている。wikipediaによれば、トルクメニスタンは6つの独立したテュルク系国家の1つに数え上げられる。世俗国家であり、大統領制の共和国となっている。ちょっと長くなるが、wikipediaによれば、1991年にソ連から独立して以降、トルクメニスタンは抑圧的な全体主義を敷く政権によって統治されてきた。2006年に没するまで終身大統領を務めたサパルムラト・ニヤゾフ(テュルクメンバシュ)、非民主的な選挙で当確して2007年から大統領に就任したグルバングル・ベルディムハメドフ、そして国際選挙監視団によって「自由でも公正でもない」と酷評された2022年の大統領選挙で勝利し、大統領職を世襲しつつ父のグルバングルと権力を共有している子息のセルダル・ベルディムハメドフにより、現在も全体主義体制が敷かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO1100 )
145_250623842 X900 〇万博 トルクメニスタン入場 Z50 Z18-140.jpg 145.トルクメニスタン館へ入館 -2
大型スクリーンには、次々に画像が投影される。この画像では、トルクメンの豊かな大地は、まさに真の宝。果樹園は実りをもたらし、庭園は収穫で溢れ・・・ 石油と天然ガスという「黒い黄金」」の尽きることなき富が拡がり、今を生きる人々、そして未来の・・・ と文字が出てきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO1100 )
146_250623845 X900 〇万博 トルクメニスタン入場 Z50 Z18-140.jpg 146.トルクメニスタン館へ入場 -3 鉄道車両の模型
おそらく最新のディーゼル機関車と客車だと思う。wikipediaによれば、少々古い情報だが、トルクメニスタンの鉄道の全長は、2012年現在、3550.9キロメートルであり、全線非電化である。テュルクメナバート(チャルジョウ)- アシガバート - トルクメンバシ(クラスノボツク)の路線の一部が複線化されているそうだ。ちなみに日本の鉄道の総延長は30,625 kmで、そのうち 電化距離は21,600 km、高速鉄道は2,997 km (新幹線;2020年)だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 28mm ISO1100 )
147_250623850 X900 〇万博 トルクメニスタン入場 Z50 Z18-140.jpg 147.トルクメニスタン館へ入場 -4 トルクメニスタンの国犬
トルクメニスタンの犬として有名なのはアラバイ(セントラル・アジア・シェパード・ドッグ、またはトルクメン・ウルフハウンドとも呼ばれる)という。この犬種は中央アジア原産の古代種で、厳しい砂漠の環境で家畜を守る護羊犬として活躍してきた。トルクメニスタンの国犬であり、首都には巨大な黄金像があるほか、アラバイの祝日も制定されており、国民に深く愛され、国家的なシンボルとなっているという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 45mm ISO1400 )
148_250623859 X900 〇万博 トルクメニスタン入場 Z50 Z18-140.jpg 148.ポルトガル館
トルクメニスタンのパビリオンから出てくると目の前にポルトガル館があった。ポルトガルへ行ったのは、2000年だっだ。ユーラシア大陸最西端のロカ岬、城壁に囲まれた中世の箱庭と言われるオビドス、美しい海岸で黒衣を身にまとった女性がイワシを干す女性、ワインが旨かったポルト、そし大学の街コインブラ、首都リスボンと観て歩いた。カメラもまだフィルムの一眼レフだった。良い思い出である。日経によれば、ポルトガルのパビリオンは、「海」を展示のテーマに掲げ、パビリオンは建築家の隈研吾氏がデザインした。外壁につり下げられたたくさんのロープは船をイメージし、大屋根リングの上から見下ろすと屋上のカーブが波打つ海面を思わせる。と解説されていた。ポルトガル館の前は「調和の広場」があり、そこからも大屋根に上がれる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO320 )
149_250623444 x900 万博 カナダ- G7X.jpg 149.カナダ館
カナダへは1999年の8月、トロント、ナイアガラ、ナイアガラの蝶園、そして、カナディアンロッキーのレイク・ルイーズ、アサバスカ氷河、バンフを周り、バンクーバーでは旨い寿司も食べた。カナダのパビリオンは、自然現象「水路氷結」をイメージした大きな氷のような外観が特徴だ。また、パビリオン前の地面に流氷を描いた広場は子どもたちの遊び場になっている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO125 )
150_250623445 X900 万博 アラブ首長国連邦- G7X.jpg 150.アラブ首長国連邦館
午後6時になった。薄暗くなってきた。そろそろ引き上げなくてはいけない。見たいところはあるが、パビリオンの外観を見て歩くのが精いっぱいだった。足は東ゲートに向かっていた。アラブ首長国連邦のガラス張りの建物内は、農業廃棄物の巨木を使った柱が埋め尽くす。大地に根を張って天へと伸びるナツメヤシは、アラブ首長国連邦の国民性の象徴だそうだ。掲げられたメッセージは「大地から天空へ」。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影  ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO1000 )
151_250623447 X900 カタール- G7X.jpg 151.カタール館
カタール館も隈研吾氏のデザインだそうだ。真っ白な建物だ。中東湾岸諸国の産油国であるカタールは砂漠の国と思うがペルシャ湾に長い海岸線を持つ。中東のアラビア半島北東部に位置するカタール半島を領土とし、南はサウジアラビアと国境を接し、残りの領土はペルシャ湾に囲まれている。カタールの首都、ドーハで行われたサッカーワールドカップの最終予選で、日本が初めてのワールドカップ出場に大手をかけていたが、最終戦のロスタイムでコーナーキックで同点ゴールを入れられ、代表の座を韓国にさらわれたという痛恨の思いは今でも「ドーハの悲劇」として思い出される。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影  ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 )
152_250623448 X900 フランス-  G7X.jpg 152.東口へ
入ってみたかったフランス館を横目で眺め、「光の広場」から大屋根リングの外に出て、東ゲートへ向かう。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影  ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO1000 )
153_250623450 X900 万博 東ゲートから退出  G7X.jpg 153.東ゲート
夕刻6時20分に東ゲートから退出した。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/1000秒 35mm ISO500 )
154_250623451 X900 地下鉄 G7X.jpg 154.地下鉄
大阪地下鉄(大阪市高速電気軌道)の中央線 夢洲駅のホームに下りた。派手なラッピングをした電車が入ってきた。ラッピングには奈良の文字が見える。どこから乗りいれてきているのか興味が湧いて調べてみたが、現在乗り入れている他社路線は無いようだ。だが、近鉄グループがこの地下鉄に観光特急を乗り入れさせることで、夢洲から奈良や伊勢志摩といった観光地への直通ルートを確立しようとしているのだそうだ。夢洲では、カジノを含めた統合型リゾート施設(IR)の開業が2030年秋をメドに予定されている。電車はそれほど混んではいなかった。本町駅でおり、朝に御堂筋から下りて来たエレベーターに乗って地上に上がると出口に人が滞っていた。雨が降っていたのだ。少々濡れたが、傘持参であったのでホテルまで歩いて帰れた。今晩は夕食は無しにして、シャワーを浴びて汗を流し、コンビニで買って来たビールとつまみ、おにぎりで過ごした。疲れていたので良く寝られた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影  ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1000 )

追記:
はじめから解かっていたことだが、158もの国と地域、9つの国際機関が参加するという大阪・関西万博は、1日ではパビリオンの外観を見て歩く程度のことしかできない。それもすべての国のパビリオンを見られない。だが、それでも、大屋根リングにもあがり、その景観や雰囲気を楽しむことはできた。  ブログに見てきて事をかけたのはごく僅かである。名前は聞いたことはあるが、何処にある国なのか、人口はどれほどなのか、首都は何処なのか、どんな産業があるのか、何語を話すのか、などなど知らない事だらけなのを改めて知った。横浜に帰って来てから、このブログを綴りながら、インターネットの情報を頼りにして勉強する機会が出来た。  出張や旅行などで訪れた国もある。それらはもう何年も前のことだが、改めてその時のことを思い出しては、雑然と文章を綴った。

 私たちが行ってきてから50日ほど経った8月13日夜、午後9時28分に、地下鉄・大阪メトロ中央線コスモスクエア駅と大阪港駅の間で停電が発生した。私たちも利用した大阪・関西万博の会場につながる唯一のが公共交通機関が一時運転を見合わせた影響で、万博会場の最寄りの「夢洲駅」の入り口が閉鎖され、会場の多くの人が帰宅困難になったという出来事があった。駅周辺での雑踏事故を防ぐため、午後9時45分に万博会場内のアナウンスで東ゲートからの退場を制限していることを伝え、午後10時5分から会場内へ客を戻す対応を行ったという。その時間に会場におられた皆さんは疲れ果てたことと思う。

2021年9月13日

旅の思い出 海外編 3

5)1994年8月ー9月 憧れのイタリア旅行(1)
ミラノ、ヴェネチア、パドヴァ、ラヴェンナ、フィレンツェ

1981年の初めての海外渡航は、イタリアのフィレンツェで行われたある学会への出張だった。その時、その美しい街を見て、この次は観光旅行でイタリアに来たいと思ったものだった。
 それから13年後の夏休みに、家族でイタリア観光旅行を実現することが出来た。
 某旅行社のパックツアーだったが、ミラノから→ヴェネチア→パドヴァ→ラヴェンナ→フィレンツェ、そして、→サンジミニャーノ→シエナ→アッシジ→ローマ とイタリアの北側半分を巡った。この時のことはStudio YAMAKOで回顧版として2009nenn10月に 1994年イタリア 初めての海外ツアー として掲載しているので、今回は一部を除いてその写真と被らないような写真を中心に見ていただきたいと思う。フィルムカメラの EOS 650とOlympus μ で撮った写真をデジタル化している。

024_940827006S X700 ミラノ EOS650.jpg
ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院

前日に空路でミラノに到着し、朝早くホテルを出発、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見に行った。1296年、大聖堂を取り壊して着工し、その後の変遷を経て、建築家ソラーリによって長い年月をかけ1469年に完成した。教会は第二次世界大戦中に連合軍の空襲を受け、大きな被害を受けたが、『最後の晩餐』の前には土嚢が積み上げてあったため、かろうじて被害を免れたという。

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ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院 「最後の晩餐」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」は、ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院の食堂に描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なもの。レオナルドは1495年から制作に取りかかり、1498年に完成している。フレスコ技法ではなく、乾いた漆喰にテンペラで描かれたことや所在する環境から最も損傷が激しい絵画としても知られ、この時も修復中だった。

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ミラノ ドゥオモ

世界最大級のゴシック建築であり、全長158m、幅92m、高さ108mの威容を誇る。5世紀もの歳月をかけて多くの芸術家によって完成されたという。ドゥオモの前には広いドゥオモ広場がある。

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ミラノ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア

ドゥオーモ広場の北にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアというアーケードがある。イタリア王国の初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に因んで名づけられたという。最初に1861年にデザインされ、イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から1877年の間に建設された。

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ミラノ ドゥオモ の屋上から

エレベータでドゥオモの屋根の上に登ることができた。ドゥオモには135本の尖塔があり尖塔の天辺にはひとつひとつに聖人が立っている。左下にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアの屋根が見える。

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ミラノ スカラ座

現在の建物は2代目のもので1778年に完成した。初代の歴史的建築物のテアトロ・ドゥカーレは1776年2月25日、謝肉祭のガラ・コンサート後に焼失した。新劇場は以前サンタ・マリア・アラ・スカラ教会のあった場所に建設され、ここから劇場名がとられた。

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ヴェネチア イタリア国鉄 サンタ・ルチーア駅

ツアー一行はバスでヴェネチアへ着いた。イタリア国鉄の駅前広場を通って、運河を航行するヴァポレットという水上バスの停留所へ向かう。

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ヴェネチア サン・ジョルジョ・マッジョーレ島

この写真はサン・マルコ広場に建つサン・マルコ寺院の中から撮ったと記憶する。「サン・ジョルジョ・マッジョーレ島」は土地のほとんどが教会という。美しい鐘楼はサンマルコ広場からも見えた。

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ヴェネチア サン・マルコ広場

サン・マルコ寺院の前には大きな広場があり、カフェのテラス席もあって生演奏を聴きながら、最高の時間を過ごせる。私たちは映画「旅情」で有名な老舗のカフェ・フローリアンに入ってみた。

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ヴェネチア リアルト橋

カナル・グランデ(大運河)にかかるリアルト橋。1591年に水面からの高さ7.5mのそりの大きい、石造りの太鼓橋が完成した。橋の上にはアーケードが作られ、商店が並んでいる。

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パドヴァ サンタントーニオ聖堂

ベネチアから西へそれほど遠くないところにバドヴァ サンタントーニオ聖堂があった。1195年ポルトガル、リスボンで生まれ、1231年パドヴァ郊外で没した聖アントニオが奉られている。このサンタントーニオ聖堂はロマネスクのファサード、ゴシックのアーチ、ビザンティン様式のクーポラ、イスラム美術を取り入れた鐘楼など異なる様式の完璧な調和という特徴をもち世界でもめずらしい巨大建築物となっている。聖堂の建設は聖アントニオの死んだ翌年の1232年には始まっていたと考えられており、完成は1310年にまで長引いた。 1394年の火事とそれによる鐘楼の崩壊により聖堂の整理のための改築は15世紀まで続いたそうだ。

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ラヴェンナ ガッラ・プラキディア廟堂

つぎに訪れたのはベネチアから南へ100kmほどのところにあるラヴェンナだ。ガッラ・プラキディア廟堂が印象に残っている。外観は古く、小さくて地味な建物だが、その内部が素晴らしい。ローマ皇帝テオドシウス1世の皇女であるガッラ・プラキディアの霊廟とされる。5世紀半ばの建立。円天井は深い青色が特徴のモザイクに覆われ、奥行きのある構図になっている。

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フィレンツェ ミケランジェロ広場から

1981年、初めての海外旅行で サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母 マリア)大聖堂 を眺めたミケランジェロ広場から、13年後に再び来ることが出来た。世界遺産フィレンツェ歴史地区の 一部として指定されている ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。1296年から140年以上をかけて建設されたそうだ。前回は曇り空だったが、この日は晴れてくっきりとフィレンツェの街並みを眺めることが出来た。

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フィレンツェ ベッキオ橋

ポンテ ベッキオはアルノ川に架かる橋で、イタリア語で「古い橋」を意味するフィレンツェ最古の橋である。先の大戦を生き延びたフィレンツェ唯一の橋だそうだ。河川の氾濫などで何度か建て直されており、現在の橋は1345年に再建されたものという。橋の上には宝飾店が並び人通りが絶えない。

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フィレンツェ シニョーリア広場

フィレンツェの政治の中心だ。ヴェッキオ宮殿は、共和国時代に政庁が置かれた建物で、今でも建物の半分は市役所として使用されている。イタリアが統一された約150年前、一時フィレンツェが首都だったことがあるが、その時はここが政府だったということだ。ここに立つミケランジェロ作のダビデ像は100年ほど前にアカデミア美術館に移されて、これはレプリカとのこと。1984年の国際化学療法学会の折、会社の医師のお供でこのベッキオ宮殿の古いひんやりとした大広間で行われたレセプションに出席したことを思い出す。

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フィレンツェ ウフィツイ美術館

右手前の建物がルネサンス絵画で有名なウフィツイ美術館である。近代式の美術館としてヨーロッパ最古のもののひとつである。メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、イタリア・ルネサンス絵画の宝庫である。展示物は2,500点にのぼりという。塔が見える建物はベッキオ宮殿である。

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フィレンツェ Hotel BAGLIONI

13年前に泊ったホテル バリオーニだ。なつかしい。少なくとも外観はちっとも変っていない。いま旅行案内を見ると、「中央駅前にひときわ目立つたたずまいのエレガントな4ツ星ホテル。観光名所は徒歩圏内。18世紀の宮殿を利用した館内はクラシックな雰囲気。最上階にあるレストランの窓からは、ドゥオモやジョットの鐘楼など素晴らしい景観が楽しめる。」とあった。

2011年11月15日

北イタリア旅行 その20 (最終章)ミラノから成田へ 9月10日~12日


 9月10日 ストレーザからミラノへ戻ってきて、ミラノ中央駅から地下鉄でドゥオーモまで行った。ミラノは雲ひとつなく晴れていた。ドゥオーモからヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを通り、スカラ座の前の広場に出た。スカラ座の前の、トラムが走る通りを左の方へ歩いてみた。再び、西日に映えるドゥオーモが見えるドゥオーモ西側のメルカンティ広場まで戻り、メルカンティ通りを少し歩いてみた。
 オープン・カフェのテーブルに座り、行きかう人や、トラムを眺め、一休みした後、ドゥオーモ広場からタクシーに乗って、ホテルに戻った。すでに娘の主人はモンツァから戻って私たちを待っていてくれた。荷物を受け取り、ミラノ中央駅へ行き、そこからマルペンサ空港行きのバスに乗る。この日は、空港に新しくできた SHERATON MALPENSA AIRPORT というホテルに泊る。

  次の日の9月11日、娘の主人はもう1日モンツァへ行く。3人分の同じ便の飛行機のチケットが取れなかったのだ。私たち夫婦は、マルペンサ空港から、11:30発のフィンランド航空に搭乗、ヘルシンキ経由で帰国の途に就き、翌12日8時55分、無事成田に降りた。
  こうして、11日間の北イタリアの旅は終わった。旅行社募集のグループ旅行は、コースも良く設定されていて、移動の多くはバスであり、大きなスーツケースも、朝、ホテルの部屋の外に出しておくと、バスに積み込んでくれるので楽である。
 今回はスーツケースを運ぶのに少々骨が折れた。とくにヨーロッパの列車は、乗り込むのにステップを2~3段上がらねばならず、ミラノなどの大きな駅以外はエスカレータもエレベータもないところが多い。しかし、旅行社募集のグループ旅行では、なかなか立ち寄ることができないところにも行くことができ、そういった募集型ツアーでは味わえない気ままな旅を満喫できた。娘夫婦に感謝する。娘の主人には、飛行機や列車の手配、ホテルの手配など全てにぬかりなく、また、なかなか泊れないホテルの宿泊も経験させてもらい、世話になった。列車への荷物の上げ下ろしも手伝ってくれ、助けられた。

268.夕陽に映えるドゥオーモのファサード
この写真の左に見える赤いMマークのところが地下鉄から上がった出口だ。ドゥオーモの正面に回った。時刻は夕方5時半少し前。ドゥオーモの華麗なファサードは夕陽を浴びて輝いていた。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F14 1/800秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
夕陽に映えるドゥオーモのファサード;クリックすると大きな写真になります
269.ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア入口
1877年に完成したという、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアの大きなアーケードの中に吸い込まれるように入る。中央にはPRADAの本店もある、道の両側にはカフェ、レストラン、書店やハンバーガーショップまであり、憩う市民や観光客でにぎわっていた。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア入口;クリックすると大きな写真になります
270.ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアのアーケード
美しいアーチ型ガラス天井のアーケードはスカラ広場へと通じている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F4.8 1/320秒 62mm ISO400 ) 露出補正 なし
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアのアーケード;クリックすると大きな写真になります
271.牡牛のモザイク
アーケードが十字路に交わる付近の舗道にに青いタイルで囲まれた牡牛のモザイクがあり、その股間部分がやや窪んでいる。この窪みに踵を合わせてクルリと一回転(一度に三回転以上出来るとの説もあり)すると幸せが訪れる、旅行者は再びミラノに戻れる等の言い伝えがある。観光客が順番を待って、くるくると廻っている。かみさんも3回まわった。また、ミラノへ来るつもりなのだろうか。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/125秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
牡牛のモザイク;クリックすると大きな写真になります
272.ガッレリアのフレスコ画
十字型になっているガッレリアの中央で頭上を見上げると、4枚のフレスコ画が目に入って来る。これらのフレスコ画は、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカの四大陸を表現したものだそうだ。写真のフレスコ画はアフリカを表したものに違いない。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/200秒 46mm ISO400 ) 露出補正 なし
ガッレリアのフレスコ画;クリックすると大きな写真になります
273.レオナルド・ダ・ヴィンチと4人の弟子の像
アーケード抜けるとスカラ広場があり、その向かい側には、スカラ座がある。スカラ広場にはレオナルド・ダ・ヴィンチの像が立っていた。この像は1872年にピエトロ・マーニによって製作されたもので、ダ・ヴィンチがミラノにやってきた30歳の頃の姿がモデルになっていると言われている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/500秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
レオナルド・ダ・ヴィンチと4人の弟子の像;クリックすると大きな写真になります
274.スカラ広場の水道栓
レオナルド・ダ・ヴィンチの像の後ろに回ってみると、こんな水道栓があった。蛇口がキンピカに光っている。右手がレオナルド・ダ・ヴィンチの像で、スカラ座の方を向いている。この写真の正面がヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアのドゥオーモと反対側の入口だ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
スカラ広場の水道栓;クリックすると大きな写真になります
275.スカラ座
正面のルックスはおとなしい建物であるが、これがオペラの殿堂スカラ座だ。1778年にサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会の跡地に建てられたが、1943年の空襲で壊されてしまった。現在の建物は1946年に再建されたそうだ。近年では、'02年~'04年に改装工事が施されている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
スカラ座;クリックすると大きな写真になります
276.スカラ座の前をトラムが走る
スカラ座の前を走るトラムは、15年以上の時が過ぎているのに、1994年にミラノを訪れた時に見たトラムと、ほとんど同じような古めかしい車体である。 http://n-shuhei.net/studio_yamako/2009/10/25_1422.php

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
スカラ座の前をトラムが走る;クリックすると大きな写真になります
277.サンタ・マルゲリータ通り
スカラ座の前の道を左へ、ドゥオーモ広場の方へ向かって歩いてみた。とても賑やかな通りだった。この写真はサンタ・マルゲリータ通りを歩きながら、横の筋にカメラを向けている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/1000秒 200mm ISO400 ) 露出補正 なし
サンタ・マルゲリータ通り;クリックすると大きな写真になります
278.スフォルツァ城の遠景
メルカンテ広場まで来た。すぐ左はもう、ドゥオーモ広場だ。右手にはメルカンテ通りが延びるがその先に、有名なスフォルツァ城が見えた。スフォルツァ城は1994年のツアーで見学している。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/2000秒 200mm ISO400 ) 露出補正 なし
スフォルツァ城の遠景;クリックすると大きな写真になります
279.ドゥオーモ広場付近
少し歩き疲れて、のども渇いたので、ドゥオーモ広場付近のオープンカフェの席に腰を下ろした。眼の前を通る人々や、トラムを眺めているのも楽しい。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5 1/125秒 65mm ISO400 ) 露出補正 なし
ドゥオーモ広場付近;クリックすると大きな写真になります
280.タクシーでホテルへ
時刻は6時半を回った。ドゥオーモ広場には客待ちのタクシーが並んでいたので、乗り込み、行き先を告げる代わりにホテルのカードを示した。ミラノ中央駅の前を通って、ホテルに着いたら、すでにモンツァから戻っていた娘の主人が待っていてくれた。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/125秒 105mm ISO800 ) 露出補正 なし
タクシーでホテルへ;クリックすると大きな写真になります
281.マルペンサ空港へ
ホテルに預かってもらっていたスーツケースを受け取り、ミラノ中央駅へ歩く。日本で言う空港行きリムジンバスに乗車して、マルペンサ空港へ向かう。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/60秒 8.9mm ISOオート ) 露出補正 なし
マルペンサ空港へ;クリックすると大きな写真になります
282.ミラノ中央駅周辺は工事中
ミラノ中央駅の周辺は工事中であることは前にも記した。工事中の道路を最新型のトラムが行く。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/40秒 13.1mm ISOオート ) 露出補正 なし
ミラノ中央駅周辺は工事中;クリックすると大きな写真になります
283.空港へ向かうハイウェイ
マルペンサ空港へのハイウェイは、片側4車線の立派な道路だった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/100秒 18.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
空港へ向かうハイウェイ;クリックすると大きな写真になります
284.ミラノからヘルシンキへ
9月10日の夜は、マルペンサ空港に新しくできた、SHERATON に娘の主人と3人で泊った。翌11日、娘の主人は、この日もモンツァへ行くが、ラッキーなことにGP期間中はこのホテルから、モンツァまでバスが出ているとのこと。私たちは、朝8時半にホテルをチェックアウトし、そのまま空港へ。11:30発のヘルシンキ行きに搭乗した。飛行機は途中、アルプスを越える。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/640秒 18.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
ミラノからヘルシンキへ;クリックすると大きな写真になります
285.岩肌に特徴
ここはどの辺なのか良くわからないが、岩肌に特徴が見られる。ドロミテの近くだろうか?

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/640秒 18.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
岩肌に特徴;クリックすると大きな写真になります
286.山と麓の町
麓の大きな町と、そこから高い山が聳え立つ。実際の標高がどれくらいかは解からないが、随分高い山のように見える。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/640秒 18.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
山と麓の町;クリックすると大きな写真になります
287.ヘルシンキ空港到着
時刻は午後3時半、ほぼ定刻にヘルシンキ空港に着いた。ここで成田行きに乗り継いだが、それほど長い待ち時間ではなかったように記憶してる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/1000秒 18.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
ヘルシンキ空港到着;クリックすると大きな写真になります
288.シベリア上空で夜明け
帰りの飛行機に乗っている時間は、行きより短かったように感じる。ヨーロッパの時間ではまだ、11日の夜11時ごろであろうが、シベリア上空で夜明けを迎えた。成田へ着いたのは日本時間で翌12日の午前9時だった。空港近くの駐車場に預けておいたマイカーを運転し、横浜の自宅に帰ったのはまだ、午前中だった。
  ただ、今回の旅行は、帰国後の時差ボケが一週間ほど続いてしまった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/640秒 18.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
シベリア上空で夜明け;クリックすると大きな写真になります

2009年10月25日

1994年イタリア 初めての海外ツアー その1

 企業が夏休みを取ることを奨励し始めた頃、家族で海外旅行をしてみようということになった。家内と娘と娘の勤め先の友人であるお嬢さんと4人でイタリア初心者ツアーに参加した。
 まず、ミラノに入り、ベニスやフィレンツェをめぐり、ローマへ行くというコースである。
 持参したカメラは EOS650 で、もちろんフィルムカメラである。後年、そのネガをカメラ屋さんに持ち込み、CDに焼いてもらった。見ていただく写真は、そのCDに取り込んだ画像である。
1. ミラノのドゥオモ
  8月27日 ドゥオモ広場に足を踏み入れ、イタリアのゴシック建築の最高傑作と言われるこのドゥオモの外観を見た時は感動した。大理石による2245の彫像と135本の尖塔で飾られているという。中にも入ってみた。そして屋上にも出られる。屋根の上からはミラノの町が一望できた。

  EOS 650 Canon EF 35-70mm F3.5-F4.5
  プログラムオートで撮影 ISO400 ネガカラーフィルム
  以下同じ
ミラノのドゥオモ:クリックすると大きな写真になります
2.ドゥオモの外観
正面左側の外壁であるが、彫像の一体一体は、それぞれに異なり、見ていて飽きない。
ドゥオモの外観:クリックすると大きな写真になります
3.ガレリア
ドゥオモ広場から見たガレリアの入り口である。正しくは、ガレリア・ヴィットリオ・エマニエル2世といい、19世紀末に建設された。ドゥオモ広場とスカラ広場を結ぶ長さ200m、高さ32mのアーケードには洒落たカフェや、ブティックなどが並んでいた。
ガレリア:クリックすると大きな写真になります
4.スカラ広場
ガレリアを抜けてスカラ広場に出た。オレンジ色のやや旧式の市電の後ろの建物がスカラ座である。スカラ座はオペラ劇場として世界屈指の劇場である。サンタ・マリア・デラ・スカラという教会があった場所に、1778年建てられた。
スカラ広場:クリックすると大きな写真になります
5.ミラノ南西部
自由時間に科学技術博物館へ行きたいと思い、ドゥオモ広場から地下鉄に乗って、S.Ambrogio という駅で降り、上に出ると閑静な街並みがあった。
ミラノ南西部:クリックすると大きな写真になります
6.科学技術博物館
天才科学者でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチが考えたヘリコプターなどのアイデアを、彼のスケッチと模型によって展示されているほか、鉄道車両などの実物、模型も展示されている。もちろんツアーのコースには入っていない。娘が親父の希望を叶えてくれ、ガイドブックから探して案内してくれた。
科学技術博物館:クリックすると大きな写真になります
7.ヴェネチア
翌日の朝、ミラノのホテルからバスに乗ってベニスについた。もちろんバスはヴェネチアの入り口までで、そこから先は運河を水上バスや、水上タクシーで進む。まずは有名なサンマルコ広場へ行く。サンマルコ寺院をマルコと名乗る日本語を話すイタリア人ガイドの案内で見学した後、ゴンドラに乗った。ヴェネチアのホテルは四つ星で、小さいけれど雰囲気の良い素晴らしいホテルだったと記憶している。
ヴェネチア:クリックすると大きな写真になります
8.ラヴェンナ
モザイク芸術で有名なところ。ここはサン・ヴィターレ聖堂の敷地内にあるガラ・プラチディアの霊廟で5世紀に建てられたという。天井いっぱいに描かれたモザイクが素晴らしかった。
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9.フィレンツェのドゥオモ
フィレツェは、私にとって、2回目の訪問である。1980年、今から30年近くも前のことになるが、勤務していた企業の新製品にかかわる学会があり、初めての海外出張をした。まったくと言ってよいほど変わっていない。フィレンツェと言えば、花の聖母(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)というこのドゥオモがシンボルである。
フィレンツェのドゥオモ:クリックすると大きな写真になります
10.ポンテ・ベヴェッキオ
アルノ川にかかるヴェッキオ橋。橋の上には宝飾店が立ち並ぶ。また、ヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿を結ぶ1kmに及ぶ回廊がこの橋の上を通っている。この回廊は、メディチ家コジモ1世の要望でジョルジョ・ヴァザーリが1565年3月から8月というわずか5ヶ月間で完成させたという回廊。現在のウッフィツィ美術館とピッティ宮殿を、ヴェッキオ橋の上を通ってつないでいる。当時は政治の機関(ウッフィツィ)とプライベートの住居(ピッティ)をつなぎ、メディチ家の人物達は外に出ることなく安全かつ安心して移動ができるようにしたという。
ポンテ・ベヴェッキオ:クリックすると大きな写真になります
11.ミケランジェロ広場から眺めるフィレンツェの街
アルノ川上流の小高い丘の上にミケランジェロ広場があり、アルノ川をはさんでフィレンツェを眺める絶好の展望台になっている。
ミケランジェロ広場から眺めるフィレンツェの街:クリックすると大きな写真になります