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2021年9月13日

旅の思い出 海外編 3

5)1994年8月ー9月 憧れのイタリア旅行(1)
ミラノ、ヴェネチア、パドヴァ、ラヴェンナ、フィレンツェ

1981年の初めての海外渡航は、イタリアのフィレンツェで行われたある学会への出張だった。その時、その美しい街を見て、この次は観光旅行でイタリアに来たいと思ったものだった。
 それから13年後の夏休みに、家族でイタリア観光旅行を実現することが出来た。
 某旅行社のパックツアーだったが、ミラノから→ヴェネチア→パドヴァ→ラヴェンナ→フィレンツェ、そして、→サンジミニャーノ→シエナ→アッシジ→ローマ とイタリアの北側半分を巡った。この時のことはStudio YAMAKOで回顧版として2009nenn10月に 1994年イタリア 初めての海外ツアー として掲載しているので、今回は一部を除いてその写真と被らないような写真を中心に見ていただきたいと思う。フィルムカメラの EOS 650とOlympus μ で撮った写真をデジタル化している。

024_940827006S X700 ミラノ EOS650.jpg
ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院

前日に空路でミラノに到着し、朝早くホテルを出発、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見に行った。1296年、大聖堂を取り壊して着工し、その後の変遷を経て、建築家ソラーリによって長い年月をかけ1469年に完成した。教会は第二次世界大戦中に連合軍の空襲を受け、大きな被害を受けたが、『最後の晩餐』の前には土嚢が積み上げてあったため、かろうじて被害を免れたという。

025_940827007 X700 ミラノ EOS650.jpg
ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院 「最後の晩餐」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」は、ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院の食堂に描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なもの。レオナルドは1495年から制作に取りかかり、1498年に完成している。フレスコ技法ではなく、乾いた漆喰にテンペラで描かれたことや所在する環境から最も損傷が激しい絵画としても知られ、この時も修復中だった。

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ミラノ ドゥオモ

世界最大級のゴシック建築であり、全長158m、幅92m、高さ108mの威容を誇る。5世紀もの歳月をかけて多くの芸術家によって完成されたという。ドゥオモの前には広いドゥオモ広場がある。

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ミラノ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア

ドゥオーモ広場の北にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアというアーケードがある。イタリア王国の初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に因んで名づけられたという。最初に1861年にデザインされ、イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から1877年の間に建設された。

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ミラノ ドゥオモ の屋上から

エレベータでドゥオモの屋根の上に登ることができた。ドゥオモには135本の尖塔があり尖塔の天辺にはひとつひとつに聖人が立っている。左下にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアの屋根が見える。

029_940827007S X700 ミラノ Olympusμ.jpg
ミラノ スカラ座

現在の建物は2代目のもので1778年に完成した。初代の歴史的建築物のテアトロ・ドゥカーレは1776年2月25日、謝肉祭のガラ・コンサート後に焼失した。新劇場は以前サンタ・マリア・アラ・スカラ教会のあった場所に建設され、ここから劇場名がとられた。

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ヴェネチア イタリア国鉄 サンタ・ルチーア駅

ツアー一行はバスでヴェネチアへ着いた。イタリア国鉄の駅前広場を通って、運河を航行するヴァポレットという水上バスの停留所へ向かう。

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ヴェネチア サン・ジョルジョ・マッジョーレ島

この写真はサン・マルコ広場に建つサン・マルコ寺院の中から撮ったと記憶する。「サン・ジョルジョ・マッジョーレ島」は土地のほとんどが教会という。美しい鐘楼はサンマルコ広場からも見えた。

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ヴェネチア サン・マルコ広場

サン・マルコ寺院の前には大きな広場があり、カフェのテラス席もあって生演奏を聴きながら、最高の時間を過ごせる。私たちは映画「旅情」で有名な老舗のカフェ・フローリアンに入ってみた。

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ヴェネチア リアルト橋

カナル・グランデ(大運河)にかかるリアルト橋。1591年に水面からの高さ7.5mのそりの大きい、石造りの太鼓橋が完成した。橋の上にはアーケードが作られ、商店が並んでいる。

034_940829103 X700 パドバ EOS650.jpg
パドヴァ サンタントーニオ聖堂

ベネチアから西へそれほど遠くないところにバドヴァ サンタントーニオ聖堂があった。1195年ポルトガル、リスボンで生まれ、1231年パドヴァ郊外で没した聖アントニオが奉られている。このサンタントーニオ聖堂はロマネスクのファサード、ゴシックのアーチ、ビザンティン様式のクーポラ、イスラム美術を取り入れた鐘楼など異なる様式の完璧な調和という特徴をもち世界でもめずらしい巨大建築物となっている。聖堂の建設は聖アントニオの死んだ翌年の1232年には始まっていたと考えられており、完成は1310年にまで長引いた。 1394年の火事とそれによる鐘楼の崩壊により聖堂の整理のための改築は15世紀まで続いたそうだ。

035_940829117S ラベンナ EOS650.jpg
ラヴェンナ ガッラ・プラキディア廟堂

つぎに訪れたのはベネチアから南へ100kmほどのところにあるラヴェンナだ。ガッラ・プラキディア廟堂が印象に残っている。外観は古く、小さくて地味な建物だが、その内部が素晴らしい。ローマ皇帝テオドシウス1世の皇女であるガッラ・プラキディアの霊廟とされる。5世紀半ばの建立。円天井は深い青色が特徴のモザイクに覆われ、奥行きのある構図になっている。

036_940830153S X700 ○フィレンツェ EOS650.jpg
フィレンツェ ミケランジェロ広場から

1981年、初めての海外旅行で サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母 マリア)大聖堂 を眺めたミケランジェロ広場から、13年後に再び来ることが出来た。世界遺産フィレンツェ歴史地区の 一部として指定されている ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。1296年から140年以上をかけて建設されたそうだ。前回は曇り空だったが、この日は晴れてくっきりとフィレンツェの街並みを眺めることが出来た。

037_940830133TS X800 ○フィレンツェ EOS650.jpg
フィレンツェ ベッキオ橋

ポンテ ベッキオはアルノ川に架かる橋で、イタリア語で「古い橋」を意味するフィレンツェ最古の橋である。先の大戦を生き延びたフィレンツェ唯一の橋だそうだ。河川の氾濫などで何度か建て直されており、現在の橋は1345年に再建されたものという。橋の上には宝飾店が並び人通りが絶えない。

038_940830146S X700 フィレンツェ EOS650.jpg
フィレンツェ シニョーリア広場

フィレンツェの政治の中心だ。ヴェッキオ宮殿は、共和国時代に政庁が置かれた建物で、今でも建物の半分は市役所として使用されている。イタリアが統一された約150年前、一時フィレンツェが首都だったことがあるが、その時はここが政府だったということだ。ここに立つミケランジェロ作のダビデ像は100年ほど前にアカデミア美術館に移されて、これはレプリカとのこと。1984年の国際化学療法学会の折、会社の医師のお供でこのベッキオ宮殿の古いひんやりとした大広間で行われたレセプションに出席したことを思い出す。

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フィレンツェ ウフィツイ美術館

右手前の建物がルネサンス絵画で有名なウフィツイ美術館である。近代式の美術館としてヨーロッパ最古のもののひとつである。メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、イタリア・ルネサンス絵画の宝庫である。展示物は2,500点にのぼりという。塔が見える建物はベッキオ宮殿である。

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フィレンツェ Hotel BAGLIONI

13年前に泊ったホテル バリオーニだ。なつかしい。少なくとも外観はちっとも変っていない。いま旅行案内を見ると、「中央駅前にひときわ目立つたたずまいのエレガントな4ツ星ホテル。観光名所は徒歩圏内。18世紀の宮殿を利用した館内はクラシックな雰囲気。最上階にあるレストランの窓からは、ドゥオモやジョットの鐘楼など素晴らしい景観が楽しめる。」とあった。

2011年11月15日

北イタリア旅行 その20 (最終章)ミラノから成田へ 9月10日~12日


 9月10日 ストレーザからミラノへ戻ってきて、ミラノ中央駅から地下鉄でドゥオーモまで行った。ミラノは雲ひとつなく晴れていた。ドゥオーモからヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを通り、スカラ座の前の広場に出た。スカラ座の前の、トラムが走る通りを左の方へ歩いてみた。再び、西日に映えるドゥオーモが見えるドゥオーモ西側のメルカンティ広場まで戻り、メルカンティ通りを少し歩いてみた。
 オープン・カフェのテーブルに座り、行きかう人や、トラムを眺め、一休みした後、ドゥオーモ広場からタクシーに乗って、ホテルに戻った。すでに娘の主人はモンツァから戻って私たちを待っていてくれた。荷物を受け取り、ミラノ中央駅へ行き、そこからマルペンサ空港行きのバスに乗る。この日は、空港に新しくできた SHERATON MALPENSA AIRPORT というホテルに泊る。

  次の日の9月11日、娘の主人はもう1日モンツァへ行く。3人分の同じ便の飛行機のチケットが取れなかったのだ。私たち夫婦は、マルペンサ空港から、11:30発のフィンランド航空に搭乗、ヘルシンキ経由で帰国の途に就き、翌12日8時55分、無事成田に降りた。
  こうして、11日間の北イタリアの旅は終わった。旅行社募集のグループ旅行は、コースも良く設定されていて、移動の多くはバスであり、大きなスーツケースも、朝、ホテルの部屋の外に出しておくと、バスに積み込んでくれるので楽である。
 今回はスーツケースを運ぶのに少々骨が折れた。とくにヨーロッパの列車は、乗り込むのにステップを2~3段上がらねばならず、ミラノなどの大きな駅以外はエスカレータもエレベータもないところが多い。しかし、旅行社募集のグループ旅行では、なかなか立ち寄ることができないところにも行くことができ、そういった募集型ツアーでは味わえない気ままな旅を満喫できた。娘夫婦に感謝する。娘の主人には、飛行機や列車の手配、ホテルの手配など全てにぬかりなく、また、なかなか泊れないホテルの宿泊も経験させてもらい、世話になった。列車への荷物の上げ下ろしも手伝ってくれ、助けられた。

268.夕陽に映えるドゥオーモのファサード
この写真の左に見える赤いMマークのところが地下鉄から上がった出口だ。ドゥオーモの正面に回った。時刻は夕方5時半少し前。ドゥオーモの華麗なファサードは夕陽を浴びて輝いていた。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F14 1/800秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
夕陽に映えるドゥオーモのファサード;クリックすると大きな写真になります
269.ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア入口
1877年に完成したという、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアの大きなアーケードの中に吸い込まれるように入る。中央にはPRADAの本店もある、道の両側にはカフェ、レストラン、書店やハンバーガーショップまであり、憩う市民や観光客でにぎわっていた。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア入口;クリックすると大きな写真になります
270.ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアのアーケード
美しいアーチ型ガラス天井のアーケードはスカラ広場へと通じている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F4.8 1/320秒 62mm ISO400 ) 露出補正 なし
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアのアーケード;クリックすると大きな写真になります
271.牡牛のモザイク
アーケードが十字路に交わる付近の舗道にに青いタイルで囲まれた牡牛のモザイクがあり、その股間部分がやや窪んでいる。この窪みに踵を合わせてクルリと一回転(一度に三回転以上出来るとの説もあり)すると幸せが訪れる、旅行者は再びミラノに戻れる等の言い伝えがある。観光客が順番を待って、くるくると廻っている。かみさんも3回まわった。また、ミラノへ来るつもりなのだろうか。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/125秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
牡牛のモザイク;クリックすると大きな写真になります
272.ガッレリアのフレスコ画
十字型になっているガッレリアの中央で頭上を見上げると、4枚のフレスコ画が目に入って来る。これらのフレスコ画は、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカの四大陸を表現したものだそうだ。写真のフレスコ画はアフリカを表したものに違いない。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/200秒 46mm ISO400 ) 露出補正 なし
ガッレリアのフレスコ画;クリックすると大きな写真になります
273.レオナルド・ダ・ヴィンチと4人の弟子の像
アーケード抜けるとスカラ広場があり、その向かい側には、スカラ座がある。スカラ広場にはレオナルド・ダ・ヴィンチの像が立っていた。この像は1872年にピエトロ・マーニによって製作されたもので、ダ・ヴィンチがミラノにやってきた30歳の頃の姿がモデルになっていると言われている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/500秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
レオナルド・ダ・ヴィンチと4人の弟子の像;クリックすると大きな写真になります
274.スカラ広場の水道栓
レオナルド・ダ・ヴィンチの像の後ろに回ってみると、こんな水道栓があった。蛇口がキンピカに光っている。右手がレオナルド・ダ・ヴィンチの像で、スカラ座の方を向いている。この写真の正面がヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアのドゥオーモと反対側の入口だ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
スカラ広場の水道栓;クリックすると大きな写真になります
275.スカラ座
正面のルックスはおとなしい建物であるが、これがオペラの殿堂スカラ座だ。1778年にサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会の跡地に建てられたが、1943年の空襲で壊されてしまった。現在の建物は1946年に再建されたそうだ。近年では、'02年~'04年に改装工事が施されている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
スカラ座;クリックすると大きな写真になります
276.スカラ座の前をトラムが走る
スカラ座の前を走るトラムは、15年以上の時が過ぎているのに、1994年にミラノを訪れた時に見たトラムと、ほとんど同じような古めかしい車体である。 http://n-shuhei.net/studio_yamako/2009/10/25_1422.php

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
スカラ座の前をトラムが走る;クリックすると大きな写真になります
277.サンタ・マルゲリータ通り
スカラ座の前の道を左へ、ドゥオーモ広場の方へ向かって歩いてみた。とても賑やかな通りだった。この写真はサンタ・マルゲリータ通りを歩きながら、横の筋にカメラを向けている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/1000秒 200mm ISO400 ) 露出補正 なし
サンタ・マルゲリータ通り;クリックすると大きな写真になります
278.スフォルツァ城の遠景
メルカンテ広場まで来た。すぐ左はもう、ドゥオーモ広場だ。右手にはメルカンテ通りが延びるがその先に、有名なスフォルツァ城が見えた。スフォルツァ城は1994年のツアーで見学している。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/2000秒 200mm ISO400 ) 露出補正 なし
スフォルツァ城の遠景;クリックすると大きな写真になります
279.ドゥオーモ広場付近
少し歩き疲れて、のども渇いたので、ドゥオーモ広場付近のオープンカフェの席に腰を下ろした。眼の前を通る人々や、トラムを眺めているのも楽しい。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5 1/125秒 65mm ISO400 ) 露出補正 なし
ドゥオーモ広場付近;クリックすると大きな写真になります
280.タクシーでホテルへ
時刻は6時半を回った。ドゥオーモ広場には客待ちのタクシーが並んでいたので、乗り込み、行き先を告げる代わりにホテルのカードを示した。ミラノ中央駅の前を通って、ホテルに着いたら、すでにモンツァから戻っていた娘の主人が待っていてくれた。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/125秒 105mm ISO800 ) 露出補正 なし
タクシーでホテルへ;クリックすると大きな写真になります
281.マルペンサ空港へ
ホテルに預かってもらっていたスーツケースを受け取り、ミラノ中央駅へ歩く。日本で言う空港行きリムジンバスに乗車して、マルペンサ空港へ向かう。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/60秒 8.9mm ISOオート ) 露出補正 なし
マルペンサ空港へ;クリックすると大きな写真になります
282.ミラノ中央駅周辺は工事中
ミラノ中央駅の周辺は工事中であることは前にも記した。工事中の道路を最新型のトラムが行く。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/40秒 13.1mm ISOオート ) 露出補正 なし
ミラノ中央駅周辺は工事中;クリックすると大きな写真になります
283.空港へ向かうハイウェイ
マルペンサ空港へのハイウェイは、片側4車線の立派な道路だった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/100秒 18.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
空港へ向かうハイウェイ;クリックすると大きな写真になります
284.ミラノからヘルシンキへ
9月10日の夜は、マルペンサ空港に新しくできた、SHERATON に娘の主人と3人で泊った。翌11日、娘の主人は、この日もモンツァへ行くが、ラッキーなことにGP期間中はこのホテルから、モンツァまでバスが出ているとのこと。私たちは、朝8時半にホテルをチェックアウトし、そのまま空港へ。11:30発のヘルシンキ行きに搭乗した。飛行機は途中、アルプスを越える。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/640秒 18.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
ミラノからヘルシンキへ;クリックすると大きな写真になります
285.岩肌に特徴
ここはどの辺なのか良くわからないが、岩肌に特徴が見られる。ドロミテの近くだろうか?

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/640秒 18.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
岩肌に特徴;クリックすると大きな写真になります
286.山と麓の町
麓の大きな町と、そこから高い山が聳え立つ。実際の標高がどれくらいかは解からないが、随分高い山のように見える。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/640秒 18.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
山と麓の町;クリックすると大きな写真になります
287.ヘルシンキ空港到着
時刻は午後3時半、ほぼ定刻にヘルシンキ空港に着いた。ここで成田行きに乗り継いだが、それほど長い待ち時間ではなかったように記憶してる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/1000秒 18.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
ヘルシンキ空港到着;クリックすると大きな写真になります
288.シベリア上空で夜明け
帰りの飛行機に乗っている時間は、行きより短かったように感じる。ヨーロッパの時間ではまだ、11日の夜11時ごろであろうが、シベリア上空で夜明けを迎えた。成田へ着いたのは日本時間で翌12日の午前9時だった。空港近くの駐車場に預けておいたマイカーを運転し、横浜の自宅に帰ったのはまだ、午前中だった。
  ただ、今回の旅行は、帰国後の時差ボケが一週間ほど続いてしまった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/640秒 18.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
シベリア上空で夜明け;クリックすると大きな写真になります

2009年10月25日

1994年イタリア 初めての海外ツアー その1

 企業が夏休みを取ることを奨励し始めた頃、家族で海外旅行をしてみようということになった。家内と娘と娘の勤め先の友人であるお嬢さんと4人でイタリア初心者ツアーに参加した。
 まず、ミラノに入り、ベニスやフィレンツェをめぐり、ローマへ行くというコースである。
 持参したカメラは EOS650 で、もちろんフィルムカメラである。後年、そのネガをカメラ屋さんに持ち込み、CDに焼いてもらった。見ていただく写真は、そのCDに取り込んだ画像である。
1. ミラノのドゥオモ
  8月27日 ドゥオモ広場に足を踏み入れ、イタリアのゴシック建築の最高傑作と言われるこのドゥオモの外観を見た時は感動した。大理石による2245の彫像と135本の尖塔で飾られているという。中にも入ってみた。そして屋上にも出られる。屋根の上からはミラノの町が一望できた。

  EOS 650 Canon EF 35-70mm F3.5-F4.5
  プログラムオートで撮影 ISO400 ネガカラーフィルム
  以下同じ
ミラノのドゥオモ:クリックすると大きな写真になります
2.ドゥオモの外観
正面左側の外壁であるが、彫像の一体一体は、それぞれに異なり、見ていて飽きない。
ドゥオモの外観:クリックすると大きな写真になります
3.ガレリア
ドゥオモ広場から見たガレリアの入り口である。正しくは、ガレリア・ヴィットリオ・エマニエル2世といい、19世紀末に建設された。ドゥオモ広場とスカラ広場を結ぶ長さ200m、高さ32mのアーケードには洒落たカフェや、ブティックなどが並んでいた。
ガレリア:クリックすると大きな写真になります
4.スカラ広場
ガレリアを抜けてスカラ広場に出た。オレンジ色のやや旧式の市電の後ろの建物がスカラ座である。スカラ座はオペラ劇場として世界屈指の劇場である。サンタ・マリア・デラ・スカラという教会があった場所に、1778年建てられた。
スカラ広場:クリックすると大きな写真になります
5.ミラノ南西部
自由時間に科学技術博物館へ行きたいと思い、ドゥオモ広場から地下鉄に乗って、S.Ambrogio という駅で降り、上に出ると閑静な街並みがあった。
ミラノ南西部:クリックすると大きな写真になります
6.科学技術博物館
天才科学者でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチが考えたヘリコプターなどのアイデアを、彼のスケッチと模型によって展示されているほか、鉄道車両などの実物、模型も展示されている。もちろんツアーのコースには入っていない。娘が親父の希望を叶えてくれ、ガイドブックから探して案内してくれた。
科学技術博物館:クリックすると大きな写真になります
7.ヴェネチア
翌日の朝、ミラノのホテルからバスに乗ってベニスについた。もちろんバスはヴェネチアの入り口までで、そこから先は運河を水上バスや、水上タクシーで進む。まずは有名なサンマルコ広場へ行く。サンマルコ寺院をマルコと名乗る日本語を話すイタリア人ガイドの案内で見学した後、ゴンドラに乗った。ヴェネチアのホテルは四つ星で、小さいけれど雰囲気の良い素晴らしいホテルだったと記憶している。
ヴェネチア:クリックすると大きな写真になります
8.ラヴェンナ
モザイク芸術で有名なところ。ここはサン・ヴィターレ聖堂の敷地内にあるガラ・プラチディアの霊廟で5世紀に建てられたという。天井いっぱいに描かれたモザイクが素晴らしかった。
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9.フィレンツェのドゥオモ
フィレツェは、私にとって、2回目の訪問である。1980年、今から30年近くも前のことになるが、勤務していた企業の新製品にかかわる学会があり、初めての海外出張をした。まったくと言ってよいほど変わっていない。フィレンツェと言えば、花の聖母(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)というこのドゥオモがシンボルである。
フィレンツェのドゥオモ:クリックすると大きな写真になります
10.ポンテ・ベヴェッキオ
アルノ川にかかるヴェッキオ橋。橋の上には宝飾店が立ち並ぶ。また、ヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿を結ぶ1kmに及ぶ回廊がこの橋の上を通っている。この回廊は、メディチ家コジモ1世の要望でジョルジョ・ヴァザーリが1565年3月から8月というわずか5ヶ月間で完成させたという回廊。現在のウッフィツィ美術館とピッティ宮殿を、ヴェッキオ橋の上を通ってつないでいる。当時は政治の機関(ウッフィツィ)とプライベートの住居(ピッティ)をつなぎ、メディチ家の人物達は外に出ることなく安全かつ安心して移動ができるようにしたという。
ポンテ・ベヴェッキオ:クリックすると大きな写真になります
11.ミケランジェロ広場から眺めるフィレンツェの街
アルノ川上流の小高い丘の上にミケランジェロ広場があり、アルノ川をはさんでフィレンツェを眺める絶好の展望台になっている。
ミケランジェロ広場から眺めるフィレンツェの街:クリックすると大きな写真になります