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2018年5月11日

 読書日記「注文をまちがえる料理店のつくりかた」(小国士郎著、写真:森嶋夕貴、方丈社刊)


注文をまちがえる料理店のつくりかた
小国士朗
方丈社 (2017-12-17)
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 西宮北口図書館の新刊本棚に並べられているのを見つけ、思わず借りてしまった。

     著者は、NHKのディレクター。大手広告代理店に出向中にある認知症介護施設に取材に行った時に、認知症の入居者がつくる昼食が「ハンバーグのはずだったのに、餃子が出てきた!」。「これ、間違いですよね?」という言葉を飲み込んで思いついたのが、この料理店だった。

 「料理の注文を取るホールスタッフが、みんな"認知症"の状態にある料理店をつくる」。このアイデアに、広告代理店の同僚など多くの人が「それは、おもしろい」と飛びつき、著者がプロジェクトの発起人になった。カメラは、写真家としての実績を積んでいる 森嶋夕貴さんが担当してくれた。

 ホールスタッフは、介護施設の統括マネジャ、和田行男さんが人選、資金は クラウドファンティング会社の 「Readyfor」が、目標800万円を上回る1291万円を24日間で集めてくれた。

 ITやデザイン、外食サービス会社の協力で、ホールスタッフに倍するボランティアのスタッフがたちまち集まった。
 昨年6月、レストランを運営する RANDYがテストキッチンに使っていた東京・六本木の店舗を貸してくれることになった。プロジェクトのイメージどおりの店だった。2日間のプレオープン、3か月後の本格営業3日間だけ、看板を換えることもOKしてもらえた。「注文をまちがえる料理店」の「る」だけが縦書きになっているのは,「"認知症"状態にあるホールスタッフがサービスをする店であることを示している。

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 "認知症"状態のホールスタッフのために特注したエプロンには「間違えて、ごめんねと、ペロリと舌を出す「てへぺろ」のマークがついている。

 店の名前には、認知症スタッフから「間違えることを象徴させるなんて、馬鹿にしているのか」といった怒りの声もでた。途中で「関わりたくない」と帰ってしまった人もいたらしい。

   photo002.png

   メニューは3種類。RANDYが「タンドリーチキンバーガー」、ラーメンの 一風堂の「汁なし担々麺」。汁がないのは「運ぶときに火傷をしないように」という配慮からだ。ジャスミンライスが添えてあるが、認知症スタッフが「お皿に余ったソースをからめて食べてください」と説明できるようになったのは最終日だった。
 それとオムライス。 グリル満点星特製の小海老とホタテ、8種類の野菜が入ったピラフをふわとろの卵でつつんだ。

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 前菜のサラダには、ホールスタッフが大型のミルでコショウをかける。重いミルを扱うのを、お客さんやスタッフが一生懸命応援した。

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 デザートは、羊羹の 虎屋特製の「へぺろ焼」。やわらかいこし餡をしっとり感のある生地で包み「てへぺろ」のロゴを職人がひとつずつ押した。

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   コーヒーは、 カフェ・カンパニー、清涼飲料はサントリーが提供した。

 しめて、料金は1000円。認知症スタッフが疲れないようにと、1コマ90分の総入れ替えにした。1コマのお客さんは」24人、1日4コマ。3日かんで計288人のお客さんを迎えた。2日目は台風がきたが、外は雨を避けて待つ客で満員だった。
 当日券はすぐに売り切れたが、台風の中大阪から夜行バスでかけつけた女性にはキャンセルした翌日の席を確保できた。

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 プレオープンの時には60%だった間違い発生率が、スタッフの努力もあって半減した。

 しかし、事件もあった。さきほどまでホールスタッフとして頑張っていたシズさんが、急に「嫌だ、嫌だ」とエプロンを脱いでしまった。
 休憩時間に控室に行ったら、普段見慣れない人たちがいて急に不安になったのだ。大雨のなか、街を歩き出すシズさんに、サポートスタッフがぴったりと寄り添って歩いた。

 デザートが終わると、若年認知症の三川康子さんのピアノとチェロを弾く夫の一夫さんの演奏が始まる。康子さんは、音大を出て長年音楽の先生をしていたが、この病気になって仕事が続けられなくなった。
 3日目のこと。最初の1章節で康子さんの引く音が少し引っかかった。終わって拍手に包まれても、康子さんは席を立とうとしない。3回、4回・・・。「だめだ・・・」と一夫さんの顔を向いてつぶやいた康子さん。5回目にひっかかりそうになりながら、完璧に弾き終えた。
 「ブラボ!!!」。歓声と割れるような拍手が続いた。

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 プロジェクトを終えて、スタッフ全員は和田さんがリードする「一本締め」で充実感を味わった。

 ITスタッフが発信した情報はSNSで世界を駆け巡り「注文をまちがえる料理店」をやりたいたい、という注文が殺到している、という。

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2013年1月30日

読書日記「原発をつくらせない人びとーー祝島から未来へ」(山秋真著、岩波新書)


原発をつくらせない人びと――祝島から未来へ (岩波新書)
山秋 真
岩波書店
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  著者は、能登半島・珠洲の原発建設反対運動を長く取材してきた女性ジャーナリスト。

  祝島のことは、この ブログでもふれたことがあるが、著者は対岸の半島に計画された 上関原子力発電所建設に反対する、島のおばちゃんたちのすさまじい闘争の歴史を綴っている。

 「1982年から30年間、毎週月曜日のデモ(島の中を30分歩く)は1150回を数えた」「寝間着を着て寝ることもなく、夜中の"警報発令"に備え、島の女性は夏も冬もズボンをはくようになった」

 「スイシン(原発推進派)の議員が夜の便で帰ってきたのを、おばちゃんたちが船着場に集まって、あがらせんかったこともあった。・・・機動隊がきても、それをあがらせんかった」

 海の埋め立て工事が始まった2010年からは女性(多くは80歳を過ぎた!)女性を中心に数名づつ、祝島から 田ノ浦へ毎日交替で通い始めた。浜にブルーシートを敷いて寝転んでいるだけ。「どんな言葉より雄弁な意思表示だ」

 原発計画が浮上して間もないころ、祝島の漁港前の看板に、こんな歌詞が書かれた。

       
上関原発音頭
(四)
 オシャカ様さえ言い残す
 金より命が大事だ
 人間ほろびて町が在り
 魚が死んで海が在り
 それでも原発欲しいなら
 東京 京都 大阪と
 オエライさんの住む町に
 原発ドンドン建てりやよい
 ここは孫子に残す
 原発いらないヨヨイのヨ
 反対反対ヨヨイのヨイ


 中部電力は、田ノ浦の浜を封鎖しようと、警備員を使ってスクラムを組み、人間の壁を作った。
 スクラムのなかで身体をはる人に食べ物を届けたくても、聞いてもらえない。仕方なく、食べ物を上から投げ込んだ。それでも「食べる暇ないし、食べたい気もしなくて、気づいたら三日ぐらいで三キロ痩せていた」

 中電は、田ノ浦湾に海上から出入りさせないために入り江の入り口にオイルフェンスを張ろうとした。カヤックに乗った応援のひとたちがフェンスの端をつかみ、陸へと引っぱりつづけた。それを女性たちが岩のうえへと引き上げた。
 中電側は工事施工区域で妨害するなと大音量マイクでくりかえしたが、祝島の船からは「ここは公有水面じゃろうが」という声が飛んだ。「海を汚さないように、ずっとお願いしているんですよ」。祝島の漁師たちは、反対を始めた最初からの"規範"を忘れず繰り返した。

 2011年3月11日の不幸な事故の4日後、中電は工事の「一時中断」を発表した。

 「漁に出る回数が多くなりました。・・・工事中断後、 カンムリウミスズメという絶滅危惧種にあう機会も多くなりました」

 しかし、漁業補償金をめぐるゆさぶりは続き、島の過疎化は進み、賛成と反対派住民との"亀裂"も消えない・・・。

 ▽参考にした本
 ※「原発のコストーーエネルギー転換の視点」( 大島堅一著、岩波新書)
 著者は、立命館大国際関係学部教授。これまで政府などが、どのエネルギー資源よりやすいとPRしてきた原子力発電について、国民や被災者が負担する社会的コストを綿密に計算し発電コストの実績値は火力や水力より高いとはじき出した。「脱原発を実施しても電力供給は大丈夫」と明確に示している。第12回 大佛次郎論壇賞受賞が決まった。

※「震災後のことば 8・15からのまなざし」( 宮川 匡司=ただし編、日本経済新聞出版社刊)
 1945年8月15日を体験した識者へのインタビュー集。

原発のコスト――エネルギー転換への視点 (岩波新書)
大島 堅一
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震災後のことば―8・15からのまなざし
吉本 隆明 中村 稔 竹西 寛子 野坂 昭如 山折 哲雄 桶谷 秀昭 古井 由吉
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2013年1月 5日

読書日記「松本竣介 線と言葉」(コロナ・ブックス編集部編)「『生誕100年 松本竣介展』図録」(岩手県立美術館など編) 出雲紀行・上「島根県立美術館・松本竣介展」


松本 竣介 線と言葉 (コロナ・ブックス)

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ネット検索をしていた昨秋、盛岡の 岩手県立美術館(盛岡市)で開かれた画家松本竣介の生誕100年展を知った。
 ちょうど東北ボランティア行を計画していた時期だったが、残念ながら盛岡の会期は終わり、松江市に巡回していた。

 本屋で買ってきた 「新潮日本美術文庫45 松本竣介」(日本アート・センター編)で、青を基調にした清逸でいて透明感のあふれた色調に引かれた。矢も楯もたまらず、友人Mらと昨年11月の連休に松江市に飛んだ。

 2日の夕方、空港から宿に向かうバスの窓から宍道湖に映える夕日のなかに浮かびあがった会場の島根県立美術館を見る僥倖に恵まれた。この 「夕日の見える美術館」は、湖岸の芝生から夕日を楽しんでもらうために閉館時間を「日没後30分」にするという、自治体としてはなかなかシャレたことをしている。

 翌日朝、松江大橋の北端にある宿から美術館までは、整備された宍道湖畔の遊歩道を歩いて20分弱。開館時間の少し前に会場に入ることができた。

 竣介は、旧盛岡中学1年の時に、流行性脳脊髄膜炎にかかり、聴力を失ったことをきっかけの一つとして画家を志すようになったが、昭和4年中学を3年で中退し上京してしまう。

建物;クリックすると大きな写真になります このため、広い会場に展示された作品に、盛岡時代の作品は少ない。すぐに、透明感のある青い絵の具の上に、太い黒い線で形どられた 「建物」(1935年、福島県立美術館蔵)や「婦人蔵」(1936年、個人蔵)などが並んでいる。

 素人目にも明らかに、ルオーやモヂリアニの影響が見てとれる。

 竣介自身「モヂリアニが好きになったのも理由の一つは、量を端的に握んでゐる天下一品の線の秘密にあった」「モヂリアニの作品は、長いこと私を翻弄した。実際困った程だった」と記している。

 竣介は「線に生きた」画家だった。「線は僕の気質などだ、子供の時からのものだった」という言葉が「松本竣介 線と言葉」のなかにある。同時に「線は僕の メフストフェレス(悪魔)なのだが、気がつかずにゐる間僕は何も出来なかった」という言葉も引用されいる。

 岩手県立美術館の原田光館長は「『線描家』序説」(「松本竣介 線と言葉」より引用)という短文に、こう書いている。

 
烏口で引いた硬質の線、何度でもなぞり返して生まれる細線の束、太線の流動、子どもの絵にでてくるような奔放な線、それぞれの線の質を生かすため、青の加減の目くばりがさえたとき、線は街になり、街歩きする人々の姿へと転じる。竣介は無闇な線描家ではない。したたかな計算によって線を生かす工夫に余念がない。デッサンを繰り返してからでないと画家竣介の基本の確立であったろう。

白い建物;クリックすると大きな写真になります
 「線の画家」竣介は、同時に「青の画家」でもあった。

 作家堀江敏幸が自著「郊外へ」(白水Uブック刊)の表紙カバーに竣介の 「白い建物」(1941年、宮城県立美術館蔵)を選んだ理由について「線と言葉」の冒頭文に書いている。

 
空の青みは、中央を左右に横切る高架線のホームの上、画面の四分の一ほどにすぎず、残りを占めているのは、建物の壁だ。白、灰色、茶色、黒、灰緑色。粗塗りのようでいてそうではなく、面で捉えられているようでいて、そのじつ線のリズムがすべてを支えている。青はいたるところ沁みだして白を上書きし、灰に溶け込み、さらにまた藍鼠や桝花に変化する。鉄骨のいかにも重そうな建造 物なのに、海に浮かぷ空っぼの貨物船を思わせる相対的な軽みがあり、人の気配を消しつつ負の印象を与えない。この絵を措いている(私)は、幾度も表面を削られ、また絵の具を乗せられて出来あがった見えない多重露出像となって、青と同様、壁のいたるところに在しているようだ。
  画布ではない板の堅さと、透明な絵具を溶いて薄め、乾いている絵具の上に薄く塗って膜をつくるグラツシの技法が硬質な輝きをもたらしている反面、青を水槽のガラスにうっすらと張り付いた苔のように、鈍く、半透明にひろげていく。画家はこの膜に身を包んで画面のなかに姿を消し、耳を澄ますという行為さえ許されない静寂に身を潜めている。ここには、ある種の若さにしかない繊細さと脆さが、そして若さだけでは持ち得ない時間と沈黙の積み重ねがある。


 浅学非才の身。これほど1つの絵画に惚れ込み、入り込み、表現した文章に会った経験がない。
 ただ、じっと透き通るような空の青に引きこまれ、白い壁の合間に浮かぶブルーに目をこらすしかなかった。

立てる像;クリックすると大きな写真になります 自画像;クリックすると大きな写真になります  竣介の作品なかで、最も迫力があり、名が知れているのは、 「立てる像」(1942年、神奈川県立近代美術館蔵)竣介がよく描くさびれた街の風景のなかに、等身大にも見える大きな人物がスクッと立っている。人物は、 作品「顔(自画像)」(1940年、個人蔵)とそっくり。モデルは、竣介自身であることが分かる。

 神奈川県立近代美術館の水沢勉館長が「『生誕100年 松本竣介展』図録」に寄せた文によると、子どもたちにこの絵を見せると「画面の中から帰ってきたかの様子で戦争が描いてあるね』」と答えたという。

 廃虚の仁王立ちになっている竣介は、耳が聞こえないために兵役を免れている不安と虚無感を浮かべつつ、戦争に反対する不退転の決意を作品にしたように見える。

五人;クリックすると大きな写真になります  作品「五人」(1943年、個人蔵)からも「家族と共に生き残ってみせる。負けないぞ」という叫びが聞こえてくる。縦1・6メートル、横1.3メートルの大作だ。

 竣介「反戦の画家」とも言われる。

 日中戦争が始まった翌年。美術雑誌「みづゑ」新年号に掲載された「国防国家と美術」とい座談会で、陸軍省の将校らが「大事なのは国家であって文化は国家の産物にすぎない。だから総力戦に備えて絵描きも国策に協力すべきだ」と発言したのに対し、竣介は猛然と反論に出たことがある。

 4月号に掲載された「生きてゐる画家」は、いささか分かりにくい長文のものだが、冒頭だけをみても、時局に逆らう決断とした言葉が満ちている。

 
沈黙の賢さといふことを、本誌一月号所載の座談会記録を読んだ多くの画家は感じたと思ふ。たとへ、美学の著書などを読んでゐるよりも、世界地図を前に日々の政治的変転を按じてゐるはうに遥か身近さを想ふ私であつても、私は一介の青年画家でしかない。美といふ一つの綜合点の発見に生涯を託してゐるものである私は、政治の実際の衝にあつて、この国家の現実に、耳目、手足となつて活躍してゐる先達から見れば、国家の政治的現状を知らぬこと愚昧を極めた弱少な蒼生に過ぎないのである。そのやうな私が、現実の推進力となつてゐる方達の言説に嘴(くちばし)をはさむといふことは甚だしい借越であるかも知れない。だが、座談会『国防国家と美術』の諸説の中から私は知らんとする何ものも得られなかつたことを甚だ残念に思ふものである。今、沈黙することは賢い、けれど今たゞ沈黙することが凡てに於て正しいのではないと信じる。


 出雲の出かける直前に、図書館から借りることができた「 舟越保武随筆集 巨岩と花びら ほか」(求龍堂刊)を開いて、アッと思った、舟越保武はなんと、旧岩手中学の同級生で、上京してからも絵画と彫刻とジャンルは違っても互いに励まし合ってきた仲だったのだ。

 この随筆集に「松本竣介の死に寄せて」(岩手新報 1948年8月14日号)が収録されている。

  
水晶のような男だった
 透明な結晶体のような男だった
 適確な中心をえて円満であり
 しかもその稜ほ十分に切れる鋭さをそなえでいた
 構いなく冴えた画家だった
 美についで底の底まで掘りさげて語り合える
 これは得難い友であった
 言葉少なに意味深く、切るように話しの出来る友であった
 自らの仕事を鋭く解剖し、絶えず我が身を鞭うって、精励する真の作家であった
 その竣介が
 突然死んでしまった
 竣介の絵の前で、幾多の既成作家、浸心の大家たちが、冷汗をかいて反省したことであろう
 美術界はかけがえのない作家を失った
 美術家の真の生き方を、純粋な声で絶叫しつづけた
 竣介は
 今は骸になってしまった
 水族館のように静かな青い光のアトリエには
 飽くことのない探究の記録、数々の素描油絵の
 習作が輝いていた
 心ある画家、文芸家たちにほんとうに愛されていた竣介が、なんということだ
 死んでしまうとは
 「アトハキミガヤレ」
 と死んだ竣介はいうにちがいない
 イヤだ、
 も一度生きかえって、あの橋の絵を描いてくれ
 君ののこした子供の絵を仕上げてくれ
 竣介、僕は君に初めて怒鳴りつける
 なぜ断りなしに死んだのだ


 どうしても見たいと思っていた1枚の絵があった。

 竣介の絶筆となった「建物」(1948年、東京国立近代美術館蔵)だ。

 画集を見ただけでも、不思議な感覚に抱かれる絵だ。竣介の「青」をおおうように白と茶色ではみ出すように描かれているのは、教会だろうか。その上に描かれた竣介の細い「線」太い「線」・・・。まるで2枚の絵を重ねたように、荘厳さと立体感にあふれた絵だ。

 島根県立美術館を歩きまわった数時間、この絵を見つけることはできなかった。出口近くで係の人に聞いたら、近くで鑑賞していた女性が「その絵、この展覧会に来ていないのです。私も、見たかったのですが」と、声をかけてくれた。

 この絵は、現在世田谷美術館に巡回中の「生誕100年 松本竣介展」にも展示されておらず、所蔵している東京国立近代美術館の「60周年記念特別展 美術にぶるっ!」で見れる、という。

 会期末の14日直前に東京に行く用事がある。のぞくことができればと思う。

 ▽参考にした本
 ・「求道の画家 松本竣介」(宇佐美 承著、中公新書)
 ・「青い絵具の匂い 松本竣介と私」(中野淳著、中公文庫)
 ・「アヴァンギャルドの戦争体験―松本竣介、滝口修造そして画学生たち」(小沢節子著、青木書店刊)

求道の画家 松本竣介―ひたむきの三十六年 (中公新書)
宇佐美 承
中央公論社
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青い絵具の匂い - 松本竣介と私 (中公文庫)
中野 淳
中央公論新社 (2012-07-21)
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2012年6月27日

 読書日記「快楽としての読書 [日本篇]」(丸谷才一著、ちくま文庫)


快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)
丸谷 才一
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 著者が、週刊朝日や毎日新聞などに1960年代から2000年代初めにかけて書いた全書評のうち、約3分の1の122篇を選びだした本。

 この「読書ブログ」も、気ままに選んだ本の内容をほとんど引き写してきただけで、もう5年近くになる。たまにはプロの書評集を読んでみるのもいいかと、図書館に購入依頼したが、これがすこぶるおもしろかった。

 「気になっていた本」「読んでみたくなる本」「おもしろそうだが、とても手におえそうにない本」などなど・・・。一流の教養人が書くうんちくに酔いしれる"快楽"に、はからずものめり込んでしまった。

 私も以前にこのブログで書いたことがある 辻邦生 「背教者ユリアヌス」(中公文庫)。
 書評者は「作者が何に促されて書いたかといふことはやはり解説しておかなければならない」と、かねてからの疑問に「待ってました」とばかりに答えてくれる。

 
もちろんこれはあくまでも推測だが、第一にこの作家は日本文学には珍しく形而上学的な魂の陶酔に憑かれてゐて、それにふさはしい人物をこの主人公に見出だしたといふ事情がある。ユリアヌスが「背教者」であることもまた、日本人である自分と重ね合せるのに好都合だつたにちがひない。
 そしてもう一つ、戦争中に青春を生きた作者としては、当時の、もしできることなら何とかして軍事にたづさはることなく、学問と詩を楽しんでゐたいといふ切実な欲求が人生の最初の体験となつてゐて、それがこの大作を最も深いところで支へてゐるやうに思はれる。つまりここには歴史的世界への呪祖(じゆそ)があるのだ。


 好きな作家の1人である、 池波正太郎の 「散歩のときに何か食べたくなって」(新潮文庫)では「最も印象的なのは、(店の)主人の描写」とある。

 
(東京・室町のてんぷら屋「はやし」の主人の)本姓は斎藤だが、ただし岐阜の斎藤で、あの油売りから美濃の国主となつた斎藤道三の流れ。
 そこで主人は言ふ。
 「はい、やはり、油には縁が深いのでしょうな」
 小説家の藝だから、人物描写がうまいのは当り前だが、最高級の天ぶら屋の老主人の姿が、眼前に浮びあがるではないか。


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 これまでの江戸文学研究書について「(おおむね志が低く、?末な事象にこだわる)通人か、(江戸の美意識と真っ向から対立する十九世紀西欧の美意識にあやつられている)学者にゆだねられており、指南役としてふさわしくない」と、こてんぱんにやっつけている。 そして 「江戸文學掌記」(講談社文芸文庫)の著者、 石川淳に言及していく。

 
この小説家ならば、当代の文学を古代以来の日本文学の伝統のなかにとらへることも、中国との関連において眺めることも、そしてまた十九世紀の偏向にしばられずに西欧文学全般からの照明の下に見ることも可能なのだ。構へが大きく感覚がすぐれてゐることは、言ひ添へるまでもない。


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高島俊男著「中国の大盗賊」(講談社現代新書)の最後には、あの毛沢東が登場してくる。

 
言はれてみれば、たしかに中華人民共和国は新種の盗賊王朝かもしれない。マルクシズムを宗教に見立てていいのはもはや常識だし、毛は一時、生き神様だつたし、それに長征といふのはたしかに流賊だつた。


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中村隆英の「昭和史1(1926-45)」(東洋新報社)には、二・二六事件後に中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句が詠まれたことを指摘。そして中村自身が「明治以来の安定が、このとき完全に失われたことへの憤りと解釈している」ことを紹介している。

 書評者は「経済学者にして置くには惜しい(失礼!)小太刀の冴え」と、粋な一言を放っている。

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中村 隆英
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中村元の「インド人の思惟方法」 「日本人の思惟方法」「チベット・韓国人の思惟方法」(すべて春秋社)では「浩瀚(こうかん)な著作をわずかな紙数で推薦するのだから、遠慮しないで読んでくれ、ぜったい損はしないからと請合ふしかない」と書く。
 そのついでに、読む順番は「シナ人の巻から取りかかって、日本人、インド人、チベット人および韓国人とゆくのがいいやうな気がする」と、誠に親切な読書指導まで。

 中村元の、こんな記述も紹介している。
 
たとえば、南アジアの国々の仏教僧は、酒は決して飲まないが、煙草は平気で吸う。釈尊のころ煙草がなかったから当たり前だが、「煙草を吸ふなかれ」といふ戒律がないのをいいことに、プカブカやるのださうである。
 ところが韓国の僧は煙草をいつさい口にしない。戒律に禁止されてゐなくても、その底にある精神を大事にするのが韓国仏教なのである。
 これは韓国仏教についての上手な説明だが、中村のこの本は、いつもかういふ調子で読者をおもしろがらせてくれる。










 これらだけではない。各篇ごとに原作のなかからすくいあげた文章が、玉のように輝いて見える。

 インドのタミル語が日本語成立の源流だが、最近は「朝鮮の学者によって、朝鮮語とタミル語との対応が言われ出した」( 大野晋著 「日本語の起源 新版」=岩波新書)

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岡本かの子の 「生々流転」(講談社文芸文庫)は、夫・ 岡本一平がかの子の死後に書き足した合作長編である。

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 「関ヶ原合戦での東軍の勝利は、豊臣系諸将の家康への贈り物だった。これによって、(徳川幕府は)国持大名の領内政治に介入しないという、分権・多元的な政治形態を近世日本にもたらした」( 笠谷和比古著「関ヶ原合戦」=講談社学術文庫)

関ヶ原合戦  家康の戦略と幕藩体制 (講談社学術文庫)
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 「セーラー服が女学校の制服として定着したのは、海軍⇒女児⇒軍艦⇒女陰という隠語が意識下にある」( 鹿島茂著「セーラー服とエッフェル塔」=文春文庫)

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 「再読 日本近代文学」(集英社)のなかで、中村真一郎小林秀雄が培った近代日本文学論の常識に反旗を翻していること紹介しながら、書評者自らも「多少の異論」を試みているのも、考えたらまったくぜいたくな1篇だ・・・。

再読 日本近代文学
再読 日本近代文学
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中村 真一郎
集英社
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この本の最初に、著者の小エッセイが載っている。

いまわたしたちが読むやうな形の本、つまり
 1  本文が白い洋紙で、
 2  その両面に、
 3  主として活字で組んだ組版を黒いインクで印刷し、
 4  各ページにノンブルを打ち、
 5  それを重ねて綴ぢ、
 6  表紙をつけてある
 ものは、ずいぶん便利だなと感心する。


 
この形勢は当分つづきさうである。将来、年老いた村上春樹の新作長篇小説も、中年の俵万智の新作歌集も、まづ本として売出されるだらう。レーザー・ディスクやテープ、あるいはもつと新しい何かで出るとしても本が主体だらう。
 二十一世紀になつても、小学校用算数教科書、経済白書、六法全書、『広辞苑』第十何版、最後の社会主義国某国の全史の翻訳、卑弥呼のもらつた金印の発見をめぐる学術報告、貴乃花の回想録、マリリン・モンローとケネディの往復書簡集の翻訳などが、本といふ容器をぬきにして出ることは考へにくいのである。
 わたしたちは本の制覇の時代に生きてゐる。


 1993年に朝日新聞から刊行された「春も秋も本! 週間図書館40年」(1993年刊)という「週間朝日」の読書欄誕生40周年記念した本に所収されているのだが、現在の電子書籍をまったく意識していない牧歌的にも思える書籍礼讃がおもしろい。

春も秋も本! (週刊図書館40年)

朝日新聞
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 ところが、この文庫本の表題裏に、出版社の注意書きが小さい活字で掲載されており、業者による "自炊" 行為などに警告している。


  本書をコピー、スキャニング等の方法により
 無許諾で複製することは、法令に規定された
 場合を除いて禁止されています。
 請負業者等
 の第三者によるデジタル化は一切認められて
 いませんので、ご注意ください。


 書籍、それも文庫本に、このような"警告文"が載るのは、これまであったのだろうか。書評のなかで出版各社の書籍を引用しているという事情もあるのだろうが、それだけ出版社側のデジタル化への警戒感が現れていて、丸谷のエッセイとの対比がおもしろい。

 このブログでも、著書のいくつかを引用させてもらっており、この警告に"抵触"しているのだろう。
 「この著書のすばらしさを記録したいだけの個人プレー。大目に見てください『株式会社 筑摩書房様』」とわびるしかない。

  

2011年5月17日

読書日記「三陸海岸大津波」「関東大震災」(吉村 昭著、文春文庫)、「津波災害――減災社会を築く」(河田惠昭著、岩波新書)

三陸海岸大津波 (文春文庫)
吉村 昭
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関東大震災 (文春文庫)
吉村 昭
文藝春秋
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津波災害――減災社会を築く (岩波新書)
河田 惠昭
岩波書店
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 震災のただ中にいた阪神淡路大震災の時と、なぜか違う。東北大震災の惨状を毎日のテレビを見聞きしながら、いつまでも心が落ち着かない。死者を悼み、復興を願う以上に、なぜまたこんな被害に遭遇してしまったのかという思いがふつふつとわき上がる。

 東北大震災直後にできた書店の特設コーナーをウロウロしていて見つけたのが、吉村 昭の文庫本「三陸海岸大津波」。1970年に旧中央公論社から旧題「海の壁」として出版され、2004年の文春文庫になって以来5万冊が出ていたが、この2カ月で15万冊を増刷する大ベストセラーになってしまった。明治から昭和にかけて三陸海岸を襲った津波の生存者などを訪ねて取材した事実、証言に圧倒される。
 この15日の朝日新聞書評欄でも「ひたすら『事実』だけが語られていながら、かといって単に客観的な『記録』とは異なる、・・・これは『記録=文学』なのだ」と書かれていた。

 
六十歳の木村トラという女性は、突然流れこんできた海水に驚いて十歳と五歳の孫を首にかじりつかせ鴨居にとびついた。水は見る間に上昇して顎(あご)にまで達した。
これまでと観念した時、家が浮き上がって流れ出した。沖にさらわれれば一命はなかったのだが、幸いにも家が石づくりの井戸の台にひっかかって止まった。・・・トラは、孫を抱えると家を飛び出し、屈強な男子でも上がることのできない背後の絶壁をよじのぼって死をまぬがれた。


死体の多くは、芥や土砂に埋もれていた。・・・掘り起こしても死体が発見されない場合が多い。
そのうちに経験もつみ重ねられて、・・・。死体からは脂肪分がにじみ出ているので、それに着目した作業員たちは地上に一面に水を流す。そして、ぎらぎらと油の涌く個所があるとその部分を掘り起こし、埋没した死体を発見できるようになったのだ。


三陸沿岸を旅する度に、私は、海に向かって立つ異様なほどの厚さと長さを持つ鉄筋コンクリートの堤防に眼をみはる。・・・が、その姿は一言にして言えば大袈裟(おおげさ)すぎるという印象を受ける。
 私は、その対比に違和感すらいだいていたが、同時にそれほどの防潮堤を必要としなければならない海の恐さに背筋の凍りつくのを感じた。


 その防潮堤でさえ、今回の大津波は乗り越えてしまった。
 私が住む芦屋市は、確率60%で東海・東南海・南海同時地震が襲う可能性がある地域である。市関連機関が住民に配った資料では、我が家は海抜15メートル地区。今回の震災直後に再選された市長は、避難路などを見直す動きなどまったく見せない。

 「津波災害――減災社会を築く」の著者、河田惠昭(よしあき)さんは、京都大学防災研究所長を経て、現在は関西大学安全学部長。 「阪神・淡路大震災祈念 人と防災未来センタ」長を兼務しておられる。
 この本は、昨年2月に発生したチリ沖地震津波をきっかけに、昨年12月に出版された。初版の帯封には「必ず、来る!」というコピーが躍り「まえがき」にも「東海・東南海・南海地震津波や三陸津波の来襲に際して、万を越える犠牲者が発生しかねない」と書かれ、いささかセンセーショナルなのではという批判もあったそうだが、不幸にも専門家のカンはピタリと当たり、その警告は生かされなかった。

 この本には、今回の東北大震災で我々がテレビを通して目にした惨状が津波への正常な知識があれば防ぐことができた"人災"であることを、無残なほどあらわに予見している。

高さ五メートルの防波堤に高さ八メートルの津波が押し寄せた場合、津波はこの防波堤を乗り越える。そのとき変化が起こる。防波堤に津波が衝突すると、海底から深さ五メートルまでの津波の水粒子が防波堤で止められて前に進めなくなる。その瞬間、海底から五メートルまでの津波の運動エネルギーは位置エネルギーに変換される。このため、防波堤上で海面が三メートルよりもさらに盛り上がって通過することになる。
そして、防波堤を超えた瞬間に水塊が三メートル以上の落差をもって港内側に落下するので、激しく防波堤の脚部を洗うことになる。下手をすると海底の洗掘が発生し、防波堤が横倒しになってしまうことが起こる。


三陸沿岸は「宿命的な」津波常襲地帯であるといえる。それは、湾岸地域が津波を増幅させる屈曲に富んだリアス式海岸だからというだけではない。遥か沖合の水深数千メートルの海域が津波を集中させる海底地形となっているのである。これは、近地津波はもとより、太平洋沿岸各地で津波が発生し、遠地津波として伝播してくるとき、必ずこの海域で増幅することを示している。このように沖合で津波が増幅し、沿岸でも増幅するという津波の「二重レンズ効果」が三陸沿岸では起こる。


 そして、津波についての正確な知識を周知し、日頃から訓練していれば、避難さえすれば助かる「生存避難」につながる、と強調。「車で避難して渋滞に巻き込まれたら、徒歩で避難する」など、具体的なルールの徹底を繰り返して警告している。

 しかし、こんな記述もある。
したがって、津波防波堤のある大船渡、久慈(工事中)や釜石を除いて、世界屈指の津波危険地域であると言える。

防災危機の専門家でさえ、今回の"想定外"の津波は想定できなかった、ということだろうか。それだけに、今回の災害にすごさに「背筋が凍る」思いを新たにする。

 最後の第4章に書かれた「もしも東京に大津波が来たら・・・」にも、震えが来る。
津波はん濫が最初に襲うのは臨海コンビナートである。津波のはん濫水もしくは一緒に移動する船舶が、石油精製施設、化学物資合成施設やそれにつながるパイプ群を破壊し、ここから出火する危険がある。もっとも怖いのは致死性の有毒ガスの漏出である。


 
私はかねてから『水は昔を覚えている』と主張してきた。昔、海だったところや湿地帯だったところに市街地が発達しても、いったん、洪水や高潮、津波はん濫が起こると、・・・また海や湿地帯に戻るということである。

 ゼロメートル地帯や江戸時代に湿地帯や海中に位置していた約70もの地下鉄の駅が水没する危険がある、という。

 吉村 昭の「関東大震災」は、これらの予想がすでに現実に起こったことであることを如実に示す歴史証言である。

 本所被服廠で、避難者が持ち込んだ家具による火災で死んだ3万8千人のひとたち、浅草・吉原公園の池で幾重にも重なって死んでいった500人近い娼婦たち、累々たる死体を処理した事実を記載する1章・・・。
   そして、根拠のないデモの広がりによる日本人の暴動で死んだ朝鮮の人たち、この震災をきっかけに殺された社会運動家・ 大杉 栄。

 忘れていた、そして忘れてはいけない震災の歴史を、これらの本で記憶を新たにする。

2009年3月12日

読書日記「旅する力 深夜特急ノート」(沢木耕太郎著、新潮社)


旅する力―深夜特急ノート
沢木 耕太郎
新潮社
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おすすめ度の平均: 4.5
5 終着駅への片道切符
5 裏深夜特急
4 彼を旅に向かわせたもの
2 これが最終便?
5 深夜特急の完結


 先日、昔勤めていた新聞社でお世話になった大先輩にバッタリお会いし、この本を薦められた。今でもある大手テレビ会社の会長をしておられる現役の経営者だが、時々お会いするたびに、話の途中でふとささやかれる。
  「中丸美繪の『杉村春子』(文芸春秋)、もう読んだかい」「井波律子の『酒池肉林』(講談社現代新書)、おもしろいよ」・・・。

 「旅する力」には、2つのテーマがある。1つは、ルポルタージュの方法。そして、旅のあり方についてである。

 昔、現役の記者だった頃、ニュージャーナリズムの旗手とうたわれた沢木耕太郎の著書をむさぼり読み、時には連載企画でその?物まね?を何度か試みたこともある。

 評論家の青地晨は、沢木の著書「人の砂漠」(新潮社)の書評のなかで、22歳の沢木のことを絶賛しながら、こう書いている、という。
 ルポルタージュは、頭の冴えやキラキラした才能だけではやれない。取材相手の心をひらかせる何かを持っていなければならない。もう一つの資質は、行動力である。・・・思いついたらすぐに飛び出し、自分の体でたしかめる行動力が要求される


 沢木は、ルポルタージュを書くためには「三種の神器」が必要、と書く。ひとつは金銭出納帳のようなノート。もうひとつはその反対のページに記されている心覚えの単語や断章。さらに、友人に出した膨大な数のエアログラム(航空書簡)。
 ノートによってどんなものを食べたり飲んだりしていたのか、それがいくらくらいだったかわかるだけでなく、その一行、一行が日々の行動をはっきり思い出させる

 どんなにささやかな旅であっても、その人が訪れた土地やそこに住む人との関わりをどのように受け止めたか、反応したかがこまやかに書かれているものは面白い。たぶん、紀行文も、生き生きとしたリアクションこそが必要なのだろう

 旅についての記述も、このような思考軸で貫かれている。

 インドのデリーからロンドンまで乗り合いバスでいく「深夜特急」の旅を著者が始めたのは、20代の前半。
 あの当時の私には、未経験という財産つきの若さがあった・・・。未経験、経験していないということは、新しいことに遭遇して興奮し、感動できるということ・・・

 かって、私は旅をすることは何かを得ると同時に何かを失うことでもあると言ったことがある。しかし、歳を取ってからの旅は、大事なものを失わないかわりに決定的なものを得ることもないように思えるのだ

 幸いなことに、私には・・・旅をしていく上での適正、あえて言えば『力』があったような気がする。ひとつは(なんでも現地のものを食べられる)『食べる力』。・・・(どんな酒をどれほど飲んでもあまり酔わない)『呑む力』・・・それ以上に大きかったのは、私が人と関わることを面倒がらないというところだったかもしれない。・・・それとまた、私は、旅先でよく人に訊ねるらしい


 「食べる」「呑む」力以上に「聞く」「訊く」力が大切と、著者は言う。それがあるのなら?歳を取ってから?の旅も、そう無駄ではないかもしれない。

 終章で、著者は繰り返すように書く。
 目的地に着くことよりも、そこに吹いている風を、流れている水を、降りそそいでいる光を、そして行き交う人をどう感受できたかということのほうがはるかに大切なのです


 すばらしい話が「あとがき」に載っている。

 著書「一号線を北上せよ」(講談社)のサイン会を名古屋でした時のこと。
 若い歯科医がサインを求めてきた。
「すると、あまり長い旅行はできませんね」
「そうなんです。・・・だからいまようやくローマに辿り着いたところなんです。・・・ローマに来るのに七年かかりました」。
この歯科医は、「深夜特急」のルートを、休みのたびに少しずつ歩いていたのだ。
「あと二、三年でロンドンに着きたいと思っているんです」

 「深夜特急(1)?(6)」(新潮文庫)というルポルタージュに揺り動かされて、自分の人生を変えるかもしれない旅に10年がかりで挑戦し続けている人がいる。すごい話しである。

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2 テーマはユニークだが
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人の砂漠
人の砂漠 (新潮文庫)
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沢木 耕太郎
新潮社
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4 素敵な「鼠」だ。
4 濃密なルポタージュ

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沢木 耕太郎
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4 心揺さぶる『放浪』の書。旅好きには『禁断』の書。
4 第1章を読め!!!
5 旅の出発本
5 海外を恐れずに

深夜特急〈6〉南ヨーロッパ・ロンドン (新潮文庫)
沢木 耕太郎
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5 わかっていることは、わからないということだけ。
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5 長旅の終わり
5 旅は自由なものであると教えてくれる旅行記
4 深夜特急は終わっても、心の旅に終わりは無い。