読書日記「ジャガイモのきた道――文明・飢餓・戦争」(山本紀夫著、岩波新書)
岩波書店
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ジャガイモで文明はおきるのかを説明
まさに「歴史ドラマ」を垣間見せてくれる一冊
ジャガイモで発展したインカの山岳文明
ジャガイモの歴史と役割をサクッと読める一冊
昨年5月に発刊されて以来、気になっていた本だった。「また食べ物の本もなあ」という、つまらない〝自制〟のおかげで手にしないでいたが、昨年末の新聞書評欄の「今年3冊」に何度か取り上げられるのを見て、ついにがまんできなくなった。
おもしろかった。
国立民族学博物館名誉教授の著者は、初めてアンデスを旅した際「アンデス・インカ文明を生んだのはトウモロコシ」という世界的な通説にふと疑問を持つ。そして毎年のようにアンデスに通い、それまでの専門だった植物学から民族学に転向してしまう。
そのへんのいきさつは、ある機関紙の対談にも載っている。数年間の滞在研究の結果、インカ帝国の主食はジャガイモであり、トウモロコシは太陽にささげられる酒の原料になる儀礼的な作物であったことを〝発見〟してしまうのだ。
筆者がジャガイモに興味を持ったのは、京大2年の時に中尾佐助の「栽培植物と農耕の起源」(岩波新書)という本に運命的に出会ったからだという。このブログにも、以前に書いたが、あの宮崎駿監督が人に勧めてやめない本である。
山本名誉教授によると「わたしたちが日常食べている『栽培植物』はすべて人間が作り出したものである」という。そして野生の雑草だったジャガイモを食物として栽培することに成功したインダス文明。そのすごさを、フイールドワークで見つけた事実を積み重ねて実証していく。
インカの人々は、チューニョ加工と呼ばれる毒抜き(イモ類にはすべて有毒成分が含まれているという)、乾燥技術を開発し、栽培化されたジャガイモを、標高4000メートル近いアンデス高原をその花で埋め尽くす(山本紀夫写真展から)大量生産品種に育て上げた、というのだ。
「イモ農耕では文明を生まれない。穀物文明こそ文明社会成立の必須基盤だ」という、これまでの考古学、歴史学の常識に反論していくのも痛快な記述だ。
著書は、副題にある〝文明〟から〝戦争・飢餓〟へと展開していく。ヨーロッパにジャガイモが伝播・普及していく歴史である。
最初は、「聖書にも出てこない作物」と気味悪がれたり、食べるとらい病になると信じられて「悪魔の植物」と呼ばれたりしたジャガイモがフランスで普及していったのは、7年戦争後の飢餓を経験した18世紀。ルイ16世の呼びかけに応じてジャガイモの普及に努力したのが、農学者のアントワーヌ・パルマンティエ。
パリ市内や地下鉄の駅には銅像が建てられており、今でもフランスではジャガイモ料理に〝パルマンティエ〟の名前をつけた料理がいつも添えられ、その功績をたたえているという。
ルイ16世の王妃・マリーアントネットが、普及のためにジャガイモの花の髪飾りをつけたという話しは「キャベツにだって花が咲く」(稲垣栄洋著、光文社新書)に書かれていたのを思い出した。
ジャガイモがオランダで普及したことを示す、有名な名画を口絵で紹介している。
ファン・ゴッホが1885年に描いた「ジャガイモを食べる人たち」だ。
著者は「ジャガイモを掘り起こした(泥のままの)手で皿に山盛りされているイモを食べている農民の家族を描いたもの」と「ゴッホの手紙」を引用しながら紹介している。ジャガイモが、当時の生活に欠かせない食物だったことが分かる。
ジャガイモの疫病が生んだアイルランドのジャガイモ大飢饉についても、著者は多くのページを割く。大飢饉で100万の人が死に、アイルランドから去っていった人は150万人に達したという。その一人が、米国大統領になったJ・F・ケネディの祖父だった。
イギリスとアイルランドの抗争は、大飢饉の時のイギリス政府の植民地政策のせいだった、という。イギリスのブレア元首相が謝罪して、1998年にIRAとイギリスの和解が成立したという記述があるWEBページに載っている。
日本へのジャガイモ伝ぱ・普及の歴史は「川田男爵の開発したダンシャクイモ」「明治文明開化とカレー」「大正時代のコロッケ」「戦中、戦後の代用食」など、これまでも聞いたり、知っていたりしていたりしたことも多い。
ただ、終章で著者は、こう説く。日本の食糧自給率は、主要先進諸国で最下位である。...自給率の高い国一〇カ国のうち六カ国・・・カナダ、フランス、アメリカ、ドイツ、イギリス、オランダは・・・ジャガイモの生産量が大きい国である