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2010年11月 2日

読書日記「ゴッホ 日本の夢に懸けた芸術家」(圀府寺 司著、角川文庫)、「ゴッホはなぜゴッホになったか 芸術の社会的考察」(ナタリー・エニック著、三浦篤訳、藤原書店刊)

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5 手紙魔ゴッホ

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5 ゴッホを調べるための出発点として利用できる
3 美術ではなく社会科学の本である


 先月末に、大阪・サンケイホールブリーゼで、劇団「無名塾」の公演「炎の人」を見た。
主演の仲代達矢が、同じく主演した「ジョン・ガブリエルと呼ばれた男」を観劇した時から、この公演も見逃せないと思っていた。

 10月から来年3月までの全国公演で唯一の大阪公演だが、なんだか客席がまばらである。だが、仲代達矢は77歳とは思えないハリのある声で、炎のような熱気と狂気の人、ヴィンセンント・ヴァン・ゴッホを演じ切り、仲代座長に鍛えられた「無名塾」の若手俳優陣の熱演も最後まであきさせなかった。

 若い時に聖職者を志して挫折し、娼婦を妻にしようとして嫌われ、フランス・アルルの地で芸術家の理想の家を作ろうとして友人の画家、ゴーギャンに逃げられ、自らの耳を切る・・・。

 仲代が演じたゴッホは、けっして天才ではない、最後まで悩みのつきない普通の人間だった。

 シナリオは、劇作家の三好十郎が、1951年に「劇団民藝」のために書き下ろしたもの。休憩時間にロビーで販売していた「三好十郎 Ⅰ 炎の人」(ハヤカワ演劇文庫)を買った。
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 この本のエピローグに、こんな表現がある。     
    ヴィンセントよ、
    貧しい貧しい心のヴィンセントよ、
    今ここに、あなたが来たい来たいと言っていた日本で
    同じように貧しい心を持った日本人が
    あなたに、ささやかな花束をささげる。 
    飛んで来て、取れ。
 
日本にもあなたに似た絵かきが居た
    長谷川利行佐伯祐三村山槐多や・・・
そいう絵かきたちを、
ひどい目にあわせたり
それらの人々にふさわしいように遇さなかった
日本の男や女を私は憎む。
ヴィンセントよ!
あなたを通して私は憎む。

 翌日、東京に行く用事があり、六本木の国立新美術館で開催中の「没後120年 ゴッホ展」に出かけた。

 ゴッホと言えば、誰でも思い浮かべる「ひまわり」「自画像」を中心した展示でなかったのがおもしろかった。

独学の芸術家であったゴッホが、ミレーの影響を受けて「種まく人」を描く。長方形の枠に横糸、縦糸を張った「<パースペクティブ フレーム(遠近法の枠)」を使って模写を続け、ドラクロアの色彩理論を学んで「じゃがいもを食べる人々」を生みだし、補色を効果的に使うことを習っていく。

 こうした努力が南仏・アルルで花開き「アルルの寝室」「アイリス」など、色彩豊かな作品を登場させる。
 そして、サン・レミの療養所では、後にゴッホを英雄にした作品群を生みだした。

 「ゴッホは、最初から天才であったわけでない。努力の人だった」。そんなことが、素人の私にもなんとなく理解できる展示構成だった。

 関連本やグッズを販売するコーナーもけっこう混んでいた。「ゴッホ 日本の夢に懸けた芸術家」(圀府寺 司著、角川文庫)を買った。

 西洋美術を専攻する大阪大教授である著者は、あとがきで「ゴッホを特別な存在にしているもの、それは彼の手紙である」と書いている。現存するものだけでも、弟・テオ宛の約600通を含めて800通近くもある、という。

 もしファン・ゴッホの手紙が一通も現存しなかったとしよう。わたしたちはこの画家が何を考えてひまわりや農民や星空を描き、日本について何を思い、家族や友人、知人たちとどう付き合ったかということについて何も知ることができない。


 著者によると、「夜のカフェ・テラス」という作品について、ゴッホは妹・ウイルに宛てた手紙で、こう書いている。
 このごろぼくは星空をどうしても描きたいと思っている。ぼくは夜のほうが昼よりずっと色彩豊かだと思うことがある。もっとも強い紫や青や緑で彩られている。注意深く見れば、星にはレモン色のものもあれば、燃えるようなバラ色や、緑、忘れな草の青色のものもある。星空を描くのに、青黒い色のうえに小さな白い点々をおいただけでは不十分なことは言うまでもない。


 「坊主としての自画像」という作品について、ゴッホは「ぼくはまた習作として自分自身の肖像画を描いた。そこでぼくは日本人のように見える」という手紙を遺している。目は意図的に「日本人風につりあげた」という手紙も残っているという。アッと驚いてしまう。

 これらの手紙がどんな解説書より雄弁かつ貴重なことは明らかだ。

 国立新美術館のゴッホ展の副題は「こうして私はゴッホになった」とあった。

 どうも、これは5年前に発刊された「ゴッホはなぜゴッホになったか 芸術の社会的考察」(ナタリー・エニック著、三浦篤訳、藤原書店刊)という本を意識したものらしい。

 読売新聞の記事(2010年10月31日10月21日付け)に、この本について「没後に伝説化され、熱烈に礼讃されるまでを検証した」と書かれている。どうしても読みたくなり、雨の六本木や丸の内の大型書店を捜しまわったが、在庫なし。帰ってから、図書館でやっと借りることができた。

 ところがこの本、なんとも難解で・・・。

 序論には、こうある。
 今日、ゴッホという事例は「ブラック・ボックス」のひとつと化している。・・・狂気の虜になった偉大な芸術家、切られた耳、アルウ、アイリスとひまわり、弟テオ、悲劇的な死、呪われた画家、不遇の天才、周囲の無理解、売り立て記録の更新・・・。
 私たちが開けようとしているのはこのブラック・ボックスであり、その内容と形成過程を分析するのである。


 そこで著者が採用したのが、民俗学で使われる「参与観察」という手法。ゴッホにまつわる文書や発言、画像や行動の採集と観察を行った、という。

 そして「結論」として、こう書く。
 作品が謎と化し、人生が伝説と化し、人物の境遇がスキャンダルと化し、絵が売られて展示され、画家が立ち寄った場所、触れた事物が聖遺物と化すこと。ひとりの近代画家の列聖はこのようにしてなされる。・・・
 ゴッホの伝説は、呪われた芸術家という形象の創設神話である。


 最後の「訳者解題」は、もうすこし分かりやすい。
 生前無名のゴッホの作品は、死の直後に批評家たちからほとんど全員一致でその独創性を認められたが、一世代後には、ゴッホの生涯そのものが社会の無理解というモチーフの上に築き上げられた聖人伝説に再編成されてしまった。


 (著者)エニックが提起する仮設の刺激的なところは、この現象(ファン・ゴッホ現象)が芸術家の単なる「神聖化」には還元できず、かつて偉大なる犠牲者であった芸術家への罪障感に裏打ちされた償いの念こそが、現代社会に見られる集団的なゴッホ崇拝の基底にあると解析した点にある。

 聖人・ゴッホの作品はこれからも高騰を続け、そのうち美術館や好事家の"神殿"奥深く安置されて、我々が目にすることはできなくなるのかもしれない。

   

2010年3月16日

読書日記「インビクタス 負けざる者たち」(ジョン・カーリン著、八坂ありき訳、NHK出版)、「ジョン・ガブリエルと呼ばれた男」(イプセン原作、笹部博司著、メジャーリーグ刊)

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5 映画がさらによくわかる
5 期待以上のおもしろさ

 

 最近、クリント・イーストウッド監督の映画は見逃さないようにしている。
新作の「インビクタス」も、友人のブログ「人生道場ー独人房」で取り上げていたこともあって、さっそく見に出かけた。
実話の映画化にしてはドラマチックな展開で、引き込まれる作品だった。「これだけのストーリーなら原作本があるはず」と図書館の検索ページで探し、すぐに借りることができた。

 映画は、南アフリカのアパルトヘイト政策に反対する運動を続けてきたネルソン・マンデラが初代黒人大統領に就任した1994年から1年間に焦点を当てている。
 一方、原作はマンデラがまだ投獄されていた1985年から南アフリカのラグビー・ナショナルチーム「スプリングボクス」が自国で開催されたワールドカップで奇跡的な優勝をとげるまでの10年間を、詳細なインタビューを重ねて描いている。

 終身刑に服して23年がたったとき、マンデラは当時の司法長官、コビー・クッツエーヲ味方にすることを決意、看守のクリント・ブラントとも親しく付き合う。独房の責任者ファン・シッテルト少佐もにこやかな笑顔で接し、ついに公邸で大臣との面会にこぎつけ、持ち前の笑顔とユーモア精神を駆使して自由への一里塚を築いていく。

 マンデラが大統領になった時は、内戦が起こってもおかしくない政情不安が続いていた。対立が続く旧勢力の白人「アフリカーナ」と国民の大多数を占める黒人との対立をなんとか避けるため、公式行事ではこれまでの国歌「ディ・ステム」と、黒人国民の非公式国歌だった「ンコシ・シケレリ」を同時に演奏することや、白人中心のラグビー・ナショナルチームの存続を必死の説得で認めさせる。

  マンデラはある時、こう語っている。
 スポーツには、世界を変える力があります。人びとを鼓舞し、団結させる力があります。・・・人種の壁を取り除くことにかけては、政府もかないません。


 そして「スプリンボクス」のキャプテン、フランソワ・ピナールを公邸でのお茶に招いて信頼関係を築き、前回のワールドカップチャンピオン、オーストラリア戦を前に練習中のチームをヘリコプターで激励に行く。
 この戦いは君たちが祖国に貢献し、国民をひとつにするまたとない機会です。


 フランス戦は豪雨に見舞われた。その日の試合が行われなければ、規定によりフランスが勝者になる。前の試合でラフプレーをし、一時退場処分を受けた選手がいたのだ。
 軍の兵士が必死で整備にとりかかると、軍のヘリコプターも応援にかけつけ上空からグラウンドに風を送った。が、その日の窮状を救ったのは、モップとバケツを手にした大勢の黒人女性だった。


 最終のニュージーランド・オールブラックス戦の開始直前、南アフリカ航空(SAA)のボーイング747機がスタジアム最上席のわずか60メートル上空に飛んできた。機体には「Go Bokke(がんばれ ボクス)」と書かれていた。市当局、民間航空局などが綿密な事前協議をし、規則の適用を一時的に停止させた結果だった。
 観客の衝撃は歓喜に変わった。


 マンデラがチームのユニホームを着て、グラウンドに立った。白人のアメリカーナが叫んでいた。「ネルソン!ネルソン!」

 この国がひとつになった一瞬だった。

 チーム全員が、相手チームの巨漢、ジョナ・ロムにタックルで襲いかかって倒した。しかし、こちらもトライができない。延長戦、ドロップキップでやっと勝てた。

 キャプテンがカップをつかむと、マンデラは自分の手をピナールの右肩に置いた。・・・「フランソワ、君がこの国にしてくれたことに、心からお礼を言います」
 ピナールはマンデラの目を見て答えた。「いえ、大統領。あなたに、あなたがこの国にしてくださったことに、心から感謝します」


   今月のはじめ「ジョン・ガブリエルと呼ばれた男」という芝居を見た。新劇を見るのは、何年ぶりだったろうか。

 ある雑誌の新聞広告のなかで、主演の仲代達矢が「運命の出会いをした作品に挑み、過酷な人生を生き抜く覚悟です」と書いていたのに引かれた。

 ネットに載っていた仲代の言葉を見て、さらに興味がわいた。
 舌を巻いた!あまりの面白さに!
 最初の一行を目にした。気がつくと最後の一行にいた。
 短い時間の間に、とてつもない高みにいた。
 目眩がした。体が熱かった。
 本を読んで、そう感じることなど、そうあることではない。


 図書館で探してもらったが、イプセン全集にもこの脚本は収録されていなかった。結局、演劇プロジューサー兼脚本家の笹部博司が書いた表記の本をAmazonで買った。
解説も入れて、たった160ページの薄い文庫本で、価格は400円+税。森鴎外の翻訳を参照して書かれた今回の公演の上演台本だった。

 あっという間に読めたが、その内容は?と聞かれるとウーン・・・。
巻末に載っている仲代の言葉が分かりやすい。
 裸一貫でたたき上げ、我儘に一生自分の夢を追い続けた男の物語である。
 そのことが自分自身も、周りのすべての人間をもどんどん不幸にしていく。
 でも人生を途中でやめるわけにはいかない。
追い込まれれば、追い込まれるほど、その男は、強く激しく夢を見る。
この男のように夢を見ながら死んでいければと思った。

   3月7日(日)、兵庫県立芸術文化センター・中ホールの公演を見に行った。最後列の席だったから、コンサートやオペラを見に行く時の大型双眼鏡は欠かせない。

「夢を生きる男」ジョン・ガブルエル・ボルクマンは、もちろん仲代。ガブリエルの妻で「憎しみに生きる女」グンヒルが大空真弓、グンヒルの双子の妹で、ガブリエルを愛しながら裏切られた「愛を売られた女」エルラは十朱幸代、台本には書記となっている「誰でもない男」フォルダルは米倉斉加年

 たった4人の登場人物の真摯なからみあいが小さな舞台を大きく見せる。美術(伊藤雅子)も、作品のイメージに合ってなかなかよい。

 劇場を出て、舞台を思い出しながら宙を浮くように歩く。芝居見物の醍醐味だろう。