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2011年9月11日

紀行「ザ・ノグチ・ミュージアム(米国・ロングアイランド市、2011・8・18)


 この 美術館(ホームページに日本語解説)は、米国人を母、日本人を父にもつ彫刻家、 イサム・ノグチが、自ら財団を作って所蔵作品を集め、1985年に開設した。
 以前このブログに書いた 「イサムノグチ 宿命の越境者」(ドウス昌代著)や映画 「レオニー」(松井久子監督)にふれて以来、ここにはぜひ行きたいと思い続けてきた。

 当初は、ニューヨークに着いた2日目の14日(日)に、日曜だけマンハッタンから出る有料シャトルバスに乗るつもりだった。
 ところが、あいにく2カ月分の雨量が1日で降ったという大雨。ホテルに近い セント・パトリック教会 ニューヨーク近代美術館(MoMA)に行くだけで時間がなくなってしまった。

 やはり小降りにはなったが、雨がやまない16日(火)。地図では黄色で表示されている 地下鉄「N、Q線」に乗った。

以前は、ニューヨークの地下鉄と言えば、構内、車内での落書きや凶悪犯罪行為が続き評判が悪かった。20数年前にニューヨークに仕事で来た時も、1人で乗る勇気がなく、デトロイトからわざわざ出張名目で来てくれた大学時代の友人・Nに連れられて、こわごわ体験乗車したことを思い出す。

 マンハッタン・レキシントン通りの駅から4つ目。イーストリバーを越え、地上に出てすぐの駅名がなんと「ブロードウエー」。確かに、駅と直角に同じ名前の通りが走っていたが、あのニューヨークのミュージカルで有名な 「ブロードウエー」とは、まったく別の通り。「ブロードウエー(広い道)」は"目抜き通り"の意味らしく、米国各地にあるようだ。

   やっと雨が上がったこの通りを20分近く歩き、突き当たりを右折して2ブロック。自動車工場や倉庫に囲まれて、工場を改装したとは思えない一部レンガ造りの瀟洒な建物が、目指す美術館だった。できた当初、地元の人は「日本人の建てた別荘」ぐらいにしか思っていなかったらしい。

 小さな入口が、なぜか開かない?・・・。ぐるりと回って、事務所の鉄製ドアーをたたくと、出てきた小柄な女性が「今日は、サンクスギビング(休日)」と。月曜日が休館日だというのは確認して出かけたのだが、連休とは・・・。ブロードウエーをむっつり戻る。雨はすっかり上がり、暑い日差しが戻ってきた。「ああ、かき氷が食べたい」。入ったスーパーストアーで売られていたシャボテンの葉が気になった。

地上に出た地下鉄[N・Q線」;クリックすると大きな写真になりますブロードウエー駅;クリックすると大きな写真になります中庭にある石柱;クリックすると大きな写真になります石のくぐり戸;クリックすると大きな写真になります
地上に出た地下鉄[N・Q線」ブロードウエー駅中庭にある石柱(イサム・ノグチ美術館で)石のくぐり戸、リラックス!
目玉の石と松の木;クリックすると大きな写真になります水が流れる黒いつくばい?;クリックすると大きな写真になりますサボテンを売る駅前スーパー;クリックすると大きな写真になります
目玉の石と松の木(イサム・ノグチ美術館で)水が流れる黒いつくばい?(イサム・ノグチ美術館で)サボテンを売る駅前スーパー
 あきらめるつもりだったが、実質最終日の18日。「やはり、もう一度」と同行Mに肩を押され、再度「ブロードウエー駅」に降りた。

 入場料は、シルバー割引で5ドル。入ったとたんに「しだいに《石に取りつかれて》いった」(ドウス昌代)というイサム・ワールドが飛び込んで来る。

 大理石、玄武岩、花崗岩・・・。石だけではない。ステンレスや鋳鉄、角材、青銅、アルミ板など様々な材料を使った彫刻がゆったりと間隔を取って置かれている。自然光を取り入れた2階建て、延べ2500平方メートルの館内には、10室のギャラリーに分かれている。塑造や、ゆるやかなタッチで描かれた裸婦や猫の墨絵もある。

 それぞれの制作意図は分からなくても「ああ、この造形いいな」と思えるものがいくつもあり、なんだかほっとできる不思議な空間だ。

 1階からも2階からも自然に入り込める庭園が、また良い。松や竹、ニレのような大木を配置した石庭風の敷地に、大きな目玉をのぞき込みたくなる石柱や真ん中のくぼみから静かにあふれ出た水が壁面を流れ落ちる大きめのつくばいのような黒大理石。  イサム・ノグチは、日本に滞在していた時、昭和初期の作庭家、 重森三玲が造った庭を熱心に見て回った、という。

 その影響を確かに受けていることは感じるが、同時にアメリカの風土が持つカラリとした明るさもある。春には、コブシや枝垂れ桜も咲くらしい。

 この美術館の正式名は「イサム・ノグチ庭園美術館」。日本の四国・高松にあり、どうしても行ってみたいと思っている 「イサム・ノグチ庭園美術館」と同じ名前なのである。

 やっと朝から快晴になった17日(水)には、ニューヨークに来れば逃せない メトロポリタン美術館を訪ねた。それも、ニューヨークにいる娘が親しくさせていただいている方が、この美術館の友の会?メンバーで、我々をゲストとして無料入館させもらえるという。

 約束の午後1時前。美術館向かいの高級マンションらしい建物前の植え込みに座って娘を待つ。なんと、そのマンションの高層階が招待していただいたEさん一家の住まいだった。セントラルパークが一望できるお宅でお茶をごちそうになり、ご主人のご厚意という分厚い美術館ガイドまでいただいた。案内していただいた美術館入り口で、胸に付けるアルミ製の青いバッジを受け取る。お世話になりました、Eさんご一家。

 前回来た時にわけも分からずウロウロして、すっかり疲れたことを思い出し、見るのは2階の「ヨーロッパ絵画」に限った。

 ルノアールのゆったりした名品の数々。モネの「睡蓮」、ゴッホの名作が、これでもか、これでもかと押し寄せる。スーラ、ピカソ、マネ、ミレー、クールベ、ドガ、セザンヌ・・・。ウイーンでたっぷり見たクリムトも数作。
 「そうだ、フェルメールを見ていなかった」。ギャラリーを何度も行き来し、案内の人にたずねてやっと「水差しをもつ若い女」「若い女の肖像」「信仰の寓意」に出会えた。

 一休みしようと、屋上庭園カフエに出たが、暑い!周辺の摩天楼をカメラに収めただけで逃げだし、また2階をウロウロ。膨大な作品群に圧倒され、疲れはて、1階にある巨大なエジプト「デンドウ―ルの神殿」の奥にあるカフエにどっと座り込んだ。

 鉄鋼王のコレクションを集めた 「フリック・コレクション」も2度目だが、フェルメールの作品が3つもあるのは初めて知った。
ルノアール「シャンバンティエ夫人と子供たち」;クリックすると大きな写真になりますゴッホ「ひまわり」;クリックすると大きな写真になりますクリムトの作品;クリックすると大きな写真になりますミレー「干し草の山」;クリックすると大きな写真になります
ルノアール「シャンバンティエ夫人と子供たち」(メトロポリタン美術館で)ゴッホ「ひまわり」を初めて見た!(メトロポリタン美術館で)おなじみクリムトの作品(メトロポリタン美術館で)ミレー「干し草の山」(メトロポリタン美術館で)
フエルメール「若い女の肖像」レンブランド「自画像」(メトロポリタン美術館で)屋上庭園から見える摩天楼;クリックすると大きな写真になりますエジプト「デンドウール」の神殿;クリックすると大きな写真になります
フエルメール「若い女の肖像」(メトロポリタン美術館で)レンブランド「自画像」(メトロポリタン美術館で)屋上庭園から見える摩天楼(メトロポリタン美術館で)エジプト「デンドウール」の神殿(メトロポリタン美術館で)


 近代美術館(MoMA)では「ここでしか見られない」ことで評判のセザンヌ・「水浴する人」、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」だけでなく、アメリカ近代・現代を代表するポロックの「ワン;ナンバー31」、リキテンスタイン・「ボールを持つ少女」、ウオーホル作「ゴールド・マリリン・モンロー」にも初めて出会えた。いやー、満足、満足!
ピカソ「アヴィニヨンの娘たち」;クリックすると大きな写真になりますセザンヌ「水浴する人」;クリックすると大きな写真になりますウオーホル「ゴールド・マリリン・モンロー」;クリックすると大きな写真になりますリキテンスタイン「ボールを持つ少女」;クリックすると大きな写真になりますポロック「ワン;ナンバー31」;クリックすると大きな写真になります
ピカソ「アヴィニヨンの娘たち」(MoMAで)セザンヌ「水浴する人」(MoMAで)ウオーホル「ゴールド・マリリン・モンロー」(MoMAで)リキテンスタイン「ボールを持つ少女」(MoMAで)ポロック「ワン;ナンバー31」(MoMAで)


 19世紀の終わり、アメリカの世界的規模の美術館がないことを憂えた実業家たちの会合で、メトロポリタン美術館の開設を決めた時、建物はおろか、1点の絵画さえ所有していなかった、という。
 建国してたった200余りで世界トップクラスの所蔵を誇る美術館を持つ。アメリカという国のすごさを思う。

 9・11、10年を迎えた。訪ねた「グラウンド・ゼロ」では、記念公園の整備と新しい高層ビルが建設中だった。 br />
 テロとの抗争、ドルの価値低下、経済の低迷。アメリカが悩んでいる・・・。それだけ、各美術館に遺された作品群が輝きを増しているようにも思えた。

2011年1月17日

読書日記「イサム・ノグチ 宿命の越境者 上・下」(ドウス昌代著、講談社文庫)



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 このブログにも書いたが、昨年末に見た映画「レオニー」が、年が明けても尾を引いている。

 映画を見終えてすぐ、1階下の書店で表記の文庫本2冊を買った。日系2世のアメリカ人彫刻家、イサム・ノグチの詳細なドキュメンタリー伝記だ。読み終えて、この人最後の作品となったモエレ沼公園 をどうしても見たくなった。先週末、神戸空港からANA便に乗り、大雪の札幌に向かった。

 札幌郊外にあるこの公園は、海に近いだけ市街地より雪が多いらしい。JR札幌駅下の地下鉄で3駅、そこから約30分バスに揺られ、降りたバス停から方向も分からなくなるほど降る雪の中を約20分。やっと、この公園のシンボルである「ガラスのピラミッド」(愛称・HIDAMARI)に飛び込んでひと息ついた。

 事前に問い合わせたとおり、イサム・ノグチが長年温めていた構想がやっと実現した「プレイマウンテン(遊び山)」も、公式の地図にもちゃんと載っている札幌一低い人工の山「モエレ山」(標高62メートル)も雪ですっぽりおおわれていた。

 そのモエレ山で、子どもたちが喜々としてソリ遊びをし、カラマツの森の周りをスキーで歩いている人がいる。広い公園の雪の下には、ノグチが「閑(レジャー)を大切にする」というコンセプトでデザインした遊具や、サンゴに囲まれた池、噴水からの水が流れる運河が春まで眠っている・・・。

 ノグチ自身が「HIDAMARI」2階のギャラリーに置かれた映像施設で語っていた「地球そのものを彫刻する」という世界観をしっかりと実感できた雪見行だった。

 イサムは、日本人詩人・野口米次郎とアメリカ人の教師でありジャーナリストのレオニー・ギルモアの間で1904年にニューヨークで生まれた。2歳の時に母とともに来日するが、米次郎にはすでに日本人の妻がいた。イサムは生涯、私生児として生きた。

 《「バカ」「ガイジン」と毎日、罵られた。アイノコなのが、ただの外人よりよくないとされた。なぜだかよくわからずに、でも自分だけが他の子供たちの世界に属せないのを意識させられた》


 《結局、ぼくのような生まれには、帰属問題がつねについてまわる。それが問題とならないのは芸術の世界しかない。・・・芸術家には自分しかない。一人だけで何かを作りあげていく、孤独な世界だ。孤独の絶望からこそ、芸術は生まれる》


 19歳の時、母親に勧められて医学校を辞め、グリニッチ・ヴィレッジの近くにある美術学校に入る。校長は「初対面で、イサムのけた外れな天分を直感した。ミケランジェロの再来だと思った」

 イサムは雑誌インタビューで「創造の源泉となった力は?」と聞かれて《怒り》と答えている。
 《絶望と闘争ともいえる怒りだ。闘争こそ創造を刺激する源だ》


 彫刻家をめざしたとき、イサムを奮い立たせた怒りの根源には、父親米次郎の姿がある。自分に日本の国籍をあたえなかった父親への行き場にない愛憎が、イサムの野心に火を放つ。無断でノグチ姓を選ぶことで、自分の権利としての「日本人」を主張した。父親の姓を名乗ることで、イサムは自分の内部ではげしく燃える炎を、逆に生きるエネルギーに置き換えようとした。


 イサム・ノグチの作品を生みだす、もう一つのエネルギーは、その豊潤かつ怒涛のような女性遍歴だったのかもしれない。

 著者は、イサムが愛した女性たちをくわしく記述している。画家、舞踏家、女優、美術評論家、作家、インド・ネール首相の姪ナヤンタラ・・・。メキシコの画家、フリーダ・カローラと密会しているのを夫のリベラに見つかり「屋根越しに逃げるイサムをリベラがピストルを手に追いかけた」。そして、女優山口淑子との結婚と離婚。

 イサムが京都にくれば顔をあわせた佐野藤右衛門は、イサムの作品の「色気」に感心して、あるとき「あんないい色、どこから出すんや」と尋ねた。「このおなごから」とイサムは真顔でそのとき一緒にいた若い女性を指さした。


 数多くの彫刻、庭園設計で評価を高めていったイサムは、しだいに《石に取りつかれて》いく。

 石の本性は重さにある。重力と闘うのは「離れ業」である。・・・最も深遠な価値は各材料本来の性質のなかにこそ見出されるべきだ。いかにして、これを壊すことなく変貌せしめるか!》


倉敷・大原美術館の庭園にあるイサム作品;クリックすると大きな写真になります
昨年末に訪ねた倉敷・大原美術館の庭園にあるイサム作品、「山つくり」とあった
 現在、アメリカ美術界でイサム・ノグチという日本名をもつ彫刻家について語られるとき、「ノグチの本領」として評価されるのは、晩年の約二十年間に制作した石彫である。「彫刻に自然を取り入れた」とも評されるユニークな石の彫刻は、すべて牟礼の仕事場で制作されたものである。


 石工からスタートしてイサムに育てられた彫刻家、和泉正敏との出会いである。

 高松市牟礼にある「イサムノグチ庭園美術館」、ニューヨーク・ロングアイランド市の「the Noguchi museum」・・・。「イサム・ノグチへの旅」を続けたい思いがつのる。

▽参考にしたWEBページ 「ISAMU NOGUCHI PRIVATE TOUR」

ガラスのピラミッド;クリックすると大きな写真になりますモエレ山;クリックすると大きな写真になりますイサム作の黒御影の滑り台;クリックすると大きな写真になります北海道神社;クリックすると大きな写真になります
モエラ沼公園のシンボル「ガラスのピラミッド」は、半分雪に埋もれていたピラミッドから見たモエレ山。午後から雪もやみ、雪遊びの人々が増えた札幌・大通り公園にあるイサム作の黒御影の滑り台。雪まつりの準備で、立ち入り禁止だった最終日に訪ねた北海道神社。第二鳥居の前にあるフレンチの「モリエール」でランチを堪能、前日夜は南3条の「oggi」でイタリアンを。同行3人がプレゼントしてくれた思いもよらない古希記念の"口福"