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2015年8月31日

読書日記「石牟礼道子全句集 泣きなが原」(石牟礼道子著、藤原書店)

石牟礼道子全句集 泣きなが原
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 4大公害病と言われた 水俣病を告発した「苦海浄土」の著者が、40数年にわたってこつこつと詠んできた全句集がでた。

 著者の句集が生まれるまでには、2人の俳人の努力があったことが、この全句集を読み進むとわかってくる。

祈るべき天とおもえど天の病む


 大分県九重町に生まれた俳人、故・穴井太が、新聞の学芸欄でなにげなく、この句を主見出しに採った石牟礼道子の原稿を見つけたのは、昭和48年の夏だった。

 「水俣病犠牲者たちの、くらやみに棄て去られた魂への鎮魂の文章であった」と穴井は思った。

 地中海のほとりが、ギリシャ古代国家の遺跡であるのと相似て、水俣・不知火の海と空は、現代国家の滅亡の端緒の地として、紺碧の色をいよいよ深くする。たぶんそして、地中海よりは、不知火・有明のはとりは、よりやさしくかれんなたたずまいにちがいない。


 
 そのような意味で、知られなかった東洋の僻村の不知火・有明の海と空の青さをいまこのときに見出して、霊感のおののきを感じるひとびとは、空とか海とか歴史とか、神々などというものは、どこにでもこのようにして、ついいましがたまで在ったのだということに気付くにちがいない。


穴井は、こう思った。

「『神々などというものは、ついいましがたまで在った』という石牟礼道子さんの思いの果てが、やがて断念という万斛(こく)の想いを秘めながら『祈るべき天とおもえど天の病む』という句へ結晶していった」

穴井は、九重高原・涌蓋(わいた)山の山麓にある、通称「泣きなが原」という草原での吟行に石牟礼を誘った。

死におくれ死におくれして彼岸花


三界の火宅も秋ぞ霧の道


死に化粧嫋嫋(じょうじょう)として山すすき


前の世のわれかもしれず薄野にて


そのとき高原は深い霧につつまれ、深い闇につつまれていた。

  穴井は、この後、断わりもせずに作った石牟礼の句集「天」の編集後記に、こう書いた。

「裸足になって歩き出した石牟礼さんを、『泣きなが原』のお地蔵さんが、しきりに手招きしていたようだ」

 2015年2月。女流俳人で、日経俳壇の選者でもある黒田杏子(ももこ)は、東京で開かれた「藤原書店二五周年」会に招かれ、会場に並べられている石牟礼の対談集を求め、会場の一隅で一挙に読了した。

 
 これまで人間が長年かけてつくりあげてきた文明は、結局、金儲けのための文明でしかないようです。いま日本では、金儲けが最高の倫理になっておりますが、それをふり捨てて、もっと人間らしい、人間の魂の絆を大切にする倫理を立て直さなければ、いまの文明の勢いを止めることはできません。


 この後、黒田杏子は、藤原書店の社長に「句集『天』はまぼろしの名句集となっています。石牟礼さんの全句集を出して下さい」と直訴した。二日後、発刊決定の電話があった。

 黒田は、石牟礼の句のなかでも、「「祈るべき天とおもえど天の病む」に並んで、次の句が心に沁む、という。

 
さくらさくらわが不知火はひかり凪


 石牟礼が84歳の誕生日を迎えた、5年前の3月11日。地震と津波が東北を襲った。

 石牟礼は、水俣と同じことが福島でも起こる。「この国は塵芥のように人間を棄てる」と思った。

 
毒死列島身悶えしつつ野辺の花


2014年1月 8日

読書日記「冬虫夏草」(梨木果歩著、新潮社刊)

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 この年末、年始を読書三昧で暮らそうと、昨年末にかなりの本を買い込んだり、図書館で借りたりした。しかし、そのほとんどは本棚に収まったり、図書館に返されたりして、読み終えたのはほんの数冊。表題書はその1冊だ。

 自分のブログを検索してみたら、梨木果歩の著書、訳書のことを書くのは,今回でなんと6冊目。たぶん同じ著者では最多だろう。児童書、ファンタジーに分類されることが多い著書に、前期高齢者のじじいが飛びつくのもいかなるものかという気がしないでもないが、この人の名前を見ると読みたくなるのだからいかんともしがたい。

 表題書は、2004年に発売されて2005年の本屋大賞3位に入った家守綺譚 (新潮文庫)の続編。

 各章に木々や草花の名前がつけられているという構成も、綿貫征四郎という物書きが、行方不明になった友人・高堂の父親に頼まれた庭付き、池付きの一軒家に住み、自然界の「気」と交流するという筋書きも、約100年前の話しだという時代設定も引き継がれている。

 読んでいて、なんとなくホッとするのは、本のあちこちに出てくる植物についての記述だ。出てくる草花のほとんどを自宅に植えているという著者の真骨頂だろう。

 
 まだ赤茶が障った、芽吹いたばかりのの新芽が、午前の陽の光につやつやと光っている。
 思わず摘みとって口に入れたくなる。だがそう思うだけで摘みとりもしないし、口に入れもしない。入れたら苦いだろう。その苦さがいやだというのではない。春の雅趣があるだろう。が、察するだけで、今は充分だ。


 
 翌朝は打って変わって、雲一つ無い晴天。庭に出ると、ぽつぽつと、あちこちに薄青の、雨の名残のような滴が残っている、と見れば、それは露草であった。
 露草が湖面のような垂日をたたえて、いっせいに花開いた、今年最初の朝であった。 昨日の雨はこの青を連れてきたのかと合点する。


 
 帰りは久しぶりに吉田山を越えた。頂上近く、稲荷社に向かう参道には、列なす鳥居の足下に、延延と彼岸花が咲いていた。それが風に揺れるさまは、まるで松明の焔が揺らぐよう、道行きの覚悟を迫りながら辺りを照らしているかのようだった。しかしそれはあの気味の悪い稲荷社へ行く者へ迫る覚悟だろう。


 
 ――あの花は、なんというのですか。
 薄茶の繊細な造りの花が、まるで野辺のタンポポのように辺りに群生をつくっていた。
 ――あれは マツムシソウです。私の一番好きな花。西洋の天国の夢のようでしょう。それからあの雲。あの雲は、まるで大礼の烏帽子を被った神官のよう。


 表題の「冬虫夏草」については、訪ねて来た大学時代の友人で、菌類の研究者である南川が説明してくれる。

 
 ――サナギタケとは何だい。
 ――冬虫夏草だよ。漢方では珍重されている薬になる。だが、漢方で使う本物は支那の奥に棲みついているコウモリガの蛹の変化した物だ。こんなところで出るのは別種のやつだ。
 それがこの辺りで異常なくらいに大発生しているのだ。それも、冬虫夏草には違いないがね。


 死んだはずの高堂も時々、前著と同じように床の間の掛け軸の向こうからやって来る。

 
 ――おどかすな。来たら声をかけろ。・・・
 ――秋も老いた。 と(高堂は)呟いた。秋がオータムの秋であることを了解するのに暫し時間を要した。
 ――秋も老いるかね。秋が老いたら、冬ということではないか。
 ――いや、まだ冬ではない。秋が疲れているのだ。家の垣根の隅で、野菊の弱弱しく打ちしおれているのに気づいていないか。


 自然の「気」にもしばしば出会う。

  
 夜半、ふと水音のした気がして目が覚めた。
 起きて勝手へ行くと、だいぶ傾いた月の明かりが吹き抜けの高い窓から差していて、流しに置いたままにしていた木地皿を照らしていた。よく見ると、皿の真ん中が波紋のように揺らいでいる。目をこすってさらによく見ると、そこから小さな魚がちゃぼんと跳ね、再び皿のなかに吸い込まれて消えた。消えた後はいつもの皿に戻っている。・・・
 「水の道があるのだ」
 南川が云った言葉を思い出した。


 行方不明になった飼い犬のゴローを見つけに鈴鹿の山中に分け入り、河童の少年や風に乗って飛ぶ天狗に出合い、イワナの夫婦がやっている安宿に泊まり、いくつもの不思議な体験をする。

 イワナの夫婦は急に立ち去ることになり、宿屋は河童の少年とふもとの宿屋で仲居をしている母親の河童と一緒に山に行ったまま帰らない父親を待つことになる。

 さらに山深く分け入り、竜神の滝という壮大な瀑布に見入る。
 高堂はこの滝に消え、ゴローは高堂を助けてなにかの役目をはたしていたらしい。  向こう側の斜面に動くものを見つける。

 
 大声で、ゴローと叫ぶ。・・・斜面を駆け下り、渕に飛び込んで走って来る。・・・
 来い。
 来い、ゴロー。
 家へ、帰るぞ。


 (おわり)

 (追記)

   2008年に著者の本 「西の魔女が死んだ」のことを書いたブログでふれた「家守綺譚の植物アルバム」のURLが変わっていた。
 相変わらず、すばらしい木々や草花の写真集だ。近いうちに「冬虫夏草の植物アルバム」もUPされることを期待したい。