読書日記「歳月」(茨木のり子著、花神社)
茨木 のり子
花神社
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温度の高い言葉かつて若かった私達も
亡き夫への鎮魂譜
なにかの書評で、この詩集のことを読んで気になっていたが、うまく見つけられずにいた。宮崎 駿監督が推奨していた、茨木のり子の「詩のこころを読む」はこのブログにもちょっと書いたが、同じブログに書いた「詩と死をむすぶもの」 で、谷川俊太郎が絶賛しているのを見つけ、図書館に飛んでいった。
谷川俊太郎はこの本のなかで、共著者の徳永進医師に、こう問いかけている。
「茨木のり子さんの最新詩集『歳月』を読みましたか?夫の三浦さんが一九七五年五月に亡くなってから、三十一年にわたって茨木さんは四〇篇近い詩を書き溜め、それらを生前は筐底深く秘めていて出版されなかった、それが本になったんです。茨木さんの人間としての、女性としての最良の部分が言葉になったという印象です。詩とそれを書いた詩人とのあいだに、邪なものは何ひとつ存在しない。詩と詩人の幸せで誠実な一致。詩を基本的にフイクション、少々シニカルに言うと美辞麗句、巧言令色などと考えているぼくにとってはいい薬です」
読み始めて、一篇ごとに、最近はあまり感じなくなった戦りつが何回も走った。
この詩集を書評めいて書く力は、私にはない。著作権にふれるのだろうが、数篇をただここに書き写すことしかできない。
一人のひと
ひとりの男(ひと)を通して
たくさんの異性に逢いました
男のやさしさも こわさも
弱々しさも 強さも
だめさ加減や ずるさも
育ててくれた厳しい先生も
かわいい幼児も
美しさも
信じられないポカでさえ
見せることもなく全部見せて下さいました
二十五年間
見ることもなく全部見てきました
なんと豊かなことだったでしょう
たくさんの男(ひと)を知りながら
ついに一人の異性にさえ逢えない女(ひと)も多いのに
ひとりの男(ひと)を通して
たくさんの異性に逢いました
男のやさしさも こわさも
弱々しさも 強さも
だめさ加減や ずるさも
育ててくれた厳しい先生も
かわいい幼児も
美しさも
信じられないポカでさえ
見せることもなく全部見せて下さいました
二十五年間
見ることもなく全部見てきました
なんと豊かなことだったでしょう
たくさんの男(ひと)を知りながら
ついに一人の異性にさえ逢えない女(ひと)も多いのに
夢
ふわりとした重み
からだのあちらこちらに
刻されるあなたのしるし
ゆっくりと
新婚の日々より焦らずに
おだやかに
執拗に
わたしの全身を浸してくる
この世ならぬ充足感
のびのびとからだをひらいて
受け入れて
じぶんの声にふと目覚める
隣のベッドはからっぽなのに
あなたの気配はあまねく満ちて
音楽のようなものさえ鳴りいだす
余韻
夢ともうつつともしれず
からだに残ったものは
哀しいまでの清らかさ
やおら身を起し
数えれば 四十九日が明日という夜
あなたらしい挨拶でした
無言で
どうして受けとめずにいられましょう
愛されていることを
これが別れなのか
始まりなのかも
わからずに
ふわりとした重み
からだのあちらこちらに
刻されるあなたのしるし
ゆっくりと
新婚の日々より焦らずに
おだやかに
執拗に
わたしの全身を浸してくる
この世ならぬ充足感
のびのびとからだをひらいて
受け入れて
じぶんの声にふと目覚める
隣のベッドはからっぽなのに
あなたの気配はあまねく満ちて
音楽のようなものさえ鳴りいだす
余韻
夢ともうつつともしれず
からだに残ったものは
哀しいまでの清らかさ
やおら身を起し
数えれば 四十九日が明日という夜
あなたらしい挨拶でした
無言で
どうして受けとめずにいられましょう
愛されていることを
これが別れなのか
始まりなのかも
わからずに
歳月
真実を見きわめるのに
二十五年という歳月は短かったでしょうか
九十歳のあなたを想定してみる
八十歳のわたしを想定してみる
どちらかがぼけて
どちらかが疲れはて
あるいは二人ともそうなって
わけもわからず憎みあっている姿が
ちらっとよぎる
あるいはまた
ふんわりとした翁と媼になって
もう行きましょう と
互いに首を絞めようとして
その力さえなく尻餅なんかついている姿
けれど
歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの
真実を見きわめるのに
二十五年という歳月は短かったでしょうか
九十歳のあなたを想定してみる
八十歳のわたしを想定してみる
どちらかがぼけて
どちらかが疲れはて
あるいは二人ともそうなって
わけもわからず憎みあっている姿が
ちらっとよぎる
あるいはまた
ふんわりとした翁と媼になって
もう行きましょう と
互いに首を絞めようとして
その力さえなく尻餅なんかついている姿
けれど
歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの