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2017年6月 7日

人形町・水天宮・門前仲町 5月16日

あれは東日本大震災の年だったと思う。古希を迎えた小学校の同級生で、クラス会を行った折に、これからは半年に一度は会う機会を作ろうかということにして、もう、5年が過ぎた。前回集まった時に、次回は人形町の「玉ひで」さんの親子丼を食べたいとの意見が出た。私も以前に2~3回並んで順番を待って「玉ひで」の親子丼を食べたことがある。しかし、まとまって座って、ちょっとゆっくりしたいとなると、並んで待って、食べ終わったらすぐ出るというのでは落ち着かない。「親子昼膳」を予約して席を確保することにした。
 いつものクラス会は8名~10名くらい集まるのだが、今回は参加者が6人と少なかった。しかもひとりが日にちを勘違いしてドタキャンになった。幸いキャンセル料は勘弁していただいたが・・・
  食後の腹ごなし散策のこともあるので、私は少し早めに行って、人形町界隈を歩いてみることにした。横浜から人形町へは京浜急行、都営地下鉄浅草線直通で乗り換えなしで行けた。
 人形町駅で下車、まず、久松町の方へ歩いてみる。そこから浜町へ。甘酒横丁を通って、人形町へ戻ってきて、クラスメートと落ち合った。
 「玉ひで」さんでは、江戸の古地図の屏風が置かれた落ち着いた椅子席に案内された。親子丼は旨かった。
 「玉ひで」を出て、安産はもう関係ないが、まず水天宮へお参りした。すっかり新しくなっている。
 男3人、女2人の一行は、水天宮から地下鉄半蔵門線に乗って清澄白河で都営大江戸線に乗り換え門前仲町へ。深川不動堂、富岡八幡宮にお参りし、喫茶店でしばし話に花を咲かせた後、次回の約束をして解散となった。

1.明治座
人形町から久松町へ出て、久松町の交差点を右に曲がり、清州通り進むと、こののぼりが見えてきた。明治座だ。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/320秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2.新しくなった明治座
​明治座がこのビルに入ったのは1993年だ。wikipediaによると、​明治時代からの長い歴史を持つ「日本橋明治座」は、「銀座歌舞伎座」「新橋演舞場」「お堀端帝劇」などとともに、東京を代表する劇場として親しまれてきた。​1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で焼失した明治座は、その残骸をむき出しのまま放置されていたが、地元有志の間で明治座復興の気運が盛り上がり、​​​​​​再建され​​​​​​1950年(昭和25年)11月30日に開場に漕ぎ着けた。1993年には、再開発で建て替えた賃貸オフィスビルの浜町センタービル低層階を占める形となっている。​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/400秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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3.玉ひで
明治座から甘酒横丁を人形町方面に戻る。5月21日、TV番組の「路線バスの旅」で徳光和夫さん、伍代夏子さん、田中律子さんが、この通りを歩いていた。人形町通りを渡って少し行くと、この日親子丼を食べる「玉ひで」さんだ。予約をしておいたので、落ち着いた部屋の椅子席で「親子昼膳」を食べながらのひと時を過ごした。旨かった。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f3.1 1/800秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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4.水天宮
「玉ひで」を出て、まず、水天宮にお参りする。水天宮も新しくなっている。wikipediaによれば、江戸鎮座200年記念事業として社殿の建て替えを行った。それに伴い、平成25年(2013年)3月1日から平成28年(2016年)4月7日までの間は、日本橋浜町の明治座そばに仮宮(位置)が設けられていた。これは少なくとも、昭和40年代初期に嵩(かさ)上げ工事をして二階建てとなって以来、ほぼ半世紀ぶりの遷座である。平成28年4月8日より新社殿への参拝者の受け入れを開始したとある。このコンクリートの階段がいわば参道なのだろう。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f3.​5​​​​​​​ 1/80秒 ​6​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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5​.水天宮新社殿​
白木を基調とした神社建築様式を取り入れ​​​られている​​​。また代々受け継がれている伝統文化の錺金具や彫刻等も施されている​​​。免震構造など最新技術を用い、古きよきものと新しきものを取り入れた、時代に即した社殿という。安産、​子授けはもはや関係ないがお参りをした。ここが、福岡勤務時代に訪れたことがある福岡県久留米市の久留米水天宮の分社とは知らなかった。​​​​​​​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​7​​​​​​​ 1/400秒 ​7​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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6.水天宮 子宝犬
周囲を取り巻く十二支のうち自分の干支を撫でると安産、子授け、無事成長など様々なご利益があるのだそうだ。​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​7​​​​​​​ 1/320秒 ​7​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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7.深川不動堂入り口
水天宮前から地下鉄半蔵門線(東京メトロ)に一駅乗り、清澄白河で都営大江戸線に乗り換え、また一駅乗って門前仲町で下車した。永代通りの朱塗りの門を入ると深川不動堂の参道だ。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​1​​​​​​​ 1/640秒 ​4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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8.深川不動堂 旧本堂とわらじ願掛け
深川不動堂は、真言宗智山派の寺院であり、千葉県成田市にある成田山新勝寺の東京別院である。正面に見えるのは旧本堂で、前本堂が東京大空襲で焼失した後、千葉県本埜村(現・印西市)の龍腹寺の堂(文久3年・1863年建立)を移築して本堂としたもので、昭和25年(1950年)に移築が完了、翌年に落慶法要が営まれている。旧本堂の西側(写真では左側)にある外壁に梵字(不動明王真言)を散りばめてある建物が現在の本堂で、開創310年を期に平成23年(2011年)に完成したそうだ。境内に足を踏み入れて目立つのは巨大なわらじだ。​​​​​​​​​​これには願かけの絵馬やわらじが無数にぶら下げられていた。​​​​​​​この巨大なわらじは本堂に登る​石段​​​​​​の両側にあり大変目立​​​​​​​​​​​つ。靴を脱いで旧本堂に​​​上がって、およそ10,000体のクリスタル五輪塔が祀られている「祈りの廻廊」、4階にある天井画「大日如来蓮池図」、そして本堂で行われていた護摩行を見学した。​​​​​​​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​7​​​​​​​ 1/500秒 ​7mm ISO100 ) 露出補正 なし
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9.深川開運出世稲荷
境内に成田山開運出世稲荷の分霊である稲荷社があった。「荼枳尼天尊」の扁額がかかっている。よく判らないが、狐が玉のようなものを咥えている。反対側の狐も何かを咥えている。狛犬と同様に社殿に向かって右(上座)が口を開いた「阿(あ)」であり、左(下座)が口を閉じた「吽(うん)」と言われるがここのは左右同じように見える。稲荷神社の狐は玉のほかにも鍵や鎌や稲穂を咥えた狐もいて、いくつかのバリエーションがあるようだ。 ​​​​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​1​​​​​​​ 1/​640​​​​秒 ​4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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10.富岡八幡宮 分社
深川不動堂を出て左へ行き、富岡八幡宮の鳥居をくぐって境内に入る。その左手にひっそりとこの分社があった。左から、富士浅間社、金刀比羅社、大黒社、恵比寿社、鹿島神社、大島神社とある。正面から入るとここは境内の一番奥になる。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​3​​​​​​​ 1/​160​​​​秒 ​5mm ISO100 ) 露出補正 なし
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11.富岡八幡宮 本殿
本殿は改修中だった。本年例大祭までを完成目標として、外壁等の塗り替えを中心に、本殿、南参道鳥居、西参道鳥居の修繕工事が行われていた。​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4.4​​​​​​​​ 1/​250​​​​秒 ​12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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12​.日本一の御神輿
一の宮神輿と二の宮神輿があるが、この一の宮神輿の方が大きい。​​​​​説明板などによると、富岡八幡宮にはもともと、江戸、元禄時代に深川に屋敷があった紀伊国屋文左衛門​​より、三社託宣に因み、八幡造り、神明造り、春日造りの三基三様の神輿が奉納され、みこし深川と言われてきたが、大正12年の関東大震災で惜しくもそのすべてを焼失した。長い年月、宮神輿がなかったが平成になり、昔に優るとも劣らない豪華なお御神輿が復活した。日本最大の神輿と言われている高さ4.4メートル重さ4.5トン、随所に純金・宝石が散りばめられた絢爛豪華な一の宮神輿が平成3年(1991年)に奉納された。神輿の最上部の鳳凰や中段の狛犬のダイヤモンドの目は光り輝いており、非常に豪華な作りになっている。一の宮神輿は非常に大きすぎて担ぐ事が出来ないということで、1997年(平成9年)に、この一の宮神輿の右側に置かれている二の宮御輿が作られ御本社祭りの際担がれる様になった。こちらは一回り小さいが、それでも高さ3.3メートル重量2トンもある。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​3.1​​​​​​​​ 1/​60​​​​秒 ​4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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13.木場の木遣りの碑
富岡八幡宮の正面まで来た。大関力士碑があり、横綱力士碑は本殿の横にあるとあったので、先にそちらを見に行こうと東参道へ入るとこの木遣りの碑(角乗り碑)があった。「木場の木遣り」の発祥は古く、現存の文献によれば、既に慶長初期の昔に行れている。当時、幕府のお船手の指図で、伊勢神宮の改築用材を五十鈴川より木遣りの掛け声で水揚げをした、とある。元来、神社仏閣の鳥居や大柄な用材を納める場合には木場木遣り特有の「納め木遣り」が用いられ、保存会により今日に伝えられている。元禄の始めには、武家屋敷の並ぶ両国の七つ谷の倉の間部河岸という所で3代将軍家光公に筏の小流し(さながし、筏組)、角乗り、木遣りをご覧に入れ、以後年中行事となった。この時、川並みという言葉が発祥したと伝えられる。 江戸の昔より正月2日から7日に掛け木遣りにて初曳きし、材木屋さんに売り捌くのを年中行事としていた。これはブログ「東京都江東区の歴史」より引用させていただいた。また、「東京ぐるり」というブログを見ると、木材の町「木場」は、江戸時代より昭和50年「新木場」に移転するまで約270年間木材産業の町として栄えた。江戸材木置場は、寛永18年(1641年)、明暦3年(1657年)の大火後、永代島に集中移転し木場と称した。元禄14年(1701年)現在の木場に移転以来270年間、木場は繁栄を続けた。昭和51年夏までに大半の材木業者が夢の島の新木場に移転したとあった。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.1​ ​​ ​1/60秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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1​4.七渡神社
弁天池の真ん中の道の向こうに七渡神社がある。立てられれていた説明板には、「七渡神社は八幡宮御創建以前よりお祀りされ、八幡様の地主神として七渡弁天さまと尊ばれて参りました。あわせてお祀りされる粟島神社は女性の守り神として2月8日に献針祭(針供養)が行われます。」と記されていた。​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​3​​​​​​​ ​1/​8​0秒 ​5​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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15.横綱力士碑
目当ての「横綱力士碑」は改修中の本殿の東側にあった。富岡八幡宮のホームページによると、富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名である。江戸時代の相撲興業は京・大阪から始まるが、 トラブルが多くしばしば禁令が出た。その後禁令が緩み、貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許された。その地こそがこの富岡八幡宮の境内だった。以降、約100年間にわたって本場所が境内にて行われ、その間に定期興行制や番付制が確立されたそうだ。そののち本場所は、本所回向院に移っていくが、その基礎は富岡八幡宮において築かれ、現在の大相撲へと繋がっている。明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑がここに建立された。そして新横綱誕生時には相撲協会立会いのもと刻名式が行われ、新横綱の土俵入りが奉納される。また両側には伊藤博文、山県有朋、大隈重信といった賛同者の名が刻まれており、広く各界から協賛を得て建立されたことを物語っている。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​3​​​​​​​ ​1/​8​0秒 ​5​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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16.大関力士碑
こちらは富岡八幡宮の正面、大鳥居をくぐってすぐ右手に歴代大関を顕彰するために建立された 「大関力士碑」がある。この碑は明治の頃に、9代目市川団十郎と5代目尾上菊五郎により寄進されていた2基の仙台石を活用し、初代大関雪見山から2014年3月に引退した琴欧州まで歴代大関114名の四股名が彫り込まれている。(大関に在った力士が引退した時にその四股名が彫り込まれるとのこと) ​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​1​​​​​​​ ​1/​8​0秒 ​4​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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1​7.スカイツリー
富岡八幡宮のお参りの後、喫茶店でしばし昔話を楽しんだ後、クラス会は解散になった。みんなは門前仲町から地下鉄に乗ったが、私は人形町まで歩くことにした。永代通りを永代橋に向け歩く。途中、福島橋から右手に御船橋、緑橋、そしてその向こうにスカイツリーが見えた。​

​​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f5.6​​​​​​​ ​1/​125秒 3​4​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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18.永代橋
墨田川にかかる大きな永代橋を渡る。永代橋は、元禄年間に「深川の大渡し」に代わって架けられ、佐賀町付近(現在の佐賀一丁目付近)が昔、永代島と呼ばれていたため、永代橋と名付けらた。現在の橋は、1926年に架けられたもの。1897年に、道路橋としては日本で初めて鉄が使用されたが、床が木製だったため関東大震災で焼損し、震災復興橋として現在の姿となったそうだ。

​​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6​​​​​​​ ​1/​125秒 3​4​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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19.佃島タワー・マンション群
永代橋の左側(南側)には、墨田川の向こう、佃島エリアの高層マンション群が聳える。高層マンションは8棟あり、大川端リバーシティ21と呼ばれている。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5​​​​​​​ ​1/​125秒 ​22​​​​​​​​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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20.人形町からくり櫓
永代通りを新川1丁目で右に曲がり、湊橋を渡って、東京シティ・エア・ターミナルに出た。そこを左に水天宮の方へ進む。そして人形町通りを人形町交差点へと進む。その人形町通りに「人形町からくり櫓」があった。時間になると人形たちが生き生きと動き出し、道行く人々の目を釘付けにするという。こちらは「江戸落語からくり櫓」で、道の反対側には「江戸火消しからくり櫓」があった。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.7​​​​​​​ ​1/​125秒 ​7​​​​​​​​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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21.鉄造菩薩頭
この寺は大観音寺という。鎌倉の新清水寺にあった鋳鉄製の観音像が鎌倉時代に火災に遭い、後に頭部のみが掘り出され、その後鶴岡八幡宮に安置されていたが、神仏分離令により現在の大観音寺に遷座となったそうだ。それが明治9年のことで、安置されているここ大観音寺は明治13年に建立された。鉄造菩薩頭は関東に現存する中世に造立されたものの中でも特に優れていることから、昭和47年に東京都有形文化財に指定された、といったことが中央区教育委員会の立て札に記されていた。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.7​​​​​​​ ​1/​30秒 ​7​​​​​​​​mm ISO400 ) 露出補正 なし
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2014年11月11日

江戸東京博物館 10月31日


 この日、上野の「藪蕎麦」で大学で同じクラス、そして卓球部でも同じ釜の飯を食った友人二人と飲もうと約束をしていた。この仲間とは年に一二度、「藪蕎麦」で飲む。初めはあと二人、卓球部ではないが同じクラスの仲間がいて、五人組だった。だが、その二人は、70歳を前に既に亡くなられてしまった。

  上野「藪蕎麦」は夕方5時に予約を入れていた。それまでの時間、久しぶりに上野方面へ出かけるので、江戸東京博物館へ行ってみることにした。実は前々日に、神奈川県立歴史博物館を見学した折、そこに張られていたポスターで、「東京オリンピックと新幹線」と「モダン都市銀座の記憶」という二つの企画展が江戸東京美術館で開かれているのを知り、是非、見たいなと思っていた。

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  3時少し前に、両国駅に着き、江戸東京博物館へ向かった。
  江戸東京博物館へは2010年9月に「大昆虫博」を見るために訪れている。その時は、常設展など他の展示はほとんど見ていない。

さて、シニア半額のチケットを購入し、中に入る。まず、3階の「東京オリンピックと新幹線」の企画展へ。残念ながら撮影は禁止だった。新幹線が開業し、東京オリンピックが開催されたのは私が、学校を卒業し、社会人となった年だった。これを契機として東京の街がどんどん変わっていくのを思い返さずにはいられない。

  「東京オリンピックと新幹線」の企画展を見終えて、6階の常設展へと向かう。「モダン都市銀座の記憶」へは常設展の入場券で入れる。まず、常設展を見て歩いたが、なかなか素晴らしい展示であった。スケールも大きい。6階の入り口から入り5階と吹抜けになっているところから見る、日本橋や、中村座の大きな模型には目を見張る。ここは、写真撮影がOKだったので、いろいろと撮って歩いた。フラッシュを使ってよいところは、フラッシュOKの表示もある。

  最後に、写真家・師岡宏次さんの写した50年「モダン都市銀座の記憶」を見た。子供のころに見た銀座の街を断片的ではあるが、思い出す。

 4時半に江戸東京博物館を退出し、総武線、山手線に乗り、上野に急いだ。約束の5分前に到着。二人もすぐに顔を見せ、飲み始めた。お開きにしたのは、このお店の閉店時間、9時だった。帰りの電車は運よく座ることができ、気がついたらノン・ストップ?で横浜に着いていた。
  江戸東京博物館に関わる記述は、そのパンフレットやホームページを参照させていただいた。

1.両国駅
この駅舎は1929年に完成したというのだから、もう古い。やがて建て直しをしなくてはならないだろう。両国国技館は目の前にある。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 6mm ISO200 ) 露出補正 なし
両国駅;クリックすると大きな写真になります。
2.企画展「東京オリンピックと新幹線」
新幹線が開業した昭和39年前後の日本国有鉄道の各種列車や、最新の新幹線の模型、解説を楽しみながら見た。東京オリンピックは、私が社会人1年生のころ。ある方からサッカー準決勝のチケットをいただき、会社を休んで国立競技場へ見に行ったのを覚えている。入社早々で、オリンピックを見るために会社を休むことに逡巡はあったが、今思えば見ておいてよかったと思う。3階の企画展の出口へ来ると、こんなフォトスポットがあった。ちょっと、お粗末である。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/80秒 6mm ISO1600 ) 露出補正 なし
企画展「東京オリンピックと新幹線」;クリックすると大きな写真になります。
3.常設展入口
企画展「東京オリンピックと新幹線」を見終えて、6階の常設展示室入口へ移動した。下に観光バスが沢山止まっていたので、大勢の見学者、特に小学生たちがいると思っていたが、それほどでもなかった。小学生たちは、私が先に企画展を見ている間に帰ったのかもしれない。6階の入り口を抜けると、5・6階が吹き抜けになった空間が広がった。日本橋がかけられている。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/40秒 6mm ISO1600 ) 露出補正 なし
常設展入口;クリックすると大きな写真になります。
4.中村座
6階の常設展示室の入り口を入ったところから見渡すと、5階の展示スペースをまたいでかけられた日本橋の左側が「江戸ゾーン」、右側が「東京ゾーン」になっている。日本橋の途中から「江戸ゾーン」5階展示室のシンボル的な「中村座」を見下ろす。江戸堺町(現・中央区日本橋人形町三丁目)にあった歌舞伎の芝居小屋だ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/40秒 7mm ISO1600 ) 露出補正 なし
中村座;クリックすると大きな写真になります。
5.寛永の町人地 -1
日本橋を渡ったところも「江戸ゾーン」で、そこには、「寛永の町人地」という展示があり、精密に人物像が造られた模型があった。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/40秒 12mm ISO1600 ) 露出補正 なし
寛永の町人地 -1;クリックすると大きな写真になります。
6.寛永の町人地 -2
説明書きによれば、ここは日本橋北詰付近の町人地で、敷地の広い大名屋敷に比べ、町人の家は一軒一軒がきわめて狭かったことが理解できるとされている。「江戸図屏風」「江戸名所図屏風」「武州豊嶋郡江戸庄図」などをもとに復元、作成さている。大勢の人々の模型が凄い。

  Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/40秒 30mm ISO1600 ) 露出補正 なし
寛永の町人地 -2;クリックすると大きな写真になります。
7.大名屋敷
江戸城本丸大手門の前に建てられた、越前福井藩主・松平伊予守忠昌(1597年~1645年)の上屋敷だそうだ。広大な敷地に桃山風の豪壮な建築が建っていたが、明暦の大火により焼失し、以後このような華麗な大名屋敷は姿を消したという。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/40秒 6mm ISO1600 ) 露出補正 なし
大名屋敷;クリックすると大きな写真になります。
8.棟割長屋
5階へ降りて、「江戸ゾーン」を見ていく。ほぼ実物大の棟割長屋の模型があった。棟の前後で部屋を分ける形のものは棟割長屋と呼ばれた。この模型は間口2間(約3.9m)、奥行き2間の規模で、居室部分は6畳の広さがある部屋の模型だ。模型はお産の風俗を再現している。ここはフラッシュ使用可になっていた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/60秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
棟割長屋;クリックすると大きな写真になります。
9.いろいろな錦絵
錦絵とは、浮世絵のうちの多色版画のこと。浮世絵には肉筆浮世絵(紙や絹に描いた巻物)など版画以外もある。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/60秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
いろいろな錦絵;クリックすると大きな写真になります。
10.江戸の商業 三井越後屋
越後屋の模型があった。三井財閥の源流である。言わずと知れた三越の前身であり、Wikipediaによれば、三越は「越後屋」の呉服店事業を引継いだため、「三井財閥(現三井グループ)の礎を築いた企業である」とされることも多いが、企業としての三越としてみるならば、三井の事業から呉服店部門のみを「合名会社三井呉服店」として分離したのが始まりであるとされている。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/30秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
江戸の商業 三井越後屋;クリックすると大きな写真になります。
11.銀座煉瓦街
「江戸ゾーン」から、「東京ゾーン」に入る。銀座煉瓦街は、明治5年2月の銀座一帯を焼き尽くす大火の後、近代国家にふさわしい街づくりとして、明治新政府によって計画、建設されたものだ。計画の中心は新橋ステーションから築地居留地や諸官庁を結ぶ銀座地域に不燃家屋(煉瓦造り)を建設し、道路を拡張、改良しようとするもだったとのこと。やがて、ウィンドウ・ディスプレイなどの近代商法が根付いたり、思潮をリードする新聞社や雑誌社が次々に集まったことも手伝って、文明開化を象徴する街として賑わったという。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/30秒 18mm ISO1600 ) 露出補正 なし
銀座煉瓦街;クリックすると大きな写真になります。
12.ニコライ堂
「東京ハリストス復活大聖堂」という正式名称がある。東京の人びとには、日本・ロシアの交流に尽くした宣教師ニコライにちなむ「ニコライ堂」という名で親しまれている。今も神田駿河台の丘の上に建つニコライ堂には2011年2月に訪れた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/60秒 6mm ISO1600 ) 露出補正 なし
ニコライ堂;クリックすると大きな写真になります。
13.ダットサントラック 222型
日産自動車が製造した小型トラックであるダットサントラックの2代目(Wikipediaによると4代目とされている)220シリーズで、1959年221型からマイナーチェンジされた222型である。この車はオーナーに2007年まで愛用された。荷台部分にNAKAJIMA-SHOTENの文字があり、自家用と書かれているのも懐かしい。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/25秒 7mm ISO1600 ) 露出補正 なし
ダットサントラック 222型;クリックすると大きな写真になります。
14.マイカー需要創出のトップバッター スバル360
通産省が国民車構想を打ち出したのは、1955年(昭和30年)。軽自動車の皮切りとして、製造、発売されたのがこのスバル360スバル360だった。私は1964年(昭和39)年に入社した企業で、営業用として初めてあてがわれて運転したのはトヨタのパブリカという、国民車構想に影響を受けて生産された、いわゆる大衆車だった。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/50秒 7mm ISO1600 ) 露出補正 なし
マイカー需要創出のトップバッター スバル360;クリックすると大きな写真になります。
15.円タク
東京のタクシーは1912年(大正元年)に営業をはじめ、昭和に入って、市内は均一1円の料金で、"円タク"と呼ばれ、市民も利用するようになった。これはその"円タク"と同じ、フォードA型4ドアセダン(1931年製)である。1935年の統計では、タクシーの車種の約44%はフォード、約27%はゼネラル・モータースのシボレーで、両者は日本工場も設立し、右ハンドル車を生産したという。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/15秒 6mm ISO1600 ) 露出補正 なし
円タク;クリックすると大きな写真になります。
16.上野の飲食店街
上野藪蕎麦の閉店でお開きになった。時間は夜9時を回っている。上野駅の不忍口に向かって歩く。このあたりは、飲食店街になっていて、サラリーマンたちで賑わっていた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/60秒 6mm ISO1600 ) 露出補正 なし
上野の飲食店街;クリックすると大きな写真になります。
17.上野駅中央改札
上野駅のコンコースに入ってくると、正面に1951年に完成したの猪熊弦一郎作の壁画『自由』が掲げられており、当駅を代表する光景ともなっている。昭和59年6月、平成14年12月に修復されている。中学生のころ夜汽車に乗って尾瀬や信州の山へ行った時に、この中央改札口の前にかけられる列車名の札のところに並んで改札を待ったのを思い出す。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 なし
上野駅中央改札;クリックすると大きな写真になります。


2012年3月 3日

日本橋と日本橋七福神巡り その2 2月17日


 日本橋のたもとを小網神社へ向けて歩き始めたのが2時15分過ぎで、八福神の三つ目のお社である水天宮のお参りを終えたのが、3時少し前だった。次は松嶋神社が近い。そして、途中、少々道に迷ったりしたが、新日本橋駅に近い、最後の寶田恵比寿神社のお参りをしたのは4時10分過ぎだった。八福神巡りの所要時間はおおよそ2時間だった。
  新日本橋駅からJR総武線の電車にひと駅乗り、東京駅に寄った。修復工事完成間近の丸の内東京駅丸の内駅舎を見たかった。

14.松嶋神社-大国神
水天宮交差点にある交番で、松嶋神社はどこですかと尋ねたら、お巡りさんが親切に教えてくれた。新大橋通りを右へ行き、大門通りを左へ入ったところにあった。
 創建は鎌倉時代の1312年。当時、あたり一帯は入り海で、松の茂る小島に建つ祠(ほこら)に毎晩灯火を掲げていたところ、舟人たちはそれを目標に航海の安全を得たという。その後、正徳年間(1711~1715年)、近辺を埋め立て、武家屋敷を造営するために日本各地から呼び寄せられた職人たちが、松島神社に故郷の神々の合祀を頼んだことからご祭神は14柱を数えるまでになった。大国神もその社殿に合祀されている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/160秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
松嶋神社-大国神;クリックすると大きな写真になります
15.松嶋神社(大鳥神社)
お社はビルの中に入っていた。大鳥神社ともいうらしい。明暦の大火前、ここ大鳥神社の周囲は歓楽街であった為、人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭町の 芸妓傾城等々、芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わったとのこと。11月の酉の市が往時を伝える風物詩として今に残っている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.5 1/30秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
松嶋神社(大鳥神社);クリックすると大きな写真になります
16.末廣神社
松嶋神社の前を人形町通りと平行した大門通りを北西へ進む。この通りの右側にあるはずだ。大きな通りに出る少し手前の路地を入ってみると小さなお社があった。松嶋神社で前後してお参りした御嬢さんとまた一緒になった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/50秒 9.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
末廣神社;クリックすると大きな写真になります
17.末廣神社-毘沙門天
勝運を授け、災難をよける神様として、400年以上前から信仰されているという。末廣神社はこの地にあった葭原(吉原)の守り神だったそうだ。葭原は明暦の大火で移転している。延宝3年(1675年)、社殿を修復した際に、縁起の良い末廣扇が見つかったことから、これに因んで末廣神社と名付けられたとのこと。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 9.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
末廣神社-毘沙門天;クリックすると大きな写真になります
18.笠間稲荷神社
末廣神社から清州通りに向けて歩き、久松町交差点の手前にあった。ここで六つ目だ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 9.7mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
笠間稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
19.笠間稲荷神社
笠間稲荷神社の小さな境内には、おきつねさんが祀られていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/60秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
笠間稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
20.笠間稲荷神社-寿老神
江戸末期 安政6年(1859年)、笠間藩主・牧野貞直が、日本三大稲荷のひとつ常陸笠間神社の御分霊を江戸下屋敷に奉斎。以降、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰を集めたとのこと。寿老人は長寿の神にして、お導きの神、幸運の神として、人々の運命を開拓する福徳長寿の守護神とされている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 9.7mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
笠間稲荷神社-寿老神;クリックすると大きな写真になります
21.椙森神社
次の椙森(スギモリ)神社へ行くのが大変だった。全く反対方向を探してしまった。笠間稲荷神社から一旦人形町の方へ戻ればよかったのだが、方向音痴になり、清州通りを東日本橋駅の方向に進んでしまった。これは違うと思い、日本橋公会堂でいただいた「日本橋と五街道ー開催記念日本橋マップ」をメガネをかけて良く見た。反対だ。水天宮通りの方へ戻って行くと、日本橋税務署というのがあった。これで椙森神社はすぐ傍と分かった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 7.2mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
椙森神社;クリックすると大きな写真になります
22.椙森神社-恵比寿神
創建は約1千年前。田原藤太秀郷の平将門の討伐祈願や、太田道灌の雨乞い祈願などの記録も残る古社だそうだ。祀られている恵比寿様は、右手に釣竿、左手に鯛を持ち、はじめは豊漁の神さまとして、後に「えびす顔」と言うとおり商売繁盛の神さまへと変化したという。江戸時代には、江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集め、当たりくじ富興行も行われたと伝えられる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 7.2mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
椙森神社-恵比寿神;クリックすると大きな写真になります
23.於竹大日如来井戸跡
最後のお参りとなる寶田恵比寿神社へ向かう途中に「於竹大日如来井戸跡」という石碑があった。寛永の頃(1640年頃)江戸大伝馬町佐久間家(一説に馬込家)の下女お竹は日頃より慈悲心が深く、ある日、羽前羽黒山の行者より大日如来の化身であると告げられたとのこと。ここは、お竹が愛用し、貧困者が市をなしたという井戸の跡だそうだ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2 1/30秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
於竹大日如来井戸跡;クリックすると大きな写真になります
24.寶田恵比寿神社
いよいよ最後に残った寶田恵比寿神社になる。一旦昭和通りへ出て、シオノギ本町共同ビルの手前を右に入り、前述の「於竹大日如来井戸跡」を見て、辿り着いた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/125秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
寶田恵比寿神社;クリックすると大きな写真になります
25.寶田恵比寿神社-恵比寿神
日本橋の恵比寿神は椙森神社と、ここ寶田恵比寿神社に二神が祀られている。もとは江戸城外の宝田村の鎮守で、現在の皇居前にあったが、徳川家康公による江戸城拡張により日本橋本町に移転したという。祭壇中央に祀られる恵比寿神像は、慶長11年(1606年)に三伝馬取締役の馬込勘解由が徳川家から譲り受けたもので、運慶作とも左甚五郎作とも伝えられる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/50秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
寶田恵比寿神社-恵比寿神;クリックすると大きな写真になります
26.寶田恵比寿神社
寶田恵比寿神社の御祭神は、事代主命(コトシロヌシノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、大國主命(オオクニヌシノミコト)、大己貴命(オオアナモノミコト)、素戔嗚命(スサノオノミコト)と記されているが、寶田稲荷神社も合祀されていて、御祭神は宇迦之御魂神とある。難解である。これで八福神を巡り終えた。約2時間で、福徳、金運、長寿延命、学芸成就、除災勝運、生産、営業繁栄、離職、といった御利益を得られたことになるのだが。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2 1/30秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
寶田恵比寿神社;クリックすると大きな写真になります
27.修復工事完成間近い東京駅丸の内駅舎
1914年(大正3年)に創建された東京駅丸の内駅舎は、辰野金吾により設計され、その堂々たる姿で、多くの人々に愛されてきた。しかし、1945年(昭和20年)、戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失。戦後、3階建ての駅舎を2階建て駅舎に復興し、1947年から2007年まで使用されてきた。その東京駅丸の内駅舎を、元の姿にしようと2007年4月11日から「保存・復原工事」が始まった。「保存・復原工事」では、外観を創建時の姿に忠実に再現するのはもちろんのこと、さらに、未来へ継承するため、鉄骨煉瓦造の下に地下躯体を新設し、機能拡大の工事が行われている。2012年6月10日完成予定である。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
修復工事完成間近い東京駅丸の内駅舎;クリックすると大きな写真になります
28.東京駅丸の内駅舎 南ドーム
これは完成が近い南ドームである。1947年から2007年まで使用されてきた駅舎では、木造三角屋根に形を変えていたものを、創建時のドーム型屋根に復原されている。そして切妻の部分は戦災で失った3階部分と、屋根が復原されている。これまでの1、2階の外壁は、化粧レンガや石の補修が行われている。まだ、北から南までの全容を見ることができないが、6月に完成して、その姿を見るのが楽しみである。10月からはライトアップもされるようだ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/60秒 11.8mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
東京駅丸の内駅舎 南ドーム;クリックすると大きな写真になります


2012年2月27日

日本橋と日本橋七福神巡り その1 2月17日


 東野圭吾の推理小説が原作の映画「麒麟の翼」を観て、あらためて日本橋という場所に興味が沸いてきた。会社勤めをしていた時は、オフィスが日本橋にあったので、昼食のための外出などで近辺を歩いたことはあるが、観光スポットとして探索したことはまだない。
  まず日本橋に翼のある麒麟の像があるなんて、まったく気付いていなかった。そしてその知らなかった像がこの小説のタイトルであり、象徴的なものとして取り上げられていた。
  また、この小説には日本橋七福神めぐりが事件の全容を解明する上でのキーとして登場する。七福神めぐりというのも、おもしろそうだなと思い、この日、新橋で昼の会合があるのを機会に、小説の舞台となった日本橋をぶらり歩いてみようとと考えた。

1.日本橋のたもと
ご承知のように日本橋という橋は、中央通り(所謂銀座通り)の高島屋がある地下鉄日本橋駅から三越へ向かう途中にある。三越に向かって左側の日本橋のたもとに、「道の起点としての日本橋」、「日本の道100選」といった銘板とともに、日本橋がはじめて掛けられたのは、徳川家康が幕府を開いた慶長8年(1603年)であるといったことが書かれた札が建っていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/200秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
日本橋のたもと;クリックすると大きな写真になります
2.日本橋の上は首都高
改築以前の日本橋は、明治5(1872)年に架け替えられたものであった。しかし、木造であったことや建設後年数を経過していること、さらには大都市として発展していた東京の「顔」にそぐわなくなっていることなどから、明治44(1911)年に現在の橋に架け替えられたという。平成11(1999)年には国の重要文化財にも指定されている。日本橋が架かる日本橋川の上は、首都高が走る。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/1600秒 7.5mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
日本橋の上は首都高;クリックすると大きな写真になります
3.橋の上
高島屋から三越へ向け、日本橋上の左舗道を歩く。橋の真ん中に麒麟像があり、橋を渡ると三越だ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/320秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
橋の上;クリックすると大きな写真になります
4.麒麟像
明治44年に架けられた橋は、耐久性などの問題から、石造りの橋とすることに決定された。そして、橋の装飾については、建築家の妻木頼黄氏に装飾顧問として、そのデザインを委嘱したとのこと。その結果、妻木氏は材料に青銅を用い、西洋的なデザインを主体としながらも、日本的なモチーフも取り入れた和洋折衷の様式を持ったデザインにしたという。映画「麒麟の翼」に登場する麒麟像の製作については、東京美術学校に委嘱され装飾柱に置かれる麒麟および2.の写真にある東京都のマークを抱えた獅子の原型製作には、彫刻家の渡辺長男氏が、その鋳造には彫刻家で渡辺の義父の岡崎雪聲氏が担当したそうだ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/100秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
麒麟像;クリックすると大きな写真になります
5.日本橋川
中央通りを反対側へ渡る。これは人形町方面を眺めたところ日本橋川の上を首都高が走る。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/250秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
日本橋川;クリックすると大きな写真になります
6.日本橋魚市場発祥地の碑
日本橋の北詰東側に「日本橋魚市場発祥地の碑」が建っていた。江戸~大正までの期間、このあたりから北 (三越の東側一帯) にかけて 大きな魚市場が広がっていたという。 説明には、日本橋川の川沿いには近畿地方から鮮魚を満載した舟が数多く集まり、ここはその中心的な場所として賑わったそうだ。この魚河岸は大正12年の関東大震災で築地に移り、東京都中央卸売市場に発展したとあった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/1250秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
日本橋魚市場発祥地の碑;クリックすると大きな写真になります
7.日本橋七福神 小網神社から巡る
「麒麟の翼」に、事件を解く鍵として日本橋七福神が登場する。これから日本橋七福神を廻ってみよう。日本橋をスタートして人形町の方へ向かう。順番としては小網神社を最初に訪れるのがよさそうだ。日本橋人形町商店街による「おすすめ散歩コースMAP」をアウトプットしてポケットに入れておいたが、この地図が意外と大まかで詰めができない。小網町まで来て、小網神社を自分で発見できず、ビル工事で交通整理をしていた方に「小網神社を御存じですか」と尋ねると「そこの日刊工業新聞の建物の裏です」と教えてくださった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/250秒 5.7mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
小網神社から巡る;クリックすると大きな写真になります
8.小網神社-福禄寿と弁財天
稲荷大神を主祭とし、540年前(文政元年1466年)に鎮座した古いお社。「福禄寿」と「弁財天」が祀られているという。総尾州檜造りの重厚な彫刻が施された社殿と神楽殿は、中央区指定文化財になっている。小網神社に立てかけられた看板を見て、「おや、七福神ではなくて八福神」と気がついた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/100秒 8mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
小網神社;クリックすると大きな写真になります
9.茶の木神社
次は茶の木神社だ。ここは水天宮を目当てに歩けばよさそうだ。小網神社から新大橋通りへ出て、水天宮交差点の手前を左へは入れば良いと思っていたが、新大橋通りを通り越してしまって、その先を左に入ってしまった。「日本橋公会堂」というのがあったので、中に入って「茶の木神社はどこですか」と尋ねた。「日本橋と五街道ー開催記念日本橋マップ」という精度の高い地図をいただいた。戻って新大橋通りを渡りビルの谷間にあるひっそりとした茶の木神社を発見。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/50秒 8.4mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
茶の木神社;クリックすると大きな写真になります
10.茶の木神社-布袋尊
神社の説明には、その昔、神社の周囲にめぐらされた茶の木の緑があまりに見事だったため、「お茶の木様」と人々に親しまれたと記されている。もとは下総の佐倉城主の大老である堀田家の屋敷で、ご祭神の倉稲魂命(うがのみたまのみこと)はその守護神とのこと。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/80秒 16mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
布袋尊;クリックすると大きな写真になります
11.水天宮交差点
茶の木神社のお参りを終え、人形町通りと新大橋通りの交わる水天宮交差点に出る。水天宮は安産、子授けの神様として知られている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/160秒 13.8mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
水天宮交差点;クリックすると大きな写真になります
12.水天宮-弁財天
安産信仰で有名な東京水天宮のご祭神は、もとは九州・久留米藩有馬家で祀られてきた屋敷神とのこと。文政元年(1818年)、参勤交代の際に三田赤羽の有馬家藩邸に分霊され、江戸庶民の信仰を集めると、明治4年(1871年)、現在の日本橋蛎殻町に移った。写真を撮っていると、お宮参りの御家族が来られた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/320秒 6.6mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
弁財天;クリックすると大きな写真になります
13.水天宮 子宝犬
犬の親子の像の周囲を取り巻く十二支のうち、自分の干支を撫でると子授けや厄除けなどのご利益があるという。これで、八福神のうち三つにお参りした。時刻は午後3時になろうとしている。

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プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/250秒 7.6mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
子宝犬;クリックすると大きな写真になります