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2019年2月 6日

日々逍遙「明治神宮」「ムンク展」「フリップス・コレクション展」

 

【2019年1月6日(日)】

 1月4日は77歳の誕生日だった。

 喜寿は数え年で数えるようだが、東京と横浜にいる3人の子どもたちが「遅ればせの祝いをするから出てこい」という。孫たちの塾通いが忙しく、関西には来られないと言うのだ。やむを得ず、のこのこと東京・六本木のホテルに出かけた。

 翌朝、明治神宮へ。学生、新聞社時代を含めて7年ほど東京にいたが、ここには行ったことがなかった。荒れ地に人の手で作られた永遠の森というのを見たいと思った。

 3が日は過ぎたというのに、参道はかなりの人手。その参道に覆いかぶさるように広葉樹が葉を広げていた。左右に広がる広大な敷地の森はまったく人の手は入らず、自然の植生にまかせた木々の循環が続いている。
 参道脇に、箒や落葉を入れる布袋が置かれている。朝、昼、夕の3回、参道の落葉が掃き集められ、そのまま木々の根元に置かれ、自然の循環を助けるという。見事な「鎮守の森」だ。

 100円でおみくじを引いてみた。なんと、吉兆ではなく、祭神の1人である昭憲皇太后の御歌がしるされていた。  
茂りたるうばらからたち払いてもふむべき道はゆくべかりけり


 今年は、茨(うばら)の道?

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大鳥居を覆う広葉樹
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参道脇の竹箒       森のなかを行く参拝者

 この後、上野・東京都美術館の「ムンク展―共鳴する魂の叫び」へ。

   さすがにムンク。どの絵の前も2重、3重の人であふれている。特に有名な「叫び」は、鑑賞の前に列を並ばなければならない。

 近代社会が招いた人間の不安、孤独、絶望を描いていることが、見る人の共感を呼ぶのだろう。図録には「人間の口から放たれた不安が、風景のなかに拡散し、さざ波を立てている」と書かれていた。しかし、絵のなかの男性は叫んでいるのではなく、耳を塞いでいる、という見方もあるようだ。ムンク自身が「自然を貫く叫びに底知れない恐怖を感じた」と、書いているという。

 ちょっと分かりにくいが、約100点の展示作品のなかでも「絶望」「メランコリー」「夜の彷徨者」などの絵に引かれた。

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「叫び」
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「絶望」        「メランコリー」
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「夜の彷徨者」


 ムンク展の「叫び」に見入る寒さかな


【2019年2月3日(日)】

 用事でまた上京したのを機会に、丸の内の三菱一号館美術館で開催している 「フイリップス・コレクション展」に出かけた。入るのに15分ほど待たされたが、なかなかの拾いものだった。

 ワシントンにあるフイリップス・コレクションは、100年前に実業家が近代美術を蒐集した私立美術館。「アングル、コロー、ドラクロア等19世紀の巨匠から、クールベ、近代絵画の父、マネ、印象画のドガ、モネ、印象画以降の絵画を索引したセザンヌ、ゴーガン、クレー、ピカソ、ブラックらの秀作75点」と、普通の美術館の学芸員なら垂涎の的の作品がずらり。
 それも、明治の時代に丸の内で初めてのオフイスビルとして建てられたレンガ造り・復元建築の重厚なインテリアの部屋を連なるように展示されている。

 暖かい気候に恵まれた小旅行。帰った伊丹空港は雨だったが、なにやら春の気配・・・。

 まだ固き蕾の中に春を待つ


 海光の温みを集め水仙花


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ゴア「聖ペトロの悔恨」      シスレー「ルーヴシェルの雪」

2008年4月12日

読書日記「怖い絵」(中野京子著、朝日出版社

 このブログの「消えたカラヴァッジョ」の項に、先輩のKIさんから「怖い絵」のコメントをいただいた。「ココロにしみる読書ノート」という、毎日一冊の本を紹介しているメルマガでも推薦されていた。それで図書館で借りてみたが、今日が返却日なのにさきほど気付き、あわててブログを書き始めた。

 15-20世紀のヨーロッパの絵画20枚を紹介しているが、著者(早稲田大学講師、西洋文化史専攻)が、それぞれの絵画に色々な視点から"怖がっている"いるのがおもしろく、一気に読んでしまった。

 ちなみに先日、書店をのぞいたら、同じ著者の「怖い絵 2」が並んでおり、思わず買ってしまった。「怖い絵」から8ヶ月後の出版。評判がよいのだろうが、なかなかすばやい対応である。

  • ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」(1878年、オルセー美術館)

     ドガ隋一の人気作と言われるこの絵のどこが怖いのか。

     実はこの時代のオペラ座は「上流階級の男たちの娼館」であり、常駐している娼婦が、バレーの踊り子たちであった。エトワールというのはプリマ・バレリーナのことであり、後ろの大道具(書割)の陰に平然と立っているのが、このエトワールのパトロン。

     この少女は社会から軽蔑されながら、この舞台まで上り詰めてきたこと。彼女を金で買った男が、当然のように見ていること。それを画家が「全く批判精神のない、だが一幅の美しい絵に仕上げた」ことが、とても"怖い"という。


  • ティンレット「受胎告知」(1582~87年、サン・ロッコ同信会館)

     ヨーロッパの絵画によく描かれる「受胎告知」には、天使の来訪に驚くマリア、受胎したと告げられて怯えるマリア、そして全てを受け入れた瞬間のマリアの3段階があるらしい。

     一昨年9月のイタリア巡礼に行った際、フイレンチェのサン・マルコ美術館の2階回廊にかかっていたベアト・アンジェリコの作品は、全てを受け入れた静謐な雰囲気にあふれていた。

     しかしティンレットは、怖れおののくマリアを描く。告げに来た大天使ガブリエルは、猛スピードで飛び込んできたのか、周辺の建物は台風一過のように壊れている。

     その奥でマリアの許婚、ヨゼフが、なにも知らずに大工仕事に励んでいる"怖さ"。


  • ムンク「思春期」(1889年、オスロ・ナショナルギャラリー)

     先日、兵庫県立美術館にムンク展を見に行った。強奪の被害に会って修復中の代表作「叫び」はなかったが、死や不安をテーマにした作品が、我々の心の内にある怖れや不安を見事に描いているのに気付いた。食わず嫌いだったが「ムンクの絵はわかりやすい」のだという。

     この作品について著者は「思春期の怖さを描ききった」と書く。子どもから大人になるという未知への遭遇に対する怖れや不安が、黒い不気味な影となって「まるで少女の全身から立ちのぼる黒煙のようにぽわんと横にある」。影は「黒く黒く、大きく大きく」なってゆく。


  • クノップフ「見捨てられた街」(1904年、ベルギー王立美術館)

     ベルギー・フランドル地方の水の都で、旧市街が世界遺産に指定されているブルージュの街を描いた絵。

     しかし描かれている風景は、そんな観光都市の華やかさとはほど遠い。窓はかたく閉じられ、玄関扉には取っ手もない。濃い霧に包まれた建物に、海の水がひたひたと押し寄せ、これ以上近づくのが怖くなる。

     この作品はジョルジュ・ローデンバックの名作「死都ブルージュ」(1892年)をテーマにしている。「死に取りつかれた人の心が伝わってくる。だから見ている側も身がすくむ」。


  • アルテミジア・ジェンティスレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」(1620年頃、ウフイツイ美術館)

     平然と大男を殺戮する2人の美女。この犯罪が、神の正義にかなったものであることが「十字架型の柄によって示されている」。男の伸ばした右腕が落ちる瞬間も近く、目はすでに虚ろだ。

     ユーディトは、旧約聖書続編「ユディト記」に登場する古代ユダヤの女性。町がアッシリアの将軍ホロフェルネス率いる軍隊に包囲された時、美しい寡婦ユーディトは侍女1人を連れて乗り込み、将軍を篭絡して殺し、町を救う。

     この絵画は「20年前描かれたカラヴァッジョの同テーマの作品に倣った」ものという。しかし、カラヴァッジョの作品は、ユーディットがとても人を殺せそうにない楚々とした乙女として描かれている。

     凄まじい殺戮作品をいくつも描いているカラヴァッジョを上回るリアルさを表現したアルミテジアが、女性画家であるというのが、ちょっと"怖い"。


 著書に出てくるその他の主な作品