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Masablogで“毛沢東”が含まれるブログ記事

2012年6月27日

 読書日記「快楽としての読書 [日本篇]」(丸谷才一著、ちくま文庫)


快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)
丸谷 才一
筑摩書房
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 著者が、週刊朝日や毎日新聞などに1960年代から2000年代初めにかけて書いた全書評のうち、約3分の1の122篇を選びだした本。

 この「読書ブログ」も、気ままに選んだ本の内容をほとんど引き写してきただけで、もう5年近くになる。たまにはプロの書評集を読んでみるのもいいかと、図書館に購入依頼したが、これがすこぶるおもしろかった。

 「気になっていた本」「読んでみたくなる本」「おもしろそうだが、とても手におえそうにない本」などなど・・・。一流の教養人が書くうんちくに酔いしれる"快楽"に、はからずものめり込んでしまった。

 私も以前にこのブログで書いたことがある 辻邦生 「背教者ユリアヌス」(中公文庫)。
 書評者は「作者が何に促されて書いたかといふことはやはり解説しておかなければならない」と、かねてからの疑問に「待ってました」とばかりに答えてくれる。

 
もちろんこれはあくまでも推測だが、第一にこの作家は日本文学には珍しく形而上学的な魂の陶酔に憑かれてゐて、それにふさはしい人物をこの主人公に見出だしたといふ事情がある。ユリアヌスが「背教者」であることもまた、日本人である自分と重ね合せるのに好都合だつたにちがひない。
 そしてもう一つ、戦争中に青春を生きた作者としては、当時の、もしできることなら何とかして軍事にたづさはることなく、学問と詩を楽しんでゐたいといふ切実な欲求が人生の最初の体験となつてゐて、それがこの大作を最も深いところで支へてゐるやうに思はれる。つまりここには歴史的世界への呪祖(じゆそ)があるのだ。


 好きな作家の1人である、 池波正太郎の 「散歩のときに何か食べたくなって」(新潮文庫)では「最も印象的なのは、(店の)主人の描写」とある。

 
(東京・室町のてんぷら屋「はやし」の主人の)本姓は斎藤だが、ただし岐阜の斎藤で、あの油売りから美濃の国主となつた斎藤道三の流れ。
 そこで主人は言ふ。
 「はい、やはり、油には縁が深いのでしょうな」
 小説家の藝だから、人物描写がうまいのは当り前だが、最高級の天ぶら屋の老主人の姿が、眼前に浮びあがるではないか。


散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)
池波 正太郎
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 これまでの江戸文学研究書について「(おおむね志が低く、琑末な事象にこだわる)通人か、(江戸の美意識と真っ向から対立する十九世紀西欧の美意識にあやつられている)学者にゆだねられており、指南役としてふさわしくない」と、こてんぱんにやっつけている。 そして 「江戸文學掌記」(講談社文芸文庫)の著者、 石川淳に言及していく。

 
この小説家ならば、当代の文学を古代以来の日本文学の伝統のなかにとらへることも、中国との関連において眺めることも、そしてまた十九世紀の偏向にしばられずに西欧文学全般からの照明の下に見ることも可能なのだ。構へが大きく感覚がすぐれてゐることは、言ひ添へるまでもない。


江戸文学掌記 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
石川 淳
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高島俊男著「中国の大盗賊」(講談社現代新書)の最後には、あの毛沢東が登場してくる。

 
言はれてみれば、たしかに中華人民共和国は新種の盗賊王朝かもしれない。マルクシズムを宗教に見立てていいのはもはや常識だし、毛は一時、生き神様だつたし、それに長征といふのはたしかに流賊だつた。


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高島 俊男
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中村隆英の「昭和史1(1926-45)」(東洋新報社)には、二・二六事件後に中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句が詠まれたことを指摘。そして中村自身が「明治以来の安定が、このとき完全に失われたことへの憤りと解釈している」ことを紹介している。

 書評者は「経済学者にして置くには惜しい(失礼!)小太刀の冴え」と、粋な一言を放っている。

昭和史〈1(1926‐45)〉
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中村 隆英
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中村元の「インド人の思惟方法」 「日本人の思惟方法」「チベット・韓国人の思惟方法」(すべて春秋社)では「浩瀚(こうかん)な著作をわずかな紙数で推薦するのだから、遠慮しないで読んでくれ、ぜったい損はしないからと請合ふしかない」と書く。
 そのついでに、読む順番は「シナ人の巻から取りかかって、日本人、インド人、チベット人および韓国人とゆくのがいいやうな気がする」と、誠に親切な読書指導まで。

 中村元の、こんな記述も紹介している。
 
たとえば、南アジアの国々の仏教僧は、酒は決して飲まないが、煙草は平気で吸う。釈尊のころ煙草がなかったから当たり前だが、「煙草を吸ふなかれ」といふ戒律がないのをいいことに、プカブカやるのださうである。
 ところが韓国の僧は煙草をいつさい口にしない。戒律に禁止されてゐなくても、その底にある精神を大事にするのが韓国仏教なのである。
 これは韓国仏教についての上手な説明だが、中村のこの本は、いつもかういふ調子で読者をおもしろがらせてくれる。










 これらだけではない。各篇ごとに原作のなかからすくいあげた文章が、玉のように輝いて見える。

 インドのタミル語が日本語成立の源流だが、最近は「朝鮮の学者によって、朝鮮語とタミル語との対応が言われ出した」( 大野晋著 「日本語の起源 新版」=岩波新書)

日本語の起源 新版 (岩波新書)
大野 晋
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岡本かの子の 「生々流転」(講談社文芸文庫)は、夫・ 岡本一平がかの子の死後に書き足した合作長編である。

生々流転 (講談社文芸文庫)
岡本 かの子
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 「関ヶ原合戦での東軍の勝利は、豊臣系諸将の家康への贈り物だった。これによって、(徳川幕府は)国持大名の領内政治に介入しないという、分権・多元的な政治形態を近世日本にもたらした」( 笠谷和比古著「関ヶ原合戦」=講談社学術文庫)

関ヶ原合戦  家康の戦略と幕藩体制 (講談社学術文庫)
笠谷 和比古
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 「セーラー服が女学校の制服として定着したのは、海軍⇒女児⇒軍艦⇒女陰という隠語が意識下にある」( 鹿島茂著「セーラー服とエッフェル塔」=文春文庫)

セーラー服とエッフェル塔 (文春文庫)
鹿島 茂
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 「再読 日本近代文学」(集英社)のなかで、中村真一郎小林秀雄が培った近代日本文学論の常識に反旗を翻していること紹介しながら、書評者自らも「多少の異論」を試みているのも、考えたらまったくぜいたくな1篇だ・・・。

再読 日本近代文学
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中村 真一郎
集英社
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この本の最初に、著者の小エッセイが載っている。

いまわたしたちが読むやうな形の本、つまり
 1  本文が白い洋紙で、
 2  その両面に、
 3  主として活字で組んだ組版を黒いインクで印刷し、
 4  各ページにノンブルを打ち、
 5  それを重ねて綴ぢ、
 6  表紙をつけてある
 ものは、ずいぶん便利だなと感心する。


 
この形勢は当分つづきさうである。将来、年老いた村上春樹の新作長篇小説も、中年の俵万智の新作歌集も、まづ本として売出されるだらう。レーザー・ディスクやテープ、あるいはもつと新しい何かで出るとしても本が主体だらう。
 二十一世紀になつても、小学校用算数教科書、経済白書、六法全書、『広辞苑』第十何版、最後の社会主義国某国の全史の翻訳、卑弥呼のもらつた金印の発見をめぐる学術報告、貴乃花の回想録、マリリン・モンローとケネディの往復書簡集の翻訳などが、本といふ容器をぬきにして出ることは考へにくいのである。
 わたしたちは本の制覇の時代に生きてゐる。


 1993年に朝日新聞から刊行された「春も秋も本! 週間図書館40年」(1993年刊)という「週間朝日」の読書欄誕生40周年記念した本に所収されているのだが、現在の電子書籍をまったく意識していない牧歌的にも思える書籍礼讃がおもしろい。

春も秋も本! (週刊図書館40年)

朝日新聞
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 ところが、この文庫本の表題裏に、出版社の注意書きが小さい活字で掲載されており、業者による "自炊" 行為などに警告している。


  本書をコピー、スキャニング等の方法により
 無許諾で複製することは、法令に規定された
 場合を除いて禁止されています。
 請負業者等
 の第三者によるデジタル化は一切認められて
 いませんので、ご注意ください。


 書籍、それも文庫本に、このような"警告文"が載るのは、これまであったのだろうか。書評のなかで出版各社の書籍を引用しているという事情もあるのだろうが、それだけ出版社側のデジタル化への警戒感が現れていて、丸谷のエッセイとの対比がおもしろい。

 このブログでも、著書のいくつかを引用させてもらっており、この警告に"抵触"しているのだろう。
 「この著書のすばらしさを記録したいだけの個人プレー。大目に見てください『株式会社 筑摩書房様』」とわびるしかない。

  

2011年12月26日

読書日記「獅子頭(シーズトオ)」(楊逸(ヤン イー)著、朝日新聞出版)、「おいしい中国 『酸甜苦辣』の大陸」(同、文藝春秋)



獅子頭(シーズトォ)
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おいしい中国―「酸甜苦辣」の大陸
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 半年ほど前だったろうか。通っている中国語教室の教科書に 「紅焼獅子頭(ホンシャオシーズトオ)」という中国料理が載っていた。

 そんなことがきっかけで、表題の「獅子頭(シーズトオ)」を図書館で借りてみたくなった。この 作家をこのブログで書くのは 「時が滲む朝」以来。朝日新聞の連載だそうだが、いささか荒っぽい筋立てが気になって・・・。

 根っからの食いしん坊。小説の展開より「獅子頭」をはじめとする中国料理の記述に眼がいってしまった。

 貧村出身の主人公、二順(アール シュン)は、入団した雑技団から選ばれて上海公演に参加、有名なレストランでの打ち上げパーティに出る。

 
次は巨大な肉団子の入った土鍋が運ばれた。
 狐色のソースをたっぷりとかけられ、獅子の長いたてがみを見たてた細い千切りの生姜は、まんべんなく丸っこい肉団子を覆っている。箸でつっつくと、肉汁がジワッと中から滲み出て、思わず涎も垂れてしまいそうになる。


  中国の検索エンジン 「百度(バイドウ)」で見ると、「獅子頭」は、 淮河 長江(揚子江) の下流一帯のこと。昔は、 呉越と呼ばれた土地。著者によると「東北料理の暴走する塩味と四川料理の命がけの辛さ」とは異なる食文化を伝承してきた。

 雑技団を辞め、料理店に修業に入った二順に、店主はこう言ってきかす。

 
淮揚地方は海に近く、湖沼が点在する平野地帯で、湿潤で暖かい気候にも恵まれているし、一年中作物が取れるし、淡水の水産物も海産物も豊富だから、料理は食材の鮮度を大事にできるんだ。食材の味を最大限に生かすためにも、あっさりとした味付けになる。また少し甘みを加えることで、ふわふわとした柔らかい食感にうまみを増し、食事によく飲まれる淡くほろ苦い緑茶にもよく合っているんだ。


 
1949年 毛(マオ)主席が天安門で、新中国成立を宣言した後の開国宴も、淮揚料理だったんだ。


 二順は、醤油で煮込んで赤い色をしている「紅焼獅子頭」だけでなく、塩を少し入れるだけで蒸した 「清蒸(チンチェン)獅子頭」にも挑戦していく。

 
味付けした挽肉に、更に生姜汁をかけ、上に卵の黄身を落とした。雲紗(店主の娘で、二順の恋人)の細い手が菜箸で素早く掻き混ぜていく。
 二順は火にかけた鍋に、水を入れ、温度を測ってから真水につけていた蟹を入れた。塩を加えた後、じっと見つめ、蟹がきれいな赤に変わった瞬間に、ぱっと火を止め、隣のアミのかかった大鍋に、蟹もお湯も掛け流した。


 だが、店主の評価は厳しい。
 
(挽肉の)新鮮さは大事だけど、でも高けりゃいいってわけじゃないよ。料理に合うか合わないかを考えないと。肉の赤身が多すぎたな。脂身が少ないから、食べると肉汁も少ないし、滑らかな食感を出せなかったんだ。


 「獅子頭」は、この店の名物料理になり、二順は日本の有名中華料理店に派遣されることになる。

 ここで開発したのが上海蟹を使った冬のスペシャルメニュー 「蟹粉(シイエフェン)紅焼獅子頭」

 
シルバーのラインで縁取った白い楕円形の皿に、湯通ししたチンゲン菜の葉を敷き、その上に野球ボール大の獅子頭を一つ載せ、黒酢風味の利いた甘口のあんをたっぷりとかけた後、赤い上海蟹の肉を混ぜた蟹味噌を一つまみして整え、獅子頭の上に添える。


 この本の「あとがき」によると「食いしん坊とはいえ、料理に全くの素人」の作者は、横浜中華街の著名中華レストラン 聘珍樓に「取材させていただき、獅子頭を作ったことのない料理長は、わざわざ上海からレシピを取り寄せて、作ってくださった」とある。

 先日、たまたま聘珍樓の大阪店である方にご馳走になる機会があった。「獅子頭はありますか」と、注文を聞きに来た従業員に試しに尋ねてみたが「厨房に聞いてみます」と言ったきり、忙しかったせいか回答はなかった。「淮揚・獅子頭」はいまだに幻の料理のままである。

 「おいしい中国」は、「『酸(スワン=すっぱい)甜(ティエン=あまい)苦(クウ=にがい)辣(ラア=からい)』の大陸」という副題からも中国料理の文化史かなと思ったが、著者の貧しくても豊かだった幼少時代からの食生活回顧録だった。

 中国最北、ハルビン(中国名・哈尔滨=ハアアルピン)市に育った著者の家では、11月から春にかけては家の外にある野菜貯蔵の穴蔵が天然の冷凍庫だった。一番の好物は冷凍ナシだったが「氷糖葫芦(ビンタンフウルウ=串でつなげた酸っぱいサンザシをキャラメルで固めたもの)」が、冬限定のおやつだった。

 
外は氷のようにパリッとしたキャラメルが甘く、中は酸っぱいサンザシと融合した食感といい、味といい、たまらなかった。


 中国のお正月、 春節の丸ひと月の間、とにかく「粗糧(ツーリャン)=白い色をしていない雑穀類」を食べないよう、そして働かないようにするのが中国のならわしであるため、1月に入ると 餃子(ジャオズ)など大量の用意しなければならない。

 
(餃子や 饅頭(マントオ)など糧食の他、肉、魚も我が家の食卓を賑わせた。
  「红扒肘子(ホンタウチョウズ」(豚の骨付き脛肉の醤油イメージのもの)、 「香菇焖肉(シャンタウメンロウ)」、 「溜肉段(リュウロウトュアン)」 「干炸刀魚(ガンツア―タオイイ)」 「红烧鯉魚ホンシャオリイイイ」 「清蒸黄花魚」などのメインデイシュが日替わりで食べられる。とりわけ魚は、発音が「余」と同じであるため、中国の縁起料理になっている。


 貧しいながらも、みんなが楽しん生活も長くは続かなかった。 文化大革命期の1970年、教師をしていた両親は、ハルビンよりさらに北の辺鄙な農村に 下放されることになり、一家は引越しを余儀なくされた。

 与えられた家は、ドアも窓も吹きさらしの露天同然の廃屋だった。「傍らに座った母の、微かに震える背中から、おえつが響いてくる」。電気、ガス、水道もなく、照明用のろうそくも定量供給制だった。
 田んぼで働くかたわら、家の周囲に野菜畑を作り、家畜を飼った。稲作は出来ず、トウモロコシが主食。夏は、キュウリとトマトを菜園から取ってきてかじった。

豚の食べ方はハルビンと変わらなかったが、豚を解体した時に出る血に少量の塩を加えて蒸す「血豆腐(シイエトウフ)」はさっぱりした味。冬は、ナス、インゲン豆、大根を干した「干菜(ガンツアイ)」と白菜の漬物 「酸菜(スワンツアイ)」でしのいだ。千切り酸菜を豚骨スープに入れ、太めの春雨と一緒に煮込めば、東北の名物料理 「酸炖粉条(スワンツアイトウンフェンティアオ)」が出来上がる。

「日本に来る直前までの、生まれてから二十二年間は、貧しい食生活だったが、こうして文字に書き出したことによって、かっては味わったことのない郷愁が、じわじわとにじみ出てきた」。著者は、最後のページでこう書いている。東京新聞夕刊の連載コラムだった。

 (追記)本棚にあった 「中国食紀行」(加藤千洋著、小学館)という本をパラついていたら「毛沢東が愛した農民の味」という1章があった。

 毛沢東は、開国宴に淮揚料理を選んだが、 湖南省の農民の子だっただけに、 湖南料理が好物だったらしい。なかでも、特に好んだ料理を「毛家菜(マオジャアツアイ)と呼ぶらしい。
 北京には、毛沢東の専属コックとして仕えた人が最高顧問の「天華毛家菜大酒楼(テイエンフウアマオジャアツアイダアジオウロウ」というレストランがあり、入り口の金色に輝く毛像が鎮座している、という。

そこの店長におすすめの料理を聞いたら、たちまち 紅焼肉(ホンシャオロウ=豚肉のしょうゆ煮込み)、 油炸臭豆腐(ヨウツア―チョウトウフ=発酵させた豆腐をあげたもの)、 炒肚糸(チャオトウスー=豚の胃袋の千切り炒め)、 東安鶏(トンアンチー=鶏肉とネギの煮込み)などをあげた


2008年6月12日

読書日記「中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす」(遠藤 誉著、日経BP社)


 チベットでの反政府デモ、それに続く聖火リレー騒動、四川大地震への対応など、連日中国をめぐるニュースが絶えない。それを見聞きするたびに、隣の大国のことをちっとも分かっていなかった自分に気付くことが多くなっている。

 このブログでも紹介した「あの戦争から遠く離れて」という本でも、著者の城戸久枝さんは中国に留学中に「日本鬼子」(日本人を蔑視する言葉)を何度も投げかけられた、と書いている。それほど、現在の中国では愛国運動の相似形としての反日教育が徹底しているのに、改めて驚かさされたのを思い出す。

 そして「中国動漫新人類」の著者は、中国の若者たちに広がる日本製アニメとマンガの威力を詳細なルポで示してくれる。そこには、これまで思いもよらなかった事実が明らかにされている。

 中国語では、アニメと漫画をひとくくりにして「動漫」と呼ぶ。そして、いまの中国の若者たちは「日本動漫大好き!」人間で、それと反日教育で刻み込まれた「日本許しまじ!」というという一見矛盾したふたつの感情が心のなかに共存している、という。さらに彼ら新人類は「これまでの中国の政治体制や文化のあり方を大きく変える力を持っている」。著者は、こんな大胆な予測までしてくれる。

 著者・遠藤 誉さんは、2児の母であり、孫も2人ある66歳の元物理学者。中国で生まれ、7歳の時に毛沢東率いる共産党軍と蒋介石の国民党軍との内戦に巻き込まれる。長春の街で死体の上で野宿するという異常な体験をし、一時記憶喪失になりながら帰国。筑波大学などで長年、教鞭を取っていたが、幼い時の中国での体験を生かしたいと、中国や日本で中国人留学生の世話を続けてきた。

 そして「なぜ、日本は嫌いだが日本のアニメや漫画は好きという感情が、ひとりの中国人のなかで両立できるのか」という長年持っていた疑問の解明に乗り出す。

 60歳を超えているのをものともせず、中国の若者が愛読する「スラムダンク」 31巻を読破したり、「セーラームーン」のDVDを見たり、中国で海賊版のDVDを買い込んだりする。

 解剖学者の養老孟司氏は、4月20日付け毎日新聞の書評欄で、この本についておもしろい見かたをしている。最初の数ページを読んだだけで、なにが書かれているかが伝わる、というのだ。
これが理科系なのである。(科学)論文にはかならず要約がつく。その要約がたいへんみごとに書かれている


 最初の部分より、あとがきの箇条書きが分かりやすい。それを参考に、この本を"要約"すると・・・。
  1. 日本動漫が中国で「大衆文化」となった裏には海賊版の存在があった。
     悪名高き中国の海賊版のおかげで、貧しい中国の青少年にとっては精神文化を培う糧となる動漫を好きなように見られる「大衆(消費)文化」が成立した。
  2. 中国政府が「たかが動漫」と野放しにしたのは大きな誤算だった。
     日本動漫は、子どもだましのものではなかった。人生の夢、人類の愛・・・。そこには、若者が生きていくための多くのメッセージが込められていた。新人類たちは自覚しないまま、結果的に「民主化の鐘を鳴らす」心の準備をしていた。
  3. 新人類たちは「日本動漫大好き」と「反日的」感情というダブルスタンダードの感情を有している。
     日本の教科書問題や首相の靖国神社公式訪問といったシグナルが出るたびに「日本動漫大好き」なコスモポリタン的現代っ子は「日本許しまじ」といった民族主義的愛国主義者にスイッチを切り替える。そのシグナルは、政府のコントロールが効かないインターネットを通して発信されるケースも出ている。


 著者は、本のなかでこんな事実を明らかにする。 
2005年に起きた反日デモの発信源は、なんとサンフランシスコで中国の民主化を訴えている台湾系華僑などの団体。インターネットで流れた「シグナル」に中国国内の青年たちが反応して行動を起こした。こんなボトムアップの行動が、いつか反体制行動に結びつくことを恐れた中国政府によって、あの反日デモは押さえ込まれた。


 そして「抗日戦争」を中心とした愛国教育の結果、中国政府の指導者すら対日軟弱外交を少しでも行えば「売国奴」という謗りから免れない、と推測する。

 先月末、四川大地震の被災者支援の物資輸送のために、自衛隊機の派遣を日中政府が合意しながら、中国国内の慎重論が出て見送られた。中国は米国、ロシア、パキスタン、韓国などの外国軍輸送機を受け入れというのに・・・。新聞には「中国 ネット世論に配慮」(2008年5月30日付け日経)という見出しが踊っていた。

 日本のアニメとマンガにはぐくまれ民主化の果実を知った中国の新人類と、インターネット・・・。

 ひょっとすると何年か後にこの本は、中国民主化の要因を実証する歴史書として評価されるかもしれない。

中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす (NB Online book)
遠藤 誉
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おすすめ度の平均: 4.5
5 日本に滞在している若い中国人の心を垣間見ました
4 広がりつつある大きなうねりと温故知新
5 強い説得力を持って読者を魅了する
5 サブカルチャーの威力が見える
5 時代を感じさせてくれました