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2009年11月 2日

紀行「没後10年(於・軽井沢高原文庫) &読書日記「背教者ユリアヌス 上、中、下」

紀行「没後10年 辻 邦生展 豊饒なロマンの世界」(於・軽井沢高原文庫、2009・1011)  
読書日記「背教者ユリアヌス 上、中、下」(辻 邦生著、中公文庫)



背教者ユリアヌス (上) (中公文庫)
辻 邦生
中央公論新社
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おすすめ度の平均: 5.0
5 序章から魅了されること間違いなし
5 ひたむきに生きる糧となる小説
5 堂々たる諧謔
5 文学と芸術と美学の融合
5 芸術としての文学


「辻 邦生展」のパンフレット:クリックすると大きな写真になります 軽井沢・塩沢湖畔で、辻 邦生の「没後10年展」をやっているという記事をみつけ、どうしても行きたくなった。

 小さな森に囲まれた高原文庫の2階には、作品の原稿や創作ノート、写真、手紙のほか、書斎の一部が再現されており、熱心なファンがじっとのぞきこんで動かない。作品の一部を抜粋したパネルもある。「モンマルトル日記」(集英社文庫)の一節に引き込まれた。

 今は、はっきりいって、傑作の森のために精魂をかたむける以外にどんな生きようもない。あらゆることをこの中に埋没しよう。欲望も名声も傲慢も不遜も甘えも弱気も何もなく、・・・。小説について考えぬき、いまは、生の広い意味の快適さのための物語芸術を、その「面白さ・たのしさ」と「甘美な詩」を湛えた容器として、差し出す以外は、いったいどんな生があるのか。


 パリ滞在中に大作「背教者ユリアヌス」の連載を始めた著者は、同時に「天草の雅歌」第二部と「嵯峨野明月記」第二部の連載も始めた、という。

 高原文庫1階のコーナーで「言葉の箱 小説を書くということ」(中公文庫)を買った。辻 邦生はこう書いている。

 「ピアニストがピアノを弾くように」といつも言うんですけれども、・・・いちばん大事なことは、やはり胸のなかに書くことがいっぱいあることです。・・・そのために絶えず書く。・・・たった一回きりの人生をひたすら生きている。これは書く喜びで生きているのだから、だれにも文句は言わせない。


 生きる喜び、死ぬことの意味を考え続けた辻 邦生の気迫に圧倒される。こんな小説家の作品を読めることを幸せに思う。

  同じ辻 邦生ファンである友人Mに「没後10年展に行こうと思う」とメールしたら「最近『背教者ユリアヌス』を読み返した。帰ってきたら、議論したい」という返信があった。
  あわてて、本棚の色あせた文庫本3冊を抜き出した。昭和49年の発行。活字が小さい!老眼鏡を強いのに換えた。

 ユリアヌスは、ローマ帝国の皇帝として生きた「フラウイス・クラウディウス・ユリアヌス」という実在の人物である。かってローマ帝国を支えた古代ギリシャの信仰の復活を願い、キリスト教への優遇を改めたため、後の世の人から「背教者」と呼ばれるようになった皇帝の波乱の生涯を、辻 邦生はとうとうとした一大叙事文学に仕立てあげた。

 この小説で一番好きなのは、出だしと最後の数節だ。

 出だしは、こう始まる。
 濃い霧が海から匍いあがっていた。
 もちろん海も見えなければ、陸も見えなかった。ただ夜明け前の風に送られて、足早に動いている白い団塊が、どことはっきり定めがたい空間を、ひたすら流れつづけている感じがあるだけだった。


夫人の辻 佐保子さんは、著書「『たえず書く人』辻邦生と暮らして」のなかで「雲間や渦巻く霧に見え隠れしながら市街がしだいに現れ出る忘れ難い光景は(旅の途中で霧のたちこめるイスタンブールの空港に着陸したという)偶然の賜物が無ければ誕生しなかったことだろう」と書いている。

 しかし、霧の軽井沢ともいわれる霧の多い土地に建てられた別荘の窓から著者がいつも見ていた風景が、コンスタンティノーブル(現在のイスタンブル)の城さいから見る記述に重なっていった、ということはないのだろうか。
塩沢湖畔の軽井沢高原文庫:クリックすると大きな写真になります  辻佐保子著「辻 邦生のために」(新潮社)には、磯崎新が設計し、辻 邦生が住んだ別荘について、こんな記述がある。
 コンコルドと呼んでいた三つの階段が合流する中間のスペースを経て、・・・。一定のモデュールによる立方体の結合からなる主要な構造の他にも、寝室の先端には三角形が、南のテラスには大きな雨戸を移動させるための円弧の台が加わって、この魔術的な空間は、私たちの身体感覚を日々豊かに養ってくれた。


 ユリアヌスがプラトンを愛し、ギリシャの神々に引かれていく記述に迫力があるのは、著者・辻 邦生が「啓示」と呼ぶ体験をギリシャでしたせいかもしれない。
 アテネの町に入ったときに、パルテノンの神殿がアクロポリスの丘の上に建っていて、それを下から見た瞬間に、Revelation(啓示)の光、ある不思議な光が神殿からぼくの胸を貫いていった。(言葉の箱から)


 反対に「ユリアヌスが本当は背教者ではなかった」と思えるような記述を著者はいくつかしている。
 「彼(ユリアヌス)が(キリスト教の)洗礼に踏み切ったのは、・・・ぼろをまとい、裸足で町々を歩き回って喜捨を集める人々、教会の前に集まる貧者や病者に対し、温かい汁をつくり、パンを分けてやる修道僧たちの姿を、日々、・・・眺めていたからである。


 辻 邦生がユリアヌスを通して描きたかったのは、権力と結びついて「露骨に勢力の拡張を図る」キリスト教関係者への嫌悪感であったことが、文中のそこかしこでうかがえる。

 作品「背教者ユリアヌス」は、砂嵐のなかを進むユリアヌスの葬列の描写で終わる。
 三六三年七月、ローマ軍団は皇帝ユリアヌスの遺骸を皇帝旗に包み、香料と腐敗止めを詰めて、メソポタミアの砂漠を北に向かって歩きつづけた。激し風が東から西に砂を巻き上げて吹き、終日、空の奥で音が鳴りつづけた。
  ・・・・
 すでに夕映えは消えていた。・・・砂はまるで生物のように動いて、兵隊たちの踏んでいった足跡の乱れを、濃くなる闇のなかで、消しつづけていた。


   参照:このブログでこれまで書いた著者関連の記事。
「西行花伝」(2008年4月24日)
辻 佐保子著「『たえず書く人』辻邦生と暮らして」(2008年8月9日)

モンマルトル日記
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5 自由貿易と保護貿易

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4 言葉で紡ぎ上げられた美術品のような・・・

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5 辻さんは良い

「たえず書く人」辻邦生と暮らして
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4 全集所収作品が生れたモチーフ、背景、エピソード、文学的意義など
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5 邦生と佐保子の物語
4 辻邦生との生の日々を夫人が語る


2008年8月 9日

読書日記「『たえず書く人』辻邦生と暮らして」(辻 佐保子著、中央公論新社)


 故辻邦生氏の奥様である著者が書いたエッセー「辻邦生のために」(新潮社刊)を、数年前に読んだことを思い出した。

 長く住んだパリのアパルトメントに、特別の許可を得てプレートをつけたことや、熊が大好きな辻邦生が大きなくまのぬいぐるみを自宅に届けさした話しなど、ともに歩いて作品を生み出していったお二人のエピソードがいっぱいつまっていた。

 今回の著作は、名古屋大学名誉教授で、ビザンチン美術の専門家である佐保子夫人が、新潮社から刊行された辻邦生全集(全20巻)の月報のために執筆したもの。それぞれの作品が成立した契機や"種"を明かすという、辻邦生ファンにはたまらなくなる本である。

 第四章「背教者ユリアヌス」の項には、こう書いてある。
 映画狂(シネフイル)を自認する辻邦生には「砂嵐のなかをシルエットのように進むユリアヌスの葬列の最終画面は、すでに構想の段階から鮮明に焼きついていた」
 「戦陣や隊列の組み方、砂嵐や吹雪のなかでの露営など、軍国主義時代のさなかに軍事訓練や剣道の稽古を経て育った<男の子>とはいえ、よくここまで詳細に戦闘の様子を描写できたものと驚嘆する」
 「中学時代の『世界地図』の教科書をいつまでも大切な宝物にしていた辻邦生にとって、ローマ帝国の広大な領土を舞台とする『背教者ユリアヌス』ほど、各種の歴史地図や大地の起伏を描く鳥瞰図が有益だった作品はない」


 第九章、第十章では「春の戴冠」についての秘話が明らかになっている。
 「一九五八年、辻邦生のフイレンツエとの最初の出会いは、駅前で興奮のあまり鼻血を出したことに始まり、手についた赤い血の色と夏の盛りのカンナの赤い花が『春の戴冠』の原点となった」
 「『背教者ユリアヌス』ですら、長すぎるという声が私の耳のも聞こえてきたが、『春の戴冠』はそれよりはるかに長大である。そのためか、再販が出るまで二〇年以上も絶版が続き、ついに文庫本にはならなかった。うちでは『背教者ユリアヌス』を『ユリちゃん』、『春の戴冠』を『ボチくん』と呼んでいた。『ユリちゃん』ばかり文庫本増刷の通知が届くため、『かいそうなボチ君』と言うのが口癖だった」


 ところが第十章の最後に、こんな「付記」が載っていた。
 「このたび中央公論新社から、本書の刊行(2008年4月)とあわせて、『春の戴冠』を文庫版四冊として刊行するという夢のような企画が実現されることになった」


 中央公論新社に聞いてみると、すでに①②が刊行され、③は8月25日の予定。④は未定だという。文字の大きさは、どうだろうか。1977年の初版本(上・下)の字を追うのさえ、もうしんどくなっている。

 第十四章の「西行花伝」は、このブログでも書いたが、この作品が辻 邦生の最後にして、最高の作品であることを知った。
 「西行をめぐる多数の人びととの声を、転調・反復しながらひとつの大きな流れにまとめてゆく手法は、これまで試みてきたさまざまな小説作法の最終的な集大成のように思われる」

 「ともあれ『西行花伝』が長い執筆活動の究極の到達点を示す作品になったことを、今は心から『これでよかった』と思っている」


 第二十章「アルバム、年譜、書誌など」に、こんなことが書いてある。
 亡くなる前年の夏、二人は夕方になると、リヒャルト・シュトラウスの「これがもしかしたら死なのだろうか」という歌曲をよく聞いた。「最後の一週間あまり、山荘の窓から浅間山の方向をじっと眺めて座っていたとき、耳に聴こえていたのは、今から思うとこの最後の詩句だったのではないだろうか」


 こんな本を読むと、著作とは別の世界をのぞかさされたような気がして、もう一度、一連の作品を読み返したくなる。困ったものである。

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5 邦生と佐保子の物語
4 辻邦生との生の日々を夫人が語る