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2014年7月 9日

パリ・ロンドン紀行④「ルーブル美術館㊦」2014年4月30日(水)



 ルーブル美術館休館日明けの水曜日。この日は地下鉄を利用してリヴォリ通り沿いのリシュリュー翼3階18室「ギャラリー・メディティスの間」に入った。

 なんと女性警備員2人が、ガラス天井の下の大広間真ん中で朝の打合せをしている以外、観覧者はまだ1人もいない。同行Mが勧めた「開館直後の午前9時に入ろう」という作戦は大成功だった。

 広間の両側を飾っている24枚の大作は、イタリア・ メディチ家からフランス王・ アンリ4世の妃になった マリード・メディティスが、自らの生涯を描くようバロックの巨匠・ ルーベンスに依頼したもの。

 王妃メディシスはいささかメタボ気味で27歳の晩婚。国王アンリ4世は女好きで、ルーブル宮殿ではその愛人と一緒に住まわされ、フランス語がしゃべれないメディシスはいつも孤独だった。やっと息子 ルイ13世に恵まれたが、夫アンリ4世が暗殺されてしまったうえに、ルイ13世の取り巻きの貴族群に嫌われ、国外に追放されてしまう。

 こんな生涯を"自画自賛"の絵に描くよう依頼されたルーベンスは、神話の世界に仕立てることを思いつく。

 2人は、リヨンの町で初めて対面する設定になっているが、夫はローマ神話の神 ユーピテル、妻は女神ユーノーとして描かれる。下で馬車を曳くのはリヨンにちなんだ「LIYON(ライオン)と、寓話性にあふれている。

 間もなくこの広間に模写に現れた男性のキャンバスに描かれているのは、フランス・マルセイユ港にイタリアから到着したメディシスを歓迎する海の妖精たちだ。

この大広間の周辺には、17世紀 フランドルをはじめ、オランダ、ドイツなどの作品の部屋が続いている。

 24室には、フランドル出身の ヴァン・ダイクが描いた 「狩り場のチャールズ1世」が、38室にはあの ヤン・フェルメール 「レースを編む女」(24×21センチ)が宝石のように置かれていた。

 その間の部屋にあるはずの レンブランド 「バテシバ」を見つけることができなかったのは残念だった。旧約聖書に書かれている ダビデ王に横恋慕された家臣の妻の水浴姿というテーマは、それまでも何人もの画家が挑戦している。

  中野京子 「はじめてのルーヴル」によると、モデルは乳癌で亡くなったレンブランドの愛人で「左の乳房の明瞭な影がその証拠ということが、近代になって分かってきた」という。

 「光と闇の画家」と呼ばれたレンブランドが描く、モデルと「バテシバ」の"影"。その絵が飾られているはずの部屋番号まで事前に調べたのに、見落としてしまったのは「もう一度おいで」というルーブルの魔法をかけられたせいだろうか。

 もう1つの裸体画、10室にあるフォンテンブロー派 「ガブリエル・デストレとその妹」は、ちゃんと見つけることができた。

 入浴中の左側の女性が右側の女性の乳首をつまみ、懐妊を示唆している。つままれているのは、アンリ4世の愛人の愛妾・ガブレリエル・デストレ、つまんでいるのはその妹という不思議な構図だ。

 中野京子は 「怖い絵2」(朝日出版社)のなかで、こう書いている。

 
手と指の描写に、いささかデッサンの狂いが見られ、その狂いがかえって奇妙な効果を上げている。まるで白い蟹(かに)がガブリエルの柔肌を這(は)いまわっているような、エロティックでもあり、ユーモラスでもあり不気味でもあるいわく言いがたい皮膚感覚を、見る者に呼び起こす。


 ここで、いったん地下まで降り、ピラミッド経由で、見学初日に見落としていたドウノン2階の「大作の間」に入った。ここには、19世紀フランスを代表する大型絵画が、隣の「ナポレオンの間」と同じ赤い壁紙が張られている。

 入って正面左にあるのが、19世紀・ ロマン主義を代表するジェリコー 「メデューズ号の筏」。491×716センチという大作だ。

 難破したフランス艦から筏で脱出した150人の兵士のなかで生き残ったのは15人。ジェリコーは、それらの人々から取材を重ね、臨場感あふれた作品に仕上げた。

その右側には、 ドラクロアの代表作「民衆を導く自由の女神」がある。

 1830年の 7月革命を記念して描かれたものだ。女神の左にいる山高帽の男はドラクロア自身と言われる。しかし、革命は3日間で終わって王政は続き、この絵は国家に買い上げられたものの、人の目に触れることはなく、公開されたのは約40年後の共和制復活後だった、という。

 その隣にある、同じドラクロアの「サルダナパロスの死」にも引きつけられる。

 紀元前7世紀、死期が近いことを知ったアッシリア王・ サルダナパロスが、自分に仕えた人々を虐殺させるのを平然と見ている。画面には血は一滴も流れていないのに、赤いベッドと女体の肌色の色彩感で異常な光景を見事に演出している。

 ドラクロアのライバルであった新古典主義の アングルの代表作 「グランド・オダリスク」を見に「ナポレオンの戴冠式」のある75室に戻る。

 「オダリスク」というのは、トルコのハーレムに仕えた女性のこと。アングルは背中を異常に長く描いてその優美さを強調することで、絵画史上でも最も有名な裸婦像を完成させた。

  同じアングルの 「カロリーヌ・リヴィエール嬢」という肖像画にも引き込まれる。ルーブル美術館のWEBページでは、この絵のことを「少女の清新性と女性の悦楽という両義性を描いた」と解説している。

 最後に、グランド・ギャラリー経由でシュリー翼3階に向かう。 ロココを中心とした17-19世紀のフランス絵画が展示されている。

 ルーブルに寄贈された数百点のロココ絵画のなかでも、ヴァトー 「ピエロ(古称・ジル)」は、心引かれる絵画だ。白い道化服を着た等身大のピエロが、もの悲しい気な目で見る人をじっと見つめている。

 同じ18世紀ロココ時代を代表する フラゴナール 「水浴の女たち」「霊感」などにまじって、ちょっと不思議な絵が、窓際にそっと飾られていた。

  グルーズ「壊れた甕」だ。
 美しい少女が、左胸をあらわにし、乱れた服装のままでたたずんでいる。膝の上で抱えているバラの花と右腕にかけたひび割れたかめは、彼女が純潔を失ったばかりであることを表している、という。

 19世紀を代表する コローの作品は、 「真珠の女」などと並んで、一連の風景画が印象的だ。「次世代の 印象派への橋渡しをした画家」と言われるゆえんだろう。

 一番奥に、ルーブルが誇る逸品、 ラ・トウールの作品群が誇らしげに並んでいた。

 ラ・トウールは17世紀に活躍した画家だったが、その後何世紀も忘れられ20世紀初めに再認識された、という。再発見したのは、ルーブルの学芸員たち。

 明らかにカラヴァッジョの影響を受けて、光と闇に包まれた宗教画を描き続けたラ・トウールの作品のなかでも、「いかさま師」は、異色かつ不思議な作品だ。

 若い善良そうな若者に、他の3人がまさにいかさまを仕掛けようと目配せをしており、男が背中に隠したダイヤのエースのカードを抜きだそうとしている・・・。

 ルーブル美術館が主導して刊行、世界各国語に訳されている 「ルーヴル美術館 収蔵絵画のすべて」(日本語版・ディスカヴァー・ツエンティワン刊)は「『いかさま師』には3つの主題が隠されている」と解説している。

 
(それは)17世紀に最大の罪とされていた3つの悪徳、賭博、飲酒、淫蕩。・・・若者(無垢の擬人化)は自分を自分を待ち受けている悪徳に全く気づいていない。・・・ダイヤのエースを抜き取っているいかさま師の右手の先には。黄色いスカーフを頭に巻いた若い女性が2つ目の罪を表すワインを手にしている。テーブルの真ん中に座っているのは、宝石をたくさん着飾って豪華な服を着た娼婦である。彼女は女性の誘惑の象徴で、視線と手振りで、2人の仲間に今がチャンスだと合図を送っているようだ。


 NHKの番組によると、ラ・トウルが20世紀初めに再認識された時、ルーブルが所蔵していたのは 「羊飼いの礼拝」1点だけだった。

 しかし、その後全国的な募金活動をしたりして、現在は世界で十数点しかないといわれる作品のうち、ルーブルは8点を所蔵している。「聖イレネに介抱される聖セバティアヌス」は、パリ近郊の村の教会の壁にあったのを偶然に発見され 「ルーブル美術館友の会」が購入を決め、ルーブルに寄贈した、という。

ルーブル美術館写真集(2)
ルーベンス「マリード・メディシスの生涯(リヨンでの対面);クリックすると大きな写真になります。" ルーベンス「マリード・メディシスの生涯(王妃マルセイユに上陸)」;クリックすると大きな写真になります。 ヴァン・ダイク「狩り場のチャールズ1世」 フェルメール「レースを編む女」;クリックすると大きな写真になります。 フォンテンブロー派「ガブリエル・デストレとその妹」;クリックすると大きな写真になります。
ルーベンス「マリード・メディシスの生涯(リヨンでの対面)」 ルーベンス「マリード・メディシスの生涯(王妃マルセイユに上陸)」 ヴァン・ダイク「狩り場のチャールズ1世」 フェルメール「レースを編む女」 フォンテンブロー派「ガブリエル・デストレとその妹」
アングル「グランド・オダリスク」;クリックすると大きな写真になります。 同「カロリーヌ・リヴィエール嬢」;クリックすると大きな写真になります。 ジェリコー「メデューズ号の筏」;クリックすると大きな写真になります。 ドラクロア「民衆を導く自由の女神」;クリックすると大きな写真になります。 同「サルダナバロスの死」;クリックすると大きな写真になります。
アングル「グランド・オダリスク」 同「カロリーヌ・リヴィエール嬢」 ジェリコー「メデューズ号の筏」 ドラクロア「民衆を導く自由の女神」 同「サルダナバロスの死」
ヴァトー「ピエロ」;クリックすると大きな写真になります。 フラゴナール「水浴の女たち」;クリックすると大きな写真になります。 1フラゴナール「霊感」;クリックすると大きな写真になります。 グルーズ「壊れた甕」;クリックすると大きな写真になります。 コロー「真珠の女」;クリックすると大きな写真になります。
ヴァトー「ピエロ」 フラゴナール「水浴の女たち」 フラゴナール「霊感」 グルーズ「壊れた甕」 コロー「真珠の女」
16-20140428_141516.jpg ラ・トウール「羊飼いの礼拝」;クリックすると大きな写真になります。 「聖イレネに介抱される聖セバティアヌス」;クリックすると大きな写真になります。
ラ・トウール「いかさま師」 ラ・トウール「羊飼いの礼拝」 ラ・トウール「聖イレネに介抱される聖セバティアヌス」


2014年6月18日

パリ・ロンドン紀行③「ルーブル美術館㊤」2014年4月28日(月)、30日(水)



  ルーブル美術館は、泊まっていた オペラ座(オペラ・ガルニエ)近くのホテルからオペラ通りを歩いて15分ほど。現地でチケットを買おうとすると1時間は並ばなければならないらしい。途中、通りをちょっと入ったフランス政府観光局まで別行動のYさん夫妻に案内してもらい、28、30日の2日分のチケットを手に入れた。同行の友人Mと合わせて49・5ユーロ。29日の火曜日は残念ながら休館日だ。

 チケットがあると列も別で、手荷物検査もかばんのチャックを開いてちょっと見せるだけ。ガラスのピラミッド地下の入り口にすぐに入場できた。それでも10時過ぎというのに、かなり混雑している。

 まずセーヌ河沿いにあるドウノン翼2階75室「ナポレオンの間」に入った。「あった、あった!」。広間中央左壁に 新古典主義の大家、ダヴィッドが3年かけて描いた 「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠」がデーンと飾られていた。

 この絵については、以前にこの ブログでもふれたが、縦6・3メートル、横9・7メートルのほんものの迫力は違う。自らの手で妃・ジョセフイーヌに冠を載せようとしているナポレオン、渋い顔の教皇ピウス7世、白いドレスのナポレオンの妹たち、そして作者・ダヴィッド自身もそっくりに描かれている。

 額縁の下に、主な登場人物の似顔絵が名前入りで書かれているのもおもしろい。

ミロのヴィーナス;クリックすると大きな写真になります。 この絵は、ルーブルでも1,2を争う人気作品だから、とにかく混んでいる。後で見た 「ミロのヴィーナス」像の周囲より混んでいた気がする。

 この部屋にはそのほか、ダヴィッド作,社交界の花形女性 「レカミエ夫人」(ダヴィッドが気に入らず未完の作だが、ルーブル美術館がダヴィッドの遺産のなかから買い上げたらしい)、ローマ共和国への忠誠を描いた 「ホラティウス兄弟の誓い」 「自画像」などの名作が並んでいる。

 新古典主義の絵画というのは様式美に優れている感じで、それまでフランス宮廷絵画を支配してきたという装飾がすぎる ロココ主義の絵画よりずっと分かりやすい。

 豪華な天井画の76室(ドウノン室というらしい)を右折したところが、あの 「モナ・リザ」(フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リザ・ゲラルディーニの肖像像)のある7室だ。

 この部屋は、何度も盗難などに会った「モナ・リザ」を守るため2005年に大改修されている。彼女は、特殊な防弾ガラスのケースのなかにいる。内部の木の床のなかには、防弾ガラスのために緑がかって見えるのを防ぐ特殊LED照明(東芝製)や最新の湿度管理システムが収納され、作者・ レオナルド・ダ・ヴィンチが駆使した スフマート(ぼかし技法)を自然光のなかで見られる工夫がされている。

 写真を撮ろうとすると、何重もの観覧者をかきわけて前に出るしかない。特殊ケースを囲む囲いのなかにいる大柄な警備員になにか大声で指さされたので振り返ると、男性が男の子を肩車させてなんとか見せようとしていた。これは「危険行為」ということらしい。

 振り返ると、隣は隔壁のないまま広がる6室。一番奥に、ヴェロネーゼ作の 「カナの婚宴」が飾られていた。

 広い部屋の両端にある77センチ×55センチの小さな「モナ・リザ」と、6・66メートル×9・90メートルというルーブル最大の壁画が見事なバランスを取っている。心憎い空間設計だ。

 「カナの婚宴」は、カナの地で開かれた婚宴で水を葡萄酒に変えるというキリスト最初の奇跡を描いたものだが、ナポレオンが北イタリアに遠征した際、 ヴェネツイアサン・ジョルジョ・マッジョーレ修道院の食堂にあったものを奪ってきた作品だ。

 ナポレオン失脚後、いくつかの芸術作品は所有国に返されたが、この作品がフランスに残ったいきさつについてふれた WEBページもなかなか興味深い。

 6室をつなぐ狭い空間を抜けたところが、待ちに待った 「グランド・ギャラリー」ルネサンス期をふくむ13-18世紀のイタリア絵画が、長さ450メートルという長い寄木細工廊下の両側に所せましと並べられ、いっぱいに人々があふれている。

 さて、どう回るか・・・。向かい側の壁に、ダ・ヴィンチの作品群を見つけた。

「岩窟の聖母」は、狭い岩窟のなかで、幼き聖イエスと聖母マリア、聖マリアの母・聖アンナ、これも幼い洗礼者・聖ヨゼフが一緒にいるという聖書ではありえない設定だ。

 隣の 「聖アンナと聖母子」は、聖アンナの膝に聖母マリアが腰かけ、幼き聖イエスを抱き上げようとしている不思議な構図。幼き聖イエスが子羊を抱いているのは、将来の受難をあらわしているというのだが・・・。この2作品とも「モナ・リザ」と同じ、スフマート(ぼかし)技法が使われている。

 そのすぐ左が 「洗礼者ヨハネ」。右手で天を指しているのは分かるが、表情が女性ぽっくちょっと理解しがたい。いささか不可解な作品だ。

 反対の壁面に、ダ・ヴィンチ、 ミケランジェロと並んで盛期ルネサンスの三大巨匠の1人といわれる ラファエロの代表作「美しき女庭師(聖母子と幼児聖ヨハネ)」があった。慈しみあふれた表情の聖母マリアを中心としたピラミッド型の構図。やわらかな光につつまれた明るい画面はいつまででも見飽きないやさしさにあふれている。

 反対側の壁の柱の陰にかくれるように掲げられている、同じラファエロの男性貴族肖像 「バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像」。来る前に見たNHKのBS番組 「あなたの知らないルーブル美術館」で「男のヴィーナス、と呼ばれている」と聞いていなかったら、見落としていただろう。
 斜め前に体を向け、顔が正面に向いているからそう呼ばれているようだが、じっとこちらを見る青い眼に引き込まれる。

 同じく来る前に読んだ 「はじめてのルーヴル(集英社)」という本で、著者の中野京子は、この絵のことを「ルーベンスも模写したというこの傑作は、・・・レンブランドを先取りしたような表現だ」と絶賛している。廊下は人であふれているが、この絵の前で立ち止まる観覧者はマーいないから、じっくり鑑賞できる。なんだか得をした気分になる。

 カラヴァッジョ「聖母の死」はどうしても見たいと思っていた。グランド・ギャラリーのなかにあるはずなのにどうしても見つからない。結局、2日目の30日に再度、同ギャラリーを訪ねてやっと対面することができた。

 7年ほど前のイタリア巡礼でイタリア・ローマのいくつかの教会で接した大作に比べると、意外に小さく見える。そして、いささか異様な作品でもある。

 真ん中に横たわる聖母の腹部は膨れ、顔も神々しさからはほど遠い。「娼婦の水死体をモデルにした」といううわさが流れ、祭壇画として発注した教会は引き取りを拒否した、という。

 しかし、カラヴァッジョらしい光と闇のコントラストは健在で、それを評価されたのか、ちゃんと、こうしてルーブルの収蔵品として収まっている。

 この ブログでもなんどかふれたが、カラヴァッジョ大好き人間。またローマへ"カラヴァッジョ巡礼"に出かけたくなった。

ルーブル美術館写真集(1)
;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。
朝から行列ができるルーブル美術館のピラミッド入口 ダヴィッド「ナポレオンの戴冠」 額縁下にある似顔絵。左端がナポレオン ダヴィッド「レカミエ夫人」 ダヴィッド「ホラティウス兄弟の誓い」
;クリックすると大きな写真になります。 P1040182.JPG ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。
ダヴィッド「自画像」 ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」 ヴェロネーゼ「カナの婚宴」 混乱するグランド・ギャラリー(イタリア絵画展示場) ダ・ヴィンチ「岩窟の聖母」
;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。
ダ・ヴィンチ「聖アンナと聖母子」 ダ・ヴィンチ「洗礼者ヨハネ」 ラファエロ「美しき女庭師」 ラファエロ「バルダッサレの肖像」 カラヴァッジョ「聖母の死」
;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。
アルチンボルド「秋」 マンテーニャ「聖セバスティアヌス」 マンテーニャ「磔刑」 ギルランディオ「老人と少年」


2008年12月13日

読書日記「建築史的モンダイ」(藤森照信著、ちくま新書)



建築史的モンダイ (ちくま新書)
藤森 照信
筑摩書房
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おすすめ度の平均: 5.0
5 建築の面白さに気づかせてくれる良書。
5 住まいが先でしょう

  自宅の屋根にタンポポを並べ、赤瀬川原平の自宅の屋根をニラで覆ったユニークな建築史家兼建築家「藤森照信」の随筆集。

 「和と洋、建築スタイルの根本的違い」という項では、日本の町並みはなぜガチャガチャしていて、欧米の人々がこだわる景観を無視するのか、という疑問に答えてくれる。簡単に言うと、日本人は、新しい建築スタイルが生まれても、古いものも並行して生き続ける矛盾にまったくこだわらないからだ、という。

 著者は、こう主張する。
 あちら(ヨーロッパ)ではギリシャ、ローマ、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロック、ロココというように建築の歴史はスタイルの歩みとして語られる。住宅も教会も役所も王宮も城も、橋の造形すら時代ごとに形を変えて変遷してゆく

 (日本でも)それまでのものが変化して新しいものが成立するところまではヨーロッパ建築と同じだが、その先が異なる。・・・日本では一度成立してしまうと生き続けるのだ。数寄屋が生まれても、書院はあいかわらず元気。時には、一軒の家の中に、書院造、数寄屋造、茶室が順に並んでいたりする

 とすると、スタイルは次々に蓄積されて、多くなるばっかりじゃないか、と心配になる。実際そうなのだが。それが日本の建築の宿命なのだと思いましょう


 ウーン。日本では和洋折衷建築をチグハグと思う人は少ない。JR京都駅が超モダンな高層ビルに建て替えられ、いささかの論議はあっても少し経つと北側の東寺などの風景になじんでしまったように思うのはそのせいなのか、となんとなく納得してしまう記述だ。

 しかし、建築史にはまったくの門外漢だが、ヨーロッパでは、時代が生んだスタイルに街ぐるみ変わってしまう、というのは本当だろうか。

 3年前に、聖書学者の和田幹男神父に引率されてローマ巡礼に旅に出た。初めてのヨーロッパ訪問だったが、確かゴシックとルネッサンス様式の違う教会が街なかで共存していて、まったく違和感がなかった印象がある。

クリックすると大きな写真になります ローマ訪問の初日。ホテルを出た道路から見た街並みと遠方に見える17世紀に再建されたという聖ペトロ大聖堂のドームが、まったく違和感がなく溶け込んでいるのに、心が膨らむような感動を覚えた記憶がある。

 同じように石を素材にしているせいだろうか。ヨーロッパの人々は、著者の言うスタイルの変化を乗り越えて、街全体の景観を大切にしてきた、という印象をその後の旅でもますます深めた。

 「ロマネクス教会は一冊の聖書だった」という項は、大いに納得した。
 「ロマネクスの教会の中はフレスコ画の図像と石を掘った彫像が充満していた」
「(初期キリスト教の)農民も商人も職人も字を読まず印刷技術もなかった時代、聖書の内容は図像を通してしか人々の間に浸透しようがなかった」


 同じローマ巡礼の旅で訪ねたアッシジの聖フランシスコ大聖堂で、同趣旨の説明を聞いた記憶がある。

 上部聖堂の壁面を埋め尽くす13世紀の画家ジョットが描く、聖フランシスコのフレスコ画を指さしながら、文盲の会衆に司祭は説教台から、その生涯を語ったという。

  「城は建築史上出自不明の突然変異」という項もおもしろい。
  姫路城なり松本城を頭に思い浮かべてほしいのだが、なんかヘンな存在って気がしませんか。日本のものでないような。国籍不明というか来歴不詳といか・・・それでいてイジケたりせず威風堂々、威はあたりを払い、白く輝いたりして


天守閣が視覚的になにかヘンに見えるのは「"高くそびえるくせに白く塗られている"」からだと、著者は「""」付きで断言する。「天守閣はある日突然、あの高さあの姿で出現したのだ。織田信長の安土城である」
なるほどなあ!天守閣は、異才・信長が生んだ突然変異だったのか!

 「茶室は世界でも稀な建築類型」「住まいの原型を考える」など、軽いタッチの筆致ながら、新鮮な驚きを誘う項目が続く本である。