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2013年10月 9日

読書日記「ひと皿の記憶」(四方田犬彦著、ちくま文庫)、「にっぽん全国 百年食堂」(椎名誠著、講談社)、「浅草のおんな」(伊集院静著、文藝春秋)

ひと皿の記憶: 食神、世界をめぐる (ちくま文庫)
四方田 犬彦
筑摩書房
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にっぽん全国 百年食堂
椎名 誠
講談社
売り上げランキング: 35,966


 残暑の秋に読んだ食へのこだわり関連本3冊。

 「ひと皿の記憶」には「食神、世界をめぐる」という副題がついている。 著者の本は、数年前に 「四方田犬彦の引っ越し人生」(交通新聞社刊)を読んだことがあるが、日本や世界各地の大学で教べんを取るかたわら、各地の食にこだわり続けたエッセイスト。著書は100冊を越えるという。

 著者が育った大阪・箕面近くの「伊丹の酒粕」から始まって「神戸の洋菓子」「金沢のクナリャ(深海魚の一種)」、そして韓国、台湾、中国、バンコクなどの東南アジア、イタリア、デンマーク、フランスと、つきることなく「ひと皿」への思いが記される。それも高級料理店でない庶民の味に徹しており、読み進むごとに垂ぜんの味わいを楽しめる随筆である。

   
粕汁とは不思議なスープ、いやシチューである。魚やいろいろな野菜を水煮し、そこに酒粕と味噌を流し込んでさらに煮込む。・・・この汁には味檜汁や澄まし汁にはない独特の重たげな魅力があり、一口でも口に含むだけで腹がしっかりと温まる気持ちになった。いうまでもなくそれには酒粕から滲み出るアルコールが作用していたに違いない。加えて白濁した汁の合間に覗く紅い人参や色が透けかかった大根、細かく刻まれた黄色い油揚げといった組み合わせが・・・愉しげな抽象絵画のように思われてくるのだった。


 
(北京の朝)市場のすぐわきの路地に入ると早々と小食店が開いていて、すでに何人もが仕事前の食事をしている。北京では 豆腐脳(トウフナオ)、南方では豆花(タウファー)といって、ひどく柔らかい豆腐椀に盛り、好みで辣油をかけて食べる。店先では大鍋に煮え滾った油のなかで、直径三〇センチほどの巨大な素妙餅(スウチャオビン)が揚げられている。しばらく店内を見回してみると豆腐脳はこの餅を千切りながら匙で口に運ぶものらしいと、見当がついてくる。揚たてのパリパリとした餅と、匙で掬おうとしても崩れてしまうほどに柔らかい豆腐脳の組み合わせには、絶妙なものがある。


 牡蠣のついての記述も多い。とくにこれまで3回訪ねた米国・ニューヨークで計10回近く通ったグランド・セントラル駅の「オイスターバア」についても書かれている。

 
そこには主にアメリカの東海岸で採られた、実に多様な牡蠣があった。ずんぐりとした殻をもつブラスドールもあれば、底の深いブロンも、強い刻み目をもつキルセンもあった。一番巨大な牡蠣をと狙ってメーンを注文したところ、水っぽすぎて落胆したこともあった。もっとも小さいのはカタイグチと呼ばれ、伝説の牡蠣クマモトの一統だった。わたしは最初に訪れたときには盛り合わせを頼み、それからは気に入ったものを半ダースほど改めて注文することで、少しずつ牡蠣の個性を学んでいった。


 デンマーク・コペンハーゲンのスモーブローについての記述も、かってこの街に行った時に何軒もの店頭で見つけたことがなつかしい。バターをたっぷり塗ったパンの上にサーモンやニシンなどの具材をトッピングしたものだが、なにか寿司の"デンマーク版"と感じた覚えがある。

 「ロンドンにおいていい食堂を見分ける5つの条件」という項もある。フイッシュ&チップスの名店や鰻の煮こごりの店が記述されている。いつかロンドンを訪ねる機会があれば参考にしようと思う。

 この本の最後近くに出てくる「肉」についてのうんちくは、世界中で食べ歩いた著者の真骨頂だろう。

 
牛肉はそれ自体で自立した味の個性をもち、どのように調理されても自分のアイデンティティを崩すことがない。ローストビーフであれ、カルビ焼きであれ、そもそも牛の調理とは、いかにその本来の肉の味を引き出すかという一点にかかっている。だが牛は、どこまで行っても牛肉が牛という宿命から逃れることができない。中華料理において素材としての牛肉が豚肉と比べて圧倒的に不振であるのは、もっぱらこの自己完結性によるものである。羊の強烈な個性にしても同様。羊であることを消し去って羊料理を作ることはできない。鴨またしかり。では逆に鶏は、兎はどうだろう。鶏は鴨とは逆に、味が万事において控えめであり、とても塩漬けや角煮といった荒事に向きそうにない。兎は先天的に脂気が欠けているので、しばしばベーコンなどを添えて調理しなければならない。こうして一長一短がある他の肉と比べてみたとき、豚の卓越性は否定しようがない。人間がもっぱら食べるためだけに改良を重ねてきたプロの肉という気がするのである。


 「にっぽん全国 百年食堂」は、雑誌「自遊人」に2008年7月号から2011年11月号連載されたものを単行本にしたもの。 著者が編集者3人と全国の地方都市で百年前後続いている大衆食堂を延々と食べ歩く。

 先取の気概に満ちている県民性の新潟には、洋食をいち早く取り入れた百年食堂の候補がいっぱいあるという。
   「元祖洋食レストラン キリン」の代表メニューは、オムライス。 「鍋とフライパンを上手に使い、タマゴは殆ど半焼けぐらいの状態でかまわずそこにチキンライスをのせてドバッと皿の上にひっくりかえすともう完成」(千二百円)
 上野・精養軒で修業した先々代が、コメがうまいからという理由だけで新潟に来て「首が長いから長持ちするだろう」と、かなりいい加減な理屈で店名を決めた。

 長野県の小諸駅前にある 「揚羽屋」は、島崎藤村直筆の看板がある店として有名。藤村は「千曲川のスケッチ」のなかで、こう書いている、という。
 「そこは下層の労働者、馬方、近在の小百姓なぞが、酒を温めて貰うところだ。こういう暗い屋根の下も、煤けた壁も、汚れた人々の顔も、それほど私には苦に成らなく成った」

 茨城県水戸市の 「富士食堂」は、メニューが百種類はある「フアミリーレストラン」の元祖。味はもうひとつだが、著者はこう書く。
 「要するに『土地のヒトが安心する味』というのが厳然としてあって、これを東京で流行っている味だの盛りつけだのにしてしまうと、百年食堂でなくなってしまう、という数値であらわせない『長続きの公式』があるような気がする」

 北海道古平町の 「堀食堂」は、かってニシン漁が盛んだった頃の開店。
 ラーメンにエビの天ぷらが二本のった「天ぷらラーメン」や鶏肉にヒミツの味つけをして衣をつけて揚げた「ザンギ定食」など重労働のヤン衆に好まれそうなメニューが人気だが「実は、二つともニシン漁がすたれた後に始めたもの」と聞いて、取材の一行は不思議そうな顔。

 北海道釧路市の 「竹老園 東家総本店」は、御殿のような造りで、観光バスで団体客がやって来るほど人気のある蕎麦屋。
 極上の上更科粉に新鮮な卵黄をつなぎにしている「藍切りそば」など、蕎麦の種類で変えている「つゆ」がどれもうまく「百年のあいだに積み重ねられた、本物の老舗の味」。暖簾分けで26軒の支店がある、というのもすごい。

 千葉県野田市の 「やよい食堂」は「大盛り」で超有名。
 一人前で、4,5合使うカレーやカツ丼は、皿や丼からこぼれてもよいように受け皿がついている。「安い値段でお腹いっぱい食べさせてあげたい」という思いがふくらみ、歴史を重ねるごとに盛りが大きくなったという。タマネギと肉だけの昔ながらのカレーライスが一番人気だが、大盛りで五百八十円という安さ。

 取材の最後近くで、著者はこう結論付ける。
 「地元の人の好みに変わらず応える味と人間づきあいが、百年を生きる正直な原動力になっている」
 そして駐車場が大きく、厨房が広くて清潔で使用人が沢山いて活気があるのが、流行っている「百年食堂」の二大ポイントだという。

   「あさくさの女」は、伊集院静らしい哀感あふれる艶っぽい小説だが、主人公が浅草の小さな居酒屋の女主人だから、出て来る酒の肴の描写がなかなかいい。

 
志万はすぐに裏に行き、朝方干しておいた柳鰈(やなぎがれい)を取り込み、灰汁(あく)抜きの蕨(わらび)を漬けておいた金ボウルを手に調理場に入った。冷蔵庫の中から朝のうちに開いておいたぐじを包んだ布をほどいた。ふたつの小鍋に火を入れ、 がめ煮と、京菜油揚げの炊き合わせの準備にかかった。氷水を金ボウルに入れ、そこに鰺をつけ、・・・。真空パックから白魚を出す。・・・鍋を洗って天豆(そらまめ)を湯搔(ゆが)く。・・・


 
今日の一番はちらし寿司である。留次が好きだった鯯(つなし)をたっぷりまぶしたちらしである。店裏からいい匂いがしてきた。美智江が椎茸を煮込みはじめている。志万はサヤエンドウを湯搔いている。冷蔵庫から鮪(まぐろ)を出して柵(さく)に分けていく。


 
「ほう、突き出しが天豆に鱲子(からすみ)とは、この不況でもここだけは贅沢だね」
 「贅沢じゃなくて親切でしょう。春から、"志万田(しまだ)"は料金を安くしてくれてるのよ」・・・
 「(肴は)きんぴら、インゲンのゴマ和え、じゅんさい」・・・
 「・・・私は鱧に鴨ロース、それにポテトサラダ」


 

2011年2月14日

読書日記「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子著、朝日出版社)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ
加藤 陽子
朝日出版社
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 歴史学者の加藤陽子・東大文学部教授が、鎌倉・栄光学園の歴史研究部の中高生20人弱を対象にした5日間の講義をまとめた本。教授は、世界大不況から始まる1930年代の外交と軍事が専門、という。
 なんどか図書館で借りながら返却期限が来てしまっていたが、3度目の正直でやっと読み終えた。加藤先生の視点も"目から鱗"だったが、中高校生とのやりとりもすこぶるおもしろい。

 最終5章の「太平洋戦争」から読み始めた。

 このブログでも、この戦争に昭和天皇がどうかかわったかについて書かれた本についてふれた。
 加藤教授によると、この戦争に踏み切るかどうかのポイントは「英米相手の武力戦は可能なのか、この点を怖れて開戦に後ろ向きになる天皇」を、軍首脳がどう説得できるかにかかっていた。

 そこで軍が持ち出したのが、なんと大坂冬の陣だった。
 永野修身軍司令部総長は、1941年9月6日の御前会議でこういった。

 避けうる戦を是非とも戦わなければならぬという次第では御座いませぬ。同様にまた、大坂冬の陣のごとき、平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬような、不利なる情勢のもとに再び戦わなければならぬ事態に立到(たちいた)らしめることは皇国百年の大計のため執るべきにあらずと存ぜられる次第で御座います。


 「このような歴史的な話しをされると、天皇もついぐらりとする。アメリカとしている外交交渉で日本は騙されているのではないかと不安になって、軍の判断にだんだん近づいてゆく」
 「戦争への道を一つひとつ確認してみると、どうしてこのような重要な決定がやすやすと行われてしまったのだろうと思われる瞬間があります」

 4章「満州事変と日中戦争」では、新聞写真などでよく見る国際連盟脱退を宣言退場していった松岡洋右全権のイメージが変わる事実が明らかになる。実は松岡全権が脱退に反対、強硬姿勢を改めるよう首相に具申していた電報が紹介されているのだ。

 申し上げるまでもなく、物は八分目にてこらゆるがよし。いささかの引きかかりを残さず奇麗さっぱり連盟をして手を引かしむるというがごとき、望みえざることは、我政府内におかれても最初よりご承知のはずなり。・・・一曲折に引きかかりて、ついに脱退のやむなきにいたるがごときは、遺憾ながらあえてこれをとらず、国家の前途を思い、この際、率直に意見具申す。


 ところが、陸軍が満州国で陸軍が軍隊を侵攻させたことが国際連盟の規約に違反、世界を敵に回すことが分かり、日本は除名されるよりはと、脱退せざるをえなくなってしまう。

 これも「目から鱗」。日中戦争が始まる直前の1935年に「日本切腹、中国介錯(かいしゃく論)を唱えた中国の学者が紹介されている。北京大学教授で、1938年に駐米国大使になった胡適だ。

「(日中の紛争に)アメリカやソビエトを巻き込むには、中国が日本との戦争をまずは正面から引きうけて負け続けることだ。・・・その結果、ソ連がつけこむ機会が生まれ、英米も自らの権益を守るため軍艦を太平洋に派遣してくる」
 以上のような状況に至ってからはじめて太平洋での世界戦争の実現を促進できる。したがって我々は、三、四年の間は他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。日本の武士は切腹を自殺の方法とするが、その実行には介錯人が必要である。今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。


 「歴史の流れを正確に言い当てている文章」を聞いた栄光学園の受講生たちも、一斉に「すごい・・・。」

 これには続きがある。あの南京・傀儡政権の主席だった汪(おう)兆銘が、35年に胡適と論争しているのだ。
 「『胡適のいうことはよくわかる。けれども、そのように三年、四年にわたる激しい戦争を日本とやっている間に、中国はソビエト化してしまう』と反論します。この汪兆銘の怖れ、将来への予測も、見事あたっているでしょう?」

 第2の章の「日露戦争」では、この戦争の「なにが新しかったか」について、ロシア側で若き将校として戦ったスヴェーチンという戦略家の著書を慶応大学の横手 慎二教授の研究成果として紹介している。

 日本の計画の核心は、異なるカテゴリーの軍、つまり陸軍と海軍を協調させることに向けられていた。この協調によって、なによりも、大陸戦略の基本となす、軍の力の同時的利用という考えを拒否することになった。日本軍の展開は同時的なものではなく、階梯(かいてい)的で、陸と海の協調を本質とするものであった。


 旅順の攻防戦で、日本陸軍の第三軍司令官だった乃木希助に、海軍秋山真之(さねゆき)は毎日のように手紙を送り、頼み込んだ。

 実に二〇三高地の占領いかんは大局より打算して、帝国の存亡に関し候(そうら)えば、ぜひぜひ決行を望む。[中略]旅順の攻防に四、五万の勇士を損するも、さほど大いなる犠牲にあらず。彼我(ひが)ともに国家存亡の関するところなればなり。


 のべで十三万人いた第三軍は戦死者が七割にのぼる大損害を受け「結局、秋山の願いとおり、・・・日本海海戦に間に合わせることができた」

 「序章」で加藤教授はまず、2001年に9・11事件と、日中戦争開始後の1938年に近衛文麿首相が出した「国民政府を対手(あいて)とせず」という声明には共通点がある、と切り出す。

 「9・11の場合におけるアメリカの感覚は、戦争の相手を打ち負かすという感覚よりは、国内社会の法を犯した邪悪な犯罪者を取り締まる、というスタンスだったように思います」
 「日中戦争期の日本が、これは戦争ではないとして、戦いの相手を認めない感覚を持っていた」

 「時代も背景も異なる二つの戦争をくらべることで、三〇年代の日本、現代のアメリカという、一見、全く異なるはずの国家に共通する底の部分が見えてくる。歴史の面白さの真髄は、このような比較と相対化にあるといえます」

 ウーン、確かにおもしろい!

 ▽最近読んだその他の本
  • 「錨を上げよ 上・下」(百田尚樹著、講談社)
     上、下巻合わせて1200ページという膨大な本を飛ばし読みした。著者の本を、このブログでふれるのは5冊目(「永遠の0」  「聖夜の贈り物」(文庫化で「輝く夜」に改題)  「影法師」  「ボックス」)にもなったが「永遠の0」以外は、なんとなく図書館で目の前にあったものばかり。
     この本、なんと「幻の小説第1作がベース」(2010年11月30日付け読売夕刊)だという。駆け出し時代に書いたが、思いもよらない長編になってしまい「ベストセラー作家にでもならんと発表できんな」と屋根裏にしまいこんで忘れていたらしい。道理で、他の著作に比べて作風が違う。
     自伝風青春小説なのだが、とにかくなんでもあり。ガキ大将が、落ちこぼれの高校に入って初恋をしてふられ、発奮して関西学院大学に入るが、嫌気がさして中退して東京へ。やくざの下働きから逃げ出して、根室で密漁船の船長に。放送作家として幸せな結婚をするものの、妻の不倫で離婚、女性を日本に送り込む仕事を頼まれタイに渡るが、麻薬売買に巻き込まれそうになり、ほうほうのていで大阪へ・・・。
     とにかく、主人公の限りないエネルギーと、女性にほれっぽい真剣さに感服。今年の本屋大賞の候補になったようだが、さて?
    錨を上げよ(上) (100周年書き下ろし)
    百田 尚樹
    講談社
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  • 「パタゴニアを行く――世界でもっとも美しい大地」(野村哲也著、中公新書)
      「BOOK」データベースから、この本の紹介を引用する。
     パタゴニアは、南米大陸の南緯40年以南、アンデス山脈が南氷洋に沈むホーン岬までを含む広大な地だ。豊かな森と輝く湖水が美しい北部、天を突き破らんばかりの奇峰がそびえ、蒼き氷河に彩られる南部、そして一年中強風が吹き荒れる地の果てフエゴ島...。変化に富む自然に魅せられて移住した 写真家が、鋭鋒パイネやフィッツロイ、バルデス半島のクジラ、四季の花や味覚、そして人々の素朴な暮らしを余すところなく紹介する。

     パタゴニアについては「パタゴニア あるいは風とタンポポの物語」(椎名誠著、集英社文庫) でも少しは知っていたが、これほど多くの自然がそろっている土地であるとは。
     「行きたい」「この年で・・・」。そんな思いが消えては浮かんでいくなかで繰っていくページにあふれるカラー写真がすばらしかった。
    カラー版 パタゴニアを行く―世界でもっとも美しい大地 (中公新書)
    野村 哲也
    中央公論新社
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2009年2月24日

読書日記「火を熾す」(ジャック・ロンドン著、柴田元幸訳、スイッチ・パブリッシング刊)


火を熾す (柴田元幸翻訳叢書) (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)
ジャック・ロンドン
スイッチ・パブリッシング
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おすすめ度の平均: 5.0
5 バイタリティー溢れる強靭な主人公の魅力でぐいぐい読ませる重厚な作品集です。
5 なぜ、いまジャック・ロンドンなのか。
 
 作者、ジャック・ロンドンは、なんと19世紀のアメリカの作家。
 貧困家庭に生まれ、多くの職業を体験し、世界を放浪しながら20冊の長編小説、200本に及ぶ短編小説を残している。

 翻訳の名手、柴田元幸が、そのなかから9本を選んで新訳したのが、この本である。

 訳者は「あとがき」でこう書いている。
 「ロンドンの文章は剛球投手の投げる球のような勢いがあり、誠実で、率直で、ほかの作家ではなかなか得られないノー・ナンセンスな力強さに貫かれている」

 「翻訳にあたっても、いつも以上に透明性めざし、この作家の身上である勢いを削がないように努めたつもりである」


 9篇ともすごい剛球小説だが、昔からの〝焚き火大好き人間〟なだけに,最初に引きずり込まれたのは表題になっている「火を熾す」の焚火シーンだった。

 男が1匹の犬だけを連れて極寒のアラスカの原野を歩いている。零下50度(摂氏零下約45,6度)から零下75度(同59・4度=訳注から)まで冷え込んでくる。

 途中で弁当を食べようとするが、手袋を脱いだ手はたちまち麻痺し、氷の口輪に邪魔をされてパンを一口も齧れない。
 「火を熾しにかかった。下生えの、よく乾いた枝が前の春に増水で流されてたまっているところから薪を集めた。小さな炎からはじめて、慎重に作業を進め、やがて勢いよく燃える火が出来上がった」
 寒さを克服した男は、無事食べ終え、パイプで一服する余裕さえあった。

 再度、歩き始めて不運に見舞われる。固い氷の下の湧き水に足を突っ込み、濡らしてしまう。
 今度も「火はちゃんと燃え、パチパチと音を立て、炎を大きく躍らせるごとに生命を約束している」
 しかし、エゾマツの下で火を熾したのが間違いだった。頭上の大枝には、かなりの重さの雪が積もっていた。
 その雪が
「なだれのように大きくなって、いきなり何の前触れもなく男と火の上に落ちてきて、火は消えてしまった!さっきまで燃えていたところには、真新しい乱れた雪の外套があるばかりだった」


 別の場所で再度、火を熾そうとするが、足が凍り、両手が麻痺してくる。手袋をはめた両手で挟んだ硫黄マッチの束に火をつけたが、雪の上に落してしまう。小枝にへばりついた腐った木のかけらや緑色の苔を歯で食いちぎり、火を育てようとするが「苔の大きなかけらが小さな炎の上にもろに落ちた。・・・火は消えた。

 歩きだしたが倒れてしまう。
「威厳をもって死を迎えるという観念を頭に抱いた。・・・俺は馬鹿な真似をやった、首を切り落とされた鶏みたいに駆け回って。・・・最初のかすかな眠気が訪れた」


 この短編を、村上春樹が短編集「神の子どもたちはみな踊る」(新潮文庫)のなかの「アイロンのある風景」で取り上げていることを、新聞の書評とネットサーフインで知った。さっそくアマゾンに450円(アマゾンポイント10円引き、送料無料)で注文、翌日届いた。

 主人公の順子は、高校1年の時に宿題の読者感想文で、この短編を読み「この旅人はほんとうは死を求めている」と、この物語の核心に気がつく。

 「あやしい探検隊焚火発見伝」「あやしい探検隊焚火酔虎伝」といった焚き火シリーズを書いている椎名誠などが作っている国際焚火学会という遊び心いっぱいの集団がある。

その国際焚火学会編の「焚火の時間」(コスモヒルズ刊)、「焚火パーティへようこそ」(講談社+α文庫)でも、ジャック・ロンドンのこの短編が取り上げられている。
「厳寒のアラスカやシベリアを舞台にした,J・ロンドンやH・A・バイコフの小説には、たくさんの焚火が登場する。これらの小説では、過酷で原始性の強い自然環境を描いているので『たき火は命と同じ』という価値を持って表現されている」

「文明に毒されたあまたの放漫さからときとして謙虚さを取り戻すべく、人間は森、露地、海、川、山、庭、あらゆる場所で焚火をするということである」


 焚火に凝りに凝っていた若い頃がなつかしい。山行の帰りの河川敷、借り農園、千葉・稲毛の人工海岸、西宮・香櫓園浜、ニュージランド南島の海岸・・・。ジャック・ロンドンの描く世界とはほど遠い小さな、小さな冒険?だったが。

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)
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4 柔らかい世界観
4 信頼できる「震災との距離感」
5 阪神淡路大地震の闇と心の闇が通じ合う孤独を抱えた人々の魂の再生の物語
5 死とむかいあう
5 "やみくろ"と戦うかえるくん

あやしい探検隊焚火発見伝 (小学館文庫)
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おすすめ度の平均: 3.5
4 空腹時は読んではいけない。
3 日本は美味なものが多いね

あやしい探検隊 焚火酔虎伝 (角川文庫)
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おすすめ度の平均: 4.0
5 焚火の魅力
3 気分だけでも

焚火の時間
焚火の時間
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