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2013年8月18日

読書日記「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」(梅原 猛著、集英社文庫)


日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る (集英社文庫)
梅原 猛
集英社
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 もう1年近く前の話しになってしまったが・・・。この ブログでもふれたが、東北・大船渡にボランティアに出かけた際、ホテル近くの寿司店のカウンターで同席した地元の元中学校校長、金野俊さんの言葉がなぜか、いまだに忘れられない。

 「私は、日本人とは思っていません。 縄文人と 弥生人が"和合"した子孫です」

それ以来、東北と縄文文化に関連した本をいくつか読み、東北が縄文文化の中心であり、日本の"故郷"でもあることを確信するようになった。表題の本も、その一つだ。

著者は、こう切り出す。

「縄文時代という時代、特に後期から晩期にかけて、東北はまさに日本文化の中心地であった」
「特に青森県を中心とした晩期縄文文化は、まことに素晴らしい。・・・縄文晩期、つまり、いまから三千年から二千年前くらいまで、東北、特に津軽の地には日本最高の狩猟採集文化があったといえる」

 著者は、近著「縄文の神秘」(学研M文庫)のなかでも「縄文時代の人口の十分の九は東日本にいた」と言う考古学者、 小山修三・元国立民族博物館名誉教授の説を紹介。同時に、西日本が照葉樹林帯であるのに対し、落葉樹のナラ、クリ、トチなど豊かな実を実らせる東日本の"森の文明"が縄文文化の背景にあった、と説明している。

 当時、日本は千島列島とつながってアジア大陸の一部であり、人口のほとんどが東日本に住んでいたとすると、朝鮮などから渡来してきた弥生人が攻めのぼるまでは、東北が"日本"の中心の地であったことは、かなり明確になる。

 青森県 東北町では、 「日本中央の碑(いしぶみ」という石柱が発見され、保存館まであるらしい。 自然石に「日本中央」という文字が刻まれているらしいが、縄文時代に文字があったという記録もなく、この碑が本物であることは、歴史的には定かではない。

 しかし梅原氏は、「蝦夷の地は、かって 『日本』と呼ばれていた」という高橋富雄・東北大名誉教授の説を紹介、中国・唐代の歴史書である 「旧唐書(くとうじょ)」 「新唐書」に「倭の国(大和朝廷)が日本の国を合して日本と名乗った」といった記述があることにふれている。

 日本とは「日の本(ひのもと)」。あの「日出ずる国」を意味する。
   それを知るだけで、日本の源流である東北の存在感への重みはいやがうえにも増してくるのだ。

 梅原氏は「古い日本の文化、いってみれば日本の深層を知るには縄文文化を知らなければならない」と、この本の表題の意味を明らかにする。

 ただ、ひとつの文化を知るには(土偶など)物の遺品だけでなく、その精神、言葉、宗教を知らなければならないが「縄文時代には、その言葉も分からず、その宗教は見当もつかない」ため「縄文研究に絶望していた」という。

 しかし、アイヌ文化を研究することによって「 アイヌ語 日本古代語の霊に関する言葉はほとんど同一であり、その意味するところもほぼ同じ」であることを発見「アイヌは、縄文人の遺民である」という結論を得る。そして、アイヌ語の研究を足がかりに縄文文化の解明に分け入ろうとする。

 そして「日本の文化は、蝦夷の文化、アイヌの文化との関係を知ることで明らかになるはずだ」と、東北への旅に出る。   なかでも、世界遺産、 平泉に関する記述がおもしろい。そして、中尊寺の国宝・ 金色堂の御物のなかに、蝦夷文化の遺産を見つけ、それがアイヌとも関係があることを示唆している。

 さらに、柳田國男 宮沢賢治の作品に縄文からの遺産をみつけ、 マタギ、山人(やまびと)が縄文の遺民であることを知る。

 そして、青森や弘前の ねぶた祭りには「縄文文化の伝統があることはまちがいない。爆発するエネルギー、そしてねぶたの外まではみ出してくるようなダイナミズム。そして人間とも妖怪ともわからない世界にさ迷うミスチシズム(神秘主義)、すべてそれは、縄文的なものである」と断言。「なまはげは、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に殺された蝦夷の霊を祀る祭りである」といった見解を展開する。

 最後には再度「日本の文化、特に東北の文化の根底には、縄文文化の精神が強く残っている」と結んでいる。

 昨年の9月に、金野さんから聞いた言葉は「私は、縄文人の心を失っていない東北人です」という意味だったのか、と初めて気づかされた思いだった。

 ※その他、参考にした本
  • 「君は弥生人か縄文人か」(梅原 猛、中上健次著、集英社文庫)
      梅原猛と「縄文文化の名残りの地」と言われる和歌山県・熊野をテーマにした小説を書き続けた故中上健次との対談集。「鍋料理は縄文のなごり」という項がある。
  • 「東北ルネサンス」(赤坂憲雄編、小学館文庫)
     民族学者で、福島県立博物館館長の編者と東北に詳しい7人との対話集。編者が創った 東北芸術工科大学・東北文化研究センターの設立宣言文には、こう書いてあるという。
     「弥生史観の暗闇の中から、縄文の光が次第に大きく日本の魂を揺さぶりはじめている。・・・この東北こそ、日本に残された最後の自然―母なる大地―である。現代文明の過ちを克服し人間の尊厳を取り戻す戦いの砦である」
  • 「世界遺産 縄文遺跡」(小林達雄編著、同成社刊)
     青森県の三内丸山遺跡など、政府のよって世界遺産国内候補として2008年に指定された 「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」を解説した本。編著者は、この遺跡がある地域を「縄文津軽海峡文化圏」と呼ぶ。
  • 「縄文人に学ぶ」(上田 篤著、新潮新書)
     建築家で元阪大教授でありながら、縄文研究を続けてきた人の近著。「遺された縄文人の遺体に殺されたとみられる痕跡がほとんどない。この時代には戦争、殺人がなかった」「縄文時代が一万年以上も続いたのは母系制社会だったから」といった記述がある。


2010年9月 8日

読書日記「縄文聖地巡礼」(坂本龍一・中沢新一著、木楽舎刊)


縄文聖地巡礼
縄文聖地巡礼
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坂本 龍一 中沢 新一
木楽舎
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おすすめ度の平均: 4.0
5 縄文的思考
2 テーマは好きなのだが
5 縄文文化を基に、新しい世界感の提示
2 お約束どおりのアンチ原発
4 縄文的世界観に資本主義解体の契機を探る、現代文明批判の試み


 聖地を訪ねる旅がちょっとしたブームだそうである。
 インターネットの影響で誕生したという話題の小説やアニメの舞台を訪ねる「聖地巡礼」とはちょっと違う。日本人の心のふる里を求めて、古代から大切にされてきた祈祷の場所や国家神道の範ちゅうではくくれない神社や鎮守の森などを訪ねる旅が人気だという。新聞社が「聖地日和」という長期連載を組み、聖地への旅の特設コーナーを新設する大手書店まで現れた。

 このブログでも以前に、世界遺産の北海道・知床で「アイヌ民族・聖地巡礼」というエコツアーに参加したり、信州・蓼科の縄文遺跡、世界遺産・熊野古道の神社を巡る旅をしたりしたことを書いた。

 その延長線でこの本が気になって図書館で借りた。
 世界で活躍するミュージシャン・坂本龍一と人類学者であり宗教学者としても知られる中沢新一という異色の組み合わせが「縄文人の記憶をたどりたい」と一緒に旅をした際の対談集である。

 最初に中沢は、こう書く。
 縄文時代の人々がつくった石器や土器、村落、神話的思考をたどっていくと、いまの世界をつくっているのとはちがう原理によって動く人間の世界というものをリアルに見ることができます。・・・これは、いま私たちが閉じ込められて世界、危機に瀕している世界の先に出ていくための、未来への旅なのです。


 旅は、青森・三内丸山遺跡から始まり、諏訪、若狭・敦賀、奈良・紀伊田辺、山口・鹿児島を巡り、青森にもどる。

 諏訪では、諏訪七石の1つ「小袋石」(茅野市)を訪ねる。
 見るからに何かを発しているというか。地底に触れている感じが触れている感じがした」(坂本)
 「縄文の古層から脈々と続いているものというのは、深く埋葬されていているけれど、強いエネルギーを放つ磁場としてわれわれに影響を与え続けていて、・・・。そして諏訪の場合は、・・・それが地表に出てるんですね」(中沢)


 敦賀半島にある「あいの神の森」は、田の神とも漁の神とも言われる「あいの神」を祀り、他の祭祀遺跡も同居する太古から続く森である。森全体が墓地であった聖地のすぐ近くに原子発電所「もんじゅ」があることに2人は衝撃を受ける。
 「日本海は内海だった」と中沢は言う。「私たちは縄文というものを、ひとつの民族のアイデンティティに閉じ込めるのではなく、むしろ大陸側にも太平洋側にも大きく開いてとらえるべきで・・・」


 鬱蒼とした「なげきの森」に包まれた鹿児島・蛭児神社では、南方から渡来してこの土地を支配していた先住民族、隼人と天皇家の祖先である天孫族の関係に思いをはせる。
 隼人は大和政権に征服された民で、西郷隆盛はその末裔ですよね。なのに自分の祖先を征服した部族の王である天皇に、親しみを感じ、忠誠を尽くして戦う」(坂本)
 「天皇家の祖先である天孫族が朝鮮半島から渡ってきたとき、なぜ日向を拠点にして隼人族の女性を妻に迎えたのか。・・・背後には隼人族の経済力と軍事力の存在がおおきかった。天皇家としては、朝鮮半島とのつながりを強調するんだけど、もう一方で、隼人、つまりインドネシアから渡ってきた人々にもつながってるんですね」(中沢)


 青森で始まった旅は、青森に戻って終わる。
 縄文前期から中期の大集落である三内丸山遺跡と、縄文後期の環状列石(ストーンサークル)の小牧野遺跡を訪れ、その石組みの生々しさに興奮しながら対談は続く。
 あの環状列石のなかにいると、石を運んできて、お祈りをしている人たちの姿が見えるかのようで、・・・天上の世界を人工的につくろうとしている」(坂本)
 「縄文の研究は、過去だけじゃなくて、未来を照らす可能性がある。・・・この列島上に展開した文化には、まだ巨大な潜在能力が眠っていて、それは土の下に眠ってだけではなくて、われわれの心のなかに眠っている・・・」


 ▽最近読んだ、その他の本
  • 「ヒマラヤ世界 五千年の文明と壊れゆく自然」(向 一陽著、中公新書)
  • ヒマラヤ世界 - 五千年の文明と壊れゆく自然 (中公新書)
    向 一陽
    中央公論新社
    売り上げランキング: 371704

     「いつかはヒマラヤ・トレッキングを」と若い時から思い続けながら、実現できなかった。
    そんな郷愁めいた気持ちで、この本を手にしたが・・・。単にヒマラヤへの想いを綴ったものではない。地球温暖化と人間の行動への厳しい告発書であった。
     西からインダス川ガンジス川ブラマプトラ川。この3つの大河流域に世界の人口の1割以上、8億人が住んでいる。間接的には15億人がこの大河がもたらす水の恵みを受けている。白き神々の座・ヒマラヤ山脈と同様、この広大な大平原を著者は「ヒマラヤ世界」と呼ぶ。
     氷河の衰退に始まって、氷河湖の決壊による洪水の恐れ、氷河湖の汚染、森林伐採、食糧大増産のために枯渇したヒマラヤ始発の地下水、井戸水から検出される砒素、国家間の水争い・・・。今「ヒマラヤ世界」で起ころうとしている危機は、地球全体の崩壊につながると著者は警告する。

  • 「大人の本棚 夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選」(岡崎武志編、みすず書房刊)
夕暮の緑の光――野呂邦暢随筆選 《大人の本棚》
野呂 邦暢
みすず書房
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 NHKのBS放送が土日の朝に放映している「週間ブックレビュー」は、読書好きには評判の番組だ。ここで取り上げられた本の購読を図書館に申し込むと、たいてい予約殺到で何カ月か待たされる。
 野呂邦暢という芥川賞作家を浅学にして知らなかったが、編者の岡崎武志は、巻末の解説でこう書いている。
 野呂邦暢が小説の名手であうとともに、随筆の名手でもあった・・・。ちょっとした身辺雑記を書く場合でも、ことばを選ぶ厳しさと端正なたたずまいを感じさせる文体に揺るぎはなかった。

 表題にある「夕暮の緑の光」という30数行の文章。そのなかで野呂は、自分がなぜ書くことを選んだかについて、こう記している。
 それはごく些細な、例えば朝餉の席で陶器のかち合う響き、木洩れ陽の色、夕暮の緑の光、十一月の風の冷たさ、海の匂いと林檎の重さ、子供たちの鋭い叫び声などに、自分が全身的に動かされるのでなければ書きだしてはいなかったろう。

 1つ、1つのフレーズをかみしめて、もの書く人の繊細で真摯な感性を知る。

2010年4月17日

読書日記「インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日」(中村安希著、集英社刊)



インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日
中村 安希
集英社
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おすすめ度の平均: 3.5
4 自分の立ち位置を確かめ、価値観を再検証し直す、正しい旅日記。
2 キャリアパス
4 久しぶりに読んだ旅行記
2 貴重な体験とキャラクターとのギャップが、、
4 日本から遠く離れて


 なにも古希近くなって若者のバックパッカー旅行記でもあるまい、とも思ったが・・・。淡々と書かれた不思議に魅力のある文章と、その土地、土地で出会った人に真正面から向かっていく姿勢に引き込まれ、アッという間に読んでしまった。

 26歳の女性がふと思い立って冷蔵庫を売り払ってアパートを引き払い、23キロのリュックをかついで2年間にわたって47カ国を訪ねた記録。旅行中に発信していたブログ「安希のレポート -現地の生活に密着した旅- 」を本にしたのだが、ブログと本では文章スタイルがまったく違うのがおもしろい。本のほうは、昨年の開高健ノンフィクション賞を獲得している。

 表題は、ケニアのサバンナで出会った一頭のインパラから採っている。
 黄金の草地に足を着き、透き通る大気に首を立て、・・・濡れた美しい目は、周囲のすべてを吸収し、同時に遠い世界を見据え、遥か彼方を見渡していた。


 こんな姿が、旅する著者の思いと重なっているように思える。

 同じケニアでトラックに乗せてもらった時のこと。
 手のひらのマメがいくつか潰れ、パイプで擦れたお尻の皮がついに破れて血が出始めた。黒い雲が張り出してきて雨粒が激しく頬を打ち、・・・パイプの上の人々は、車体の揺れを黙って受け止め、それぞれの時を生きていた。


 途上国の人びとの役に立ちたいと思って来たのに、逆に現地の人に助けられたことがなんどもあった。子どもたちはいつもキラキラと輝いていた。
 国際貢献をしたという実績を残したくて、インドのマザーズハウス(マザー・テレサの家)でボランティアをしたいと思ったが「人手は十分足りていますが、寄付金は有り難く受け取ります」とシスターに冷たく拒否される。
 途上国援助の厳しい現実や極め付けに見える都市の貧困に困惑し、イスラエルやイスラム圏の実態が日本のメディアが伝えるものとはまったく違うことも体験する。

 西アフリカのトーゴからベナンに向かう国境の町では、バイクに乗せてもらった男や国境の役人にだまされ、28キロを歩くはめになった。
 しばらく森を進むと・・・幼児を抱いた地元の女性がどこからともなく現れて、私と抜きつ抜かれつしながら一緒に歩き始めた。・・・彼女は私に微笑んだ。私も微笑んだ。・・・さらに森を歩くと、ポリタンクを持った男性が、後ろから私に追いついてきた。・・・いつのまにか三人は、ペースや呼吸を調和させ、適度な距離や空間と無理のない連帯感を保つことに成功していた。


▽最近読んだその他の本

  • 「ロスト・トレイン」(中村 弦著、新潮社刊)
    ファンタジー小説に接したのは、いつ以来だろうか。
     鉄道フアンの男女2人が、まぼろしの廃線跡を苦労の末に見つける。崩れた廃墟の駅舎が突然、むくむくとよみがえり、とっくに消えたはずの汽車が汽笛を鳴らして、この世とあの世を行き来する。列車を動かしているのは、"森"の力だった。
     巻末の主要参考文献を見て、アッと思った。「写真集 草軽鉄道の詩」(思い出のアルバム草軽電鉄刊行会編、郷土出版社刊)。昨年「没後10年 辻邦生展」を見に軽井沢に行った時、草軽鉄道跡を見たことがある。U型にくぼんだ道路にかぶさるように木々が繁っていた。そうか、作家は、こういう風にイメージを膨らませていくのか!
     世間では「テツ」と呼ばれるらしい鉄道ファンには、たまらない本だろう。

  • 「神社霊場 ルーツをめぐる」(竹澤秀一著、光文社新書)
     芦屋市立図書館打出分室のボランティアをしていて、返ってきたこの本を見つけ、思わず借りてしまった。
     先日、行った熊野三山。平安人がなぜ熊野参りにこったのかがやっと分かった。この本を読んでから行ったら、旅の印象もずいぶん変わっただろう。
     この本にある沖縄の「世界遺産 斎場御嶽から久高島へ」も、ぜひ訪ねてみたい。
  • 「僕はパパを殺すことに決めた」(草薙厚子著、講談社刊)
     この本も、図書館ボランティア中に返本されてきたのを見つけた。
     「エッこの本、借りられるのか」とびっくりした。職員の方によると、発行元からは回収してほしいという要請が来たものの、図書館としては購読希望があれば応じざるをえず書庫に保管している、という。背表紙に、書庫にあるという印の「●」のシールが張ってあった。
     奈良県で起こった少年の父親殺しで、供述調書をそのまま掲載して著者が逮捕(不起訴)されて話題になった。供述調書をまる写しするのなら、ルポルタージュを書く意味も、取材を重ねる努力も必要がなかったのではないか?ルポライターの矜持を越えてしまった作品だと思う。

  • 「駅路/最後の自画像」(松本清張、向田邦子著、新潮社刊)
     松本清張の原作と向田邦子がテレビドラマ用に脚色した脚本を一緒に収納している。
     原作を換骨奪胎して、女の業を描き切った故・向田邦子の発想力に脱帽!


2010年3月26日

「熊野 桜紀行」(2010・3・20-23)


 荒れ模様の天気予報だが「熊野古道をのぞいてみようか」と、友人と出かけた小さな旅が、思いもよらず一足早い桜見物になった。

 20日(土)の午後の特急で南紀・白浜へ。普通電車に乗り換え、夕方には椿温泉に着いた。肌にまとわりつくような硫黄泉の"まったり"した温かみはくせになりそう。温泉歴はそう長くないのだが、独断で言わせてもらうと、ここのお湯は"日本一!"。それなのに、閉鎖した旅館や商店が多いのが寂しい。

 翌朝の太平洋は、強風で大荒れ。それに黄砂がひどく、海と空の見境がつかないほど灰色でおおわれ、白い波がすごみを効かせている。

 バス停前の広場にあったの桜が、この旅で出会った桜第一号。ほぼ満開に近く、若葉と一緒に咲いているから自生のヤマザクラだろうか。細い幹が絡み合って伸びており、木肌はソメイヨシノのそれとは、かなり違うように思える。

 白浜駅でバスを乗り換え、「紀伊山地の霊場と参拝道」としてユネスコの世界文化遺産に登録されている熊野三山の一つ、熊野本宮大社へ。
バスを降りたところに、熊野古道の情報拠点「世界遺産 熊野本宮館」がある。地元の木材を使って、昨年オープンしたばかりだ。白木の柱と空間が、木(紀)の国らしい。

 本宮館の裏手、熊野川の土手にある一本桜の下で、白浜で買った「めはり寿司」をほおばる。この桜は、間違いなくソメイヨシノのように思えるが、もう3分から5分咲き。満開が近そうだ。

 すぐ前の国道168号線沿いの鳥居をくぐり、幟(のぼり)がはためく158の石段をゆっくり登る。
入母屋造りの本殿のすぐ右手にある「枝垂桜」はほぼ満開だ。左手の庭園のやや小ぶりの枝垂桜も8分咲きで、居並ぶ4殿を盛りたてている。

 大社の石段を降り、田んぼのなかの1本道を南に歩く。高さ33.9m、横42m、日本一という大鳥居をくぐった「大斎原(おおゆのはら)」は、桜競演の園だった。
白っぽい桜を地元の人は「吉野桜」と言い、熊野本宮観光協会に帰宅してから電話すると「ソメイヨシノのはず・・・」と。

熊野川と音無川、岩田川に囲まれたこの中州に、以前は熊野大社があったが、1889年の大洪水で、山の上に移された。
 今は、中4社、下4社を納めた2つの石祠を守る杉と桜の森に囲まれた大斎原は、なにか心がのびやかになる広々と明るい空間だ。

   さて、いよいよ熊野古道の一つ「大日越」という山道を歩いて湯の峰温泉に入る。
そのはずだったが、道を間違えた。温泉に行く車道に入ってしまい、行き交う車に驚き、強風で帽子を谷に落とし・・・。すっかり疲れはてたところに、親切にも停まってくれた地元の人の車に乗せてもらい、湯の峰王子で降ろしてもらった。

 「王子」というのは、熊野古道特有の"神社"。古道の途中に多く設けられており「九十九王子」という言葉も残っている。
 観光案内には、中世の時代、熊野参拝をする貴族が休憩をした場所という説明が多いが、帰りの列車で読むため、紀伊勝浦の本屋で買った「熊野古道」(小山靖憲著、岩波新書)には「御幣を奉ったり、読経供養したりする神仏混淆の儀式が行われたところ」と書かれている。

 湯の峰温泉は、山合いのしっとりとした温泉だった。川沿いに「つぼ湯」という、世界遺産では唯一という公衆温泉がある。貸し切りのため、待ち時間が1-3時間。替わりに、別棟の公衆温泉、熱ーい「薬の湯」へ。90度の湯がわき出す「油筒」(柵で囲った温泉井戸?)では、卵をゆで、さつま芋をふかした。

 翌日は、新宮駅行きのバスに乗り、熊野三山の二つ目「熊野速玉大社」へ。熊野本宮がくすんだ木の柱とかやぶきの屋根で歴史を感じられるのに対し、速玉神社は「熊野造り」といわれる朱と黄色に塗られた社殿が鮮やかだ。
 花火で社殿がすべて焼失したため、1953年に再建されたらしい。たまたま結婚式がおこなわれていた。鮮やかな朱塗りの柱が、白無垢と黒の衣装になじんでいる。

 鳥居前から紀伊勝浦行きのバスに乗り、那智駅で別のバスに乗り換えて、3つ目の「熊野那智大社」に向かう。

 途中の「大門坂」で、リュックをかついだ若者など、ほとんどの人が降りて行った。後で調べると、杉林を縫う石畳道が大社に通じているらしい。また「熊野古道」を歩くチャンスを逃してしまった。

 急な石段を左に行くと那智大社、右へ行くと西国33箇所第1番札所「青岸渡寺」。寺の右側から「那智大滝」を臨める。神仏習合だった熊野3山は、明治初期の神仏分離令で一緒にあった寺院は廃止されてしまったが、那智だけは小さな阿弥陀堂が残され、それが現在の青岸渡寺になった、という。

 ここの桜は、まだまだ小さい若木が多い。その下を平安時代の衣装(ひとそろい3000円とか)の若い男女が歩き、女性たちがすそをからげて石段を登ってきて、桜に花を添える。

 石段を少し降りた広場のしだれ桜の下で休憩する。
 見上げると、正面に巨大なコンクリートのお城のような建物、青岸渡寺の信徒会館らしい。寺院の茅葺の屋根が少しのぞき、石段と鳥居の上に熊野造り朱塗りの壁、その左にコンクリート造りの社務所がどんと控え、隣に鉄骨組の駐車場。

全体のイメージづくりに無頓着な、日本的世界遺産の風景である。
熊野造りの建物群のなかに溶け込んだ桜の花を夢見たのは、ただ春の幻だったのか。

強風で荒れ、黄砂がおおう熊野灘:クリックすると大きな写真になります椿バス停前のヤマザクラ:クリックすると大きな写真になります熊野川土手のソメイヨシノ:クリックすると大きな写真になります158段を登り切ると、しだれ桜が迎えてくれた:クリックすると大きな写真になります
強風で荒れ、黄砂がおおう熊野灘。釣り客もあきらめ顔だ椿バス停前のヤマザクラ。細い幹がからみあって伸びている熊野川土手のソメイヨシノ。後ろに見えるのが「熊野本宮館」158段を登り切ると、しだれ桜が迎えてくれた
入母屋造り、古色然とした熊野本宮大社:クリックすると大きな写真になります大社内庭園のしだれ桜:クリックすると大きな写真になります黄砂にけむる大鳥居:クリックすると大きな写真になります大斉原の見事なしだれ桜:クリックすると大きな写真になります
入母屋造り、古色然とした熊野本宮大社大社内庭園のしだれ桜黄砂にけむる大鳥居大斉原の見事なしだれ桜
大斉原の広場を彩る桜の競演:クリックすると大きな写真になります熊野造りの熊野速玉大社:クリックすると大きな写真になります鮮やかな朱塗り大社での結婚式:クリックすると大きな写真になります昔は、滝のそばにあったという熊野那智大社:クリックすると大きな写真になります
大斉原の広場を彩る桜の競演熊野造りの熊野速玉大社鮮やかな朱塗り大社での結婚式昔は、滝のそばにあったという熊野那智大社
平安時代の衣装の若い男女:クリックすると大きな写真になります桜に囲まれた那智大社の参道:クリックすると大きな写真になります青岸渡寺の広場から臨める那智大滝と三重塔:クリックすると大きな写真になります
平安時代の衣装の若い男女。桜の季節に合っている桜に囲まれた那智大社の参道青岸渡寺の広場から臨める那智大滝と三重塔

2008年1月 5日

読書日記「星の巡礼」(パウロ・コエーリョ著、山川紘夫・山川亜希子訳、角川文庫

 なんとも難解かつ不可解な本で、なんとか通読はしたものの、そのまま放り出していた。

 話しは変るが、今年の元旦の昼に近くの神社の前を通ったら、数年前まで数人しか初参りの人なんていなかったのに、200人前後の人々が道まであふれて並んでいた。友人Mさんの新年メールによると、40年間、閑散としていた自宅近くの神社も同じような状況だったらしい。

 世の中、なにかが、変ってきたのだろうか。

 賀状を整理していると、昔、取材でお世話になったIさん(元・大手家電会社役員)が、ご夫婦で四国八十八カ所霊場巡りを始めておられた。「よりよく生きるための示唆を求めて」と、書いておられる。2年前にすでに霊場巡りを終えられた元・大手銀行監査役のJさんに続いて二人目だ。

 ハッピーリタイヤーされた方々が、必死に自分探しをしておられる。

 四国や熊野だけでなく、海外でも巡礼ブームなのだそうだ。とくに有名なのが「星の巡礼」の舞台でもある、スペイン・サンティアゴ巡礼。フランス北部からサンティアゴまで約800キロを約40日かけて歩く。世界各国から訪れる年間10万人もの人が巡礼する、という。

 昨年夏には、日経新聞が夕刊でサンティアゴ巡礼記を連載、NHKハイビジョンも長期ルポを放映した。1993年に世界遺産に登録された影響も大きいようだが、日経の連載には「ブラジル人作家、コエーリョの『星の巡礼』が巡礼ブームに火をつけた」と書いてある。

 そこで、本棚の本をもう一度、取り出してみる気になった。

 解説などを読んでみると、これはコエーリョ自身の自伝的小説のようだ。主人公・パウロは、RAM教団というスペインのキリスト教神秘主義の秘密結社に出会うが、入会試験に失敗して、再修業のために師匠とともに「星の道」という巡礼路を歩きながら、なんとも不思議な実習を重ねていく。

 各章の終わりに、この自習の内容がコラム風に紹介されている。

 例えば、第一の自習「種子の実習」。「地面にひざまつき、おだやかに呼吸をする。次第に自分が小さな種子であり、土の中で心地よく眠っている感覚を抱く」。この実習を、連続7日間、いつも同じ時刻にする。

 このほか、水たまりをじっと見ながら、直感力を呼び覚ます「水の自習」。ゆったりとリラックスしながら聖人と光のあふれた青い天空にいるのを実感する自習・・・。

 解説者は「誰もがたどることができる道で、すべての人が持つ内なる力を、自分にも発見する物語」「人間のスピチュアリティ、霊性の広がりを追求している」と書く。

 国立民族学博物館の大森康宏名誉教授は、最近の巡礼ブームについて「科学技術がつくりだした現代の仮想社会は、邪魔者をどんどん排斥していく。そんな時にどう生きるか。ゆっくり、ゆっくり目的地を目指す巡礼の旅に身を委ねたくなる」(2007年12月27日、日経夕刊)と、インタビューに答えている。民博は、今週開催した特別展「聖地巡礼 自分探しの旅へ」を、この夏に、古代の聖地、出雲大社で開くという。

 禅宗の座禅や神道の水ごり、中国の気功の修行者たち、そして「千の風になって」の歌に癒され、江原啓之らのスピチュアリティ本が並ぶ書店のコーナーに群がる若い女性たちも、必死に自分探しをしている、ということなのだろう。

 「星の巡礼」に比べると、同じ著者の作品で、やはり世界的なベストセラーになったという「アルケミスト 夢を旅した少年」(山川紘夫・山川亜希子訳、角川文庫)は、もう少し分かりやすい、波乱万丈の自分探しの旅物語。

 ただし、スピチュアリティルなるものが、もうひとつ理解できない私は、途中で放り出したくなったが・・・。


星の巡礼
星の巡礼
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パウロ・コエーリョ 山川 紘矢 山川 亜希子
角川書店 (1998/04)
売り上げランキング: 45652
おすすめ度の平均: 4.0
4 私もいつか巡礼の旅へ出かけてみたいなぁ
5 人生のバイブル
5 アルケミストの背景がみえる。



アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)
パウロ コエーリョ Paulo Coelho 山川 紘矢 山川 亜希子
角川書店 (1997/02)
売り上げランキング: 2351
おすすめ度の平均: 4.5
3 アルケミスト―夢を旅した少年
5 後悔よりも前に進むこと
4 夢は必ず叶うのか




(追記:2012/6/18)


 映画「星の旅人たち」を見てきた。
 表題の「星の巡礼」とは、まったく関係がないが、この本が火をつけたといわれるスペイン・サンティアゴ巡礼がテーマとあっては、見逃すわけにはいかない。

 神戸の映画館に入って、いささか驚いた。日曜日の夕方からの上映とあって、観客は数十人だったが、そのなかに後ろ姿の髪の毛に白いものが混じった"団塊世代"と思われる男性が5人はいる。「自分探しの旅」を求めて、サンティアゴ巡礼に興味があるのだろうか。

 2008年に、このブログで紹介した、元・大手家電メーカー役員のIさんは、実際にサンティエゴまで出かけたらしい。といっても、フランス国境から800キロは歩かず、主な巡礼地をバスで訪ねながら、ポイントのところを歩くツアーだったようだ。

 日本人で出かける人も、このところ増え続け、NPO法人日本カミーノ(巡礼路の意)・デ・サンティアゴ友の会というNPO法人まで活躍している。WEB上には、いくつか巡礼記がUPされていた。

 映画は、60過ぎのアメリカ人眼科医の男性が巡礼に出発しようとして事故で死んだ息子の代わりの巡礼を決意、肥満が悩みのオランダ人男性、家庭内暴力の傷を持つカナダ人女性、作家としてスランプに陥ったアイルランド男性と、つかず離れず800キロを踏破、互いになにかを見つける話し。
 いささか理屈っぽい筋立てだが、すばらしい世界遺産の巡礼地とスペインの美しい道が、見る人の心を揺さぶり、駆り立てる。