検索結果: Masablog

このブログを検索

大文字小文字を区別する 正規表現

Masablogで“長谷川利行”が含まれるブログ記事

2017年4月26日

展覧会鑑賞記「没後40年 熊谷守一 お前百までわしやいつまでも 」(於・香雪美術館)、読書日記「蒼蠅(あおばえ)」(熊谷守一著、求龍堂刊)


蒼蝿
蒼蝿
posted with amazlet at 17.04.25
熊谷 守一
求龍堂
売り上げランキング: 64,466


 熊谷守一のことを知ったのは、どこだったのかとずっと考えていたが、このブログにも書いたが、「偏愛ムラタ美術館 〚発掘篇〙」(村田喜代子著、平凡社)だったことをやっと思い出した。

熊谷守一美術館は、大学、職場で大変お世話になった先輩Tさんのご自宅のある東京・豊島区にあるので、Tさんをお訪ねするのを兼ねてと思っていたら、そのTさんが急逝され機会を失っていた。

 それがなんと。神戸・御影の香雪美術館で、「熊谷守一 お前百までわしや」展が開催されているのを知り、桜の開花が少し遅れている雨の4月はじめ、友人Mを誘い、出かけてみた。

 ある、ある!

art-01.jpg

   そう広くない美術館の1階に、あのシンプルな線で描かれた「猫」が、縁側でのんぼりとまどろんでいた。手前のガラスケースのなかのスケッチ帳には、のびやかな体や斑の色が字で書きこんであり、ち密な計算で完成された絵であることが分かる。

 村田喜代子は、こう書いている。
 「命という、形として単純化できないものを、両腕に力をこめてなでたり、転がしたりしながら、まるめ直したような感じ。熊谷の猫はふわふわしてなくて、頭骨の硬さが見る者の手にごつごつと触れる」

 木のてすりがついた階段を2階に上る。
 右奥に、代表作といわれる「ヤキバノカエリ」が、ひっそりと待っていた。

art-02.jpg

    長女・萬の骨壺を持つ長男・黄、次女・榧が並んで歩き、少し前を歩く守一のいずれにも顔がない。デフォルメされた道と木々が一緒になって、静逸さだけが流れている。

 村田は書く。
 「単純化できない重大な出来事を、強い力で押さえつけて、単純化してしまったような・・・。だから一見のどかそう な絵だが、画面構成を見ると天と地の配分、三人の等間隔の並び方、緑の木の生え方まで、 何かギリギリのバランスの中に措かれている気がする」

 守一は、字もよく描いた。著書の題名「蒼蠅」もそうだ。

 
展覧会で売れないで残る「蒼蠅」という字は。よく書きます。わたしは蒼蠅は格好がいいって思うんだけれど、普通の人はそうとは思わんのでしょうね。病気のときなんて、床の周りをぶんぶん飛んでくると景気よくて退屈しない。この頃は蒼蠅もいなくて淋しいくらいです。
 ところがこの蒼蠅という字のも、ひどくきついのときつくないのとできるんです。蒼蠅がひどく頑張っているのと、そうでないのとね。


art-03.jpg

   香雪美術館にも、装丁されたものが展示されていた。
 「これも売れ残った字か」と、ちょっとおかしくなった。きつい字であったかどうかは、よく分からなかった。

     
前は暑い時期には庭にござを敷いて、腰に下げたスケッチブックに、あたりの草花や蝸牛や蛙や蟻や虫などをスケッチしました。疲れると、そこにごろりと横になって眠ったものです。


art-04.jpg
      土門拳撮影。著書「蒼蠅」より



 
縁側の端のフレームは、ここにきてすぐに造ったものです。浜木綿、月下美人、野牡丹は毎年よく咲きます。浜木綿はうちのはあまり大きくないけれども、人に分けたのは立派になっているそうです。ナイヤガラの滝の菊というのは秋に、日本の山で見る野菊よりずっと濃い色に咲きます。
 何時だったかの冬に、このフレームに蜂が巣を作ったときは、砂糖水をやりながら蜂の動きを毎日毎日見て過ごしたことがあります。


art-05.jpg  art-06.jpg

               
わたしの描く裸婦には顔がないんで、女の人の美人をどう思うかって聞かれたことがあります。顔を描かないのは情が移るからで、そりゃ美しい人は美しいと思う。どういう人が美しいかということになると、人それぞれですから一概にはいえませんね。


art-07.jpg

       次の言葉は、鷲田清一が毎日の朝日新聞朝刊の1面で書いている小欄「折々のことば」で見つけた。

 
わたしは、ぬけたような青空は好みません。
 まるでお椀でふたをされた感じで、窮屈です。
 それより少し薄雲リの空がいい。
 そんな日のほうが庭に出ても、気楽に遊べるような気がするのです。人の好みって変なものですね。


 「瑕(きず)一つない均質の生地で覆われているようで息が詰まるから? 遠近法がきかない透明な青の深みに吸い込まれそうで不安になるから? なのに、庭に掘った深い穴の底から見上げる空は「円くぬけて」いるみたいで面白い。「人の好みって変なものですね」と自分でも言っている。「画壇の仙人」といわれた画家の言行録「蒼蠅(あおばえ)」から」(2017年4月4日付け朝日新聞より)

 最近、NHKの「日曜絵画館」で見て、興味を引かれた画家で守一が「友人」と書いている、で、長谷川利行のことが、何回か登場する。

 
長谷川利行は飲んべえで、酔うと同じ話ばかり繰り返しました。
 わたしのとこへ遊びにくると、絵を描くことばかりいっている。お前みたいにぐずぐずしているのは損だっていいやがるんです。
 帰るぞといって出て行く。するとすぐまた戻ってきて、同じ話を繰り返しました。
 それでも。いやな感じはぜんぜんなかった。


art-08.jpg

      
まえに写生に行ったとき、描く風景が見つからないので、仕方なく、畑のわきのひがん花を描いていました。
 横でお百姓さんが、黙って畑を耕していました。
 どこからきたのかわからないが、そのひがん花にかまきりが、大きな鎌を振りながら上がってきた。かまきりも入れてまとめると、そう嫌いじゃない絵ができました。
 するとお百姓さんがそばにきて、絵をのぞき、よくできたねとほめてくれました。


 「行ってきましたよ」。東京・亀戸にあるTさんの墓前に、ウイスキーを献杯しがてら、熊谷守一展のことを報告しようと、心に決めた。

 

2010年11月 2日

読書日記「ゴッホ 日本の夢に懸けた芸術家」(圀府寺 司著、角川文庫)、「ゴッホはなぜゴッホになったか 芸術の社会的考察」(ナタリー・エニック著、三浦篤訳、藤原書店刊)

Kadokawa Art Selection  ゴッホ  日本の夢に懸けた芸術家 (角川文庫―Kadokawa Art Selection)
圀府寺 司
角川書店(角川グループパブリッシング) (2010-09-25)
売り上げランキング: 10864
おすすめ度の平均: 5.0
5 手紙魔ゴッホ

ゴッホはなぜゴッホになったか―芸術の社会学的考察
ナタリー・エニック
藤原書店
売り上げランキング: 381163
おすすめ度の平均: 4.0
5 ゴッホを調べるための出発点として利用できる
3 美術ではなく社会科学の本である


 先月末に、大阪・サンケイホールブリーゼで、劇団「無名塾」の公演「炎の人」を見た。
主演の仲代達矢が、同じく主演した「ジョン・ガブリエルと呼ばれた男」を観劇した時から、この公演も見逃せないと思っていた。

 10月から来年3月までの全国公演で唯一の大阪公演だが、なんだか客席がまばらである。だが、仲代達矢は77歳とは思えないハリのある声で、炎のような熱気と狂気の人、ヴィンセンント・ヴァン・ゴッホを演じ切り、仲代座長に鍛えられた「無名塾」の若手俳優陣の熱演も最後まであきさせなかった。

 若い時に聖職者を志して挫折し、娼婦を妻にしようとして嫌われ、フランス・アルルの地で芸術家の理想の家を作ろうとして友人の画家、ゴーギャンに逃げられ、自らの耳を切る・・・。

 仲代が演じたゴッホは、けっして天才ではない、最後まで悩みのつきない普通の人間だった。

 シナリオは、劇作家の三好十郎が、1951年に「劇団民藝」のために書き下ろしたもの。休憩時間にロビーで販売していた「三好十郎 Ⅰ 炎の人」(ハヤカワ演劇文庫)を買った。
三好十郎 (1) 炎の人 (ハヤカワ演劇文庫 22)
三好 十郎
早川書房
売り上げランキング: 236561


 この本のエピローグに、こんな表現がある。     
    ヴィンセントよ、
    貧しい貧しい心のヴィンセントよ、
    今ここに、あなたが来たい来たいと言っていた日本で
    同じように貧しい心を持った日本人が
    あなたに、ささやかな花束をささげる。 
    飛んで来て、取れ。
 
日本にもあなたに似た絵かきが居た
    長谷川利行佐伯祐三村山槐多や・・・
そいう絵かきたちを、
ひどい目にあわせたり
それらの人々にふさわしいように遇さなかった
日本の男や女を私は憎む。
ヴィンセントよ!
あなたを通して私は憎む。

 翌日、東京に行く用事があり、六本木の国立新美術館で開催中の「没後120年 ゴッホ展」に出かけた。

 ゴッホと言えば、誰でも思い浮かべる「ひまわり」「自画像」を中心した展示でなかったのがおもしろかった。

独学の芸術家であったゴッホが、ミレーの影響を受けて「種まく人」を描く。長方形の枠に横糸、縦糸を張った「<パースペクティブ フレーム(遠近法の枠)」を使って模写を続け、ドラクロアの色彩理論を学んで「じゃがいもを食べる人々」を生みだし、補色を効果的に使うことを習っていく。

 こうした努力が南仏・アルルで花開き「アルルの寝室」「アイリス」など、色彩豊かな作品を登場させる。
 そして、サン・レミの療養所では、後にゴッホを英雄にした作品群を生みだした。

 「ゴッホは、最初から天才であったわけでない。努力の人だった」。そんなことが、素人の私にもなんとなく理解できる展示構成だった。

 関連本やグッズを販売するコーナーもけっこう混んでいた。「ゴッホ 日本の夢に懸けた芸術家」(圀府寺 司著、角川文庫)を買った。

 西洋美術を専攻する大阪大教授である著者は、あとがきで「ゴッホを特別な存在にしているもの、それは彼の手紙である」と書いている。現存するものだけでも、弟・テオ宛の約600通を含めて800通近くもある、という。

 もしファン・ゴッホの手紙が一通も現存しなかったとしよう。わたしたちはこの画家が何を考えてひまわりや農民や星空を描き、日本について何を思い、家族や友人、知人たちとどう付き合ったかということについて何も知ることができない。


 著者によると、「夜のカフェ・テラス」という作品について、ゴッホは妹・ウイルに宛てた手紙で、こう書いている。
 このごろぼくは星空をどうしても描きたいと思っている。ぼくは夜のほうが昼よりずっと色彩豊かだと思うことがある。もっとも強い紫や青や緑で彩られている。注意深く見れば、星にはレモン色のものもあれば、燃えるようなバラ色や、緑、忘れな草の青色のものもある。星空を描くのに、青黒い色のうえに小さな白い点々をおいただけでは不十分なことは言うまでもない。


 「坊主としての自画像」という作品について、ゴッホは「ぼくはまた習作として自分自身の肖像画を描いた。そこでぼくは日本人のように見える」という手紙を遺している。目は意図的に「日本人風につりあげた」という手紙も残っているという。アッと驚いてしまう。

 これらの手紙がどんな解説書より雄弁かつ貴重なことは明らかだ。

 国立新美術館のゴッホ展の副題は「こうして私はゴッホになった」とあった。

 どうも、これは5年前に発刊された「ゴッホはなぜゴッホになったか 芸術の社会的考察」(ナタリー・エニック著、三浦篤訳、藤原書店刊)という本を意識したものらしい。

 読売新聞の記事(2010年10月31日10月21日付け)に、この本について「没後に伝説化され、熱烈に礼讃されるまでを検証した」と書かれている。どうしても読みたくなり、雨の六本木や丸の内の大型書店を捜しまわったが、在庫なし。帰ってから、図書館でやっと借りることができた。

 ところがこの本、なんとも難解で・・・。

 序論には、こうある。
 今日、ゴッホという事例は「ブラック・ボックス」のひとつと化している。・・・狂気の虜になった偉大な芸術家、切られた耳、アルウ、アイリスとひまわり、弟テオ、悲劇的な死、呪われた画家、不遇の天才、周囲の無理解、売り立て記録の更新・・・。
 私たちが開けようとしているのはこのブラック・ボックスであり、その内容と形成過程を分析するのである。


 そこで著者が採用したのが、民俗学で使われる「参与観察」という手法。ゴッホにまつわる文書や発言、画像や行動の採集と観察を行った、という。

 そして「結論」として、こう書く。
 作品が謎と化し、人生が伝説と化し、人物の境遇がスキャンダルと化し、絵が売られて展示され、画家が立ち寄った場所、触れた事物が聖遺物と化すこと。ひとりの近代画家の列聖はこのようにしてなされる。・・・
 ゴッホの伝説は、呪われた芸術家という形象の創設神話である。


 最後の「訳者解題」は、もうすこし分かりやすい。
 生前無名のゴッホの作品は、死の直後に批評家たちからほとんど全員一致でその独創性を認められたが、一世代後には、ゴッホの生涯そのものが社会の無理解というモチーフの上に築き上げられた聖人伝説に再編成されてしまった。


 (著者)エニックが提起する仮設の刺激的なところは、この現象(ファン・ゴッホ現象)が芸術家の単なる「神聖化」には還元できず、かつて偉大なる犠牲者であった芸術家への罪障感に裏打ちされた償いの念こそが、現代社会に見られる集団的なゴッホ崇拝の基底にあると解析した点にある。

 聖人・ゴッホの作品はこれからも高騰を続け、そのうち美術館や好事家の"神殿"奥深く安置されて、我々が目にすることはできなくなるのかもしれない。