検索結果: Studio YAMAKO

このブログを検索

大文字小文字を区別する 正規表現

Studio YAMAKOで“三猿”が含まれるブログ記事

2018年11月18日

日光東照宮と古峯神社・古峯園 バスツアー(2) 輪王寺大猷院 10月27日

東照宮で改修なった眩いばかりの「陽明門」や「三猿」を堪能した後、二荒山神社へ回って、輪王寺大猷院に向かったのは11時20分ごろだった。二荒山神社を神門から出て右側に、輪王寺大猷院の入り口がある。この時間になって、境内は霧が降りたような感じになったが、幸い雨は落ちてこなかった。
 今回の日帰りバスツアーのタイトルに「秋色に染まる日光東照宮・・・」とあったが、東照宮と二荒山神社では紅葉らしい紅葉は見られなかった。やっと、輪王寺の境内では色づいたモミジが見られた。
 輪王寺は東照宮、二荒山神社が神社なのに対しお寺なのだ。wikipediaによれば、輪王寺は、766年(天平神護2年)に下野国出身の奈良時代の僧、勝道上人により開創されたと伝えられている天台宗の門跡寺院である。明治初年の神仏分離令以後、東照宮、二荒山神社と併せて「二社一寺」と称されている。近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていた。現在、「日光山」は輪王寺の山号とされている。
 また、輪王寺は日光山中にある寺院群の総称でもあるのだ。表参道を上がってくると東照宮の手前に、輪王寺の境内があり、そこには現在修復中の三仏堂がある。少し余談になるが、東日本最大の木造建築ともいわれる「日光山 輪王寺・三仏堂」の約50年ぶりの修復工事(平成の大修理)が、平成19年から平成30年までの予定で行われている。約10年間という長期に渡っての大修繕である。三仏堂を覆う「素屋根」が完成し、地上26メートル、ビルの7階に位置する「天空回廊」が平成23年4月29日に設けられ、三仏堂の屋根頂上と同じ高さから修理現場を見学でき、さらに外に目を向ければ東西に広がる日光門前町の眺望が眺められる日光山の新名所となっていた。しかし、本堂(三仏堂)の修理完了へ向け、平成30年3月より素屋根の解体が開始され、「天空回廊」は3月31日をもって終了となった。残念。
 東照宮、二荒山神社のさらに奥の離れたところにある輪王寺大猷院は、徳川三代将軍「家光公」の廟所(墓所)である。

27.輪王寺大猷院 入口
二荒山神社の神門をでて下ってくると、右手に輪王寺大猷院の境内が見えた。実はここは、日光輪王寺本坊のすぐ近くなのだ。三仏堂のあたりから、輪王寺大猷院を含む広大な輪王寺境内を形成している。さらに中禅寺湖畔には、輪王寺の別院として中禅寺立木神社がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 21mm ISO400 ) 露出補正 なし
181027_027.jpg
28.常行堂
輪王寺大猷院のほうへ歩き出すと、すぐ左に常光堂があった。輪王寺のホームページによれば、常光堂は嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁によって、比叡山延暦寺の「にない堂」に模して建立された。純和様の宝形造で、隣の純唐様の法華堂との間に、歩廊を設け接続されている。この形式は大変珍しいもので、現在では比叡山延暦寺と、ここ輪王寺常行堂の二か所のみとなっているそうだ。常行堂の本尊阿弥陀如来の修理完成を記念して特別参拝が行われていた。

SONY C yber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/80秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_028.jpg
29.仁王門
常行堂の先の右側に、半分紅葉しているカエデがあった。その向こうに霧にかすんで仁王門が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO320 ) 露出補正 なし
181027_029.jpg
30.仁王門石段
仁王門の石段を上がっていくとその向こうに紅葉した木々が見えた。仁王門は輪王寺大猷院の最初の門で、重要文化財に指定されている立派な門だ。その黒と赤の深みと金の輝きは偉容である。口を開いた「阿形」と、口を閉じた「吽形」の2体の仁王像「金剛力士像」が安置されている。「阿形」は密迹金剛、「吽形」那羅延金剛。「阿吽の呼吸」はここから来ていると言われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 38mm ISO640 ) 露出補正 なし
181027_030.jpg
31.紅葉を撮る人
仁王門を入ると広場があった。右に御水舎があり、その左は二天門への石段がある。その間に色づいたカエデがあった。ここは東照宮と比べると、とても静かだ。輪王寺は寺なのだが、神社のように御水舎があるのは、明治時代前の神仏習合の名残である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO640 ) 露出補正 なし
181027_031.jpg
32.仁王門付近
仁王門の石段を上がって、二天門に続くところは広場になっている。そこに御水舎があるが、その傍の木々が紅葉を始めていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO320 ) 露出補正 なし
181027_032.jpg
33.二天門
そのカエデの紅葉を眺めながら二天文の石段に向かう。輪王寺大猷院のHPのよれば、二天門は世界遺産日光の境内で1番大きな門だそうだ。桁行5間(約10m)、梁間3間(約6m)ある。持国天(じこくてん)、広目天(こうもくてん)の二天を安置している事から二天門と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_033.jpg
34.二天門とカエデ
紅葉はまだ十分ではないが、紅葉した赤い葉と、これから紅葉する緑の葉が美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 31mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_034.jpg
35.二天門の像
門の正面左右には二天門の名の由来となる「二天」、四天王の内の「持国天」と「広目天」が安置されている。こちら側、すなわち正面の左側(東)を守護するのが「持国天」である。一方、右側(西)を守護するのが「広目天」だ。wikipediaによれば、四天王は、仏教の世界観における須弥山の中腹にある四天王天の四方に住んで、仏教を守護する四つの神(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)のことだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_035.jpg
36.二天門の扁額
二天門は重要文化財で、創建は1653年(承応2年)で2012年(平成24年)に再建されている。正面の扁額は、108代天皇「後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)」による筆という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_036.jpg
37.御水舎
二天門をくぐって、夜叉門へと続く石段の上は踊り場のようになっていて、ここから、御水舎と紅葉し始めたカエデを眺める。御水舎の屋根は四隅に各3本ずつ計12本の御影石の柱で支えられた構造をしていて東照宮の御水屋と同じ構造になっている。東照宮では御水屋と称され、ここ輪王寺大猷院では御水舎と呼ばれている。御水舎は 銅瓦葺切妻造り軒唐破風の建物で、天井には、狩野安信の龍の墨絵が描かれていて、その龍が水盤に映し出されることから、「龍鏡」、「水飲み龍」とも呼ばれていたそうだが、現在では墨が薄くなっているのではっきりとは映らなくなっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_037.jpg
38.二天門からの眺め
二天門の上から 御水舎の左を見ると、大きな建物と広い庭が眺められた。ひっそりとしている。これは竜光院だろうか? 大猷院霊廟別当所竜光院とすると、これも重要文化財に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_038.jpg
39.夜叉門への石段
石段は二天門から、夜叉門へと続く。写真は夜叉門から二天門を振り返ったところ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_039.jpg
40.拝殿 本殿
夜叉門をくぐると、拝殿、相の間、本殿が現れた。写真に見られる説明札には、「大猷院の中心となる建物で、国宝に指定されています。ここでは月に一度法要が行わら画ます。特に家光公の御命日にあたる4月20日の法要は大きなものです。手前から拝殿・相の間・本殿、と3っの部屋の並ぶ造りを権現づくりといいます。たくさんの金箔が使われていることから、別名を金閣殿と呼ばれています。」と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_040.jpg
41.本殿
輪王寺大猷院のホームページによれば、拝殿に続く本殿の最奥部、「厨子(御宮殿/ごくうでん)」の中には、現在、宝物殿で初公開中の「家光公座像」と「御位牌」が、又その前後には、家光公の本地「釈迦如来」(非公開)が奉安されている。この建物を「廟(びょう)」といい、参り墓を意味し、一般の人たちの正式な参拝所となる。金、黒、赤の彩色をくまなく施された外観は、別名「金閣殿」の呼び名があるほど豪華で、江戸芸術の極みを示している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO2000 ) 露出補正 なし
181027_041.jpg
42.皇嘉門
夜叉門から入って本殿の右側に皇嘉門がある。もちろん重要文化財だ。大猷院の最も奥に位置する家光公廟へは、この「皇嘉門」から入る。中国、明朝の建築様式を取り入れたその形から、一名「竜宮門」とも呼ばれてる美しい建物でである。門を潜るときに見上げると、天上には「天女の画像」が描かれており、これから先が家光公の霊を奉る聖域であることを象徴している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
181027_042.jpg
43.石垣の苔
皇嘉門に続く本殿脇の石垣には苔がむしていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO500 ) 露出補正 なし
181027_043.jpg
44.夜叉門
この写真は拝殿、本殿側から見た夜叉門である。夜叉門には、4体の夜叉「阿跋摩羅(あばつまら)、毘陀羅(びだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)、犍陀羅(けんだら)」が、安置されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_044.jpg
45.唐門
夜叉門を潜り拝殿の前、大猷院の中心に位置するのがこの唐門だ。輪王寺のホームページによれば、その名のように唐破風を持つ、一間一戸の小規模な門だが、隅々まで繊細な彫刻と金、白を基調とした彩色が施されており、その意匠装飾は大変気品のある。柱や貫・梁には七宝・麻の葉などの細かい地模様が彫られ、扉には上に鳳凰、下に唐草、前後の破風の下には雄雌の双鶴と白竜などの彫刻で余すところ無く、美しく装飾されている。両側の袖塀の羽目には多くの鳩が彫られ、百間百態の群鳩とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO500 ) 露出補正 なし
181027_045.jpg
46.夜叉門正面
戻る際に撮った写真なので、前後してしまったが、夜叉門の内側の写真である。背後に拝殿、本殿がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_046.jpg
47.二天門から
紅葉のポイントはここしかないので、再びカメラを向ける。皆さん、この色づいたカエデの写真を撮っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO640 ) 露出補正 なし
181027_047.jpg
48.灯篭の並ぶ道
さっき二天門の上から見た竜光院への道のようだ。並んだ灯篭がシャッターを押させた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
181027_048.jpg
49.灯篭と落ち葉
石燈籠の傘には、苔が生え、落ち葉が降る。落ち葉が真っ赤に染まったカエデの花なら、申し分ないのだが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 24mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_049.jpg
50.二荒山神社の鳥居
輪王寺大猷院の二天門から、常行院のところへ戻ってきた。二荒山神社の鳥居とその奥に神門が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 42mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_050.jpg
51.西参道
そろそろバスの駐車場へ戻らなくてはならない。西参道を緩やかに下っていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO1000 ) 露出補正 なし
181027_051.jpg


2018年11月15日

日光東照宮と古峯神社・古峯園 バスツアー(1) 東照宮 10月27日

日光東照宮の「陽明門」の修復が終わって見られるようになったと聞いていたので、是非、行きたいと思っていたところ、某旅行社より「秋色に染まる日光東照宮と古峯園・古峯神社 紅葉3景」という日帰りバスツアーの案内が届いた。さっそくインターネットで申し込んだ。
 天気予報は降水確率80%の10月27日、朝6時半に横浜駅東口に集合した。細かい雨が降っている。
 バスは東神奈川から首都高に入り、湾岸線の大井JCTを左へ、山手トンネルに入った。少々遠くなるのではないかと思ったがこのほうが早いのだろう。順調に池袋に抜けて、東北道に入った。
 途中、大谷PAで弁当が積み込まれ、宇都宮から日光道路を走り、東照宮表参道近くの日光カステラ本舗の駐車場に到着したのは、10時15分くらいだったと思う。表参道を歩いて、「五重塔」、「陽明門」や「三猿」などを見て、二荒山神社、そして家光の墓がある輪王寺大猷院を回って、バスに戻った。 日光を12時過ぎに出発したバスは鹿沼市古峰ヶ原(こぶがはら)にある古峯神社に向かう。バスの中で配られた駅弁を開く。到着した古峯神社・古峯園は紅葉も始まっていて、思っていた以上に見ごたえがあった。
 午後2時30分に古峯神社を出発、川口PAまで休まずに走り、首都高速が若干混んだものの、6時過ぎに横浜駅西口に帰着した。全行程で心配した雨に降られなかったのは幸いだった。
 まず、東照宮と二荒山神社のことから始める。それぞれの記事は、日光東照宮ホームページ、および「日光東照宮・ご朱印」というサイトを参考にさせていただいている。
 今回はあまりにも混んでいたので、2016年に修復された東回廊の坂下門にある国宝「眠り猫」は見なかった。

1.表参道を歩く
添乗員さんに案内されて歩く。バスの駐車場から東照宮への表参道へ通じる車も通る細い道は、小学校の生徒たちもいて、人が溢れていた。写真は表参道で「石鳥居」が見えるところ。日光東照宮のホームページによれば、この「石鳥居」は東照宮鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政によって奉納された。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
181027_001.jpg
2.「表門」
「石鳥居」の先に「表門」が見えた。 東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから「仁王門」とも呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
181027_002.jpg
3.「五重塔」
「石鳥居」をくぐって、「表門」に上がる石段の手前左側に「五重塔」があった。前回は12年前に来ているが、その時に見た「五重塔」はくすんでいたように思う。「五重塔」は慶安3年(1650)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納された。文化12年火災にあったが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
181027_003.jpg
4.外国からの観光客
多分ツアーで来ているのだと思うが、外国人観光客のグループが「五重塔」の前で、ツアコンさんが[表門」で拝観受付をしているのを待っていた。さすがに外国人観光客が多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO640 ) 露出補正 なし
181027_004.jpg
5.「神厩舎」
「表門」をくぐって左側に見ざる、言わざる、聞かざるで有名な「三猿」の彫刻が掲げられている「神厩舎」があった。 「神厩舎」は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)である。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されているという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_005.jpg
6.「神厩舎 」北側
猿の彫刻は全部で8面あるが、この北側に5面と、建物を右側に回り込んだ西側に3面ある。これら「神厩舎」の長押上にある8面の猿の彫刻は、人間の一生が風刺されているという。 向かって左から、第1面は母と子のくつろぎで母と子の絆の強さを表現している。第2面が有名な三猿で、親もとを離れる前に、世間の悪いことを見たり、聞いたりせず、また、人を傷付けるようなことを言ってはいけないと、兄弟三猿に対して親が戒めているとする見方と、自分に都合の悪いことがあれば、見ざる、聞かざる、言わざるで世の中を切り抜けよという処世術の教育であるともいわれるそうだ。第3面が親元を離れた猿、第4面は仲間と青雲の志を持つ。第5面は新たな展開を表し、第6面は恋愛中の猿。第7面は新婚の猿で、第8面は妊娠した猿の幸せそうな表情を表すそうだ。そして、子供が生まれると第1面に戻る。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_006.jpg
7.「神厩舎」 「三猿」
第2面の有名な三猿の彫刻である。作者は不明だそうだ。12年前に見たときと比べると、修復され、鮮やかな色彩を放っていた。撮影条件は違うが上の写真は2006年に撮った。国重要文化財「神厩舎」の全8面にわたって取り付けられている「三猿」は、これまでも約10年ごとに修復作業を繰り返してきたが、8面すべてを塗り替えるのは65年ぶりという。屋外に面した彫刻は外気にさらされ傷みやすく、下地があらわになっていく。そのため、彫刻部を建物から取り外し、一度現状の色をすべて落としてから塗り直す方法がとられた。今回の修復も半世紀前に残された見取り図を見ながら、彫りの形に合わせ、猿の毛色や表情をゼロから描き上げたという。ゼロから描き直す以上、筆の先の太さ、筆のタッチなどが最終的に個人の力量や個性になるのは事実であり、以前のものと比べ、違和感を感じるのも当然だと言われる。それぞれの寺社によって修復へのスタンスは異なり、塗り直しはせず、劣化防止に力を入れるケースもあるが、日光東照宮は、江戸時代の造営以来、常に時代に合わせて修復を続けてきた。

上:Nikon D100 NIKKOR f3.5-4.5 28-105mm macro
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/60秒 66mm ISO400 ) 露出補正 なし 2006年11月9日 撮影
下:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_007.jpg
8.「陽明門」で記念写真
小学校の生徒たちが「陽明門」を背景にして記念写真を撮っていた。それにしても凄い数の観光客である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 なし
181027_008.jpg
9.輝く「陽明門」
日光東照宮では平成の大修理の第一期の3次工事が行われている。この国宝の「陽明門」の修復工事は、総工費に10億円かかると言われ、2013年から6年間の計画で開始された。当初は先行きが見通せない状況だったが、2017年(平成29年)3月、無事に工事が終了したそうだ。装飾廻りの根本的な更新修理が行われ、外部廻りの漆塗・彩色・錺金具の更新を主に、一部内部塗装の繕いのほか、屋根・足元・縁廻り等の消耗的箇所についても調査を行い、必要があれば部分的な木部解体修理が併せて実施されたという。そして、2017年3月10日、世界遺産・日光東照宮の国宝「陽明門」が約40年ぶりの大修理を終え、色彩鮮やかによみがえった至宝が一般公開されたのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 32mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_009.jpg
10.「陽明門」の扁額
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられている。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされている。扁額には「東照大権現」とあった。1616年(元和2)家康が駿府で没すると,遺言に基づきいったん駿河久能山に葬り,翌年ここ日光山に遷葬、朝廷から「東照大権現」の神号が授けられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_010.jpg
11.「陽明門」の彫刻 -1
「陽明門」は、高さは11.1mの2層造りで、正面の長さは7m、奥行きが4.4mある。そこに施されている彫刻はそれぞれ見ごたえがある。これは「御宮並脇堂社結構書」という日光東照宮に関して記された書物に出てくる架空の動物(霊獣)のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 94mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_011.jpg
12.「陽明門」の彫刻 -2
「陽明門」には、一切の空間を埋め尽くすかのように施された、おびただしい数の彫刻がある。この数は正確には知られていなかったが、 改めて数えて見た結果、独立した彫刻が508体あったという。そのうち 156体 が人物の彫刻だそうだ。これらの彫刻は、狩野探幽の作品に数多く登場することから、陽明門のデザインに関しての総指揮は、狩野探幽が単独で一任されていたのではないかと言われている。「陽明門」の上層の高欄(手すり)には「唐子の知恵遊び」と呼ばれる子供が彫られている。 子供の彫刻の少し下にある「出組(組物)」の下にも多数の人物の彫刻が存在する。写真にあるような、これらの人物の彫刻は、かつて中国の歴史上に存在した22人の著名人と伝えられ、戦乱の多かった中国を安寧(平和)に導いた人物とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 51mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_012.jpg
13.「陽明門」の随身 右大臣
写真は「陽明門」の向かって左側の随身像である。随身とは、平安時代の武装した格好の人形のことを言い、通常は左大臣、右大臣(矢大臣)と呼称される。随身像は、寺の仁王像と同じ役割りを持っており、神に仕えて神を守護する者と言うことになる。こちらが右大臣である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 55mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_013.jpg
14.「陽明門」の随身 左大臣
こちらは左大臣。「陽明門」の出入りは右側通行になっていて、人込みで右大臣と左大臣を一緒に撮れなかったので、「陽明門」を退出した時に撮った。随身は等身大で、かつ写実的であるため、江戸時代には「生る人に違はず」と言われた傑作だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_014.jpg
15.狛犬
随身像の後ろ側には狛犬があり、ピカピカに輝いていた。日光東照宮のホームページによれば、この狛犬は滋賀県の大宝神社が所蔵する国宝(現在は重文)の狛犬を模して、大正5年に製作したものだそうだ。狛犬は一般的に唐獅子と狛犬(角がある)の一対を総称した呼び名だが、「陽明門」の一対にはどちらにも狛犬の特徴である角が付いていないので、両方唐獅子という珍しいものだという。写真は右の狛犬(吽形)である。そして、欄間には鳳凰、牡丹、桐の花の透かし彫りがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_015.jpg
16.「唐門」
国宝である。全体が胡粉で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」といった細かい彫刻がほどこされている。創建は1617年(元和3年/江戸時代前期)で、1636年(寛永13年/江戸時代前期)に再建された。この「唐門」は「本殿」を守護する真正面の門であり、四辺に「唐破風(からはふ)造りの屋根」が備え付けられていることから「四方唐破風造(しほうからはふつくり)」と呼称されている。「唐門」の大きな特徴として、左右にひときわ目を惹き付ける昇龍と降龍の彫刻がある。龍は屋根上の左右両端にも備え付けられており、屋根上の龍はヒレが切られた龍になっている。さらにその両端の龍の間の破風の頂には「恙(つつが)」と呼称される唐獅子が備え付けられている。この「唐門」に施されている彫刻の数はなんと611(うち人物が64人)もあり、この数は「陽明門」を上回る数である。

上:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
下:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO1640 ) 露出補正 なし
181027_016.jpg
17.「神輿舎」
重要文化財である。1636年(元和3年/江戸時代前期)に創建された。「神興舎」は「しんよしゃ」と読む。殿舎の四辺の一辺の長さは約6mあり、この中に「春秋渡御祭」(5月18日、10月17日)に使われる、3基の神輿が納められている。神輿が3基あるのには本殿で家康公と相殿として祭祀されている御祭神の豊臣秀吉公と源頼朝公(卿)の御霊を乗せる神輿であるからだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_017.jpg
18.家康公の神輿
中央に主祭神である家康公の神輿があった。干支の虎と竹が彫られている。蝶の飾りもあった。寛永13年に制作された初代の神輿は重さが1トン以上もあったそうだが、現在の二代目は昭和40年代に制作されたもので800㎏だそうだ。徳川家康を静岡の久能山から日光に改葬した際の行列を再現する「春秋渡御祭」では、10月17日に開催される秋の「神輿渡御祭」は、春より規模を縮小して開催されるが、それでも約800人の鎧武者や騎馬、鉄砲持ち、稚児などの行列は絢爛豪華な歴史絵巻を再現しており目を見張るものがあるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_018.jpg
19.「鼓楼」と「本地堂(鳴竜)」
「陽明門」の石段の上から「鼓楼」と「本地堂」を見る。 日光東照宮の「鼓楼」と「鐘楼」は一対で設置されている。一対で設置される場合、基本的にはその構造、大きさなどあまり変わりないようにつくられる。だが細部が微妙に違うようだ。「陽明門」から見て右側にこの写真で見られる「鼓楼」があり、左側に「鐘楼」がある。「鐘楼」、「鼓楼」は1635年(寛永12年)に建てられた。かつては実際に使っていたそうで、日光東照宮の祭礼は「鼓楼」の太鼓の音に始まり、 「鐘楼」 の鐘の音で終わったということだそうだ。そして、「鼓楼」の後方にあるのが「本地堂」だ。東照宮境内最大の建物で、創建は1636年(寛永13年/江戸前期)、1961年(昭和36年)に再建された。34枚の檜の板に描かれた6mX15mの「鳴竜」の天井画が有名で家康公を薬師如来の化身としたことから 「薬師堂」とも呼ばれ、「薬師瑠璃光如来像」が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_019.jpg
20.二荒山神社への道
東照宮から上新道(うわしんみち)を二荒山神社へと歩く。あんなに混雑した「陽明門」だったのに、ここは人が少なかった。wikipediaによれば、二荒山神社では、古名を二荒山という男体山、女峰山、太郎山からなる「日光三山」それぞれに祭神をあてて祀っている。三山のほか日光連山を境内地とし、面積は3,400haにも及び、その神域には華厳滝やいろは坂も含まれる。二荒山神社は古来より修験道の霊場として崇敬された。江戸時代になり幕府によって日光東照宮等が造営されると二荒山神社も重要視され、現在の世界遺産・重要文化財指定の主な社殿が造営された。また、国宝指定の刀剣2口や多数の刀剣等の重要文化財を現在に伝えているほか、境内は国の史跡「日光山内」に包括されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_020.jpg
21.上新道と「楼門」
上新道は日光東照宮の入口となる「石鳥居」と「表門」の広場から、二荒山神社の入口となる「楼門」へ続く。その距離は約200mほどあり、徒歩で4、5分ほどかかった。前の写真で見るように、上新道の側面には、植生する杉の木と37基の燈籠がが整然と立ち並んでいる。この燈籠は1966年(昭和41年)に執り行われた「日光東照宮350年記念祭」を記念して奉納されたものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_021.jpg
22.シロヤシオの紅葉
「楼門」を入ると鳥居があって、その左側に社務所があった。結婚式場にもなっているらしい。社務所の門の右手に見事に紅葉している1本の樹があった。この樹は「シロヤシオ(白八汐)」といい、太平洋側の山地に生息するツツジ科ツツジ属の落葉樹という説明書が掛けられていた。5-6月に咲く花は白く大柄だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_022.jpg
23.二荒山神社拝殿 -1
国の重要文化財である。霊場としての日光の始まりは、下野国の僧・勝道上人(735年-817年)が北部山岳地に修行場を求め、大谷川北岸に天平神護2年(766年)に紫雲立寺(現在の四本龍寺の前身)を建てたことに始まるとされる。そして二荒山神社の創建は、上人が神護景雲元年(767年)二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことに始まるとされる。「拝殿」の創建年は不明とされているが、1645年(正保2年/江戸時代前期)に再建されているようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_023.jpg
24.二荒山神社拝殿 -2
この「拝殿」の奥に「本殿」がある。「拝殿」と「本殿」の間には切妻造りの小屋のような建造物「渡殿」が設けられおり、渡廊の役割を担い、「本殿」と「拝殿」を連絡している。「本殿」は左右に妻側が向けられた入母屋造りで、正面の屋根には三角の千鳥破風、その軒下には緩やかな曲線の唐破風が据えられており、複雑さがありながら、実に完美とも言える造りになっているという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_024.jpg
25.「良い縁狛犬」と「足尾の大国様」
「拝殿」を下がって、「神門」へと向かう右側に「神楽殿」が見えた。「神楽殿」の中には大きく金色をした「足尾の大国様」が祀られていた。この大国様は「昔、勝道上人が二荒山中宮祠において修行中、毎年稲穂をくわえて白ねずみが現れたそうです。そこで白ねずみがどこからくるのか確かめようと、白ねずみの足の紐(緒)を結わえて放ったところ、現在の足尾の村落に至り、渡良瀬川の洞窟に入ったそうです。それ以来この村落を「足緒」と呼ぶようになったと言われております。そして、白ねずみが入った洞穴を修行の場に選び大国様とネズミを祀ったと伝えられております。」と説明されていた。手前は「良い縁の狛犬」。そこには「狛犬は、獅子や犬に似た想像状の生き物とされています。起源は、古代エジプト・メソポタミアでの神殿を守るライオン像とされています。中国を経て飛鳥時代に日本に伝わった当初は、獅子であり、左右の姿に差異はなく、開口した姿であったと言われています。平安時代になって、それぞれ異なる外見を持つ、獅子と狛犬の阿吽の開口閉口の像が対で置かれるようになりました。現在では、両者を合わせて狛犬と呼ぶようになっております。この狛犬は、飛鳥時代当初の獅子の形をインド黒大理石に彫ったもので、台座は日本三大銘石と言われる茨城県産の青糖目石です。左右の「良」「縁」の文字枠は八稜鏡を象ったものです。全国神社でも他にない、大変珍しい狛犬です。栃木県さくら市在住の飯沼休吾氏より、世界文化遺産登録十五周年を記念して、平成二十七年十二月に奉納されました。」と書かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_025.jpg
26.「神門」
「神門」から出る。二荒山神社には「楼門」と「神門」があり、私たちは二荒山神社に入るときは東照宮からの上新道という参道を歩いて「楼門」から入った。「楼門」と「神門」はともに新しい門で、勝道上人の男体山登頂1200年を記念して作られたものなので、歴史的建造物ではないとのことだ。 「神門」を出て右へ。次に「輪王寺大猷院」向かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO640 ) 露出補正 なし
181027_026.jpg


2015年10月 7日

秩父神社 9月21日

「巾着田曼珠沙華とコスモスの競演 関東最大級のパワースポット三​峯​神社・秩父三社めぐり」という日帰りバスツアーは巾着田を12:00に出発した。正丸トンネル、横瀬町を経て秩父市に入る。秩父で弁当を積み込み宝登山神社へ先に行く予定だったが、予定より遅れ、最後の三峯神社が暗くなってしまいそうだという判断で、秩父神社を先に参拝することになった。バスは1:40に秩父鉄道の秩父駅前の駐車場に入った。50分間の秩父神社参拝、散策時間がとられた。

秩父神社の境内はそれほど広くはない。一の鳥居のある南門から境内に入る。参道をまっすぐに歩くと神門がある。その先に社殿が見える。社殿にお参りする。秩父神社のホームページによれば祭神は①八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)、 ②八意思兼命の十世孫で初代知知夫国造である知知夫彦命 (ちちぶひこのみこと) 、③ 鎌倉時代に合祀された天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ)、④そして昭和28年に合祀された昭和天皇の弟である秩父宮雍仁親王の四柱の神々が祀られている。 秩父神社の創建は、平安初期の典籍「先代旧事紀-国造本紀-」によれば、第10代崇神天皇の代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の10世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされていて、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っているそうだ。現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康が寄進したもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されている。毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられている。 参拝した後、バスに戻る途中にある「秩父まつり会館」(入場料410円)に入り、その笠鉾・屋台のレプリカを見てきた。

バスの添乗員さんが本殿のまわりに[施された左甚五郎作と伝えられる「子宝・子育ての虎」や「つなぎの龍」など、さまざまな彫刻が見事だからぜひ見て来いと薦めてくれた。

11.秩父鉄道秩父駅
かみさんがトイレに行っている間に秩父地場産センターの中にある秩父駅の構内を覗いてみた。秩父鉄道は埼玉県北部を東西に横断する秩父本線(秩父線)と貨物線である三ヶ尻線の2路線を保有・運営している。秩父線は東武伊勢崎線の羽生駅から三峰口までの37駅、総延長71.7kmの路線である。普通列車に加え、急行「秩父路」やSL「パレオエクスプレス」が運転されている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/125秒 12mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
12.秩父神社
南門、一の鳥居から秩父神社の境内に入る。正面に神門とその向こうに社殿が見える。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/320秒 21mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
13.神門
​10​段​程​の石段があり、​それを上がると​朱に黒瓦、金の装飾を付けた神門​がある。調べてみたが何時建てられたものか​解らなかった。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/400秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
14.社殿
社殿は本殿・幣殿・拝殿が1つにまとめられた権現造の形式である。左甚五郎の作とされるものを含む多くの彫刻で飾られている。約2000年の歴史がある秩父神社は、江戸時代の天正12年(1592年)に徳川家康の命により現在の社殿が建てられたとそうだ。1970年に解体復元されている。埼玉県の有形文化財。これはその拝殿の正面。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/125秒 11mm ISO180 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
15.社殿の彫刻 「子宝 子育ての虎」
本殿を左回りに彫刻を見ていく。これは拝殿の左側にある「子宝 子育ての虎」。虎は徳川家康の社殿再建に由来している。徳川家康は虎にまつわる人物として知られ、虎の年、虎の日、虎の時刻に生まれ、関東入国も庚寅年だったと伝えられる。「子宝 子育ての虎」左甚五郎の作と言われ、母虎はヒョウ柄で彩色表現され、江戸時代の文化を今に伝えると説明されていた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/125秒 7mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
16.拝殿左の彫刻 桃仙人、キジ、イヌ 
拝殿の前を左に回った壁面(社殿西側)にも彫刻が施されている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 8mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
17.「お元気三猿」
社殿西側の猿の彫刻は、日光東照宮の三猿の見ざる、聞かざる、言わざるとは全く違う表情をし、珍しい庚申信仰の逆説を表わす「良く見る・良く聞く・良く話す」の姿を\している。サルは「魔が去る」の語呂から、「災い除け、病除け」の信仰が古くから伝わり、社殿の同方向には前の写真のような桃仙人、キジ、イヌが見え、あたかも昔話の「桃太郎」を窺わせる面白い配置を見ることができるとある。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.5 1/125秒 48mm ISO220 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
18.「北辰の梟」
社殿北側の中央には梟の彫刻があった。この梟は体は正面(南側)を向きながら首だけ180度反転させ、北に輝く北極星(妙見さま)を拝しながら大神様を守護しているのだという。学問の神様である秩父神社の祭神「八意思兼命」のご神徳と梟の頭が回転していることから知恵のシンボルとして合格、学業成就、心願成就を願う人たちがお参りするという。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.2 1/125秒 27mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
19.摂末社
「北辰の梟」を見て振り向くと、天神地祇社があり、全国の一宮やそれに準ずる神社の祭神が祀られている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/125秒 6mm ISO900 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
20.「つなぎの龍」
社殿の東側、ここは鬼門といわれる場所でこの場所には鬼門を守護する左甚五郎作の「つなぎの龍」の彫刻がある。説明に寄れば、その昔、秩父札所十五番小林寺近くに「天ヶ池」という池があったそうで、その池に住みついた龍があばれた時には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことから、この彫り物の龍を鎖でつなぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったとされている。東方を守護するとされる長い舌を出した龍は青龍。青は五行説(古代中国に端を発する自然哲学の思想で、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説)では東方の色とされるそうだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 8mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
21.拝殿には参拝者の列
社殿の周りを彫刻を見ながら一周して拝殿の前に戻ってきた。私は先にお参りを済ませたが、参拝者の列が続いている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/125秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
22.本殿右側にも虎の彫刻
「子宝 子育ての虎」は拝殿の正面左側にあったが、拝殿の右側にも虎の彫刻があった。目を移すとベンチャーウィスキーという会社から大きな樽が奉献されていた。2004年に秩父市で起業され、2008年にはウィスキーの製造免許を取得。秩父蒸留所で造られたウィスキーは「イチローズ・モルト」というブランドで販売されているそうだ。初めて知る。イチローというブランド名は創業者の肥土伊知郎さんにちなんだものである。2006年6月、権威あるウイスキー・マガジン誌上コンテストにて最高得点を獲得、国内外の品評会で軒並み高得点を叩きだして以来、無名に近かった銘柄「イチローズモルト」の名は業界に広く知れ渡るようになったと報じられている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 10mm ISO180 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
23.秩父鉄道の車両
駅の窓からプラットホームを見るとどこかで見たことのあるような車両が停車していた。東急の7500系のようだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/160秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
24.武甲山
バスへの集合時間まで少々時間があったので、少し歩いてみた。踏切の手前から武甲山を眺める。標高は1,304mで思ったより高い。石灰岩採掘により、こちら側から見る北側斜面は植生がほとんど見られず、白っぽく見えるが、他方向の斜面は自然豊かな森林となっているという。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/640秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。


2011年1月18日

益子・那須・日光東照宮 3/3 日光東照宮


 2010年11月16日 11時半ごろ、日光宇都宮道路の終点、清滝出口を出て、少し、日光市内へ戻ると日光山内の駐車場の表示がでていた。車を誘導している男性がいて、停める場所を指示しているが、どうやら、そこは近くの食堂の駐車場だったらしい。駐車料金500円だったか1000円だったか忘れてしまったが、それを受け取ると、その金額が書いてある割引券をくれ、その食堂で食事をしたら、この分割り引きますという。妙に納得してしまった。

15.輪王寺本坊
そこに車を停めて歩き始めた。大きな参道の向こうに東照宮の大鳥居が見える。右手は輪王寺だ。輪王寺の三仏堂は大きな覆いがかけられ、改装中であった。その左側に誰も訪れる人がいない輪王寺本坊があった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/100秒 15.1mm ISOオート )
輪王寺本坊;クリックすると大きな写真になります
16.色鮮やかなもみじ
鳥居の手前の左側に、深紅に染まったもみじがった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/40秒 4.9mm ISOオート )
色鮮やかなもみじ;クリックすると大きな写真になります
17.輪王寺大護摩堂
東照宮の境内に入る手前の右側、輪王寺三仏堂の裏手に日光山随一の祈願所とされる護法天堂があった。朱に塗られた建物と黄葉が美しかった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/125秒 4.9mm ISOオート )
輪王寺大護摩堂;クリックすると大きな写真になります
18.東照宮
ここからが東照宮になる。鳥居をくぐると広くなっていて、左側に五重塔が建っている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/80秒 7.6mm ISOオート )
東照宮;クリックすると大きな写真になります
19.三猿(上)と眠り猫(下)
五重塔を左に見て表門を入ると左側に神厩舎がある。その軒下に彫刻があり、その彫刻は左から右へ8ページの絵本「三猿の物語」になって、猿の一生を描きながら人の生き方を伝えている。その中のひとつが有名な「見ざる、聞かざる、言わざる」で、叡智の3つの秘密を示しているとされる。一方、名匠、左甚五郎の作と伝えられる国宝の「眠り猫」は、陽明門を上がって、坂下門へと続く回廊の長押の牡丹の花の下で眠って居る猫の小さな彫り物だ。奥社を護る「眠り猫」は、前足をしっかりと踏ん張っている事から、実は徳川家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれているが、もう一つの教えとして(裏で雀が舞っていても)「猫も寝るほどの平和」を表しているという。

上:Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/100秒 18.6mm ISOオート )
下:Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/60秒 18.6mm ISOオート )
三猿(上)と眠り猫(下);クリックすると大きな写真になります
20.鼓楼と鐘楼
陽明門を背にして右側に鼓楼、左側に鐘楼がある。鐘楼と鼓楼は国指定重要文化財に指定されている。高さはともに12.6m。建物の規模や構造は基本的に同じだが、細部の飾りつけに違いがある。この写真は輪蔵(左)から鼓楼を眺めたところ。輪蔵の石燈籠の苔がきれいだった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 4.9mm ISOオート )
.鼓楼と鐘楼;クリックすると大きな写真になります
21.唐楓(トウカエデ)
陽明門に連なる回路の下のトウカエデが見事に紅葉していた。もっと赤く紅葉する葉もあるようだ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/1250秒 4.9mm ISOオート )
唐楓(トウカエデ);クリックすると大きな写真になります
22.陽明門の張
国宝に指定されている陽明門には、当時の技術の最高峰がつぎ込まれ彫刻の数は508体にのぼり、軒下には金と極彩色に彩られた麒麟、その下には白色の竜、さらに下が子供達の透かし彫りが施されている。1層目には獅子や子供達が彫り込まれ、1日中見てても飽きない事から"日暮門"の別称がある。柱は全部で12本あり胡粉が塗られ、グリ紋と称する渦巻状の地紋と鳥獣、草花が彫られている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/80秒 7.4mm ISOオート )
陽明門の張;クリックすると大きな写真になります
23.陽明門と神輿舎
陽明門の階段を上がったところの左側にある神輿舎は寛永12年(1635年)に建てられ、桁行3間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き正面には軒唐破風が設えられる建物で反対側にある神楽殿と対になっている。黒と金を基調とし高欄は朱色、組物、彫刻、欄間は極彩色で彩られ、内部には千人行列で渡御する家康(中央)、秀吉(左)、頼朝(右)を祭った神輿が安置されている。天井には狩野派が描いた天人舞楽が描かれていて神輿が無い時真下で手を叩くと鳴き竜現象が起こるそうだ。この神輿舎も国指定重要文化財に指定されているとのこと。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/250秒 6.1mm ISOオート )
陽明門と神輿舎;クリックすると大きな写真になります
24.参道のもみじ
参拝を終えて、駐車場に戻ろうと、再び参道を歩く。ここにも、深紅に染まったもみじがあった。さて、車を停めた駐車場の近くにあるその食堂に、さっきもらった割引券を持って入った。世界遺産日光としてはお粗末なレストランに思えた。中国からの団体ツアー客も入っているし、欧米人の個人観光客も入っている。トイレも清潔感はない。ちょっと、心配になった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/40秒 7.2mm ISOオート )
参道のもみじ;クリックすると大きな写真になります