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2021年12月22日

古都鎌倉紅葉巡り ② 東慶寺 海蔵寺 鶴岡八幡宮 12月2日

円覚寺の参拝と撮影を終えて、次に鎌倉街道を東慶寺へ向かう。江戸時代に群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていたことから東慶寺は駆け込み寺と呼ばれている。  夫との離縁を達成するために妻が駆け込んだ寺のことである。 寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと寺法にて離婚が成立する。東慶寺は江戸幕府公認の縁切寺であった。
 東慶寺を参拝し、この日の次の目的地は海蔵寺である。鎌倉街道を鎌倉鶴岡八幡宮の方へ歩く。ここから、どこかで右に入らなければいけないのだが、今一つ自信がなく、曲がるべきところをまっすぐ行ってしまった。鶴岡八幡宮に沿って歩いて、ようやく小町通りに入る手前で寿福寺、英勝寺、海蔵寺と右へ行く表示があった。そこからもまだしばらく歩く。
 海蔵寺はそれほど参拝者は多くなかった。鐘ともみじの構図で写真を撮る。
 最後に鶴岡八幡宮へ行く。2010年の3月10日未明に雪混じりの強風で倒れた樹齢千年と言われる大銀杏だったが、その根から生えてきたひこばえから若木が選ばれて後継ぎとして育てられている。10年たった今の姿を見てみたかったからだ。立派に育っていた。
 この日は、ここまでで18,000歩ほど歩いた。午後1時、腹も減った。前回来たときに入った蕎麦屋へ行って見たが、お休みだったので、新しい店に入った。悪くない。冷たいビールが美味かった。

000_211202251 X700 〇海蔵寺 海棠 D750 TAMRON35-150.jpg
海蔵寺の鐘堂ともみじ 2021年12月2日

29.東慶寺 小さな山門
円覚寺を出て、横須賀線の線路を渡り、鎌倉街道を左へ進む。ほんの数分歩くと右側に東慶寺の山門へ上がる石段が見えた。東慶寺のホームページを見ると「小さな山門をくぐると、谷戸と呼ばれる鎌倉独特の地形に境内が広がります。墓苑まで続く石畳を中心に本堂、書院、茶室、宝物館が配置され、初春の梅、6月の花菖蒲やイワガラミなど四季を通じて、様々な草花が咲きます。」と記されていた。かつては鎌倉街道沿いに総門もかまえていたが、現在はおとな二人が通れるほどの小さな山門を残すのみとなったという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 52mm ISO180 ) 露出補正 なし
029_211202209m X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
30.梅の古木と鐘楼
山門を行ってすぐ左手には鐘楼があり、その前に梅の古木が植えられている。大正5年に建立されたようでそう古いものではない。天井に龍が描かれているのだが、今回見損なってしまった。梵鐘は観応元年(1350年)の補陀落寺のもの(神奈川県指定文化財)だそうだ。元弘2年(1332年)に作られた元の梵鐘は現在韮山の本立寺にある。私は2016年1月に伊豆韮山の本立寺を訪ねている。その時、本立寺に鎌倉の東慶寺に在った梵鐘があるのを知った。何故なのだろうかと思い、調べた記憶があったので、たどってみると、鎌倉手帳(社寺散策)というサイトに「梵鐘が鋳造された1332年(元徳4年・元弘2年)の翌年、鎌倉幕府が滅亡すると、(鎌倉幕府9代執権北条貞時の側室であった)覚海円成は子女を連れて伊豆韮山に移り住み、北条氏邸跡に円成寺を建立して北条氏の菩提を弔ったという。おそらく、そのときに東慶寺の梵鐘も伊豆韮山に運ばれ、江戸中期に円成寺が焼失した後、韮山の有力者で徳川幕府の代官だった江川氏の菩提所(菩提寺である本立寺)へ移されたものと考えられる。」という記述を見付けた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 38mm ISO3200 ) 露出補正 なし
030_211202177 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
31.本堂
wikipediaによれば、東慶寺は、臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺。寺伝では開基は北条貞時、開山は覚山尼と伝える。開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺で、室町時代後期には住持は御所様と呼ばれ、江戸時代には寺を松岡御所とも称した特殊な格式のある寺であった。現在は円覚寺の末寺で男僧の寺である。東慶寺ホームページによれば、本堂には本尊の釈迦如来坐像が祀られる。関東大震災後、佐藤禅忠師が紺紙金泥で観音菩薩を揮毫して寄進を募り、 昭和10年(1935)に建立したものだそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/125秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
031_211202181 X800 東慶寺 本堂 D750 TAMRON35-150.jpg
32.寒雲亭
裏千家ゆかりの宗旦の茶室だそうだ。小さな門の屋根の苔に惹かれた。ホームページには斉藤利助翁の尽力により、昭和35年(1960年)、堀越家から寄進、移築されたとある。 千宗旦筆「寒雲」の扁額がかかり、真行草の天井、櫛形の欄間のある名席。平成6年(1994年)に露地を含め大改修が行われた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 なし
032_211202183 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
33.墓苑への道
山門から墓苑へと続く石畳の道は、大仏様のような石仏のあるところで緩やかに右へ曲がり、再びまっすぐに進む。右手に東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館である松岡寳藏が見える。松岡寳藏は昭和53年、方丈跡に新築。釈宗演老師の遺言書よりおこした扁額がかかっていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO560 ) 露出補正 なし
033_211202185 東慶寺 X800 D750 TAMRON35-150.jpg
34.墓苑
石畳の道をさらにまっすぐ進むと墓石が並ぶ墓苑に入る。背の高い木々が多くなり、歴代住職、檀信徒の墓苑となる。前回訪れたときは、この辺りのイチョウ、カエデの紅葉がきれいで、今回もそれを期待して訪れたのだが、少しタイミングがずれていたようだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 105mm ISO100 ) 露出補正 なし 撮影後補正
034_211202195m2 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
35.長寿寺
東慶寺を辞して、鎌倉街道をさらに進む。横須賀線の踏切を渡ると右手に長寿寺へ上がる石段があった。山号を宝亀山という臨済宗建長寺派の寺院で本尊は観音菩薩だそうだ。このお寺は春と、秋の週末に境内に入れるとあったが、この日は木曜日。でも、中に入っている参拝者もいた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 78mm ISO800 ) 露出補正 なし
035_211202216 X800 東慶寺→海蔵寺 長寿寺 D750 TAMRON35-150.jpg
36.建長寺
鎌倉街道を進む。街道の反対側に建長寺の天下門が見えてくる。wikipediaによれば、建長寺は臨済宗建長寺派の大本山。正式には巨福山建長興国禅寺という。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。今日は参拝は割愛させていただく。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
036_211202221 X800 東慶寺→海蔵寺 建長寺 D750 TAMRON35-150.jpg
37.落石防護用のシェード
建長寺を過ぎると鎌倉街道はこの落石防護用のシェードをくぐる。トンネルではない。上が開いている。ここは現在の巨福呂坂新道であり、ここを抜けると八幡宮の裏に出る。旧道の巨福呂坂はこの新道よりさらに上の場所に位置しており、鎌倉の七切通しの一つで小袋坂とも書く。明治時代に新道が開かれたが、大正12年(1923年)の関東大震災で崩落したため、さらに掘り下げて現在の新道が通った。昭和31年(1956年)に再度拡幅、平成5年(1993年)には落石防護シェードが作られた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO1250 ) 露出補正 なし
037_211202223 X800 東慶寺→海蔵寺 落石防護施設 D750 TAMRON35-150.jpg
38.海蔵寺への道
さて、そろそろこの辺から右に入るのだろうと思って、歩いているが、なかなか行き先表示が現れず、ここかと思うが今一つ自信がなく、まっすぐ進んでしまった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO200 ) 露出補正 なし
038_211202228 X800 東慶寺→海蔵寺 D750 TAMRON35-150.jpg
39.鎌倉近代美術館
左に鎌倉近代美術館がある。門の中には行って見ると、右の方に池が見える。もうそこは鶴岡八幡宮の源平池の平家池だった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 46mm ISO100 ) 露出補正 なし
039_211202233 X800 東慶寺→海蔵寺 鎌倉近代美術館 D750 TAMRON35-150.jpg
40.寿福寺
もう目の前で鎌倉街道は左へ曲がり、まっすぐ行くと小町通というところまできた。そこでやっと、寿福寺、海蔵寺への行き先表示版があった。右へ曲がって、寿福寺へ行く。門前から参道を眺めるにとどめる。なかなか魅力的な石畳の道が中門まで続いている。寿福寺は建長寺、円覚寺に次ぐ鎌倉五山第三位の寺院であり、臨済宗建長寺派の寺院である。境内は「寿福寺境内」として1966年(昭和41年)3月22日、国の史跡に指定された。この日は参拝を失礼したが、次回は是非境内には行って見たい。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 38mm ISO560 ) 露出補正 なし
040_211202239 X800 東慶寺→海蔵寺 寿福寺 D750 TAMRON35-150.jpg
41.海蔵寺本堂
海蔵寺に着いたのは12時少し前だった。円覚寺にお参りしてほぼ3時間歩いてしまった。海蔵寺も臨済宗建長寺派の寺院で、山号は扇谷山で、本尊は薬師如来だ。wikipediaによれば、建長5年(1253年)に宗尊親王の命により藤原仲能が創建し、鎌倉幕府滅亡時に焼失、応永元年(1394年)に上杉氏定の開基、心昭空外を開山として再興されたと伝えられる。本堂には十一面観音が安置されている。春はカイドウの花が有名である。また、非公開ではあるが本堂裏の庭園が美しいという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/320秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
041_211202249 X800 〇海蔵寺 本堂 D750 TAMRON35-150.jpg
42.海蔵寺鐘堂
本堂に向かって右側に鐘堂がある。なぜか赤い大きな唐傘があり、その向こうに仏殿(薬師堂)が見える。その間のもみじがポイントになる。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
042_211202258 X800 〇海蔵寺 海棠 D750 TAMRON35-150.jpg
43.海蔵寺山門
海蔵寺には写真の男坂を上がる山門と、この右側に女坂を上る脇門がある。男坂、女坂と云ってもほんのわずかな坂だ。ご住職が落ち葉の掃除をされている男坂を小学生たちが上がって行った。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 72mm ISO100 ) 露出補正 なし
043_211202264 X800 海蔵寺 D750 TAMRON35-150.jpg
44.モズ
海蔵寺を出て、次は鶴岡八幡宮の大銀杏である。小町通りを横切るようにして、いったん檀蔓へ出る。行く道で、野鳥が目の前の小枝に止まった。葉が落ちているので見つけやすい。モズだった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO160 ) 露出補正 なし 撮影後補正
044_211202268tm X800 海蔵寺 モズ D750 TAMRON35-150.jpg
45.鶴岡八幡宮 太鼓橋から枚殿、本宮を望む
鎌倉街道の交差点を渡り、朱色の大きな三の鳥居をくぐると、源平池に渡された太鼓橋がある。太鼓橋は渡ることが出来ないが、カメラを上にあげて撮る。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 68mm ISO100 ) 露出補正 なし
045_211202273 X800 鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
46.生まれ変わった大銀杏
本宮に上がる石段の左側にある大銀杏は、生まれ変わった大銀杏である。建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁が階段脇に生えていたこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、この大階段の13段目に降りてきた源実朝を殺害したという伝説があり、隠れ銀杏という別名がある。樹齢800年とも1000年余ともいわれていたその大銀杏が、2010年(平成22年)3月10日4時40分頃、強風のために大銀杏は根元から倒れてしまった。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽(蘖・ひこばえ)が確認された。11年目、元の大銀杏の根から生えてきたひこばえから、若木が選ばれて後継ぎとして育てられている。こんなに大きくなった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
046_211202276 X800 鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
47.倒れた大銀杏の根元
倒れた大銀杏は3つに切断され、2010年の3月15日、根元から高さ4mまでが、7m離れた場所に移植された。残る2つは境内に保存されたそうだ。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽(ひこばえ)が確認されたという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
047_211202277 X800 〇鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
48.大銀杏の若木
写真46で見ていただいた後継ぎの大銀杏を本宮の大階段の途中から撮る。その向こうに倒れたかっての大銀杏の根元が見える。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
048_211202278 X800 〇鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg


2017年1月 8日

紅葉の鎌倉を散策(2) 東慶寺 12月5日

円覚寺総門から石段を下りて、横須賀線の踏切を渡り、鎌倉街道を左へ行く。5分ほど歩くと右側に東慶寺の山門にいたる石段が見えた。小さな山門である。東慶寺は円覚寺派の寺院であり、駆け込み寺として知られる。江戸時代には幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていたという。
 このお寺は本堂はそれほど大きくはないが奥に墓苑が続く。その紅葉がきれいだった。

15.山門にいたる石段
石段を上がると小さな山門がある。拝観料は200円だった。時刻は10時10分を回ったところで、参拝者の姿もあった。山門をくぐって左側に鐘楼があった。東慶寺の鐘楼は1916年(大正5年)に建てられ、1923年(大正12年)の関東大震災で唯一倒壊しなかった建築物だそうだ。吊されている梵鐘は、1350年(観応元年)の鋳造で材木座の補陀洛寺から移されたものという。昨年1月5日に伊豆韮山の本立寺を訪れた折、そこの鐘楼につるされていた鐘はここ東慶寺にあった梵鐘だと聞いた。以前に東慶寺あった鐘だろう。江戸中期に伊豆韮山の有力者であった江川氏の菩提寺である本立寺へ移されたとのことだ。

  Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8​​​ 1/​250​秒 48mm ISO220​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
16.本堂
美しい屋根の形は宝形造というらしい。本堂は「泰平殿」といい、本尊の釈迦如来坐像が祀られている。明治維新で寺領を失い修理も出来ずに荒れ果て、雨の日には「本堂の雨漏りがひどくて、傘をさしてお経を読んだ」という状態であったという。 その仏殿は1907年(明治40年)に先日行ってきた三溪園に移築された。現在の本堂はその後、1935年(昭和10年)に建てられたものである。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5​​​ 1/​250​秒 20mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
17.茶室「寒雲亭」​​
本堂の向かい側に茶室「寒雲亭」がある。wikipediaによれば、「寒雲亭」は千宗旦の遺構で、最初のものは1648年に京都に造られ、裏千家で最も古いお茶室とされる。 ただし1788年(天明8年)正月に京都で大火があり、伝来の道具や扁額、襖 は持ち出すことができたが、茶室は隣合わせだった表千家・裏千家共にすべて焼失している。 従って現在残るものは1788年から翌年にかけて同じ間取りで再建されたものである。 東慶寺の寒雲亭は明治時代に京都の裏千家から東京の久松家(元伊予松山藩久松松平家) に移築され、 その後、鎌倉材木座の堀越家を経て1960年(昭和35年)に東慶寺に寄進・移築されたものである。ここは非公開だった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2​​​ 1/​250​秒 32mm ISO800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
18.十月桜​​​​
境内奥は墓苑になっているが、その手前に十月桜が咲いていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 210mm ISO1000​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
19.大きなカエデの木​​​​​​
墓苑の入り口に大きなカエデの木があり、紅葉していた。カエデはおおよそ128種存在するそうだ。日本で代表的なカエデはイロハモミジである。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5 1/​250​秒 44mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
20.墓苑
​​ 入り口でいただいたパンフレットによれば、境内奥には開山覚山仁、5世用堂尼、20世天秀尼や歴代住職の墓がある。その周りには宗演老師の居士であった野田大塊をはじめ、石井光男、鈴木大拙たちが眠っており、時を経て現在は安倍能成、出光佐三、岩波茂雄といったゆかりの哲学者、文学者、実業家たちも多く眠っている。出光佐三は出光興産の創業者。つい最近出光佐三をモデルにした映画「海賊と呼ばれた男」 を観た。この辺りは湿気の多いところで墓石は苔むしている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250​秒 26mm ISO450​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
21.墓所の仏像
どなたの墓かはわからないが、墓所には仏像が祀られていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​250​秒 66mm ISO1250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
22.緑を背景に色づいたカエデ
​​ 後ろにはこれから紅葉する緑のカエデがあり、手前のカエデの葉とのコントラストがきれいだった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 300mm ISO900​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.輝くカエデ​​
​​ 墓苑は暗い。その中で日の当たるところにある紅葉したカエデの葉が輝く。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 300mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.本堂への門​​​​
​​ この門にあるカエデの古木は立派だ。残念ながら紅葉した葉は日影になってしまった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.再び本堂へ
​​ さっきは参拝者が多かったので、美しい宝形造の屋根の本堂全体を撮れなかった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.本堂の釈迦如来坐像
​​ パンフレットでは、仏頭内部に墨書修理銘があり、それによると永生12年(1515年)火事が起こり、その時この像は取りだされ、仏師弘円が面部を彩色、寛文10年(1670年)仏師加賀が修理したこと、また別筆では大正の震災で大破したのを昭和初年、後藤弘慶が修理し、本堂に安置されたと記されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​60​秒 70mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
27.イチョウとカエデの紅葉
墓苑に大きなイチョウの木が植えられていて黄色くなっていたが、その手前には赤く染まったカエデの葉が陽の光を浴びていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 98mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。

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2016年1月21日

三島スカイウォークと江川邸、韮山反射炉へドライブ(2) 江川邸と本立寺 1月5日

次の目的地である江川邸にカーナビをセットした。それほど遠い距離ではなく、むしろ韮山反射炉へ行く通り道から少し入ったところにある。
 江川邸の駐車場に到着。入口でいただいたパンフレットによると、以前は宇野姓を名乗っていた江川家は、清和源氏の流れをくみここ韮山に定住していた。源頼朝の平家に対する挙兵(1180年)に応じて参戦し、江川庄を賜ったという。その後、鎌倉時代、室町時代と伊豆の豪族として地盤を固め、15世紀中ごろに狩野川の支流の名にちなんで性を江川と改めたそうだ。要するに江川家は伊豆の豪族である。
 北条氏の伊豆進出(1493年)に当っては土地を提供して韮山城を築城させた。北条氏の家臣となった江川家は、その後徳川家康に仕え、28代江川英長は幕府の直轄地となったこの地を代官として統治するようになった。以後明治維新にいたるまで江戸時代のほぼ全期間を通じて代々徳川幕府の代官を世襲した。特に幕末の36代英龍は文化人、開明思想家、革新的技術者として有名であったのだ。通称は太郎左衛門(たろうざえもん)、号は坦庵(たんあん)で知られている。

高さ12mあまりの大屋根を支える豪壮な架構の主屋(552㎡)を持つ江川家住宅は、重要文化財に指定されている。
 受付を入る。門をくぐり正面に玄関があるが、ボランティアの方が数名の見学者グループに説明をされていた。入り口は土間からになっている。江川邸の屋敷と庭を見学し、裏門から外へ出た。裏門から外を見ると真正面に富士山が見えた。
徒歩5分くらいのところに江川家の菩提寺である本立寺があると聞いたので、行って見ることにする。観光客の姿はなく、静かだった。蝋梅の花が満開だった。

14.江川邸の佇まい
駐車場に車を停めて、江川邸の入り口に向かった。駐車場からは江川邸を眺めながら入口へ向かうが、その落ち着いた佇まいは美しかった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 45mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.江川邸受付
受付で入場料をお支払する。入場料はひとり500円だが、前のご夫婦と受付の方との話を聞いていると、JAFの会員であればひとり100円割引になるという。JAFカードは車の中だ。走って車まで取りに戻った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 34mm ISO720 ) 露出補正 なし
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16.表門
元禄9年(1696年)に建築され、文政6年(1823年)に一度補修されているそうだ。三間一戸の薬医門だ。この写真の右側に枡形と呼ばれる広場があった。江川邸の場合、代官が外出する際人数をそろえるのに使われていたと説明されていた。平成12年に屋根の葺き替えと部分修理が行われている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 26mm ISO220 ) 露出補正 なし
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17.センダン(栴檀)の実
その枡形の奥に大きなセンダンの木があり、可愛い実を付けていた。「栴檀は双葉より芳し」の栴檀である。広辞苑によればこれは、「栴檀は発芽の頃から早くも香気があるように、大成する人は子供のころから並はずれて優れている。」ということ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
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18.主屋の屋根
枡形と屋敷との間の黒塀越しに見る主屋の大屋根は立派だった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
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19.土間
玄関を右に回り、土間から主屋の中に入った。広い。およそ50坪の広さだそうだ。北側中央にかまど、東側には生き柱と呼ばれる江川氏がこの地に移り住んできた時、生えていたケヤキの木をそのまま柱として利用したとされる柱があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/100秒 35mm ISO6400 ) 露出補正 なし
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20.主屋の座敷 江川英龍とお台場、韮山反射炉
土間から靴を脱いで主屋の畳に上がった。そこには江川太郎左衛門英龍が立案、建設したお台場、韮山反射炉など様々な偉業に関する展示がなされていた。お台場と江川英龍との関係はここに来るまで知らなかった。嘉永6年(1853年)ペリーがやってきて武力を背景に日本に開国を迫った。当時対抗できる武力を持たなかった日本は、急いで防御策を講じ必要に迫られ、東京湾に12の人工島(実際に完成したのは6)を築き、たくさんの大砲を備え付けることになった。これが台場であるが、その設計から完成までの総指揮に当ったのが江川英龍だったのだ。そしてその台場に備え付ける大砲を鋳造するために韮山反射炉が造られた。英龍が死去した後は息子の英敏があとを継ぎ、安政4年(1857年)に完成させている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/50秒 27mm ISO6400 ) 露出補正 なし
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21.江川英龍の絵
江川英龍は一方で多彩な余技を持つ文化人であり、数多くの書画、詩作、工芸品などが残されいる。下段に蝶の画がある。キタキチョウ、コミスジ、アオスジアゲハが描かれている。右下の蝶は種が判別できない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/60秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
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22.土間全景
各部屋に展示されていた資料の数々を見学したあと、再び土間に下りた。北側中央にある釜戸の手前右側の丸い柱が生き柱であろう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/125秒 23mm ISO6400 ) 露出補正 なし
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23.大屋根を支える架構
土間から見上げる、主屋の大屋根を支える架構は見事だ。天井板が張られていないため屋根裏の架構(小屋組み)をそのまま目にすることができる。現在銅板葺きとなっているが、当時は高さ約12mにもなる茅葺の屋根を支えてきた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/6秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
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24.パン租の碑
入ったところから主屋を出た。肥料蔵、南米蔵、北米蔵などがあり、出口(裏門)へ出る右側にパン租の碑が立っている。江川英龍は天保13年(1842年)ごろ、パン(今日の乾パンのような保存性の高いもの)を兵糧として用いようと考え、配下の者にパンの製造方法を学ばるとともに、自邸内にパン窯を築いて実際にパンを焼かせた。昭和28年、全国パン協会は英龍を「パン租」として顕彰しこの碑を建てた。碑文は徳富蘇峰による・・・とパンフレットに記されている。土間にパン焼き窯があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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25.裏庭から主屋を見る
大きなトチノキがある。そのほかにも桜の木に楓と樫の木が宿った木もあった。春には桜の花が咲き、秋には紅葉が楽しめるというが、今は老木にしか見えなかった。主屋の屋根は大きい。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
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26.裏門
文政6年(1823年)建築だが、門扉はもっと古いものをそのまま使っている。裏門の真後ろからは富士山が見えた。昭和62年に修復されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 23mm ISO220 ) 露出補正 なし
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27.裏門の門扉
その裏門の門扉であるが、所伝によれば天正18年(1590年)、豊臣秀吉の軍勢によって韮山城が包囲されたとき、砦のひとつだった江川邸(江川曲輪)も激しい攻撃を受けた。門扉はその当時のもので多数残る穴は鉄砲玉や鏃(やじり)の跡だとされている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
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28.のどかな風景
江川邸を後にして、駐車場に戻り、車で江川家の菩提寺という本立寺へ行ってみた。これは本立寺付近の民家だが、手前に畑があって屋根の向こうには富士山が見え、のどかな光景である。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 52mm ISO200 ) 露出補正 なし
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29.本立寺山門
江川家16代当主の江川英親は流罪にされて伊東に居住していた日蓮上人を、1261年に数日間江川邸に招いたとされているが、wikipediaによれば、その1261年に日蓮は近郷を教化し、経塚を作るとある。本立寺は日蓮宗の本山(由緒寺院)で山号は大成山という。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 45mm ISO250 ) 露出補正 なし
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30.本立寺本堂
のちの1506年(永正3年)、二十四代当主英盛が江川邸内にあった大乗庵を移し本立寺(日澄大堂)が建立されている。その後、大永5年(1525年) に 山崩れで崩壊、永禄元年(1558年) 再建、そして明治36年(1902年) -には本堂が焼失した。この本堂はその後に再建されたものであろう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 48mm ISO220 ) 露出補正 なし
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31.本立寺鐘楼
本堂の手前右側に鐘楼があった。本立寺の鐘楼には、鎌倉の東慶寺にあった梵鐘が吊されているという。なぜ、鎌倉東慶寺の梵鐘が本立寺にあるのだろうか。調べてみると、鎌倉手帳(社寺散策)というサイトに「梵鐘が鋳造された1332年(元徳4年・元弘2年)の翌年、鎌倉幕府が滅亡すると、覚海円成は子女を連れて伊豆韮山に移り住み、北条氏邸跡に円成寺を建立して北条氏の菩提を弔ったという。おそらく、そのときに東慶寺の梵鐘も伊豆韮山に運ばれ、江戸中期に円成寺が焼失した後、韮山の有力者で徳川幕府の代官だった江川氏の菩提所へ移されたものと考えられる。」という記述を見付けた。インターネットがなければこんなに簡単に調べたいことにたどり着けない。IT革命だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 26mm ISO1400 ) 露出補正 なし
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32.ロウバイ(蝋梅)
境内には2、3本のロウバイの木があって、どれもきれいな花を咲かせていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 70mm ISO1400 ) 露出補正 なし
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2016年1月16日

三島スカイウォークと江田邸、韮山反射炉へドライブ(1) 三島スカイウォーク 1月5日

2015年7月5日に行われた第39回世界遺産委員会で世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つである韮山反射炉へ行ってみたいと思っていた。また、昨年12月になって、三島と箱根の間に歩行者専用としては日本一長い「三島スカイウォーク」という吊り橋がオープンしたとTVで報じられていた。
 はじめ、日帰りバスツアーで行こうかと思っていたが、それほど遠い距離でもなく、また、先日n-shuhei さんが行ってこられた江田邸にも是非寄りたいので、マイカーで出掛けることにした。

朝6時半に自宅を出発し、三島スカイウォークに着いたのが開場時間前の8時40分ごろだった。雲一つない晴天だったが何かクリアな空ではない。PM2.5でもなかろうと思うのだが。江田邸には10時40分着、そして江田氏菩提寺である本立寺に寄って、最終目的地である韮山反射炉に着いたのはちょうど正午ごろだった。反射炉を見て歩くのに30分もかからなかった。
 12時半には、この日の目的を終え、さて、帰路はどのようにしようかと思案した。伊豆スカイラインを走って富士山の写真を撮って帰ろうかと思い、国道136号線へ出る信号で一旦ウィンカーを左に出したものの、信号待ちの間にかみさんと協議の結果、考えを変え、三島に行って三島大社にお参りし、その近くで鰻を食べて帰ろうと、ウインカーを右に出しなおした。
 ところが三島大社の周辺は大渋滞でとても寄り付けそうもない。仕方なく三島駅近くの駐車場に車を入れて、駅前の鰻やさんに入った。その店は、間口は小さかったが結構奥行きがあり、お客さんも入っていた。
 帰路、東名高速のインターに出るのに迷ってしまい、結局、長泉沼津ICから第二東名に入った。御殿場を過ぎると下り坂になり、流れが早くなる。その後も順調に走り、夕方5時前には自宅に着いた。

1.足柄サービスエリア
自宅から1時間少々走って、8時ごろ足柄サービスエリアに車を停めた。朝食にする。走行中も真正面に雲一つない富士山を見ながら走ってきたが、ここからの富士山も大きく見える。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.5 1/400秒 258mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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2.三島スカイウォーク入口付近から見た富士山
東名沼津から伊豆縦貫道に入り、三島塚原ICで下りて、国道1号線を箱根方面に向かった。10分も走らないうちに三島スカイウォークの大きな駐車場に入った。開場は午前9時でチケット売り場はまだ開いていなかった。往復渡橋の入場料は@1,000円。しばらく待つとゲートが開き、左手にある大吊り橋の渡り口へ向かう。さっそく、富士山が迎えてくれた。遮るものがない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
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3.吊り橋を歩く
対岸に向けて吊り橋を歩く。少し揺れるがまったく不安を感じない。左側には富士山が見えるが、それ以外には見るべきものは何もない。季節が変わるとどうなるのだろうか。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/1600秒 6mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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4.400mを渡り反対側へ
写真を撮りながら15分くらい吊り橋の上を歩いただろうか。反対側の丘の上に着いた。橋の向こう側に見えるのは三島市、さらに駿河湾だ。係りの人も言っていたがこの日は晴れてはいるものの、なにか靄がかかっているようで、いまいちくっきり見えない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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5.谷
手すりから首を出して覗いてみると、橋の下は谷になっていて水は流れているようだが美しい渓流があるわけではない。まだ開発中なのだろうが裸地が多かった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 122mm ISO200 ) 露出補正 なし
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6.展望台から見える富士山 -1
吊り橋を渡り切った反対側には展望台が設けられていた。しかし、雨や曇りの日に来られた人たちは気の毒だなと想った。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/800秒 21mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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7.展望台から見える富士山 -2
裾野市の向こうに富士山を見る。この日は少し靄がかかっていたが、それにしても青空を背景に富士山を撮るのは難しい。全体が青みがかってしまい、富士山がくっきりと浮かばない。また、レンズの周辺光量不足が目立ってしまう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 122mm ISO200 ) 露出補正 なし
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8.吊り橋を戻る
途中、振り帰って入口(入場口)の方を背にもう一度富士山を撮る。やはりくっきりとは撮れない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.入口側の展望台
入口側にも展望台があって撮影スポットが設けられていた。今日は入場者が少ない。しかし、何人かが順番を待って記念写真を撮っている。写真を撮られるときにVサイン(ピースサイン)をするようになったのは何時頃からだろうか。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2000秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.入口側展望台から見た吊り橋全景 -1
木が切られた跡が目立つ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
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11.入口側展望台から見た吊り橋全景 -2
今度は吊り橋の右側から富士山を入れて撮る。パンフレットによると全長400mで谷からの高さ70.6m、歩道幅1.6m、主塔の全校44mとなっていて、歩行者専用吊り橋としては日本一の長さとのこと。また、車椅子同士がすれ違うことができる幅に設計されているそうだ。空気が乾燥してクリアな時は富士山のみならず、駿河湾の眺めも良いだろうなと思う。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1250秒 30mm ISO200 ) 露出補正 なし
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12.花が降るショップ スカイガーデン
入場ゲートの手前左側の小高い丘の上にスカイガーデンというショップがあった。エスカレータが付いている。登ってみた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1600秒 5mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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13.スカイガーデンのなか
エスカレータを上がってスカイガーデンの中に入る。中は温室のようになっていて、天井からはトロピカルな花が吊られていた。雨の日に来られた人たちは、しばしここで時間を過ごすことになるのだろう。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 8mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。