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Studio YAMAKOで“聖観音菩薩”が含まれるブログ記事

2018年12月22日

金剛輪寺 11月8日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(8/終)

バスは最後に訪れる金剛峯寺に 到着した。ガイド嬢は少し上にある黒門まで上がって、受付をしてきてくれた。バスはわれわれを乗せたまま本堂に近いところまで上がってくれる。黒門から歩くと長い参道を登って行かなくてはならない。
 ガイドさんが受付でもらってきてくれたパンフレットには金剛輪寺は「湖東三山まん中のお寺」と書かれていた。位置的に南にある百済寺と北にある西明寺の間にあるのだ。食事をした「一心庵」や京都へ戻る道筋から、金剛輪寺の参詣が最後になったのだろう。
 湖東三山はいずれも天台宗の寺院だが、天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、最澄は日本へ帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)や円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。
 金剛輪寺のホーム・ページによれば、金剛輪寺は、奈良時代の中頃、天平13年(741年)に聖武天皇の勅願で行基菩薩によって開山された。言い伝えによると行基菩薩が一刀三礼(仏像を彫刻するときに、一刻みするごとに三度礼拝すること)で観音さまを彫り進んだたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊としてお祀りされたそうだ。後の世に「生身(なまみ)の観音」と呼ばれるようになり、全国の観音信徒より篤い信仰を集めている。平安時代の初めには、比叡山より慈覚大師が来山、天台密教の道場とされて以来、延暦寺の末寺、天台宗の大寺院となった。
 本堂、三重塔を参拝したあと、両側にお地蔵さんが並ぶ長い参道を、黒門まで戻った。バスは黒門の前の駐車場で待っていた。時刻は3時半過ぎ、もう暗くなり始めている。そこから1時間ちょっとで京都駅八条口に到着した。
 今回の旅行はわずか3日間だったが、ずいぶん長い旅をしたように感じる。自分で選んだコースだったので少々不安もあったが、充実した旅行だった。切符売り場で新幹線の指定席券を購入して、駅構内に入る。車内で食べようと駅弁とビールを買って、ホームに上がった。新幹線は日帰り出張の会社員の人たちがちょうど帰る時間帯になったのだろう、京都で乗ったときはまだ空きのあった「ひかり」の指定席は、米原、名古屋でほぼ満席となった。 遅くならずに無事自宅に帰り着いた。

168.黒門
黒門は総門である。ここが金剛輪寺参道の入り口だ。黒門については江戸時代の建立とあるだけでほとんど情報がなかった。この写真は、バスで中腹の駐車場まで上がっていくときに車内から撮った。金剛輪寺の本尊は聖観音菩薩だが、聖観音と書かれた大きな赤い提灯が 目立つ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO1600 ) 露出補正 -1.0段
181106_168.jpg
169.本堂(国宝)外陣
バスを降りて、すぐ本堂へ向かった。丁度、講話(説明)が始まるらしい。外陣に座って話を聞く。弘安11年(1288年)1月建立の銘が須弥壇(堂内に仏像を安置するために,床面より高く設けられた壇)にある。元寇の役(蒙古襲来)の戦勝記念として、時の近江守護職・佐々木頼綱によって建立された本堂は、鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されている。堂内には秘仏本尊聖観世音菩薩をはじめ、阿弥陀如来坐像、十一面観音立像など平安から鎌倉時代の仏像が安置され、その多くが国の重要文化財に指定されている。本尊を安置する厨子は建築的細部をもつもので、入母屋造、檜皮葺きとする。この厨子は建物と同時期の作とみられ、本堂の「附」(つけたり)として国宝に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/125秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181106_169.jpg
170.金剛輪寺 銅鐘
この梵鐘は乾元2年(1303年)の銘がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO2500 ) 露出補正 -1.0段
181106_170.jpg
171.本堂外観
本堂は入母屋造、檜皮葺の和様仏堂で、中世天台仏堂の代表作と言われる。 写真に撮ってきた愛荘町教育委員会による説明版によれば、 「内陣須弥壇金具に弘安11年(1288年)の銘があり、鎌倉時代にめざましく発展した密教寺院の大規模な本堂である。桁行七間、梁間七間、入母屋造りで、妻飾りは豕扠首(いのこさす: 切妻や入母屋の造りで、梁の上に合掌形に材を組んだもの。また、その二本の材。妻飾りに用いられる。)を組み、内外に長押を廻し、正面には蔀戸を入れるなど、全体は伝統的な和様建築であるが、内部の組物の一部に、13世紀に伝来した禅宗様式の拳鼻がついている。密教本堂の通例により内部は外陣と内陣に区画するが、外陣大虹梁(虹形に上方にそり返った梁)を受ける太い列柱と、格子戸・菱欄間の内外陣境結界とで構成される広い礼拝空間、天井を化粧屋根裏とし荘重な須弥壇を構える内陣は、ともに流麗な曲線の檜皮葺大屋根に包含され、堂々たる偉容は近江中世本堂の圧巻ということができる。」(桁行七間、梁間七間の「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語 wikipedia)とあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO2500 ) 露出補正 -1.0段
181106_171.jpg
172.本堂 -1
先に須弥壇の金具に弘安11年(1288年)の銘があると記したが、wikipediaによれば、本堂の建築様式・技法は鎌倉時代まではさかのぼらず、南北朝時代の建立とみられ、前述の金具は前身堂のものとみられる。入って左側奥が内陣で須弥壇がある。また、この国宝の本堂は中世の代表的な和様建造物として、昭和39年(1964年)の東京オリンピックの時、文部省が10分の1の模型を作成し、東京国立博物館に展示したという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 -1.0段
181106_172.jpg
173.三重塔(重要文化財) -1
本堂の左側に三重塔が見えた。ここは紅葉が美しいところで、金剛輪寺のパンフレットにも写真が載せられているのだが、残念ながら、まだ早かったようだ。カエデはまだ緑の葉をつけている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 -1.0段
181106_173.jpg
174.三重塔 -2
待龍塔とも呼ばれる。本堂の左(北)の一段高い場所に建つ。寺伝では鎌倉時代の寛元4年(1246年)の建立というが、様式的には南北朝時代の建築とみられる。織田信長の焼き討ちはまぬがれたものの、近世以降は荒廃し、塔の初層と二重目の軸部(柱、梁などの根幹材)と組物がかろうじて残るだけで、三重目はなくなっていた。現状の塔は1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)にかけて修理復元されたもので、欠失箇所は同じ滋賀県内の西明寺三重塔などを参考に復元したものである。そういえば、さっき見てきた西明寺の三重塔に似ている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -1.7段
181106_174.jpg
175.本堂付近
日が暮れてきている。参拝の人もほとんどいなくなり、静けさが漂う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
181106_175.jpg
176.本堂 -2
三重塔の側(北側)から本堂を見る。左手が入口。右手の石段を下るとすぐ二天門がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
181106_176.jpg
177.本堂付近の紅葉
左手が本堂になる。石燈籠は簡素な形だ。紅葉は物足りない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
181106_177.jpg
178.二天門
二天門をくぐって本堂を振り返る。ここにも大きな草鞋があった。参道を上がって来たとき、石段を登りつめた所にあり、本堂の正面に建つ。蟇股、和様建築の梁や頭貫 (かしらぬき:上にあって上の荷重を支える材)などの細部様式からみて、本堂よりも新しい室町時代後期の建立とされる。柱間は正面三間、側面二間。当初楼門であったが、江戸時代中頃に上層(二階部)を失い、腰組斗供(組物)の残存肘木先に桁を廻して、新たに檜皮葺きの屋根を作ったものである。柱間は中央間と脇間が二対一の割合で、両脇間に金剛柵を設け、向かって右に増長天、左に持国天を祀る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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179.千躰地蔵 -1
帰り道は石段の参道を黒門まで下りることになる。途中、二天門を振り返ってみると、その参道の両側には高さ50cmほどの小さなお地蔵様がズラリと並んでいる。黒門に向かって右側にはぎっしりとお地蔵さんが並んいるところがあって、2千体を超えるそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 -1.0段
181106_179.jpg
180.千躰地蔵 -2
風が吹くと、一体一体に供えられた赤い風車がいっせいに回りだし、静かな境内がカタカタという轟音に包まれるという。参道や境内などに鎮座したお地蔵様の数は、実際には2千体を超え、その迫力は異様なほどである。それぞれのお地蔵様には、家の名前が書かれていて、地域の人によって大切に守られているようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
181106_180.jpg
181.明寿院 -1
参道を少し右に入ると庭園があった。明寿院はその先に建っていた。明寿院は金剛輪寺の本坊で、江戸時代の創建といわれ寺宝を多く保存し、かつて学頭所(寺社の学事を統轄する所)として使われていた。昭和53年秋に再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO1250 ) 露出補正 -0.7段
181106_181.jpg
182.明寿院 -2
明寿院玄関棟設計施工の名前が書かれた札が置かれていて、昭和53年10月となっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 15mm ISO1250 ) 露出補正 -0.7段
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183.明寿院 -3
襖が開け放たれた座敷の向こうには日本庭園が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 15mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
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184.名勝庭園
池泉回遊式庭園である。桃山、江戸初期、中期の三庭があり、この本坊の南・東・北の三方を囲むように庭園があり、写真に見える心の字池が三庭を結んでいる。作者不詳であるが、老杉蒼松の自然を背景とし、灯籠泉石樹木の配置等、素晴らしく、晩秋の深紅に染まる色鮮やかな紅葉は「血染めのもみじ」と広く知られている。湖東三山一の名園古庭であり、国の名勝にも指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
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185.茶室 水雲閣
3っの庭のひとつである桃山時代の庭の宝篋印塔を見下ろすように立つ水雲閣は、湖東随一の茶室で、天井に桜、なでしこ、菊など四季おりおりの花が描かれているという。またこの茶室からの庭の眺めは美しい。この茶室は江戸時代末期に建てられたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.7段
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186.黒門に戻る
3時半を回ったところで黒門に戻ってきた。この日は、バス・ツアーの常であるが、大急ぎで、琵琶湖の東側に位置する永源寺と湖東三山を巡ってきた。思い出しながら綴ってきたが、見落としているところも多かった。黒門の傍にある、入館券は拝観料に含まれていた愛荘町立歴史文化博物館も見てみたかったのだが、時間が取れなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 -0.7段
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2016年11月10日

犬山、郡上八幡、白川郷、飛騨高山 古い町並みを歩く 10月17日~18日 (4) 飛騨高山 10月18日

白川郷から東海北陸道を走り、日本で3番目に長いという飛騨トンネルなどを抜けて高山清美道路に入り、最後の目的地である飛騨高山に着いたのは11時半ごろだった。
  バスは古い町並みが近くにある駐車場に入った。さすがに観光客が多い。中国や台湾、韓国から来ている人も多いし、いわゆる西洋人も多い。
 高山が紹介されている写真には、よく出てくる宮川と赤い橋のところまで行ってみる。その手前を右に入ると上三之町という古い町並みだ。そこはにぎやかな商店街である。そんな上三之町を北へ進み、国分寺を見るため、宮川にかかる鍛冶橋を高山駅の方に折れ国分寺通りを歩く。
 戻ってきて、再び鍛冶橋を渡って、安川通りをそのまままっすぐ東へ進んだ。バスの添乗さんが、そのあたりに美味しい飛騨牛メンチカツを売っている店があるというので、探してみたが見つけられなかった。
 再び上三之町を歩いて、駐車場へ戻った。バスは午後12時45分に高山を出発し、国道158号線を松本へ向かう。途中、平湯で休憩し、平湯トンネルを抜けて、上高地の入り口を右に曲がって松本へ、そこから長野自動車道に上がって、岡谷から中央道へ。八ヶ岳PAで休憩したあとは、八王子から圏央道へ、そして海老名から東名に入り、海老名SAで最後のトイレ休憩がとられ、横浜駅東口には、夕方6時半に着いた。思ったより早かった。
  今回は美濃と飛騨の古い町並みを見て歩いた。時間は限られていて、上っ面しか見られなかったが、とても充実した旅となった。

73.上二之町
駐車場から宮川にかかる赤い橋(中橋)のほうへ歩き始めて、すぐ右側に古い町並みの通りが見えた。上二之町だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 50mm ISO320​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
74.高山市政記念館​​
中橋にむかって歩いて行くと左手にこの高山市政記念館があった。明治28年から昭和43年まで使用された町役場、市役所の建物で旧高山町役場の看板がかかっていた。高山市三町伝統的建造物群保存地区内の南端にあって、一之町、二之町、三之町を見渡す重要な位置にある。建築材は総檜で、ガラスも当時初めて導入され、硝子障子という名称で各所に使われているという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO450 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
75.格子塀​​​​
きれいな格子塀の家があった。「料亭 洲さき」とある。今年で創業222年を迎えた老舗だ。ホームページによると「洲さきは、江戸時代の後期、寛政六年(1794年)に創業されました。岐阜県で最古の料亭として、国の伝統的建造物群に指定された町並みの一角に位置し、高山市有形文化財にも指定されています。天領だった頃の風情を今に伝える出格子の表構え、そして玄関の土間と囲炉裏が、飛騨情緒たっぷりにお客様をお迎えいたします。・・・」とあった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO1400 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
76.中橋からの眺め
上三之町に入るところを通り過ごして先に中橋へ行ってみる。この赤い橋は飛騨高山を紹介する写真にはよく登場する。中橋の上から宮川の上流方面の眺めだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 18mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
77.陣屋前朝市​​
高山は朝市が有名だが、宮川朝市とともに陣屋前朝市がある。中橋を渡ったところに高山陣屋跡があり、朝市はそこで開かれていた。すでに11時半になっていたが、まだいくつか店が開いていた。かみさんは「秋映」というリンゴをお買い上げ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 22mm ISO250 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
78.高山陣屋​​
高山陣屋は、江戸幕府が飛飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所・飛騨郡代役所だ。現在の岐阜県高山市八軒町に置かれた。幕末には全国に60数ヵ所あったと言われている代官所・郡代役所の中で、当時の建物が残っているのはこの高山陣屋だけだそうだ。全国で唯一建物が現存する遺跡で、昭和4年(1929)には国史跡に指定されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 18mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
79.中橋
高山陣屋の方から中橋を見る。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​320​秒 70mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
80.上三之町​​
中橋から再び高山市政記念館の方に戻ると、その左側が上三之町だ。飛騨高山の古い町並みの象徴のような通りだ。道幅は上二之町より狭い。観光客はこの通りに集中する。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 120mm ISO560 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
81.造り酒屋 -1​​​​
高山の古い町並みの周辺には造り酒屋が6軒あるという。ここは上三之町にある「深山菊」蔵元舩坂酒造店。飛騨高山の厳しい自然の中で、良質な酒米と飛騨の清冽な水を用いて、厳しい自然の中でで元禄年間から200年以上も醸し続けてきている酒蔵という。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO640 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
82.造り酒屋 -2​​​​
​​ ここは同じく上三之町にある原田酒造場。安政2年(1855年)に創業され、淡麗辛口ながらも芳醇な米のうま味を味わえるという、小京都・飛騨高山の京文化と天領・飛騨高山の江戸文化が融合された、飛騨高山ならではの酒造りが続けられている。原田酒造場のお勧めの酒は「山車」。やわらかい口当たりが人気だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO640 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
83.外国人観光客が多い上三之町​​​​​​
飛騨高山はフランスの旅行ガイドブック「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」に4回連続で「わざわざ旅行する価値がある」場所として最高評価の三ツ星を獲得しているそうだ。古い建物とモノトーンの世界は幻想的という。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​250​秒 78mm ISO400 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
84.医院
上三之町に面して「岩佐医院」という産婦人科の医院があった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO640 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
85.上三之町の賑わい
観光客で賑わっている上三之町をさらに北に進む。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO640 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
86.「飛騨民族考古館」
​​ 上三之町の通りが駅前中央通りと交差する手前に「飛騨民族考古館」というところがあった。中に入って見る時間はさけなかったが、高山城主金森家の御典医(大名に勤めた医者)の住まいだったと伝えられている。戦国武家屋敷をしのばせるたたずまいで、吊天井や忍窓、井戸の抜け穴などが見られるとのこと。土蔵には飛騨の考古、歴史資料などが展示されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
​​ プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
87.山桜神社
上三之町の通りを駅前中央通りで左に曲がる。宮川に架かる柳橋を渡ると本町通りと交わり、その角に山桜神社があった。境内の火の見櫓は、1854年(嘉永7年)に火消しの「馬頭組」が建設したもので、1878年(明治11年)頃再建し、1936年(昭和11年)に現在地に移転された。木造鉄板板ぶきの三層構造である。2007年(平成19年)に国の登録有形文化財に登録されている。事前学習が足りず、この火の見やぐらを撮り逃してしまった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/60秒 19mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
88.飛騨国分寺
国指定の重要文化財であり、高野山真言宗の寺院である飛騨国分寺を見たかった。本町通を宮川沿いに北へ進んで国道158号線である安川通りに出た。左に曲がって高山駅方向に進む。鍛冶橋を背にして進むと右側に国分寺があった。高さ22mあまりの三重塔は文政4年に再建された。その奥の鐘楼の右側に見える大イチョウの木は樹齢1250年、幹周り10m、高さ37mで国指定の天然記念物だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 9mm ISO125 ) 露出補正 +0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
89.国分寺 山門・鐘楼・本堂
安川通り(国分寺通り)に面して山門があり、山門からは鐘楼とその奥の本堂が見える。 本堂(室町時代再建、安土桃山時代修復)や、木造聖観音菩薩立像(平安時代)は国指定の重要文化財になっている。741年(天平13年)、聖武天皇により国分寺建立の詔が発せられ、757年(天平勝宝9年)頃、行基によって建立されたという歴史ある寺なのだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 19mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
90.宮川朝市
高山では宮川朝市が有名だ。飛騨国分寺から戻って、鍛冶橋を渡ると左側に宮川朝市が見えた。飛騨高山宮川朝市協同組合によりほぼ毎朝行われている朝市だそうだ。石川県の輪島朝市、千葉県の勝浦朝市と並ぶ、日本三大朝市のひとつとも言われ、高山市を代表する観光名所の一つといわれる。しかし、時間はすでに正午すぎていてほとんどの店はなく、買い物客もいない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
91.再び上三之町
鍛冶橋を渡って安川通りをまっすぐ歩いて、添乗員さんが言っていたメンチカツの店を探したが見つけることはできなかった。戻って上二之町通りを少し歩いて、また、さんまち通りへ戻ってきた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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92.飛騨牛にぎり寿司
なにやら行列ができている店がある。飛騨牛にぎり寿司の看板が見える。さんまち通りにある「飛騨こって牛」という店だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO500 ) 露出補正 なし
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93.愛犬たちの散策
上三之町にペットの犬たちが集まっていた。飼い主の方は地元の方々だろうか、どこからか来られた方なのだろうか。全部で7匹いた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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94.国指定 重要伝統的建造物群保存地域
ちょっと人通りが少なくなって古い町並みの上三之町が見通せた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
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95.人力車
お年寄りのご夫婦が人力車に乗られて観光されていた。車夫が説明している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/160秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
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96.中橋の眺め
赤い橋を見ようと上三之町の通りを右に折れて宮川に出て、筏橋の上から中町を眺めた。。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250​秒 48mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
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97.平湯
12時45分にバスは高山を出発し、R158を平湯バスターミナルにむかった。バスの中で食べた飛騨牛巻き寿司弁当は旨かった。午後1時半に平湯バスターミナルに到着した。天候は回復してきて、時折陽が差す。周囲の山は紅葉が始まっていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6 1/​640​秒 175mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
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98.紅葉始まる
バスターミナルでは、トイレ休憩と買い物のためバスは25分ほど停車していた。紅葉し始めた周囲の山を眺めていたら発車時間になり、バスに戻った。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 52mm ISO1000 ​) 露出補正​ ​なし
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99.梓湖
松本に向かうバスは、途中、奈川渡ダムの堤の上を走る。午後の強い日差しが梓湖に注がれていた。奈川渡ダムは2010年5月に、東電に勤務していた学生時代の同期の友人のお世話で見学したことがある。下から見上げる155mのコンクリートの堤は恐ろしく高く聳えていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f9 1/1250秒 22mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2014年12月 3日

2泊3日の四国駆け足ツアー 11月17日~19日 (2)伊予絣と内子町の八日市護国


  11月18日、2日目の朝の出発は早かった。なにせ、20景を巡るという旅は強行軍なので7時半出発だ。ところが朝食のバイキングは7時からしか始められないとのことで、荷物をまとめて、フロントに置いての朝食となった。
  この日は、伊予市の伊予かすり会館を見学して、松山自動車道を南下する。このツアーは参加人数が多い。大型バスも全席満員だ。第1日目は最前列に座ったが2日目のこの日は最後列だ。

  次に、少し内陸に入った八日市護国という内子町の古い町並み保存地区を見て歩く。
大洲から、みかん畑や、真珠養殖をしている宇和海を右側の車窓から眺めながら、宇和島に出て、国道56号線にある道の駅で昼食となった。昼食後、四万十川へと向う。

22.露天風呂の朝
荷物を持って7時からの朝食会場へ行く。フロントに荷物を置く傍ら、ガラス越しに見える露天風呂を撮っておいた。昨夜は、私としては長時間露天風呂につかっていたが、なかなかいいお湯だった。源泉温度が38℃のため、使用温度の42℃まで加温を行っているという。毎分400リットルの湧出量を誇る。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/40秒 16mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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23.伊予かすり会館
オプションで道後温泉に泊まったツアーのメンバーをピックアップして、松山城の天守閣を車窓から眺め、20分ほど走っただろうか。まだ、松山市内だが、民芸伊予かすり会館に到着した。これからプログラムオートで撮ることにした。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/250秒 24mm ISO200 ) 露出補正 なし
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24.伊予絣の創始者
Wikipediaによれば、愛媛県松山市で製造されている伊予絣(いよかすり)は、松山絣とも呼ばれ、久留米絣、備後絣とともに日本三大絣の一つともされる。伊予絣の創始者鍵谷カナ女は天明2年(1782年)に温泉郡垣生村今出で生まれ、元治元年(1864年)82歳で亡くなった。カナ女が絣を考案したのは18歳頃で、動機は農家の藁屋根をふき替える時、藁屋根を押さえた竹が煤けて、網目の後の模様が出てくるのを見てヒントを得たという。はじめは今出絣と言われていたが、のちに伊予絣と言われるようになったと記されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/250秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
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25.伊予絣を織る
生活の洋風化とともに着物を中心に絣の需要は低下し、今日では、事業として行っているのは、この伊予かすり会館を運営する1軒(白方興業株式会社)のみとなった。絣の製造工程を順を追って見ることができ、絣を織る実演も見られた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/250秒 32mm ISO5600 ) 露出補正 なし
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26.松山自動車道(車窓)
再びバスに乗り、伊予インターから松山自動車道に入り、次の下車観光予定である内子町へ向かう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/250秒 80mm ISO220 ) 露出補正 なし
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27.車窓風景 内子町(車窓)
JR予讃線に沿うように走ると、間もなく内子五十崎ICに着いた。時刻は9時半。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/250秒 66mm ISO560 ) 露出補正 なし
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28.内子町到着
9時半に内子町に着いた。これから約1時間、八日市護国と呼ばれる重要伝統的建造物群保存地区を歩く。時間が限られているので、全部は歩けないし、内子座へは行けなかった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/250秒 56mm ISO360 ) 露出補正 なし
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29.内子の町並み
このツアーは参加者が多く、40数名がゾロゾロと歩く。町並みは内子観光協会ホームページにある内子散策マップを参照いただきたい。これは、竹細工の店「竹工房」だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/250秒 38mm ISO500 ) 露出補正 なし
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30.本芳我家住宅(国指定重要文化財)
ひときわ立派な門構えの住宅があった。木蝋製造で財を築いた豪商・本芳我家の屋敷。内子は製蝋で栄えた町である。明治末には愛媛県の晒蝋生産量が全国1位となり、内子町はその7割を生産していたというが、原材料の不足や石油などの代替品の登場などから、大正以後は急速に衰退していき、1924年(大正13年)には製蝋業者がすべて姿を消したという。1889年に建てられたもので、なまこ壁を施した重厚なつくりである。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/250秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
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31.本芳我家住宅の玄関
住宅は非公開だが、門の中には入ることが出来た。庭園の一部が公開されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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32.本芳我家住宅 懸魚と鬼瓦 
1889年に建てられたもので、なまこ壁を施した重厚なつくり。見事な鶴の装飾が施された懸魚(げぎょ:屋根に取り付けた妻飾り)は富の象徴だったという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/320秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
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33.常設活動写真館「旭館」
そろそろこのあたりで引き返しましょうと促されところで、ちょっと路地を見ると、古い映画館があった。森文醸造(株)など地元有志が大正14年に作った活動写真館だそうで、昭和に入って「電気館」と改名され、昭和40年代初期まで映画が上映されていた。2013年12月24日に国の有形文化財指定を受ている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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34.内子の町並み -1
本芳我家住宅のあたりまで戻ってきて、町並みを撮る。家の前に床几が見えるが、店先で涼み用等に使われたもので、使わない時は跳ね上げているという。手前の家は、跳ね上げられているが、「月乃家」という旅館では下げられている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/250秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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35.内子の町並み -2
今度は振り返ってとる。、右側に本芳我家住宅が見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 105mm ISO200 ) 露出補正 なし
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36.内子中学校白壁
本芳我家家の分家で、今は木蝋資料館となっている上芳我家の前に、内子中学校と書かれた白壁で囲まれたところがあった。白壁は背が高く、校舎を見ることはできない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/400秒 30mm ISO200 ) 露出補正 なし
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37.内子中学校玄関
白壁に沿って左に入って行ってみると、玄関と校舎が見えた。まだ新しい。しかし、不思議と白壁の塀と調和している。昭和47年に内子・満穂・池田の3っの中学校が統合され、内子町立内子中学校が創立されている。平成19年に新築校舎が落成した。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/320秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
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38.上芳我家住宅 木蝋資料館
内子観光協会のホームページによれば、上芳我家は、内子最大の製蝋業者であった本芳我家から文久元年(1861年)に分家した家で、木蝋生産を営んだ商家だ。上芳我家は、木蝋産業とそれによって著しく栄えた内子の人々の暮らしの関係性を物語る、唯一の貴重な文化遺産である。平成2年、国の重要文化財に指定された。左側は内子中学校の白壁。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/320秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
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39.高昌寺
バス・ガイドさんに、駐車場の上に高昌寺という立派なお寺があると聞いていたので、見ておこうと思い、少し早めに戻ってきた。山門が見えたので、行ってみる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/400秒 105mm ISO200 ) 露出補正 なし
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40.高昌寺 山門
高昌寺のホームページによれば、文化4年(1808年)の火災で難を免れたこの山門は、旧五城村中土地区の持宝院に建立されていたものと言われ、第16世真猊香達和尚(1745~1752年)の代に現在地に移築されたと伝えられている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/250秒 42mm ISO200 ) 露出補正 なし
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41.山門から見る中雀門
同じく、高昌寺のホームページでは、山門の先に見える中雀門は、名ある武家屋敷の門を移築したものとも伝えられる。清楚な構成の中に落ち着きと気品が漂い、天井には6枚の絵が組み込まれている。山門と佛殿の中間に位置し、庫裡と僧堂を結ぶ廊下の中央に設けられる門である。前後してしまったが、高昌寺は、山号は護国山、宗派は曹洞宗、本尊は聖観音菩薩。新四国曼荼羅霊場の第五十番札所である。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/250秒 22mm ISO200 ) 露出補正 なし
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42.釈迦涅槃仏
足早に境内を巡ってくると、大きな釈迦涅槃像があった。平成10年11月1日に、石造涅槃仏としては日本で最大級の長さ10m、高さ3m、重さ200トンの白御影石で造られた石仏が安置されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/400秒 24mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.高昌寺のモミジ
そろそろバスの出発時刻だ。涅槃仏から下へ降りて、振り返ると、モミジが鮮やかだった。ここからまた四万十川まで、長い道のりを走る。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 116mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。