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2013年12月 3日

読書日記「土と生きる 循環農場から」(小泉秀政著、岩波新書)

土と生きる――循環農場から (岩波新書)
小泉 英政
岩波書店
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 半年前ほどから、長野県小川村から有機野菜のダンボールの小さな箱が2週に一度届くようになった。おかげで独居老人の食生活が大きく変わりつつある。

 これまでは、冬は鍋物、夏は炒め物などでごまかしていたのだが、最近はカブの甘酢漬け、ニンジン、ジャガイモ、サラダ菜と軽く炒めたベーコンのサラダ、カボチャと鶏肉のクリームスープ、大根と厚揚げ、ゴボ天の炊き合わせ。冬瓜は大きく切りすぎて豚肉との炒め物はちょっと失敗。先週届いたビーツには、ウーン!どう向かい会うか・・・。

 届けてくれるのは、いとこの娘さん夫婦。なんと、ご主人は大手建設会社をあっさり辞めてしまい、3人の子供を含め家族で数年前に信州に移住してしまったのだ。
 いとこによると「かっこいいシティボーイだったが、すっかり農家の主人らしい顔になってきた」

 1948年生まれの著者は、成田国際空港建設反対運動に参加したのをきっかけに千葉県成田市三里塚に移住、地元農婦の養子になった。「循環農場」と称する里山の落ち葉などを使った微生物農法で有機野菜を消費者に産地直送する「ワンパック(セット詰め)」販売のさきがけとなって30年になる。

 ダイオキシン、ゴミは出したくないと、ビニールハウスやトンネル、ポロマルチを使わなくなって10年にはなる。

 苗床は、落ち葉に水をかけながら踏み込んでいき、その発酵熱を利用する。ある日、落ち葉の上にかぶせた古い毛布をめくってみると、ミミズたちがニョロリと顔を出し、落ち葉はミミズたちに分解されてボロボロ状態のいい堆肥になっていた。

 
「これは大発見! ミミズが山からやって来た」


 茅ぶき屋根の建物が解体される聞き、大型トラックに山盛り7台分ほどの茅を運んでもらったことがある。

 近所の農家の人には「堆肥になるには3年はかかるぞ」と言われたが、出荷の度に出るネギや里芋のひげ根、葉物の枯れっ葉などの野菜くずをコンテナ3杯ほど茅の上に乗せていたら、1年もかからずに茅の堆肥ができた。
 ほかにも、三軒分の茅屋根からでた茅が大きな堆肥の山となっており「ポカポカと湯気をだし、循環農場の未来を温めてくれている」

 猛暑の夏の時期、近所の畑ではスプリンクラーがフル回転し、軽トラックで水が運ばれる。しかし、著者は野菜の生命力を信じ、水を与えない農業を続けてきた。

 照り続ける太陽に、サニーレタスは外葉から枯れていき、モロヘイヤの苗も力なくうなだれていた。
 不安な日々が何日も続いた後、わずかに残ったサニーレタスの中心の葉に赤味がよみがえった。

「地中にある命の水をつかみとったという知らせだった」


モロヘイヤの苗も息を吹き返してきた。植えた時と大きさは変わらないが、強じんな姿をしている。

 
「野菜は強い、すごい、どこにそんな力を秘めているのだろうか。・・・ありがとう野菜たち」


 10数年も耕作していない畑を借りることにした。農薬の残留がない安全な土地で、特に化学物質過敏症のユーザーのための畑に適していると思ったのだ。
 できた葉物や里芋を、化学物質過敏症の人に送った。その人は、届いた箱をあけるなり、入っていた小松菜にかじりついたという。「これは無肥料畑で育ったのです」というメモは食べた後で見た、という便りが届いた。

「メモより何よりも、その小松菜が化学物質過敏症の方に飛びついていったのだ」


ある本から学び、トラクターの耕運を控えることにした。重量のあるトラクターを畑に入れる事によって、畑は踏み固められ、更に煩雑に土をかき混ぜることによって、土の中の世界を壊してしまうことになる。トラクターの使用を最低限に抑え、それに代わるものとして、軽量の管理機の活用、さらに除草の道具の開発が目標になった。次に、落ち葉、あるいは落ち葉堆肥で、土の表面を覆うことだ。地表を裸にしない事によって、土壌に生きる土壌生物、微生物、菌類達は活発に働くことが出来る。・・・米ぬか発酵肥料の量を少な目にし、落ち葉堆肥主体の栽培に持っていく。

そんな畑を実現させようとした矢先、福島の原子力発電所の大事故が起きた。

「ここから地続きの場所で起こっている痛ましい惨状、目に見えない放射能物質に対する恐れと不安。・・・野菜を会員の人々にいいものかどうか、迷う日々が続いた」


菜っ葉やキャベツなどの検査では、検出限界5ベクトル/kgで不検出だったが、東北から関東一帯、汚染されていることは事実で、安心、安全という言葉は使えなくなった。

妊娠されている人や育児中の人々など、会員をやめざるをえない人々が続出した。

「電話の向こうで涙を流される若いお母さんもいて、何もできなかったことを申し訳なく思った」


 原発事故以前に集めた落ち葉堆肥の山が、間もなく使い終わる。

 秋から春にかけての、野菜の出来が思わしくない。・・・踏み床温床用に集めた落ち葉を、ある程度腐熟させてから測定してみたら、330ベクトル/kgだった。国の指針では堆肥として使用できる範囲内の数値ではあるが、まだ使用しようという気にならない。

「被災地の方々が語る『一歩ずつ』という言葉が、とても身にしみる冬だった。失ったものは多いけれど、ここから一歩ずつ、気のついたことを一つずつ進めていくしかない。この夏、その続きの秋、冬を目ざして」


2012年7月 7日

読書日記「雪と珊瑚と」(梨木果歩著、角川書店刊)

雪と珊瑚と
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梨木 香歩
角川書店(角川グループパブリッシング)
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著者の追っかけ"をしているつもりはないのだが、この人の新しい作品が出ると読みたくなる。

 このブログで著書にふれるのは、 「西の魔女が死んだ」 「僕は、僕たちはどう生きるか」と訳書の 「ある小さなスズメの記録」に続いて4冊目になる。そのほかにも読んだ本が数冊。自分でも、いささか驚いた。

 この本の購読希望も多く、図書館に申し込んで借りられるまで3カ月待たされた。

 それぞれの筋立ては異なるが、キーとなる縦糸は変わらないような気がする。自然への憧憬や愛着、食べ物の大切さ、そして人を思いやる心・・・。

 主人公の珊瑚は、追い詰められていた。今年で21歳になったが、1年前に結婚した同い年の男は定職もなく、珊瑚が働いていたパン屋の収入を当てにしていた。男から言われて、すぐに離婚した。赤ん坊の雪は7か月。ようやくお座りができるようになったばかりだった。

 働かなければならないのに、公立の保育園も個人経営の託児所も受け入れてくれなかった。ただでさえ、少なかった貯金はみるみる底を突いてきた。

 小学校の時、母親が何も食べ物を置かずに家を出て行き、スクールカウンセラーのところでもらったトーストとミルクで生き延びたことがあった。それ以降も、自分の力でやってきた。しかし今は雪がいた。

 
貰いものの重いバギーに雪を乗せ、向かい風の吹く中を散歩しているうち、気がつけば下を向いて泣いていた。
 自分は泣いているのだ、と気づくのに、一瞬間があった。「泣く」という行為が、かつて自分のとろうとする行動の選択肢にあったためしはなく、とった行動にあったためしもなかった。


 歩いてきた通行人を避けるために、慌てて曲がった道沿いの古びた家に小さな貼り紙があった。

 「赤ちゃん、お預かりします」

 主人の薮内くららは、外国生活が長い元・カトリックの修道女。有名な聖人である アッシジの聖フランシスコを敬愛していた。くららという名前は、聖フランシスコの教えを体現化した クララ(アッシジのキアラ)からつけていた。

くららは、総菜を作る天才だった。

 珊瑚が翌日訪ねた時に出てきたのが「おかずケーキ」。具は、おかずの残り物。シチューやマッシュルームとピーマンを炒めた物、茹でたアスパラガスの残りが入っていた。

 そのやわらかいところをチキンスープに浸して、雪の口にそっと差し込んだ。二回目にスプーンを持っていくと腕を上下させ「ぶわぁ」と言った。「もっとくれ」という意思表示だった。

 クローヴを入れたスネ肉の煮込み、フェンネルのパウダー入りコールスロー。アトピーの子供に食べさせる長芋と、うるち米の粉、蜂蜜でつくったパン。
 有機栽培のキャベツの外葉(売り物にならず、捨てるところ)を炊いてどろどろにし、ベシャメル・ソースを混ぜたスープ、魚のタラとジャガイモ、サワークリームを使ったコロッケ。
 油揚げと小松菜、水菜を油なしに炒めたもの、大根の茹で汁に塩を入れただけの吸い物。小玉タマネギをコンソメスープで半透明になるまで煮たカップ入りのスープ。タコサラダに、ニンジン、クレソンンとプルーンのサラダ。ホウレンソウは大鍋で茹でて、ソテーに生クリーム煮、ポタージュ、キッシュ・・・。

くららに教えてもらいながら「これらの総菜を提供する店を作りたい」。珊瑚は、こんな夢を膨らませていった。
 周りの人たちの思いもよらない協力で、それが現実となっていく。資金は政府系機関の起業家資金400万円を借り、食品衛生責任者の講習も受けた。

店は、保護樹林付きの古い空家を借りることができた。
 庭には、時々タヌキが出た。「西の魔女」の庭や「僕は、僕たちは・・・」の「ユージン君」が住む家の庭によく似ている。

店の名前はズバリ「雪と珊瑚」。門から店までの道は雨になるとぬかるんだ。わざわざ厚底の靴を履いて来る常連に「舗装はしないでください」と頼まれた。

  常連の1人になっていたエッセイストが雑誌に掲載した文章が、評判になった。

「......そのいわば鎮守の杜になんとカフェが出来たのです。最初感じたのは、小さな憤慨と落胆でした。けれどそこでなにやら工事のようなものが始まったとき、あれ? と思いました。木が、一本も切られなかったのです......いつも閉ざされていた門扉は開け放たれ、細い小道を堂々と歩くことが出来るようになりました。小道は、普通の民家のようなカフェの入口まで続いており、天気の良い日は、鳥のさえずる声が陽の光と共に木々の枝を通して降り注ぐし、雨の降る日は、木々の菓を伝う滴の音が辺りに響いて、深い森の中にいるようです。この小道に足を踏み入れた時から、すでにカフェ 『雪と珊瑚』 は始まっているのです」


目の回るような忙しさが続いた。

 その成功を見て「あなたの無意識な計算高さ、ずる賢さ・・・が、鼻についてたまらない」とそしる手紙を送ってきた元同僚がいた。

 疲れとショックで珊瑚は寝込んでしまい、雪もひどい熱を出して夜泣きが続いた。

 それを、周りが支えた。別れた男の母親が突然現れた。養育費をと何度も申し出た。「なんだか炊きたてのご飯のように温かい人だ」と、珊瑚は思った。

 自分を捨てた母親に、開店資金を借りる保証人を頼んだら「あんたの保証ならできる」と断言した。「母性などないに等しい女性だったが、少なくとも子どもを信頼していた」

 
雪はサトイモの含め煮をスプーンにのせ、自分で口に運んだ。そしてもぐもぐと口を動かした後、呑み込むと、楽しそうに体を揺らし、歌うように繰り返した。 「おいちいねえ、ああ、ちゃーちぇ(幸せ)ねえ」


(追記①)
 この本の冒頭近くで詩人・ 石原吉郎(よしろう)の名前が突然出てきて、びっくりした。
 このブログに書いた辺見庸の 「瓦礫の中から言葉を」で紹介されていた詩人である。
 梨木果歩は、主人公の珊瑚に「私は好きでした。なんか、きゅーと気持ちが集中していく感じが」と語らせている。作者の心の琴線にどうふれ、作品に反映しているのか・・・?図書館で石原吉郎の詩集を借り直してみようと思う。

(追記②)
 この小説のちょうど真ん中あたりで、1997年に アッシジの聖フランチェスコ大聖堂を地震が襲った事件が出てくる。4人が死亡、上部大聖堂のフレスコ画が粉々になった。修道女だった薮内くららが現場で、被災者の支援活動をした、という想定だ。
 この時、多くのボランティアが30万個に及ぶフレスコ画の破片を拾い集め、修復のプロがジグソーパズルのような作業を続け、2006年4月にほとんどのフレスコ画を元に戻した。私が巡礼団に参加して、この再現されたフレスコ画を見たのは、その年の9月だった。

 くららは語る。
 
「どんな絶望的な状況からでも、人には潜在的に復興しょうと立ち上がる力がある。その試みは、いつか、必ずなされる。でも、それを、現実的な足場から確実なものにしていくのは温かい飲み物や食べ物――スープでもお茶でも、たとえ一杯のさ湯でも。そういうことも、見えてきました」 


 この小説は、東北大震災の被災者への応援歌でもあった。

 

2011年5月28日

読書日記「チェルノブイリ原発事故(原題・故障)ーーある一日の報告」(クリスタ・ヴォルフ著、保坂一夫訳、恒文社刊)


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 「朝日の文化欄(5月18日付け)で、大江健三郎がこの小説を取り上げている」。友人・Mに教えられ、さっそく図書館のホームページで予約、書庫に収まっていたのをすぐに借りることができた。

 大江健三郎は、こう書いている。「福島原発の事故にあたって、私自身が見聞すること、家族の話すことの多くに、これは覚えていると既視感(デジャヴ)を抱いた根拠がこの本にあると気付いて・・・」
「デジャヴ」というのは、あまり聞いたことがなかった言葉だが、フランス語が語源らしい。辞書には「初めての経験なのに、かつて経験した感じがするような錯覚」とある。

 著者は、旧東ドイツを代表する女性作家。
 邦訳の表題は、えらく直截的な表現になっているが、東ドイツに一人暮らしをしている女性作家が、離れた場所で脳腫瘍手術を受けている弟を気遣いながらチェルノブイリ原発事故のニュースを聞いている、というのが小説のあらすじ。「破局的現在に至った文化の過去を反省する一日の報告」(訳者あとがき)だという。

 しかし読み進むうちに、福島原発事故の後、日本人の多くが味わったであろう″既視感(デジャヴ)"に出会い、ギョッとしてしまう。

 
いつもの習慣で歩きながら、毎日の昼食のサラダ用に、小さな、やわらかいタンポポの葉を摘んできたのですが、それはやはり棄てることにしました。別々の局に合わせてある小型ラジオも大型ラジオも、時報ごとに声を合わせて、生野菜は食べるな、子供に新しい牛乳を与えるな、と言い続けていますし。・・・中にはとんでもないことを考える人もいるもので、ある放送局のある町では、きのうのうちに、町じゅうのヨウ素錠剤の在庫がすっかり買い占められたそうです。


はっと気づいて、急いでベルリンへ電話しました。・・・きのうの午後は、もちろん子供たちと砂場へ行ったわよ。くやしいのは、そのあと身体を洗ってやらなかったこと。そう、お母さん、聞かなかった?子供が外から帰ってきたら、シャワーを浴びせるのよ。お風呂は皮膚をやわらかくし、毛穴が開くから、放射能をわざわざ体内に入れてやることになるの。考えすぎかしら?それならいいんだけど。


 
深夜、泣き声がしました。わたしはびっくりして、とび起きました。完全な怪物だ!と叫んでいます。・・・しばらくたってから、ようやく気づきました。それはわたしの声でした。わたしはベッドに座って大声で泣きました。・・・わたしは大声で叫びました。
 この地球に別れを告げることになるのでしょうか?そうなったら。あなた、さぞ、つらいことでしょうね。


 図書館でボランティアをしていたとき。返ってきた「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間」(菅谷昭著、ポプラ社)という本を思わず借りてしまった。

 チェルノブイリ事故によって、原発のあるウクライナ共和国だけでなく、北隣りのベラルーシ共和国は国土の20%が大きな被害を受けた。季節風で放射能の灰の半分が風下のベラルーシに運ばれたからだ。おかげで、小児性甲状腺ガンが増え続けるという悲惨な状況になった。

 筆者の甲状腺専門医である菅谷さんは、ベラルーシで暮らしながら、現地医師の訓練とこどもたちの甲状腺ガン手術に取り組んだ。

 
(入院しているこどもの)面会に来ている親たちが、悔やんでも悔やみきれない思いを抱えていることをぼくは感じます。
  あのとき、外で遊ばせなければ・・・。
  あのとき、キノコを食べさせなければ・・・。
  あのとき、イチゴをとりに森に連れていかなければ・・・。


 
事故が起きた当時、お母さんはまだ一歳にならないターニャを連れ、(チェルノブイリから50キロしか離れていない)自分の実家でジャガイモの植え付け作業を手伝っていました。よちよち歩きを始めたばかりのターニャは、広大な畑の隅っこで、春の陽ざしをいっぱいに浴びながら、無邪気に遊びつづけていたのです。もちろんこのとき、原発史上最悪の爆発事故が起こったなどという情報は、村人のだれひとりとして知りませんでした。
 しかしその数カ月後、この村はあまりに高度に汚染されたため、政府の命令でただちに埋められ、地図の上からも消されてしまったのです。
 ・・・埋葬しなければならぬほどの村で、ターニャは遊びつづけていたのです。


 小説「「チェルノブイリ原発事故」の巻末には、反原発学者と知られた元原子力資料情報室代表の故・高木仁三郎氏の寄稿が掲載されている。

 
私の頭を悩ますのは、・・・各国政府やIAEAは、あの事故のことは過去の出来事と済ませてしまって、以前と基本的に同じような原子力計画をつづけていることである。・・・核の時代のツケがさまざまな形で混乱と霧を広がらせ、「次のチェルノブイリ」を予感させるような事例はいくらでもあげることができるが、ほとんどは世界全体によって見て見ぬふりをされているといってよいだろう。


 その高木さんが、16年前に書いた学術論文「核施設と非常事態――地震対策の検証を中心に―」(日本物理学会誌、Vol.50No.10,1995) が、今回の福島第一原発事故をピタリと予言していてネット上で話題になっているようだ。

「(地震とともに津波に襲われたとき) 原子炉容器や1次冷却材の主配管を直撃するような破損が生じなくても、 給水配管の破断と緊急炉心冷却系の破壊、非常用ディーゼル発電機の起動失敗といった故障が重なれば、メルトダウンから大量の放射能放出に至るだろう」


 もうひとつ。友人の岡田清治氏が、自分のホームページに書いていたように、福島事故発生直後にメルトダウンを予想した反原発学者の京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏が、今月23日の参議院行政監視委員会で参考人として陳述した。この 録画動画 の内容には戦りつさえ覚える。

 それを"文字起こし"した内容は、このブログに載っている。

 
失われる土地というのはもし、現在の日本の法律を厳密に適応するのなら福島県全域といってもいいくらいの広大な土地を放棄しなければならないと思います。
 それを避けようとすれば住民の被曝限度を引き上げるしかなくなりますけれど、そうすれば住民たちは被曝を強制されるという事になります。
一次産業はこれからものすごい苦難に陥るようになると思います。農業・漁業を中心として商品が売れないという事になる。そして住民達は故郷を追われて生活が崩壊していくという事になるはずだと私は思っています。


 福島のこどもたちが、甲状腺ガンの原因になる放射性ヨードを浴びないことを、そして放射能が風に乗って孫らのいる関東地域に広がらいようにと、ひたすら願う。

2009年1月 3日

読書日記「ジャガイモのきた道――文明・飢餓・戦争」(山本紀夫著、岩波新書)


ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)
山本 紀夫
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おすすめ度の平均: 4.0
4 岩波新書にしては読みやすい、ジャガイモ文明論
4 ジャガイモで文明はおきるのかを説明
5 まさに「歴史ドラマ」を垣間見せてくれる一冊
4 ジャガイモで発展したインカの山岳文明
3 ジャガイモの歴史と役割をサクッと読める一冊


 昨年5月に発刊されて以来、気になっていた本だった。「また食べ物の本もなあ」という、つまらない〝自制〟のおかげで手にしないでいたが、昨年末の新聞書評欄の「今年3冊」に何度か取り上げられるのを見て、ついにがまんできなくなった。

おもしろかった。

 国立民族学博物館名誉教授の著者は、初めてアンデスを旅した際「アンデス・インカ文明を生んだのはトウモロコシ」という世界的な通説にふと疑問を持つ。そして毎年のようにアンデスに通い、それまでの専門だった植物学から民族学に転向してしまう。

 そのへんのいきさつは、ある機関紙の対談にも載っている。数年間の滞在研究の結果、インカ帝国の主食はジャガイモであり、トウモロコシは太陽にささげられる酒の原料になる儀礼的な作物であったことを〝発見〟してしまうのだ。

 筆者がジャガイモに興味を持ったのは、京大2年の時に中尾佐助の「栽培植物と農耕の起源」(岩波新書)という本に運命的に出会ったからだという。このブログにも、以前に書いたが、あの宮崎駿監督が人に勧めてやめない本である。

 山本名誉教授によると「わたしたちが日常食べている『栽培植物』はすべて人間が作り出したものである」という。そして野生の雑草だったジャガイモを食物として栽培することに成功したインダス文明。そのすごさを、フイールドワークで見つけた事実を積み重ねて実証していく。
インカの人々は、チューニョ加工と呼ばれる毒抜き(イモ類にはすべて有毒成分が含まれているという)、乾燥技術を開発し、栽培化されたジャガイモを、標高4000メートル近いアンデス高原をその花で埋め尽くす(山本紀夫写真展から)大量生産品種に育て上げた、というのだ。
 「イモ農耕では文明を生まれない。穀物文明こそ文明社会成立の必須基盤だ」という、これまでの考古学、歴史学の常識に反論していくのも痛快な記述だ。

 著書は、副題にある〝文明〟から〝戦争・飢餓〟へと展開していく。ヨーロッパにジャガイモが伝播・普及していく歴史である。

 最初は、「聖書にも出てこない作物」と気味悪がれたり、食べるとらい病になると信じられて「悪魔の植物」と呼ばれたりしたジャガイモがフランスで普及していったのは、7年戦争後の飢餓を経験した18世紀。ルイ16世の呼びかけに応じてジャガイモの普及に努力したのが、農学者のアントワーヌ・パルマンティエ
パリ市内や地下鉄の駅には銅像が建てられており、今でもフランスではジャガイモ料理に〝パルマンティエ〟の名前をつけた料理がいつも添えられ、その功績をたたえているという。

 ルイ16世の王妃・マリーアントネットが、普及のためにジャガイモの花の髪飾りをつけたという話しは「キャベツにだって花が咲く」(稲垣栄洋著、光文社新書)に書かれていたのを思い出した。

 ジャガイモがオランダで普及したことを示す、有名な名画を口絵で紹介している。
 ファン・ゴッホが1885年に描いた「ジャガイモを食べる人たち」だ。
 著者は「ジャガイモを掘り起こした(泥のままの)手で皿に山盛りされているイモを食べている農民の家族を描いたもの」と「ゴッホの手紙」を引用しながら紹介している。ジャガイモが、当時の生活に欠かせない食物だったことが分かる。

 ジャガイモの疫病が生んだアイルランドのジャガイモ大飢饉についても、著者は多くのページを割く。大飢饉で100万の人が死に、アイルランドから去っていった人は150万人に達したという。その一人が、米国大統領になったJ・F・ケネディの祖父だった。

 イギリスとアイルランドの抗争は、大飢饉の時のイギリス政府の植民地政策のせいだった、という。イギリスのブレア元首相が謝罪して、1998年にIRAとイギリスの和解が成立したという記述があるWEBページに載っている。

 日本へのジャガイモ伝ぱ・普及の歴史は「川田男爵の開発したダンシャクイモ」「明治文明開化とカレー」「大正時代のコロッケ」「戦中、戦後の代用食」など、これまでも聞いたり、知っていたりしていたりしたことも多い。

 ただ、終章で著者は、こう説く。
日本の食糧自給率は、主要先進諸国で最下位である。...自給率の高い国一〇カ国のうち六カ国・・・カナダ、フランス、アメリカ、ドイツ、イギリス、オランダは・・・ジャガイモの生産量が大きい国である
飽食といわれる日本こそ、そして小麦やトウモロコシなどの穀物価格が高騰している・・・今こそ、過去に学び、食糧源として大きな可能性を秘めるジャガイモなどの・・・長所を見直し、将来に向けて準備をしておく必要があるのではないだろうか


 減反によってイネを捨て、買いすぎたイモを腐さらす。そして正体不明の輸入食品に頼る飽食・日本は、はたして〝文明〟の国なのだろうか。余談ながら、ふとそんなことも思った。

栽培植物と農耕の起源 (岩波新書 青版)
中尾 佐助
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4 育種に歴史に興味のある方にお勧め。
4 "生"のための農業
5 文明の基盤がいかに作られたかを明らかにする名著

キャベツにだって花が咲く (光文社新書)
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5 ユニークな発想。おもしろい。


2008年5月29日

読書日記「キャベツにだって花が咲く」(稲垣栄洋著、光文社新書)


 今はちょっと中断しているが、阪神大震災後の10年近く、兵庫県の旧丹南町(現・篠山市)や神戸市・道場の貸し農園で、野菜作りに熱中していた。

 けっこう広い畑を借りていたので、冬にはダイコン、ハクサイ、キャベツ、ミズナなどがどっと採れる。近所などに配りまくった残りを自宅のプランターに植えこんでおいたら、春になって、いっせいに"菜の花"が咲き、びっくりさせられたことがある。

 そんなことを思い出し、この本の新聞広告を見た直後に、芦屋市立図書館に新規購入申請、このほど借りることができた。

 まず第1章の「野菜に咲く花、どんな花?」が新鮮だ。

 ハクサイ、キャベツ、ミズナは同じアブラナ科の野菜なので、菜の花によく似た黄色く、花びらが4枚の花を咲かせる。ダイコンは同じアブラナ科だが、色は白や薄い紫だという。

 独立法人農業・食品産業技術総合研究機構「野菜茶業研究所」のホームページの「各種情報」というコーナーをクリックすると「野菜の花の写真」というページに行き当たる。すばらしいカラー写真が掲載されており、この記述を検証できる。

 キャベツによく似たレタス(独立行政法人農畜産業振興機構のホームページから)はキク科なので、小さなタンポポのような花が咲き、ユリとは似ても似つかないアスパラガス(同ホームページ)の花が内側に3枚、外側に3枚の花びらを持つユリと同じ構造をしている、というのもびっくりだ。

 フランス国王ルイ16世の王妃、マリー・アントネットが、こよなく愛したには、バラやユリではなく、ジャガイモの花(同)だったというエピソードもおもしろい。ジャガイモを国内に普及するキャンペーンする意味合いもあったそうだが、王妃は舞踏会などで、この花の髪飾りを好んでつけたという。

 確かに、この花、咲きそろうとなかなか豪華だ。旧丹南町で借りていた畑で、満開のジャガイモの花の回りを乱舞するモンシロチョウを缶ビール片手に楽しんだことを思い出す。この乱舞は、葉に卵をうえる作業であり、あとで成長したアオムシにひどい目に会うことも知らずに。

 ダイコンは下になるほど辛味が増すため、下の部分は大根おろしや濃い味のおでん、上はふろふき大根などに向くというのは、料理本などによく書いてある。その理由が、この本で分かった。

 大根だから根の部分を食べていると思ったら、大間違い。根は、下の部分で、大半は貝割れ大根の胚軸と呼ばれる茎の部分が太ってできたもの。

 根っこは、地上で作られた栄養分を蓄積する場所。せっかく蓄えた栄養を虫などに食べられないように辛味成分で守っている。それも、虫などに食べられて細胞が破壊されてはじめて辛味を発揮、破壊されるほど辛味は増す。だから「辛い大根おろしを食べたければ、力強く直線的に下す」とよい。へー、試してみます。

 後半は、人類の進化の歴史に話しは進んでいく。人類の祖先と言われる原始的なサルの主食は昆虫だった。昆虫には、必須アミノ酸やミネラル、ビタミンなど生命活動に必要な栄養分がそろっていた。しかし、進化して果実を食べるようになったサルは自らビタミンCを作る能力を失い、さらに進化した人間は野菜などでバランスを取る必要が出てきた。しかし、草食動物を丸ごと食べるライオンは野菜を食べる必要がない。牛や馬などの草食動物は、腸内の細菌が植物を分解する過程でたんぱく質を生産する能力がり、肉を食べなくても栄養バランスを保てる。

 たった200ページ強の新書版。野菜ジュースやサプリメントに頼ることがなぜダメなのか、ということにも言及している。この本には、野菜の栄養分がたっぷり詰まっている。

キャベツにだって花が咲く (光文社新書 347)
稲垣栄洋
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