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2020年5月27日

読書日記「首都感染」(高嶋哲夫著、講談社文庫)

「クルーズ船、ダイアモンド・プリンセス号で起こったのと同じことが、東京都下で起こるんだ」
 友人I・K君が電話して来て、読んだばかりの小説「首都感染」を紹介してくれた。
 読んだというより、聴いたというのが正しいのだろう。彼は熟年になってほとんど視力を失った。その後、努力を重ねて本を音訳するアプリに習熟し、フェースブックには逆に話したことを文章にして連日のように発信している。

 さっそくAMAZONに注文したが、注文が殺到しているらしく届くまで1ヶ月かかった。
 10年前に、神戸在住の小説家が書いたフイクションだが、最近の新型コロナ騒ぎを"予言"したような作品。2000部の増刷が決まったという。

 20××年6月。中国は開催されたサッカー・ワールドカップで沸いていた。しかし、首都・北京から遠く離れた雲南省で致死率60%の強毒性のインフルエンザが発生した。ワールドカップをどうしても成功させたい中国当局は、発生源の封じ込めと情報の海外漏洩を防ぐ強硬手段に出た。

 瀬戸崎優司は、WHO(世界保健機構)のメディカル・オフイサーを務めた後、東京・四谷の私立病院に勤める感染症専門医。瀬戸崎総理は父親、厚生大臣で医師の高城は別れた妻の父親という設定だ。

 中国軍と保健省が雲南省に移動していることをつかんだ日本政府は、対策本部を立ち上げ、優司を専門家として招聘した。

 ベスト4をかけた試合で日本チームは中国に負けた。大勢のサポーターがチャーター機で帰ってくる。優司は、国内すべての国際空港閉鎖を進言した。中国への宣戦布告にも近く、世界中から非難が殺到した。帰国者のホテルでの5日間拘束なども決まった。

 当事国中国が「謎の感染症」という言葉でやっと発生を伝えた。WHOは「H5N1強毒性新型インフルエンザ」という言葉を初めて使った。
 厚生省に、新型インフルエンザ対策センターが設置され、優司がセンター長に任命された。

 
「不特定多数の人が集まる所には行かないでください。不要不急の外出を避けることがいちばんです。対人関係をしっかり保つことです。飛沫は1メートルから2メートル以内に飛びます。手洗い、うがいを徹底すること。マスクは、他人のためにあるのです」
 「要は、家にじっと閉じこもっていればいい」


 感染者が出てしまった。ホテルで拘束していたワールドカップツアー客の女性だった。

 国内線飛行機、新幹線、長距離バス、トラックの運行を停止、空港だけでなく港湾も閉鎖した。閉鎖した学校の校舎を病室にした。

   外交特権で、検疫を逃れた中国大使館員と家族が感染、中国渡航歴のない夫婦が感染したマンションを中心に半径50メートルを封鎖したが、数日後には都内に広まった。「針の穴が開いてしまった」。優司は、総理に進言した。

 
「東京封鎖しかありません」
 「東京以外の地域が感染をまぬがれれば、その地域が東京を支えることが出来ます」


 大もめにもめた閣議、国会審議を経て、環状8号線に沿った道路30キロに有刺鉄線が張られ、橋には巨大なコンクリート製の車止めが置かれた。横浜の娘夫妻宅を訪ねていた都知事は都内に戻れず、逆に都民700万人が閉じ込められた。

   泳いで逃れる人を監視するため、荒川沿いに自衛隊員が約10メートルおきに立ち、ある橋では、都外に出ようとした30台の男性が警官に撃たれた。逃げ出そうとした家族の車がパトカーに追われて川に転落、2人の子どもが死亡した。

 応答のない家から感染死者や餓死者が次々と発見された。都内の感染者は52万人、数十万人の死者が出たが火葬するところもない。

   依頼を受けた冷凍会社の社長が、10万を超える遺体を収容する冷凍倉庫と冷凍船の手配をした。
 在庫していた冷凍マグロは、都民に配られた。

 WHOの発表で、世界の感染者は20億人を超え、7億人が死亡した。日本の感染者、死者の少なさが異例であることが世界に流れた。
 中国、ベトナムなど東南アジアの国々から多数の難民船が日本に航行してきた。引き返すように強い警告を出し、発砲による死傷者が出た。

 横浜と千葉に全国から医師と看護婦が集まってきた。封鎖エリアに入る許可を求めてきた。
 受け入れの説明後、最終確認で約2割の医師と看護婦が抜けていた。

治療に使われていた抗インフルエンザ薬タミフルの乱用が耐性ウイルスを生み出した。使える薬がない・・・。

 東都大学のウイルス研究所にいた優司の友人の医師・黒木が新しいパンデミックワクチンを開発した。普通なら、薬の認可には数年かかる。黒木も優司も被験者になった。このワクチンを世界で製造することが、WTOのテレビ会議で決まった。

 東京・杉並にある医薬研究所にある研究員が、100人分の「M―128」という抗インフルエンザ薬を持ち込んだ。重症患者に劇的に効いた。大量生産が決まった。

 東京の感染者が減っていった。3ヶ月19日ぶりに、封鎖ラインが撤去された。

 巻末の解説で、書評サイトHONZ代表の成毛眞がこんなことを書いている。

 
「著者の作品は、これから起こる未来の記録、未来の歴史です」


2019年12月11日

日々逍遙「白浜・椿温泉」「神戸ゆかり美術館、千住博展」「大阪・国立国際美術館、ウイーンモダン展」「大津・比良山荘、浮御堂」「西宮・仁川広河原」「京都・真如寺、府立植物園」「神戸・須磨寺」

 
【2019年9月14-16日】
椿温泉から見る太平洋
 久しぶりに白浜の椿温泉へ。旅館や店舗がいくつも廃業してさびれているが、お湯が素晴らしい。白浜で寄った寿司屋の亭主は「椿の湯は、白浜よりずっといい」と言っていたが、まったりと肌に絡みつく。
 部屋からは太平洋が広がる。夜半に目が覚めたら、海上の光の道が輝く月へと続いていた。前夜は中秋の名月・のちの月、そして今夜は満月。

   海鳴りて光る海路や後の月   

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【2019年10月3日】
千住博「滝」の図
 神戸の六甲アイランドにあるゆかり美術館へ。神戸ファッション美術館というといつも閑散としていたが、その一角が神戸ゆかりの作家の作品を収集した美術館になっていた。
   千住博展は、高野山の金剛峯寺に奉納する襖絵の完成を記念して、全国各地で開催されている。白いキャンバスに胡粉の絵の具を流し込んだ「瀧図」もいいが、「雪肌麻紙」という和紙をくしゃくしゃにして描いた「断崖図」もなかなかの迫力だ。
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【2019年10月9日】
「ウイーンモダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展
大阪・中之島の国立国際美術館の「ウイーンモダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展。斜め向かいの関西電力本社で小判などの贈与を巡る社長の弁明会見が開かれた日で、テレビクルーが本社の外見を撮影していた。
  ウイーンにクリムト、シーレの作品を訪ねてもう10年になる。その時に出会った2人の作品のいくつかに再会できた。
 クリムトの「エミーリエ・フレーゲの肖像」だけは写真撮影が許されている。どうせなら、シーレの作品も1点ぐらいはと思った。
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【2019年10月19―20日】
きのこの宝石箱
大津・坊村にある山の辺料理・比良山荘に1泊。中庭の紅葉がもう色づいている。この夏も、ここで鮎料理を満喫したが、今回は"冥途の土産"にと、松茸と子持ち鮎という贅沢。
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 堅田の浮御堂
 翌日、堅田の浮御堂へ。すぐ左の琵琶湖の波間に高浜虚子の句碑が建っていた。「湖もこの辺にして鳥渡る」
 沖にはいくつも小舟が浮かび、ブラックバス釣りを楽しんでいる。外来魚のこの魚を釣ると、県の条例で湖に戻すことが禁じられているが、岸辺の回収ボックスはいつも空。
  「キャッチ・アンド・リリース」を楽しむ釣り人に条例は無視されている。
 隣の老舗料理屋でモロコの炭焼き。身を軽く炙った後、頭を網に突っ込み焼いてくれる。これも"冥途の土産"。

   湖の波間に句碑あり秋の雨   

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【2019年11月10日】
仁川広河原
 昼前から久しぶりに西宮の 仁川広河原へウオーキング。仁川源流の小川で、生きもの採取をする人、バードウォッチングの人も数人。木の実が成る樹に来るのは シメという鳥、源流沿いのセイダカアワダチソウには ベニマシコが来るらしい。「これだけ人が来ると、小鳥は絶対現れない」と、ハイタカが飛ぶカメラの写真を見せてくれた人もいた。
  坂の両側に開けた住宅地にある急な坂を下って阪急仁川駅へ。膝はがくがく。ああ、しんどーー。約2万歩。

   山拓く家並みのさき小鳥来る   

 
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【2019年11月22-23日】
京都の紅葉
 「今年の紅葉は、ライトアップで」と、京都・金戒光明寺に出かけたが、ライトアップの庭園は満席ということで、近くの真如寺へ。まさに、紅葉真っ盛り。宿で借りたらしい和服や平安衣装の女性グループがいたが、みんな中国からの観光客。ここも6時からライトアップがあるということだったが、「ツアー会社の企画で満席です」
 八瀬の宿の湯ぶねで、ライトアップの紅葉に出会ったものの、翌日見ると、枯枝も目立ち、いささかお疲れの感じ。
 翌朝は、京都府立植物園へ。おなじみのイチョウ、池の端の紅葉。菊展の仮天井に木の実がはねる音が響き、樹々の下に敷き詰めたように木の実が落ちている。

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真如寺の紅葉湯ぶねの紅葉植物園の大イチョウ


   舞い降りて苔を染ゆく紅葉かな   

   森のなか木の実の落ちる音満ちて   

   木の実踏み次の一歩をそっと出し   



【2019年11月24日】
須磨寺の紅葉
 用事がある友人に付き合って、神戸・ 須磨寺に出かけたが、ここの紅葉は、まだ盛り前。源平ゆかりの古刹とかで、平敦盛の首塚があり、宝物殿には敦盛愛用の「青葉の笛」。「一の谷の 軍(いくさ)破れ、討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ」の小学唱歌が流れる装置まである。

   染そむる紅葉へ流る青葉笛   

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2019年4月23日

 読書日記「真ん中の子どもたち」(温又柔著、集英社刊)



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温 又柔
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 週1回通っている中国語教室の同級生・Bさんに勧められ、図書館で借りた。

   台湾人の母と日本人の父の間に生まれた19歳のミーミー(琴子)が、中国語を習うため上海の専門学校・漢語学院に短期留学。同室のリンリン(彼女は、父親が台湾人)などと交流を続けながら、自分のアイデンティティを探す青春小説。

 著者の作品は2017年上期(第157回)の芥川賞候補作になったが、選考委員の1人が「退屈な作品」と論評して、著者がツイッターで怒りをぶつけたことで話題になったらしい。

 しかしここ十数年、中国語をいささかかじってきた身としては、かなり興味ある内容だった。文中の中国語会話がピンイン付きの小さな活字のルビで読めることも楽しく、一気に読んだ。

 ミーミーは漢語学院での最初の授業で、陳老師(先生)から厳しく叱責される。
 「台湾で話されている中国語は、今日から私が皆さんに教える標準的な中国語とは違います。最も顕著なのは発音ですね。かれらはほとんど舌を巻きません。かのじょ(ミーミー)の中国語は台湾人のように南方訛りです」
 「だけど陳老師・・・」と反論しようとするミーミーを遮って、老師は、こう決めつける。
 「我不姓岑(cen),我姓陈(chen)(私の名は岑ではありません、陳です)」。「c」ではなく、しっかり「ch」と、舌を巻いて話せ、と言うのだ。

 上海語と同じように、台湾語も北方方言を基礎とした中国語とはまったく異なる言葉だとミーミーは知る。幼い頃に、母親にたしなめられた言葉を思い出す。

 キングン(早く寝なさい)、リヴァ(ほら見なさい)、ベーサイ(だめよ)、マイアネ(やめなさい)・・・。

 私が教えてもらっている在日華僑の老師も、こんな台湾語は聞いたことがない、という。世界中だけでなく、台湾を含めた広い中国で、異次元の言葉とも思えるいくつもの"中国語"が飛び交っている現実に驚いてしまう。

 ある日の授業で、ミーミーは作文を読まされる。あらかじめ、舌を巻いておくべき箇所にはマーカーで印をつけておいた。

 「対我来说,日语并不是"妈妈"的语言,宁可说那是"爸爸"的语言。所以我想把日语"叫做""父语"・・・(わたしにとって日本語は、"母"の言葉ではない。むしろ"父"の言葉です。だからわたしは日本語を"父語"と呼びたい・・・)」

 「父语?」
 陳老師は、訝しそうにミーミーのスピーチを遮る。「そんな中国語はありませんよ。冗談ばかり書くのはよくないことです」。老師はため息をつく。「日本語でもそんな表現はないでしょう。・・・今のあなたの中国語はそれぐらい変です」

 短期留学も、あと1週間となった時、ミーミーは陳老師に呼び出された。あの授業で読むのを遮られた作文は、その後提出させられていた。老師は、スピーチの続きを淡々と読み出した。

 「因为我在日本长大的,所以我对"父语"不觉得不安。但是我对"母语"没有自信,以后我想更努力学好我的"母语"(日本で育ったので、"父语"に不自由は感じません。けれどもその分、"母语"がじょうずではないのが辛いと感じます。もっと"母语"の学習を努力して、自信を持てるようになりたいです)」

 「我误会了(私は誤解していました)」。作文を朗読し終えた陳老師はそう言った。「冗談を書いてはならないと指摘したのは、間違いでした」「为了提高你的母语能力,我会努力给予妳适当的指导(あなたの母語の能力を向上させるために、適切な指導をすることに努力します)」

 母語?それは本当に私の母語なのだろうか?
 小さいころから「中国語は中国語」だと思っていた。でも、ほんとうに母のことばを学びたかったら、上海でなく台湾に行けばよかったのだ。

 ミーミーは、台湾に向かった。

2019年3月29日

日々逍遙「秋田県立美術館、乳頭温泉」「北海道神社、円山公園」「横浜美術館、横浜中華街」

  

【2019年2月10日(日)】

 前日遅くにJR秋田駅前のホテルに泊まり、翌朝朝食に行ったら、窓の外にからすの群れ。
 北海道に多く見られるワタリガラスという渡り鳥で、街中でゴミをあさるのとは違う種類。旧約聖書のノアの方舟に登場したり、イギリスのロンドン塔に飼われたりしていた由緒ある鳥らしい。
  ちょうどハクチョウなどがシベリアなどに帰る季節だが、ワタリガラスもそうなのだろうか。

 
 鳥帰る五千キロてふ北帰行


 ホテルから歩いてすぐの秋田県立美術館に、以前から鑑賞したいと思っていた藤田嗣治「秋田の行事」を見に行く。

 2階の主展示場にドドドーンと広がる圧巻の大作は、高さ3・65メートル、横20・5メートルもある。依頼した秋田の資産家、平野政吉の米蔵で制作した後、壁の一部を壊して運び出したらしい。  橋の左に秋田の暮らし、右に山王祭、梵天奉納、竿灯祭りという3つの祭りが展開されており、70人近い人物が生き生きと描かれている。大作の前を何度も行き来し、あきずに眺めた。

秋田の行事          同・拡大
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    JR秋田駅から新幹線・こまち、バスを乗り継いで乳頭温泉郷へ。2泊した妙の湯は、硫酸塩と単純泉が男女交替で4つづつ。混浴と貸し切りの露天風呂もあり、湯につかりながら雪景色を堪能した。

 翌日は、乳白色の湯で知られる鶴の湯へ。乳頭温泉は、この乳白色の湯から名付けられたと思っていたが、近くの乳頭山に由来するらしい。この山「遠くから見るほど、女性のおっぱいに見える」ということだった。

 付近は、けやきらしい木を中心とした雑木林。春めいてきた日差しのなかで、小枝にかかった六花(むつのはな、俳句で雪の傍題)が輝いている。  近くの桜並木の枝に咲く雪も、量がたっぷり。前年の夏に形成される桜の花芽は、冬の寒さにさらされて目覚めるという。もう桜は、蕾のなかで満開だなと思った。  
 むつのはな木木に咲きては輝ける


妙の湯       鶴の湯            雪が咲く林
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【2019年3月3日(日)】

 JR札幌駅から地下鉄南北線、東西線を乗り継いで北海道神社へ。2度目の訪問だが、前回よりかなり雪が少ない。入り口に、今年の厄年・祝い年の掲示板が出ていた。85歳は、後厄に当たるらしい。そこまで生きていたらの話しだが・・・。

 敷地続きの円山公園を歩く。明治初期に開拓使が設置した樹木の試験場だったそうだが、広大な敷地に雑木林が広がる。イチイ、キササゲ、カシワ、ハルニレ、ミズナラなどの木々に動物をかたどった木の札に名前が記されており、楽しくなる。5月には、一斉に芽吹くという。

北海道神社           円山公園の林
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 ものの芽のさざめき初めし北原野




【2019年3月18日(月)】

 横浜・桜木町のホテルに泊まった翌日、みなとみらい地区へ。

 帆船日本丸が停泊している公園で、早咲きのオオカンザクラがほぼ満開。後ろの高層ビルランドマークタワーと競っている。
  横浜美術館前の紫木蓮の並木も花真っ盛りだ。

 美術館では、思いもよらず イサム・ノグチの展覧会をしていた。イサム・ノグチの作品を訪ねてニューヨーク札幌、高松と行脚したのは、もう8年も前だ。展示された石の彫刻になつかしさを覚えた。

みなとみらい・大寒桜             美術館前・紫木蓮
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 みなとみらい線で、中華街へ。以前にいとこ達と行った店で食事の後、横浜関帝(Guan Yu)廟横浜媽祖(Ma Zu)廟を訪ねる。三国志の英雄・関帝(関羽)、航海の守護女神である媽祖は、いずれも特に華僑の人びとの信仰を集めており、習っている中国語のテキストでなじみの神様。台湾の人らしい女性たちが長い線香を煙らせながら、深々と頭を下げていた。

 うららかや線香煙る中華廟


関帝廟                   媽祖廟
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2018年10月31日

日々逍遙「小磯良平展」「武庫川・コスモス園」など

このブログが、管理システムの不調で約1ヶ月閲覧だけでなく、新しい記事の掲載もできなくなった(詳しくは、管理者n.shuheiさんの 10月22日付けブログで)。
 管理者の大変な努力で10月末には復旧したが、ブログ右側の「過去記事タイトルリスト」を見ると、11年もの読書、紀行記録が自分にとって貴重な財産になっていることに改めて気付いた。

 あまり好きな言葉ではないが、 "終活" の一環にもなるかと「日々逍遙」というコーナーも作ってみることにした。

2018年10月28日(日)
 阪急夙川駅で、昔テニスクラブで一緒だったYさんに20年ぶりにばったり。サングラスを外して見せた顔には、私同様それなりの年輪が刻まれていたが、テニスは相変わらず続けているという。2007年に中国にご一緒したKさんも同じテニスクラブらしいが、テニスを日課のようにしていたMさんは「もう、しんどくなった」と最近クラブを辞めたらしい。これも"終活"かな・・・と。

 待ち合わせた友人Mとポートアイランドの神戸市立小磯記念美術館へ。特別展「没後30年 小磯良平展 西洋への憧れと挑戦」が開催中で、全国の美術館から集められた代表作や新発見、初公開作など約130点が展示されている。

 見覚えのある兵庫県立美術館所蔵の「T嬢の像」や東京藝術大学が貸し出した「裁縫女」が、戦前の中産階級の生活を鮮やかに描きだして秀逸だ。

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 珍しいことに「娘子関を征く」「カリジャティ会見図」(いずれも国立近代美術館・無期貸与作品)など、かなりの戦争絵画が展示されていた。

 ちょうど、京都国立近代美術館で「没後50年展」が開かれている藤田嗣治は、多くの戦争絵画を描いたことへの非難に嫌気をさしてフランスに戻って、死ぬまで日本に帰らなかったということだ。小磯良平も自分の画集に戦争絵画を載せることを非常に嫌ったという。東京芸術大学教授として活躍した戦後の生活の中で戦争責任の声とどう決別したのだろうか。

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 戦後に描かれた「働く人びと」(小磯美術館寄託)という大作は、同じ油彩ながら戦前の作品とがらりと筆使いが違っている。なぜだろうか。

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 東京・赤坂の迎賓に飾られている「絵画」「音楽」の2作は、やはり小磯の迫力が満溢 した作品だ。この展覧会では、小さなカラー模造図が展示されているだけだったが、やはり本物が見たい、と思った。

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  【2018年10月16日(火)
 武庫川左岸(尼崎市)の「武庫川コスモス園」に出かけてみた。
 13日に開園したばかりで、まだ咲きはじめといった感じだが、7つの区画にピンク、白、黄色のコスモス約550万本が今年も元気に咲きそろおうとしている。昨年は、台風の被害を受けてほぼ全滅しており、2年ぶりに復活した風景だ。
 ここは、もともと旧西国街道を結ぶ「髭の渡し」と呼ばれる渡し場があったらしい。サイクリングロードなどが整備されている右岸・西宮市側に比べ、左岸は未整備なところが多く、ここもゴミの不当投棄で荒れていた。コスモスの名所に変身させた地元市民グループの努力をありがたく思う。

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2018年10月8日(月)
 久しぶりに、西宮市立北山緑化植物園に出かけた。まだ紅葉には早かったが、シューメイギク、コムラサキ、ミズヒキなどの秋の花が咲きそろっている。  カツラの木の下のベンチで休憩。カツラの大木を訪ねた鉢伏への旅を思い出した。
 
 秋晴れへ伸びる桂や幹太し


 まだ青いがカリンの実がたわわに実っている。自宅にカリン酒をつけているのを思い出し、帰って飲んでみた。澄んだ琥珀色をした、なかなかの出来だった。張られたレッテルに「2016年11月作成」とある。たしか、神戸女学院のシェクスピア庭園で収穫した実を漬けたのだと思う。

下のサムネイルをクリックすると大きな写真になります。
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2018年10月27日(土)
 2週間に1回の俳句講座(講師:池田雅かず「ホトトギス同人」、於・神戸六甲道勤労市民センター)の日。
 最初に講師が「鳴け捨てし身のひらひらと木瓜の花」という句を黒板に書き、主席者の評価を聞いた。「良い句」と思った人は1人、私も含めて残り20人弱は「良くない」に手を挙げた。

 実はこの句は、AI(人工知能)の作、だという。
 北海道大学の川村教授が、過去の俳句5万句をAIに詠み込ませて開発したソフト「一茶君」に「鳴」「木瓜の花」という兼題を与えて自動生成させたらしい。
 友人の1人は「なかなかいい句だ」と、高い評価をした。はたしてAIは、将棋、碁に続いて俳句でも勝利するだろうか。

2017年9月16日

読書日記「日本の色辞典」(吉岡幸雄著、紫紅社刊)


日本の色辞典 紫紅社刊
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 京都の染色工房を主宰する吉岡幸雄が出演したNHKのBSドキュメンタリー番組「失われた色を求めて」の再放送を何度か見た。

 日本に古くから伝わる植物染織の復活に生涯をかける工房や原料を育てる農家の人々の苦労が伝わってくる。

 そんな時に友人Mが貸してくれたのが、この本。カラ―写真紙を使ったズッシリ重い約300ページの本に、古代からの色彩豊かな衣装、色の染め方や聞いたこともない名前の色見本が詰まっている。

◇赤系の色

 太陽によって一日がアケル。そのアケルという言葉が「アカ」になった。

 
 土のなかから弁柄などの金属化合物の赤を発見し、の根、紅花の花びら、蘇芳の木の芯材、そして虫からも赤色を取り出そうとしたのは、まさに、陽、火、血が人間にとっての新鮮な色で会ったからにほかならならない。


 ▽茜色(あかねいろ)

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    額田王が「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」と、万葉集に詠った色。

 茜は、アカネ科の蔓草だが、その赤い根を乾燥させて朱色を出す手法は古くから用いられてきた。しかし、手間がかかり、色が濁って難しいため、その技法は中世の終わりにすたれてしまった。

 著者の工房では、茜の草を試験的に栽培し始めた奈良県の農家の協力で、その製法の再現に挑戦している。しかし、茜の根を煮出した汁から黄色を取り去るために米酢を加えることをやっと発見するなど、古代の色を再現する苦労が続いている。

 ▽深緋(こきあけ、ふかひ)

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    古代色の読み方は難しい。深緋は、茜色をさらに濃く染め上げたもの。

 工房では、平安時代に編さんされた格式(律令の施工細則)である 「延喜式」の比率どおりに茜と紫根を用い、椿の木灰の上澄み液で発色させた。

 ▽曙色(あけぼののいろ)・東雲色(しののめいろ)

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      清少納言が「春は、あけぼの」と詠った「山の端から太陽が昇る前、そのわずかな光が反射して空が白み始める」色である。著者は「多くは茜色がやや淡く霞がかかった感じ」とみている。
 色見本では「茜との黄色を重ねた」

 ▽紅(くれない・べに)

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     紅花が出す赤色である。エジプト原産で、4,5世紀に日本に渡来した、という。

 この紅花から「紅」を染め出すのは、至難の業らしい。
 「自然の色を染める」(吉岡幸雄・福田伝士監修、紫紅社刊)などによると、花びらを水の中で揉み、ざるに取ってきつく絞る作業を繰り返して、花に含まれる黄色を取り去る。この後、藁灰(アルカリ性)を加えて、1-3回、色素を抽出。絹、木綿などの布を入れ、食酢を加えて色を定着させる。さらに布を水洗いして、鳥梅 と呼ばれる未熟な梅の果実を、薫製(くんせい)にしたものの水溶液に漬け、そのクエン酸の力で色素を定着させて乾燥する。
 鳥梅をつくっているのは、奈良県月ヶ瀬村の現在では中西さんという80歳強の梅栽培家だけらしい。「紅」の将来は、どうなるのか。

 このほか辞典では、盛りの桃の花をさす「桃染(ももぞめ・つきぞめ)は、紅花を淡く染めてあらわした、とある。

 「桜色」については、光源氏が、政敵右大臣の宴に招かれた時に「桜の襲(かさね)の 直衣(のうし)で出かけたことが書かれている。

 表が透明な生絹(すずし)、裏は蘇芳か紅花で染められた赤で、光が透過して淡い桜色に見えたのである。その姿は「なまめきたる」美しさであったという。

◇紫系の色

 紫という色を得るのに、中国、日本等東洋の国々では古くから紫草の根(紫根)を染料として用いてきた。

 
 ・・・染液のなかをゆっくりと泳ぐように動いている布の、だんだんと紫色が入っていくさまを見ていると、ほかの色を染めているときとはちがった、妖艶というか、神秘的というのか、眼が、色に吸いつけられて、そのなかに自分が入りこんでいくような気がしてくるのである。


 平安時代。紫は、高貴な人々だけに許された、 禁色(きんじき)であった。

 ▽深紫(こきむらさき)

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   紫根によって、何度も何度も繰り返し染めた黒味が閣下ったような深い紫色。

 紫根は麻の袋の入れ、湯の中でひたすら揉み込んで、色素を取り出す。その抽出液に湯を加え、絹布などで染め、清水で洗う。
 椿の生木を燃やした灰に熱湯を注いで、2,3日置いた上澄み液を越して布を入れる。椿の木灰に含まれたアルミニウム塩が紫の色素を定着させる。

◇青系の色

   青色は、古くから硝子、陶器などに使われてきたが、衣服は藍草で染められてきた。

 中国・戦国時代紀元前403~前221)に書かれた 「荀子」には「青は藍より出でて藍より青し」と記されている。「出藍の誉れ」という諺でも知られる。青という色は藍の葉で染めるが、染め上がった色はその素材より美しい青になることをあらわし、・・・すでに青という色を、藍という染料から得る技術が完成していたことを物語る。

 日本では、奈良時代には愛の染色技法はすでに完璧に完成していたとみえ、正倉院宝物のなかにもいくつかの遺品を見ることができる。

 
 (木綿の栽培が盛んになった)江戸時代に入ると、木綿や麻など植物性の繊維にもよく染まる藍染はより盛んになり、村々に紺屋ができた。 型染 筒描など庶民から将軍大名にいたるまで、藍で染めた青は広く愛される色であった。
 明治のはじめ、日本にやってきた外国人は、そうした状況を目のあたりにして、その藍の色を「ジャパン・ブルー」と読んで称賛したのである。


 ▽藍(あい)

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    日本では、藍を染めるのに タデを使うが、「建染」という手法が確立している。藍が還元発酵して染色可能な状態になったことを「藍が建つ」という。

 木灰に熱湯を注いで二,三日置き、その上澄み液を濾して灰汁を用意しておく。藍甕に (すくも)と灰汁を入れて掻き混ぜ、二〇度前後の温度を保ちながら十日くらい置く。その間日に二回掻き混ぜる。十日くらいたったところでふすまを加える。すると、ふすまが栄養剤となって発酵が促され、二、三日すると藍が建ち始め(ふすまを加えてあとは一日に一回掻き混ぜる)、染められるようになるのである。

 ▽縹色・花田色(はなだいろ)

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    藍色より薄く、浅葱色より濃い色をさす。「花田」は当て字。

 ▽浅葱色(あさぎいろ)

あさぎいろ.jpg

    蓼藍で染めた薄い藍色。色見本は蓼藍の新鮮な葉をそのまま使う 生葉染

 田舎出の侍が羽裏に浅葱色の木綿を用いたので「不粋、野暮な人を当時『浅葱裏』と揶揄した」という。

 ▽亀覗(かめのぞき)

かめのぞき.jpg

    もっとも薄い藍染。布を少し漬けて引き上げる。つまり、藍甕のなかをちょっと覗いただけ、という遊び心いっぱいの命名。

◇緑系の色

   著者によると「緑色は、身近にいつもありながら、たやすく再現することができない色といえる」らしい。

 自然のなかにある「緑」を身近な生活のなかにおきたいとと思っても、草木が持つ葉緑素という色素は脆弱で、水に遇うと流れてしまう。しかも、時が経つと汚れたような茶色に変色してしまう。

 聖徳太子が亡くなった622年につくられた日本最古の刺繍が奈良・中宮寺に伝来しており、美しい緑の色糸が随所に使われている。藍色に 苅安 黄蘗(きはだ)という黄色系の染料をかけて染められたものだ。

 ▽萌黄色(もえぎいろ)

もえぎいろ.jpg

   新緑の萌え出る草木の緑、冴えた黄緑色をいう。工房の色見本は、蓼藍の生葉染めのあとに黄蘗を掛け合わせた。

 ▽柳色(やなぎいろ)

やなぎいろ.jpg

    古い文献によると、柳色の布は、萌黄色の経糸と白の緯糸で織り上げた。

 ▽常盤色(ときわいろ)

ときわいろ.jpg

    松や杉など年中緑色をたたえる常緑樹は「常盤木」と呼ばれている。その常盤木の葉のように、やや茶色を含んだ深い緑の色。

 色見本は、苅安に蓼藍を重ねて深みをだした。

 ▽麹塵(きくじん)青白橡(あおしろつるばみ) 山鳩色(やまばといろ)

きくじん.jpg

    麹塵は、麹黴の色。橡は団栗の古称、青白橡は、夏の終わりから秋のはじまりにかけての青い団栗の実のこと。

 まったく別個の色名に思われるが、平安時代に 源高明が記した宮中の年中行事作法書 「西宮記」に、この2つの色は同じものとあるという。山鳩色も同じ色という説もある。

 「延喜式」にある、その染色法が、また難しい。椿などの生木を燃やしてつくったアルミニウム塩を含む灰汁(あく)を発色剤に苅安や紫草の根から抽出した色素を組み合わせる。著者の工房でも、失敗を重ねて。ようやく染めることができた。

 (後記)

 1項目を読むたびに、著者の工房の苦労を味わい、貴重な古代文献の名を知り、平安朝の 「襲(かさね)の色目」に自然を感じる・・・。
 なんとも興味のつきない本だ。しかし、黄、茶、黒白、金銀の項を残してブログに記すのはこのあたりで止め、座右で楽しむことにしたい。

 なお、各項にある色見本は、ネットにあった、東京カラーズ株式会社の 「色名辞典」からコピーさせてもらった。著者の工房で染めた自然素材の色調とは、当然異なっていると思う。

  ※巻末に、著書にある代表的な色名表を載せ、備忘録にした。

【赤】
 代赭色 (たいしゃいろ) / 茜色 (あかねいろ) / 緋 (あけ) / 紅絹色 (もみいろ) / 韓紅 (からくれない) / 今様色 (いまよういろ) / 桜鼠 (さくらねずみ) / 一斤染 (いっこんぞめ) / 朱華 (はねず) / 赤香色 (あかこういろ) / 赤朽葉 (あかくちば) / 蘇芳色 (すおういろ) / 黄櫨染 (こうろぜん) / 臙脂色 (えんじいろ) / 猩々緋 (しょうじょうひ) など 104色

【紫】
 深紫 (こきむらさき) / 帝王紫 (ていおうむらさき) / 京紫 (きょうむらさき) / 紫鈍 (むらさきにび) / 藤色 (ふじいろ) / 江戸紫 (えどむらさき) / 減紫 (けしむらさき) / 杜若色 (かきつばたいろ) / 楝色 (おうちいろ) / 葡萄色 (えびいろ) / 紫苑色 (しおんいろ) / 二藍 (ふたあい) / 似紫 (にせむらさき) / 茄子紺 (なすこん) / 脂燭色 (しそくいろ) など 46色

【青】
 藍 (あい) / 紺 (こん) / 縹色 (はなだいろ) / 浅葱色 (あさぎいろ) / 甕覗 (かめのぞき) / 褐色 (かちいろ) / 鉄紺色 (てっこんいろ) / 納戸色 (なんどいろ) / 青鈍 (あおにび) / 露草色 (つゆくさいろ) / 空色 (そらいろ) / 群青色 (ぐんじょういろ) / 瑠璃色 (るりいろ) など 60色

【緑】
 柳色 (やなぎいろ) / 裏葉色 (うらはいろ) / 木賊色 (とくさいろ) / 蓬色 (よもぎいろ) / 萌黄色 (もえぎいろ) / 鶸色 (ひわいろ) / 千歳緑 (ちとせみどり) / 若菜色 (わかないろ) / 苗色 (なえいろ) / 麹塵 (きくじん) / 苔色 (こけいろ) / 海松色 (みるいろ) / 秘色 (ひそく) / 虫襖 (むしあお) など 57色

【黄】
 刈安色 (かりやすいろ) / 鬱金色 (うこんいろ) / 山吹色 (やまぶきいろ) / 柑子色 (こうじいろ) / 朽葉色 (くちばいろ) / 黄橡 (きつるばみ) / 波白色 (はじいろ) / 菜の花色 (なのはないろ) / 承和色 (そがいろ) / 芥子色 (からしいろ) / 黄土色 (おうどいろ) / 雌黄 (しおう) など 36色

【茶】
 唐茶 (からちゃ) / 団栗色 (どんぐりいろ) / 榛摺 (はりずり) / 阿仙茶 (あせんしゃ) / 檜皮色 (ひわだいろ) / 肉桂色 (にっけいいろ) / 柿渋色 (かきしぶいろ) / 栗色 (くりいろ) / 白茶 (しらちゃ) / 生壁色 (なまかべいろ) / 木蘭色 (もくらんいろ) / 苦色 (にがいろ) / 団十郎茶 (だんじゅうろうちゃ) / 土器茶 (かわらけちゃ) / 媚茶 (こびちゃ) / 鳶色 (とびいろ) / 雀茶 (すずめちゃ) / 煤竹色 (すすたけいろ) など 107色

【黒・白】
 鈍色 (にびいろ) / 橡色 (つるばみいろ) / 檳榔樹黒 (びんろうじゅぐろ) / 憲法黒 (けんぽうぐろ) / 空五倍子色 (うつぶしいろ) / 蠟色 (ろういろ) / 利休鼠 (りきゅうねずみ) / 深川鼠 (ふかがわねずみ) / 白土 (はくど) / 胡粉 (ごふん) / 雲母 (きら) / 氷色 (こおりいろ) など 53色

【金・銀】
 金色 (きんいろ) / 白金 (はっきん) / 銀色 (ぎんいろ)



   

2016年10月26日

読書日記「人の樹」(村田喜代子著、潮出版社刊)


人の樹
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村田喜代子
潮出版社
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 村田喜代子の新著を書評欄で見つけ、嬉々として読み始めたが「なんだ、これは!?」

  タンブルウイードという砂漠をクルクル回りながら生きるおかしな草や

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タンブルウィード

 ビッグバンで宇宙が始まった140億年前からという想像を越える年月を生き続けているサバンナ・アカシア

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サバンナ・アカシア

 人間と無理やり結婚させられるニームの木。自分の樹皮に男から接吻されて、その快感に眩暈をもよおしたりする・・・。

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ニームの木

 そんな名前も聞いたことがない木々が、人間たちと不思議な交流を繰り返す。
 なんとも"荒唐無稽"すぎて一度は本を放り出したが「これこそ、新しい村田ワールド」と、再度手にして引きずり込まれてしまった。

 
 「あたしは、シマサルスベリ」
 亜熱帯の生まれだけれど、ヨーロッパらしい寒い国の港の公園に植樹された。

 真紅色が美しい樹皮を持ち、春の終わりから秋まで白い小さな花を溢れるほどつけるから、昼食帰りの商社マンたちが、必ず見上げていく。

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シマサルスベリ



 アジア系らしい「冴えない男」が「あたし」に話しかけてきた。どこの国の言葉かはわからなかったけれど、なぜか言うことが理解できた。

 男が唐突に言った。

 「じつはおれ、昔、木だったことがあるんだ」「君と一緒に海を見下ろす丘に立っていたフェニックスだったんだ」


 男が突然、帰国することになった。仕事に失敗したらしい。大きな船のデッキから、あたしに手を振っているのが見えた。

 
 体がふわりと宙に浮いた。あたしは人間の女になっていた。桟橋に向かって走り、叫んでいた。
 「我爱你 我不要你离开我」(愛しているわ、私をおいていかないで)
 二人は中国生まれの恋人同士だった。

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フェニックス

 人間たちが森をめざしてやってきた。5つの担架を担いでいる。

   重い腸炎で死神に怯える男の子、結核で衰弱しきった若い女性、心臓と血行障害で喘いでいる老人、痛風の痛みで泣いている年寄り、働き過ぎで臓器が悲鳴をあげている中年の男。

 山の木が春から夏にかけて発散する大量の フイトンチッドの成分は百以上ある。ある成分は、ジフテリア菌さえ撃ち殺す。・・・森全体が病原菌の燻蒸所だ。・・・針葉樹や広葉樹では、吐き出す成分がみな違う。

 担架の列は、スギ林やマツ、ヒノキの森をゆっくりくぐりぬけ、クスノキの森に向かう。

   
 クスノキの幹は深い菱形の彫りが美しい。どっしりとして枝張りのおおきな大樹なのに、明るい緑色のヒラヒラした葉をつけている。陰気な針葉樹と違って、クスノキは晴れやかな森の巨人だ。


 担架の若い女の頬に血の気が戻ってきた。血行障害の老人が息子にしゃべり出した。「足の痺れがだいぶ治ってきた」。痛風の年寄りも、少し良くなったらしく泣き止んでいた。「お水が飲みたい」。男の子は、父親がせせらぎでくんできた水をごくん、と飲んだ。

 中年の男が苦しみ出した。スギもクスノキモハリエンジュも、コナラも、懸命に自分の精気を男の方に送った。

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クスノキ



 
 死は生の親である。死んだ亭主の顔に朝の荘厳な光が射している。女房の顔にも射しているぞ。
 そうだ、歩いて行け。そして生き続けてゆく者は、森の精気を一杯吸うのだ。


2016年10月 1日

読書日記「ルーアンの丘」(遠藤周作著、PHP研究所、1998年刊)


ルーアンの丘
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遠藤 周作
PHP研究所
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 なぜか寝づらい日が続いた深夜に、テレビ録画で見ていて表題の本をテーマにしたドキュメンタリー(NHK制作)に引き込まれた。

 題材になっている「ルーアンの丘」は、作者が1950年に戦後最初の留学生としてフランスに渡った時に残していた旅行記「赤ゲットの仏蘭西旅行」と滞仏日記をまとめたものだ。作者の没後に見つかり、1998年に単行本になった。

 県立西宮北口図書館で司書の女性に見つけてもらい、一気に読んだ。

   フランスに同行したのは、生涯の親友となった 故・井上洋治神父ら4人。

 世話をしてくれたフランス人神父の尽力で、フランスの豪華客船・マルセイエーズ号に乗れることになった。ところが、遠藤が別に記しているのによると「船賃は最低の2等Cで16万円」。
 とても貧乏留学生に払える金額でなかったが、その神父の努力で「特別に安い部屋」に乗れることになった。

 大喜びで、フランスの船会社の支店に4人で切符を買いに行き、マルセイエーズ号の模型を囲んで「俺たちの船室はどこだ、どこだ」と大騒ぎしていたら、フランス語の堪能な若い女性が「かなしそうな眼で見ていた」・・・。

   横浜港でマルセイエーズ号に乗り込み、切符を事務長に見せると、せせら笑って「船室は船の一番ハシッコだと答える。

 
皆さん、『奴隷船』という映画を見ましたか。船の端の地下室の光もはいらねえなかで、黒人たちがかなしく歌を歌っている。実に、ぼくらの船室はあそこだったんです。・・・寝床は毛布も何もねえ、キャンプベッドがずらっと並んでいるだけ。鞄をもってきた赤帽君が驚いたね。「あんた、これでフランスに行くんですか」


 港に着く度に、クレーンで荷物がドサット落とされ、船倉ホコリだらけ。食事さえ、自分たちで厨房に行き、バケツに入れて運んでこなければならない。

   シンガポールやマニラでは、日本人は上陸禁止。第二次大戦中の マニラ虐殺などの恨みを忘れらてはいない。しかし、港に着くたびにこの船艙に乗ってくる中国人、インドネシア人、アラビア人、サイゴンで降りた黒人兵は、みな笑顔で接してくる。「なぜ、中国人などを今まで馬鹿にしたり、戦争をしたりしたのだろう」・・・。

 イタリア・ストロンボリイ 火山の火柱をデッキから見ていた時、ボーイの1人が「北朝鮮軍が南に侵入した」と1枚の紙きれを渡してくれた。

 神学生のI君(故・井上洋治神父)は、よく甲板のベンチでロザリオを手にお祈りをしていた。

 Ⅰ君は帝大の哲学科を今年出て、日本に修道会の カルメル会を設立することを自分の一生の使命として、遠くフランスのカルメルで修行する決心をしたのです。もう一生家族にも会えない。全ての地上のものを捨て、孤絶した神秘体の中に身を投じる君をぽくは真実、怖ろしく思いました。彼の体は強くない。寂しがりやで気が弱い・・・。そんな彼が人生の孤絶、禁欲ときびしい生の砂漠を歩いていくのを見るのは怖ろしかったのでした。暗い甲板の陰で、ぽくは黙って彼の横に座りました。

 「君、こわくない」
 とぼくはたずねました。
 「もう御両親や御姉弟にも会えぬのだね。もう一生、すべての地上の悦びを捨てねばならぬのだね」
 「少しこわいね。何かちょっと寒けがするような気持だ」
 と彼はうなだれました。


 マルセイユに入港、パリ経由で北仏・ルーアンの駅に着いた。この街に住む建築家・ロビンヌ家で、夏休みの間、ショートステイさせてもらうことになっていた。
 改札口で、中年の美しいマダム・ロビンヌに迎えられた。間もなく、ロビン家の11人の子どもがバラバラと集まってきた。遠藤がどの出口から出てくるか分からないため、前夜から1人ずつ張り番をしていた、という。

 最初にマダムに慣れないこと、不満なこと、困ったことは、何でも話すようにと約束させられた。そして、自分の子どもとして教育するという。

 日本では、ものぐさではどの友人に引けを取らなかったのに、髪をきちんと分け、靴は少しでも汚していると夫人に叱られた。特に、食事などのマナーは厳しかった。

 「食事中葡萄酒を飲む時、前もってナプキンで口を拭くこと」
 「食事中、黙ってはいけません。話さないのは礼儀ではありません」
 「煙草を半分吸って捨てるなんて、アメリカ人のすることです」

 「もう、我慢できないと」と言ったら、夫人は答えた。
 「あなたが大学に行ったら、大学生は無作法に食事したり話したりするでしょう。・・・しかし、典雅に物事をふるまえた上で野蛮に友だちと話せる大学生と、全く無作法な大学生とは違います」

 ある日、長男・ギイやガールフレンドのシモーヌなどとピクニックに出かけた。合唱やダンスを楽しみながら、彼らと空襲や離別の繰り返しだった、わが青春を比較してみた。
 そして、インドの乞食の少女の黒くぬれた眼、マニラの海の底に失われていった青春・・・。

 急にパリに行きたくなった。
  サン・ラザール駅に着いたのは午後6時半を過ぎていた。1つの教会の祈祷台に、倒れ込むように跪いた。

 神様、ぼくは、あなたを何にもまして愛さねばならぬことを知っています。しかし、ぼくは、今、人間を愛し始めたのです。ぼくが、永遠よりも。この人間の幸福のために力をそそぐことはいけないことでしょうか。人間の善きものと美しきものを信じさせて下さい。神様、ぽくに真実を、真実として語る勇気をお与え下さい。・・・自然があれほど美しいのなのに、人間だけが、悲しい瞳をしていてはいけないのです」


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ロビンヌ家の人々と遠藤周作(左端から長男・ギイ、遠藤、マダム・ロビンヌ、末っ子のドミニック)


2016年7月31日

読書日記「孔乙己(kong yi ji)、魯迅著、藤井省三訳、光文社古典新約文庫」

孔乙己
孔乙己
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(2012-10-04)


 毎週金曜日の午前中、神戸中国語言学院(神戸華僑総会内)での中国語教室の新しい课本(科目)が、この小説だった。

 课本では、この小説の背景などについて、若い学生2人が話し合うという設定だが、おもしろそうなので、帰りに近くのジュンク堂本店に寄ってみた。

 中国語教室の陈老师(先生)には「中国語で読みなさい」と言われたが、とりあえず「阿Q正伝」なども収録されている短編集の邦訳文庫本を買った。

 「孔乙己」は、文庫本でたった10ページ。1919年、魯迅38歳の時のほぼ処女作らしいが、訳者は「構成、文体とも見事な出来映え」と、ベタほめしている。

魯迅の故郷である紹興を模した街に咸亨酒店という紹興酒の造り酒屋がある。

咸亨酒店
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 この酒屋は、魯迅の叔父が開業した店で、今でも営業しているらしい。そのカンターで一人、ボロボロでつぎはぎだらけの长衫(chang shan、男性が着る単衣の中国服)を着て、椀で酒を飲む背の高い常連客がいた。定職もなく貧乏なその男は、盗みをしては殴られた傷が絶えず、周りの客から「孔乙己」とあだ名で呼ばれ、バカにされていた。

 长衫は、もともとインテリが着るものだったが、1911年の辛亥革命で清朝政権が終わりをつげ、世の中の価値観がガラリと変わるなかで、金持ちだけが长衫を着るようになり、彼らは、カーテンで仕切られた奥のテーブル席でご馳走を肴に酒を飲んでいた。

 しかし、インテリの見えが捨てられない「孔乙己」は、短い服を着た労働者が酒を飲むカンターで、ただ一人长衫を着て茴香豆(ういきょうまめ、そら豆をういきょう=八角で煮込んだもの)を肴に、1椀か2椀の紹興酒の熱燗を飲む。話す言葉を「なり・けり・あらんや」の文語調で終わらせ、相手を煙に巻いていた。

长衫                茴香豆    
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 そして、カンターの中で、お燗の番をする小僧に「『回』という字には,いくつの書き方があるのを知っとるか」とインテルぶるのを辞めなかった。

 「回」という字は「囘」「囬」などとも書くらしい。

 「孔乙己」は最後には、盗みが見つかって足を折られ、手でいざるようになり、酒場からも姿を消してしまう・・・。

 当時の社会状況を理解できない「孔乙己」を主役にしながら、魯迅は清朝末期の「封建社会」を批判している・・・というのが、この小説の真意らしい。

 現在でも、紹興の咸亨酒店の前には长衫を着た「孔乙己」の銅像があり、観光客の人気になっているという。

 たった10ページだが、ひょんなタイミングで、魯迅の名作に出会うことができた。

2015年4月26日

読書日記「くさい食べ物大全」(小泉武夫著、東京堂出)


くさい食べもの大全
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小泉 武夫
東京堂出版
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 神戸・三宮の書店で見つけ、衝動買いしてしまった本。発酵食品の分野では、この人の右に出る人はいないであろう小泉武夫の新刊だ。

 小泉が世界を歩いて食べつくした魚類から魚醤、肉類、納豆、大豆製品、野菜・果物、虫類、酒類、チーズ、漬物まで「くさい(もちろん、腐っていない)食べ物」159点について、うんちくを傾けている。

 各食べ物には、★(1つ星)から★★★★★(5つ星)まで「くさい度数」がついている。
 「のけぞるほどくさい。咳き込み、涙することもある」★★★★や「失神するほどくさい。ときには命の危険も」の★★★★★もすごいが、この本の真骨頂は「★★★★★以上」にランクされた、くさーい食べ物があること。列挙してみたくなる。

 ▽シュール・ストレミング

 「地球上で最も強烈なにおいの食べ物」と著者が認める、スウエーデン特産のニシンの発酵缶詰。加熱殺菌しないため、詰めた後も発酵が続くため缶がパンパンに膨れて売られているらしい。
 小泉は、ホテルで缶切りの刃先を入れたが、とたんに中の発酵物が噴き出した。「腐敗したタマネギに、くさやの漬け汁を加え、それにブルーチーズとフナ鮓、古くなったダイコンの糠漬け、さらには道端に落ちて靴に踏まれたギンナンを混ぜ合わせたような空前絶後の凄絶なにおい」が体じゅうにまみれてしまった。
 においの強さを調べる アラバスターという機器で測定すると「10870Auと断トツ」という記述があるが、ネット上に出てくる小泉の他の著書から引用された数字とかなり違っている。この数字は、たぶん誤植だろう。

 ▽ホンオ・フェ

 韓国・全羅南道の港町、木浦市の郷土料理。魚のエイ(鱏)を生のままかめのなかで10日ほど熟成・発酵させると、猛烈なアンモニア臭を出す。それを刺身にしてサラダ菜に包み、コチュジャンをつけて食べる。
 「アンモニアの刺激で涙までポロポロ出てきた。・・・あまりのくささに・・・深呼吸したら、目の前がスパークして・・・意識を失いそうになった」

 ▽ くさや

 伊豆七島の特産。ムロアジなどの青魚を開き、漬け汁(発酵した海水)に数時間着けてから干物にする。焼くと、不精香(ぶしょうこう・微生物、特にバクテリアの作用で生じるにおい)が出て、くさいが増す。
 学生時代に御蔵島に旅行した際、確かくさやを食べたが「くさい」という記憶がない。あれは、別の干物だったのだろうか。

   ▽ キビヤック

 北極近くに住む イヌイット エスキモー)が食べる漬物。
 巨大アザラシの肉や内臓を取ったあとに、アパリアスというツバメより二回りほど大きい水鳥の羽をつけたまま50-100羽詰め込み、アザラシの腹を縫い合わせて、土のなかに2,3年埋めておく。夏の間だけ、微生物が働き、徐々に発酵していく。
 どろどろに溶けたアザラシから水鳥を取り出し、肛門に口をつけ、発酵した体液をちゅうちゅう吸い出して味わう。
 「とびきりうまいくさやにチーズを加え、マグロの酒盗塩(塩辛)を混ぜ合わせた」味わいだが、そのにおいや「くさや、鮒ずし、ゴルゴンゾーラ・チーズ、白酒、腐ったギンナン、ウンチ」を合わせた強烈猛烈激烈な臭気だという。

 ▽ 臭豆腐

 多くの発酵食品のなかでも「ベスト5に入る・・・鼻曲がらせの食べ物」。そのくさみは「くさやと鮒ずし、ギンナンを踏みつぶしたものに、くさやの漬け汁を再びかけ、肥溜めとウンチの匂いを混ぜたような」壮絶なものだという。
 中国・浙江省や福建省、台湾などで食べられるが、豆腐そのものを納豆菌酪酸菌で発酵させたものをさらに発酵させた塩汁に漬けて発酵・熟成させたものと、酪酸菌や乳酸菌、納豆菌、 プロピオン酸菌などで強烈なにおいをもつ発酵漬け汁に豆腐を漬ける2種類がある。
 4センチ角くらいに切ったのを油で揚げて辛子醤油で食べるが「店内の悪臭がウソのように、香ばしいにおいに大変身する」発酵のマジックを見せる、という。

 ▽エピキュアー・チーズ

 ニュージランド産。シュール・ストレミングと同じように缶詰のなかで発酵させるので、缶はまん丸く膨張している。
 缶を開けると、中の猛烈なにおいが一気に出て「思わず立ちくらみするほど」だが、その匂いに魅了されると、ブルーチーズのにおいなんか「屁みたいに感じて物足りなくなり、その酸味が強いコクのある味もやみつきになる」

※参照した本

▽「納豆の快楽」(小泉武夫著、講談社)
 最近、なぜか納豆に凝りはじめ、数か月まえにAMAZONで買った。文庫本が絶版で、古書店ルートの単行本だったが、納豆についての著者のうんちくが満載。
 さっそく、干し納豆を通販で買って、おやつにボリボリやっている。納豆汁も、検討の要あり。

▽「逃避めし」(吉田戦車著、イースト・プレス)
 漫画家の著者が「締切が近づくと作りたくなる」創作?料理集。
 トマトと納豆に辛子、醤油を混ぜただけの「トマト納豆」、薄焼き卵に納豆をのせてくるむ「納豆オムレツ」は試作済み。マーマー。
  「山形の旨だし」に納豆と卵黄を割り込むメニューは、常備菜になった。