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2013年8月18日

読書日記「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」(梅原 猛著、集英社文庫)


日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る (集英社文庫)
梅原 猛
集英社
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 もう1年近く前の話しになってしまったが・・・。この ブログでもふれたが、東北・大船渡にボランティアに出かけた際、ホテル近くの寿司店のカウンターで同席した地元の元中学校校長、金野俊さんの言葉がなぜか、いまだに忘れられない。

 「私は、日本人とは思っていません。 縄文人と 弥生人が"和合"した子孫です」

それ以来、東北と縄文文化に関連した本をいくつか読み、東北が縄文文化の中心であり、日本の"故郷"でもあることを確信するようになった。表題の本も、その一つだ。

著者は、こう切り出す。

「縄文時代という時代、特に後期から晩期にかけて、東北はまさに日本文化の中心地であった」
「特に青森県を中心とした晩期縄文文化は、まことに素晴らしい。・・・縄文晩期、つまり、いまから三千年から二千年前くらいまで、東北、特に津軽の地には日本最高の狩猟採集文化があったといえる」

 著者は、近著「縄文の神秘」(学研M文庫)のなかでも「縄文時代の人口の十分の九は東日本にいた」と言う考古学者、 小山修三・元国立民族博物館名誉教授の説を紹介。同時に、西日本が照葉樹林帯であるのに対し、落葉樹のナラ、クリ、トチなど豊かな実を実らせる東日本の"森の文明"が縄文文化の背景にあった、と説明している。

 当時、日本は千島列島とつながってアジア大陸の一部であり、人口のほとんどが東日本に住んでいたとすると、朝鮮などから渡来してきた弥生人が攻めのぼるまでは、東北が"日本"の中心の地であったことは、かなり明確になる。

 青森県 東北町では、 「日本中央の碑(いしぶみ」という石柱が発見され、保存館まであるらしい。 自然石に「日本中央」という文字が刻まれているらしいが、縄文時代に文字があったという記録もなく、この碑が本物であることは、歴史的には定かではない。

 しかし梅原氏は、「蝦夷の地は、かって 『日本』と呼ばれていた」という高橋富雄・東北大名誉教授の説を紹介、中国・唐代の歴史書である 「旧唐書(くとうじょ)」 「新唐書」に「倭の国(大和朝廷)が日本の国を合して日本と名乗った」といった記述があることにふれている。

 日本とは「日の本(ひのもと)」。あの「日出ずる国」を意味する。
   それを知るだけで、日本の源流である東北の存在感への重みはいやがうえにも増してくるのだ。

 梅原氏は「古い日本の文化、いってみれば日本の深層を知るには縄文文化を知らなければならない」と、この本の表題の意味を明らかにする。

 ただ、ひとつの文化を知るには(土偶など)物の遺品だけでなく、その精神、言葉、宗教を知らなければならないが「縄文時代には、その言葉も分からず、その宗教は見当もつかない」ため「縄文研究に絶望していた」という。

 しかし、アイヌ文化を研究することによって「 アイヌ語 日本古代語の霊に関する言葉はほとんど同一であり、その意味するところもほぼ同じ」であることを発見「アイヌは、縄文人の遺民である」という結論を得る。そして、アイヌ語の研究を足がかりに縄文文化の解明に分け入ろうとする。

 そして「日本の文化は、蝦夷の文化、アイヌの文化との関係を知ることで明らかになるはずだ」と、東北への旅に出る。   なかでも、世界遺産、 平泉に関する記述がおもしろい。そして、中尊寺の国宝・ 金色堂の御物のなかに、蝦夷文化の遺産を見つけ、それがアイヌとも関係があることを示唆している。

 さらに、柳田國男 宮沢賢治の作品に縄文からの遺産をみつけ、 マタギ、山人(やまびと)が縄文の遺民であることを知る。

 そして、青森や弘前の ねぶた祭りには「縄文文化の伝統があることはまちがいない。爆発するエネルギー、そしてねぶたの外まではみ出してくるようなダイナミズム。そして人間とも妖怪ともわからない世界にさ迷うミスチシズム(神秘主義)、すべてそれは、縄文的なものである」と断言。「なまはげは、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に殺された蝦夷の霊を祀る祭りである」といった見解を展開する。

 最後には再度「日本の文化、特に東北の文化の根底には、縄文文化の精神が強く残っている」と結んでいる。

 昨年の9月に、金野さんから聞いた言葉は「私は、縄文人の心を失っていない東北人です」という意味だったのか、と初めて気づかされた思いだった。

 ※その他、参考にした本
  • 「君は弥生人か縄文人か」(梅原 猛、中上健次著、集英社文庫)
      梅原猛と「縄文文化の名残りの地」と言われる和歌山県・熊野をテーマにした小説を書き続けた故中上健次との対談集。「鍋料理は縄文のなごり」という項がある。
  • 「東北ルネサンス」(赤坂憲雄編、小学館文庫)
     民族学者で、福島県立博物館館長の編者と東北に詳しい7人との対話集。編者が創った 東北芸術工科大学・東北文化研究センターの設立宣言文には、こう書いてあるという。
     「弥生史観の暗闇の中から、縄文の光が次第に大きく日本の魂を揺さぶりはじめている。・・・この東北こそ、日本に残された最後の自然―母なる大地―である。現代文明の過ちを克服し人間の尊厳を取り戻す戦いの砦である」
  • 「世界遺産 縄文遺跡」(小林達雄編著、同成社刊)
     青森県の三内丸山遺跡など、政府のよって世界遺産国内候補として2008年に指定された 「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」を解説した本。編著者は、この遺跡がある地域を「縄文津軽海峡文化圏」と呼ぶ。
  • 「縄文人に学ぶ」(上田 篤著、新潮新書)
     建築家で元阪大教授でありながら、縄文研究を続けてきた人の近著。「遺された縄文人の遺体に殺されたとみられる痕跡がほとんどない。この時代には戦争、殺人がなかった」「縄文時代が一万年以上も続いたのは母系制社会だったから」といった記述がある。


2012年10月17日

旅「東北・三陸海岸、そしてボランティア」(2012・9・30―10・6)・下



 大船渡市市赤崎町に住む金野俊さんという元中学校の校長先生に出会った。

 話しているうちに、金野さんの口からこんな言葉が飛び出した。「私は、日本人とは思っていません。 縄文人 弥生人が"和合"した子孫です」

 金野さんの話しは、東北・ 蝦夷征伐の英雄、 坂上田村麻呂と蝦夷(アイヌ)の指導者、アテルイの抗争と和解にまで及んだ。

 東北の地は1万年に及ぶ縄文文化にはぐくまれてきた土地であることに気づかされた。

 大船渡港に入るさんま漁船などが目標にするという尾崎三山。その南端の岬にある 「尾崎神社」に行ってみた。縄文人の流れをくむアイヌが神事に使う 「イナウ」に似たものが宝物として納められている、という。海岸の鳥居を抜け、揺拝殿までの境内は、このブログでもふれた 中沢新一の「アースダイバー」に書かれた縄文の霊性の世界。そんなパワー・スポットだった。

 たった3日間だけだったが、 カリタス大船渡ベース「地ノ森いこいの家」 で御世話になりながらのボランティア活動中も、縄文の昔からの「地の力」とそこで震災と闘い続ける「人の力」を不思議な思いで受けとめた。

 大船渡ベースは、カトリック大阪管区が管轄しており、管区の各教会の信者が交替でボランティアに来ているが、東京などから週末の連休を利用して来る若いサラリーマンも多い。

 初日の3日は、牡蠣の養殖をしている下船渡の漁場で、舟のアンカーや養殖棚の重しに使う土のう作り。60キロ入りの袋に浜の小石を詰め、運ぶ作業はけっこうきつい。軽いぎっくり腰になったのには参った。
 午後は、仮設住宅の草抜きをしていた女性グループと合流、堤防のすぐ後ろにある漁師の方の住宅跡の草抜き。腰をかばうのか、反対の膝まで痛くなり、裏返したバケツに座って作業をする始末。まさに「年寄りの冷や水」

 2日目は、漁師さんたちが住む末﨑町・大豆沢仮設住宅へ。倉庫を作る資材を運び上げたが、すぐれ(時雨=しぐれ)が降りだし、台風も近付いているというので、作業は中止。仮設の集会場で、仮設に住む人たち(老人が多い)の世話をする支援員の人たちと「お茶っこ(お茶飲み会)」。パソコンの写真を見せがら津波直後の話しがほとばしるように出てくる。瓦礫の山を避けて、山によじ登りながら家族や知り合いを必死に探した、という。
 午後はベースに帰り、リーダーの深堀さんが買ってきた材料キットで仮設の住民が使うベンチ作り。これも慣れない作業だったが、比較的短時間で完成し、皆でバンザイ。

 3日目は、再び大豆沢仮設住宅で、再度、倉庫造りに挑戦した。といっても、仮設住宅支援員の永井さん、志田さんの指示に従って砂利土を掘り下げてコンクリートの土台を埋め、床材を組み、支柱を打ち込み、床にベニア板を張る・・・。電動ドライバーの使い方にやっと慣れたころ、その日の作業は終了となった。

 午後の「お茶っこ」の時間に、女性支援員の村上さんが「最近ゆうれいが出る、という話しをよく聞く・・・」と言いだした。男たちは「そんなバカな」と笑いとばしたが、まだ行方不明になっている親類や知人を抱えている人は多い。「ここは多くの方が亡くなられた鎮魂の土地なのだ」と、改めて気づかされた。

「大船渡魚市場」でサンマの仕分けをしていた 鮮魚商「シタボ」の村上さん(61)は、末﨑町の家と店舗を流された。テント張りの店を再開しながら、近くの仮設住宅に来るボランティアやNPOの世話役も買って出ている。たくましい笑顔を絶やさない人だったが、津波でスーパーに勤めていた24歳の娘さんを亡くしたことを、他の人から聞くまで一言ももらさなかった。

元中学校長の金野さんが、ホテルに1枚のDVDを届けてくれた。
 地元の新聞社「東海新報社」が、社屋近くの広場から津波が襲ってくる様子を撮影したものだった。「湾内から脱出できず、転覆して亡くなった方の船も映っています。その場面では手を合わせていただければと思います」。そう書かれた手紙が添えられていた。

 「いこいの家」に常駐しているシスター(カトリックの修道女)の野上さんから「ここに来た若い方がたは、不思議に変わって帰られます」という話しをきいた。
  「ああ、アウシュヴィッツにボランティアとして来るドイツの高校生と同じだな」と思った。

 私も、少しは変われたろうか。縄文時代から培われた「地と人の力」、そして「鎮魂の思い」に揺り動かされ続けたたったの1週間だったが・・・。

 ※参考にした本
 ▽ 「白鳥伝説」 (谷川健一著、集英社刊)
 東北には、白鳥を大切にする白鳥伝説が伝えられている。その伝説を探りながら縄文・弥生の連続性を探った本。大船渡「尾崎神社」にもページを割いている。

 ▽「東北ルネサンス」(赤坂典雄編、小学館文庫)
 東北学を提唱している 赤坂典雄の対談集。
 このなかで、対談者の1人、 高橋克彦は「蝦夷は血とか民族ではなくて、・・・東北の土地という風土が拵(こしらえ)るもの」と話している。
 同じ対談者の1人の 井上ひさしは、岩手県に独立王国をつくる 「吉里吉里人」という小説を書いた意図について「我々一人ひとり、日本の国から独立して自分の国をつくるれぞということをどこかに置いておかないと、また兵隊をよこせ、女工さんをよこせ、女郎さんをよこせ、出稼ぎを言われつづけける東北になってしまうのではないか」と書いている。
 「原発の電気をよこせ」の一言は書かれていない。

尾崎神社;クリックすると大きな写真になります 鮮魚商の村上さん;クリックすると大きな写真になります 大船渡魚市場;クリックすると大きな写真になります
森閑とした尾崎神社。市内には、国の史跡に指定された縄文時代の貝塚も多い サンマの仕分けをする鮮魚商の村上さん。今年は、三陸沖の水温が高く、北海道産しか、あがっていない カモメが群れ飛ぶ大船渡魚市場。市場が古くなり、新市場を隣に建設中だが、完成まじかに震災に見舞われた
地ノ森いこいの家;クリックすると大きな写真になります 60キロの土のう;クリックすると大きな写真になります 仮設住宅の倉庫作り作業;クリックすると大きな写真になります
「地ノ森いこいの家」。ボランティア男女各8名が2食付き無料で泊れる 60キロの土のうを計66個。いや、きつい! 仮設住宅の倉庫作り作業。電動ドライバーも、慣れた手つきで?


付記・2012年11月21日

 ▽読書日記「気仙川(けせんがわ)」(畠山直哉著、河出書房新社刊)

 岩手県陸前高田市出身の写真家である著者が出した写真集。

 ちょうど、陸前高田市の隣の大船渡市のボランティアに行く準備をしていた9月中旬。 池澤夏樹の新聞書評でこの本のことを知り、図書館に購入申し込みをし、先週借りることができた。

 不思議な迫力で迫ってくる本である。前半は、著者が「カメラを持って故郷を散歩中にふと撮りたくなった」カラー写真が続く。
 ところが、ページの上半分は空白。下半分に載った風景は、もう見ることができない三陸の普通の風景・・・。戦慄が走る。

 写真の合い間に、著者が家族の安否を確認するためオートバイで故郷に向かう文章が挟み込まれている。これも、上半分は空白である。

「いまどこ?」「山形県の酒田。雪で進めなくて」「あたしは角地(かくち)。これから母さんと姉さん捜しに行くから」「え、一緒じゃないの?」「なに言ってるの」「だって避難者名簿に出てたんだから、末崎の天理教に三人一緒にいるつて」「宗教なんて信じちゃ駄目よ」「いやそうじやなくて」「後ろに待ってる人がいるから、じやあね」。あ、待って、切らないで。くそったれ。じゃあ、あれは存在する結果ではなかったのか。固い床の上で寄り添って、毛布を被っている三人なんて、いなかったというのか。あの情景を、いまさら僕の頭から消せというのか。


 真白な1ページをはさんで、写真は一変する。空白はない。

 津波が引き上げた跡の陸前高田市。瓦礫が積み重なり、民家の屋根だけが残り、杉林に自動車の残骸が押し込まれ、陸橋が浜辺の砂に埋まっている。

 これは、同じ場所の写真なのだろうか。この10月に見ただだっぴろい平野にコンクリートの建物と民家の土台だけが残っていた陸前高田市。

 しかし、行った時には切り倒されていた一本松も、大きな水門も、「幽霊が出る」といううわさが消えないホテルも、橋が流出して渡れなかった気仙川も、確かに写っている・・・。

 写真集の後半部には、文章はない。

「あとがきにかえて」には、こう書かれている。

あの時僕らの多くは、真剣におののいたり悩んだり反省したり、義憤に駆られたり他人を気遣ったしたではないか。「忘れるな」とは、あの時の自分の心を、自分が「真実である」と理解したさまざまを「忘れるな」ということなのだ。


気仙川
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畠山 直哉
河出書房新社
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2011年11月12日

読書日記「アースダイバー」(中沢新一著、講談社刊)

アースダイバー
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中沢 新一
講談社
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 前回のブログでふれた中沢新一の、この著作は以前から気になっていたので、図書館で借りてみた。2005年の発刊だが、予想以上にもうけものの本だった。

 表題は、アメリカ先住民の神話から取られている。
はじめ世界には陸地がなかった。地上は一面の水に覆われていたのである。そこで勇敢な動物たちがつぎつぎと、水中に潜って陸地をつくる材料を探してくる困難な任務に挑んだ。ビーバーやカモメが挑戦しては失敗した。こうしてみんなが失敗したあと、最後にカイツブリ(一説にはアビ)が勢いよく水に潜っていった。水はとても深かったので、カイツブリは苦しかった。それでも水かきにこめる力をふりしぼって潜って、ようやく水底にたどり着いた。そこで一握りの泥をつかむと、一息で浮上した。このとき勇敢なカイツブリが水かきの間にはさんで持ってきた一握りの泥を材料にして、私たちの住む陸地はつくられた。


ここで、中沢の持論が登場する。
 
頭の中にあったプログラムを実行して世界を創造するのではなく(一神教の神による天地創造ではなく?)、水中深くにダイビングしてつかんできたちっぼけな泥を材料にして、からだをつかって世界は創造されなければならない。こういう考え方からは、あまりスマートではないけれども、とても心優しい世界がつくられてくる。泥はぐにゅぐにゅしていて、ちっとも形が定まらない。その泥から世界はつくられたのだとすると、人間の心も同じようなつくりをしているはずである。


 中沢は、この泥みたいなものでできた心を「無意識」と呼ぶ。これまでの文明は、グローバル化にしろ、原発にしろ、この「無意識」を抑圧することによって合理的といわれるものを築いてきた。そして今、抑圧されてきた「無意識」が現代文明に反旗を翻そうとした結果が、9・11であり、3・11の本質でもある。中沢は、そう言いたいようである。

 「ぼくはカイツブリにならなければ」。中沢は、水の底から泥をつかんできて「もういちど人間の心をこね直そう」と考える。

 そんな気持ちで東京の街を見回してみた時「大昔に水中から引き上げられた泥の堆積が、そこそこに散らばっているのが見えてくる」

 縄文時代の前期、 縄文海進と呼ばれた時期には、泥の海が現在の東京の街にフィーヨルド状に入り込んだ地形をしていた。

   中沢は、この縄文地図を手に東京探訪に出かける。
 気づいたのは、どんなに都市開発が進んでも、それとは無関係に散財している神社や寺院は、きまって縄文地図における、海に突き出た岬ないしは半島の突端部に位置している、ことだ。

   
縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊性を感じていた。そのためにそこには墓地をつくったり、石棒などを立てたりして神様を祀る聖地を設けた、
  そういう記憶が失われた後の時代になっても、まったく同じ場所に、神社や寺がつくられた・・・。現代の東京は地形の変化の中に霊的な力の働きを敏感に感知していた縄文人の思考から、いまだ直接手的な影響を受け続けているのである。


   
東京の重要なスポットのほとんどすべてが、「死」のテーマに関係を持っていることが、はっきり見えてくる。・・・盛り場の出来上がり方や放送塔や有名なホテルの建っている場所などが、どうしてこうまで死のテーマにつきまとわれているのだろうか。
 かっては死霊のつどう空間は、神々しく畏れるべき場所として、特別扱いされていたのである。


 縄文地図を見ながら東京を歩くと、縄文時代も堅い土でできていた丘陵地帯(洪積層)とかっての泥の海(沖積層)地帯では、土地の持つ雰囲気がまったく違うことに気づくという。沖積層地帯からは、死の香り、エロスの匂いがただよってくる。

 甲州街道や青梅街道が走る新宿の高台沿いには紀伊国屋や中村屋などの高級店が並んでいるが、湿った土地にできた歌舞伎町や西新宿には、それとはまったく違ったにおいがある。渋谷の繁華街やラブホテル街も、この地勢論から説明される。

道玄坂は・・・、表と裏の両方から、死のテーマに触れている、なかなかに深遠な場所だった。だから、早くから荒木山の周辺に花街ができ、円山町と呼ばれるようになったその地帯が、時代とともに変身をくりかえしながらも、ほかの花街には感じられないような、強烈なニヒルさと言うかラジカルさをひめて発展してきたことも、けっして偶然ではないと思う。ここには、セックスをひきつけるなにかの力がひそんでいる。おそらくその力は、死の感覚の間近さと関係をもっている。


 そして、明治天皇が新たに造られた明治神宮の森に祀られ、現天皇が、世界のどの大都市にもない皇居という「空虚な空間」に住まいを定められている意味についても、この本は敷衍していく。

 この本の巻末には、現在の東京に縄文地図を重ねた地図が折り込まれている。ブログに添付した写真では少し分かりにくいが、上野や御茶ノ水が、泥の海に突き出した「サッ」と呼ばれた岬であることが歴然と分かる。
 WEB上では、多摩美術大学中沢新一ゼミと首都大学東京大学院が協同制作した 「アースダイバーマップbis」も公開されていて、楽しませてくれる。
 ただ、 中沢の東京地勢論への異論もあるようだ。 img005.jpg

 中沢が縄文時代について記述しているのを読むのは、このブログでもふれた 「縄文聖地巡礼」以来だ。蓼科の縄文遺跡や縄文人の末裔といわれるアイヌ人の昔を訪ねるエコツアーに参加したこともある。
 一神教の神を信じる身でありながら、縄文の時代の死や霊への思いになぜか引かれる。

 このブログを書いていて、中沢が週間現代にアースダイバーの大阪版「大阪アースダイバー」を連載しているのを知った。昨年11月のスタートだから、間もなく単行本になるのだろう。この8月には「大阪アースダイバー」をテーマにした中沢ら3人の 公開鼎談も、東京で開かれている。

 これに刺激されたのか、大阪の街に縄文の地図を重ねたマップを掲載した ブログも登場している。
 このマップを見ると、大阪城や難波宮、四天王寺、住吉大社が連なる上町台地を除いて、ほとんど海である。

    元京大防災研究所長の河田恵昭・関大安全学部長の「水は昔を覚えている」という言葉を思い出した。昔、海や湿地帯だったところに市街地が発展しても、いったん洪水、高潮、津波はん濫が起こると、また海や湿地帯に戻る、というのである。

 故・小松左京「日本沈没」でも、上町台地以外の大阪の街が泥の海と化す記述がある。

 縄文の地図を現在の土地に重ねる「アースダイバー」の試みは、東北大震災など自然災害の教訓をけっして忘れてはいけないという警鐘とも読めるのである。

2010年9月 8日

読書日記「縄文聖地巡礼」(坂本龍一・中沢新一著、木楽舎刊)


縄文聖地巡礼
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坂本 龍一 中沢 新一
木楽舎
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おすすめ度の平均: 4.0
5 縄文的思考
2 テーマは好きなのだが
5 縄文文化を基に、新しい世界感の提示
2 お約束どおりのアンチ原発
4 縄文的世界観に資本主義解体の契機を探る、現代文明批判の試み


 聖地を訪ねる旅がちょっとしたブームだそうである。
 インターネットの影響で誕生したという話題の小説やアニメの舞台を訪ねる「聖地巡礼」とはちょっと違う。日本人の心のふる里を求めて、古代から大切にされてきた祈祷の場所や国家神道の範ちゅうではくくれない神社や鎮守の森などを訪ねる旅が人気だという。新聞社が「聖地日和」という長期連載を組み、聖地への旅の特設コーナーを新設する大手書店まで現れた。

 このブログでも以前に、世界遺産の北海道・知床で「アイヌ民族・聖地巡礼」というエコツアーに参加したり、信州・蓼科の縄文遺跡、世界遺産・熊野古道の神社を巡る旅をしたりしたことを書いた。

 その延長線でこの本が気になって図書館で借りた。
 世界で活躍するミュージシャン・坂本龍一と人類学者であり宗教学者としても知られる中沢新一という異色の組み合わせが「縄文人の記憶をたどりたい」と一緒に旅をした際の対談集である。

 最初に中沢は、こう書く。
 縄文時代の人々がつくった石器や土器、村落、神話的思考をたどっていくと、いまの世界をつくっているのとはちがう原理によって動く人間の世界というものをリアルに見ることができます。・・・これは、いま私たちが閉じ込められて世界、危機に瀕している世界の先に出ていくための、未来への旅なのです。


 旅は、青森・三内丸山遺跡から始まり、諏訪、若狭・敦賀、奈良・紀伊田辺、山口・鹿児島を巡り、青森にもどる。

 諏訪では、諏訪七石の1つ「小袋石」(茅野市)を訪ねる。
 見るからに何かを発しているというか。地底に触れている感じが触れている感じがした」(坂本)
 「縄文の古層から脈々と続いているものというのは、深く埋葬されていているけれど、強いエネルギーを放つ磁場としてわれわれに影響を与え続けていて、・・・。そして諏訪の場合は、・・・それが地表に出てるんですね」(中沢)


 敦賀半島にある「あいの神の森」は、田の神とも漁の神とも言われる「あいの神」を祀り、他の祭祀遺跡も同居する太古から続く森である。森全体が墓地であった聖地のすぐ近くに原子発電所「もんじゅ」があることに2人は衝撃を受ける。
 「日本海は内海だった」と中沢は言う。「私たちは縄文というものを、ひとつの民族のアイデンティティに閉じ込めるのではなく、むしろ大陸側にも太平洋側にも大きく開いてとらえるべきで・・・」


 鬱蒼とした「なげきの森」に包まれた鹿児島・蛭児神社では、南方から渡来してこの土地を支配していた先住民族、隼人と天皇家の祖先である天孫族の関係に思いをはせる。
 隼人は大和政権に征服された民で、西郷隆盛はその末裔ですよね。なのに自分の祖先を征服した部族の王である天皇に、親しみを感じ、忠誠を尽くして戦う」(坂本)
 「天皇家の祖先である天孫族が朝鮮半島から渡ってきたとき、なぜ日向を拠点にして隼人族の女性を妻に迎えたのか。・・・背後には隼人族の経済力と軍事力の存在がおおきかった。天皇家としては、朝鮮半島とのつながりを強調するんだけど、もう一方で、隼人、つまりインドネシアから渡ってきた人々にもつながってるんですね」(中沢)


 青森で始まった旅は、青森に戻って終わる。
 縄文前期から中期の大集落である三内丸山遺跡と、縄文後期の環状列石(ストーンサークル)の小牧野遺跡を訪れ、その石組みの生々しさに興奮しながら対談は続く。
 あの環状列石のなかにいると、石を運んできて、お祈りをしている人たちの姿が見えるかのようで、・・・天上の世界を人工的につくろうとしている」(坂本)
 「縄文の研究は、過去だけじゃなくて、未来を照らす可能性がある。・・・この列島上に展開した文化には、まだ巨大な潜在能力が眠っていて、それは土の下に眠ってだけではなくて、われわれの心のなかに眠っている・・・」


 ▽最近読んだ、その他の本
  • 「ヒマラヤ世界 五千年の文明と壊れゆく自然」(向 一陽著、中公新書)
  • ヒマラヤ世界 - 五千年の文明と壊れゆく自然 (中公新書)
    向 一陽
    中央公論新社
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     「いつかはヒマラヤ・トレッキングを」と若い時から思い続けながら、実現できなかった。
    そんな郷愁めいた気持ちで、この本を手にしたが・・・。単にヒマラヤへの想いを綴ったものではない。地球温暖化と人間の行動への厳しい告発書であった。
     西からインダス川ガンジス川ブラマプトラ川。この3つの大河流域に世界の人口の1割以上、8億人が住んでいる。間接的には15億人がこの大河がもたらす水の恵みを受けている。白き神々の座・ヒマラヤ山脈と同様、この広大な大平原を著者は「ヒマラヤ世界」と呼ぶ。
     氷河の衰退に始まって、氷河湖の決壊による洪水の恐れ、氷河湖の汚染、森林伐採、食糧大増産のために枯渇したヒマラヤ始発の地下水、井戸水から検出される砒素、国家間の水争い・・・。今「ヒマラヤ世界」で起ころうとしている危機は、地球全体の崩壊につながると著者は警告する。

  • 「大人の本棚 夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選」(岡崎武志編、みすず書房刊)
夕暮の緑の光――野呂邦暢随筆選 《大人の本棚》
野呂 邦暢
みすず書房
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 NHKのBS放送が土日の朝に放映している「週間ブックレビュー」は、読書好きには評判の番組だ。ここで取り上げられた本の購読を図書館に申し込むと、たいてい予約殺到で何カ月か待たされる。
 野呂邦暢という芥川賞作家を浅学にして知らなかったが、編者の岡崎武志は、巻末の解説でこう書いている。
 野呂邦暢が小説の名手であうとともに、随筆の名手でもあった・・・。ちょっとした身辺雑記を書く場合でも、ことばを選ぶ厳しさと端正なたたずまいを感じさせる文体に揺るぎはなかった。

 表題にある「夕暮の緑の光」という30数行の文章。そのなかで野呂は、自分がなぜ書くことを選んだかについて、こう記している。
 それはごく些細な、例えば朝餉の席で陶器のかち合う響き、木洩れ陽の色、夕暮の緑の光、十一月の風の冷たさ、海の匂いと林檎の重さ、子供たちの鋭い叫び声などに、自分が全身的に動かされるのでなければ書きだしてはいなかったろう。

 1つ、1つのフレーズをかみしめて、もの書く人の繊細で真摯な感性を知る。

2008年5月 3日

読書日記「水越武写真集 知床 残された原始」(岩波書店刊)

 この夏に世界遺産の知床を訪ねたいと思っており、新聞の広告や書評でこの本のことを知った。芦屋市立図書館にはなく、兵庫県立図書館から転送してもらって借りることができた。

 水越武という写真家。以前ブナの森が気になり、白神山地や八甲田の森を訪ねていたころに、この人の「ブナ VIRGIN FOREST」(1991年、講談社刊)という写真集を買ったことがある。

 「ブナ」のあとがきで、水越武氏は「3年ほど前に、野生的な厳しい自然にひかれて私は北海道の道東に移って来たのだが、ここではブナはみられない」と書いている。そのころから「知床」の写真を撮り続けてきたのだろう。

  「写真集 知床」には、分け入った原始の森とそこで繰り広げられる生命の営みのダイナミックさがあふれている。

 海岸に盛り上がるようにうねる水草の群れ、天然記念物のカラフトルリシジミの交尾、シレトコスミレの群落、広大な山麓が一気に海岸で切れ落ちる高い崖、針葉樹と広葉樹が混交する夏の豊かな森、そして流氷の迫力、ヒグマの生態、卵を産んで死んでいくサケの群れ・・・。これまでに見たことのないゆたかさと荒々しさ、いとおしさがあふれる自然が、そこにあった。

 しかし、この写真集は、北海道の自然に対する、ある種の無念さから生まれたものであるようだ。

 昨年夏に札幌で開かれた「写真集 北海道を発信する写真家ネットワーク展CAN」という催しで、水越武は自分が考える"美しい自然"について、6つを挙げている。

  • 生物の多様性に恵まれている
  • 自然本来が持っているリズム、緊張感が乱れていない
  • 川、海、山、森などの生態系がバランスよく存在し、有機的に繋がっている
  • 生態系が健康で循環が良く、野生の息遣いが聞こえる
  • 生の厳しい自然のエネルギーが感じられ、大地が広大
  • 四季の移り変わりに大きな変化があり、それぞれの季節の表情が豊か


 水越氏は、世界中を歩いて「北海道は世界で最も美しい自然が島だったに違いない」と、移住を決意する。開拓しつくされた今の北海道には、水越氏が考える"美しい自然"がないことを知りながら・・・。そして、理想とする美しい北海道が今も知床にはある程度残っているのではないかと考え「知床で自分の夢、自分の意図する写真を撮り始めた」。その集大成がこの写真集なのだ。

 「写真集 ブナ」のあとがきで水越氏は、ブナを取り続けた理由の一つとして「糧を(ブナの)森林に求めながら、極めて高い文化を持ち、(ブナの)生態系にすっぽり溶け込んで生きてきた縄文人に」人間としての理想の生き方を見る、と書いている。

 そして北海道では「アイヌの文化・美意識を反映させる方法として、ネイチャー写真を撮っている」と、札幌の催しで話している。

 そのアイヌの人たちと知床の自然のかかわりを、環境学者の小野有五・北海道大学院教授が「写真集 知床」の解説で、描き出している。

 「知床も国後も、長いこと、そこでの主人公はアイヌ民族であった」「アイヌ語の『シレトコ』は『シリ(大地)』の『先端(エトコ)』であり、たんに岬という意味にすぎない」

 「生き物でシレトコを象徴するのは、なんといってもヒグマであろう。アイヌにとっては最高のカムイ(神)、山のカムイ(キムンカムイ)であった。・・・いまの日本列島で、ヒグマがもっとも原始のままの生き方を保っているのがシレトコだからである」

 アイヌは、生まれたばかりの赤ちゃん熊をコタン(村)に連れて帰り、飼うのが危険になったころ、イヨマンテという儀式をしてカムイの国に送り返した。「アイヌ語では、イ(それ)オマンテ(送る)という意味だ。カムイのように尊いものの名はうかつに口にできないので、あえてイ(それ)というのである」

  今年3月4日付け読売新聞の企画連載記事に、こんな記述があった。
 「アイヌの人たちは、ヒグマやサケを捕獲して神にささげる儀式を行い、自然の恵みに感謝した。自然と共生する持続可能な暮らしが、ここには存在していた」

 カムイであるヒグマを天に返すという考えとは、ちょっと違う記述だが・・・。

 この記事によると、知床が国立公園であることを理由に、アイヌ民族のヒグマ、サケ漁の権利は奪われたまま。
 国際自然保護連合(IUCN)は2005年に「自然環境の管理、持続可能な利用のために、アイヌ民族の文化や伝統的知恵、技術を研究することが重要」と、日本政府に勧告しているが、いまだに具体的な動きはない、という。

 この夏、アイヌのひとたちと共生する、どんな自然に出会うことができるだろうか。

 ついでに読んだ本
  • 「アイヌ歳時記 二風谷のくらしと心」(萱野茂著、平凡社新書)
  • 「コタンに生きる」(朝日新聞アイヌ民族取材班、岩波書店・同時代ライブラリー)
  • 「アイヌ概説 コタンへの招待」(野口定稔著、1961年)


知床残された原始―水越武写真集
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アイヌ歳時記―二風谷のくらしと心 (平凡社新書)
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4 アイヌの世界観への入り口

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コタンへの招待―アイヌ概説 (1961年)
野口 定稔
北方文化科学研究所