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2017年4月26日

展覧会鑑賞記「没後40年 熊谷守一 お前百までわしやいつまでも 」(於・香雪美術館)、読書日記「蒼蠅(あおばえ)」(熊谷守一著、求龍堂刊)


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 熊谷守一のことを知ったのは、どこだったのかとずっと考えていたが、このブログにも書いたが、「偏愛ムラタ美術館 〚発掘篇〙」(村田喜代子著、平凡社)だったことをやっと思い出した。

熊谷守一美術館は、大学、職場で大変お世話になった先輩Tさんのご自宅のある東京・豊島区にあるので、Tさんをお訪ねするのを兼ねてと思っていたら、そのTさんが急逝され機会を失っていた。

 それがなんと。神戸・御影の香雪美術館で、「熊谷守一 お前百までわしや」展が開催されているのを知り、桜の開花が少し遅れている雨の4月はじめ、友人Mを誘い、出かけてみた。

 ある、ある!

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   そう広くない美術館の1階に、あのシンプルな線で描かれた「猫」が、縁側でのんぼりとまどろんでいた。手前のガラスケースのなかのスケッチ帳には、のびやかな体や斑の色が字で書きこんであり、ち密な計算で完成された絵であることが分かる。

 村田喜代子は、こう書いている。
 「命という、形として単純化できないものを、両腕に力をこめてなでたり、転がしたりしながら、まるめ直したような感じ。熊谷の猫はふわふわしてなくて、頭骨の硬さが見る者の手にごつごつと触れる」

 木のてすりがついた階段を2階に上る。
 右奥に、代表作といわれる「ヤキバノカエリ」が、ひっそりと待っていた。

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    長女・萬の骨壺を持つ長男・黄、次女・榧が並んで歩き、少し前を歩く守一のいずれにも顔がない。デフォルメされた道と木々が一緒になって、静逸さだけが流れている。

 村田は書く。
 「単純化できない重大な出来事を、強い力で押さえつけて、単純化してしまったような・・・。だから一見のどかそう な絵だが、画面構成を見ると天と地の配分、三人の等間隔の並び方、緑の木の生え方まで、 何かギリギリのバランスの中に措かれている気がする」

 守一は、字もよく描いた。著書の題名「蒼蠅」もそうだ。

 
展覧会で売れないで残る「蒼蠅」という字は。よく書きます。わたしは蒼蠅は格好がいいって思うんだけれど、普通の人はそうとは思わんのでしょうね。病気のときなんて、床の周りをぶんぶん飛んでくると景気よくて退屈しない。この頃は蒼蠅もいなくて淋しいくらいです。
 ところがこの蒼蠅という字のも、ひどくきついのときつくないのとできるんです。蒼蠅がひどく頑張っているのと、そうでないのとね。


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   香雪美術館にも、装丁されたものが展示されていた。
 「これも売れ残った字か」と、ちょっとおかしくなった。きつい字であったかどうかは、よく分からなかった。

     
前は暑い時期には庭にござを敷いて、腰に下げたスケッチブックに、あたりの草花や蝸牛や蛙や蟻や虫などをスケッチしました。疲れると、そこにごろりと横になって眠ったものです。


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      土門拳撮影。著書「蒼蠅」より



 
縁側の端のフレームは、ここにきてすぐに造ったものです。浜木綿、月下美人、野牡丹は毎年よく咲きます。浜木綿はうちのはあまり大きくないけれども、人に分けたのは立派になっているそうです。ナイヤガラの滝の菊というのは秋に、日本の山で見る野菊よりずっと濃い色に咲きます。
 何時だったかの冬に、このフレームに蜂が巣を作ったときは、砂糖水をやりながら蜂の動きを毎日毎日見て過ごしたことがあります。


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わたしの描く裸婦には顔がないんで、女の人の美人をどう思うかって聞かれたことがあります。顔を描かないのは情が移るからで、そりゃ美しい人は美しいと思う。どういう人が美しいかということになると、人それぞれですから一概にはいえませんね。


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       次の言葉は、鷲田清一が毎日の朝日新聞朝刊の1面で書いている小欄「折々のことば」で見つけた。

 
わたしは、ぬけたような青空は好みません。
 まるでお椀でふたをされた感じで、窮屈です。
 それより少し薄雲リの空がいい。
 そんな日のほうが庭に出ても、気楽に遊べるような気がするのです。人の好みって変なものですね。


 「瑕(きず)一つない均質の生地で覆われているようで息が詰まるから? 遠近法がきかない透明な青の深みに吸い込まれそうで不安になるから? なのに、庭に掘った深い穴の底から見上げる空は「円くぬけて」いるみたいで面白い。「人の好みって変なものですね」と自分でも言っている。「画壇の仙人」といわれた画家の言行録「蒼蠅(あおばえ)」から」(2017年4月4日付け朝日新聞より)

 最近、NHKの「日曜絵画館」で見て、興味を引かれた画家で守一が「友人」と書いている、で、長谷川利行のことが、何回か登場する。

 
長谷川利行は飲んべえで、酔うと同じ話ばかり繰り返しました。
 わたしのとこへ遊びにくると、絵を描くことばかりいっている。お前みたいにぐずぐずしているのは損だっていいやがるんです。
 帰るぞといって出て行く。するとすぐまた戻ってきて、同じ話を繰り返しました。
 それでも。いやな感じはぜんぜんなかった。


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まえに写生に行ったとき、描く風景が見つからないので、仕方なく、畑のわきのひがん花を描いていました。
 横でお百姓さんが、黙って畑を耕していました。
 どこからきたのかわからないが、そのひがん花にかまきりが、大きな鎌を振りながら上がってきた。かまきりも入れてまとめると、そう嫌いじゃない絵ができました。
 するとお百姓さんがそばにきて、絵をのぞき、よくできたねとほめてくれました。


 「行ってきましたよ」。東京・亀戸にあるTさんの墓前に、ウイスキーを献杯しがてら、熊谷守一展のことを報告しようと、心に決めた。

 

2016年10月26日

読書日記「人の樹」(村田喜代子著、潮出版社刊)


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 村田喜代子の新著を書評欄で見つけ、嬉々として読み始めたが「なんだ、これは!?」

  タンブルウイードという砂漠をクルクル回りながら生きるおかしな草や

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タンブルウィード

 ビッグバンで宇宙が始まった140億年前からという想像を越える年月を生き続けているサバンナ・アカシア

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サバンナ・アカシア

 人間と無理やり結婚させられるニームの木。自分の樹皮に男から接吻されて、その快感に眩暈をもよおしたりする・・・。

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ニームの木

 そんな名前も聞いたことがない木々が、人間たちと不思議な交流を繰り返す。
 なんとも"荒唐無稽"すぎて一度は本を放り出したが「これこそ、新しい村田ワールド」と、再度手にして引きずり込まれてしまった。

 
 「あたしは、シマサルスベリ」
 亜熱帯の生まれだけれど、ヨーロッパらしい寒い国の港の公園に植樹された。

 真紅色が美しい樹皮を持ち、春の終わりから秋まで白い小さな花を溢れるほどつけるから、昼食帰りの商社マンたちが、必ず見上げていく。

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シマサルスベリ



 アジア系らしい「冴えない男」が「あたし」に話しかけてきた。どこの国の言葉かはわからなかったけれど、なぜか言うことが理解できた。

 男が唐突に言った。

 「じつはおれ、昔、木だったことがあるんだ」「君と一緒に海を見下ろす丘に立っていたフェニックスだったんだ」


 男が突然、帰国することになった。仕事に失敗したらしい。大きな船のデッキから、あたしに手を振っているのが見えた。

 
 体がふわりと宙に浮いた。あたしは人間の女になっていた。桟橋に向かって走り、叫んでいた。
 「我爱你 我不要你离开我」(愛しているわ、私をおいていかないで)
 二人は中国生まれの恋人同士だった。

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フェニックス

 人間たちが森をめざしてやってきた。5つの担架を担いでいる。

   重い腸炎で死神に怯える男の子、結核で衰弱しきった若い女性、心臓と血行障害で喘いでいる老人、痛風の痛みで泣いている年寄り、働き過ぎで臓器が悲鳴をあげている中年の男。

 山の木が春から夏にかけて発散する大量の フイトンチッドの成分は百以上ある。ある成分は、ジフテリア菌さえ撃ち殺す。・・・森全体が病原菌の燻蒸所だ。・・・針葉樹や広葉樹では、吐き出す成分がみな違う。

 担架の列は、スギ林やマツ、ヒノキの森をゆっくりくぐりぬけ、クスノキの森に向かう。

   
 クスノキの幹は深い菱形の彫りが美しい。どっしりとして枝張りのおおきな大樹なのに、明るい緑色のヒラヒラした葉をつけている。陰気な針葉樹と違って、クスノキは晴れやかな森の巨人だ。


 担架の若い女の頬に血の気が戻ってきた。血行障害の老人が息子にしゃべり出した。「足の痺れがだいぶ治ってきた」。痛風の年寄りも、少し良くなったらしく泣き止んでいた。「お水が飲みたい」。男の子は、父親がせせらぎでくんできた水をごくん、と飲んだ。

 中年の男が苦しみ出した。スギもクスノキモハリエンジュも、コナラも、懸命に自分の精気を男の方に送った。

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クスノキ



 
 死は生の親である。死んだ亭主の顔に朝の荘厳な光が射している。女房の顔にも射しているぞ。
 そうだ、歩いて行け。そして生き続けてゆく者は、森の精気を一杯吸うのだ。


2016年6月21日

読書日記「焼野まで」(村田喜代子著、朝日新聞出版)

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 なぜか、 村田喜代子の本を見つける、読みたくなる。

   このブログの 「村田喜代子アーカイブ」には、5冊を記録してもらっているが、そのほかに流し読みした本を合わせると10冊近くになるだろう。
 この人の、ちょっぴり奇怪、怪奇的で、ユーモアあふれる文章と構成になんとなく引かれてしまう。

 表題の本は、このアーカイブにもある 「光線」という著書が土台になっている。
 4年前に書かれた「光線」は8つの短篇で構成されていた。2011年3月の東北大震災の直後に著者が子宮がんを患い、鹿児島にある 「オンコロジーセンター」(UMSオンコロジークリニックと改名)に通って、四次元ピンポイント放射線照射治療で完治させるという構成は、「焼野まで」でも一緒だった。「光線」での体験が4年経って、この長編小説に昇華されたようだ。

 著者は、自ら罹った子宮がんだけでなく、知り合いが視神経に絡みついて外科手術ができない脳腫瘍や腹部大動脈を呑み込んだ膵臓がんを、この治療法で完治させた。それだけ、著者の四次元ピンポイント放射線照射治療に対する信頼は厚い。

 ガンはいびつな形をした立方構造をしているらしい。生きている臓器は微妙に動くので、従来の二次、三次元照射では、照射する位置がずれ、正常な臓器を痛めたりする。

 そこで、オンコロジの稲積院長(UMEオンコロジークリニックの 植松稔院長がモデル)は、刻々と時間差でガンの部位を追跡する四次元照射法を考案した。
 それも機械任せではなく、稲積院長が東京から連れてきた5人の放射線技師の「精密な手」がガンを逃さず、追いかける。

 主人公が、初診で会った稲積院長は普通の医者とは異なり、ワイシャツにベストだけのラフな格好で「理系の技術者のよう」だった。

 主人公が通っていた病院から持ってきた画像をざっと見ると、院長はあっさりと言った。
 「大丈夫、このガンは消せますよ」・・・「放射線は正確にかけると、(がんは)消えるものなんです」・・・「放射線は粉に似ていますから、粉を降りかけるんだというふうに思ってください」

 しかし、このような新しい治療法は、一般の人や病院にはなかなか受け入れてもらえない。

 オンコロジーセンターで知り合い、銭湯に一緒にいく仲になった乳がんだという三十歳後半らしいの女性は、こんな経験をした、という。

 「主治医に、セカンドオピニオンを受けたいので、画像を出して欲しいと頼むと、紙袋ごとフイルムを床に放られました」
 それで、しゃがんで・・・画像を拾っていると、頭の上で医者の声がした。
 「死に給え・・・」

 著者の女性主治医は、すぐに画像をそろえてくれたが、こう付け加えた。
 「お出でになるのを止めることはできませんが、どうぞ向こうの先生に即答なさらないでください。何も決めないで、とにかくまた帰って来てください。放射線では消えないのです」

 大学病院婦人科病棟勤務の看護婦である娘には、こんな言葉をぶつけられて、母子断絶となった。
 「あのね、子宮体がんに放射線は効きにくいの。絶対効かないと言ってもいい。・・・選択肢はただ一つ。手遅れにならないうちに切る。それにもう躊躇する理由はないでしょ。要らないじゃない、その齢で」

 ただ、毎日、平服のまま10分弱の放射線治療をうけるだけだが、主人公にはつらい体験がつづいた。

 
 五月三日でここへ来て七日経った。 一日二グレイ収線量)づつ振りかけて、総量十四グレイだ。ただしⅩ線は放射線源のない、身体をすり抜けていくだけの光の失だから、体に降り積もっているわけじゃない。毎日はらはらと粉雪が降る。降った雪は一日で溶けて消える。そして明くる日はまた明くる日の粉雪がはらはらと降る。
 そういうことだとわかっているのに、体は少しずつ消耗していく。食欲がなくなるのと、照射直後の下痢で体重が二キログラムほど落ちた。それなのに体が重くなっていく。頭が重い。肩が重い。背中がずっしりと重い。手が重い。足が重い。重くてだるい。身の置き所のない倦怠感に襲われる。寝ても起きても体を持て余す。


 苦しんでいる間に色々な幽霊に会う。夢のなかの出来事の描写は、村田喜代子の真骨頂である。

 
 センターに通うために借りたウイクリーマンションでぼんやりしていると、焼島(モデルは、鹿児島・ 桜島)のとある店先に立っていた。奥から姐さん被りの年寄りが出てきた。なんと「私の祖母である」
 「お帰り、和美。きつかったじゃろ」。三十六年前に亡くなった祖父と、三十年前に亡くなった祖母と三人で竹藪の小屋で夕食のお膳を囲む。「音のでない映画のようだ」


   グレイ量を五まで増やして六日間。やっと、治療が終わる。

 
 竹藪の小道に入ると、祖父母の住む小屋が見えて来た。  「まあ、何事なの?引っ越しみたい」・・・「おうその引っ越しをするとじゃ」・・・「お前の治療ももう終わる頃やから」
 はたちそこそこの娘が出てきて、祖母が抱いた( 水子)の人形を抱き取った。
 そんならわしらは先に去ぬるぞ」。祖母が言う。・・・娘が振り返って、にっこり微笑んだ。
 自分の母だとふっと気付いた。


 

2014年7月28日

読書日記「屋根屋」(村田喜代子著、講談社)



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  この5月の連休にパリとロンドンの街を歩く機会があって、気づいたことがある。「なぜヨーロッパの人達って、こんなに塔が好きなのだろう」

  パリの教会群やエッフエル塔 バスティーユ ヴァンドーム広場の記念塔、 コンコルド広場 オベリスク 凱旋門

  ロンドンでも、 セント・マーティン教会の白い塔や時計台で有名な ビック・ベン ケンジントン・ガーデンズ アルバート記念碑 トラファルガー広場 ネルソン記念柱 ピカデリー・サーカスのエロス像に群がる若者たち。塔の形はそれぞれに違っている・・・。

  旅から帰って、これも老化現象の1つなのだろう。時差ボケが2週間ほども解消できず、明け方まで目がさえて眠れない。

  そんな時に、図書館で借りたのが、この本。なんだか、その時の気分にピッタリ合って一晩で読んでしまった。それからも、なにか手放したくなくて、借入期間の延長、再貸出し、延長を繰り返して、2か月経った今でも、手元にこの本はある。途中で、巻末に載っていた参考資料まで買ってしまった。いつもなら、気に入った本は読んだ後でもAMAZONですぐ買ってしまうのが悪い癖なのだが・・・。

  村田喜代子の作品は、この ブログでもなんどか登場ねがったが、この著書はこれまでのものとは一味違う、なにか飄々とした浮遊感が漂う大人の童話なのだ。

  主人公は、ゴルフ好きの夫と高校生の息子と3人で北九州に住む主婦「私」。

  ある日、雨漏りを直しに来た永瀬という「屋根屋」の男から不思議なことを聞く。

  以前に病気になり、医者に勧められて夢日記をつけるようになってから、自由に自分の見たい夢を見られるようになった、という。

  それを聞いて「私」はとんでもないことを口に出す。「私、屋根の夢がみたいんです」

  「奥さんが、上手に見ることが出来るごとなったら、私がそのうち素晴らしか所へ案内はしましょう」「奥さんがびっくりして溜息ばつくような、すごか屋根のある所です」

  「私」は自宅のベッドで夫と一緒に寝て、永瀬は自分の工務店の布団のなかにいても、同じ夢の場所に連れていける、という。

  ただ、それにはいくつかの手順が必要だ。

 
 1つは、夢を見る「レム睡眠」の直後に目が覚めるように、睡眠時間を調整すること。
 2つ目は、近い場所なら行きたい場所に先に行って体験し、遠いところや現実に行けない場所なら写真やインターネットのデータで想像させ「私」がうまく意識の鎖を解いて夢の場所に到着したら、・・・永瀬は無意識のさらにもっと深い所の、集合的無意識まで降りて行き、・・・「私」の夢に入り込む。


  永瀬は最初にまず、自宅に近い福岡の「真言宗東経寺」を見に行くように言う。

 
 東経寺の大屋根は明るい昼間の外光に背くように、ずっしり重くうずくまっている。ただ軒が反り返っているので、この重量を載せて西方浄土へかどこか、不意にぐらっと飛び立ちそうな感じもする。


   
 ベッドに入って目を瞑ると、昔、プールへ潜ったときの深い呼吸を思い出した。・・・あの薄緑色のゆらゆらした無重力の世界へ潜って行く。・・・下の方に黒いものが見えて来た。・・・昨日、自分で行った東経寺の本堂の大屋根に違いない。・・・私はその屋根に軽く着地した。・・・そしていつもの作業着で遅れて飛んできた永瀬と屋根の上で会う。


 
 「これは私の夢ですか?」・・・「何度も言いますが、これは奥さんの夢です。しかし、同時に私の夢でもあるのですよ」「ということは共同の夢ということ?」「厳密に言うと、違うですたい」・・・「それじゃ、この夢は一つにドッキングした夢なの?」「いや別々です」・・・「それなら、あなたの見る夢と、私の見る夢は少し違うんですか?・・・」「まるきり同じです」


  別々に、同じ夢を見るのにも、すこしずつ慣れてくる。奈良のお寺の屋根も、法隆寺の五重塔も自由自在。

  夢のなかで「私」の夢のことなどなにも知らない夫が金茶の大虎となって吠えかかってきたり、10年前に癌で死んだ屋根屋の女房がオレンジ色の火の玉となって襲ってきたりする"おまけ"までつく。

  いよいよ本番。夢のなかの飛行機でフランスに飛び、いつものように水のなからパリの空港に到着する。

   ノートルダム寺院の鍾塔を登る。

 
 「こんな大きな建物なのに、何でここは狭いのかしら」・・・「大聖堂には屋上はなかでしょうが。屋根の上にあるのはもう神の国だけです。つまり教会は屋根の天辺に登る用事はなかとですよ」


  次は黒い白鳥になって、パリから南西に80キロ離れた シャルトル大聖堂まで。

 
 神の砦でありながら、何て暗鬱な、禍々しい、巨大な建造物。長すぎる歳月にすっかり黒ずんだ石造りは、もう現代に使い途がないほどでか過ぎて、天から堕ちて来た地獄の砦のように見える。そこから磁力がじんじんと発せられる。


  永瀬が告白する。「私と一緒にここに残りませんか。もしよかったら二人で残って、ここでずっと暮らさんですか」

 今度は黒鳥になるのをやめて、列車でハムとビールを楽しみながら アミアン大聖堂に行く。

 
 私たちは大きな石の建造物の屋根にいる。見渡す限り堅固な石の城砦のようだ。人間は自分の身体だけでは物足らず、こんな途轍もない建物まで造った。高く大きく堅固に造れば造るほど、建物には執着がこびりついてくるのではないか。執着が増大するのではないか。


  帰りは、成層圏まで登り、ヒラヤマの峰々をのぞく。

 
 「永瀬さん。ここに瓦、葺きたくない?」・・・「こうなるともう、自然にまかせるしかなかですなあ」・・・「手も足も出まっせん」


  ▽著者が巻末に載せている参考資料のなかで、買った本
  ※「ゴシックとはなにか 大聖堂の精神史」( 酒井健著、ちくま学芸文庫)
ゴシックとは何か―大聖堂の精神史 (ちくま学芸文庫)
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  ※「塔とは何か」(林章著、ウエッジ選書)
塔とは何か―建てる、見る、昇る (ウェッジ選書)
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  ▽ (付記)
聖五月外つ国の塔天拓く


     聖五月というのは、カトリックでは「マリア月」とも言うが、ちゃんと歳時記にも採用されている季語である。

  この4月、 「聖書と俳句の会」を知り、72歳で初めて俳句の世界をのぞく機会に恵まれた。上記の句は、パリ、ロンドンから帰った直後の句会に出して見事に落選、講師の酒井湧水師の添削を受けたものだ。

  添削のおかげでゴツゴツした散文的文章が、韻をふくんだリズム感のある句に生まれ変わった。

  「天拓く」は自分の最初の句のままだが「天めざす」と言う方が気分に合っているような気もする。しかし、平凡すぎるか。難しい・・・。

写真集:パリ・ロンドンの塔
パリ・バスティーユ広場の記念塔;クリックすると大きな写真になります。 パリ・ヴァンドール広場の記念塔;クリックすると大きな写真になります。 パリ・サンジェルマン・デ・フレ教会;クリックすると大きな写真になります。 パリ・凱旋門;クリックすると大きな写真になります。
パリ・バスティーユ広場の記念塔 パリ・ヴァンドール広場の記念塔 パリ・サンジェルマン・デ・フレ教会 パリ・凱旋門
パリの教会(名称不明);クリックすると大きな写真になります。 パリの教会(名称不明);クリックすると大きな写真になります。 パリ・オランジェリー美術館の塔;クリックすると大きな写真になります。 パリ・景観地区の谷間のゴシック教会;クリックすると大きな写真になります。
パリの教会(名称不明) パリの教会(名称不明) パリ・オランジェリー美術館の塔 パリ・景観地区の谷間のゴシック教会
パリ・ノートルダム寺院(鐘塔とゴシック塔);クリックすると大きな写真になります。 パリ・コンコルド広場のオベリスク(遠くに見えるのはエッフェル塔);クリックすると大きな写真になります。 ロンドン・アルバート記念碑;クリックすると大きな写真になります。 ロンドンのビック・ベン;クリックすると大きな写真になります。
パリ・ノートルダム寺院(鐘塔とゴシック塔) パリ・コンコルド広場のオベリスク(遠くに見えるのはエッフェル塔) ロンドン・アルバート記念碑 ロンドンのビック・ベン
ロンドン・ネルソン記念柱;クリックすると大きな写真になります。 ロンドン・トラファルガー広場のライオン像の向こうにセント・マーティン教会;クリックすると大きな写真になります。 ロンドンの教会午前10時(塔の下でホームレスの人達が熟睡中);クリックすると大きな写真になります。 ロンドン・ピカデリーサーカスのエロス像;クリックすると大きな写真になります。
ロンドン・ネルソン記念柱 ロンドン・トラファルガー広場のライオン像の向こうにセント・マーティン教会 ロンドンの教会午前10時(塔の下でホームレスの人達が熟睡中) ロンドン・ピカデリーサーカスのエロス像


2013年2月20日

読書日記「偏愛ムラタ美術館 〚発掘篇〙」(村田喜代子著、平凡社)


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    前著  「偏愛ムラタ美術館」のことをこのブログに書いたのは、もう3年前になる。

 著者は最近、熱い気持ちで絵画を鑑賞する気持ちがなくなってきた、という。「そこへ編集部から『もう一度やりませんか』と声がかかった。『うれしい。また好きな絵にたっぷり浸ってみよう』と、この本が誕生することになった」

 1970年代のイギリス。アルフレッド・ウオリスという船乗り上がりの老人が「老妻に死なれた70歳過ぎになって、誰に習うともなく翻然と海と船の絵を描き始めた」
 その家の前を通りかかった2人の画家が、家のなかの壁という壁に、船用のペンキで船や海を描いた板切れや厚紙の切れ端やらが釘で打ち付けられているのを見つけた。

「青い船」(1934年頃、 テート・ギャラリー蔵)は「たぶんウオリスの書いた船のなかで一番美しい絵」と著者は言う。たまに、展覧会などに貸し出されると黒山の人らしい。

 しかし多くの絵は船や灯台、建物がみんな勝手な方向を向いている。ウオリスは、1つを書き終えると紙を回して次の端を手前にして描くため「画面には天地が何通りもできる」ようだ。

 著者は山下清の文章を思い出す。

 
山下清の文章は超現在進行形だ。今、今、今というふうに現在が連なっている。出来事を時間の経緯の中で書くことができないのだ。山下清もぐるぐると紙を回しているのである。


 例えば、こんな文章。
 「犬が二匹あとからついて来てしばらくたってから犬が向こうへ行ってしまつた」

 
天地無用のウォリスの絵にも、その時間軸が抜け落ちている。絵をぐるりと回して今描いている部分が、唯一の真正面、現在というわけだ。そうやって眺めると、ウォリスの絵には過去がない。思い出がすべてといえる海の絵なのに、昔がない。天地無用のペンキの絵には、犬やおじさんのことを書いていた山下清の文章みたいに、現在だけが強烈にあり、そして過去がないのだから未来もない。その無時間性がペンキのくすんだ玩具箱に漂っている。


   細密画家の瀬戸照の絵を見て「よくこんなにそっくり描いたなあ、とシロウトはまずそこから感心する」と、著者は切り出す。

  「石」2008年)は「下書きを始めて五年ほどかかったという。・・・本物そっくりだ。いや、本物の石より、石らしい。・・・わざわざ絵に描くのだから、狙いは本物そっくりではなく、それを越えたものだろう」

    
絵を細かく措くときは、点描が適していると彼はいう。細かい点を重ねると、複雑な色の効果が出るらしい。
  面相筆を二本使って、細い筆で点を置き中細で面を塗る。葉などを措くときは葉脈で囲まれたところを1ブロックとして、その中を丹念に描くようにする。葉の起伏がはつきりしてくるころから、いよいよ点で塗り始める。
 ・・・いったいこれらの絵は、どのくらいの移しい点が打たれたのだろうと思わずにはいられない。こんな根気のいる細密画は、絵描きの精神世界を覗くようである。


 先月初め、東京が大雪に見舞われた前日に東京・竹橋の 東京国立近代美術館 開館60周年記念特別展「美術にぶるっ!」を見に出かけた。閉展前日とあって、かなりの人で混んでいたが、人の間に見えた絵画に見覚えがある。

 この本で見た、日本画家・横山操の代表作、「塔」(1957年、東京国立近代美術館蔵)だった。東京谷中の五重塔が無理真鍮の男女によって放火、炎上した事件を題材にしたものだ。

  
壊れてはいない。五重塔の外皮を剥ぎ取って、建物の稲妻のようなスピリチュアルだけが立っている。むしろ焼けて不動の中身が、今こそ露わになった。そんな感じだ。このふてぶてしい骨組み。塔は気合いで立っていて、グラリとも揺れていない。まるで、世の中のことはこのようにあらねばと言っているようだ。
 無惨さも痛ましさもない。人間世界の感傷とは無関係に、ただもう大地に食い割って土台を下ろした、五重塔のダイナミズムが立ちはだかっている。
 弁慶の立ち往生だ。


 著者は、映画監督黒澤明の絵コンテが好きだ。  ところが、著者の芥川賞受賞作「鍋の中」を原作に1991年に公開された 「八月の狂詩曲」の1場面 「『八月の狂詩曲』ピカの日」には驚いた。長崎原爆の日、最初はなにもない青空に、突然、閃光が走り、大目玉がすこしずつせり出してくる。

  
この目玉のまん丸い中心の凄いこと。細かな縦線をびっしりと措き込んで、ぼうぼうと生えた睦毛といい、見る者をギョツと驚かせる。添え書きの文句といい、黒澤がいかにこの場面に執着したかがうかがわれる。
 しかし原作の『鍋の中』には、原爆の話は一度も出てこないのである。田舎の祖母の薄れかかった記憶の底に原爆の巨大な影を染め付けたのは、黒揮監督の勝手な脚色だった。
 年寄りの不確かな記憶の他にこそ恐ろしさと面白さを込めて書いたのに、映画ではピカの大目玉が炸裂して謎解きをしてしまったというわけだ。


 著者がシナリオを読んだときには、撮影はもう進んできた。「会いたい」という黒澤監督の要請を、著者は「ずうーっと」拒否した。

 しかし映画を見た感想を、著者は雑誌にこう書いた。
 「ラストで許そう黒澤明・・・。」

鍋の中
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 著者は「長い間、熊谷守一という長寿の画家の絵には、とんと関心が湧かなかった」

 それが数年前に 「ヤキバノカエリ」(1948-56年、岐阜県美術館蔵)という絵を見て衝撃を受けた。

  
この絵には・・・人焼きのすんだ後のからんとした情景が頼りないほど単純化してしまっている。遺骨の入った白い箱を抱えた顔のない家族が、何だかさっぱりしたような、脱力したような、ふわふわした足取りで帰路を歩いてくる。
 あんまり妙な絵なのでじっと見ていると、息が詰まってくる。単純化できない重大な出来事を、強い力で押さえつけて、単純化してしまったような......。だから一見のどかそう な絵だが、画面構成を見ると天と地の配分、三人の等間隔の並び方、緑の木の生え方まで、 何かギリギリのバランスの中に措かれている気がする。

  「白猫」(1959年、豊島区立熊谷守一美術館蔵)の「輪郭線は命の形のぎりぎりをなぞっているように思う」

  
命という、形として単純化できないものを、両腕に力をこめてなでたり、転がしたりしながら、まるめ直したような感じ。熊谷の猫はふわふわしてなくて、頭骨の硬さが見る者の手にごつごつと触れる。


 「まずは、この不敵な老婆の群像を見てほしい」と著者は切り出す。

 2005年に死去した画家貝原浩が描いた、26年前の チェルノブイリ原発事故の風下の村々の住んでいた「ベラルーシの婆さまたち」(2003年、貝原浩の仕事の会蔵)の「風貌のいかついこと。・・・猛々しく、頑固でギョロ眼をむいた、屈強な老婆が・・・ずらり十三人」

  
村々には立ち入り禁止の放射能マークが立つ。その村には「サマショーロ」と呼ばれる人々が暮らしている。行政の立ち退き指示に従わず戻ってきた「わがままな人」という意味だ。老婆たちの面構えには、その「サマショーロ」の真骨頂が現れている。


 著書の後半部で 「松本竣介」が登場したのには、ちょっとびっくりした。

 実は、横山操の項で書いた「美術にぶるっ!展」を見に東京まで出かけたのは、昨年秋に松江市で開催された「生誕100年 松本竣介」で見ることができなかった竣介の遺作「建物」(1948年、東京国立近代美術館蔵)をどうしても見たくなったためだった。 

 近代美術館のすごいコレクションに圧倒され、同行した友人Mに注意されなければ、この絵をもう少しで見落とすところだった。だが、この絵の前に立った人たちは皆、この絵が竣介の遺作であり、現在「生誕100年展」が巡回している東京・ 世田谷美術館では見られないことを話題にしていた。

 著者は、ふと両手で耳をふさぎ、また離してみて、竣介が13歳で聴力を失うまでは音の世界を知っていたことに気付く。

  
そうか。そうだったのか。そのようにして見ると、遺作となった『建物』は、なぜかそれまでの絵と違って空気の止まった感がない。それどころか何か音楽が湧き出ているような自然さで、白い建物は闇に咲き出た白薔薇みたいに美しい。
 ステンドグラスの丸い窓がついたこの建物は、大聖堂のようである。白い壁は柔らかで中にいる者を包み込むように優しい。外は夜の闇がたちこめて、建物の内部は明かりが灯って人影らしきものが透けて見える。賛美歌が漏れ出してきそうな気配である。
 どうしてこの絵には閉塞感がないのか。世界は今宵ふっと息を吹き返したようである。
 安息の安らぎのようなものがある。短い人生の最後に奇蹟みたいに松本竣介がこの美しい 夜の聖堂の絵に辿り着いたと思うと、私は嬉しい。


2012年9月13日

読書日記「光線」(村田喜代子著、文藝春秋刊)、「原発禍を生きる」(佐々木孝著、論創造社刊)



光線
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原発禍を生きる
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佐々木 孝
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 福島第一原発にからんだ本を続けて読んだ。

 「光線」の 著者の本について、このブログで書くのは、 「あなたと共に逝きましょう」 「偏愛ムラタ美術館」以来、3回目。

 「あなたと共に逝きましょう」は夫が大動脈瘤に患うことがテーマだったが、今度は、妻(著者)が子宮体ガンになってしまう。
 しかも、その病魔は、奇妙なタイミングでやってきた。「あとがき」にこうある。

 
二〇一一年の三月がきて、突然、東日本の大地が揺れた。いや、海が揺れた。海を持ち上げて海底の地殻が揺れた。そしてじつはその一ケ月前くらいから私の身体にも変動が起きていて、地震の数日後にガンの疑いが現われたのだった。


 著書に収められているのは8つの短編集だが、このうち「光線」「原子海岸」は、ガンになった妻を見守る夫・秋山の立場で書かれている。

 
思えば治療前に撮ったPET画像のガンは、妻の下腹部で鶏卵大のオレンジ色の炎のようにあかあかと燃えていた。・・・
 それが、鹿児島で行われていることを知った治療法でガンは消えてしまった・・・。(原子海岸)


 
放射線治療で妻の子宮体ガンが消えたとき、秋山は焚き火の燃えた後の灰を見るような気がした。日曜祭日なし連続三十日間の四次元ピンポイント照射で、ガンの焚き火は鎮火したのだ。(同)


 
自分の妻が乳ガンや子宮ガンに罷ったら、男はどういう気持ちになるだろうかと秋山は思う。病気の軽重ではない、臓器の部位だ。妻の乳房や子宮は結婚以来長い年月かけて付き合ってきたもので、肺や胃や腸などとはまた違う。妻が病院で検査を受けるのも無惨な思いがする。(光線)


 この治療法でガンを克服した患者たちの"同窓旅行"の席上、秋山の妻は院長に思わず聞いてしまった。

「あのう、私たちがかけられる放射能って、原発で出来るのですか」。・・・周囲の人々もにわかに静かになって院長を見る。(原子海岸)


 日々、東北の人々を苦しめている原発への恐怖と放射能に助けられたという思いがないまぜになって、思わず出てきた素朴な質問だった。

私のガンが見つかったのは三・一一の明くる日でした。もう日本中がどんどん放射能に震えののし上がっていった頃です。大きな鬼が暴れまくつているときに、日本中がその鬼を憎んで罵って 石投げてるときに、車一台買えるくらいのお金を持って、その鬼の毒を貰いに行ったようで、何とも言えない気分だったの。(同)


放射線治療をして助かった者だけじゃありませんよ。この時期はきっと、手術で助かった人も、抗ガン剤で助かった人も、ガンとは別の病気で命を取り戻した人も、事故で命拾いした人も、子どもが就職できた人もです。大学受かった人も、何か良いことがあった人、幸福を得た人はみんな今度のことではそんな気持ちじゃないでしょうか。良かったって言えない。叫べない。みんな、どこかで苦しいんじゃないですか。(同)


私ね、治療から帰ると途中から放射線宿酔が始まるので、帰り着くとベッドに倒れ込むの。それで毎日毎日見たくないのにやっぱりテレビを見てしまうの。ほら、もうすぐ煙が出る。私は布団をずり上げて眼を覆うの。あそこから出る見えない光線と、今自分の下腹にかけられてるものが、混ざり合ってしまう。あっちのと、こつちのとは、同じじゃないのに、なぜか同じになってしまうの。(同)


   「あとがき」は、こんな言葉で結ばれている。

 
その頃、鹿児島の桜島は年間の観測史上最高となる爆発回数を記録し、私が滞在中の四月と五月の噴火は百六十人回を数えた。市内には黒い灰が臭気を伴って降り積んでいた。地球の深部は放射性元素の崩壊が行なわれている。核分裂の火が燃えているのだ。人間世界の動きから眼を空に移すと、太陽は核融合する巨大な裸の原子炉だ。そして地上では人間の手で造られた福島原発の炉に一大事が起こつている。
 私が鹿児島の火山灰の舞う町で日々めぐらせた思いは、これもまた一つの3・11に続く体験というしかない。原発への恐怖と、放射線治療の恩恵と、太陽を燃やし地球を鳴動させる巨き世界への驚異である。


 「原発禍を生きる」は、 「フクシマを歩いて ディアスポラの眼から」( 徐京植著、毎日新聞刊)を読んで、知った。

  著者・佐々木孝は、福島第一原発から約25キロ、屋内非難地域に指定されている南相馬市で「私は放射能から逃げない」と、認知症(元・高校教師)の妻と暮らす反骨のスペイン思想研究家。永年、 ブログ「モノディアロゴス」を書き続けてきたが、大震災後1日に5000件ものアクセスが集中、単行本化された。

 著者は、緊急避難地域、屋内非難地域といった政府の方針に翻弄され、発表される放射線測定に不信感を強めた住民の多くが「避難民化」している状況について「三月十九日午後十一時半」付けブログで、こう書く。

 
だれも言わないのではっきり言おう。いま各地の避難所にいる避難民(!)のうち、おそらく一割は、例えば南相馬市からの避難者のように、家屋も損壊せず電気や水道も通っている我が家を見捨てて過酷な避難所生活に入っているのである。もっとはっきり言えば無用な避難生活を選んでしまった人たちなのだ。・・・私の知っている或る人は、この無用の生活を選んでしまった。高齢で病身であるにも拘らず、そして家屋損壊もなく、電気・水道が通っている我が家を離れ、たとえば30キロ圏外をわずか逸れた町の体育館で不便きわまりない避難生活をしている。・・・その人が避難生活を送っている場所は、この南相馬市より放射線の測定値が六倍もある場所なのに。


  一方で、国家命令に毅然として立ち向かった「東北のばっぱさん(4月十二日付け)」のことが忘れられない。

 
時おりあのおばあさんの姿が目の前にちらつく。双葉町だったか、10キロ圏内ながら迎えに行った役場の人に向かって避難することを丁重に断って家の中に消えたあのおばあさんである。・・・「私は自分の意志でここに留まります」といった意味の老婆の言葉に、困惑した迎え人がつぶやく、「そういう問題じゃないんだけどなー」
いやいや、そういう問題なんですよ。君の受けた教育、君のこれまでの経験からは、おばあちゃんの言葉は理解できるはずもない。ここには、個人と国家の究極の、ぎりぎりの関係、換言すれば、個人の自由に国家はどこまで干渉できるか、という究極の問題が露出している。


 「人類を破滅の危険に晒されることになった」原子力を「早急に封印する方向に叡智を結集すべきではなかろうか」と書く一方で、被災地に住んでいると、こんな発言にも違和感を持つ。

 このブログでも書いた 小出裕章・京大原子炉実験所助教は、5月の参議院員会で「もし現在の日本の法律を厳密に適用するなら、福島県全体と言ってもいい広大な土地を放棄しなければならない。それを避けようとすれば住民の被曝限度を引き上げなければならない...これから住民たちはふるさとを奪われ、生活が崩壊していくことになるはずだと私は思っています」と述べ。その 動画がWEB上でおおきな話題を読んだ。

 これに対しても著者は「被災者目線 五月二十六日」という一文で、ズバリ被災地住民の怒りを率直にぶつける。

「ふざけんな、と言いたいね。代議士先生たちを前に滔々と歯切れよく演説をぶったつもりだろうが、てめえは被災者が今どんな気持ちで毎日を送っているのか少しでも考えたことがあるのか聞きたいね。てめえが全滅と抜かしおった福島県で、こうして元気に生きているし、これからだって生き抜いてみせるぜ。ただちに健康に被害はない、と言われる放射線の中で、ちょうど酷暑や極寒、旱魃や洪水にも耐え抜いてきた先祖たちに負けないくらいしたたかに生き抜いてやらーな」


 怒りをぶつけながらも、被災地で認知症の妻を抱える現状をユーモラスにさえ描く「或る終末論 四月十一日付け」という一文に、読む人は釘づけになる。

妻は言葉で意志表示ができません。ですから便器に坐らせても、それが大なのか小なのか、分からないのです。空しく十分くらい待って、結局何も出ないことだってあります。だから耳を澄ませて、あっ今は小の音だ、あっ今度のは大が水に落ちる音だ、と判断しなければなりません。そのときの喜び、分かります?・・・私にとって、一日のうちの大仕事がそのとき無事完了するのであります。・・・ 先日も便所の中に一緒に居るときに揺れが始まりました。一瞬、ここで死ぬのはイヤだ、と思いましたが、でもここで終末を迎えるのは時宜にかなったことかな、とも思ったのであります。地震よ、大地の揺れよ、汝など我ら夫婦の終末に較ぶれば、なんぞ怖るるに足らん!


 地元紙「福島民報」の9月11付け 記事に掲載された夫婦の相寄る写真がいい。 本の帯び封に載った愛する孫との3ショットもいい写真だが、被災地での壮絶な生活ぶりを浮かび上がらせる。

 

2010年1月16日

読書日記「偏愛ムラタ美術館」(村田喜代子著、平凡社刊)

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  このブログにも書いたことがある芥川賞作家の村田喜代子が、小説を書く時の「栄養剤」として"偏愛"している絵画の数々を独断と偏見で書き綴った、なんとも凄みのある本である。

「大道あや」という画家を、この本で初めて知った。「しかけ花火」という絵について書くなかで、聞き取り「へくそ花も花盛り」という本に書かれた大道あやの言葉を引用している。あやの夫は経営していた花火工場が爆発して死ぬ。

 主人は焼け焦げとりました。でも誰も主人を運び出してくれようとせんのです。(中略)じゃから、私が主人の頭を抱くように抱え、弟が布を添えて足のほうを持って、運び出した。そしたら、主人の頭がパカッと割れて、脳味噌がドロッと落ちました。倉庫にあった茶箱に白い布を敷いて、主人を入れ、脳味噌も、こんなところに一滴でもおいていけんと思うて、みんな手ですくうて、紙につつんで、シーツにつつんで茶箱に入れて、家に帰りました。


 その事故の2年後に「しかけ花火」は描かれた。さく裂し、崩れ落ちる花火の間を魚が泳いでいる・・・。すべてのものでカンバスを埋めつくさずにはおられない「巨大な空間に対する圧倒的な畏怖の念」を著者は感じる。

 村山槐多「尿する裸僧」について著者はこう書く。

 これは彼のもう一つの自画像だろう。彼が死んだあばら家の壁は落書きだらけで、その中に男が放尿する絵も幾つもあったらしい。槐多の絵の放尿はまるで「爆発」だ。思いっきりの射精であり、エネルギーの放出であり、それから何だろう。まるで滝だ。人体のなかに滝を落下させている。


 この絵は信州上田市の「信濃デッサン館」にある。昨年、近くの「無言館」を訪ねた時に、時間がなくて行きそびれたのが、なんとも残念だ。

   著者は、大分県湯布院町の老人ホームに隣接している「東勝吉常設館」を訪ね「由布岳の春」など、デフォルメされた独特の絵を飽きずに眺める。
 東勝吉は長年木こりを生業としてきたが、老人ホームに入ってから院長に勧められて83歳で初めて絵筆を握り、99歳で死ぬまで絵を描き続けた。

 人間というのは、つくづくびっくり箱だと思う。何十年も生きているうちに、ある日ひょいと、とんでもないものが飛び出してきたりする。

 19世紀から20世紀にかけて素朴派と呼ばれる画家たちがいた、という。普通の生活をしていた人たちが、70歳を過ぎてから絵筆を握っている。

 そうか、年を取るというのは、身軽に自在になるということだったのか・・・。


 私でも遅くないかなと、思ってみたりする。

 まだまだある。著者はロバート・ジョン・ソーントンの奇怪なボタニカル・アートに引き込まれ、このブログにも書いた河鍋暁斎の想像力に「負けないでいこう」と、わが身を奮い立たせる。

 数々の「受胎告知」の作品のうち、私も何年か前のイタリア巡礼で見たフイレンツエ・サン・マルコ修道院にあるフラ・アンジェリコの壁画について、こう書く。

 微光に包まれたような柔らかさが好きだ。・・・

絵は完全飽和なのだ。アンジェリコの「受胎告知」は受諾と祝福で飽和して、一点の矛盾も不足もない。満杯である。


▽参照
    平凡社のこの本の紹介WEBページ

▽その他、最近流し読みをした本
  • 「林住期を愉しむ 水のように風のように」(桐島洋子著、海竜社刊)
     「林住期」 といえば、2007年に発刊された五木寛之 の著書 がベストセラーになったが、なんとこの本は1998年の刊である。 図書館の返却棚に並んでいるのを見つけて、思わず借りてしまった。この著者 のエッセイは、その明るさが好きでいくつか読んだが、相変わらず生活力と活動力にあふれたタッチがいい。ほかにも「林住期が始まる」「林住期ノート」という著書もあるようだ。

  • ・「バブルの興亡 日本は破滅の未来を変えられるか」(徳川家広著、講談社刊)
     著者 は徳川将軍家直系19代目にあたるエコノミスト。
     エコノミストの経済予測ほどいいかげんなものはないと読まないことにしているだが、結構評判がよかったので、昨年10月の発刊直後に図書館に予約を入れて、先日借りることができた。
    昨年9月の政権交代直後に書かれたが「史上最大の予算出動」など、けっこう当たっている。「バブルが発生するのは、だいたい危機の二年後」「その規模は空前の巨大規模」「そのバブルも崩壊して廃墟経済がやって来る」「バブル期には金の価格が下がる」・・・。小気味のよい予想は続く。マー、まゆつばで流し読みも一興。

  • ・「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」(池澤夏樹著、小学館刊)
     フランスなどに長く住み、聖書の知識なしにはヨーロッパ社会を理解できないことを知った著者 が、父の母方の従弟である聖書学者の碩学、秋吉輝雄 に、自らの深い教養から出てきた疑問を投げかける稀有の本。
    聖書についてより、ユダヤとユダヤ人について多くのページがさかれるが、国境を持たない国に生きてきたユダヤ人への理解がなかなか進まない。聖書とユダヤについて、なにも知らなかった自分に気づかされる。



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3 団塊世代向け
4 平易さを侮ってはいけない
5 人生観が変わるかもしれません。
5 人生設計を考えるにあたり非常に参考になる考え方
3 備えよ常に。

ぼくたちが聖書について知りたかったこと
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おすすめ度の平均: 5.0
5 『聖書』をひもとき歴史にひらく


2009年5月 5日

読書日記「あなたと共に逝きましょう」(村田喜代子著、朝日新聞出版刊)



あなたと共に逝きましょう
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朝日新聞出版
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おすすめ度の平均: 4.5
5 一心同体の軌跡
4 たしかに傑作だが好き嫌いは分かれるだろう
5  間違いなくこの小説は、これからの高齢化社会を考える上での必読書となるだろう

福岡県在住の芥川賞作家である著者が、著者夫婦に実際に起こったことを下敷きに5年をかけて完成させたという。60歳代前半の夫婦に突然襲いかかった死の恐怖。それに立ち向かう姿が、ある種のユーモアを含みながら切々、淡々と綴られていく。

 
巷には戦後生まれの新老人が歩いている。ジーンズのパンツに、ナイキのスキーカーを履いた男や、カーリーヘアの女の、新しい、歳取ることに不器用な老人たちが歩いている。


64歳の夫は機械の設備設計事務所を経営し、62歳の「私」は大学の教員。久しぶりに夫婦で東北へ温泉旅行に出かけても、口げんかが絶えない。「歳取ることに不器用な」夫婦である。

夫の声がある日突然出なくなり、検査で大動脈瘤が発見される。いつ破裂してもおかしくない。20人に1人が命を落とす手術をしないと死ぬしかない。そんな恐怖に直面した2人は、寄り添うように生きようともがく。

義雄の使うお湯の音が響いてくる。とりあえずその音のする間は、彼の命がつながっている証拠だ。
「いいですか奥さん。ご主人は破裂物ですよ」・・・医師は念を押した。
お湯の音がやんだ。
私の耳は青ざめた。
浴室まで縛られたように歩いていって・・・湯気が漏れてきて、その向こうに彼の背中が見えた。
久しぶりに自分の夫の裸の後ろ姿を眺めていると、懐かしいものを見ているような気持になる。
手を伸ばしてその背中に触れてみたくなる。


結婚以来10数年食事を作り続け、夫の肉体は自分が作ったのだと思う。

手術を恐れる夫は、民間食事療法に頼る。玄米に替え「食事は絶対100回噛め」という勧めを忠実に守り、妻に付き添われて信州にある岩盤浴の温泉に出かける。妻は「よく効く」と言われて鯉こくを煮る。
他人から見ると滑稽にも見える必死の試み。しかし、もちろん大動脈瘤は縮まらない。

手術は成功した。しかし、妻の心に思いもよらない心情が湧きおこる。

生きてますけど、負けたのよ。私たち。

これで義雄の自然は刈り倒された。もう元の義雄の手つかずの体はない。・・・わけのわからない怒りが後から後から突き上げてくる。

心配する友人にこうメールする。
医学のおかげで命を助けられたわけですが、私は自分の亭主のその秘部に人の手が入った事実に打ちのめされているのです。


夫が治って置いてけぼりになったような気持になった妻は「私は死にます」と叫ぶ・・・。周りの人は、うつ病ではと心配する。

ストーリーの合い間に、妻がおかしな夢を見るシーンが何度も挿入されている。女郎になった「私」が、男に何度も身請けを迫られる・・・。
無意識下の[生」へのあがきだったのだろうか。

「共に逝きましょう」は、「共に生きましょう」という思いへのかけ言葉だと分かる。

  それにしても、夫婦の身体的一体感を、ここまで書きつくすことができるとは。