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2014年7月20日

パリ・ロンドン紀行⑤・終「パリの景観」2014年4月26日―5月1日



パリに出かける前に読んだ「フランスの景観を読む 保存と規制の現代都市計画」(和田幸信著、鹿島出版会)という本の序文に、ちょっとびっくりするような記述があった。

フランスの「建築に関する法律」第1条にはこう書いてある、という。

フランスの景観を読む―保存と規制の現代都市計画
和田 幸信
鹿島出版会
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 「建築は文化の表現である。建築の創造、建築の室、これらを環境に調和させること、自然景観や都市景観あるいは文化遺産の尊重、これらは公器である」

 これに対し、日本の建築基準法第2条では建築物を「土地に定着する工作物のうち、屋根及び柱若しくは壁を有するもの・・・」と、なんとも素っ気ない記述しかない。

 日本の法律には、建築や景観と公益あるいは公共性についてはまったく規定されていない。要するに建築は私権に属することであり、個人の好きなように建てられることになっている。この結果、日本中どこの街に行っても、高い建物や低い建物、陸屋根のビルや切妻の建物、灰色の日本瓦の住宅や。青やオレンジ色のスペイン瓦の住宅、さらにはケバケバしいゲームセンターやパチンコ屋などが、おもちゃ箱をひっくり返したように溢れることになる。


 フランスの景観は決して何もせずにきたわけではなく、フランスの文化と伝統を反映した街並みを公益として保存しょうとする国や自治体の意思と、これらを公共の財産として受け継ごうとする市民の意識により支えられて、現在の姿を留めているのである。


 「華のパリ」の別名がある通り、パリは厳しい景観保全政策で、その"美観"を維持している。そのきっかけになったのが、ドゴール政権下で文化相だった アンドレ・マルローによって作られた マルロー法(1962年8月4日法)らしい。

 この法律によって、パリでは第1号の歴史的建築保存地区となった マレ地区にぜひ行ってみたいと思った。旅に同行してくれたパリ通のYさん夫妻に案内してもらった。

 マレ地区は、オペラ座近くのホテルからも歩いて行けるセーヌ河右岸のパリ3区と4区一帯。途中、若い日本人女性にも人気という「ラデュレ」で、この店の名物であるフレンチトーストの朝食を楽しみ、マレ地区に入ったのは、午前10時半過ぎ。

 緑の並木に囲まれた小さな路地があるかと思ったら、両側に自動車をびっしり止めた小路がある・・・。意外に狭い石畳の道路の両側に同じ高さでそろった石造りの古い建物が続く。なんだか狭苦しい雰囲気で「ここが、パリの誇る景観地区なのか」と、意外な感じがする。素人目には、周辺の街区との違いが見つけられない。

 マレ地区は17世紀には優美な貴族の館が並ぶ街だった。それが18世紀になると、貴族に替って手工業者や低所得層が住む街になり、建物の崩壊を防ぐために道路の上に木材の梁を渡すという荒廃した街になっていった、という。

 長くユダヤ人の住む場所でもあった。このブログでもふれた「サラの鍵」の舞台にもなった「ゲットー」(ユダヤ人強制居住地域)も作られ、建物の内部を監視するための広場が強制的に作られたという。その後ユダヤ人は強制移送され、一時マレ地区から姿を消した悲しい歴史も刻んでいる。

 この法律による保全地区では、 フランス建築物建築家(ABF)という専門官が建造物の新築や改変を厳しく管理している。

そのせいか、多くの貴族の館が、パリ市などに買収され、博物館や美術館になっている。

 カルナヴァル博物館は、17世紀のセヴィニュエ侯爵夫人邸だったし、かつて塩税請負人が住んだサレ(塩)館は、国立のピカソ美術館になっている。

 建築家の ル・コルビッジェの業績などを紹介している スイス文化センターのある行き止まりの小路は、落書きばかりが目立つ場所だったが・・・。

 マレ地区の東端にある ヴオージュ広場と周辺の館は「パリを世界で最も美しい都にしたい」と、16世紀の王、 アンリ4世が作らせたという。

 正方形の公園を囲んで建てられた、オレンジとベージュのレンガや黒い屋根のファサード(建物正面のデザイン)で統一された36の館は、 ブルボン王朝初代の王が目指したパリで最古の建築景観を現在に残し、ほれぼれと見とれてしまう。

   ただ、マレ地区全体は「貴族館の保存」という最初の目的からちょっぴりはずれ、観光客に人気の街になったようだ。

 各通りの1階には、瀟洒な店やギャラリー、カフェ、日本でも有名な紅茶専門店の マリアージュ・フレールなどが軒を並べ、ユダヤ料理などのレストランも多い。

 昼食は、ユダヤ人学校前広場近くのユダヤ料理店屋外テーブルで陽光を浴びながら取った。なすびのパテや ファラフエルと呼ばれるひよこ豆のコロッケなど野菜料理ばかり。パリ滞在中に連れて行ってもらった レバノン料理に似てスパイスがきつくない野菜料理がワインに合う。考えてみると、イスラエルとレバノンは、紛争の地の隣国同士だ。

 ヴォージュ広場から歩いてすぐの バスティーユ広場から、69番のバスに乗り、パリ最古の橋・「ボン・ヌフ」で降りる.。

ボン・ヌフから見渡せるのが、世界遺産の 「パリ・セーヌ河岸」。ルーブル美術館、 ノートルダム寺院 オルセー美術館、さらには エッフェル塔まで約8キロに及ぶパリ最大の景観地区である。

 この地区は、マルロー法に先立つ19世紀に ナポレオン3世の指示で、セーヌ県知事だったジョルジュ・オスマンが断行した「パリ大改造」の一環として実現した。

 ノートルダム寺院のあるシテ島は、大改造まで貧民窟だった、という。

 セーヌ河をのぞき込むと、右岸のトンネルから出て、すぐにまたトンネルに消える自動車専用道路が少し見える。大阪や東京の河の景観を無視して縦横に走る高速道路に比べ、なんと風格のある都市設計だろう。

 ボン・ヌフを渡りきると、マルロ法にパリ2号目の歴史建築物保存地区・ サン・ジェルマン地区だ。

 「17世紀にマレ地区に住んでいた貴族たちが手狭になった館を嫌って、この地区に移ってきた」と文献にあったが、第2次世界大戦以降は、知識、文化人の一大中心地でもあったらしい。

 現在は、街の中心にある サン・ジェルマン・デ・プレ教会を中心にブティックやカフェが並び、観光客でごった返している。Yさん夫妻について行った小さなチョコレート店は、あふれる注文客を日本人男性 パテイシエ1人がきりきり舞いで応対していた。

 保存地区の広告規制が厳しいらしい。店舗のディスプレーも控えめだ。小さな白い「M」のマークをつけただけのマクドナルドの店舗が、なにかほほえましく見えた。

 パリの景観で忘れられないのは、初日の夕方に訪れたエッフェル塔だった。

 早くも電飾に輝くこの塔は、広い シャン・ド・マルス公園の真ん中に4本の柱に支えられて真っ直ぐに伸び、レースで編んだような半円形の鉄製アーチの間に立つと、セーヌ川の向こうに シャイヨ宮が望める。

 振り向いても、もういちど前を見ても、周りに高い建物はなにもない。胸いっぱいに空気を吸い込み、ため息をつきたくなる。そんなすがすがしい空(そら)空間が広がる。

 なんと、Yさんがこの塔にある1ツ星レストラン 「ル・ジュール・ヴェルス」に予約を入れてくれていた。アーチ型の脚の間に設置されている専用エレベーターで高さ125メートルのレストランに入る。

 窓際の席からパリの街が一望できる。見事に同じ高さにそろった石造りの建物群。その間を「パリ大改造」で作られた通りが放射線状に延び、細い路地が入り組んだように建物の間を縫っている。

 右手の黒い塊は、 ブローニュの森だろうか。正面に見えるのは、悪名高い高層ビル 「モンパルナス・タワー」

 ところが、その素晴らしい風景を撮ったカメラを、翌日、ルーブル美術館で盗難にあって失ってしまった。カメラそのものは、入っていた海外旅行保険のおかげで8%の消費税付きで代金が戻ってきたが、あのすばらしいパリの景観の写真は戻ってこない。

 かつてエッフエル塔が出来た時に、この塔の建設に反対した、かのモーパッサンは「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と、エッフエル塔のレストランによく通った、という。

 機会があったら、もう一度、このパリの景観を見に来たいと思う。今度は「モンパルナス・タワー」からエッフエル塔の建つパリの街を見るために。

▽参考に読んだ、その他の本

※ 「パリ神話と都市景観 マレ保全地区に7置ける浄化と排除の論理」(荒又美陽著、明石書店)

パリ神話と都市景観―マレ保全地区における浄化と排除の論理―
荒又 美陽
明石書店
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 ※ 「セーヌの川辺」池澤夏樹著、集英社)

※ 「美館都市パリ 18の景観を読み解く」(和田幸信著、鹿島出版会)

美観都市パリ―18の景観を読み解く
和田 幸信
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パリの景観:写真集
パリ・オペラ座の天井部外観;クリックすると大きな写真になります。 マレ地区の小路;クリックすると大きな写真になります。 マレ地区の通り;クリックすると大きな写真になります。 ユダヤ人街でのレストラン;クリックすると大きな写真になります。 マレ地区・スイス文化デンター小路;クリックすると大きな写真になります。
パリ・オペラ座の天井部外観。「パリ大改造」計画では、この外観が見通せるように広いオペラ通りが造られたという マレ地区の小路 マレ地区の通り。見事に建物の高さがそろっている ユダヤ人街でのレストラン マレ地区・スイス文化センター小路。落書きがなぜか。
カリナヴァル博物館;クリックすると大きな写真になります。 ヴォージュ広場;クリックすると大きな写真になります。 バスティーユ広場;クリックすると大きな写真になります。 セーヌ河岸の自動車専用道路;クリックすると大きな写真になります。" ノートルダム寺院;クリックすると大きな写真になります。
カリナヴァル博物館 ヴォージュ広場 バスティーユ広場。後ろに見えるのは新オペレ座 セーヌ河岸の自動車専用道路 ノートルダム寺院
サンジェルマン地区の通り;クリックすると大きな写真になります。 サンジェルマン・デ・フレ教会;クリックすると大きな写真になります。 サンジェルマン地区のマクドナルド店;クリックすると大きな写真になります。 雨の凱旋門;クリックすると大きな写真になります。 世界遺産・セーヌ川岸とエッフエル塔;クリックすると大きな写真になります。
サンジェルマン地区の通り サンジェルマン・デ・フレ教会 サンジェルマン地区のマクドナルド店 雨の凱旋門 世界遺産・セーヌ川岸とエッフエル塔
パリの地下鉄車内;クリックすると大きな写真になります。 P1040167.JPG
パリの地下鉄車内。けっこう黒い人が・・・。 設立当初は賛否両論だったルーブル美術館のガラスのピラミッド入口。周りの景観との違和感はない


2012年6月27日

 読書日記「快楽としての読書 [日本篇]」(丸谷才一著、ちくま文庫)


快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)
丸谷 才一
筑摩書房
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 著者が、週刊朝日や毎日新聞などに1960年代から2000年代初めにかけて書いた全書評のうち、約3分の1の122篇を選びだした本。

 この「読書ブログ」も、気ままに選んだ本の内容をほとんど引き写してきただけで、もう5年近くになる。たまにはプロの書評集を読んでみるのもいいかと、図書館に購入依頼したが、これがすこぶるおもしろかった。

 「気になっていた本」「読んでみたくなる本」「おもしろそうだが、とても手におえそうにない本」などなど・・・。一流の教養人が書くうんちくに酔いしれる"快楽"に、はからずものめり込んでしまった。

 私も以前にこのブログで書いたことがある 辻邦生 「背教者ユリアヌス」(中公文庫)。
 書評者は「作者が何に促されて書いたかといふことはやはり解説しておかなければならない」と、かねてからの疑問に「待ってました」とばかりに答えてくれる。

 
もちろんこれはあくまでも推測だが、第一にこの作家は日本文学には珍しく形而上学的な魂の陶酔に憑かれてゐて、それにふさはしい人物をこの主人公に見出だしたといふ事情がある。ユリアヌスが「背教者」であることもまた、日本人である自分と重ね合せるのに好都合だつたにちがひない。
 そしてもう一つ、戦争中に青春を生きた作者としては、当時の、もしできることなら何とかして軍事にたづさはることなく、学問と詩を楽しんでゐたいといふ切実な欲求が人生の最初の体験となつてゐて、それがこの大作を最も深いところで支へてゐるやうに思はれる。つまりここには歴史的世界への呪祖(じゆそ)があるのだ。


 好きな作家の1人である、 池波正太郎の 「散歩のときに何か食べたくなって」(新潮文庫)では「最も印象的なのは、(店の)主人の描写」とある。

 
(東京・室町のてんぷら屋「はやし」の主人の)本姓は斎藤だが、ただし岐阜の斎藤で、あの油売りから美濃の国主となつた斎藤道三の流れ。
 そこで主人は言ふ。
 「はい、やはり、油には縁が深いのでしょうな」
 小説家の藝だから、人物描写がうまいのは当り前だが、最高級の天ぶら屋の老主人の姿が、眼前に浮びあがるではないか。


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 これまでの江戸文学研究書について「(おおむね志が低く、琑末な事象にこだわる)通人か、(江戸の美意識と真っ向から対立する十九世紀西欧の美意識にあやつられている)学者にゆだねられており、指南役としてふさわしくない」と、こてんぱんにやっつけている。 そして 「江戸文學掌記」(講談社文芸文庫)の著者、 石川淳に言及していく。

 
この小説家ならば、当代の文学を古代以来の日本文学の伝統のなかにとらへることも、中国との関連において眺めることも、そしてまた十九世紀の偏向にしばられずに西欧文学全般からの照明の下に見ることも可能なのだ。構へが大きく感覚がすぐれてゐることは、言ひ添へるまでもない。


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高島俊男著「中国の大盗賊」(講談社現代新書)の最後には、あの毛沢東が登場してくる。

 
言はれてみれば、たしかに中華人民共和国は新種の盗賊王朝かもしれない。マルクシズムを宗教に見立てていいのはもはや常識だし、毛は一時、生き神様だつたし、それに長征といふのはたしかに流賊だつた。


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中村隆英の「昭和史1(1926-45)」(東洋新報社)には、二・二六事件後に中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句が詠まれたことを指摘。そして中村自身が「明治以来の安定が、このとき完全に失われたことへの憤りと解釈している」ことを紹介している。

 書評者は「経済学者にして置くには惜しい(失礼!)小太刀の冴え」と、粋な一言を放っている。

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中村元の「インド人の思惟方法」 「日本人の思惟方法」「チベット・韓国人の思惟方法」(すべて春秋社)では「浩瀚(こうかん)な著作をわずかな紙数で推薦するのだから、遠慮しないで読んでくれ、ぜったい損はしないからと請合ふしかない」と書く。
 そのついでに、読む順番は「シナ人の巻から取りかかって、日本人、インド人、チベット人および韓国人とゆくのがいいやうな気がする」と、誠に親切な読書指導まで。

 中村元の、こんな記述も紹介している。
 
たとえば、南アジアの国々の仏教僧は、酒は決して飲まないが、煙草は平気で吸う。釈尊のころ煙草がなかったから当たり前だが、「煙草を吸ふなかれ」といふ戒律がないのをいいことに、プカブカやるのださうである。
 ところが韓国の僧は煙草をいつさい口にしない。戒律に禁止されてゐなくても、その底にある精神を大事にするのが韓国仏教なのである。
 これは韓国仏教についての上手な説明だが、中村のこの本は、いつもかういふ調子で読者をおもしろがらせてくれる。










 これらだけではない。各篇ごとに原作のなかからすくいあげた文章が、玉のように輝いて見える。

 インドのタミル語が日本語成立の源流だが、最近は「朝鮮の学者によって、朝鮮語とタミル語との対応が言われ出した」( 大野晋著 「日本語の起源 新版」=岩波新書)

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岡本かの子の 「生々流転」(講談社文芸文庫)は、夫・ 岡本一平がかの子の死後に書き足した合作長編である。

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 「関ヶ原合戦での東軍の勝利は、豊臣系諸将の家康への贈り物だった。これによって、(徳川幕府は)国持大名の領内政治に介入しないという、分権・多元的な政治形態を近世日本にもたらした」( 笠谷和比古著「関ヶ原合戦」=講談社学術文庫)

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 「セーラー服が女学校の制服として定着したのは、海軍⇒女児⇒軍艦⇒女陰という隠語が意識下にある」( 鹿島茂著「セーラー服とエッフェル塔」=文春文庫)

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 「再読 日本近代文学」(集英社)のなかで、中村真一郎小林秀雄が培った近代日本文学論の常識に反旗を翻していること紹介しながら、書評者自らも「多少の異論」を試みているのも、考えたらまったくぜいたくな1篇だ・・・。

再読 日本近代文学
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中村 真一郎
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この本の最初に、著者の小エッセイが載っている。

いまわたしたちが読むやうな形の本、つまり
 1  本文が白い洋紙で、
 2  その両面に、
 3  主として活字で組んだ組版を黒いインクで印刷し、
 4  各ページにノンブルを打ち、
 5  それを重ねて綴ぢ、
 6  表紙をつけてある
 ものは、ずいぶん便利だなと感心する。


 
この形勢は当分つづきさうである。将来、年老いた村上春樹の新作長篇小説も、中年の俵万智の新作歌集も、まづ本として売出されるだらう。レーザー・ディスクやテープ、あるいはもつと新しい何かで出るとしても本が主体だらう。
 二十一世紀になつても、小学校用算数教科書、経済白書、六法全書、『広辞苑』第十何版、最後の社会主義国某国の全史の翻訳、卑弥呼のもらつた金印の発見をめぐる学術報告、貴乃花の回想録、マリリン・モンローとケネディの往復書簡集の翻訳などが、本といふ容器をぬきにして出ることは考へにくいのである。
 わたしたちは本の制覇の時代に生きてゐる。


 1993年に朝日新聞から刊行された「春も秋も本! 週間図書館40年」(1993年刊)という「週間朝日」の読書欄誕生40周年記念した本に所収されているのだが、現在の電子書籍をまったく意識していない牧歌的にも思える書籍礼讃がおもしろい。

春も秋も本! (週刊図書館40年)

朝日新聞
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 ところが、この文庫本の表題裏に、出版社の注意書きが小さい活字で掲載されており、業者による "自炊" 行為などに警告している。


  本書をコピー、スキャニング等の方法により
 無許諾で複製することは、法令に規定された
 場合を除いて禁止されています。
 請負業者等
 の第三者によるデジタル化は一切認められて
 いませんので、ご注意ください。


 書籍、それも文庫本に、このような"警告文"が載るのは、これまであったのだろうか。書評のなかで出版各社の書籍を引用しているという事情もあるのだろうが、それだけ出版社側のデジタル化への警戒感が現れていて、丸谷のエッセイとの対比がおもしろい。

 このブログでも、著書のいくつかを引用させてもらっており、この警告に"抵触"しているのだろう。
 「この著書のすばらしさを記録したいだけの個人プレー。大目に見てください『株式会社 筑摩書房様』」とわびるしかない。