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2010年12月24日

読書日記「司馬遼太郎が書いたこと、書けなかったこと」(小林竜雄著、小学館文庫)、「三島由紀夫と司馬遼太郎 『美しい日本』をめぐる激突」(松本健一著、新潮選書)


司馬遼太郎が書いたこと、書けなかったこと (小学館文庫)
小林 竜雄
小学館 (2010-09-07)
売り上げランキング: 168659



 「司馬遼太郎が書いたこと、書けなかったこと」を新聞の小さな書評で見つけ、図書館のボランティア中に検索したが、在庫なし。ところが、図書館員のMさんが、本館書庫にある「司馬遼太郎――モラル的緊張へ」(中央公論新社、2002年刊)という単行本を文庫化したものであることを見つけてくれた。ベテラン司書のすばらしい検索能力である。

 読んでみたいと思ったのは、このブログでも書いた半藤一利の「昭和史」(平凡社刊)のなかで、司馬遼太郎自身がノハンモン事件を「(書きたいと思ったが)実は書けないんだ」と語っていた部分があったからだ。

 小林竜雄の著書の「幻の小説『ノハンモン』の挫折」という章には、半藤が語ったことにもふれながら、司馬遼太郎がノハンモンを書けなかった理由がくわしく書かれている。

 司馬(に)は<明治前期国家>までの日本人は「おろか」ではなく、<明治後期国家>以降の軍人たちと大衆が「おろか」だったという結論に至る。


 司馬は、幕末が舞台の「竜馬がゆく」のなかで、すでに昭和史に触れている。
 (昭和史は)幕末史とも比較して「愚劣で、蒙眛(もうまい)」と徹底して(批判して)いる。ここには、昭和前期の歴史を台無しにした「陸軍軍閥」への憎悪がある。


 どうしてノハンモン事件のような軍事のことには政府の介入ができず、参謀本部の中だけで決めることができたのだろうか。・・・
 それは軍部には「魔法の杖」のような万能の力があったためだ。この「魔法の杖」とは司馬の比喩だが<統帥権>のことである。


   そこで「司馬は、<明治後期国家>を収斂するかたちで、ノハンモン事件を題材とする長編小説を構想していた」。そして、司馬は事件の膨大な資料を集め、関係者の取材を始める。
 なかでも、魅力的な人物がノハンモン事件当時の連隊長だった須見新一郎・元大佐だった。

 須見の、上官とくに参謀に対する批判の舌鋒は鋭かった。
 須見は司馬に、ノハンモンは戦後の今も続いている、といって折しもトイレットペーパーの買い占めに走った商社のことを話題にした。そしてきっと課長クラスが指示したのだと類推して、それを辻正信に擬してみせた。
 須見は戦後の日本社会の中にいつもノハンモン事件の影を見ていたのだった。


 しかし、司馬が「文藝春秋」で元大本営参謀だった瀬島龍三と対談したことで、須見は絶縁状を送りつける。
 「よくもあんな卑劣なやつと対談して。私はあなたを見損なった」


 主人公のモデルと思っていた須見を失って、司馬遼の「小説ノハンモン事件」は幻に終わった。

「三島由紀夫と司馬遼太郎」は、最初の本を読んでいる最中に図書館で借りた。
 著者は、この本の冒頭でちょっと不思議なことを書いている。

 二十五年にわたって書き継がれた「街道をゆく」シリーズには、<天皇の物語>がない、・・・


 この本は「『天皇陛下万歳』と叫んで自決した三島由紀夫と、自決直後に始まった『街道をゆく』シリーズに<天皇の物語>を書こうとしなかった司馬遼太郎」の考えの相違を分析したものだ。筆者は、2人の間に「美しい日本」をめぐる対決があった、とみる。

 司馬遼太郎は、絶筆となった「風塵抄――日本に明日をつくるために」(産経新聞、1996年2月12日)で、バブル経済についてこう書いている、という。
 こんなものが、資本主義であるはずがない。資本主義はモノを作って、拡大生産のために原価より多少利をつけて売るのが、大原則である。(中略)でなければ亡ぶか、単に水ぶくれになってしまう。さらには、人の心を荒廃させてしまう。


 「バブル経済に奔走した日本を、はげしく批判せざるをえなかった」司馬遼太郎の死を、著者は「憤死に近いものだった」と分析する。

 「ノハンモン事件を書けなかった」以前から持ち続けてきた"美しい日本を取り戻したい"という思いがはたせなかったすえの憤死だったのだろう。

▽最近読んだ、その他の本

  • 「老いの才覚」(曽野綾子著、KKベストセラーズ)

    著者は、のっけから最近の老人のなさけなさ、才覚のなさに、プンプン怒っている。
    「駅に行くと、同行者が切符を買ってくれるのが、当然のように・・・。切符を渡されたら『席はどこ?』と切符の文字さえ読もうとしません。バックから老眼鏡を出すのが億劫なんですね」
    「『(配偶者やこどもが)・・・してくれないと始終口にしている人がいる。・・・ひそかに『くれない族』と呼んでいる・・・」  

     実績のある人だから言えるのだろうが「私ならこうする」と、老人を叱る高飛車な言い方がいささか鼻につく。関西弁で言うと"なんか、えらそうに・・・"。
     ただ、このブログでも以前に同じ著者の本「戒老禄」(祥伝社)のことを書いたが、老人への厳しい提言はそれなりの含蓄があることは事実。

     それと、著書で引用されている言葉が、いつもながらよい。
     この本でも最後に、ブラジルの詩人、アデマール・デ・パロスの「神われと共に」(別名・浜辺の足跡)のことを書いている。ちょっと長すぎるので、引用をちゅうちょしていたら、WEBページで、全文を書かれているのを見つけた。
     この詩の結びには、こうある。
     友よ、砂のうえに一人の足跡しか見えない日、それは私(神)が君をおぶって歩いた日なのだよ


  • 「影法師」(百田尚樹著、講談社)  
     時代小説を読むのは「火群のごとく」以来だ。この本は、児童文学者のあさのあつこが初めて挑戦した時代小説だったが、今度はあの「永遠の0(ゼロ)」の著者の初時代小説。

     出版社の担当者から「百田さんの書く『かっこいい男』を読みたい」と言われて、頭に浮かんだのが時代小説だったそうだ。
     確かに、下士の出でありながら筆頭国家老にまで上り詰める主人公の名倉彰蔵も、脱藩して寂しく死んでいくおさななじみの磯貝彦四郎も、徹底してかっこいい。

     まさか――いやそうだ。彦四郎は、俺にすべての手柄を与えるために、わざと斬られたのだ。見切りの技を使い、森田門左衛門に背中をわずかに斬らせたのだ。そして俺が森田と戦っている時に刀を投げた。その刀により一瞬の隙が生まれたことで、俺は勝てた――。


老いの才覚 (ベスト新書)
曽野 綾子
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影法師
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百田 尚樹
講談社
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2010年9月24日

津和野紀行・下 「安野光雅美術館」と三国志の世界(2010・7・18-19)



 安野光雅美術館は、津和野の駅から数分のところにある白壁と赤い煉瓦のコントラストが見事な堂々とした和風建築だ。

  入場すると「すぐにプラネタリウムが始まる」という。津和野の夜空を彩る星座群を眺めながら心地よい午睡を愉しみ、第1展示室へ。幸運なことに、見逃していた「『安野光雅 繪本 三国志』展 ~中国、悠々の大地を行く~」が、開催されていた。

 入口に行程図があった。安野光雅画伯は、中国文学者の中村愿(すなお)氏とともに2004年から約4年にわたって「魏・蜀・呉」三国の歴史を巡った。この展覧会には、1万キロに及んだ旅の成果98枚が展示されている。

 これが「繪本」だろうか。
  淡い絵具で描かれた黄河や長江、山河の大作があり、三国志時代の「露天市場」がある。もちろん「曹操出盧」「荷進暗殺」「赤壁の戦い」「流星未捷(諸葛亮の死去)など、三国志おなじみの人物が安野ワールドらしいきめ細かなタッチで描きこまれている。

  美術館で買った図録「安野光雅  繪本 三国志展」のなかで、画伯は「少しでも中国に近づ くために」未晒し(みさらし)の絹本(けんぽん)を用い、黄河、長江の土、敦煌の砂から作った絵具も使った、と書いている。紙の実用化に功績のあった 蔡倫の記念館を訪ねて、はじめて作られたのと同じ技法の紙を使った作品もある。「長江群青(ぐんじょう)」という作品の山腹を彩る見事な蘭青色の絵具、ラピスラズリは、北京の画材店で求めた、という。

 作品に押されている落款印は、日本の小林 斗盦(こばやし とあん)や中国の有名な篆刻家らに依頼、それらの作品がガラスケースに入れて展示されていた。

  宿に帰って図録を眺めていたが、どうももの足りない。翌朝、美術館の開館を待って安野画伯が書いた「繪本 三國誌」を購入した。
  A5大横開きの大型本で、A5大の絵画作品ごとに2ページにわたる画伯の説明文がつ いている。これは、そのまま読み応えのある「安野 三國志」である。
sangokusi.jpg
繪本 三國志
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安野 光雅
朝日新聞出版
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おすすめ度の平均: 5.0
5 世界にひたれます。


  もう1冊、衝動買いしたのが、三国志取材旅行に同行した中国文学者の中村愿(すな お)氏が著した「三国志逍遥」(山川出版社)。著者のサインがあった。安野画伯の作品を随所に挿入した「共同作業」の本だという。
三國志逍遙
三國志逍遙
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中村 愿 安野 光雅
山川出版社
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 おもしろいのは、明代に書かれた歴史小説「三国志演義」や、最近ヒットした映画「レッドクリフ(赤壁)」で、悪者になっていた魏(ぎ)の曹操を高く評価していることだ。

 
 後漢王朝の衰弱のみならず、世の中の人びとと共に歩むべき政治家・軍人たちの道義が地に落ちきった時代にあって、曹操ほどひたむきに文・武の字義に違わぬよう生きる努力をした為政者が他にいただろうか


 この本が脱稿される寸前に「曹操の墓を発見」というニュースが流れた。
 ニセものでは?という論議もあるようだが、前の奈良文化財研究所長の町田章氏は、先日の読売新聞で「副葬品の銘文からも間違いないだろう」と書いている。

 三国志ブーム再燃の気配である。

 津和野から帰って、図書館で 「三国志談義」(安野光雅、半藤一利著、平凡社)を借りた。
三国志談義
三国志談義
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安野 光雅 半藤 一利
平凡社
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おすすめ度の平均: 3.0
3 もっと三国志してるかと...


 2人が「三国志」の舞台となった黄河、長江流域の遺跡への旅を語りあい、曹操 、劉備ら英雄・豪傑や孔明周瑜など軍師、謀将を人物評を採点し合うのがおもしろい。  三国志に出てくる「蟷螂の斧」 「豚児」 「涙をふるって馬謖(ばしょく)を斬る」 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」などの名言至言についての半藤のうんちくもナルホドと・・・。
  最後の章では、日本の俳句や川柳に読みこまれた名場面を解説しており「三国志」がここまで日本人の心のなかに溶け込んでいたのか、と感心させられる。

 月刊・文藝春秋で、宮城谷昌光が「三國志」を連載している。先月号では、孔明が死去するところまで書き進められていた。先日、本屋をのぞいたら、すでに9巻目の単行本になっている。
三国志 第一巻
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宮城谷 昌光
文藝春秋
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おすすめ度の平均: 4.5
5 宮城谷版『三国志』は揚震からはじまる。
5 文芸春秋で見かけて、最近ハマりました。
4 正史中心
5 三国志最高峰
5 これこそ次世代三国志


  1冊ずつ、図書館で・・・。短い夏の初めに始まった"三国志逍遥"はまだながーく続きそうだ。

2010年4月13日

読書日記「昭和史1926-1945」「昭和史 戦後篇 1945-1989」(半藤一利著、平凡社ライブラリー)

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)
半藤 一利
平凡社
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おすすめ度の平均: 4.0
4 上巻は昭和天皇と軍人さんたちの昭和史。文章は口語調で平易です。
5 教わらなかった、
3 知らないことは聞くしかない
5 くるしいけれど知らないままではいられない、それが昭和史
1 歴史をねつ造する語部


 月に1回、情報交換と称した飲み会をしている友人Mから勧められて一気読みしたものの、消化不良で何カ月もテーブルに積んだままになっていた。

 その間に、この本を巡って世の中がざわつきだしたようだ。2004年と2006年に単行本として刊行されたが、それが昨年夏に文庫本になった。それがきっかけで「昭和史を学べる」とマスコミで好意的に取り上げられる一方、かの西尾幹二が、雑誌[WiLL」最新号で2カ月にわたって「半藤一利『昭和史』徹底批判」を展開するにぎやかさだ。

 著者が、保守派の論客なのか、進歩(左翼)的文化人であるのかは知らない。ただ、勤めていた文藝春秋社を辞めた後、ある女子大で講師をした際、アンケートに答えた50人中12人が「日本と戦争をしなかった国はアメリカ」と"まじめ"に答えたのに愕然とした体験をした。そこへ編集者から「学校でほとんど習わなかったので昭和史のシも知らない私たち世代のために・・・」と頼まれて、同時代史という難しい課題に挑戦した熱意は、著書からほとばしり出ている。

 この本では、軍部の暴走をなんとか押しとどめようとしながら結局押し切られた昭和天皇の行動と責任、まったくの無責任体制で戦争を拡大していった軍部など指導層の体質は戦後日本の政治指導層にも継承されていること、そしてマスコミに扇動されて一般国民自体が鐘や太鼓で戦争拡大をはやしたてた実態を克明に語っている。

 昭和6年、満州事変が始まると、前日まで関東軍を批判していたマスコミは豹変する。
(朝日は)飛行機の参加は八機、航空回数百八十九回、自社製作映画の公開場所千五百、公開回数四千二十四回、観衆約1千万人、号外発行度数百三十一回、と大宣伝を重ねたんですね。
 すると毎日新聞が負けるものかと朝日以上の大宣伝をやりました。・・・『事変が起こったあと、社内の口の悪いのが自嘲的に"毎日新聞後援・関東軍主催・満州戦争などといっていましたよ』」

 国民をリードするには、新聞を使うことという石原莞爾参謀など関東軍の思惑通り動いたのだ。

 日米開戦を前にした昭和天皇の苦渋について、著者は「昭和天皇独自録」 を引用している。
私がもし開戦の決定に対して"ベトー(拒否)したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証できない。それはよいとしても結局狂暴な戦争は展開され・・・」

 国民的熱狂という時の流れに、抵抗することができない雰囲気を天皇は感じていたと、著者は推測する。

 前篇(1926-1945)の最後で、著者は先が読めない日本人の弊害にふれながら、昭和史をこう結論づける。
それにしても何とアホな戦争をしたものか。

政治的指導者も軍事的指導者も、日本をリードしてきた人びとは、なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか・・・。


 この本を読んだ後、本棚から米国の歴史学者ハーバード・ビックス・ニューヨーク州立大学教授が書いた「昭和天皇 上・下」(講談社)を引っ張り出した。
 昔いた新聞社の大先輩に勧められたのだが、昭和天皇の戦争責任を明確に打ち出し「歴史の爆弾」(英エコノミスト誌)と評判になった本。発刊直後の2001年にピュリツアー賞を受けている。

 これを読んだ時「なぜ日本人が、この本を書けなかったか」と思った。「天皇タブーは後退している」と、邦訳版を監修した吉田裕・一橋大教授は語っているそうだが・・・。

 ハーバード・ビックスは著書の序章で、こう弾劾する。
昭和天皇が統治した大アジア帝国の歳月は短かったが、その潜在力は巨大だった。彼はその膨張を主導し、(一九四五年以降政府が発表した公式の統計で)二〇〇〇万人近いアジア人、三一〇万の日本人、六万以上の連合軍の人命を奪った戦争に国を導いた。


 歴史学者というのは明確な実証がなくてもこんな断言的な表現ができるのか、といささか驚きである。著者がアメリカ人であることと関係があるのだろうか。日本人には、まだここまでは書けないかもしれない。

昭和天皇独白録 (文春文庫)
寺崎 英成 マリコ・テラサキ・ミラー
文芸春秋
売り上げランキング: 71638
おすすめ度の平均: 4.0
4 史料として最高級に面白い
5 政治家・国家元首・大元帥、そして、ひとりの人間。天皇裕仁の苦悩と限界。
4 読み物としては面白いのでは。
3 どう受け止めるか。そして調べるか。
4 やや、気になる問題点

昭和天皇(上)
昭和天皇(上)
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ハーバート・ビックス
講談社
売り上げランキング: 202518
おすすめ度の平均: 3.5
1 雲泥の差か
4 無私の存在としての天皇
2 日本人の覚悟が問われている
3 日本人の覚悟が問われている
5 必読の書。賛否はまず読んでから。