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2014年2月27日

読書日記「オレがマリオ」(俵万智著、文藝春秋刊)


オレがマリオ
オレがマリオ
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俵 万智
文藝春秋
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 「サラダ記念日」で衝撃的なデビューをした著者の第5歌集。世間の評判におされて、つい図書館で借りてしまった。

 2011年3月11日14時46分、著者は出張で東京の新聞社の会議室にいた。夕刊締め切り直後の新聞社のけん騒から、この歌集は始まる。

 「震度7!」「号外出ます!」新聞社あらがいがたく活気づくなり


 40歳で我が子を産んだシングルマザーの著者は、4日後に両親と息子のいる仙台に帰り着く。そして余震と原発事故が落ち着くまでと7歳の息子を連れ西に向かう。

 
 ゆきずりの人に貰いしゆでたまご子よ忘れるなそのゆでたまご


 
 子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え


 
 空腹を訴える子と手をつなぐ百円あれどおにぎりあらず


 友人を頼って落ち着いたのは、沖縄・石垣島。豊かな自然のなかで、息子はすこやかに育っていく。

 
 「オレが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ


 
 子は眠る カンムリワシを見たことを今日一日の勲章として


 
 ぷふぷふと頬ふくらます子に聞けば釣られて焦るフグのものまね


 
 縁側に並んでスイカを食べているぷぷぷぷぷっと我が子島の子


 
 「ケンカしちゃダメ」と言いつつおさな子は蝶の交尾をほぐしておりぬ


 「ただいま」を言え言えと言われれば「ただいません」と返すおさなご


 息子の成長をつぶやいている著者自身の ツイッターを記録したWEBも見つけた。

 つかの間のつもりが、この島の豊かな自然に引かれた。2人はいまだにこの島に住み続けている。

 
 ストローがざくざく落ちてくるようだ島を濡らしてゆく通り雨


 
 潮満ちて終了となるモズク採りすなわちこれを潮時という


 
 人の子を呼び捨てにして可愛がる島の緑に注ぐスコール


 
 オヒルギの花ぼとぼと落ちる午後 無言の川をカヤックで行く


 「子どもの歌は、刺身で出せる。・・・恋の歌は、じっくり寝かせ、ソースやスパイス、盛りつけや器にも心を砕かねば・・・」。発行社・ 文藝春秋のWEBページで、著者自身が 動画で語っている。

 
 湯上りのビールのように抱きあえり女男(めを)なれば他にありようもなく


 
 石鹸の香りを選ぶひとときに思い浮かべている人のある


 
 こんな笑顔持っていたのか子は君に追いかけられて抱きあげられて


 いのちとは心が感じるものだからいつでも会えるあなたに会える


2013年4月11日

読書日記「カウントダウン・メルトダウンン 上・下」(船橋洋一著、文藝春秋刊)



カウントダウン・メルトダウン 上
船橋 洋一
文藝春秋
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 著者とはちょっと面識がある。ご本人は覚えておられないだろうが、現役の経済記者だったころ、東京・某中央官庁の同じ記者クラブに所属していた。
 ずっと大阪にいたので「東京はすごい記者がいるなあ」と驚愕かつ恐れを持ったものだが、著者はそのなかでも抜きん出ていた。
 確か、京都で国際会議があった際、先斗町の飲み屋で一緒に軽くやった記憶もあり、元ボンクラ記者のなれのはてながら、その活動ぶりには注目していた。

最近は新しい著書を見かけないなあと思っていたら、すごい仕事をしておられた。

福島原発事故の後、シンクタンク 「財団法人 日本再建イニシアティブ」を設立し、この事故を民間の立場で検証する 「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」を立ち上げた。

 著者は「あとがき」で書いているように、民間事故調のレポートを出した後も、日本の危機管理のあり方に危惧感を持ち、自ら取材を始めた。

たまたま先月、東京の日本記者クラブで開かれた著者の講演を録画したYouTubeのなかでも本にした意図を話しておられるので、それらに沿って、この上・下計450ページにわたる大著をひもといてみた。

 著者はこの著者やいくつかのインタビューで「政府(官邸、官僚機構)のなかに、リスクに対応するガバナンス(統治能力)、リーダーシップが欠けていた」と、何度も繰り返している。

 
午後5時40分。NHKが、福島第一原発の2基の原子炉冷却装置が停止したと報道した。・・・
 菅(直人・首相)は、誰彼なしに、質問を浴びせた。
 「おまえら、この電源が止まったということがどれほどのことかわかっているのか」
 「大変なことだよ、これは。チェルノブイリと同じことだぞ」
 その言葉を、うわごとのようにくり返した。
 下村(健一・内閣官房審議官)は、メモの余白に書いた。
 「菅に冷却水必要」


   
池田(元久・経済産業副大臣・原子力災害現地対策本部長)は、深く感ずるものがあった。
 (政治指導者に必要なのは大局観だ。いま、日本が直面しているのは福島原発事故だけでなく地震・津波もある。すべて人々の生存の可能性が高い初動の72時間が勝負だ。そういうときは、総理はどんと構えて、司令塔の役割を果たさなければならない。総理たるもの、所作、言動、言葉遣い、それなりの風格がなければならない。それがこの人には感じられない)


 このブログでもふれたことがある俳人・長谷川櫂の 「震災歌集」に、こんな和歌があったのを思い出した。「かかるときかかる首相をいだきてかかる目に遭う日本の不幸」

 しかし著者は同時に日本記者クラブでの講演で「(管首相には)東京電力を福島から絶対に撤退させないという動物的生存能力があった」とも評価している。

 ガバナンスとリーダーシップのなさは、それまで我が国を代表する大企業と見られていた東京電力社内でもすぐに露呈した。

吉田(昌郎福島第一発電所所長)は、所長席脇の固定電話にかかってきた電話に出た。
 武黒(一郎東京電力フエロー、元副社長で官邸との連絡役)はいきなり、言った。
 「おまえ、海水注入は」
 「やってますよ」
 武黒は仰天した。「えっ。おいおい、やってんのか。止めろ」・・・
 吉田がいまさら止めるわけにはいかないと言い張ると、武黒はいきり立った。
 「おまえ、うるせえ。官邸が、もうグジグジ言ってんだよ」・・・
 吉田は(指揮命令系統がもうグチャグチャだ。これではダメだ。最後は自分の判断でやる以外ない)と割り切ることにした。


当時の社長、清水正孝は"フクシマからの撤退"の言質をなんとか政府から得ようと、海江田万里・経済産業大臣に何度も電話で連絡をとろうとした。仮に、放射能による死者が出た場合に訴訟で訴えられるのをおそれたからだといわれる。

(清水は)「退避を考えなければならなくなるかもしれません」という内容を言葉少なに話した。
 ボソボソ話したかと思うと、黙ってしまう。
 「あー、そうですかあ」と相づちとも何とも言えない言葉を埋め草のように差し込む。
 「ぜひ、ご了解いただきたいと思いまして」
 そう清水が言ったのに対して、海江田は、「それはないでしょう」と突き放し、電話を切った。


 清水は、枝野幸男官房長官にも同じような電話攻勢をかけた。

   
枝野は、撤退には難色を示したが、清水はねばった。
 「いや、でも何とか。とても現場はこれ以上持ちません」
 枝野は、逆に聞いた。
 「そんなことをしたらコントロールができなくて、どんどん事態が悪化をしていってとめようがなくなるじゃないですか」
 清水は口ごもった。


本店の言い分だけでは、現場がどうなっているのか皆目見当がつかない。枝野は、福島の吉田所長に電話した。
「まだやれますね」
 「やります。がんばります」 電話を切った枝野は憤激した。
 「本店の方は何を撤退だなんて言ってんだ。現場と意思疎通できていないじゃないか」


東電の企業体質を如実に表す、管首相と東電会長・勝俣恒久のやりとりも記録されている。

「おまえ、死ぬ気でやれよ」
 勝俣(恒久東京電力代表取締役会長)が答えた。
 「わかっています。大丈夫です」
 「子会社にやらせます」
 「子会社に」
 その言葉に、寺田(学・内閣総理大臣補佐官)は驚愕した。


 日本記者クラブで著者が話した「日米同盟がどう対応したか」というテーマは、下巻の最初で展開される。ホワイトハウスはじめ米国側に強いネットワークを持つ著者の真骨頂だ。

   米国海軍のシュミレーションだと、風向き次第では、ブルーム(放射性雲)が東京にも届く可能性を示していた。

   
15日朝。横須賀にいた空母ジョージ・ワシントンの放射線センサーが鳴った。
 震災後、いち早く三陸沖に到達した空母ロナルド・レーガンはセンサーが鳴ったとたんに離脱し、その後二度と近づかなかった。
 空母ジョージ・ワシントンも、ただちに出港の態勢に入った。


   「米海軍関係者」としか著者が書いていない匿名談話が載っている。

 
「これらについても米国の同盟維持へのコミットメントの観点からは、ちょっとどうかという見方もあるだろう。自分もロナルド・レーガンに乗っていたが、沖の方遠くへと離れる時は個人的には申し訳ないと思った」
 「しかし、空母というのは米国の国家防衛の王冠のようなものなのだ。もし、空母が放射能汚染された場合、世界を回ることができなくなる。各国ともわれわれを追い返すだろう。アクセスが難しくなるもしそうになつた場合、国家安全保障上の大問題となる。ウイラード海軍大将(ロバート・ウイラード米太平洋軍司令官)はその点を早くから見抜いていた。この問題は今日だけの問題ではない。それは向こう30年、40年に及んで深刻な影響をもたらす、それを彼は怖れたのだ」


 一方で米軍は、JSK(統合支援部隊)が行うトモダチ作戦の司令部を設け日米共同で除染作戦をした。
 米国務省も、日本側と支援のための協議を続けた。しかし、日本側の態度はかたくなで、情報が伝わってこなかった。

 
情報なしに支援はできない。
 日本は支援される作法を知らないのではないか。
 「『Trust us(信じて)』と言われても、こちらは支援できない。・・・」  米国務省高官(これも匿名)は、そう言った後、つけ加えた。
 「二国間同盟でもっとも緊張するときというのは、われわれは相手の中に本当のところは入れてもらっていないのではないかと疑い、苦悩するときなのだ。日本側は(炉や燃料プールの状況を)知らないのか、それとも知っているのに何かの理由でわれわれと共有しょうとしないのか、われわれはそれもわからなかった」


 米政府は、危機の過程で「政府一丸(whole of government)で対応してほしい、と何度も求めた、という。
 「日本政府は統治能力を欠いているのではないか。と彼らは怖れたのである」

海上自衛隊将校の1人はこう述懐した。

「有事のときのアメリカ、それはない。そのことを思い知った。いざというとき、アメリカは逃げる。軍属の安全をタテに逃げるだろう。日本の安全、アメリカが最後の頼り、それもない、それらはすべてフィクションだった」
 「アメリカがホコ、日本がタテ、といった役割分担、それは現実には起こらない。日本がホコにならない限り、アメリカは日本を助けに来ない」


官邸内では「最悪のシナリオ」について、様々な"イメージ"が飛び交っていた。官邸スタッフの1人は、こう語ったという。

「原子炉の中の水が減ってきて、燃料棒がばたんと倒れたら、原子炉の底が抜けて核物質がドーンと落ちる。コンクリートを突き破って、いずれ地下水に至れば、そこで大水蒸気爆発。そうなればチエルノブィリだ。福島第一、第二あわせて10機の炉が吹っ飛ぶことになる。総理は『そうなれば、東アジア全体が大変なことになるんだぞ』と、おっしゃっていた。大規模核汚染をわれわれは本当に心配していた」


伊藤(哲朗)は、内閣危機管理監として「官邸機能の維持」に責任を持っている。
 (関西地方に逃げる以外ない。ホテルを借り切って、そこで一時的にしのぐ以外ないのではないか)
 そんな考えが頭をよぎつた。
 それから、天皇皇后両陛下に避難していただかなくてはならない。
 (こちらは九州まで足を延ばしていただくことになるかもしれない)


原子炉の内部を探索するのに、米国製のロボットが活躍した。しかし「ロボットは、日本のお家芸ではなかったのか」という疑問が著者の頭から消えなかった。取材の結果、こんなことが分かった。

米国では電力会社が、原発事故対処用のロボット開発のパトロンとなったのに対して、日本では、電力会社がロボットは安全神話を毀損するものと警戒し、抑えつける側に回った。結局、原子力災害用のロボット開発には補正予算を一回つけたきりで終わった。
 補正一度限りにするため、「維持費も大変」という理由をつけた。
 政府もまた、電力会社に追随し、一緒になつて安全神話を担いだのである。


今回の福島原発事故から得た教訓は、管(元首相が)が、2012年5月の「国会事故調」で述べたことに尽きるのではないか。
 そんな思いからだろうか。そこでの管の証言でこの本は終っている。

「かつてソ連首相を務められたゴルバチョフ氏がその回想録のなかで、チェルノブイリ事故は我が国体制全体の病根を照らし出したと、こう述べておられます。私は、今回の福島原発事故は同じことが言える。我が国の全体のある意味で病根を照らし出したと、そのように認識をいたしております」


「戦前、軍部が政治の実権を掌握していきました。そのプロセスに、東電と電事連を中心とするいわゆる原子力ムラと呼ばれるものが私には重なって見えてまいりました。つまり、東電と電事連を中心に、原子力行政の実権をこの40年間の問に次第に掌握をして、そして批判的な専門家や政治家、官僚は村のおきてによって村八分にされ、主流から外されてきたんだと思います。そして、それを見ていた多くの関係者は、自己保身と事なかれ主義に陥ってそれを眺めていた。これは私自身の反省を込めて申し上げておきます」


チェルノブイリ事故をきっかけにソ連が崩壊したことは、以前にこのブログでやはりふれたことがある。

はたして日本は、このまま崩壊していくのか。それとも放射能汚染のない新しいステージに向けて再出発する勇気と決断を持つことができるのか?

著者は、日本記者クラブでの質問に答えて、これからの危機管理で長期的に考えなければならないのは、人口問題、国債問題、そして福島事故の今後の3つだと答えた。

不毛の地となったフクシマを再生する責任は誰がどこまでとり、生活の場を奪われた人々の生活を以前のようにとりもどせるのか、原発再開の動きが知らない間に現実となろうとするなかで、今回の危機管理不在の状況を教訓とできるのか・・・。

そのことをぜひ続編で書いてほしいと、元ボンクラ記者は切に願う。

(付記)
 日本記者クラブでの講演録画で聞いたある質問にア然とさせられた。
 「著者が民間事故調でレポートを出してから、この本を書いたのはなぜなのか。ジャーナリストなら、最初からこの本を書くべきではなかったのか。やり方が"あざとく"みえる」
 質問者は、筆者がいた新聞社の人らしいが「男のしっと」発言としか思えない。ジャーナリストを自称する人種のなかには、あまり品のよろしくない方もおられるようで・・・。

2012年6月27日

 読書日記「快楽としての読書 [日本篇]」(丸谷才一著、ちくま文庫)


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丸谷 才一
筑摩書房
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 著者が、週刊朝日や毎日新聞などに1960年代から2000年代初めにかけて書いた全書評のうち、約3分の1の122篇を選びだした本。

 この「読書ブログ」も、気ままに選んだ本の内容をほとんど引き写してきただけで、もう5年近くになる。たまにはプロの書評集を読んでみるのもいいかと、図書館に購入依頼したが、これがすこぶるおもしろかった。

 「気になっていた本」「読んでみたくなる本」「おもしろそうだが、とても手におえそうにない本」などなど・・・。一流の教養人が書くうんちくに酔いしれる"快楽"に、はからずものめり込んでしまった。

 私も以前にこのブログで書いたことがある 辻邦生 「背教者ユリアヌス」(中公文庫)。
 書評者は「作者が何に促されて書いたかといふことはやはり解説しておかなければならない」と、かねてからの疑問に「待ってました」とばかりに答えてくれる。

 
もちろんこれはあくまでも推測だが、第一にこの作家は日本文学には珍しく形而上学的な魂の陶酔に憑かれてゐて、それにふさはしい人物をこの主人公に見出だしたといふ事情がある。ユリアヌスが「背教者」であることもまた、日本人である自分と重ね合せるのに好都合だつたにちがひない。
 そしてもう一つ、戦争中に青春を生きた作者としては、当時の、もしできることなら何とかして軍事にたづさはることなく、学問と詩を楽しんでゐたいといふ切実な欲求が人生の最初の体験となつてゐて、それがこの大作を最も深いところで支へてゐるやうに思はれる。つまりここには歴史的世界への呪祖(じゆそ)があるのだ。


 好きな作家の1人である、 池波正太郎の 「散歩のときに何か食べたくなって」(新潮文庫)では「最も印象的なのは、(店の)主人の描写」とある。

 
(東京・室町のてんぷら屋「はやし」の主人の)本姓は斎藤だが、ただし岐阜の斎藤で、あの油売りから美濃の国主となつた斎藤道三の流れ。
 そこで主人は言ふ。
 「はい、やはり、油には縁が深いのでしょうな」
 小説家の藝だから、人物描写がうまいのは当り前だが、最高級の天ぶら屋の老主人の姿が、眼前に浮びあがるではないか。


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 これまでの江戸文学研究書について「(おおむね志が低く、琑末な事象にこだわる)通人か、(江戸の美意識と真っ向から対立する十九世紀西欧の美意識にあやつられている)学者にゆだねられており、指南役としてふさわしくない」と、こてんぱんにやっつけている。 そして 「江戸文學掌記」(講談社文芸文庫)の著者、 石川淳に言及していく。

 
この小説家ならば、当代の文学を古代以来の日本文学の伝統のなかにとらへることも、中国との関連において眺めることも、そしてまた十九世紀の偏向にしばられずに西欧文学全般からの照明の下に見ることも可能なのだ。構へが大きく感覚がすぐれてゐることは、言ひ添へるまでもない。


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高島俊男著「中国の大盗賊」(講談社現代新書)の最後には、あの毛沢東が登場してくる。

 
言はれてみれば、たしかに中華人民共和国は新種の盗賊王朝かもしれない。マルクシズムを宗教に見立てていいのはもはや常識だし、毛は一時、生き神様だつたし、それに長征といふのはたしかに流賊だつた。


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中村隆英の「昭和史1(1926-45)」(東洋新報社)には、二・二六事件後に中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句が詠まれたことを指摘。そして中村自身が「明治以来の安定が、このとき完全に失われたことへの憤りと解釈している」ことを紹介している。

 書評者は「経済学者にして置くには惜しい(失礼!)小太刀の冴え」と、粋な一言を放っている。

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中村元の「インド人の思惟方法」 「日本人の思惟方法」「チベット・韓国人の思惟方法」(すべて春秋社)では「浩瀚(こうかん)な著作をわずかな紙数で推薦するのだから、遠慮しないで読んでくれ、ぜったい損はしないからと請合ふしかない」と書く。
 そのついでに、読む順番は「シナ人の巻から取りかかって、日本人、インド人、チベット人および韓国人とゆくのがいいやうな気がする」と、誠に親切な読書指導まで。

 中村元の、こんな記述も紹介している。
 
たとえば、南アジアの国々の仏教僧は、酒は決して飲まないが、煙草は平気で吸う。釈尊のころ煙草がなかったから当たり前だが、「煙草を吸ふなかれ」といふ戒律がないのをいいことに、プカブカやるのださうである。
 ところが韓国の僧は煙草をいつさい口にしない。戒律に禁止されてゐなくても、その底にある精神を大事にするのが韓国仏教なのである。
 これは韓国仏教についての上手な説明だが、中村のこの本は、いつもかういふ調子で読者をおもしろがらせてくれる。










 これらだけではない。各篇ごとに原作のなかからすくいあげた文章が、玉のように輝いて見える。

 インドのタミル語が日本語成立の源流だが、最近は「朝鮮の学者によって、朝鮮語とタミル語との対応が言われ出した」( 大野晋著 「日本語の起源 新版」=岩波新書)

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岡本かの子の 「生々流転」(講談社文芸文庫)は、夫・ 岡本一平がかの子の死後に書き足した合作長編である。

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 「関ヶ原合戦での東軍の勝利は、豊臣系諸将の家康への贈り物だった。これによって、(徳川幕府は)国持大名の領内政治に介入しないという、分権・多元的な政治形態を近世日本にもたらした」( 笠谷和比古著「関ヶ原合戦」=講談社学術文庫)

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 「セーラー服が女学校の制服として定着したのは、海軍⇒女児⇒軍艦⇒女陰という隠語が意識下にある」( 鹿島茂著「セーラー服とエッフェル塔」=文春文庫)

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 「再読 日本近代文学」(集英社)のなかで、中村真一郎小林秀雄が培った近代日本文学論の常識に反旗を翻していること紹介しながら、書評者自らも「多少の異論」を試みているのも、考えたらまったくぜいたくな1篇だ・・・。

再読 日本近代文学
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中村 真一郎
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この本の最初に、著者の小エッセイが載っている。

いまわたしたちが読むやうな形の本、つまり
 1  本文が白い洋紙で、
 2  その両面に、
 3  主として活字で組んだ組版を黒いインクで印刷し、
 4  各ページにノンブルを打ち、
 5  それを重ねて綴ぢ、
 6  表紙をつけてある
 ものは、ずいぶん便利だなと感心する。


 
この形勢は当分つづきさうである。将来、年老いた村上春樹の新作長篇小説も、中年の俵万智の新作歌集も、まづ本として売出されるだらう。レーザー・ディスクやテープ、あるいはもつと新しい何かで出るとしても本が主体だらう。
 二十一世紀になつても、小学校用算数教科書、経済白書、六法全書、『広辞苑』第十何版、最後の社会主義国某国の全史の翻訳、卑弥呼のもらつた金印の発見をめぐる学術報告、貴乃花の回想録、マリリン・モンローとケネディの往復書簡集の翻訳などが、本といふ容器をぬきにして出ることは考へにくいのである。
 わたしたちは本の制覇の時代に生きてゐる。


 1993年に朝日新聞から刊行された「春も秋も本! 週間図書館40年」(1993年刊)という「週間朝日」の読書欄誕生40周年記念した本に所収されているのだが、現在の電子書籍をまったく意識していない牧歌的にも思える書籍礼讃がおもしろい。

春も秋も本! (週刊図書館40年)

朝日新聞
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 ところが、この文庫本の表題裏に、出版社の注意書きが小さい活字で掲載されており、業者による "自炊" 行為などに警告している。


  本書をコピー、スキャニング等の方法により
 無許諾で複製することは、法令に規定された
 場合を除いて禁止されています。
 請負業者等
 の第三者によるデジタル化は一切認められて
 いませんので、ご注意ください。


 書籍、それも文庫本に、このような"警告文"が載るのは、これまであったのだろうか。書評のなかで出版各社の書籍を引用しているという事情もあるのだろうが、それだけ出版社側のデジタル化への警戒感が現れていて、丸谷のエッセイとの対比がおもしろい。

 このブログでも、著書のいくつかを引用させてもらっており、この警告に"抵触"しているのだろう。
 「この著書のすばらしさを記録したいだけの個人プレー。大目に見てください『株式会社 筑摩書房様』」とわびるしかない。

  

2011年5月25日

読書日記「震災歌集」(長谷川櫂著、中央公論新社刊)

震災歌集
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長谷川 櫂
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 4月下旬の読売新聞朝刊と夕刊のコラムで、俳人の長谷川櫂さんが「震災に関した短歌集」を出版するという記事を続けさまで見てエッ!と思った。

 伝統派俳人と言われる著者が、句集でなく歌集を出すという。それも東日本大震災発生からたった12日間に詠まれた119首が収められるらしい。さっそくAMAZONに予約を入れ、出版直後の2週間後に届いた。

 
かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを


 
夥(おぼただ)しき死者を焼くべき焼き場さへ流されてしまひぬといふ町長の嘆き


 著者は、序文「はじめに」で、私自身も感じていたことをズバリと書いている。
今回の未曾有の天災と原発事故という人災は日本という国のあり方の変革を迫るだろう。そのなかでもっとも改めなければならないのは政治と経済のシステムである。


 
原発を制御不能の東電の右往左往の醜態あはれ


原発をかかる人らに任せてゐたのかしどろもどろの東電の会見


 「はじめに」はこう続く。
決して立派とはいえない首相が何代もつづくのは、間接民主制という政治家を選ぶシステムそのものがすでに老朽化してしまっているからではないか。


 
おどおどと首相出てきておどおどと何事かいひて画面より消ゆ


かかるときかかる首相をいだきてかかる目に遭う日本の不幸


 被災地からは遠く離れながらも、人々を不安に陥れている放射能汚染への恐怖を五七五七七に託す。

如何(いかん)せんヨウ素セシウムさくさくの水菜のサラダ水菜よさらば


降りしきるヨウ素セシウム浴びながら変に落ち着いてゐる我をあやしむ


見しことはゆめなけれどもあかあかと核燃料棒の爛(ただ)をるみゆ


 避難所に押し込められ、じっと耐える東北人のこころ根を思う。

避難所に久々にして足湯して「こんなときに笑っていいのかしら」


被災せし老婆の口をもれいづる「ご迷惑おかけして申しわけありません」


 なぜ俳句でなく和歌だったのか。筆者は「理由はよくわからない。『やむにやまれぬ思い』というしかない」としか語らない。

 実は、長谷川櫂さんのことを少し存じ上げている。以前、新聞社に勤めていたころ、東京本社から出向して来られていて一緒に朝刊制作の仕事をしていたことがあった。
刷り上がった朝刊を見た後の午前2時半過ぎ。帰る方向が一緒で、時々タクシーに同乗した。その時、長谷川さんは俳句のことは一言も話されなかった。
 東京に帰られて少しして、サイン入りの句集が送られてきて驚いた。あまりいい言葉ではないが、礼状に「エイリアンに遭った気分」と書いた記憶がある。

 そして今回また「やむにやまれぬ思い」で歌集を出された偉才ぶりに遭うことになった。やはり「エイリアン」だと・・・。