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2022年12月17日

金沢紀行 11月20日~22日 その6 金沢城公園② 11月21日

石川門から入って、河北門を見て、三の丸広場を五十間長屋を右手に眺めながら横切り、橋爪門に入った。石垣と二重塀で囲われた枡形に入る。二の丸情報館で一休みし、二の丸御殿の復元整備がなされている広大な二の丸広場を眺め、三十間長屋に行った。
 五十間長屋は二の丸広場から中へ入り見学することができたが、割愛してしまった。菱櫓、橋爪門続櫓も、中を見学することができるのだが割愛。
 午前11時、極楽橋を渡って、三十間長屋へと上がる。三十間長屋は金沢城にある3っの重要文化財の一つである。
 三十間長屋の東側が本丸のあったところだ。前田利家の時代には、5階建ての立派な天守閣があったそうだが、冬の落雷で焼失してしまったという。天守閣があったところが、いま、本丸園地と呼ばれるところで、三十間長屋の先に散策路の入り口があった。入ってみたかったがここも割愛した。山道になっているその散策路に先には戌亥櫓、丑寅櫓、辰巳櫓の3っの櫓跡が残されていて、その高台から降りてくると鶴丸倉庫があるが、我々は下の道から鶴丸倉庫へ行く。
 鶴の丸休憩所でコーヒーを一杯飲んで一休みした。
 次は歩いて近江町市場へ行きたい。三の丸広場を河北門の方へ戻り、二の丸広場の北側を歩いて、右手(東側)に広々とした新丸広場を眺めながら黒門口から近江町市場へと歩いた。すぐ近くだった。
 後で気が付いたのだが、加賀藩三代藩主「前田利常」が作庭し、廃藩まで歴代藩主が愛でたという庭園「玉泉院丸庭園」(平成27年3月、江戸時代末期の姿をもとに再現された)を見落としてしまった。
 なお、記述については、まったくの受け売り箇所もあるがお許しいただきたい。

000_221121782 X800 〇金沢 金沢城 新丸広場 Z50 Z18-140.jpg
金沢城公園の北側にある広々とした新丸広場 2022年11月21日 石川県 金沢城公園 

128_221121733 X800 金沢 金沢城 本丸の森 Z50 Z18-140.jpg 128.本丸正門(鉄門)跡
この写真の少し手前の両側に、本丸跡への入り口になっている石垣がある。それが鉄門(くろがねもん)跡だ。散策路を入ると、ちょっと歩いてみたくなる森があった。鉄門は、創建は明らかではないが、寛永の大火(1631年)以降、二の丸から本丸に入る正門となった。鉄板を張った扉が付けられていたことからこの名がついたといわれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/400秒 64mm ISO6400 ) 露出補正 なし
129_221121737 X800 〇金沢 金沢城 本丸の森 Z50 Z18-140.jpg 129.本丸跡への散策路
前田利家が築いた天守は火災で焼け落ちてしまい、現在は緑が広がる雑木林になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 29mm ISO1600 ) 露出補正 なし
130_221121740 X800 〇金沢 金沢城 旧陸軍弾薬庫トンネル Z50 Z18-140.jpg 130.旧陸軍弾薬庫隧道 -1
本丸跡への散策路を歩くのは断念して、三十間長屋から北東の方向へ、戌亥櫓跡の石垣の下を歩くと、トンネルがあった。旧陸軍弾薬庫隧道が見えた。金沢城は明治から第二次大戦にかけては陸軍省の所有となっていたが、本丸付近には弾薬庫が設けられた。弾薬庫を建設する際に掘られたレンガ造りのトンネルである。2008年に土木学会によって「日本の近代土木遺産」に登録された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO1100 ) 露出補正 なし
131_221121742 X800 金沢 金沢城 旧陸軍弾薬庫トンネル Z50 Z18-140.jpg 131.旧陸軍弾薬庫隧道 -2
この隧道は本丸跡地の戌亥櫓跡の石垣に開けられている。今は本丸園地と呼ばれているところだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO2800 ) 露出補正 なし
132_221121743 X800 金沢 金沢城 旧陸軍弾薬庫トンネル Z50 Z18-140.jpg 132.鶴の丸広場
旧陸軍弾薬庫隧道からだらだらと坂道を下りたところが鶴の丸広場だった。ここは本丸・東ノ丸の真下にある郭で、東ノ丸にいた芳春院(利家夫人)が、ここに白い鶴が舞い下りているのを見て、 これは前田家が長く栄えていく瑞祥(めでたい事の兆し、吉兆)であるとして、 この郭を鶴ノ丸と名付けたという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm ISO500 ) 露出補正 なし
133_221121747 X800 金沢 金沢城 鶴丸倉庫 Z50 Z18-140.jpg 133.鶴丸倉庫
右手に鶴丸倉庫があった。幕末の1848年に竣工した武具土蔵で、石川門・三十間長屋と同様に重要文化財に指定されている。土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺で、もとは武具蔵として建てられ、加賀藩大工山本勝左衛門が普請を手がけたといわれる。明治以降は、陸軍によって被服庫として使われていた。長らく「鶴丸倉庫」と呼ばれてきたが、実際に建築されているのは「東の丸付段」である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO160 ) 露出補正 なし
134_221121752 X800 〇金沢 金沢城 鶴丸倉庫 Z50 Z18-140.jpg 134.鶴丸倉庫下
鶴の丸広場から見た鶴丸倉庫だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 26mm ISO220 ) 露出補正 なし
135_221121757 X800 金沢 金沢城 鶴の丸広場 Z50 Z18-140.jpg 135.鶴の丸土塀
鶴の丸休憩所の近くに展示されている「鶴の丸土塀」だ。鶴の丸土塀について詳しく説明されていた。この土塀の三の丸側の腰部は海鼠壁で覆われていたが、内側にはたくさんの鉄砲狭間があった。すなわち、三の丸側から見れば単に海鼠壁であるが、塀の中からはいざという時に瓦を1枚割れば鉄砲を撃てる狭間になっていたのである。これを「隠し狭間」と呼ぶ。利家が金沢城を築いた頃には、鉄砲が活かされた合戦として有名な長篠の戦いからほほ十年経過しており、すでにかなりの数の鉄砲が普及していたと考えられている。こうして、金沢城も鉄砲に備えた防御機能が随所に整えられることになったのである。鶴の丸土塀からは、有事に備えた築城の知恵が垣間見られると言える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 19mm ISO250 ) 露出補正 なし
136_221121758 X800 〇金沢 金沢城 鶴の丸広場 Z50 Z18-140.jpg 136.北の丸北面石垣と鶴丸倉庫
自然の石や粗割りしただけの石を用いて築かれた石垣は、金沢城の初期の姿を伝える貴重なもので、鶴丸倉庫の後ろ側にある東の丸北面の石垣などに見られるそうだ。この写真の左側に続く石垣にそれが見られるというが、わからなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 36mm ISO280 ) 露出補正 なし
137_221121761 X800 〇金沢 金沢城 橋爪門続櫓 鶴の丸休憩館から Z50 Z18-140.jpg 137.鶴の丸休憩館から見る橋詰門続櫓と五十間長屋
11時半になった。小奇麗な鶴の丸休憩所というところがあったので入ってみる。コーヒーを飲めるところがあったので一休みすることにした。大きなガラス張りになっているところに席を取り、しばし、橋詰門続櫓と五十間長屋を眺めていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
138_221121763 X800 〇金沢 金沢城 鶴の丸休憩館 Z50 Z18-140.jpg 138.鶴の丸休憩館
此処が喫茶室になっていた。これまでの休憩所は、2001年の全国都市緑化フェアの際に建てられた仮設の展示場を再利用していましたが、傷みが目立っていたことから、このたび(2017年)鶴の丸休憩館と名付けられた新たな休憩施設に建て替えられたものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO200 ) 露出補正 なし
139_221121766 X800 〇金沢 金沢城 橋爪門続櫓 Z50 Z18-140.jpg 139.橋爪橋と橋詰門と橋詰門続櫓
さて、そろそろ金沢城公園においとまし、近江町市場へ移動しようと思う。橋爪門から再び五十間長屋の前を通って、二の丸広場の北側を西へ歩いた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 30mm ISO110 ) 露出補正 なし
140_221121769 X800 金沢 金沢城 新丸広場 カラスザンショウ Z50 Z18-140.jpg 140.カラスザンショウ(烏山椒)
カラスザンショウの葉が黄色くなっていた。カラスザンショウは、カラスイアゲハ、ミヤマカラスアゲハ、アゲハ、クロアゲハなどのアゲハチョウ科の蝶の食草になっているので親しみがわく。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO1250 ) 露出補正 なし
141_221121774 X800 金沢 金沢城 新丸広場 Z50 Z18-140.jpg 141.新丸広場 -1
付き合ったところを右へ行く。道なりに進むと右手(東側)が開けた。広い芝生の広場になっている。気持ちが良い。石川県のHPによれば、「新丸には、次々と藩の重臣の屋敷が建てられ、戦時には早くこの場で防御できるように考えられていた。しかし、藩の役所が増えてきて、重臣の数も多くなってくると、この場所だけでは狭くなり、 重臣の屋敷を次々に城外へ移した。そこで、藩ではここの空き地ができたところに細工所を設け、 甲冑、大小刀、弓矢等の修理や製造も行い、多くの細工者を集め、禄を給させた。しかし、これら細工所も宝暦9年(1759)の大火で焼け失せ、その後、再建することなく、 堂形辺(現在の県庁のある所)に仮屋を建て、細工所とした。この新丸のあと地が現在の「新丸広場」である。」とあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
142_221121785 X800 〇金沢 金沢城 新丸広場 Z50 Z18-140.jpg 142.新丸広場 -2
芝生の向こう側の端まで300m近くあるのでないだろうか。木々が様々な色に紅葉していた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO500 ) 露出補正 なし
143_221121790 X800 金沢 金沢城 黒門 Z50 Z18-140.jpg 143.黒門口
金沢城公園の北側、近江町市場に近い、黒門口へと向かう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 57mm ISO280 ) 露出補正 なし
144_221121792 X800 〇金沢 金沢城 黒門口から大手門口 Z50 Z18-140.jpg 144.大手堀
右手に大手堀というお堀が見えてきた。この堀は、廃藩置県後、次々と埋め立てられた金沢城の堀の中で、今なお唯一残っているのが周囲430mの大手堀という。平成元年に堀の堤を補強し、堀沿いの散策路が整備された。お堀沿いの道の右のほう(東側)へ行くと大手門口がある。ここをまっすぐ進むと黒門口があり、近江町市場だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 35mm ISO800 ) 露出補正 なし
145_221121797 X800 近江町市場へ 料亭旅館 浅田屋 Z50 Z18-140.jpg 145.老舗旅館
黒門口を出る。左手に豪姫住居遺跡(前田利家の四女にして、宇喜多秀家の正室となった豪姫が金沢に戻ってきた後に住んだ住居跡)のある黒門前緑地があった。まっすぐ十間町の通りを歩く。左側に雪吊りの松がある立派な構えの浅田屋という料亭旅館が見えた。ホームぺージを見ると、慶応3年(1867年)に創業の数寄屋造りとある。「風趣な坪庭を眺め、静謐なお部屋で金沢の情感を満喫していただけます。」とあった。1時過ぎに近江町市場についた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 37mm ISO640 ) 露出補正 なし

2022年12月13日

金沢紀行 11月20日~22日 その5 金沢城公園① 11月21日

兼六園の桂坂口を出て、蓮池門通りを渡ると石川城への入り口である石川橋を渡る。石川橋の下はお堀通りが通っている。
 金沢城は江戸時代には加賀藩主前田氏の居城だった。
 1580年(天正8年)佐久間盛政により築城された。1592年築という天守の構造は不明。御三階櫓(望楼型3重4階 1603年築)も現存していない。廃城になったのは明治4年(1871年)だそうだ。
 石川門・三十間長屋・鶴丸倉庫は指定文化財で国の重要文化財である。城跡は金沢城跡として、国の史跡となっている。
 城址を含む一帯は金沢城公園として整備されている。金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である(かつて「尾山」と呼ばれたのもこの地形にちなむ。台地先端を山の尾とみなした)。櫓や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦(東洋建築に用いられた煉瓦)を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風(破風は屋根の妻側の端の部分のこと)や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。
 ということで、訪れたところは金沢城ではなく、国指定史跡 金沢城公園というのが正しい。菱櫓・橋詰門・橋詰門続櫓・五十間長屋・鼠多門・玉泉院丸庭園 が再建造物として存在する。金沢城公園は28.5haあり、兼六園の11.4haの倍以上の広さだ。
 というわけで、古くて新しい観光名所なのだ。江戸時代には、加賀藩主前田家の居城であり、明治時代から戦争までは帝国陸軍が、戦後は金沢大学が所有していたことから、市民がお城に入れるようになったのは2001年のことだそうだ。
 記述については石川県HPの金沢城公園サイトや、wikipediaなどを参照させていただいている。

000_221121699 X700 金沢 金沢城 橋爪門続櫓 Z50 Z18-140.jpg
金沢城再建造物 五十間長屋と橋詰門続櫓 2022年11月21日 石川県 金沢城公園

108_221121663 X800 金沢 金沢城 石川橋 Z50 Z18-140.jpg 108.石川門
石川橋を渡り石川門へ向かう。石川門は宝暦9年(1759年)の大火によって全焼したが、11代藩主 治脩の代に再建され、その後修理等を重ねて現在の姿になった。現在の石川門は、天明8年(1788年)に再建され、重要文化財に指定されている。金沢城の搦手(裏口)門で、高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なしり
109_221121665 X800 金沢 金沢城 石川橋 お堀通り Z50 Z18-140.jpg 109.石川橋を渡る
兼六園の桂坂口からお堀通りの上に架かるこの石川橋を渡って石川門口へ入る。今朝、百万石通りの広坂の交差点から兼六園の真弓坂口に入ってきたが、真弓坂口に行かず、左の広い道を行くとお堀通りになる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 60mm ISO180 ) 露出補正 なし
110_221121667 X800 金沢 金沢城 石川門 Z50 Z18-140.jpg 110.石川櫓
石川橋を渡ると、石川門の一の門(高麗門)を入る。一の門を入るといわゆる枡形虎口になっていて、右に90度曲がったところにもうひとつの門、二の門(櫓門)がある。続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門になっている。石川門は白門とも呼ばれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
111_221121671 X800 金沢 金沢城 石川門 Z50 Z18-140.jpg 111.石川門の二の門(櫓門)
高麗門を入って右に直角に曲がって二の門(櫓門)がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
112_221121673 X800 金沢 金沢城 石川門 Z50 Z18-140.jpg 112.一の門(高麗門)の扉
重厚な鉄扉である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO450 ) 露出補正 なし
113_221121674 X800 金沢 金沢城 三の丸広場 Z50 Z18-140.jpg 113.三の丸広場 松ともみじ
石川門を抜けると目の前の松ともみじの向こうに三の丸広場が広がっていた。その向こうに五十間長屋が見え、左側に橋爪門続櫓、右側には菱櫓が見える。さらにその右に河北門が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO180 ) 露出補正 なし
114_221121679 X800 〇金沢 金沢城 三の丸広場から五十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 114.三の丸広場
芝生の三の丸広場が広がる。三ノ丸は石川門、河北門の内部の郭を指し、利家が入城した後、 重臣の居邸が建てられたが、その後、これらを城外へ移し、高知番所、 物頭番所が置かれた。正面に見える五十間長屋は平成13年7月に完成した、延べ床面積1894.23㎡の復元建物で、石川門や三十間長屋と同様、鉛瓦や海鼠塀が外観の特徴だそうだ。明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国再最大規模で、大径木の事前調達や土台石垣の解体、修築を含め、平成10年3月から実に3年4ヶ月をかけて造られた。五十間長屋の右側が菱櫓で、左側の櫓が橋爪門続櫓である。3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を2層2階の五十間長屋でつないでいる。五十間長屋は武器等の倉庫であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
115_221121680 X800 〇金沢 金沢城 橋爪門続櫓 Z50 Z18-140.jpg 115.橋爪門続櫓
橋爪門続櫓は二の丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 69mm ISO100 ) 露出補正 なし
116_221121695 X800 〇金沢 金沢城 菱櫓 Z50 Z18-140.jpg 116.菱櫓
菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 31mm ISO110 ) 露出補正 なし
117_221121687 X800 〇金沢 金沢城 河北門前から五十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 117.河北門の二の門
河北門は金沢城の実質的な正門であり、約130年ぶりに往時の姿で再建された。河北門は、金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する三の丸の正面である。河北門は高麗門である一の門、櫓門であるニの門、枡形土堀及び続櫓の機能を持つニラミ櫓台(一の門の右脇に設置された二重櫓)により防御機能を持った構成となっている。写真は三の丸側から見た河北門のニの門である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
118_221121688 X800 〇金沢 金沢城 河北門前と湿生園 Z50 Z18-140.jpg 118.河北門の一の門と湿生園
河北門の一の門の外側と、湿生園を三の丸園地から眺められるよう展望台が造られていた。河北門の復元建物は、安永元年(1772年)に再建され、明治15年(1882年)ごろまで存続していた河北門の姿を多数の資料の調査と検証に基づいて再現された。この一の門の右側に見えるのがニラミ櫓である。外側に広がる湿生園は、江戸時代後期の古絵図や埋蔵文化財の発掘調査結果に基づき、護岸は往時の新丸南堀の外郭が再現されている。掘をイメージした親水空間には、ハナショウブやミズアオイ、ヒメスイレンなどの湿性植物が楽しめるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO125 ) 露出補正 なし
119_221121689 X800 〇金沢 金沢城 河北門 Z50 Z18-140.jpg 119.河北門の一の門
石川門(重要文化財)と橋爪門と共に金沢城三御門と呼ばれているが、金沢城の建物の大半が焼失した宝暦の大火(1759年)の後、三御門の中で最初に安永元年(1772年)に再建された重要な門である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO125 ) 露出補正 なし
120_221121702 X800 金沢 金沢城 橋爪門 Z50 Z18-140.jpg 120.橋爪門
三の丸広場の芝生のわきをまっすぐ西へ進み、橋爪門の一の門にでた。 橋爪門は、寛永8年(1631年)の大火後に整備された二の丸の正門である。高麗門形式の一の門、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の二の門からなる枡形門で、枡形は城内最大の規模を誇る。二の丸御殿へ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられ、また、二の門の床には二の丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれるなど格式の高い門だった。文化五年(1808年)の二の丸火災で焼失した後、文化六年(1809年)に再建された姿を復元している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.6 1/500秒 28mm ISO140 ) 露出補正 なし
121_221121703 X800 金沢 金沢城 橋爪門 Z50 Z18-140.jpg 121.橋爪門の二の門
橋詰橋を渡って、石垣と二重塀で囲われた枡形に入る。そして、その右側にこの櫓門形式の二の門がある。先は二の丸広場だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 30mm ISO220 ) 露出補正 なし
122_221121706 X800 金沢 金沢城 橋爪門敷石 Z50 Z18-140.jpg 122.橋爪門敷石
寛永8年(1631年)の大火を契機として、本丸にあった御殿は二の丸に移り、二の丸御殿が藩政の中心となった。二の丸の正面に当たる橋爪門は二の門床に御殿の玄関周りと同じく四半敷き(正方形の石を縁に対し45度になるよう斜めに敷いたもの)で戸室石が敷かれ格式の高い門であったことを示しているとの説明板があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO4500 ) 露出補正 なし
123_221121711 X800 〇金沢 金沢城 二の丸広場 Z50 Z18-140.jpg 123.二の丸御殿跡
橋詰門を抜けると、二の丸情報館があった。一休みしようと中に入る。復元整備中の二の丸広場を右(北)に見る。石川県のホームページによれば、現在、二の丸御殿の復元整備事業が行われている。二の丸御殿は江戸時代においても二度の火災による焼失・再建を経て姿を変えながら、幕末・維新期まで御殿としての役割を担い続けていた。廃藩後は軍隊の管轄に置かれ、兵舎として利用されたが、明治14 年(1881年)に失火により焼失し、威容は失われてしまったそうだ。石川県では、平成30年(2018年)より、専門の学識者による検討や各種調査等を行い、御殿の復元整備に向けた取り組みを進め、令和3年(2021年)3月に御殿の復元整備に向けた基本方針を策定した。令和3年度(2021年)からは、復元整備事業に着手し、基本方針に沿って調査や設計等の取り組みを進めている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
124_221121717 X800〇金沢 金沢城 極楽橋と三十間長屋Z50 Z18-140.jpg 124.極楽橋と三十間長屋
二の丸情報館を出て、さらに西へ進むと左手に極楽橋が架かり、三十間長屋が見えた。二の丸と本丸の拡張部である本丸附段の間の空堀に架かる極楽橋の名前は江戸時代から使われており、金沢御堂(金沢城の前身は加賀一向一揆の拠点、金沢御堂で、本丸跡付近にあった)に由来すると伝えられる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 36mm ISO100 ) 露出補正 なし
125_221121721 X800 〇金沢 金沢城 三十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 125.三十間長屋 -1
極楽橋を通り過ぎたところから、北側から三十間長屋を見上げる。本丸附段にある2層2階の多聞櫓で、石川門と同様に重要文化財に指定されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 65mm ISO160 ) 露出補正 なし
126_221121725 X800 〇金沢 金沢城 三十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 126.三十間長屋 -2
段を上がって東側から三十間長屋を見る。宝暦の大火(1759年)の後、長く再建されず、安政5年(1858年)に再建された。大火以前は食器などを収めていたが幕末の再建後は武器弾薬を納めたといわれている。現在の長さは26間半だそうだ。南面は入母屋造りだが、北面は土台の石組よりも外壁がさがっており、切妻造りである。金沢城にはこの他に全部で14の長屋があったと伝えられている。18mmでは全長を収められなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
127_221121730 X800 〇金沢 金沢城 三十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 127.紅葉のグラデーション
紅葉するイロハモミジが枝先の方は紅くなり、もとの方は緑のまま残っていた。イロハモミジは、1本の木、1枝からも緑色に赤や黄色、オレンジなど、カラフルないろどりを楽しめる。三十間長屋を東へ、本丸園地の方へ歩いてみた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし