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2018年1月22日

2泊3日の京都紅葉狩り(9・終) 金閣寺 12月6日

龍安寺からはタクシーで金閣・鹿苑寺へ行く。さすがに修学旅行の生徒たちや外国人観光客が多かった。
 さて、午後1時になった。金閣・鹿苑寺の拝観を終え、食事をしたいが、ここは不案内である。できれば、北野の上七間町を歩いて見たかったし、北野天満宮の「御土居」を見たいと思っていたが、今年の御土居「もみじ苑」公開は10月28日(土)~12月3日(日)だったそうで、すでに終わってしまっていた。今回の京都見物はここで切り上げることにし、四条河原町までタクシーに乗った。高島屋の食堂街でゆっくり食事をして、京都駅へ行き、予約してあった新幹線を変更して、帰路に着いた。

208.金閣寺総門
金閣寺は正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つである。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と言われている。西大路通りでタクシーを降りて、金閣の参道に入る。寺院を囲む土塀が見えてきた。写真は総門をくぐって境内に入り、振り返って見たところ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f8 1/250秒 22mm ISO200) 露出補正 なし
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209.鐘楼
総門を入って左側(南側)に鐘楼がある。この鐘楼の梵鐘は、鎌倉初期に鋳造された由緒あるものということだ。 この鐘楼のあたりにはカエデが多く、秋 には見事な紅葉となると期待していたが、時すでに遅かった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f6.3 1/250秒 38mm ISO200) 露出補正 なし
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210.金閣​​
総門の先にある唐門で拝観料を納め、まっすぐ進むと、鏡湖池が表れた。そしてその対岸には、眩いばかりに輝く金閣があった。鏡湖池は鹿苑寺庭園の中心をなす池で面積は約6600㎡ある。 室町時代以前は舟遊びを楽しむ池だったと言われている。鏡湖池北側の畔には金閣 が建ち、庭は浄土庭園の形式が取り入れられ九山八海を表す大小様々な島が池に 浮かんでいる。金閣はこの鏡湖池の南側から見た光景が一番美しいといわれており、金閣に太陽の光が当たり輝いて見える午前中がもっとも見応えがあると言われ ているが、今まさに晴天のもと、南側から一番美しいというところから金閣を眺める。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影(f9 1/320秒 46mm ISO200)露出補正 なし
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211.鏡湖池と金閣​​
鏡湖池に金閣が映る。しかし、池にはさざ波が立ってせっかくの金閣が崩れる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (f9 1/320秒 31mm ISO200) 露出補正 なし
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212.ハナショウブ?
池之端を金閣のほうへ歩きながら撮り続ける。ハナショウブかカキツバタの花が咲いている。しかし、ハナショウブもカキツバタも5月~6月に咲くものだと思っていたのだが。違う花なのだろうか。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影(f8 1/250秒 31mm ISO200)露出補正 なし
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213.金閣(舎利殿)​​
金閣(舎利殿)は、室町幕府三代将軍の足利義満によって建てられたもので、1397年(応永4年)から建設が始まり、1408年(応永15年)には完成していたものと考えられている。一層は「寝殿造り」で法水院(ほっすいいん)、二層は「武家造り」で潮音洞(ちょうおんどう)、三層は「禅宗仏殿造り」で究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれ、それぞれの層で異なる様式が採用され、それを見事に調和させた室町時代を代表する建築物。二層と三層には漆地に純金の箔が貼られ、屋根は椹(さわら)のこけら葺、頂上には金銅製の鳳凰が置かれている。金閣は国宝に指定されていたが、1950年(昭和25年)7月2日未明、学僧の放火により全焼してしまった。現在の金閣は、1952年(昭和27年)3月22日から3年の月日をかけて再建された建物で、1955年(昭和30年)10月10日に落慶法要が行われた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f9 1/320秒 26mm ISO200)露出補正 なし
180121_213.jpg
214.方丈​​​​
金閣の東側、鏡湖池の反対側に方丈があった。「方丈」とは、禅寺で住職らが住む所であり、本坊にあたる。別名で「客殿」とも呼ばれ、客間としても用いられている。1602年(慶長7年)に、当時鹿苑寺の人事をつかさどる僧録であった西笑承兌(さいしょうじょうたい)によって建てられた。1678年(延宝6年)には、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の寄進により建て替えが行われているという。その後も現在に至るまで約4回改修が行われているそうだ。2005年(平成17年)には2年の歳月をかけて、全面解体修理が行われている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影(f9 1/320秒 24mm ISO200)露出補正 なし
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215.金閣の後ろ側​​​​​​
順路に従って、金閣の後ろ側(北側)へと歩く。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (f9 1/320秒 18mm ISO200) 露出補正 なし
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216.漱清(そうせい)
北側に来ると、舎利殿から突き出した部分が見えた。「漱清」(そうせい)と言うそうで、鏡湖池に臨んで造られた釣殿(つりどの)と呼称される建造物だという。この釣殿(漱青)は、舎利殿の初層である法水院の西側とつながっており、池の上に突き出すようにして建てられている。釣り殿は、寝殿造りにはかかせないものだそうだ。創建当初は、この漱青の場所に厠が造営されていたと云われている。1650年頃(江戸時代前期)に金閣寺で改修が執り行われていたとされ、このときに造営された説があるようだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f9 1/320秒 18mm ISO200) 露出補正 なし
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217.高台から見る金閣
漱清を見た後、北へ上がっていくと、榊雲、厳下水、龍門滝などがあるが、その高くなったところから、金閣を眺める。申し訳なさそうにモミジの葉が残っていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f7.1 1/800秒 91mm ISO200) 露出補正 なし
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218.茶席 夕佳亭
インターネットで検索すると、金閣寺の北側出口付近の高台にある茶室「夕佳亭」は、金森宗和が制作に携った代表的な数奇屋造りの茶室の一つだとある。夕方に金閣が美しく見えるという意味から名付けられた茶室で、内部は思ったよりも広くゆとりのある茶室は、比較高い場所に造った為、茶室がはり出しているのが特徴という。また茶室正面から見ると、わかりにくいが、多角形の形状で思ったより複雑な形状の茶室と言われる。寛永年間に創建された夕佳亭は明治初期に惜しくも消失してしまい、その後1874年(明治7年)再建された。近年、平成の解体修理が行われて夕佳亭の古図が発見されたことから、宗和による建築当初の近い形に復元されている。大徳寺を本拠に幅広く活動して京都の寺社、武家、公家と社交的に行動して顔も広かった金森宗和は、この時代の金閣寺の住職で茶道にも通じ当時一流の文化人だった鳳林和尚とも親交が深かったので、ここの茶室の制作にも尽力して日々、語りあったのではないだろうかとされる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影(f3.5 1/250秒 18mm ISO1400) 露出補正 なし
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219.不動堂
不動堂は金閣寺創建以前に建立されていたが、1467年(応仁元年)~1477年(文明9年)の応仁の乱で焼失し、 天正年間(1573年~1592年)に豊臣政権の五大老の一人だった宇喜多秀家が再建 した。不動堂は金閣寺山内の最古の建物とも言われている。不動堂に祀られる本尊は弘法大師が作ったと伝えられる石不動明王で、霊験あらたかな秘仏として広く一般に信仰されている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影 (f3.5 1/250秒 18mm ISO1400) 露出補正 なし
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2018年1月18日

2泊3日の京都紅葉狩り(8) 龍安寺 12月6日

仁和寺からはバスで龍安寺へ。龍安寺はさいわい、まだ紅葉が残っているところがあった。
 山門から入り、左側に鏡容池を眺めながら、龍安寺の玄関である庫裡へと進む。庫裡から方丈(本堂)に上がった。
 方丈の縁に腰を下ろし、石庭を眺め、写真を撮っていたら、男性の外国人から声を掛けられ、「庭にあるそれぞれの石に意味があるのか?」と聞かれた。そんなこと考えたこともないし、分からなかった。私は拝観受付でもらったパンフレットの石庭の英文説明を見せた。それには、彼の答えになるようなことは書いていなかった。かみさんもそのことに興味を持って、帰り際に案内係受付の女性に質問していたが、石庭は作者も明確になってなく、明らかではないということだった。
  庫裡の玄関から外に出て、順路に従い、国の名勝になっている鏡容池を中心とする庭園の周りを歩いた。思っていた以上に、「ありがとう」と言いたくなるほどモミジが残っていた。
 さて、次は鹿苑寺金閣へ行く。

191.龍安寺山門
龍安寺は臨済宗妙心寺派の禅寺の名刹である。山門わきの拝観受付でもらったパンフレットによれば、龍安寺は徳大寺家の別荘だったのを、報徳2年(1450)菅領そして応仁の乱の東軍総師でもあった細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山(初代住職)として創建された。応仁の乱に焼失して、明応8年(1499)、勝元の子、政元が再興したが、寛政9年(1797)火災で方丈、仏殿、開山堂などを失った。山門は宝暦5年(1755)の洪水によって破損し、江戸時代中期に再建された。切妻造である。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f8 1/250秒 26mm ISO200) 露出補正 なし
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192.山門のモミジ
山門の傍にあったモミジは、葉は落ち始めて入るが、十分きれいだった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f10 1/400秒 48mm ISO200) 露出補正 なし
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193.鏡容池 -1
山門を入って、庫裡、方丈の玄関の方へ歩いていくと、左手に大きな池がある。この池は徳大寺家によって築かれたもので、かってはオシドリが群れ遊んだところからオシドリ池と呼ばれたそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f6.3 1/640秒 82mm ISO200) 露出補正 なし
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194.鏡容池 -2
池の周りには紅葉した木々があった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影 (f6.3 1/640秒 102mm ISO200) 露出補正 なし
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195.モミジ
色は褪せてきているが、まだしっかりと葉を残しているモミジがあった。すでに紅葉のシーズンを逸してしまっているが、今回の京都紅葉狩りでは、東福寺と、ここ龍安寺が救ってくれた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f7.1 1/250秒 46mm ISO200) 露出補正 なし
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196.龍安寺 石庭 -1​​
この名高い石庭は正式には「方丈庭園」という。方丈の広縁に腰を降ろして眺める石庭は東西の幅が25m、奥行きが10mの長方形で、その面積は約75坪。畳にすると150畳程の広さがあるそうだ。そこに敷き詰められた白砂には、あたかも大海がうねるかのような波模様の筋目がつけられ、そこに15個の石が置かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels​​
プログラムオートで撮影( f2.5 1/1250秒 17mm ISO125 )露出補正 なし
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197.龍安寺 石庭 -2​​
15個の石の配置には不思議なことがあるという。この石庭は、どの位置から眺めても必ずどこかの1つの石が見えないように配置されていることでも有名だそうだ。庭のどの位置から眺めても、15個の石のうち、必ず1個は他の石に隠れて見ることができない。15という数は十五夜、つまり満月に結びつけられ、それは"完全"を意味するとされている。しかし、この世には完全というものは存在せず、ものごとは完成した時点から崩壊が始まるという思想の元、この石庭の作者は15個の石を置きながらも、完全とされる数の15にひとつ足りない14個の石しか見えるように設計したのではないかと言われている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (f8 1/250秒 18mm ISO200) 露出補正 なし
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198.方丈
1797年(寛政9年)に火災で方丈・仏殿・開山堂を焼失したが、1606年(慶長 11年)に建築・造営された西源院の方丈が移築され、現在の方丈(本堂)となっている。方丈の襖絵について、wikipediaによると、明治初期の廃仏毀釈の影響により、明治28年(1895年)に寺から出て以来、115年ぶりの2010年10月に龍安寺方丈襖絵のうち6面が帰還した。東本願寺に売却後、伊藤傳右衛門など個人の手に渡るなどして散逸したもので、その一部は米国シアトル美術館などが所有している。2010年に戻った襖絵は、狩野派の作と言われる「群仙図」20面のうち4面と「琴棋書画図」20面のうち2面で、米国のオークションに出品されたものであるが、イギリス人の仲介により、龍安寺が落札したという。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影(f3.8 1/250秒 24mm ISO1250) 露出補正 なし
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199.方丈の広縁から方丈庭園を眺める
wikipediaから引用すると、この庭は石の配置から「虎の子渡しの庭」や「七五三の庭」の別称がある。「虎の子渡し」とは、虎は、3匹の子供がいると、そのうち1匹は必ずどう猛で、子虎だけで放っておくと、そのどう猛な子虎が他の子虎を食ってしまうという。そこで、母虎が3匹の虎を連れて大河を渡る時は次のようにする。母虎はまず、どう猛な子虎を先に向こう岸に渡してから、いったん引き返す。次に、残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に行くと、今度は、どう猛な子虎だけを連れて、ふたたび元の岸に戻る。その次に、3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡る。この時点で元の岸にはどう猛な子虎1匹だけが残っているので、母虎は最後にこれを連れて向こう岸へ渡る、という中国の説話(虎、彪を引いて水を渡る)に基づくものである。また、「七五三の庭」とは、東から5、2、3、2、3の5群で構成される石組を、5と2で七石、3と2で五石、そして3で三石と、七・五・三の3群とも見られることによる。古来より奇数は陽数、すなわちおめでたい数とされ、その真ん中の数字をとったものである。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f9 1/320秒 24mm ISO200) 露出補正 なし
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200.紅葉の道 -1
方丈庭園を見て、再び庫裡の玄関から外に出る。方丈庭園の南側を西に向かう順路に沿って、納骨堂のほうへと歩く。道筋の紅葉が陽を浴びて美しい。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f5.6 1/250秒 20mm ISO200) 露出補正 なし
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201.落ち葉​​
人が歩かないところの地面は、赤や黄色の落ち葉で覆われていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (f4.5 1/250秒 18mm ISO200) 露出補正 なし
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202.残されたモミジの葉 -1
あと、2日もすれば、このモミジの葉も落ちるのだろう。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f4.8 1/400秒 56mm ISO200) 露出補正 なし
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203.残されたモミジの葉 -2​​
前の写真と同じところで、地面を覆った落葉を入れた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (f4.8 1/250秒 56mm ISO200) 露出補正 なし
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204.紅葉の道 -1
順路に従って木立の間を南へ下りる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f5 1/250秒 70mm ISO560) 露出補正 なし
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205.鏡容池 -3
西源院(龍安寺塔頭)の傍を通ると、湯豆腐専門店の入口があった。案内にも、精進料理に豆腐を加えた「七草湯豆腐」は、野菜を散りばめ目にも美しいとある。豆腐はもともと僧の食物であり、室町時代に中国から伝わったとされる。そこから鏡容池に沿って、その南側の道を山門へ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 )露出補正 なし
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206.鏡容池 -4
対岸は龍安寺塔頭の大珠院であろう。わずかに残った紅葉が池の水面に映る。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (f9 1/250秒 38mm ISO200) 露出補正 なし
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207.鏡容池 -5
​​ 対岸の紅葉と、手前の木になる柿の実、そして水鳥。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (f6.3 1/640秒 62mm ISO200) 露出補正 なし
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2015年12月28日

紅葉の古都鎌倉を巡る (2) 明月院 12月7日

若かった頃、北鎌倉に住んでいたことがあるが、円覚寺、東慶寺は行ったことがあるもののアジサイ寺で有名な明月院を訪れた記憶がない。この季節はどのような風情なのかわからないが、この日、明月院へ行くことを目的の一つにしていた。
  円覚寺総門の石段を下りて横須賀線の線路を渡り、鎌倉街道へ出て、左へ進む。再び横須賀線の踏切をわたり、すぐ左へ行く。明月院通りという小さな川沿いの道が明月院の入り口まで続いていた。
 明月院はアジサイで有名だが、紅葉の季節もなかなか見どころがあった。​花菖蒲と​​紅葉の見ごろのみ特別公開されるという本堂後庭園を見ることができてラッキーだった。

26.明月院通り
北鎌倉駅前から鎌倉へ通じる鎌倉街道を歩いていくとJR横須賀線の踏切に出る。ちょうど鎌倉方面から電車が来てしばらく待った。踏切を渡ってすぐ左へ行くと明月院通りがあった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 45mm ISO2200 ) 露出補正 なし
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27.明月院入口
明月院通りを10分ほど歩くと明月院の入り口に着いた。正面に総門があるがここからは入れない。国指定史跡 明月院は、臨済宗建長寺派に属する寺。明月院は今から約850年前の永歴元年(1160)に、この地の武将で平治の乱で戦死した山内首藤俊通の菩提供養のため、俊通の子、山内首藤経通によって明月院の前身である明月庵を創建したことに始まるという。その後、康元元年(1256)、鎌倉幕府五代執権・北条時頼が執権を北条長時に譲って、この地に最明寺を建立し、出家生活をここでおくったが37歳で死去。後に時頼の子・八代執権・北条時宗が最明寺を前身に蘭渓道隆を開山に禅興寺を創建した。康暦二年(1380)、足利氏満から禅興寺中興の命を受け、関東官領・上杉憲方は寺院を拡大し、塔頭も建てた。この時、明月庵は明月院と改められ支院の首位におかれたそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 26mm ISO2200 ) 露出補正 なし
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28.茶々橋のウサギとカメ
入口は総門手前を左に曲がるが、小川に掛けられた茶々橋という橋にウサギとカメがせせらぎを眺めるように置かれていた。カメの右前足に包帯が施されていて、「負傷中、触れないで下さい」と札が立てられていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 32mm ISO4500 ) 露出補正 なし
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29.月笑軒と時頼公墓所
右側にある建物は月笑軒というカフェだった。庭がきれいなようだ。左手に歩くと五代執権北条時頼の廟所がある。その奥に墓所があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 24mm ISO560 ) 露出補正 なし
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30.北条時頼の廟所とモミジ -1
明月院はアジサイ寺として有名である。紅葉の時期はどうかと思ったが、なかなか見事なモミジもある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 48mm ISO250 ) 露出補正 なし
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31.北条時頼の廟所とモミジ -2
少し離れて撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 50mm ISO450 ) 露出補正 なし
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32.北条時頼墓所
写真の廟所の左手に墓、北条時頼の宝篋印塔があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO450 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
33.本堂と開山堂 時頼廟所から一旦総門まで戻って、左に行くと山門がある。山門の突き当りが本堂になり左手奥に開山堂が見える。後ろの山も紅葉している。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR 絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 35mm ISO320 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.本堂 明月院の本堂には「方丈」の額が掲げられている。本尊は聖観世音菩薩(鎌倉時代:鎌倉観音巡礼第30番札所)。この写真では、右の方に4分の1ほど見えているが、庭園の景色を眺める事ができる丸窓があり「悟りの窓」と言われている。本堂前に枯山水庭園がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 40mm ISO3600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.「悟りの窓」
本堂の「悟りの窓」越しに本堂後庭園の眺めを撮るのがネットなどで紹介されている。撮影者は並んで順番にシャッターを切っていく。右側のガラス戸越しに見える景色も良い。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 40mm ISO2200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.開山堂
「悟りの窓」からの写真は後でもう一度並んで撮ることにして開山堂の方へ進んでみた。禅興寺の明月院境内にあった宗猷堂を後に開山堂としたものだそうだ。 堂内中央に開山密室守厳の木像、向かって左に最明寺、禅興寺、当院の歴代の住持の位牌が祀られているという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO1250 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.明月院やぐら
やぐら​と​は鎌倉の周辺にある鎌倉時代中期以降から室町時代前半にかけて作られ、または使用された横穴式の納骨窟または供養堂​のことだそうだ​。 現在では風化で苔むした洞穴にしか見えないが、建立当時の内装は豪華​だったという​。開山堂の裏手の山腹に​は​間口約​7​m、奥行き約6m、高さ約3mのやぐらがある。鎌倉で最大級のやぐらだそうだ。 やぐらの壁面中央には、阿弥陀如来像、多宝如来、両側には十六羅漢の浮彫りが彫られている。やぐら中央には宝篋印塔(上杉憲方の墓)があ​る​。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2​0​0秒 ​40​mm ISO​640​0 ) 露出補正 なし
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38.瓶の井
鎌倉十井のひとつで、内部が水瓶のようにふくらみがあることから「瓶の井」と呼ばれるようになったと伝えられている。 鎌倉には昔から鎌倉五山・鎌倉七口(切通)・鎌倉十橋のように名数で数えた史跡が伝えられている。鎌倉は昔から水にあまり恵まれていないという。まして800年前の鎌倉時代においては良い水は大変に貴重なものだったにちがいない。この様なことから、水にまつわる言い伝えが起こったものと思われる。更に江戸時代にいたり、観光地として鎌倉が再び繁栄するにつれて、「鎌倉十井」とか「鎌倉五名水」等水に関連した名数(名数とは、同類のものをいくつかまとめ、その数をつけて総称する呼び方)が称えられる様になったのだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2​50秒 ​18​mm ISO​5000 ) 露出補正 なし
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39.花想い地蔵
​本堂前の枯山水庭園に、胸の前に季節の花をかかえた「花想い地蔵」があった。そばに立てられた札には「人は誰しも、はかない花の想い出の中に生きています。大切な人との別れ、いとおしい物との別れ、そんな時、ふと目に止まった花がどんなにか、心を慰めてくれたことでしょうか。  いつくしみ深き花地蔵」とあった。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4​ 1/​60​秒 6mm ISO80 ) 露出補正 ​-0.3段​
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40.「悟りの窓」で写真撮影の順番を待つ
​本堂​の円窓は、悟りや 真理、大宇宙などを円形で象徴的に表現したもので「悟りの窓」と呼ばれている。​本堂​後庭園は​花菖蒲と​​紅葉の見ごろのみ特別公開されるが、​通常非公開で​あり、​円窓からしか見る ことができない。​..

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2​50秒 ​23mm ISO​900 ) 露出補正 なし
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​41.「悟りの窓」 紅葉の本堂後庭園​ -1
順番を待ちながら、少し左側の位置から人がかぶらないようにレンズを伸ばして撮った。モミジが良い位置にはいる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2​50秒 ​122mm ISO​1000 ) 露出補正 なし
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42.「悟りの窓」 紅葉の本堂後庭園​ -2
自分の番になった。しゃがみ込んでローアングルで狙う。時間が変わると写り方も違ってくるのだろう。「悟りの窓」と呼ばれる円い窓は何事にもとらわれないおおらかな気持ちを「禅と円通」の心で表しているそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2​50秒 ​80mm ISO​1250 ) 露出補正 なし
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43.本堂後庭園
この日は紅葉の見ごろの時期として本堂後庭園が公開されていた。500円の入園料をお支払して中に入る。逆光で見上げるこのモミジはきれいだった。​

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2​50秒 ​70mm ISO​220 ) 露出補正 なし
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44.後庭園から本堂の「悟りの窓」を見る
先ほど写真を撮った「悟りの窓」を反対側から見た。​

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2​50秒 ​140mm ISO​800 ) 露出補正 なし
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​45.​本堂後庭園の紅葉 -1
あまり期待していなかった明月院の紅葉だったが、​本堂後庭園では鮮やな紅葉を見ることができた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2​50秒 ​48mm ISO​280 ) 露出補正 なし
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46.​本堂後庭園の紅葉 -2
中でも真っ赤に染まった1本のモミジが目を牽いた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​3.5 1/​80秒 ​12​mm ISO​100​ ) 露出補正 なし
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​47.古い民家?
明月院の拝観を終えて外に出ると、そこにこんな家があった。生活感は感じられないが住んでいらっしゃる方がおられるのだろうか。​

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2​50秒 ​23mm ISO​2000 ) 露出補正 なし
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2015年12月24日

紅葉の古都鎌倉を巡る (1) 円覚寺 12月7日

久しぶりに鎌倉に出かけた。この日は円覚寺明月院建長寺、そして鶴岡八幡宮と北鎌倉から鎌倉へ歩くコースを選んだ。
 円覚寺は紅葉が適期だと思う。明月院は初めて訪ねる。建長寺は通り道なので見直してみようと思う。そして、鶴岡八幡宮は新しい大銀杏がどこまで育っているか見てみたい。天気が良く気持ちが良い日だった。1日で600カット近く撮ってしまった。

横須賀線の北鎌倉駅に降りたのは9時半ごろだった。まず円覚寺だ。午前の光が紅葉したイチョウやモミジに降り注ぐ。この時間二も大勢の参拝客、観光客が見えている。カメラで紅葉を撮っている人が多い。わたくしもその一人に加わった。

1.円覚寺
北鎌倉の駅を降りて線路の左側を少し歩くとすぐ円覚寺の総門がある。wikipediaによれば円覚寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある寺院。山号を瑞鹿山と称し、正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺と号する。臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元であると記されている。要するに鎌倉時代後期、北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建された。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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2.円覚寺総門の石段
臨済宗大本山 円覚寺は言わずと知れた禅宗である。円覚寺の総門には、山号の「瑞鹿山」(ずいろくさん)の額が掲げられている。開山無学祖元の創建開堂にあたっての法話に、山中から白鹿が出てきてこれに連なったことから、この名が付けられたという。私は結婚した当初7年間この北鎌倉で間借り生活をした。娘の幼稚園も円覚寺の幼稚園だった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 23mm ISO450 ) 露出補正 なし
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3.円覚寺総門の紅葉
円覚寺の紅葉は適期だった。真っ赤に染まっている。ここから境内に入るが円覚寺のホームページにある境内案内を参照していただきたいと思う。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 95mm ISO640 ) 露出補正 なし
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4.桂昌庵
総門から境内に入ってすぐ左側に塔頭(たっちゅう)の一つである桂昌庵がある。桂昌庵の本尊は地蔵菩薩(矢柄地蔵)。永禄9年(1566年)、大道寺資親の寄進により創建されたそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 95mm ISO640 ) 露出補正 なし
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5.山門(三門)
円覚寺の山門(三門)は、夏目漱石の​「​門​」​にも描かれた​そうだ​。 楼上には十一面観音、十二 神将、十六羅漢像が安置されている​という​。 現在の山門は、天明年間(​1781​~​89​年)、第 ​189​世誠拙周樗によって再建されたもの​という​。 山門は「三門」とも呼ばれ、三解脱門の略​。「円覚興聖禅寺」は伏見上皇の勅額だそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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6.仏殿
山門をくぐらずに桂昌庵の前の道を進むと右手に仏殿が見えてくる。円覚寺の本尊が祀られている建物だ。大正12年(1923)の関東大震災で倒壊したが、昭和39年(1964)に再建された。コンクリート造りだ。禅宗様式の七堂伽藍の中心に位置する建物で、開山毎歳忌(かいさんまいさいき)、達磨忌(だるまき)、臨済忌(りんざいき)、祝聖(しゅくしん)などの行事や毎朝の暁天坐禅が、ここで行われているそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/320秒 32mm ISO200 ) 露出補正 なし
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7.モミジの通り -1
桂昌庵、その先にある選佛場から妙香池への通りはモミジがとてもきれいだ。正面に見えるのは佛日庵だろう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 140mm ISO450 ) 露出補正 なし
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8.モミジの通り -2
もう少し先に進んでカメラをモミジに向ける。大勢の写真愛好家がレンズを向けられていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 140mm ISO250 ) 露出補正 なし
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9.モミジの通り -3
選佛場のあたりから見る山門の屋根を背景にしたモミジが鮮やかだった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 34mm ISO360 ) 露出補正 なし
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10.方丈
本来は住職が居住する建物を方丈というが、現在は各種法要の他、坐禅会や説教会、夏期講座等の講演会や秋の宝物風入など、多目的に使われている。庭の池に紅葉した木々が映っている。障子のガラスにも赤いモミジが映っている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 32mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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11.妙香池と虎頭岩
妙香池の周囲もモミジがきれいだ。池に正伝庵の建物が映っている。妙香池は円覚寺創建当初から知られた放生池で建武2年(1335)頃の絵図にすでに見られるという 。江戸初期の絵図に基づき自然風の姿に戻し虎頭岩と呼ばれる岸の露出岩盤を景観の中心として復元したそうだ。虎頭岩はことうがんと読むらしい​。しかし、​なかなかこの岩は虎の頭には見えない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 27mm ISO500 ) 露出補正 なし
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12.モミジと妙香池と虎頭岩
妙香池のほとりはモミジがきれいだが、その間から妙香池と虎頭岩を見る。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4​ 1/80秒 6mm ISO80 ) 露出補正 ​-0.3段​
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13.​妙香池と正伝庵
妙香池​の向こう側に見える​正伝庵​は、​第24世明巌正因の塔所​だそうだ。本尊は宝冠釈迦如来。 ​1348​年(貞和​4​年)、万寿寺(廃寺)内に創建された寿塔を、​1354​年 (文和​3​年)、円覚寺に移した​とのこと​。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4​ 1/​125​秒 6mm ISO80 ) 露出補正 なし
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14.佛日庵
佛日庵の建物を背景にしたモミジがとても​鮮やかだった。佛日庵は、円覚寺の塔頭寺院のひとつである。円覚寺の開基鎌倉幕府第8代執権北条時宗公の廟所(墓所)をお守りする塔頭寺院とのこと。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 ​52​mm ISO​320​ ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.国宝 舎利殿
​舎利殿は円覚寺塔頭正続院の昭堂(高僧の墳墓を院内につくり,その墓塔を弟子が守り拝礼するところ)。鎌倉で唯一の国宝建造物だそうだ。舎利殿には、源実朝が宋の能仁寺から請来した「佛牙舎利(ぶつげしゃり)」というお釈迦様の歯が祀られている。鎌倉時代に中国から伝えられた様式を代表する最も美しい建物として国宝に指定されている。当初の舎利殿は1563年(永禄6年)の火災で焼失してしまうが、1573年(天正元年)、北条氏康によって西御門にあった尼寺太平寺の仏殿が移築された。室町時代中期(​15​世紀​)​の建築物と推定され、日本最古の唐様(禅宗様)建築物。サワラ木葺の屋根は日本建築にはない急勾配なものであるが、これが禅宗様の特色であり、屋根の四方が反り上がりは、尼寺の仏殿らしい女性的なものに造られているとのこと。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/​640​秒 ​75​mm ISO​200​ ) 露出補正 なし
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16.佛日庵 開基廟​
舎利殿から戻ってきて佛日庵の開基廟へ来た。先に記したとおり、佛日庵はその開基 北条時宗を祀る塔頭寺院である、時宗はこの場所に小さな庵をむすび禅の修業を行ったという。8代執権北条時宗の廟所(開基塔)であり、9代執権貞時および14代執権高時も合葬されているとのこと。本尊は地蔵菩薩。北条氏滅亡後は衰退したが、室町時代に鶴隠周音が再興して塔頭とした。本堂には地蔵菩薩坐像(鎌倉地蔵霊場十四番)と鶴隠周音像を安置。開基廟には十一面観音坐像(鎌倉観音霊場第三十三番)と北条時宗・貞時・高時の木像を安置されているとのこと。拝観料100円をお支払して中に入った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 45mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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17.黄梅院 聖観世音を安置している観音堂
円覚寺には、塔頭が42あったとされるが、今も17の塔頭が残っているそうだ。円覚寺がある谷の一番奥にあるのが黄梅院だった。黄梅院は観応2年(1351年)に示寂した第15世夢窓疎石の塔所で、文和3年(1354年)に弟子の方外宏遠によって創設された。境内最奥の地で華厳塔が建っていた場所である。当時の状況を描く円覚寺境内絵図(1333~1335年頃)に三重塔が描かれているが、これが華厳塔であろう。足利将軍家や鎌倉御所の手厚い保護を受け、関東夢窓派の拠点として栄えたという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 42mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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18.モミジと竹林
方丈のそばに竹林があった。竹林の緑とモミジの赤がきれいだ。

​Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 42mm ISO​450​ ) 露出補正 なし
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19.百観音霊場 -1
方丈の中に百観音霊場という所があり、石仏が並んでいる。​・・・​江戸時代,拙叟尊者(せっそうそんじゃ)が​百態の石仏を岩窟に奉安したことが​由緒となり、明治に至って今北洪川​老​師​が整備した。・・・と説明板があった。​   

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/​640​秒 ​18​mm ISO200 ) 露出補正 なし
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20.百観音霊場 -2​
「仮想旅へ」というブログを拝見したら、次のようなことが記されていた。​・・・「拙叟尊者」とはどんな人だったか全くわかりません。尊者とは敬称でありますから、お坊様では無くて「在家でありながら尊い人」、そんな人だったのでしょう。拙叟さんが塔頭(松嶺院)の奥の岩屋に閉じこもって、観音像を彫った訳でした。円覚寺の観音像は一味も​、​ふた味も違っているのです。観音像はどれも「浮世絵」から出てきたような細面、かぎ目、厚い唇の美人なのです。時代の雰囲気や美意識は絵にも彫刻にも現れるものです。​・・・​

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/​500​秒 ​24​mm ISO200 ) 露出補正 なし
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21.方丈のガラス戸に映るモミジ
方丈の引き戸のガラスにモミジが映っていた。

​Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/​250秒 ​56​mm ISO​2500​ ) 露出補正 なし
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22.山門とモミジ
方丈から山門へと戻ってきた。ここは半ば紅葉したモミジが陽の光を浴びていた。​

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4​ 1/​60秒 6mm ISO80 ) 露出補正 なし
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23.山門から総門を見る
時刻は11時少し前、参拝者がどんどん入ってくる。それにしてもこの日は良い天気だった。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4.5​ 1/​160秒 30mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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24.総門を出る
円覚寺の紅葉を堪能し、次の目的地である明月院へ移動しようと総門を出た。石段に垂れる目の前のモミジもまた素晴らしく美しい。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4. 1/​125秒 ​14​mm ISO​80​ ) 露出補正 ​-0.3段
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25.北鎌倉駅
​50年近く前になるが結婚したころ、7年間はこの駅から​毎朝東京へ通勤していた。記憶では朝7時半ごろの電車に乗っていたと思う。しかし、その頃からこの駅の佇まいはほとんど変わっていない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/​640秒 ​122mm ISO​2500​ ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2014年9月21日

足利から渡良瀬渓谷沿いに日光へ 9月11日~12日 (1)足利学校 9/11


 年に一、二度、一緒に旅行をしている友人ご夫妻と奥日光湯元温泉に行った。第1日目は、足利学校、鑁阿寺(ばんなじ)など、足利を観光する。そのまま、渡良瀬渓谷を日光へ出て、いろは坂から中禅寺湖へ上がり、奥日光湯元に一泊するドライブ旅行だ。宿泊は休暇村日光湯元。

 2日目は、赤沼から低公害バスに乗り、千手ヶ浜、小田代ヶ原を巡る。
 気がかりは天候だったが、天気予報の通り、1日目の9月11日は不安定な天気で、足利では短時間ではあったが、強い雨に襲われた。しかし、2日目は快晴。とてもさわやかな日になったのだ。

 夏に比べるとこの時期は観光客は少なく、ゆっくりと楽しむことができた。
  しかし、この旅行で、ひとつ失敗をしてしまっていた。今回はほとんどをD5300で撮ったが、絞り優先オートで、いつもの通りf6.3に設定していたのだが、足利で雨に降られたりして、カメラを拭きながらの撮影となった時に無意識にコマンドダイアルに触れてしまい、f6.3からf7.1へ、さらにf10、f11と動かしてしまっていた。2日目もf11になったままなのに気がつかず、最後はf14で撮っていた。まったくの初歩的で、不注意なミスだ。 撮影では、インフォ画面を確認せずにファインダーを覗いてしまっている。ファインダー内にもf値は表示されるのだが、構図を作るのに夢中になり、見ていない。気を付けなくてはいけない。風景の写真では多少絞り込まれても、ISO感度が上がることがあるのを除けば、それほど問題は感じなかったが、蝶の撮影は、たとえばf14で撮るとボケがきれいにならない。反面、被写界深度が深くなって、蝶全体がシャープに撮れるということもあった。

 足利ではまず、一番の目的であった日本最古の学校、国指定史跡である足利学校へ行った。足利学校の創建については、奈良時代、平安時代などの説があるが、歴史が明らかになるのは、室町時代の上杉憲実が現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(しょうしゅ)(学長)制度を設けるなどして学校を再興したころからだそうだ。天文18年(1549年)にはフランシスコ・ザビエルにより、日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学と世界に紹介され、「学徒三千」と言われるほどになったとパンフレットに書かれている。
方丈で小学生だろうか、子供たちが論語の素読をしていたのが印象に残った。

1.入徳門
足利学校へはこの入徳門から入る。門をくぐると右手に受付がある。入場券には「日本最古の学校 足利学校入学証」と書かれていた。入学金@420円を納め中に入る。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 45mm ISO1000 ) 露出補正 なし
入徳門;クリックすると大きな写真になります。
2.學校門
入徳門からまっすぐに學校門が見える。「學校」と掲額された足利学校の象徴的な史跡だ。寛文8年(1668年)の創建だそうだ。足利学校のシンボルとして今に継承されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 66mm ISO640 ) 露出補正 なし
學校門;クリックすると大きな写真になります。
3.孔子像
學校門に向かって歩いていくと左側に孔子の像があった。この孔子の像はどこかで見たことがあると思った。思い出した。2011年1月に、湯島天神から御茶ノ水のニコライ堂へ歩いたが、そのときに寄った湯島聖堂で見たのだった。湯島聖堂にも入徳門がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 27mm ISO500 ) 露出補正 なし
孔子像;クリックすると大きな写真になります。
4.正一位霊験稲荷社
孔子像の先、左側に稲荷社があった。正一位霊験稲荷社といい、縁起が書かれた説明札には、「足利学校第七世庠主 玉崗瑞與(ぎょこうずいよ)(九華)が書いた天文23年(1554年)9月の棟札に、足利学校の鎮守である稲荷大明神が、年代が古く神体・社殿ともに破損しているので、あらたに神体を造立し、社殿を造営し、八幡大菩薩を合せ祀ったとあるから、稲荷社の創建は天文23年(1554年)よりかなり時代がさかのぼると思われる。(中略)社殿は天文23年(1554年)創建当時のものと思われるが、明和9年(1772年)あらたに梅や竜などの彫刻を社殿にとりつけた。(攻略)・・・」と記されていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 45mm ISO800 ) 露出補正 なし
正一位霊験稲荷社;クリックすると大きな写真になります。
5.學校門
學校門は寛文8年(1668年)の創建だそうだ。足利学校のシンボルとして江戸、明治、大正、昭和そして平成へと継承されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 32mm ISO1000 ) 露出補正 なし
學校門;クリックすると大きな写真になります。
6.杏壇門
學校門を抜けると正面に杏壇門が見え、その奥に孔子廟が見える。杏壇門は學校門と同じく寛文8年(1668年)の創建。明治25年(1892年)に、街の大火の飛び火により、屋根門扉が焼け、堂30年代に再建したものだそうだ。杏壇とは孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来するのだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO560 ) 露出補正 なし
杏壇門;クリックすると大きな写真になります。
7.杏壇門の扉
杏壇門の左右の扉には彫刻が施されていた。どのような意味があるのかはわからない。湯島聖堂にも杏壇門があった。その扉にはどんな彫刻がなされていたかは覚えていない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
杏壇門の扉;クリックすると大きな写真になります。
8.孔子廟
寛文8年(1668年)、徳川幕府4代将軍家綱の時に造営されたもので、中国明時代の聖廟を模したものと伝えれている。孔子廟(聖廟)は大成殿という。湯島聖堂の大成殿は元禄時代、5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟である。孔子の座像がある中は暗く、絞りはf7.1に動いてしまっていたが、それはともかくとして、ISOは6400、1/60秒のシャッタースピードになっていた。D5300のISO6400はこんな時に助けられる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/60秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
孔子廟;クリックすると大きな写真になります。
9.方丈で勉強する子供たち
孔子廟から一旦杏壇門を外に出て、左手に行くと、方丈があるが、子供たちの論語の素読の声が聞こえてきた。方丈とは学生の講義や学習、学校行事や接客のための座敷として使用されたところだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 62mm ISO1250 ) 露出補正 なし
方丈で勉強する子供たち;クリックすると大きな写真になります。
10. 庫裡
方丈に続いて庫裡がある。ここはいわば学校の台所で、食事など日常生活が行われたところだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 18mm ISO450 ) 露出補正 なし
 庫裡;クリックすると大きな写真になります。
11.宥座の器
庫裡の前に「宥座の器」というのがあった。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味で、孔子の説いた「中庸」ということを教えるものだそうだ。壺状の器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれてしまう。孔子は、「いっぱいに満ちて覆らないものは無い。」と慢心や無理を戒めた。これは館林市在住で、鍛金の伝統技法の伝承に努め、平成11年に国の「現代の名工」に選ばれている針生清司さんから平成24年4月21日に寄贈されたそうだ。最近のものである。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 23mm ISO1250 ) 露出補正 なし
宥座の器;クリックすると大きな写真になります。
12.論語の素読
先ほどの子供たちである。方丈と庫裡から書院へ渡る廊下から撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 27mm ISO5000 ) 露出補正 なし
論語の素読;クリックすると大きな写真になります。
13.方丈の縁から眺める北庭園
方丈の後ろ側にある縁から、北庭園を眺めることができる。方丈、書院から鑑賞するように作られている。形式は方丈の表にあった南庭園と同じく築山泉水庭だ。向こうに見えるのは孔子廟だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 24mm ISO1600 ) 露出補正 なし
方丈の縁から眺める北庭園;クリックすると大きな写真になります。
14.書院
庠主の書斎である。庠主の接客や学生の個人教授が行われたところという。座敷飾り(床、棚、付書院)の付く上の間(向こう側)と次の間(手前)からなる座敷、縁側、雪隠で構成されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/60秒 22mm ISO6400 ) 露出補正 なし
書院;クリックすると大きな写真になります。
15.庫裡にあったかまど
大きな釜だ。これで学生たちの飯を炊いたのだろう。庫裡から外に出ようとするとポツンポツンと雨が降ってきた。書院の案内をしてくれた女性がビニール傘を全員分貸してくださった。後で駐車場で返せばよいという。ありがたい。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/100秒 32mm ISO6400 ) 露出補正 なし
庫裡にあったかまど;クリックすると大きな写真になります。
16.旧遺蹟図書館
書院を見学したあと、衆寮、木小屋、土蔵などを見て、孔子廟の裏を通って進むと、歴代庠主の墓が並んでいた。明治2年に足利学校が藩校になるまで、430年間にわたり、23代の庠主がいた。庠主の墓は全部で17基あり、そのうち8基には文字が刻まれていて、誰の墓かわかるが、残りの9基は不明とのこと。そこから學校門へ戻る途中にこの旧遺蹟図書館があった。足利学校が廃校になった以降、明治36年(1903年)に遺蹟図書館が開設され、書物を継承し現在に引き継がれている。この建物は大正4年(1915年)に建てられたもので、市重要文化財に指定されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 30mm ISO3200 ) 露出補正 なし
旧遺蹟図書館
17.學校門を退出
學校門を出て、振り返ると杏壇門、そして孔子廟が見える。眺めが良かった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 30mm ISO2200 ) 露出補正 なし
學校門を退出;クリックすると大きな写真になります。
18.學校門の眺め
學校門を構図を変えて撮った。足利学校のシンボルである。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 35mm ISO1100 ) 露出補正 なし
學校門の眺め;クリックすると大きな写真になります。


2014年6月21日

高野山と京都 5/21~24 3泊4日 (5) 東福寺 5月23日


 宇治からのJR奈良線「みやこ路快速」は14:09 に東福寺駅に到着した。降りる人はほとんどいない。改札を出て、九条通りを南へ歩くと、東福寺の北門があった。東福寺の塔頭である退耕庵、同聚院の前を通って、臥雲橋へ出る。臥雲橋を渡りながら、通天橋を眺める。日下門を左に、東福寺の境内に入る。日下門の右手が中門だ。
 受付があり、まっすぐ行くと通天橋だが、それは後にして、まず方丈庭園の拝観料400円を支払って、中に入る。幸い観光客は多くない。
 方丈庭園を南庭、西庭、北庭、東庭と拝観し、外に出る。次に通天橋を行く。秋には一面のモミジで真っ赤に染まるところだ。さらに開山堂、普門院及びその庭園を見て、愛染堂へ回る。 最後に、本堂に参拝し、立派な三門と恩遠池へ行った。ここはほとんど人がいなかった。
 東福寺に関する記述は、東福寺のホームページWikupedia を参照した。

3時半を少し回ったころだったか、客待ちをしていたタクシーに乗り、ホテルへ戻った。娘たち夫婦が帰ってくるのを待って、この日の夜は祇園、八坂を歩き、イタリアンの夕食。娘が誕生日祝いのスイーツのバースディ・プレートを用意してくれ、ほかのお客さんにもHappy Birthday to You と歌っていただいた。

71.臥雲橋
同聚院の前を通って、東福寺の境内に入る月下門から日下門へ行く途中に臥雲橋があった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/170秒 6.4mm ISO800 ) 露出補正 なし
臥雲橋;クリックすると大きな写真になります。
72.臥雲橋から通天橋を望む
臥雲橋の途中から洗玉潤の緑の谷の向こうに通天橋が見えた。その右側の大きな屋根が方丈だ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/800秒 20.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
臥雲橋から通天橋を望む;クリックすると大きな写真になります。
73.日下門
東福寺の西側(伏見街道沿い)には北門、中門、南門の3つの門が並んでいる。その真ん中が中門(または中大門という)だ。中門は桃山時代のもので、平成5年(1993年)に京都府指定の文化財になっている。中門から境内のほうに歩いていくと、今度は日下門がある。こちらは江戸時代に建てられたもので、中門と同時に京都府指定文化財になったそうだ。この日下門の向こう、右側に見えるのは本堂である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/420秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
日下門;クリックすると大きな写真になります。
74.東福寺本堂(仏殿兼法堂)
明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年(1917年)から再建工事にかかり、昭和9年(1934年)に完成した。重層入母屋造りの大きな建築物だ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/900秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
東福寺本堂(仏殿兼法堂);クリックすると大きな写真になります。
75.経蔵
日下門から入って左側にある。なかなか瀟洒な建物だ。摂政の九条道家が開山(初代住職)として迎えた円爾弁円(聖一国師)は、仁治2年(1241年)宋から帰朝の際一千余の典籍を持ち帰り、我が国文教の興隆に多大な貢献をなした。それらの経典が納められていたという「経蔵」である。江戸時代寛政5年(1793年)の再建になる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/900秒 5.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
経蔵;クリックすると大きな写真になります。
76.方丈庭園南庭 -1
通天橋の手前にある受付で、方丈庭園への拝観料をお支払いし、靴を脱いで中に入った。まず、南庭から観る。方丈とは、禅宗寺院における僧侶の住居であり、後には相見(応接)の間の役割が強くなったという。東福寺方丈は、明治14年の火災により仏殿、法堂、庫裏とともに焼失しましたが、明治23年(1890年)に再建され、災禍を免れた三門、東司、禅堂、浴室などの中世禅宗建築とともに、現代木造建築の精粋を遺憾なく発揮している。方丈はこの南庭に面して建てられている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F6.4 1/850秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし
方丈庭園南庭;クリックすると大きな写真になります。
77.方丈庭園南庭 -2
76.の右手(西方)になる。「五山」になぞらえた築山を置き、その苔地と砂紋とを区切る斜線の表現が効果的であるという。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/800秒 8.1mm ISO100 ) 露出補正 なし
方丈庭園南庭 -2;クリックすると大きな写真になります。
78.方丈
明治23年に再建された方丈。この方丈の前に南庭が広がる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/180秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
方丈;クリックすると大きな写真になります。
79.北庭 小市松
ウマスギゴケとの対比が色鮮やかな市松模様の敷石は、もと恩賜門(南庭中央の門)に使われていたものだそうだ。方丈庭園は昭和の名作庭家である重森三玲の昭和14年の作で、「八相の庭」と命名され、近代禅宗庭園の傑作とされているそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/550秒 6.4mm ISO200 ) 露出補正 なし
北庭 小市松;クリックすると大きな写真になります。
80.東庭
雲模様地割に円柱の石で北斗七星を構成し、北杜の庭とも呼ばれる。北斗七星に見立てた石は、重要文化財である旧便所の東司の柱石の余った石を利用したものだそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/800秒 5.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
東庭;クリックすると大きな写真になります。
81.方丈の縁側
方丈の南庭に向いた縁側に座って、観光客が庭を眺めていた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/250秒 9.7mm ISO250 ) 露出補正 なし
方丈の縁側;クリックすると大きな写真になります。
82.通天橋へ
方丈庭園「八相の庭」を鑑賞して、外に出る。受付のところから洗玉澗(せんぎょくかん)の谷間に架けられた通天橋への道を進む。初夏の緑が美しいが、秋はモミジで真っ赤になるのだろう。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/160秒 13.8mm ISO160 ) 露出補正 なし
通天橋へ;クリックすると大きな写真になります。
83.通天橋 -1
本堂などがある主要伽藍の北側の洗玉澗という渓谷には、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋という3本の橋(東福寺三名橋)が架かる。通天橋は、本堂から通じる廊下 がそのまま屋根付きの橋となったもので、この付近は特に紅葉の名所として知られる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 5.0mm ISO400 ) 露出補正 なし
通天橋 -1;クリックすると大きな写真になります。
84.通天橋から臥雲橋を望む
洗玉澗の渓谷の向こうには、さっき渡ってきた臥雲橋が見えた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 5.0mm ISO400 ) 露出補正 なし
通天橋から臥雲橋を望む;クリックすると大きな写真になります。
85.通天橋 -2
通天橋を普門院のほうに進む。ここは通天橋の中頃にある屋根のかかったところを通り過ぎて、渡ってきた受付のほうを振り返って撮った。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/105秒 8.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
通天橋 -2;クリックすると大きな写真になります。
86.開山堂
通天橋を渡り終わって、門をくぐって、正面に開山堂、左手に普門院がある池泉式庭園に入る。サツキや菖蒲が咲く庭園にはクロアゲハが飛んできていた。開山堂は別名「常楽庵」といい、正面柱間八間、禅式瓦敷を特徴とし、祀堂に開山国師像を安置する。この写真は開山堂上層にある楼閣である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/850秒 15.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
開山堂;クリックすると大きな写真になります。
87.浴衣姿の生徒たち
開山堂の門をくぐって大勢の着物(浴衣)姿の子供たちが入ってきた。中学3年生くらいだろうか。どういう子供たちなのかわからない。お茶とか、お花の学校の生徒たちだろうか。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/850秒 11.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
浴衣姿の生徒たち;クリックすると大きな写真になります。
88.普門院の縁側
開山堂(常楽庵)の西側に京都十刹の一つである普門寺があった。普門寺は寛元4年(1246年)、大相国九条道家(1193年~1252年)が東福寺建立に先立って普門院を開堂し、円爾(えんに、1202年~1280年)に住まわせたのが始まりである。現在は廃寺となってしまい、名称は東福寺常楽庵の客殿・庫裏・塔司寮に継承されている。つまり、この写真の普門院は東福寺常楽庵の客殿・庫裏・塔司寮である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/640秒 8.2mm ISO400 ) 露出補正 なし
普門院の縁側;クリックすると大きな写真になります。
89.モミジ
高野山の壇上伽藍へ行く蛇腹道にも、初夏なのに真っ赤なモミジがあったが、ここにも赤いモミジがあった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F6.4 1/800秒 35.2mm ISO400 ) 露出補正 なし
モミジ;クリックすると大きな写真になります。
90.愛染堂
普門院の総門である月下門のほうへ歩いていくと朱塗りの柿(こけら)葺き八角円堂の愛染堂があった。南北朝時代の建築で昭和12年万寿寺より移築された。愛染明王が祀られている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/800秒 6.4mm ISO200 ) 露出補正 なし
愛染堂;クリックすると大きな写真になります。
91.本堂
本堂のお参りが最後になってしまった。大きな建物である。東福寺は1319年(元応元年)、1334年(建武元年)、1336年(延元元年)の相次ぐ火災により大部分を焼失するが、直ちに復興に着手し、1346年(貞和3年)には、前関白一条経道によって仏殿が再建され完全な禅宗寺院としての寺観を整えていた。そして、現在の本堂は1881年(明治14年)に仏殿と法堂が焼失した後、1934年(昭和9年)に再建された重層入母屋造の建物である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/800秒 6.0mm ISO400 ) 露出補正 なし
本堂;クリックすると大きな写真になります。
92.本堂正面
創建当初の仏殿には、15mの釈迦仏像が安置され、脇侍の観音・弥勒両菩薩像は7.5mメートルもあって、新大仏寺として喧伝されていたという。現在の本堂には、本尊の釈迦如来立像、脇侍の摩訶迦葉尊者・阿南尊者立像、四天王像が安置されている。本尊の釈迦三尊像は、1881年(明治14年)に仏殿が焼失した際、万寿寺から移された鎌倉時代の作の像で、もとは三聖寺に安置されていたものだという。本尊の釈迦三尊像は外から垣間見ることができた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/300秒 8.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
本堂正面;クリックすると大きな写真になります。
93.国宝 三門
東福寺の一番南側にある壮大な伽藍の正門である三門は、最も格式の高い五間三戸の二重門である。高さは東大寺南大門の25mには及ばないが22mもある最大級の三門だ。三門とは三解脱門(さんげだつもん)の略で、三解脱とは涅槃に入るための空・無相・無作の三つの解脱門を寺院の門に擬したものだそうだ。三門は室町初期の作で、禅宗三門として最後の遺構である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/680秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
国宝 三門;クリックすると大きな写真になります。
94.思遠池
三門の裏側に回ってみると思遠池という池があった。本来、こちら側が正面なのだ。これで東福寺の拝観を終えることにした。秋の紅葉のころに来てみたいが、秋の京都はホテルがとれないほどで、特にここ東福寺は紅葉の名所で、人出が多いと聞く。それを思うと今回はゆっくりと、新緑の季節に東福寺を巡ることができた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/900秒 4.6mm ISO400 ) 露出補正 なし
思遠池;クリックすると大きな写真になります。
95.祇園
東福寺からタクシーで四条烏丸のホテルに戻り、一休みした後、伏見稲荷で別れた娘たち夫婦と合流し、夕暮れの祇園を歩く。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 7.0mm ISO500 ) 露出補正 なし
祇園;クリックすると大きな写真になります。
96.建仁寺
祇園の花見小路の突き当たりに建仁寺という大きなお寺があった。京都五山の第3位だそうだ。花見小路は今までも何度か歩いたことはあるが、ここまで来たことはなかった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/400秒 11.6mm ISO3200 ) 露出補正 なし
建仁寺;クリックすると大きな写真になります。
97.八坂の塔
花見小路を建仁寺の山門の前で左へ曲がる。建仁寺の塀に沿って右へいき、すぐ左へ。東大路通りを渡って、少し右に進み八坂の塔が見える石畳の道を上る。八坂の塔(法観寺)に突き当たったところを左へ行った、全く静かな、こんなところにレストランがあるのかというところに「イル・ギオットーネ」があった。娘たちが、母の日と、父の日と、私の誕生日、そして自分(娘)の誕生日を祝ってくれた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/200秒 17.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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