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2021年1月11日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (10)西教寺 11/27

今回のツアー最後の名刹である西教寺に着いた。今回は、西明寺、金剛輪寺、百済寺、延暦寺、教林坊、そして西教寺と滋賀県内の6つの寺院を巡ったが、いずれも天台宗の寺院であった。
 西教寺ホームページによれば、天台真盛宗総本山 西教寺は聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建したと伝えられている。その後、久しく荒廃していたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場とした。恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになったという。鎌倉時代の正中2年(1325年)に入寺された恵鎮(円観)上人は、伝教大師が畢生(終生)の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、その後百有余年を経た文明18年(1486年)に真盛上人が入寺されるに至り、堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とした。以来全国に約400余りの末寺を有する総本山となった。
 総門を入ったところにある受付で拝観券を受けとって、後は自由に参拝ということになった。約1時間滞在という制約もあったのだが、結果として、境内を中心に歩いてしまい、本堂に上がるのを割愛し、客殿やその庭園を見逃してしまっていたは大失敗だった。本殿に上がって、重要文化財である本尊「阿弥陀如来像」をお参りして、本堂の奥にある重要文化財の客殿 (豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で慶長3年(2598年)に大谷刑部吉隆の母と山中山城守長俊の内室が檀越となり、寄進・移築したものと言われている。)  および、その庭園を見なかったという大失態である。これも事前の勉強不足と反省した。
 正月3日もNHK大河ドラマ「麒麟がくる」を見た。池端俊策の脚本で明智光秀の生涯を描き、主人公の明智光秀役には長谷川博己が起用されている。タイトルは仁政を行う王の元に現れるとされる伝説の動物「麒麟」が由来となっており、モチーフとしての麒麟が何者で、如何にして何れの英雄の前に現れるのかを問うていく物語だ。新型コロナ・ウィルス感染症のため、5月15日には第21回(6月7日)を以て放送は一時休止され 2021年2月7日に最終回を放送することになっている。光秀が比叡山焼き討ちの戦功で与えられた地に築いた坂本城、その延暦寺焼き討ちで焼失した後、明智光秀(1528-82)が西教寺の復興に尽力したことから、西教寺の境内には、光秀一族の墓がある。
 11月に行ったこの琵琶湖一周の旅日誌も、12月以降感染者が増加し、Go To トラベルが一時中止され、1月8日には緊急事態宣言が再び発出されることになった。ブログのタイトルに肩身の狭い思いをしている。

<img alt= 西教寺ホームページより

193.西教寺到着
西教寺の総門に着いた。 西教寺は坂本城から山手に進んだところにあり、この総門は坂本城の城門を天正年間に明智光秀が移築したものと伝えられている。春には総門から勅使門までの直線の参道の両側にサクラが咲く。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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194.禅智坊の門
総門からまっすぐに進む参道の両側にはいくつかの 塔頭  があった。これは総門を入ってすぐ左にあった禅智坊である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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195.禅明坊
禅智坊の参道を挟んで前にある禅明坊だ。明治時代に作られた門が国登録有形文化財に登録されている。文化庁の 「文化遺産オンライン」というサイトによれば、1間1戸高麗門の形式で,親柱を上部に延ばして直接棟木を受け,軒は疎垂木,屋根は桟瓦葺とする。親柱を結ぶ内法虹梁と木鼻に施した絵様や,親柱足元の八艘飾などが,意匠の見所となっている。参道の北側の東端に位置し,参道らしい連続性を保っている。また、庭園も大きいのだが最近造られたものかもしれない。この塔頭(里坊)では「麒麟がくる」の大河ドラマ館のひとつとして、「びわ湖大津・光秀大博覧会~戦国ぶらさんぽ~」というイベントが「麒麟がくる」の最終回放映日に合わせ、2021年2月7日まで行われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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196.徳乗坊の門
参道中ほどの右側の徳乗坊がある。この門も明治時代に建てられた国登録有形文化財である。 「文化遺産オンライン」によれば、 形式は1間1戸の薬医門であるが、軒は疎垂木・木舞打で、起りのある桟瓦葺の屋根を架け、冠木を丸太状の材とするなど,数寄屋風の意匠が取り込まれており、近代和風の造形と思われる。参道の北側,實成坊と禅明坊の間に位置し,参道空間に欠かせない存在。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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197.塔頭ともみじ
ちょっと記憶が怪しいが、写真は徳乗坊の庭のもみじだったと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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198.實成坊の門
「文化遺産オンライン」によれば、實成坊は近世より続く西教寺の塔頭のひとつである。敷地南の門は1間1戸の薬医門で、軒が疎垂木、屋根が桟瓦葺、組物は簡素な絵様肘木であるが、妻の虹梁・大瓶束架構を見所とする。両側に続く穴太衆積の石垣と一体となって参道景観を形成している。直轄教区宿坊の看板も掛けられていた。江戸時代後期に作られた門は登録有形文化財である。庭は比較的近年作庭された枯山水と池泉式の組合せた庭園だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 19mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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199.禅林坊の門
同じく「文化遺産オンライン」によれば、木造、瓦葺、間口2.3m、1830-1867ごろに建てられた禅林坊の門で、2001年10月12日に登録有形文化財に登録されている。1間1戸薬医門の形式で、軒は疎垂木、屋根は桟瓦葺、妻飾は蟇股とする。木鼻や蟇股などの絵様細部に江戸末期らしい造形がある。北にある實成坊と対になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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200.筑紫門
参道の突き当りに筑紫門があった。いつ建てられた門かネットで調べてみたが、良く分からなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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201.筑紫門の前で
筑紫門の前で猫が寝転んで見せた。ジャリ道が暖かいのだろうか?写真を撮っていると、私の方へ寄ってきた。人懐こい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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202.真盛学院 西教寺文庫
猫が寝そべる筑紫門の右側に通用門があり、その先に、真盛学院 西教寺文庫の研修道場が見える。 もみじは少しくすんでいた。2000年11月、宗祖・真盛(しんせい)上人が文明18年(1486年)、西教寺へ入寺して不断念仏を始めてから十八万日を迎えるため、今回の十八万日大法会の記念事業では境内の研修道場前に鉄筋コンクリート2階建ての専門書3万冊を収蔵する書庫と図書館がある「西教寺文庫」と教学を研究、講義する「真盛学院」が完成した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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203.本堂
本堂は、江戸時代、元文4年(1739年)落成した建築面積240㎡。重要文化財である。境内西寄りに東面して建つ。桁行14m梁間16m規模で、入母屋造本瓦葺とし、正面に一間向拝、背面に縋破風を付ける。浄土真宗本堂の標準的な平面構成になるが、正面広縁を外陣と一体的に扱う。三斗組を重ねる妻飾りや、向拝の龍虎の彫刻など見応えがある。内陣には重要文化財の本尊丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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204.明智光秀の妻の墓 -1
奥の右側にある大きい石碑の左下の小さい墓石が、明智光秀の妻・煕子(ひろこ)の墓である。手前は松尾芭蕉の句碑だ。芭蕉没後参百年記念句碑で、「月さびよ明智が妻の咄(はなし)せむ はせ越」と明智光秀の妻煕子を詠んだ句という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/250秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段  
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205.來迎阿弥陀如来二十五菩薩像と明智光秀と妻 煕子の墓
ちょっと外れてしまったが、一番左にあるのが妻 煕子の墓で、一番右側が明智光秀の墓だ。そして中央に並んだ菩薩像は來迎阿弥陀如来二十五菩薩といい、もともとの西教寺二十五菩薩石仏(桃山時代 天正12年 1584年、笏谷石、高さ 120cm 弥陀)は破損が著しいため西教寺屋内の書院と桃山御殿(客殿)を結ぶ、「欣浄廊」に安置されている。阿弥陀如来が二十五菩薩を従え、浄土の世界から音楽を奏でながら来迎し、念仏者を極楽浄土へ導くという。旧二十五菩薩石仏は近江国栗太郡冨田民部進が愛娘をなくし、娘が極楽往生することを願って、天正12年(1584年)3月18日に造立安置した。そして、平成16年4月に復元され法要開眼されたのが、この菩薩像群である。そして右端に見える墓石が明智光秀の墓だ。天正10年にこの世を去った明智光秀は6年前に亡くなった内室 煕子や一族の墓とともに祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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206.戦国武将に仕えた人たちの墓
この西教寺には、明智一族墓所の他にも、一般墓所内に歴史上の人たちの墓所がある。墓所の入口に「戦国武将に仕えた人達の墓」と言う地図入りの説明板があった。それによると、この西教寺を開山した真盛上人の持戒と念仏の布教によって、信仰した武将や民衆が供養されているという。そろばんを広めた長谷川左兵衛藤広の墓所、豊臣秀吉の家臣で、大谷吉継とこの西教寺の檀越(檀家)となり、慶長3年(1598年)に秀吉の伏見城御殿を西教寺に移築寄進した山中山城守の墓所、また、一番墓所の高い場所には、前田利家の六女であった前田菊子墓所があった。ほかにも、出雲松平出羽守の家臣、比良太郎兵衛墓所、肥後細川越中守家臣の長岡監物一族の墓所などがある。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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207.墓所から琵琶湖を眺める
「戦国武将に仕えた人達の墓」から、南東の方向には宗祖大師殿の屋根越しに坂本の街と琵琶湖が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 120mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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208.鐘楼
本堂の前に鐘楼があった。鐘楼の梵鐘は坂本城の陣鐘で、明智光秀が寄進したものだそうだ。平安時代に造られ、重要文化財になっている。釣鐘堂から本堂にワイヤーロープが渡ってあって、そのロープを引いて撞くという大変珍しい鐘撞きになっているというが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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209.正教蔵
本堂を背にして左側、鐘楼の隣に正教蔵がある。文化遺産オンラインによれば、「正教蔵は2階建の土蔵。切妻造・桟瓦葺で、西面には切妻造・起り屋根の庇を設け、蔵前とする。外壁は上部白漆喰塗、下部縦板張とし、蔵前は柱から軒裏まで漆喰で塗り込める。庇の虹梁絵様や誇張的な板蟇股など、明治初期の意匠が伺える」と記されていた。登録有形文化財  西面のは切妻造・起り屋根の庇ともみじを撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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210.大本坊
本堂に向かって右側に大本坊がある。ここも大河ドラマ「麒麟がくる」に関わる展示が行われているようだった。 大本坊(庫裡)、本堂、客殿、書院の中心伽藍は、回廊で結ばれている。明智光秀は 元亀3年(1572年)から天正2年(1574年)にかけて西教寺の壇信徒と協力して仮本堂の建立を始め、同年3月には落慶の運びとなったが、その時、宇佐山城の陣屋を移築して庫裏(大本坊)も造営され、その時に梁に使用されていた材木には「天正年中明智公所造古木」と刻銘が入っていて、今も残っています。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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211.本堂と大本坊の渡り廊下
大本坊と本堂の間を入ってみると、本堂(左)と大本坊はこの渡り廊下でつながっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/200秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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212.客殿
本堂の奥には重要文化財の客殿がつながっていた。 客殿は、豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、慶長3年(1598年)に、大谷刑部吉隆の母と山中山城守長俊の内室が檀越となり、寄進・移築したものと説明されている。桁行12間、梁間8間、一重、屋根南面入母屋造り、北面切妻造り、杮葺きの建物である。質素で落ち着いた、桃山様式を伝える数少ない建物でと、パンフレットに紹介されていた。狩野派によって描かれた鶴の間、猿猴の間、厳選の間、花鳥の間の襖絵、さらに、本堂の奥、西側(山側)には小堀遠州の作庭と伝わる客殿庭園があり、庭の中央にびわ湖の形を取り入れた池が配されているという。今回は、西教寺参拝で最も見てこなくてはいけなかったこれらを見損なってしまった。他にも書院庭園( 明治時代作庭 枯山水庭園 )、裏書院庭園(平成元年に地元の庭師によって作庭された池泉鑑賞式庭園) 、大本坊庭園(江戸時代初期作庭 枯山水庭園)があり、 西教寺には 計4っの庭園がある。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/200秒 25mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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2020年12月 3日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (1)メタセコイヤ並木 11/25

10月の中頃だったか某旅行会社からのダイレクトメールで『明智光秀ゆかりの「西教寺」と通常非公開「教林坊」ライトアップ 琵琶湖ぐるっと紅葉10景3日間』というツアーが紹介されていた。昨年の2月には、仏事で京都へ行った帰りに石山寺、日吉大社を訪れていた。また、一昨年11月にも、高野山からの帰りに、京都駅から出発する日帰り観光バスで金剛輪寺、西明寺、百済寺の湖東三山を巡っている。 私たち一家は、1945年にかっての満州は奉天(現・瀋陽)から、父親の郷里である滋賀県に引き揚げてきた。私は小学校へ入る前の2~3年の間、そこで育った。私の本籍地は結婚するまでは滋賀県だったのだ。父親に連れられて琵琶湖に注ぐ小川へ行き、今は少なくなってしまったというモロコ釣りをした思い出もある。 というわけで、滋賀県には愛着がある。10月中頃にこのツアーに参加を申し込んでいたが、その後、新型コロナウィルス感染の第三波で感染者がじわじわと増えてきてしまったのが気がかりになったが、思い切って行くことに決めた。

今回のツアーのおおよそのコースは、第1日目に高島市マキノ町の県道小荒路牧野沢線のメタセコイア並木を見て、白髭神社を車窓から眺め、南へ下がってきて琵琶湖大橋を渡り、近江商人の街、近江八幡を散策した。近江八幡の近くで早めの夕食を済ませ、秋の夜間特別公開としてライトアップされた教林坊を訪れる。宿泊は2晩とも草津のホテル。2日目は、草津から名神高速を北へ走り八日市で下り、まず、湖東三山の金剛輪寺と西明寺の紅葉を観賞する。その後、彦根城を訪れ、昼食時間を含め、自由に3時間ほど過ごす。彦根城の駐車場に集合し、残りの湖東三山のひとつである百済寺を訪れ、早めに草津に戻ってきた。夕食は各自自由にする。最終日は比叡山延暦寺へバスで上がり、坂本ケーブルで坂本に下り、明智光秀の菩提寺である西教寺に行く。最後は大津に近い湖岸に建つ旧琵琶湖ホテルの建物のびわこ大津館で琵琶湖を眺めながらの昼食となった。帰路は大津から名神高速に上がり、岐阜羽島から新幹線に乗車した。 

さて、第1日目。新横浜から乗車した新幹線の車内はほぼ満席だった。乗客はみなさんマスクをして、時々女性の笑い声が気になったが、静かに過ごしている。 米原駅で下車、駅前に近江交通の観光バスが待っていた。参加者は、1人旅行から3人グループまで全部で17人だった。片側にひとりずつ座る。乗車するときにベテランガイドさんが、乗車口でアルコール消毒液のスプレーを持って迎えてくれ、差し出した手のひらに吹きかけてくれた。 バスはまず北陸自動車道を北へ向かう。ガイドさんは小谷城や長浜の町の説明をしてくれる。木之本で下りて国道303号線へ。賤ケ岳、余呉湖の説明を聴きながら、敦賀へ向かう道と別れて、琵琶湖の西側へ向かう。最初に下車したところは、韓国ドラマの「冬のソナタ」のオープニングシーンや各場面に登場した並木道に良く似ていると話題になった、高島市マキノ町のマキノピックランドのメタセコイア並木だった。

1.マキノ高原のメタセコイヤ並木 -1
場所は琵琶湖の北側で、西側へ回り込んだあたりの三国山、赤坂山など標高800m~900mの山が連なる福井県との県境である野坂山地の麓にある。高島市マキノ町の蛭口~牧野の農業公園マキノピックランドを縦貫する県道小荒路牧野沢線に延長約2.4kmにわたりメタセコイアが約500本植えられている。高島市は、滋賀県の西部、琵琶湖の北西に位置する市。市の面積は県内最大であるが、人口密度は67人/㎢と県内でも少ない方だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO320 ) 露出補正 なし
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2.マキノ高原のメタセコイヤ並木 -2
バスは県道小荒路牧野沢線の美しく紅葉したメタセコイア並木の下を潜るように走り、並木が終わるところにある駐車場に入った。若い人たちが大勢訪れていた。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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3.マキノ高原のメタセコイア並木 -3
車の往来は結構多いが、車と車の合間を見計らって車道に出て、見事に紅葉したメタセコイア並木の写真を撮っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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4.マキノ高原のメタセコイア並木 -4
おおよそ2.4kmにわたりメタセコイア約500本が植えられているというが、先は見えないほど続いている。1981年(昭和56年)に当初、約2mの苗木が植えられたが現在では樹高25m程度にまで成長している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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5.マキノ高原のメタセコイア並木 -5
車も多い。京都ナンバーと地元の滋賀ナンバーが多いようだ。「冬のソナタ」のオープニングシーンや各場面に登場した並木道に良く似ているというが、「冬のソナタ」のロケ地「南怡島(ナミソム)」のことは知らないものの、それを凌ぐではないかと思うほど立派である。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 51mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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6.マキノ高原のメタセコイア並木 -6
同じような写真で恐縮である。当初、メタセコイアではなく桜並木にという意見もあったらしいが、桜百選に選定されている海津大崎の桜並木がすぐ近くにあること、果樹園を運営していることから防風林が必要であったこと、また整備当時近隣よりメタセコイアの化石が発見されていたことも理由となり、メタセコイアが選ばれたという。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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7.メタセコイアとは
wikipediaによれば、メタセコイアは、ヒノキ科メタセコイア属の落葉樹。1属1種。和名はアケボノスギ、イチイヒノキ。和名のアケボノスギは、英名 dawn redwoodを訳したものだそうだ。 樹高は生長すると高さ25-30m、直径1.5mになる。 葉はモミやネズに似て線のように細長く、長さは-3cm程度、幅は1-2mm程度で、羽状に対生。秋に赤茶色に紅葉した後、落葉すると記されていた。また、同じくwikipediaによれば、メタセコイアは、当初は日本を含む北半球で化石として発見されるのみで、絶滅した植物と考えられていたが、1946年に中国四川省(現在の湖北省利川市)で現存していることが確認されたという。1948年にアメリカのチェイニー(Ralph W. Chaney)が、湖北省から苗を持ち帰り育成。その一部が1950年に" target="_blank">三木茂博士  が結成したメタセコイア保存会に送られ、保存会により日本国内の研究機関や自治体に配布されたといわれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 187mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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8.メタセコイアの幹
成長すると幹は直径1.5mほどになるというが、まだそれほどではないにしても太い。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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9.マキノ高原のメタセコイア並木 -7
この並木は、1994年11月、読売新聞社の「新・日本の街路樹百景」に選定されて以降は、観光地として注目を集めている。2010年9月には「日本紅葉の名所100選」(主婦の友社選)にも選ばれている。昨年夏に行った北海道の十勝牧場の入口のTVドラマのロケに使われたこともあるという白樺並木を思い出した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO1250 ) 露出補正 なし
201125050_009 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
10.ピザ屋
ピザを売る屋台の車に若い人たちが列を作っているのを横目で見ながら駐車場のバスに向かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO500 ) 露出補正 なし
201125064_010 X800 〇メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
11.白髭神社
メタセコイア並木を出発したバスは琵琶湖の西側をJR湖西線に添うように南下する。小1時間ほど走って、ガイドさんが左側車窓に湖水に鳥居が立つ白髭神社の説明を始めた。右側には境内と社殿が見えた。降りて見たかったと思った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
201125066_011 X800 白髭神社 RX10M4.jpg
12.沖島
比良山地を右に見て、堅田から琵琶湖大橋を渡り琵琶湖の東側に入る。まもなく近江八幡というところで左側に島が見えた。ガイドさんは沖島と説明してくれた。wikipediaによれば、沖合約1.5 kmに浮かぶ小島。琵琶湖最大の島だそうだ。約250人が居住する有人島で、島の南西部に集落が形成されており、市立小学校や郵便局なども設置されている。また、ネコが多く生息しているというのをTV番組で見たことがある。電気・通信は、近江八幡市本土と沖島の間に湖底ケーブルがあるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 56mm ISO160 ) 露出補正 なし
201125074m_012 X800 竹生島 RX10M4.jpg