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2023年5月 7日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ③ 2023年4月5日ー7日 吉野山 吉水神社

2023年4月6日の続き。金峯山寺の蔵王堂は、各自、自由時間に拝観するということで、先に吉水神社を団体としてお参りし、本殿に参拝し、重要文化財の書院を見学、そして、庭園と展望台からの中千本、上千本の桜の眺めを楽しんだ。
 この吉水神社の有料で拝観できる書院は、①南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸(おしのびの行幸)したときに行宮(あんぐう)を設け、一時居所とした南朝の本拠地、②さらに源義経が潜居したり、③豊臣秀吉が花見の本陣とした等のエピソードがある凄い場所である。後醍醐天皇玉座の間、太閤秀吉花見の間、義経潜居の間なども写真撮影が許されていていた。古文書や武具、楽器など100点を超える宝物もあった。書院の見学を終え、外に出ると、「一目千本」、山が笑うほどの明るい桜の山が待っていてくれた。良いところを見ることができた。ツアコンさんの案内がなければ、見落としてしまっていたかもしれない。小一時間を吉水神社で過ごした。

000_2304060582 X700 ◎吉野山 Z50 Z18-140.jpg
吉水神社「一目千本」から中千本の眺望 2023年4月6日 奈良県吉野町

063_2304060572 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 63.吉水神社 表門(山門?)
吉水神社には3つの門があった。書院の奥にある北闕門(ほっけつもん)以外その名称が分からない。これは最初の門だ。山門というのだろうか。吉水神社の社伝では、白鳳年間に金峯山寺の僧坊「吉水院(きっすいいん)」として役行者(役小角)により建立されたと伝えられている。写真には写っていないが、この門の右側に、元弘の変に敗れ、隠岐に流される途中の後醍醐天皇へ児島高徳という忠義の武士が桜の木に刻んだ十字(10文字)の漢詩が掲げられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0250 ) 露出補正 なし
064_2304060576 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 64.吉水神社 中門
中門と言ってよいのかどうかはわからないが、最初の門の内側、本殿の手前にある門である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm IS0180 ) 露出補正 なし
065_2304060586 X900 ◎吉野山 Z50 Z18-140.jpg 65.一目千本
表門を入って、右側に「一目千本」展望台があった。書院見学の前だが、ちょっと見たいと立ち寄ってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 64mm IS0250 ) 露出補正 なし
066_2304060579 X900 ◎吉野山 Z50 Z18-140.jpg 66.中千本の桜 -1
この山は宝月尾(ほおづき尾)と呼ばれるそうだ。「ほおづき尾」をチャットGPTに聞いてみると、「奈良県吉野山のほおづき坂は、桜の名所の一つで、特に「ほおづき尾」として知られています。ソメイヨシノの桜が植えられています。ほおづき尾は、ほおずき坂の途中にある一帯のことを指し、桜のトンネルを形成している美しい景色が有名です」という答えがあった。ただ、吉野山はおおよそ3万本のヤマザクラというが、「ほおづき尾」はソメイヨシノなのかなと疑問に思った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 125mm IS0250 ) 露出補正 なし
067_2304060580 X900 〇吉野山 Z50 Z18-140.jpg 67.中千本の桜 -2
中千本から上千本に連なる桜の眺めはまさしく「一目千両」だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 44mm IS0280 ) 露出補正 なし
068_2304060587 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 68.吉水院庭園 -1
国指定名勝の池泉鑑賞式庭園で、豊臣秀吉によって造られた。吉水院庭園という説明板があったが、吉水院というのは明治時代の神仏分離令以前、お寺だった時代の名称。この庭園は1594年(文禄3年)に太閤・豊臣秀吉が吉野山で大花見を行った際、本陣だった吉水院に秀吉自らが設計した庭園とされている。安土桃山時代の華やかな雰囲気を今日に伝える「桃山様式の日本庭園」であると説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm IS0250 ) 露出補正 なし
069_2304060589 X900 吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 69.吉水神社本殿
1874年(明治7年)12月17日に吉水院は後醍醐天皇社の名で神社になることが太政官に承認されたとのこと。1875年(明治8年)2月25日、社名を吉水神社に改称し、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀(はいし)(主祭神のほかに、同じ神社の中に他の神を祭ること)し、やがて村社に列している。現在、本殿には2001年(平成13年)に焼失した勝手神社の祭神が仮遷座されているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 31mm IS0280 ) 露出補正 なし
070_2304060591 X900 吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 70.南朝皇居
吉水神社のホームページによれば、「延元元年(1336年) 後醍醐天皇が京の花山院から吉野へと行幸された際に、吉水宗信法印の援護のもと、この吉水院を南朝の皇居とされ、ここに住まわれました。それから南朝四代五十七年の歴史ははじめられ、それから南朝四代五十七年の歴史は始められ、吉水神社は現存する南朝唯一の行宮となっています。」と説明されている。石碑は新しいものであるが、「世界遺産・南朝皇居・吉野神社書院」と彫られていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 59mm IS0500 ) 露出補正 なし
071_2304060085 X900 吉水神社 G7X.jpg 71.書院 源義経潜居の間 -1
義経は後白河法皇から勝手に任官を命ぜられたことなどから、鎌倉の謀反人となり兄頼朝から追われる身となる。京を離れ、義経、静、弁慶など少ない手勢は、奈良の吉野山にあるここ「吉水院」にかくまわれた。文治元年12月、源義経が静御前、弁慶等と共に数日間この部屋に身を潜め再起を計ったが、それも束の間、すでに鎌倉から吉水院に義経追討状を送られ義経も止むなく山伏姿に身を替え弁慶等と共に吉野落をしたという。右側に弁慶思案の間がある。弁慶がここで見張りをしながら一世一代の秘策を考へ思案した。(吉水神社のホームページや、「セルフ塾のブログ」などの記述を参照させていただいた。)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
072_2304060593 X900 吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 72.書院 源義経潜居の間 -2
ここから先は、女人禁制の「大峰山」で逃れられないと、義経は静に京に帰るよう命じたという。このとき静御前は義経の子を身ごもっていた。「吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」と歌われた、天下に名高い大ロマンスの舞台だそうだ。その際に身に着けていた数々の武器や道具や衣装を吉水院へ隠し残されていった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/200秒 21mm IS06400 ) 露出補正 なし
073_2304060090 X900 吉水神社 G7X.jpg 73.書院 後醍醐天皇玉座
吉永神社のホームページによれば「吉永神社書院の中にあるこの部屋は、延元元年(1336年)後醍醐天皇が京の花山院より秘かに吉野に行幸された時、吉水院の宗信法印が三百名の僧兵を従えて、天皇をここにお迎えしました。後醍醐天皇はこの部屋を南朝の皇居と定められて、吉野朝の歴史の第一頁が始まりました。天皇は建武の中興の偉業を成されるため、昼夜御努力をなされ王政復古を願われながら、南朝での御生活をされましたが、延元四年(1339年)にこの地で病により倒れられ、静かな最後を遂げられました。」と記されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
074_2304060104 X900 吉水神社 G7X.jpg 74.庭園と北闕門(ほっけつもん)
書院の縁から書院裏庭と北闕門を見る。書院裏庭に現存する北闕門は古来より修験者(山伏)たちの祈りの場であった。大峰山に入山するにあたり、無事に下山できるようにここから祈った聖地であった。山伏達は吉水院にて入山許可書をもらい、護摩を焚き崖から落ちたり、熊や猪や蝮に襲われることなく「平穏無事」の下山できるように念じたという。そして、この北闕門にて後醍醐天皇も朝夕に京都の方角の空を仰ぎながら邪気払いの「九字」を切られたといわれている。北闕門は後醍醐天皇が京都に凱旋する時の門でもあった。その後、楠正行も出陣にあたり「九字真法」の印を切り結んだ場所と伝えられている。(吉水神社ホームページ参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
075_2304060111 X900 吉水神社 G7X.jpg 75.吉野之花見図
これは複製だそうだ。細やかなタッチで花見の様子が描かれている。吉水神社ホームページには「文禄三年(1594年)に豊臣秀吉が南朝を偲んで吉水院(吉水神社)を本陣として盛大なる花見の宴を催しました。徳川家康・加藤清正・前田利家・伊達政宗など時の武将たちを含め総勢五千人の家来を引き連れて吉野山を訪れ、吉水院(吉水神社)に約五日間滞在されました。その時に、歌の会、茶の会,能の会などを開いて豪遊されました。一世の英雄がその権勢を天下に示し念願の大花見をしたのでした。豊臣秀吉はその時に後醍醐天皇玉座の間の修繕や庭園の設計などを含め、数多くの能面や金屏風などの宝物を吉水院(吉水神社)に残され寄贈されました。と記されている。「竹の図」(桃山時代後期 狩野山雪筆)、「桜の図」(桃山時代前期 狩野承穂筆)の屏風もあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
076_2304060115 X900 吉水神社 G7X.jpg 76.秀吉花見の本陣
書院の庭に「秀吉花見の本陣」という標識が立てられていた。向こうに見えるのは北闕門である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
077_2304060599 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 77.書院の縁と裏庭
書院の縁側からは、その裏庭と、右手に北闕門が見える。広くはないが、見応えがある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0160 ) 露出補正 なし
078_2304060605 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 78.吉水院庭園 -2
神仙思想に基づく鶴亀蓬莱の庭と言われる。この石は鶴島を表している。その左手に、写真には写っていないが亀島がある。鶴と亀は千年生きたとされ、これを見た人は千年生きられると考えられていると説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0400 ) 露出補正 なし
079_2304060616 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 79.「一目千本」からの眺め -1 中千本と上千本
最後にもう一度、「一目千本」展望所から、中千本、上千本の桜を眺めた。写真の左から右へ中千本から、上千本へと桜の尾根が連なる。画面は中千本と上千本の手前だが、今回撮った写真の中では気に入った写真になった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0400 ) 露出補正 なし
080_2304060619 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 80.「一目千本」からの眺め -2 宝月尾(ほおづき尾)のあたり
いくら眺めていても飽きない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 33mm IS0125 ) 露出補正 なし
081_2304060622 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 81.「一目千本」からの眺め -3 桜の花色
木によって微妙に異なる花色が織りなすバリエーションが素晴らしい。青空の下であればと欲が出る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 61mm IS0180 ) 露出補正 なし
082_2304060626 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 82.「一目千本」からの眺め -4 中千本
中千本エリアは広い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 90mm IS0100 ) 露出補正 なし
083_2304060628 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 83.「一目千本」からの眺め -5 中千本
「一目千本」展望所からは中千本と上千本が見えるというが、どこからが上千本なのかよくわからなかった。昨夜までは今日は雨だろうとあきらめていたが、ここまで桜を眺めることができてラッキーであった。吉野神社でよい時間を過ごし、退出したのは、11時少し前だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm IS0125 ) 露出補正 なし
084_2304060641 X900 〇吉野山 勝手神社 Z50 Z18-140.jpg 84.勝手神社
吉水神社から少し、上千本の方へ進んだところに、勝手神社の境内があった。吉水神社の本殿には、現在は2001年(平成13年)に焼失した勝手神社の祭神が仮遷座されているということを知った。吉野町のホームページには「境内は、義経と別れた静御前が追手に捕えられ、請われて舞いを舞ったといわれる地。社殿は2001年(平成13)に焼失してしまいました。」とあった。再建計画が進められており、平成29年から再建工事が開始される予定であったが、コロナ禍のためか遅れているようだ。再建に必要な経費は約4億円とされている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm IS0110 ) 露出補正 なし
085_2304060645 X900 吉野山 ダラスケ Z50 Z18-140.jpg 85.ダラスケ丸
和漢胃腸薬である「陀羅尼助」という胃腸薬の老舗があった。ホームページを見ても立派に営業されているようだ。高野山にも「大師陀羅尼錠」というのがあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0360 ) 露出補正 なし
086_2304060656 X900 〇吉野山 東南院 Z50 Z18-140.jpg 86.東南院 多宝塔
東南院につぃては、前回の写真61.で調べているが、多宝塔は、もともと江戸初期に和歌山に建てられたものを、昭和12年にこの地に移された。明治初年まで和歌山県海草郡野上町の野上八幡宮にあった。古い霊地霊山には東南院あるいは、東南寺という 名の寺院があることが多いが、これは、霊山を開くときに中心となる伽藍(吉野山の場合は金峯山寺である。) を建て、そこから巽(東南)の 方角に当たる所に寺を建て、一山の安泰と興隆を祈願したためであるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm IS0110 ) 露出補正 なし
087_2304060656 X900 〇吉野山 東南院 Z50 Z18-140.jpg 87.奈良漬
これからどこかで食事をして、バスの駐車場へ戻らなくてはならない。この店で奈良漬を買い求めた。帰宅して食べてみたがとても美味しかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 32mm IS0160 ) 露出補正 なし
088_2304060663 X900 吉野山 Z50 Z18-140.jpg 88.吉野山郵便局
吉野町の世帯数と人口は、そのホームページによれば、令和5年4月末日現在で、世帯数が3073世帯、人口は6,151人(先月比-33人)である。どれほどの町民が郵便物配達の対象になるのかなと、写真を撮りながら考えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 18mm IS0110 ) 露出補正 なし

2021年1月11日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (10)西教寺 11/27

今回のツアー最後の名刹である西教寺に着いた。今回は、西明寺、金剛輪寺、百済寺、延暦寺、教林坊、そして西教寺と滋賀県内の6つの寺院を巡ったが、いずれも天台宗の寺院であった。
 西教寺ホームページによれば、天台真盛宗総本山 西教寺は聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建したと伝えられている。その後、久しく荒廃していたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場とした。恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになったという。鎌倉時代の正中2年(1325年)に入寺された恵鎮(円観)上人は、伝教大師が畢生(終生)の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、その後百有余年を経た文明18年(1486年)に真盛上人が入寺されるに至り、堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とした。以来全国に約400余りの末寺を有する総本山となった。
 総門を入ったところにある受付で拝観券を受けとって、後は自由に参拝ということになった。約1時間滞在という制約もあったのだが、結果として、境内を中心に歩いてしまい、本堂に上がるのを割愛し、客殿やその庭園を見逃してしまっていたは大失敗だった。本殿に上がって、重要文化財である本尊「阿弥陀如来像」をお参りして、本堂の奥にある重要文化財の客殿 (豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で慶長3年(2598年)に大谷刑部吉隆の母と山中山城守長俊の内室が檀越となり、寄進・移築したものと言われている。)  および、その庭園を見なかったという大失態である。これも事前の勉強不足と反省した。
 正月3日もNHK大河ドラマ「麒麟がくる」を見た。池端俊策の脚本で明智光秀の生涯を描き、主人公の明智光秀役には長谷川博己が起用されている。タイトルは仁政を行う王の元に現れるとされる伝説の動物「麒麟」が由来となっており、モチーフとしての麒麟が何者で、如何にして何れの英雄の前に現れるのかを問うていく物語だ。新型コロナ・ウィルス感染症のため、5月15日には第21回(6月7日)を以て放送は一時休止され 2021年2月7日に最終回を放送することになっている。光秀が比叡山焼き討ちの戦功で与えられた地に築いた坂本城、その延暦寺焼き討ちで焼失した後、明智光秀(1528-82)が西教寺の復興に尽力したことから、西教寺の境内には、光秀一族の墓がある。
 11月に行ったこの琵琶湖一周の旅日誌も、12月以降感染者が増加し、Go To トラベルが一時中止され、1月8日には緊急事態宣言が再び発出されることになった。ブログのタイトルに肩身の狭い思いをしている。

<img alt= 西教寺ホームページより

193.西教寺到着
西教寺の総門に着いた。 西教寺は坂本城から山手に進んだところにあり、この総門は坂本城の城門を天正年間に明智光秀が移築したものと伝えられている。春には総門から勅使門までの直線の参道の両側にサクラが咲く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201127787_193 X800 西教寺 RX10M4.jpg
194.禅智坊の門
総門からまっすぐに進む参道の両側にはいくつかの 塔頭  があった。これは総門を入ってすぐ左にあった禅智坊である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201127792_194 X800 西教寺 RX10M4.jpg
195.禅明坊
禅智坊の参道を挟んで前にある禅明坊だ。明治時代に作られた門が国登録有形文化財に登録されている。文化庁の 「文化遺産オンライン」というサイトによれば、1間1戸高麗門の形式で,親柱を上部に延ばして直接棟木を受け,軒は疎垂木,屋根は桟瓦葺とする。親柱を結ぶ内法虹梁と木鼻に施した絵様や,親柱足元の八艘飾などが,意匠の見所となっている。参道の北側の東端に位置し,参道らしい連続性を保っている。また、庭園も大きいのだが最近造られたものかもしれない。この塔頭(里坊)では「麒麟がくる」の大河ドラマ館のひとつとして、「びわ湖大津・光秀大博覧会~戦国ぶらさんぽ~」というイベントが「麒麟がくる」の最終回放映日に合わせ、2021年2月7日まで行われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201127793_195 X800 西教寺 RX10M4.jpg
196.徳乗坊の門
参道中ほどの右側の徳乗坊がある。この門も明治時代に建てられた国登録有形文化財である。 「文化遺産オンライン」によれば、 形式は1間1戸の薬医門であるが、軒は疎垂木・木舞打で、起りのある桟瓦葺の屋根を架け、冠木を丸太状の材とするなど,数寄屋風の意匠が取り込まれており、近代和風の造形と思われる。参道の北側,實成坊と禅明坊の間に位置し,参道空間に欠かせない存在。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201127794_196 X800 西教寺 RX10M4.jpg
197.塔頭ともみじ
ちょっと記憶が怪しいが、写真は徳乗坊の庭のもみじだったと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201127795_197 X800 西教寺 RX10M4.jpg
198.實成坊の門
「文化遺産オンライン」によれば、實成坊は近世より続く西教寺の塔頭のひとつである。敷地南の門は1間1戸の薬医門で、軒が疎垂木、屋根が桟瓦葺、組物は簡素な絵様肘木であるが、妻の虹梁・大瓶束架構を見所とする。両側に続く穴太衆積の石垣と一体となって参道景観を形成している。直轄教区宿坊の看板も掛けられていた。江戸時代後期に作られた門は登録有形文化財である。庭は比較的近年作庭された枯山水と池泉式の組合せた庭園だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 19mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201127796_198 X800 西教寺 RX10M4.jpg
199.禅林坊の門
同じく「文化遺産オンライン」によれば、木造、瓦葺、間口2.3m、1830-1867ごろに建てられた禅林坊の門で、2001年10月12日に登録有形文化財に登録されている。1間1戸薬医門の形式で、軒は疎垂木、屋根は桟瓦葺、妻飾は蟇股とする。木鼻や蟇股などの絵様細部に江戸末期らしい造形がある。北にある實成坊と対になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201127797_199 X800 西教寺 RX10M4.jpg
200.筑紫門
参道の突き当りに筑紫門があった。いつ建てられた門かネットで調べてみたが、良く分からなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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201.筑紫門の前で
筑紫門の前で猫が寝転んで見せた。ジャリ道が暖かいのだろうか?写真を撮っていると、私の方へ寄ってきた。人懐こい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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202.真盛学院 西教寺文庫
猫が寝そべる筑紫門の右側に通用門があり、その先に、真盛学院 西教寺文庫の研修道場が見える。 もみじは少しくすんでいた。2000年11月、宗祖・真盛(しんせい)上人が文明18年(1486年)、西教寺へ入寺して不断念仏を始めてから十八万日を迎えるため、今回の十八万日大法会の記念事業では境内の研修道場前に鉄筋コンクリート2階建ての専門書3万冊を収蔵する書庫と図書館がある「西教寺文庫」と教学を研究、講義する「真盛学院」が完成した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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203.本堂
本堂は、江戸時代、元文4年(1739年)落成した建築面積240㎡。重要文化財である。境内西寄りに東面して建つ。桁行14m梁間16m規模で、入母屋造本瓦葺とし、正面に一間向拝、背面に縋破風を付ける。浄土真宗本堂の標準的な平面構成になるが、正面広縁を外陣と一体的に扱う。三斗組を重ねる妻飾りや、向拝の龍虎の彫刻など見応えがある。内陣には重要文化財の本尊丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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204.明智光秀の妻の墓 -1
奥の右側にある大きい石碑の左下の小さい墓石が、明智光秀の妻・煕子(ひろこ)の墓である。手前は松尾芭蕉の句碑だ。芭蕉没後参百年記念句碑で、「月さびよ明智が妻の咄(はなし)せむ はせ越」と明智光秀の妻煕子を詠んだ句という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/250秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段  
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205.來迎阿弥陀如来二十五菩薩像と明智光秀と妻 煕子の墓
ちょっと外れてしまったが、一番左にあるのが妻 煕子の墓で、一番右側が明智光秀の墓だ。そして中央に並んだ菩薩像は來迎阿弥陀如来二十五菩薩といい、もともとの西教寺二十五菩薩石仏(桃山時代 天正12年 1584年、笏谷石、高さ 120cm 弥陀)は破損が著しいため西教寺屋内の書院と桃山御殿(客殿)を結ぶ、「欣浄廊」に安置されている。阿弥陀如来が二十五菩薩を従え、浄土の世界から音楽を奏でながら来迎し、念仏者を極楽浄土へ導くという。旧二十五菩薩石仏は近江国栗太郡冨田民部進が愛娘をなくし、娘が極楽往生することを願って、天正12年(1584年)3月18日に造立安置した。そして、平成16年4月に復元され法要開眼されたのが、この菩薩像群である。そして右端に見える墓石が明智光秀の墓だ。天正10年にこの世を去った明智光秀は6年前に亡くなった内室 煕子や一族の墓とともに祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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206.戦国武将に仕えた人たちの墓
この西教寺には、明智一族墓所の他にも、一般墓所内に歴史上の人たちの墓所がある。墓所の入口に「戦国武将に仕えた人達の墓」と言う地図入りの説明板があった。それによると、この西教寺を開山した真盛上人の持戒と念仏の布教によって、信仰した武将や民衆が供養されているという。そろばんを広めた長谷川左兵衛藤広の墓所、豊臣秀吉の家臣で、大谷吉継とこの西教寺の檀越(檀家)となり、慶長3年(1598年)に秀吉の伏見城御殿を西教寺に移築寄進した山中山城守の墓所、また、一番墓所の高い場所には、前田利家の六女であった前田菊子墓所があった。ほかにも、出雲松平出羽守の家臣、比良太郎兵衛墓所、肥後細川越中守家臣の長岡監物一族の墓所などがある。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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207.墓所から琵琶湖を眺める
「戦国武将に仕えた人達の墓」から、南東の方向には宗祖大師殿の屋根越しに坂本の街と琵琶湖が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 120mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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208.鐘楼
本堂の前に鐘楼があった。鐘楼の梵鐘は坂本城の陣鐘で、明智光秀が寄進したものだそうだ。平安時代に造られ、重要文化財になっている。釣鐘堂から本堂にワイヤーロープが渡ってあって、そのロープを引いて撞くという大変珍しい鐘撞きになっているというが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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209.正教蔵
本堂を背にして左側、鐘楼の隣に正教蔵がある。文化遺産オンラインによれば、「正教蔵は2階建の土蔵。切妻造・桟瓦葺で、西面には切妻造・起り屋根の庇を設け、蔵前とする。外壁は上部白漆喰塗、下部縦板張とし、蔵前は柱から軒裏まで漆喰で塗り込める。庇の虹梁絵様や誇張的な板蟇股など、明治初期の意匠が伺える」と記されていた。登録有形文化財  西面のは切妻造・起り屋根の庇ともみじを撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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210.大本坊
本堂に向かって右側に大本坊がある。ここも大河ドラマ「麒麟がくる」に関わる展示が行われているようだった。 大本坊(庫裡)、本堂、客殿、書院の中心伽藍は、回廊で結ばれている。明智光秀は 元亀3年(1572年)から天正2年(1574年)にかけて西教寺の壇信徒と協力して仮本堂の建立を始め、同年3月には落慶の運びとなったが、その時、宇佐山城の陣屋を移築して庫裏(大本坊)も造営され、その時に梁に使用されていた材木には「天正年中明智公所造古木」と刻銘が入っていて、今も残っています。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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211.本堂と大本坊の渡り廊下
大本坊と本堂の間を入ってみると、本堂(左)と大本坊はこの渡り廊下でつながっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/200秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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212.客殿
本堂の奥には重要文化財の客殿がつながっていた。 客殿は、豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、慶長3年(1598年)に、大谷刑部吉隆の母と山中山城守長俊の内室が檀越となり、寄進・移築したものと説明されている。桁行12間、梁間8間、一重、屋根南面入母屋造り、北面切妻造り、杮葺きの建物である。質素で落ち着いた、桃山様式を伝える数少ない建物でと、パンフレットに紹介されていた。狩野派によって描かれた鶴の間、猿猴の間、厳選の間、花鳥の間の襖絵、さらに、本堂の奥、西側(山側)には小堀遠州の作庭と伝わる客殿庭園があり、庭の中央にびわ湖の形を取り入れた池が配されているという。今回は、西教寺参拝で最も見てこなくてはいけなかったこれらを見損なってしまった。他にも書院庭園( 明治時代作庭 枯山水庭園 )、裏書院庭園(平成元年に地元の庭師によって作庭された池泉鑑賞式庭園) 、大本坊庭園(江戸時代初期作庭 枯山水庭園)があり、 西教寺には 計4っの庭園がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/200秒 25mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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