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2008年3月22日

▽ <読書日記「ボローニャ紀行」(井上ひさし著、文藝春秋>

 「オール讀物」という、失礼だがいささか俗っぽい文芸誌に2004年から2年半ほど連載されていた。それを、この3月に小B6版にまとめたものだから、たぶん世界最古の大学を生んだ北イタリアの古都の遺跡、グルメ紀行だろうと手にしたのが、まったく違っていた。


 現代の日本に欠けている、都市、市民、中小企業論が展開されており「予想外の拾い物」をした感じだ。

 井上ひさしは、冒頭で「(ボローニャ)は、文化による街の再生を集中的に行っていて、その手法は1970年代に『ボローニャ』方式として世界に喧伝された」と、書いている。


 街再生の具体的な方法については書いていないが、歴史的な街並みにある古い住宅を市が買い上げ、内部を快適な住空間に改装、安い公営住宅で貸し出すことらしい。

 このモデルがボローニャ方式として、ヨーロッパ中に広がったようだが「30年の机上勉強で(ボローニャが)恋人より慕わしい存在になった」著者は、NHKからルポを頼まれ「いそいそと、恋する街」へ出かけ、単なる街づくりだけでない、ボローニャ方式の主役たちに次々とインタビューしていく。

 着いて早々、中心街に近い広場で日向ぼっこをしていて、ボローニャ大学の女学生から、タブロイド新聞(12ページ、定価1ユーロ)を2ユーロで買う。この新聞、20年近く前にボローニャの街にホームレスの姿が目に付くようになったのに気付いた学生たちが、市役所に予算をつけてもらって発行し始めたもの。

 無料宿泊所の場所や衣類が入手できる場所のほか「高給料理店ディアナでパンとハムを手に入れるには、ケチで無愛想な給仕のジュリアがいる時を避けるのが賢明」なんて情報まで載っている。

 この新聞はその後、社会的協同組合「大きな広場の道」に発展、大きなバスの車庫を市から借りて、ホームレスが運営する廃棄物のリサイクルセンターや劇団付きの劇場、新聞社を運営している。

 映画の保存と修復の複合施設「チネテカ」は、ボローニア方式の秘訣の一つである組合会社という組織。独り立ちするまで税金はゼロだし、公共団体や企業財団から寄付を仰げる。フイルムを修復する技術を確立したおかげで、今では二十世紀フォックスやコロンビア映画社など、世界中のフイルム修復を、この会社が独占している。

 古いタバコ工場にある同社には、修復工場のほか、3つの映画館と専門図書館、大学の実習スタジオがそろっている。最初に出来た子ども映画館の人気番組は、ここで修復されたチャップリンの「ライムライト」だ。

 以前、経済記者をしていたころに「第3のイタリア」という中小企業で繁栄している地域があることを聞いた記憶がある。ボローニャはその中心らしい。

 著書には「第3のイタリア」の記述はないが、独特の「職人企業」という組織が、ボローニャの産業を繁栄させている源泉らしい。

 製造業では22名以下、伝統産業だと40名以下の小さな企業で、熟練工になるといつでも独立でき、旺盛な起業家精神と熟練工たちの巨大なネットワークを保っている。それが、フェラーリーという高性能自動車や日本茶のパック包装機械を作り出したIMA社といった世界的包装機械メーカーを生み出している。

 人口38万人のボローニャには、37のミュゼオ(美術館や博物館)、50の映画館、41の劇場、73の図書館がある。そのほとんどは、ボローニャ方式で古いレンガ工場などを再生、組合会社方式で運営されている。最も人気があるのが、工業専門学校の生徒が作った精巧な紡績機械のある産業博物館らしい。

 この生徒たちのほとんどは、小さな職人企業に就職し、旺盛なボローニャ精神を支えている、という。

 また行きたい街が、一つ増えた。

 せいぜい経済特区なんて姑息な手段で、自らの権益を離そうとしない官僚のおかげで、疲弊していく地域の中小企業やシャターの閉まったままの商店街を思った。


 この本に出てくる参考文献:

  • 「創造都市への挑戦―産業と文化の息づく街へ」(佐々木雅幸、岩波書店)
  • 「ボローニャの大実験―都市を創る市民力」(星野まりこ、三推社/岩波書店)
  • 「イタリアの中小企業戦略」(岡本義行、三田出版会)


ボローニャ紀行
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井上 ひさし
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5 ボローニャの大実験
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2008年3月10日

▽ <読書日記「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」(岡田芳郎・著、講談社)>

 1か月ほど前に本屋で見つけ、さっそく図書館に問い合わせたが蔵書にはないという。このフランス料理店のことは以前に読んだり、聞いたりしていたので、なんだか気になった。

 数週間して再度検索してもらったら、新刊本コーナーにあり、すぐに借りれた。しおり紐も、折れたままはさんであったから、多分、私が借り入れ第一号だろう。お世話になります、芦屋市立図書館さん。

 白い表紙カバーの表面いっぱいに赤字で、背表紙には3行にわたって書かれた長い表題で、本の内容は一目瞭然。山形県酒田市の名家の御曹司である佐藤久一が、映画評論家に「世界一」と評価された映画館をつくりながら、酒田大火の火元になって失う。その後、日本中の食通をうならせたフランス料理店の運営に全身全霊を傾けるものの、放漫経営の責任を取らされて愛する店を追われてしまう。失意のうちに食道がんを患い、67歳で没する。そんな波乱の人生を一気に読ませる迫真のドキュメンタリー作品だ。

 あの淀川長治に「世界一だ」と言わしめた映画館「グリーンハウス」の支配人に久一がなったのは1950年(昭和25年)、20歳の時。繁華街の路地裏にあったダンスホールを父親が買収して開業したものの、これといった特色もなく興行成績も不振だったため、頼まれて東京の大学を中退して引き受けたのだ。そして、これまでにないアイデアを次々と実行していく。

 東京や大阪のホテルにしかなかった回転ドアを押して入ると、ダブルのスーツ、蝶ネクタイ、白手袋で正装した白髪の案内係に迎えられる。水洗式で高級感あふれた女子トイレでは、座り込んで弁当を食べる人もいたほど。

 ロビー内の喫茶店には、酒田の詩人たちが集い、二階にはガラス越しにスクリーンを見ることができる特別室、和風の家族室。座席数を減らしてでも、観客の快適さを優先するというコンセプトを徹底させた。

 様々なイベントにも先見性を発揮、1960年には、映画「太陽がいっぱい」を東京・スカラ座との同時ロードショーするのに成功、酒田市民の自慢の種を増やした。

 久一はその後、東京・日生劇場食堂課に勤めてフランス料理のすばらしさを知り、1967年、酒田市内にレストラン「欅(けやき)」をオープンさせる。フランス料理研究家の辻 静雄やフランス人シェフ、ポール・ボキューズの薫陶を受け、地元の食材を生かした新しいフランス郷土料理を創造する。百貨店やホテル内に新店舗「ル・ポットフー」も設け、酒田市民だけでなく、作家の開高 健、山口 瞳、写真家の土門 拳、評論家の草柳大蔵、落語家の古今亭志ん朝ら、食通の舌をうならせて評判になる。

 作家の丸谷才一は「食通知ったかぶり」(文春文庫、1979年)で、この店を「裏日本隋一のフランス料理」と絶賛している。食べた料理と酒は。

  •  そば粉のクレープとキャビアの前菜
  •  アカエイの黒バターかけ
  •  最上川の鴨のステーキ
  •  赤川寄りの砂丘で獲れた雉(きじ)のパテ
  •  チョコレートのスフレ
  •  冷えた「秘蔵初孫」(久一の実家である造り酒屋自慢の逸品
  •  サドヤ(甲府市のワインメーカー)のシャトーブリアン(赤ワイン)

 グルメ雑誌編集者の森須滋郎は「食べてびっくり」(新潮文庫、1984年)で「こんな土地で、こんな料理を、こんなに安く出して、ソロバンがとれるのだろうか」と、久一に率直に尋ねた、と書いている。

 久一はこう答えている。「四階、五階、それに六階の一部は、みんな結婚式と披露宴用のフロアー。これで採算がとれて、この三階のレストランは、私たちの道楽――よういえば生き甲斐なんです」

 久一の、こんなこだわりがいつまでも続くはずがない。慢性的な赤字経営でレストランを追われ、最後はガンを患い、老齢の父に看取られて死んでいく。

 しかし、久一の薫陶を受けたシェフたちによって「レストラン欅」「ル・ポトフー」は、今でもしっかり酒田の地に根をおろしている、という。

 この本に引き込まれたもう一つの理由が、著者・岡田芳郎が書く「エピローグ(後書き)」にある。

 「広告代理店を定年退職し、何をするでもなく暗い家の底でうずくまるような生活を送っていた私(岡田芳郎)」は、姉の家で久一の妹に紹介され、取材を始める。そこには「私の惑い多き日々とは正反対の光輝く人生があった」

 著者はこう結ぶ。「久ちゃん、どうやら私の中にあなたが棲みつき始めた」

 素材を生かしたフルコースを一気に味わった後に出たデザートに、ちょっと顔がほころぶ感がする。

 参考本:「美味礼讃」(海老沢泰久、文藝春秋、1992年)
 久一が師事した辻調理師学校創設者、辻静雄の半世紀。帯封に「彼以前は西洋料理だった。彼がほんもののフランス料理をもたらした」とある。
世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか
岡田 芳郎
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5 こんな人がいたんだ…
4 古き良き時代と言えば簡単だが
5 まさに目から鱗

食べてびっくり
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森須 滋郎
新潮社 (1980/01)
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美味礼讃 (文春文庫)
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5 美味を礼賛する様々な人々を描く名著
5 「美食」と「理想」
5 辻静雄にはまったのは,この本のせいです。

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2008年3月 3日

▽ <読書日記「消えたカラヴァジョ」(ジョナサン・ハー・著、田中 靖・訳、岩波書店)>

 1月の初めに日経新聞の書評に載っていたのを見て、芦屋市立図書館に貸し出しを申し込んだが、在庫なし。新規購入申し込みをしたら、1週間もたたないうちに手元に届いた。財政赤字に悩む自治体にしては、なかなかやります。


 先週のブログで書いた「カラヴァッジョへの旅 天才画家の光と闇」(宮下気規久朗・著、角川選書)に、こんな記述がある。

 「一九九一年、アイルランドの片田舎の僧院から劇的に発見されて話題になったのが《キリストの捕縛》・・・」

 「カラヴァッジョの真筆が世に出るというのは奇跡的であり、しかももっともありえない西洋の辺境から出てきたということで、半信半疑だった人々も、これを一目見た瞬間に、正真正銘のカラヴァッジョだと納得するほどの絵だった」

 「消えたカラヴァジョ」は、この《キリストの捕縛》発見をめぐるノンフィクション。

 著者は、米国マサチューセッツ州在住のノンフィクション・ライター。映画化された前作「シビル・アクション」(1995年)は、全米批評家賞最優秀ノンフィクション賞を受賞している。

 登場人物がどれもユニークなキャラクターで、筋の展開も波乱万丈。イタリア・ローマの街の描写やカラヴァッジョの生涯も詳しく「どこまでが本当のノンフィクションなのか」と少し疑いながら、引き込まれるように読んでしまう。

 訳者の田中 靖は「あとがき」で、この本について

 脚光をあびるのは篤実な一学究とか知られざるアマチュア学者などではなく、跳ねっかえりの現代イタリア娘というところがまずおもしろい。彼女がアドリア海沿岸のはての落魄したイタリア名家の、湿気でじめつきカビ臭い地下文書庫に"潜入"するあたりは思わず胸が躍るし、埃にまみれた財産目録や古帳簿の山から数行たらずの新事実をみつけだすくだりは、まるで宝さがしの物語でも読んでいるような興趣にかられる。
と書いている。

 ナヴォナ広場、トリニタ・ディ・モンティ教会、スペイン広場と、ローマ中を古ぼけた青いスクーターで駆け抜けるヒロインが、文書庫で見つけたのは、『キリストの捕縛』の購入者からカラヴァッジョへの支払い記録。そして、その絵がこっそり海外に持ち出されたことを示す許可証までも。

 舞台は、とつじょアイルランドの首都・ダブリンへ。国立ギャラリーに勤めるイタリア人絵画修復士が、イエズス会の司祭から宿舎(僧院)にある一枚の絵を見てもらうよう頼まれ、一目でそれがカルヴァジョの作品であることを見抜く。

 館長の思惑や一攫千金を夢見る骨董商などがからむなかで、一人の新聞記者が、この世紀の発見をスクープする、というおまけまでついている。

 画竜点睛を欠くのは、肝心の「キリストの捕縛」の絵が、本のカバー表紙の右側に少し載っているだけで、全体の図版が掲載されていないこと。Wikipedia を調べるとありました

 「カラヴァッジョへの旅」のなかで、著者の宮下気規久朗・神戸大学大学院准教授は、この絵について説明している。
 「キリストの衣の鮮やかな赤と青が目を引く。キリストを捕らえにきた兵士たちに合図するためにキリストに接吻するユダを中心に、緊迫したドラマが闇に浮かび上がる。キリストはあきらめたような表情をして指を組む。画面左には、聖書の記述どおり衣を置いて逃げ出す若い弟子がいる。画面右端でランタンを掲げてこの風景をのぞきこむ横顔の男は画家自身である」


 すぐにでもダブリンに飛んで、この絵に会いたい・・・。かなわないであろう、そんな夢が膨らんだ。

消えたカラヴァッジョ
ジョナサン・ハー 田中 靖
岩波書店 (2007/12)
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5 とても気持ちのいい作品です
5 カラバッジョ・ファンは必読