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2020年9月27日

南房総館山へ一泊旅行敢行(3) 清澄寺→御宿→海ほたる 9月10日

石堂寺で波の伊八の彫刻を観たあと、再び国道128号線に戻り、道の駅和田浦に寄った。一息入れて、海沿いに鴨川の先を左に上がって、まっすぐ行けば養老渓谷へ通じる道を、日蓮宗の大本山である清澄寺へ向かった。
 この日は御宿のサヤンテラスというホテルのレストランで昼食にすることになっていた。清澄寺から128号線に戻り、御宿に着いたのは午後1時を過ぎていた。道向かいにある海産物の店で、サザエなどを買うことも予定にある。御宿の海岸は、緩やかに弧を描いて東西に伸びる網代湾の、三日月型をした遠浅の海岸で、全長約2kmにわたって続くきめ細かい白砂の砂浜が形成されているという美しい海岸だ。しかし、今年の夏は、コロナ禍で海水浴場は開設されていない。まだまだ暑く、海水浴もできる陽気だが、もちろん泳いでいる人や、サーフィンをする人は見かけられなかった。
 近くに、童謡「月の沙漠」の作詞者であり、御宿をこよなく愛した詩人「加藤まさを」の作品や資料、御宿にゆかりのある文人や画家たちの作品の紹介など、伝統ある御宿の再発見と、新たな文化の創造を目指してて建てられた月の砂漠記念館があり、その前の砂浜にはラクダに乗った王子と姫の銅像があった。そして、すぐ近くにある、通称メキシコ記念塔と呼ばれるオベリスク型の日西墨(日本、スペイン、メキシコ)三国交通発祥記念之碑が立てられている丘へ寄った。 午後3時、メキシコ記念塔を後にして、国道465号を大多喜へ上がり、さらに297号を北へ向かい、市原鶴舞ICで圏央道にあがって、海ほたるへ戻る。Kさんご夫妻とはここで別れる。今回もいろいろとガイドをしていただき感謝に堪えない。
 海ほたるで夕焼けを撮りたいと思って、少し待機したが、空が赤く染まらなかった。木更津側の空に虹がかかっていた。  

51.清澄山
右手に海を見ながら国道128号線を走る。鴨川を過ぎ、小湊の手前を左に〈北)に清澄山方面へ上がる。12時少し前に清澄寺の駐車場、と言っても土産物屋さんの駐車場で、駐車料500円をお支払いした。その高台になったところから海を眺める。歌川広重が嘉永5年(1852年)に清澄寺を参拝していたと書かれた札が立てられていた。清澄の地を訪れた6年後の1858年に、広重は、日本各地の名所を描いた20枚の錦絵を「山海見立相撲」という名で世に出している。その錦絵20枚の中には、4枚の千葉の風景「安房清住山」、「安房小湊」、「上総木更津」、「上総鹿楚山」が収められていたが、この絵は、「安房清住山」だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
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52.清澄寺仁王門
駐車場から、土産物屋が並ぶ道をしばらく歩くと仁王門があった。文久3年(1863年)に建てられたもので、左右に金剛力士像が立つ。正面に向かって右の口を開けている阿像(那羅延金剛)は一切の法の最初を表し、左の口を閉じている吽像(密迹金剛)は一切の法の窮極を表しているそうだ。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO250 ) 露出補正 なし
052_200910426 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
53.清澄山境内
境内に入る。参道は直角に曲がり、その正面に本堂である摩尼殿(大堂)、右手前に観音堂、その向こうに鐘楼の屋根は見える。清澄寺(せいちょうじ)は清澄山の頂上近くにあり、宝亀2年(771年)に不思議法師と呼ばれる僧がこの山を開いたといわれている。清澄寺は日蓮宗の大本山だ。山号は千光山。日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされ、久遠寺、池上本門寺、誕生寺とともに日蓮宗四霊場と呼ばれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
053_200910466 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
54.摩尼殿(大堂)
摩尼殿は大堂とも呼ばれ、度重なる改修を繰り返し、現在の摩尼殿は17世紀後半のものであるそうだ。 清澄山の主峰は標高377mの妙見山で、千葉県で3番目に高い山である。大堂付近の標高は約310mという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO500 ) 露出補正 なし
054_200910434 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
55.摩尼殿(大堂)内部
大堂の中央には虚空蔵菩薩、その両側には日天子、月天子を祀る。さらにその外側には不動明王と毘沙門天を祀り、正面右手奥には六老僧の一人・日向上人、左手奥は妙見菩薩の遥拝所としている。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
055_200910435 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
56.摩尼殿(大堂)外陣
摩尼殿(大堂)のなかには立派な彫刻が掛けられていた。 説明書きを探せなかったが、帰宅後ネットで検索してみたところ、青山貞一さん、池田こみちさんのサイト 「伊能忠敬と日蓮の足跡をたどる千葉の旅  清澄寺3」に、堂内の欄間には、十六羅漢とその弟子が智慧の宝珠を授かる一場面や、東端は持国天、西端は広目天、宮殿斜め上には唐獅子牡丹が彫られている。また、正面頭上には、江戸時代の有名な宮彫り師・後藤義光作の梵字額が飾られているといった記述があった。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/100秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
056_200910436 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
57.摩尼殿(大堂)の扁額
向拝の上には「摩尼殿」と書かれた扁額が架かっていた。摩尼とは仏教用語で、珠玉とか宝石という意味のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 15mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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58.摩尼殿(大堂)の彫刻
摩尼殿(大堂)の彫刻  についての説明立札があった。それには「清澄寺本堂には数多くの彫刻が取り付けられている。懸魚には「鳳凰」、向拝には「蓬莱島」と愛染明王の台座、柱の左右の木鼻「獅子と象」、そして東西の破風には「阿吽の力士像」一対が飾られている。後略」と記されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 なし  
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59.摩尼殿(大堂)の破風の彫刻これがその「 阿吽の力士像」一対の片側のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 90mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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60.祖師堂
お万の方の奉納とされる、日蓮聖人像を祀っている祖師堂は、建築家内井昭蔵氏が法華経の世界観、日蓮聖人の軌跡を設計に取り入れ、日蓮聖人聖誕750年慶讃事業として昭和48年に完成した。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
060_200910445 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
61.鐘楼堂
平成7年12月に完成した。鐘の側面には奉納者の氏名が彫られている。 また庫裡(かっては1647年(正保4年)年築の    桃山風の庫裏があったようだが、新しく建て替えられたようだ)の正面には明徳3年(1392年)の銘の入った古梵鐘がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
061_200910459 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
62.中門
1647年(正保4年)に創建され、1837年(天保8年)に改修された。 昭和39年4月28日、千葉県指定有形文化財になる。 この門は一門一戸の四足門(2本の親柱の前後にそれぞれ2本、計4本の控え柱を設けた門)で、屋根は茅葺の切妻造りである。 箱棟の鉄板を覆っており、主柱の左右には袖板を付し、正面左右にのみ通路用の「小開扉戸」を備えてある。 軒は二軒につくり、妻軒も深く設計し、耐湿・防風への効果も考慮されていることがうかがえる。和様を主とした折衷様式とのこと。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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63.古梵鐘と宝篋印塔
中門の先に、「明徳三年在銘」とされた梵鐘と、清澄寺石造宝篋印塔があった。いづれも千葉県指定有形文化財である。梵鐘の大きさは高さ123,2cm、口径66,.7cmで三段組で鋳造されている。宝篋印塔は高さ157cmで地元の嶺岡山系で算出する蛇紋岩で作られている。この塔はその形態から関西様式に類別され、集団・橘家がかかわった可能性が想定されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
063_200910452 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
64.大楠
中門を抜けた左側に、樹齢800年の大楠があった。清澄寺では、大正13年に国の天然記念物に指定された、高さが約47m、幹周りは約15m、樹齢およそ800年といわれている千年杉が有名であるが、この大楠は市の天然記念物である。 この奥に建て替えられた庫裏と宝物殿がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
064_200910453 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
65.月の砂漠公園
御宿のホテルのレストランで遅めの昼食をとった後、最後の目的地イタリア記念塔へ向かう途中、右手の海岸に月の砂漠記念公園があった。童謡「月の沙漠」は御宿の海岸がモデルとなったそうだ。大正時代に活躍した詩人・抒情画家加藤まさを 作詞の童謡「月の沙漠」に登場するラクダに乗った王子と姫の銅像が公園内に据えられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
065_200910470 X800 南房総 御宿 月の砂漠公園 RX10m4.jpg
66.月の砂漠公園 ラクダ像
Wikiwandには、「月の沙漠が御宿の砂丘で生まれたことを記念するために、町で記念像を建てたい」と加藤まさをに告げた。加藤は観光宣伝目的なら真っ平だと断ったが、内山は青少年の情操教育が目的だと主張して加藤を説き伏せた。記念像の除幕式は1969年(昭和44年)7月6日に行われた。  ラクダ像の制作は彫刻家の竹田京一が担当し、アラビア砂漠のベドウィンを取材した経験を持つ朝日新聞記者の本多勝一が監修した。完成当初は合成樹脂製だったが、1990年の「月の沙漠記念館」開館に合わせ、青銅製に作り直された。と記されている。なかなか良い像と思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 136mm ISO200 ) 露出補正 なし
066_200910472 X800 南房総 御宿 月の砂漠公園 RX10m4.jpg
67.記念塔(日西墨三国交通発祥記念之碑)
通称メキシコ記念塔と呼ばれる。wikipediaによれば、1609年(慶長14年)に岩和田の海岸で起こったスペインの前フィリピン臨時総督ドン・ロドリゴ・デ・ビベロの乗船したサン・フランシスコ号の漂着事故が、日本とスペイン(西班牙)、およびメキシコ(墨西哥、当時はスペイン領ヌエバ・エスパーニャ)との直接交流を生むきっかけになったことから、漂着と救助を記念する目的で1928年(昭和3年)に建設された。鉄筋コンクリート製で高さ17メートルだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
067_200910477 X800 南房総 御宿 メキシコ記念公園 RX10m4.jpg
68.御宿網代湾岩和田漁港
高台にあるメキシコ記念公園からは、御宿網代湾の東端にある岩和田漁港が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
068_200910479 X800 南房総 御宿 メキシコ記念公園 RX10m4.jpg
69.抱擁の碑
冷え切った漂着者を岩和田村の女性が素肌で温め蘇生させている姿を表現した像があった。2009年9月29日に漂着400年を記念してメキシコ政府から贈られた。 碑には、嵐に遭遇したガレオン船サン・フランシスコ号が 1609年9月30日 この地へ漂着した。岩和田の住民による人道的且つ決死の救助作業によって ドン・ロドリーゴ・デ・ビベーロ・イ・アベルーサ並びに316名が命を救われた。その史実を介して、メキシコと日本、両国国民の間に友好の絆が結ばれた。メキシコ政府は 墨日交流400周年に因み この彫刻を御宿町に寄贈する。 2009年9月26日 と刻まれている。この時 海女たちは、飢えと寒さと不安にうちふるえる異国の遭難者たちを素肌で暖め蘇生させたと伝えられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
069_200910483 X800 南房総 御宿 メキシコ記念公園 RX10m4.jpg
70.海ほたる 夕刻
海ホテルで、軽く寿司をつまんだ後、Kさんご夫妻と別れた。時刻は午後5時半。まもなく日没だが、空はあまり鮮やかではなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
070_200910042 X800 海ほたる.jpg
71.虹
ふと、木更津側の空を見上げると虹が出ていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
071_200910046m X800 海ほたる.jpg
72.アクアラインにかかる虹
   川崎側にいたが、虹が消えないうちにと急いで木更津側に回ってみた。トワイライトタイムの虹だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 31mm ISO125 ) 露出補正 なし
072_200910067 X800 海ほたる.jpg
73.海ほたる 5時45分
空は少し赤くなったが、茜色には染まらなかった。駐車場に戻り、アクアライン浮島から大黒を経由、首都高羽横線へ。羽横線は少し混んでいたが、ほぼ順調に自宅に戻ることが出来た。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2019年3月 4日

雪が降る日吉大社(後編) 2月14日

三宮宮遙拝所と牛尾宮遙拝所の前を通って、東本宮の楼門の前に出た。西本宮の楼門と同じような形である。西本宮が商売繁盛の神様であれば、この東本宮は家内安全の神様だそうだ。 東本宮は、境内の東端、八王子山の麓に位置する。織田信長の焼き討ちにあったため、文禄4年(1595年)に再建されたことが記録から明らかになっている。
 東本宮の境内の中にはご祭神が夫婦だという樹下宮(樹下神社)の本殿もあり、西本宮に比べると東本宮のほうが華やかな雰囲気があった。さらに東にある西教寺へは行くのをやめ、その楼門を背に東本宮の参道を下りた。大宮川を二宮橋で渡り、日吉馬場へ出る。その両側にある寺院、里坊を見ながら日吉馬場を下る。わたくしの父母が眠る高野山の菩提寺である恵光院という名の寺院もあった。
 時刻は12時半を回っていた。朝はトーストとボイルドエッグだけだったので腹も減ってきた。少し空腹を我慢して京都まで行ってしまおうかとも思ったが、小雪の降る中を歩いてきたので体も冷えていた。温かいそばでも食べたくなる。日吉大社二の鳥居までくると、立派な蕎麦屋が2軒あったので、そのうちの1軒に入ることにした。なかなかの老舗のようだ。久しぶりに天ぷらそばを食べたがなかなかおいしかったし、身体も温まった。
 京都へはJRの湖西線が便利だ。京阪坂本比叡山口駅の前を通り過ぎて、まっすぐ、JRの比叡山坂本駅まで歩く。駅のホームからは琵琶湖が眺められたが、この天気では彩もない。京都までは15分だった。

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福楽寿々米(​ふくら​すずめ)土鈴

 日吉大社からのメッセージ:「​当大社では幸福で楽しい事を雀のふっくらとした姿に求め、千有余年も昔から福楽寿々米(ふくらすずめ)と名付け珍重しています。山王祭(未の御供)には御子神の幸福を祈って玩具としての福楽寿々米(ふくらすずめ)が供えられます。当大社独自の幸福を授かる玩具として有名です。福楽寿々米(ふくらすずめ)にあやかって、幸福な日々をお送りください。​山王総本宮 日吉大社​」​

21.東本宮楼門
この楼門は、三間一戸楼門の形式で、入母屋造、檜皮葺、縁付の建物で、斗きょう(建築物の梁や桁にかかってくる上部の荷重を集中して柱に伝える役目をもつ部材の総称)は上下層とも三手先(柱から外方に斗<ます>組みが三段出ていて、三段目の斗で丸桁<がぎょう>を支えるもの)となっている。三間一戸とは、柱間三つのうち中央の一つが出入口となっているものをいい、楼門とは、二階造の門で、屋根が2階の部分だけにしかなく、一階の上に縁がある形式をいう。西本宮楼門とは、やや違った比例を持っていて、どちらかといえば1階部分が高く、2階部分が低いので、すらりとした均斉のとれた建物で、天正~文禄2年(1573年-1593年)年頃に建てられたものだそうだ。大正12年(1923年)に国の重要文化財に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
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22.樹下神社本殿 -1
東本宮楼門を入って、正面に見えるが東本宮の拝殿だが、向って左に樹下神社本殿、右に樹下神社拝殿があった。摂社の本殿と、拝殿が本宮の参道を挟んで配置されているのは珍しいと思う。樹下神社の祭神は、東本宮の祭神である大山咋神の妃神・鴨玉依姫神だそうだ。。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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23.樹下神社本殿 -2
樹下神社本殿の説明版には「この本殿は、三間流造、檜皮葺の建物で、後方三間・二間が身舎(もや・家屋の中心となる部分)、その前方一間通しの廂(ひさし)が前室となっています。数ある流造のなかでも比較的大型のもので、床下が日吉造りと共通した方式であることや、向拝階段前に吹寄格子の障壁をたてているのは本殿の特色となっています。文禄4年(1595年)に建てられたことが墨書銘によってわかりますが、細部の様式も同時代の特色をよく示し、格子や破風懸魚などに打った飾り金具は豪華なものです。明治39年(1906年)4月に国の重要文化財に指定されました。」とあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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24.東本宮本殿 -1
東本宮の拝殿脇を通って、本殿の前に来た。西本宮に勝るとも劣らぬ立派な本殿だ。東本宮本殿は、境内の東端、八王子山の麓に位置している。神社が織田信長の焼き討ちにあったため、文禄4年(1595年)に再建されたことが、記録から明らかになっているという。 建物は、織田信長に焼かれたものの、平安時代以来の様式を伝えているといわれ、特殊な日吉造で建てられており、国宝の西本宮本殿と重要文化財の摂社宇佐宮本殿も同じ形式で建てられている。平面は、正面三間、側面二間の内陣の正・両側面に外陣を配置し、更にその外側の四周に高欄付きの縁を廻し、正面に木階を設け向拝としている。この身舎の正・両側面の三方に庇を設けた平面構成が、日吉造(ひえづくり)の特徴的な外観にもよく現れているという。 正面は、入母屋造のようだが、背面は庇がないために、左右の庇の部分を縋破風(本屋根の軒先から一方にだけさらに突き出した部分の破風)でおさめているので、屋根を垂直に切り落としたような独特な姿となっている。 また、建物の床が地面より高いため、床下に下殿(げでん)と呼ばれる、仏式で、神を拝んでいた特殊な部屋が設けられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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25.東本宮本殿 -2
この東本宮の本殿も昭和36年(1961年)4月27日に国宝に指定されている。平成24年4月10日から平成25年3月29日の事業期間で、屋根(檜皮葺)の全面葺き替えを行い、見学用通路を設け、一般参拝者が 間近に屋根(檜皮葺)を見学できるようにした。また、本殿に取り付いている全ての飾金具の金箔の押し直しと縁高欄の朱漆が塗り直されている。金箔が押された飾り金具は印象的だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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26.東本宮本殿 -3
東本宮の左側に移動した。日吉大社で特に重要な西本宮、東本宮、宇佐宮、牛尾宮、白山宮、樹下宮、三宮宮を「山王七社」もしくは「上七社」という。この七社のうちでも西本宮と東本宮、宇佐宮は「日吉三聖」と呼ばれ、特に社格が高い。また七社は東本宮系と西本宮系のグループに分類することができる。東本宮のグループは東本宮と樹下宮、牛尾宮、三宮宮の4社で、東本宮の祭神、大山咋神は古事記上巻に「この神は近つ淡海国の日枝山に坐し」と記載されており、古代から比叡山に鎮座する地主神であるという。西本宮系は西本宮、宇佐宮、白山宮の3社で、西本宮の祭神は奈良の三輪山・大神神社から勧請した大己貴神だ。このように東本宮系は元々この地に祀られていた神で、西本宮系はあとから祀られた国家を守るための神であると言われる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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27.東本宮本殿 -4
本殿の左側半分である。左後ろに見えるのは大物忌神社(中7社)という。東本宮の境内はは三層境内の高さになっていて、一段目に樹下宮上七社、二段目に東本宮(上七社)と樹下若宮(下七社)、三段目に大物忌神社(中七社)と新物忌神社(中七社)といった構成になっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
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28.東本宮本殿 -5
これは金箔の金具に魅せられて撮ったショットだが、東本宮本殿の背後の様子がわかる。背面の3間の床が一段高くなっているのが見えるが、この部分が西本宮本殿と異なるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO500 ) 露出補正 なし
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29.樹下神社本殿 -3
左に東本宮拝殿、右側の樹下若宮の間から樹下宮本殿の側面を見たところである。この本殿は1595年の造営で三間社流造。本殿内ご神座の真下に霊泉の井戸があり、以前はご神水を採っていた。説明板を見ると、樹下宮本殿は三間社流造、檜皮武葺の建物で、後方3間・2間が身舎、その前方1間通しの庇が前室になっている。数ある流造の中でも比較的大型のもので、床下が日吉造と共通した方式であることや、向拝階段前に吹寄格子の障壁を立てているのが、この本殿の特徴となっているそうだ。左奥に見えるのが東本宮楼門である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
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30.樹下神社本殿 -4
樹下宮本殿の妻側懸魚の金属飾りである。全体的に金具が豪華に打たれているて桃山時代らしい造りになっている。上7社にはそれぞれ神紋がある。この樹下宮の神紋は十八葉菊だそうで、妻の一番上にある紋、その下の紋がその 十八葉菊の紋かなと思う。ちなみに上7社のほかの6社の神紋は、西本宮・牡丹、東本宮・二葉葵、 宇佐寓・橘、牛尾宮・くずれ菊、白山宮・杉、三宮宮・桐だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO200 ) 露出補正 なし
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31.猿の霊石
東本宮の楼門を出て、東授与所というところで、何か記念にと「福楽寿々米(ふくらすずめ)」という土鈴を求める。坂を下る途中、振り返ると猿がしゃがみ込んだような石があった。ここから来たる者には神縁を結び、ここから去る者は見守っているのだそうだ。日吉大社では、猿は眷属(神様の使い)とされているので、この岩も信仰の対象となるのだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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32.二宮橋 -1
東本宮の楼門を背に坂を下りてきたところに日吉三橋の一つである二宮橋に出た。大宮川に架かる日吉三橋​は、​上流から大宮橋、走井橋、二宮橋​だが、3つの橋とも国の重要文化財に指定されてい​る​。二宮橋は大宮橋に比べ簡素な構造の橋となってい​る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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33.二宮橋 -2
​二宮橋は東本宮(二宮)へと続く参道に掛けられていることから「二宮」という名前がつけられている。二宮橋は天正年間に豊臣秀吉により寄進されたと伝えられている木橋を、後に石橋に架け替えられたもので石橋としては日本では最大、最古とされてい​て、桁上に継ぎ材をならべ橋板を渡し、両側に高欄をつけ、大きさも大宮橋とほぼ同じ幅となっている。

Canon PowerShot G7X f​1​.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.5​ 1/1000秒 ​14​mm ISO500 ) 露出補正 なし
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34.​ ​日吉馬場に戻る
​午前中は西受付から日吉大社の境内に入り、西本宮の参道を行ったが、東本宮からの帰りは東受付から、二宮橋を渡り、旧竹林院の脇から日吉馬場(県道)にでた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.8​ 1/1000秒 ​29​mm ISO500 ) 露出補正 なし
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35.旧竹林院入り口
日吉馬場の広い参道(県道)に出る手前右側に、旧竹林院があった。​旧竹林院のホームページを見ると、旧竹林院は延暦寺の僧侶の隠居所で、今も数多く残されている里坊のひとつであり、邸内には主屋の南西に約3,300㎡の庭園が広がり、2棟の茶室と四阿がある。八王子山を借景にした庭園は、地形をたくみに利用しながら滝組と築山を配し、四季折々の風情をかもし出していると伝えている。中には入らなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.5 1/1000秒 ​16​mm ISO400 ) 露出補正 なし
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36.恵光院
参道を下る途中に左側に恵光院という寺院があった。わたくしの父母が眠る高野山の菩提寺と同じ名前であったので、「あれっ」思った。もちろんこの恵光院は天台宗であり、高野山は真言宗である。この恵光院は、比叡山延暦寺の僧侶の隠居所であった里坊の一つで 聖観音を本尊とする。創建・開基については分からない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​1.8 1/1250秒 ​9​mm ISO125 ) 露出補正 なし
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37.恵光院 庭園
中には入れなかったが、立派な門構えから中を見ると手入れの行き届いた庭園が広がっていた。桜が咲くころはきれいだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.5 1/1000秒 ​14​mm ISO200 ) 露出補正 なし
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38.鶴喜そば -1
参道の京阪比叡山坂本駅の近くまで下りてきた。参道の二の鳥居の右側に立派な蕎麦屋があった。その奥を覗いてみるともう1軒、これも立派な蕎麦屋があった。どちらに入ろうかと思ったが、奥にあった鶴喜そばという店に入った。 立派なホームページもある。それによると享保元年に初代鶴屋喜八が創業して以来、300年もの間、こだわりの手打蕎麦を打ち続けてきたという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​1.8 1/1000秒 ​9​mm ISO160 ) 露出補正 なし
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39.鶴喜そば -2
鶴喜そばのファサードだ。坂本は昔、比叡山延暦寺の台所を預かる門前町として賑わった。延暦寺は京都御所より度々来賓があったが、山上で食べ物も不自由だったため、代々の鶴喜そばの祖先が、蕎麦を作りに山上へ出仕していたという。また、比叡山で断食の修行を終えた修行僧方が、弱った胃をならすために蕎麦を食したと言われている。「賜宮内省御用達」の古い看板があり、建物は登録有形文化財になっていた。家内と温かい天ぷらそばを食べた。薄味だったがとても旨かったし、小雪の降る中を歩いて、冷え切った身体が温まった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.2 1/1000秒 ​13​mm ISO400 ) 露出補正 なし
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40.坂本名物 日吉そば
こちらも鶴喜そばともに大きな建物で、歴史を感じさせる。桜の季節には両店とも千客万来だろう。司馬遼太郎の「街道は行く」というシリーズの「叡山の諸道」の中で、「 この日吉そばの横に、鶴喜そばというマンガ入りの彩色の大看板があがっていて、われわれはそれを視覚に入れつつ、つい鶴喜と信じて日吉そばに入ったらしい。」というくだりがある。「鶴喜そば」というマンガ入りの大看板は、駐車場の看板だったようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.2 1/1000秒 ​12​mm ISO400 ) 露出補正 なし
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41.公人屋敷(旧岡本邸)
鶴喜そばで食べ終えて、右手に京阪坂本比叡山口駅を見ながら、さらにまっすぐJR比叡山坂本駅へと下る。途中左手に公人屋敷(旧岡本邸)というところがあり、坂本城跡の文字も見えた。ホームページを見ると「公人屋敷(旧岡本邸)は、江戸時代に延暦寺の僧侶でありながら妻帯(さいたい)と名字帯刀(みょうじたいとう)を認められた「公人(くにん)」が住んでいた住居のひとつです。内部が原型をとどめないほど改装されている住居が多い中、岡本家の家屋は全体に公人屋敷としての旧状をよくとどめた社寺関係大型民家の特徴を示す住宅として残されてきました。平成13年に坂本地域の歴史的遺産の保存を目的として大津市に寄贈されたもので、主屋、米蔵・馬屋等は平成17年3月に大津市指定文化財に指定されています。」とあった。坂本場は明智光秀によって築かれた平城であり、その写真が展示されてる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.5 1/1000秒 ​16​mm ISO800 ) 露出補正 なし
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42.琵琶湖
JR湖西線の比叡山坂本駅はそれほど遠くはなかった。高架線になっていて、ホームに上がると琵琶湖が眺められた。風が冷たい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.8 1/1000秒 ​37mm ISO​2​00 ) 露出補正 なし
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​43.JR湖西線
それほど待つことなく「新快速」の姫路行の列車が来た。223系の電車だ。湖西線は山科駅から、琵琶湖の西岸を経由して滋賀県長浜市の近江塩津駅までの21駅、74.1kmの路線である。京都まで約15分だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.8 1/1000秒 ​37mm ISO​2​00 ) 露出補正 なし
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2014年12月 3日

2泊3日の四国駆け足ツアー 11月17日~19日 (2)伊予絣と内子町の八日市護国


  11月18日、2日目の朝の出発は早かった。なにせ、20景を巡るという旅は強行軍なので7時半出発だ。ところが朝食のバイキングは7時からしか始められないとのことで、荷物をまとめて、フロントに置いての朝食となった。
  この日は、伊予市の伊予かすり会館を見学して、松山自動車道を南下する。このツアーは参加人数が多い。大型バスも全席満員だ。第1日目は最前列に座ったが2日目のこの日は最後列だ。

  次に、少し内陸に入った八日市護国という内子町の古い町並み保存地区を見て歩く。
大洲から、みかん畑や、真珠養殖をしている宇和海を右側の車窓から眺めながら、宇和島に出て、国道56号線にある道の駅で昼食となった。昼食後、四万十川へと向う。

22.露天風呂の朝
荷物を持って7時からの朝食会場へ行く。フロントに荷物を置く傍ら、ガラス越しに見える露天風呂を撮っておいた。昨夜は、私としては長時間露天風呂につかっていたが、なかなかいいお湯だった。源泉温度が38℃のため、使用温度の42℃まで加温を行っているという。毎分400リットルの湧出量を誇る。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/40秒 16mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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23.伊予かすり会館
オプションで道後温泉に泊まったツアーのメンバーをピックアップして、松山城の天守閣を車窓から眺め、20分ほど走っただろうか。まだ、松山市内だが、民芸伊予かすり会館に到着した。これからプログラムオートで撮ることにした。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/250秒 24mm ISO200 ) 露出補正 なし
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24.伊予絣の創始者
Wikipediaによれば、愛媛県松山市で製造されている伊予絣(いよかすり)は、松山絣とも呼ばれ、久留米絣、備後絣とともに日本三大絣の一つともされる。伊予絣の創始者鍵谷カナ女は天明2年(1782年)に温泉郡垣生村今出で生まれ、元治元年(1864年)82歳で亡くなった。カナ女が絣を考案したのは18歳頃で、動機は農家の藁屋根をふき替える時、藁屋根を押さえた竹が煤けて、網目の後の模様が出てくるのを見てヒントを得たという。はじめは今出絣と言われていたが、のちに伊予絣と言われるようになったと記されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/250秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
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25.伊予絣を織る
生活の洋風化とともに着物を中心に絣の需要は低下し、今日では、事業として行っているのは、この伊予かすり会館を運営する1軒(白方興業株式会社)のみとなった。絣の製造工程を順を追って見ることができ、絣を織る実演も見られた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/250秒 32mm ISO5600 ) 露出補正 なし
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26.松山自動車道(車窓)
再びバスに乗り、伊予インターから松山自動車道に入り、次の下車観光予定である内子町へ向かう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/250秒 80mm ISO220 ) 露出補正 なし
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27.車窓風景 内子町(車窓)
JR予讃線に沿うように走ると、間もなく内子五十崎ICに着いた。時刻は9時半。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/250秒 66mm ISO560 ) 露出補正 なし
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28.内子町到着
9時半に内子町に着いた。これから約1時間、八日市護国と呼ばれる重要伝統的建造物群保存地区を歩く。時間が限られているので、全部は歩けないし、内子座へは行けなかった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/250秒 56mm ISO360 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.内子の町並み
このツアーは参加者が多く、40数名がゾロゾロと歩く。町並みは内子観光協会ホームページにある内子散策マップを参照いただきたい。これは、竹細工の店「竹工房」だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/250秒 38mm ISO500 ) 露出補正 なし
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30.本芳我家住宅(国指定重要文化財)
ひときわ立派な門構えの住宅があった。木蝋製造で財を築いた豪商・本芳我家の屋敷。内子は製蝋で栄えた町である。明治末には愛媛県の晒蝋生産量が全国1位となり、内子町はその7割を生産していたというが、原材料の不足や石油などの代替品の登場などから、大正以後は急速に衰退していき、1924年(大正13年)には製蝋業者がすべて姿を消したという。1889年に建てられたもので、なまこ壁を施した重厚なつくりである。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/250秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
31.本芳我家住宅の玄関
住宅は非公開だが、門の中には入ることが出来た。庭園の一部が公開されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.本芳我家住宅 懸魚と鬼瓦 
1889年に建てられたもので、なまこ壁を施した重厚なつくり。見事な鶴の装飾が施された懸魚(げぎょ:屋根に取り付けた妻飾り)は富の象徴だったという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/320秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
33.常設活動写真館「旭館」
そろそろこのあたりで引き返しましょうと促されところで、ちょっと路地を見ると、古い映画館があった。森文醸造(株)など地元有志が大正14年に作った活動写真館だそうで、昭和に入って「電気館」と改名され、昭和40年代初期まで映画が上映されていた。2013年12月24日に国の有形文化財指定を受ている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.内子の町並み -1
本芳我家住宅のあたりまで戻ってきて、町並みを撮る。家の前に床几が見えるが、店先で涼み用等に使われたもので、使わない時は跳ね上げているという。手前の家は、跳ね上げられているが、「月乃家」という旅館では下げられている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/250秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.内子の町並み -2
今度は振り返ってとる。、右側に本芳我家住宅が見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 105mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.内子中学校白壁
本芳我家家の分家で、今は木蝋資料館となっている上芳我家の前に、内子中学校と書かれた白壁で囲まれたところがあった。白壁は背が高く、校舎を見ることはできない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/400秒 30mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.内子中学校玄関
白壁に沿って左に入って行ってみると、玄関と校舎が見えた。まだ新しい。しかし、不思議と白壁の塀と調和している。昭和47年に内子・満穂・池田の3っの中学校が統合され、内子町立内子中学校が創立されている。平成19年に新築校舎が落成した。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/320秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.上芳我家住宅 木蝋資料館
内子観光協会のホームページによれば、上芳我家は、内子最大の製蝋業者であった本芳我家から文久元年(1861年)に分家した家で、木蝋生産を営んだ商家だ。上芳我家は、木蝋産業とそれによって著しく栄えた内子の人々の暮らしの関係性を物語る、唯一の貴重な文化遺産である。平成2年、国の重要文化財に指定された。左側は内子中学校の白壁。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/320秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
39.高昌寺
バス・ガイドさんに、駐車場の上に高昌寺という立派なお寺があると聞いていたので、見ておこうと思い、少し早めに戻ってきた。山門が見えたので、行ってみる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/400秒 105mm ISO200 ) 露出補正 なし
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40.高昌寺 山門
高昌寺のホームページによれば、文化4年(1808年)の火災で難を免れたこの山門は、旧五城村中土地区の持宝院に建立されていたものと言われ、第16世真猊香達和尚(1745~1752年)の代に現在地に移築されたと伝えられている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/250秒 42mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.山門から見る中雀門
同じく、高昌寺のホームページでは、山門の先に見える中雀門は、名ある武家屋敷の門を移築したものとも伝えられる。清楚な構成の中に落ち着きと気品が漂い、天井には6枚の絵が組み込まれている。山門と佛殿の中間に位置し、庫裡と僧堂を結ぶ廊下の中央に設けられる門である。前後してしまったが、高昌寺は、山号は護国山、宗派は曹洞宗、本尊は聖観音菩薩。新四国曼荼羅霊場の第五十番札所である。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/250秒 22mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.釈迦涅槃仏
足早に境内を巡ってくると、大きな釈迦涅槃像があった。平成10年11月1日に、石造涅槃仏としては日本で最大級の長さ10m、高さ3m、重さ200トンの白御影石で造られた石仏が安置されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/400秒 24mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.高昌寺のモミジ
そろそろバスの出発時刻だ。涅槃仏から下へ降りて、振り返ると、モミジが鮮やかだった。ここからまた四万十川まで、長い道のりを走る。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 116mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。