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2023年1月21日

北の丸公園 紅葉 ② 2022年12月2日

北の丸公園を一回りしたように思っていたが、実は西側の池の周りを周っただけで出発点に戻ってきた。どうしようかと考えたが、九段下に出て地下鉄に乗ろうと思い、案内板を見て歩き出した。 北の丸公園の真ん中を通る、やや広い道に出る。正面に科学技術館を見て、右手に北桔門があるところを左へ、日本武道館、田安門の方へ向った。
 左(西側)に千鳥ヶ淵、右(東側)に牛が淵の濠の間の堤を渡ると靖国通りだ。高燈篭(常燈明台)や品川弥二郎、大山巌の像を見て、靖国通りの向こう側の木立の上に大きな鳥居と日の丸の旗がみえた。
 まだ行ってみたいところもあったが、今日はこの辺にしておこうと、帰路につく。靖国通りを東に下っていき、東京メトロの九段下駅に下りた。

000_221202346 X700 〇北の丸公園 田安門 Z50 Z18-140.jpg
田安門 2022年12月2日 北の丸公園

063_221202293 X900 〇北の丸公園 北桔橋方面 Z50 Z18-140.jpg 63.北桔門方面
正面に科学技術庁が見えるところを右に出ると北桔橋門(きたはねばしもん)になる。北桔橋門は、東の 平川濠と西の乾濠を分ける土橋になっているところで、江戸城天守台北側と北の丸方面をつなぐ城門である。昨年(2022年)の春に皇居東御苑へ来た折に、御苑の側から北桔橋門を見た。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/500秒 46mm ISO125 ) 露出補正 なし
064_221202305 X900 〇北の丸公園 フヨウ Z50 Z18-140.jpg 64.フヨウ(芙蓉)の紅葉
フヨウの葉が半分黄色く紅葉している。フヨウは7-10月初めにかけてピンクや白で直径10-15cm程度の花をつける。写真に見えるのは果実だ。花のあとから球形の果実が実り、熟すと五裂する。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 67mm ISO220 ) 露出補正 なし
065_221202308 X900 〇北の丸公園 コブシ Z50 Z18-140.jpg 65.コブシ(辛夷)の冬芽
コブシは早春に、葉が展開する前に、他の木々に先駆けて白い大きな花をつける。冬を越すために毛に覆われた冬芽を付け、成長をとめて休眠し、春になるとその冬芽を割ってつぼみが出てくる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO640 ) 露出補正 なし
066_221202314 X900 北の丸公園 コブシ Z50 Z18-140.jpg 66.コブシの木
コブシはモクレン科モクレン属に属する落葉高木の1種で紅葉する。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
067_221202318 X900 〇北の丸公園 ボケ Z50 Z18-140.jpg 67.ボケ(木瓜) -1
駐車場のある北の丸休憩所の近くへ来た。ボケの花が咲いている。もう少し経てば、自宅近くの保土谷公園で真っ赤なボケの花が見られると思う。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 75mm ISO250 ) 露出補正 なし
068_221202319 X900 〇北の丸公園 ボケ Z50 Z18-140.jpg 68.ボケ(木瓜) -2
このボケは白い花と、白とピンクの絞りの花をつけている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 140mm ISO450 ) 露出補正 なし
069_221202325 X900 北の丸公園 ベルベットセージ Z50 Z18-140.jpg 69.アメジストセージ
天然石のアメジスト(紫水晶)に花色が似ていることからその名が付いたそうだ。また、メキシコから中米原産のシソ科の植物で、メキシカンブッシュセージとも呼ばれる。もこもこした質感の花に見える紫色の部分は「ガク」である。花は「ガク」から飛び出すように咲き、この写真だと白い部分が花である。初めて見る花だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/640秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
070_221202330 X900 北の丸公園 日本武道館 Z50 Z18-140.jpg 70.日本武道館
日本武道館が近くなってきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
071_221202334 X900 北の丸公園 田安門 ツバキ Z50 Z18-140.jpg 71.ツバキ
日本武道館の傍に白にピンクの絞りが入ったツバキの花が咲いていた。白い椿の品種も多いようだが、品種名まではわからない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO220 ) 露出補正 なし
072_221202337 X900 北の丸公園 田安門 Z50 Z18-140.jpg 72.田安門 櫓門
田安門に出た。wkipediaによれば、北に面する高麗門と西側に直角に位置する櫓門からなる桝形門である。1961年(昭和36年)に「旧江戸城田安門」として国の重要文化財(建造物)に指定されている。立派な門だ。田安門は、創建年代は明らかではないが、高麗門の扉の吊り金具に残された刻銘から、1636年(寛永13年)に建てられたものと考えられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
073_221202340 X900 北の丸公園 田安門 弥生慰霊堂 Z50 Z18-140.jpg 73.弥生慰霊堂 参道入り口 -1
弥生慰霊堂は、かつては弥生神社・弥生廟と言った警視庁及び東京消防庁の殉職者を祀る慰霊施設である。wikipediaによれば、神社建築に近いもので、社殿は拝殿と本殿からなり、本殿は神明造の屋根であるが千木・堅魚木がない。現在でも鞭懸(神明造の破風にある8本の棒)が残っている。拝殿は吹き抜けで土間となっている。参道入口には狛犬のようなものがあり、また本殿正面の脇には燈籠があるなど、全体的に神社だった頃の面影を漂わせている。境内には「御野立所記念碑」がある。写真は参道にある階段左側の狛犬の「うん」。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 28mm ISO220 ) 露出補正 なし
074_221202342 X900 〇北の丸公園 田安門 弥生慰霊堂 Z50 Z18-140.jpg 74.弥生慰霊堂 参道入り口 -2
1881年(明治14年)ごろから、警察・消防殉職者のための警視庁招魂社創建の議が唱えられ、1885年(明治18年)10月7日に「弥生神社」が創建されたそうだ。こちらは「あ」の狛犬。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
075_221202349 X900 北の丸公園 田安門 Z50 Z18-140.jpg 75.田安門 高麗門
田安門の高麗門を出て靖国通り側に出る。北の丸公園の入り口である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 24mm ISO110 ) 露出補正 なし
076_221202351 X900 北の丸公園 田安門 Z50 Z18-140.jpg 76.高燈篭(常燈明台)
1871年(明治4年)に靖国神社の灯籠として奉納されたもので、高台に設けられていたため東京湾の漁船の目印になったといわれる。建設当時の東京の人たちにとって、新しく出来た天皇の政府の力を見せつける、新江戸タワーだった。はじめは九段坂をのぼった右側にあったが、道路改修にあたり現在地に移したそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f8 1/500秒 41mm ISO110 ) 露出補正 なし
077_221202355 X900 〇北の丸公園 田安門 Z50 Z18-140.jpg 77.九段坂公園
田安門を出て、濠を渡ると靖国通りになるが、その手前が九段坂公園になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 61mm ISO400 ) 露出補正 なし
078_221202361 X900 北の丸公園 田安門 Z50 Z18-140.jpg 78.九段坂公園 品川弥二郎像
品川弥二郎は、天保14年(1843年) 長州の足軽の家に生まれ、身分は低かったが、吉田松陰の松下村塾に入門して尊皇攘夷運動に参加することにより、幕末・維新の外交に重要な役割を演じる人物となった。文久時代には高杉晋作の英国公使館焼き討ちにも参加しているが、藩代表となった高杉が外国艦隊と和睦したことを知って憤り、高杉と敵対したこともある。明治後は子爵・内務大臣まで務めた。この像は明治40年(1907年)に設置された。高村光雲が監督し、本山白雲が原型を作成し、平塚駒次郎が鋳造した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f11 1/500秒 29mm ISO110 ) 露出補正 なし
079_221202363 X900 北の丸公園 田安門 Z50 Z18-140.jpg 79.九段坂公園 大山巌像 -1
大正8年(1919年)11月3日の建設。原型作者は北の丸公園の北白川宮能久親王騎馬銅像を制作した新海竹太郎。建設委員長に陸軍大将井口省吾、ほか現役、予備役将校、実業家、地方有志だそうだ。工費は9万5373円81銭。この像は昭和23年(1948年)にGHQ一に時撤去され東京都美術館に預けられたのち、昭和44年(1969年)に現在地へ移されたそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 32mm ISO100 ) 露出補正 なし
080_221202364 X900 北の丸公園 田安門 Z50 Z18-140.jpg 80.九段坂公園 大山巌像 -2
大山巌は天保13年(1842年)の生まれで薩摩藩出身。元帥陸軍大将日露戦争では陸軍司令官、初代の陸軍大臣となった。その後参謀総長、内務大臣を勤め元老となっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 67mm ISO200 ) 露出補正 なし
081_221202366 X900 北の丸公園 田安門 柿 Z50 Z18-140.jpg 81.九段坂公園 柿の実 -1
柿の実がなっていた。とてもうまそうな柿に思えるが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO360 ) 露出補正 なし
082_221202369 X900 〇北の丸公園 田安門 柿 Z50 Z18-140.jpg 82.九段坂公園 柿の実 -2
田安門の櫓を背景に柿の実も季節を告げる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6 1/500秒 105mm ISO220 ) 露出補正 なし
083_221202056 X900 〇靖国神社 G7x.jpg 83.靖国神社の大鳥居
靖国通りの向こう側に、木立の中の靖国神社大鳥居と、たなびく日の丸の旗が見えた。この靖国神社第一鳥居は、大正10年に日本一の大鳥居として誕生し、「空をつくよな大鳥居」と親しまれた。昭和18年、老朽化のために取り去られていたが、戦友・崇敬者により昭和49年再建された。最新技術の耐候性鋼で作られ、柱の高さは25m、直径2.5m、上の横木である笠木(かさぎ)は長さ34m、直径2.7m、重さは100トンという、日本最高、最大級の大鳥居という。九段坂公園を後に靖国通りを下り、東京メトロの九段下駅に出た。半蔵門線で渋谷へ、渋谷から東横線で横浜へ戻ってきた。横浜高島屋の8階に上がり、遅めの昼食にした。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 22mm ISO125 ) 露出補正 なし

2022年4月21日

皇居東御苑から千鳥ヶ淵へ その2 千鳥ヶ淵の桜 3月30日

10時半に大手門から皇居東御苑に入り、一回りして、昼に退出、内堀通りを皇居を左回りに千鳥ヶ淵を目ざして歩き始めた。
 平川門を過ぎて、左手に平川濠の石垣を見ながら北桔梗門へ来た。北の丸公園はこの辺りから北へ行かねばならないのだが、今回は千鳥ヶ淵を優先し、北の丸公園は割愛した。
 右手に国立近代美術館のレンガ造りの建物が見えてきた。やがて大官町に出る。いったん内堀通りから離れて代官町道りを歩く。土手の上に上がれるようだったが、そのまま先に進む。後で調べてみたら、この土手の上の道はなかなか良さそうだ。次回、北の丸公園を訪れるときには是非、歩いてみたいと思った。
 やがて、大官町通りが半蔵濠を渡る堤の上に来ると、左手に見える濠の向こうに、人が行き交う千鳥ヶ淵公園の桜が見えてきた。千鳥ヶ淵とは田安門から半蔵門にかけての皇居内堀のことを言うようだが、千鳥ヶ淵公園は代官通りの千鳥ヶ淵交差点から半蔵門までの約450mの遊歩道だそうだ。
 千鳥ヶ淵公園の桜はさすがに見事だった。桜が向こうの方まで重なって見える。私は千鳥ヶ淵交差点から半蔵門に向かって歩いて行ったが、その半蔵門の近くに、枝がお堀に垂れ下がって咲いているサクラを見て、内堀通りの地下鉄桜田門駅への入り口を下りた。時間は1時30分過ぎ、3時間半ほど写真を撮りながら歩き続けたので少々疲れた。昼食は自宅に戻ってからだった。スマホの歩数計は1万5千歩になっていた。

000_220330305 X700 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg
千鳥ヶ淵公園のサクラと彫刻「自由の群像」 2022年3月30日 東京都千代田区

031_220330201 X 800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 31.北桔梗門 -3
内堀通りを平川門から平川濠に沿って、しばらく歩くと、濠の水面から高さがある石垣に北桔梗門が見えてきた。「東京とりっぷ」によれば、北桔橋門の両側は高い石垣の上は築地塀となっている。この石垣と往時には平川濠側に五十三間多聞という長大な多聞を配し、深い濠で本丸の背後からの攻撃を守ろうとしていたそうだ。石垣が屈折していて、直線的な部分が少ないのは、高さのある石垣の強度を保つため。さらに屏風折にすることで、敵の攻撃に対して2面からの防戦が可能となる。この屏風折は大坂城の高石垣にも見られる構造だそうだ。本丸北面のこの550mにも及ぶ長大な高石垣は、1614年(慶長19年)の第2次天下普請の際に、西国大名のすべてが動員されて築いたものと説明されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 59mm ISO280 ) 露出補正 なし
032_220330203 X800 〇北桔橋門 Z50 18-140.jpg 32.内堀通りから北桔梗門を眺める
北桔橋門は、通常は橋を跳ね上げた形で、使われることがなく、いざという時の脱出路の確保としての門となっていたそうだ。現在は土橋に変形され、往時とは大きく異なった姿になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 59mm ISO280 ) 露出補正 なし
033_220330205 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 33.内堀通りのサクラ
そう大きな木ではないが枝垂れ桜がきれいに咲いていた。満開である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
034_220330211 X800 〇代官町通り 国立近代美術館分室 Z50 18-140.jpg 34.東京国立近代美術館分室
旧日本軍の司令部として1910年に建てられたこの建物は、北の丸公園整備に当たり、取り壊される予定だった。しかしながら、「明治洋風煉瓦建築の一典型」を残そうという人々の声で取り壊しは中止となり、1972年には外壁、玄関及び階段ホールが重要指定文化財に指定され、1977年、「近代美術館工芸館」として開館した。 その後、2020年(令和2年)10月25日、通称を国立工芸館(NCM)として、ここ皇居のほとり北の丸から、工芸のまち石川県金沢市の本多の森に移転し、新たなスタートを切った。現在のこのレンガ造りの建物は 東京国立近代美術館分室として残された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
035_220330218 X800 代官町通り Z50 18-140.jpg 35.代官町通りのサクラ
代官町通りは、内堀通りの竹橋交差点から北の丸公園および皇居乾門入口と交差する大官庁交差点を経て、千鳥ヶ淵交差点に至る道である。この通りもサクラが咲いている。ヒヨドリが啄みに来ている。  

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO140 ) 露出補正 +1.0段
036_220330223 X800 代官町通り Z50 18-140.jpg 36.千鳥ヶ淵公園の遠望
代官町通りはやがて千鳥ヶ淵の堀にかかるが、そのお堀の右岸に千鳥ヶ淵公園が見えてきた。サクラの花が重なるように咲いていた。そのサクラの下を多くの花見客がが歩いている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 83mm ISO100 ) 露出補正 なし
037_220330229 X800 代官町通り Z50 18-140.jpg 37.千鳥ヶ淵交差点へ
ここは橋ではなく堤のようだが、千鳥ヶ淵交差点の手前は、千鳥ヶ淵公園のサクラと代官町通りに咲くサクラを楽しむことが出来る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
038_220330232 X800 〇代官町通り Z50 18-140.jpg 38.菜の花と千鳥ヶ淵公園のサクラ
千鳥ヶ淵交差点の手前の堤に咲く菜の花。チョウが来ないかと待ってみたが、撮らせてくれなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 26mm ISO110 ) 露出補正 なし
039_220330243 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 39.千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵交差点から左に、千鳥ヶ淵公園に入った。一般的には半蔵門側からこちらに歩く人が多いのだろうか。まさに満開である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 56mm ISO110 ) 露出補正 なし
040_220330246 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 40.千鳥ヶ淵 ソメイヨシノ
千鳥ヶ淵は皇居内堀の一部で田安門と半蔵門の間をいう。江戸城拡張の際に川をせき止めて築造された。名前の由来は渡り鳥の千鳥に形状が似ているからだとされている。今回は千鳥ヶ淵交差点から半蔵門までの千鳥ヶ淵公園だけを歩くことになったが、逆に千鳥ヶ淵交差点を北へ歩くと、千鳥ヶ淵戦没者墓苑やボート乗り場がある千鳥ヶ淵縁道になる。千鳥ヶ淵縁道は次回、北の丸公園を訪れるときに歩いてみたい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 30mm ISO110 ) 露出補正 なし
041_220330252 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 41.ソメイヨシノとベニシダレ -1
千鳥ヶ淵公園の散策路には、ソメイヨシノと花の色が濃いベニシダレ(紅枝垂)が重なるように咲いている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO160 ) 露出補正 なし
042_220330254 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 42.ソメイヨシノとベニシダレ -2
ベニシダレは千鳥ヶ淵公園に入ってすぐのところと、半蔵門に近いところに咲いていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO220 ) 露出補正 なし
043_220330256 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 43.ベニシダレ
説明板には、ベニシダレは自生種のエドヒガンが枝垂れ、その中から花色の濃い個体が選抜されてきた品種で、古木、名木が多いエドヒガンともども長寿で樹齢千年を超えるものもあると記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 135mm ISO100 ) 露出補正 なし
044_220330261 X800 〇千鳥ヶ淵公園 英国大使館 Z50 18-140.jpg 44.英国大使館
内堀通りの向こう側に、英国大使館が見えた。イギリスは明治政府とのつながりが深く、早くから江戸城に近いこの地を与えられていた。レンガ造だった建物が関東大震災により倒壊し、昭和初期の1929年(昭和4年)頃に英国工務省の設計により鉄筋コンクリート造石貼りの現在の建物が建てられた。当時の日本建築に比べ、古典様式を忠実に踏襲し簡素化・近代化したデザインが特徴である。英国王室の紋章が施されたペディメントを持つギリシャ神殿風の中央棟から、左右に広がる別棟を持つ平面構成となっている。(千代田区観光協会のサイトを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 53mm ISO110 ) 露出補正 なし
045_220330263 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 45.千鳥ヶ淵公園散策路
wikipediaによれば、千鳥ヶ淵公園は、「1919年(大正8年)に明治期の市区改正事業の一環として開園した。内堀通りと皇居の半蔵濠に面し、半蔵門から千鳥ヶ淵交差点までの間が公園となっている。南北約450m、東西約20mと細長い形をしており、お堀側では皇居と、内堀通り側では駐日英国大使館と向かい合っている。」と記されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
046_220330265 X800 〇千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 46.濠とサクラ
ソメイヨシノの大きな枝が濠に向け枝を伸ばしている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 39mm ISO110 ) 露出補正 なし
047_220330282 X800 〇千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 47.サクラの下の花見客
きょうは平日であるが、天気が良い。大勢の人が遊歩道を歩いている。週末にはもっと大勢の人が訪れるのだろう。サクラもこの週末まではもちそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO180 ) 露出補正 なし
048_220330284 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 48.サクラの品種
日本にサクラの品種は100種以上あると言われる。ソメイヨシノ、ベニシダレのほか、説明板にサトザクラのカンザンやフゲンゾウ、そしてマイヒメという品種が説明板にあった。このサクラの品種は何だろう? 説明板の写真にあったマイヒメに似ているが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 64mm ISO100 ) 露出補正 なし
049_220330299 X800 〇千鳥ヶ淵公園 半蔵門 Z50 18-140.jpg 49.半蔵門 -1
半蔵濠の向こう側に半蔵門が見えてきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 48mm ISO160 ) 露出補正 なし
050_220330304 X800 〇千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 50.自由の群像
千鳥ヶ淵公園の桜並木の途中、半蔵門が近くなったところに、男性立像3体の「自由の群像」と題する彫刻があった。1955年に大手広告代理店の電通が建てたものだそうだ。碑文は現代人にとって生活必須の容器にして日本の進運福祉に多大な貢献をした新聞事業の先覚者たちを顕彰してこの「自由の群像」を建立することが述べられ、さらに、株式会社電通が新聞業界に尽くそうとする微意の一つとしてこれを建立する旨が、徳富蘇峰の撰文が緒方竹虎(朝日新聞主筆。戦後は政界に進出して自由党総裁)の筆で記されている。1955年の第一回顕彰者として福沢諭吉(時事新報)はじめ20名の名がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 42mm ISO100 ) 露出補正 なし
051_220330306 X800 半蔵門 Z50 18-140.jpg 51.半蔵門 -2
内堀通りへ戻り、左手正面に半蔵門を見る。半蔵門は城の西端に位置し、まっすぐ甲州街道(国道20号)に通じている。大手門とは正反対の位置にある。太平洋戦争で旧来の門は焼失し、現在の門は和田倉門の高麗門を移築したものである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 70mm ISO110 ) 露出補正 なし
052_220330313 X800 国立劇場 Z50 18-140.jpg 52.国立劇場
午後1時15分、半蔵門を見て、そろそろ適当な地下鉄の駅から帰路につこうと、内堀通りを歩いているとと右側に国立劇場があった。wikipediaによれば、国立劇場は、歌舞伎・日本舞踊・演劇が演じられる大劇場、文楽・邦楽・琉球舞踊・日本舞踊(小規模公演)・雅楽・声明・民俗芸能が演じられる小劇場で構成されている。コロナ禍がはじまる前に文楽人形劇を見に来たことがある。1956年、国立劇場の計画は具体化した。設計案についてはコンペが行われ、校倉造の正倉院を模した外観とした竹中工務店の岩本博行ほか13名による案が、計307案の中から当選した(1963年)そうだ。建物は1966年10月に竣工している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
053_220330317 X800 〇内堀通り Z50 18-140.jpg 53.桜田濠と桜田門
さらに内堀通りを進むと桜田濠の向こうに桜田門が見えてきた。wikipediaによれば、桜田濠と凱旋濠の間にある桜田門は、昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定された。特別史跡「江戸城跡」の一画を占める。なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。寛永13年(1636年)にそれまでの柵戸仕立の門を現在のような桝形門に改築、桜田門とよぶようになる。外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造になっており、桝形を構成している。大正12年(1923年)の関東大震災で一部が破損、鋼鉄土蔵造りに改修される。安政7年(1860年)にこの門の近くで水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きた。井伊邸は現在憲政記念館の建っている辺りにあり、桜田門から西に500mほどの所にあった。昭和7年(1932年)には昭和天皇の暗殺未遂事件(桜田門事件)が起きた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
054_220330320 X800 〇内堀通り Z50 18-140.jpg 54.桜田濠のサクラ -1
桜田濠にも美しいサクラが咲いていた。堀に向かって伸びた枝は花の重みで垂れ下がっているようだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 57mm ISO160 ) 露出補正 なし
055_220330328 X800 内堀通り Z50 18-140.jpg 55.桜田濠のサクラ -2
この日はこのサクラで見納める。約3時間半、良く歩いた。今回行きそこなった北の丸公園と、そこ(田安門)から千鳥ヶ淵交差点までの千鳥ヶ淵縁道は来年以降のお花見に残しておこう。内堀通りにあった東京メトロの桜田門駅へ下りる入り口に入った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし


2017年6月 7日

人形町・水天宮・門前仲町 5月16日

あれは東日本大震災の年だったと思う。古希を迎えた小学校の同級生で、クラス会を行った折に、これからは半年に一度は会う機会を作ろうかということにして、もう、5年が過ぎた。前回集まった時に、次回は人形町の「玉ひで」さんの親子丼を食べたいとの意見が出た。私も以前に2~3回並んで順番を待って「玉ひで」の親子丼を食べたことがある。しかし、まとまって座って、ちょっとゆっくりしたいとなると、並んで待って、食べ終わったらすぐ出るというのでは落ち着かない。「親子昼膳」を予約して席を確保することにした。
 いつものクラス会は8名~10名くらい集まるのだが、今回は参加者が6人と少なかった。しかもひとりが日にちを勘違いしてドタキャンになった。幸いキャンセル料は勘弁していただいたが・・・
  食後の腹ごなし散策のこともあるので、私は少し早めに行って、人形町界隈を歩いてみることにした。横浜から人形町へは京浜急行、都営地下鉄浅草線直通で乗り換えなしで行けた。
 人形町駅で下車、まず、久松町の方へ歩いてみる。そこから浜町へ。甘酒横丁を通って、人形町へ戻ってきて、クラスメートと落ち合った。
 「玉ひで」さんでは、江戸の古地図の屏風が置かれた落ち着いた椅子席に案内された。親子丼は旨かった。
 「玉ひで」を出て、安産はもう関係ないが、まず水天宮へお参りした。すっかり新しくなっている。
 男3人、女2人の一行は、水天宮から地下鉄半蔵門線に乗って清澄白河で都営大江戸線に乗り換え門前仲町へ。深川不動堂、富岡八幡宮にお参りし、喫茶店でしばし話に花を咲かせた後、次回の約束をして解散となった。

1.明治座
人形町から久松町へ出て、久松町の交差点を右に曲がり、清州通り進むと、こののぼりが見えてきた。明治座だ。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/320秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2.新しくなった明治座
​明治座がこのビルに入ったのは1993年だ。wikipediaによると、​明治時代からの長い歴史を持つ「日本橋明治座」は、「銀座歌舞伎座」「新橋演舞場」「お堀端帝劇」などとともに、東京を代表する劇場として親しまれてきた。​1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で焼失した明治座は、その残骸をむき出しのまま放置されていたが、地元有志の間で明治座復興の気運が盛り上がり、​​​​​​再建され​​​​​​1950年(昭和25年)11月30日に開場に漕ぎ着けた。1993年には、再開発で建て替えた賃貸オフィスビルの浜町センタービル低層階を占める形となっている。​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/400秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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3.玉ひで
明治座から甘酒横丁を人形町方面に戻る。5月21日、TV番組の「路線バスの旅」で徳光和夫さん、伍代夏子さん、田中律子さんが、この通りを歩いていた。人形町通りを渡って少し行くと、この日親子丼を食べる「玉ひで」さんだ。予約をしておいたので、落ち着いた部屋の椅子席で「親子昼膳」を食べながらのひと時を過ごした。旨かった。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f3.1 1/800秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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4.水天宮
「玉ひで」を出て、まず、水天宮にお参りする。水天宮も新しくなっている。wikipediaによれば、江戸鎮座200年記念事業として社殿の建て替えを行った。それに伴い、平成25年(2013年)3月1日から平成28年(2016年)4月7日までの間は、日本橋浜町の明治座そばに仮宮(位置)が設けられていた。これは少なくとも、昭和40年代初期に嵩(かさ)上げ工事をして二階建てとなって以来、ほぼ半世紀ぶりの遷座である。平成28年4月8日より新社殿への参拝者の受け入れを開始したとある。このコンクリートの階段がいわば参道なのだろう。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f3.​5​​​​​​​ 1/80秒 ​6​mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
5​.水天宮新社殿​
白木を基調とした神社建築様式を取り入れ​​​られている​​​。また代々受け継がれている伝統文化の錺金具や彫刻等も施されている​​​。免震構造など最新技術を用い、古きよきものと新しきものを取り入れた、時代に即した社殿という。安産、​子授けはもはや関係ないがお参りをした。ここが、福岡勤務時代に訪れたことがある福岡県久留米市の久留米水天宮の分社とは知らなかった。​​​​​​​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​7​​​​​​​ 1/400秒 ​7​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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6.水天宮 子宝犬
周囲を取り巻く十二支のうち自分の干支を撫でると安産、子授け、無事成長など様々なご利益があるのだそうだ。​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​7​​​​​​​ 1/320秒 ​7​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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7.深川不動堂入り口
水天宮前から地下鉄半蔵門線(東京メトロ)に一駅乗り、清澄白河で都営大江戸線に乗り換え、また一駅乗って門前仲町で下車した。永代通りの朱塗りの門を入ると深川不動堂の参道だ。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​1​​​​​​​ 1/640秒 ​4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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8.深川不動堂 旧本堂とわらじ願掛け
深川不動堂は、真言宗智山派の寺院であり、千葉県成田市にある成田山新勝寺の東京別院である。正面に見えるのは旧本堂で、前本堂が東京大空襲で焼失した後、千葉県本埜村(現・印西市)の龍腹寺の堂(文久3年・1863年建立)を移築して本堂としたもので、昭和25年(1950年)に移築が完了、翌年に落慶法要が営まれている。旧本堂の西側(写真では左側)にある外壁に梵字(不動明王真言)を散りばめてある建物が現在の本堂で、開創310年を期に平成23年(2011年)に完成したそうだ。境内に足を踏み入れて目立つのは巨大なわらじだ。​​​​​​​​​​これには願かけの絵馬やわらじが無数にぶら下げられていた。​​​​​​​この巨大なわらじは本堂に登る​石段​​​​​​の両側にあり大変目立​​​​​​​​​​​つ。靴を脱いで旧本堂に​​​上がって、およそ10,000体のクリスタル五輪塔が祀られている「祈りの廻廊」、4階にある天井画「大日如来蓮池図」、そして本堂で行われていた護摩行を見学した。​​​​​​​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​7​​​​​​​ 1/500秒 ​7mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.深川開運出世稲荷
境内に成田山開運出世稲荷の分霊である稲荷社があった。「荼枳尼天尊」の扁額がかかっている。よく判らないが、狐が玉のようなものを咥えている。反対側の狐も何かを咥えている。狛犬と同様に社殿に向かって右(上座)が口を開いた「阿(あ)」であり、左(下座)が口を閉じた「吽(うん)」と言われるがここのは左右同じように見える。稲荷神社の狐は玉のほかにも鍵や鎌や稲穂を咥えた狐もいて、いくつかのバリエーションがあるようだ。 ​​​​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​1​​​​​​​ 1/​640​​​​秒 ​4mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.富岡八幡宮 分社
深川不動堂を出て左へ行き、富岡八幡宮の鳥居をくぐって境内に入る。その左手にひっそりとこの分社があった。左から、富士浅間社、金刀比羅社、大黒社、恵比寿社、鹿島神社、大島神社とある。正面から入るとここは境内の一番奥になる。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​3​​​​​​​ 1/​160​​​​秒 ​5mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.富岡八幡宮 本殿
本殿は改修中だった。本年例大祭までを完成目標として、外壁等の塗り替えを中心に、本殿、南参道鳥居、西参道鳥居の修繕工事が行われていた。​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4.4​​​​​​​​ 1/​250​​​​秒 ​12mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
12​.日本一の御神輿
一の宮神輿と二の宮神輿があるが、この一の宮神輿の方が大きい。​​​​​説明板などによると、富岡八幡宮にはもともと、江戸、元禄時代に深川に屋敷があった紀伊国屋文左衛門​​より、三社託宣に因み、八幡造り、神明造り、春日造りの三基三様の神輿が奉納され、みこし深川と言われてきたが、大正12年の関東大震災で惜しくもそのすべてを焼失した。長い年月、宮神輿がなかったが平成になり、昔に優るとも劣らない豪華なお御神輿が復活した。日本最大の神輿と言われている高さ4.4メートル重さ4.5トン、随所に純金・宝石が散りばめられた絢爛豪華な一の宮神輿が平成3年(1991年)に奉納された。神輿の最上部の鳳凰や中段の狛犬のダイヤモンドの目は光り輝いており、非常に豪華な作りになっている。一の宮神輿は非常に大きすぎて担ぐ事が出来ないということで、1997年(平成9年)に、この一の宮神輿の右側に置かれている二の宮御輿が作られ御本社祭りの際担がれる様になった。こちらは一回り小さいが、それでも高さ3.3メートル重量2トンもある。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​3.1​​​​​​​​ 1/​60​​​​秒 ​4mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.木場の木遣りの碑
富岡八幡宮の正面まで来た。大関力士碑があり、横綱力士碑は本殿の横にあるとあったので、先にそちらを見に行こうと東参道へ入るとこの木遣りの碑(角乗り碑)があった。「木場の木遣り」の発祥は古く、現存の文献によれば、既に慶長初期の昔に行れている。当時、幕府のお船手の指図で、伊勢神宮の改築用材を五十鈴川より木遣りの掛け声で水揚げをした、とある。元来、神社仏閣の鳥居や大柄な用材を納める場合には木場木遣り特有の「納め木遣り」が用いられ、保存会により今日に伝えられている。元禄の始めには、武家屋敷の並ぶ両国の七つ谷の倉の間部河岸という所で3代将軍家光公に筏の小流し(さながし、筏組)、角乗り、木遣りをご覧に入れ、以後年中行事となった。この時、川並みという言葉が発祥したと伝えられる。 江戸の昔より正月2日から7日に掛け木遣りにて初曳きし、材木屋さんに売り捌くのを年中行事としていた。これはブログ「東京都江東区の歴史」より引用させていただいた。また、「東京ぐるり」というブログを見ると、木材の町「木場」は、江戸時代より昭和50年「新木場」に移転するまで約270年間木材産業の町として栄えた。江戸材木置場は、寛永18年(1641年)、明暦3年(1657年)の大火後、永代島に集中移転し木場と称した。元禄14年(1701年)現在の木場に移転以来270年間、木場は繁栄を続けた。昭和51年夏までに大半の材木業者が夢の島の新木場に移転したとあった。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.1​ ​​ ​1/60秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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1​4.七渡神社
弁天池の真ん中の道の向こうに七渡神社がある。立てられれていた説明板には、「七渡神社は八幡宮御創建以前よりお祀りされ、八幡様の地主神として七渡弁天さまと尊ばれて参りました。あわせてお祀りされる粟島神社は女性の守り神として2月8日に献針祭(針供養)が行われます。」と記されていた。​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​3​​​​​​​ ​1/​8​0秒 ​5​mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.横綱力士碑
目当ての「横綱力士碑」は改修中の本殿の東側にあった。富岡八幡宮のホームページによると、富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名である。江戸時代の相撲興業は京・大阪から始まるが、 トラブルが多くしばしば禁令が出た。その後禁令が緩み、貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許された。その地こそがこの富岡八幡宮の境内だった。以降、約100年間にわたって本場所が境内にて行われ、その間に定期興行制や番付制が確立されたそうだ。そののち本場所は、本所回向院に移っていくが、その基礎は富岡八幡宮において築かれ、現在の大相撲へと繋がっている。明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑がここに建立された。そして新横綱誕生時には相撲協会立会いのもと刻名式が行われ、新横綱の土俵入りが奉納される。また両側には伊藤博文、山県有朋、大隈重信といった賛同者の名が刻まれており、広く各界から協賛を得て建立されたことを物語っている。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​3​​​​​​​ ​1/​8​0秒 ​5​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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16.大関力士碑
こちらは富岡八幡宮の正面、大鳥居をくぐってすぐ右手に歴代大関を顕彰するために建立された 「大関力士碑」がある。この碑は明治の頃に、9代目市川団十郎と5代目尾上菊五郎により寄進されていた2基の仙台石を活用し、初代大関雪見山から2014年3月に引退した琴欧州まで歴代大関114名の四股名が彫り込まれている。(大関に在った力士が引退した時にその四股名が彫り込まれるとのこと) ​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​1​​​​​​​ ​1/​8​0秒 ​4​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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1​7.スカイツリー
富岡八幡宮のお参りの後、喫茶店でしばし昔話を楽しんだ後、クラス会は解散になった。みんなは門前仲町から地下鉄に乗ったが、私は人形町まで歩くことにした。永代通りを永代橋に向け歩く。途中、福島橋から右手に御船橋、緑橋、そしてその向こうにスカイツリーが見えた。​

​​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f5.6​​​​​​​ ​1/​125秒 3​4​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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18.永代橋
墨田川にかかる大きな永代橋を渡る。永代橋は、元禄年間に「深川の大渡し」に代わって架けられ、佐賀町付近(現在の佐賀一丁目付近)が昔、永代島と呼ばれていたため、永代橋と名付けらた。現在の橋は、1926年に架けられたもの。1897年に、道路橋としては日本で初めて鉄が使用されたが、床が木製だったため関東大震災で焼損し、震災復興橋として現在の姿となったそうだ。

​​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6​​​​​​​ ​1/​125秒 3​4​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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19.佃島タワー・マンション群
永代橋の左側(南側)には、墨田川の向こう、佃島エリアの高層マンション群が聳える。高層マンションは8棟あり、大川端リバーシティ21と呼ばれている。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5​​​​​​​ ​1/​125秒 ​22​​​​​​​​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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20.人形町からくり櫓
永代通りを新川1丁目で右に曲がり、湊橋を渡って、東京シティ・エア・ターミナルに出た。そこを左に水天宮の方へ進む。そして人形町通りを人形町交差点へと進む。その人形町通りに「人形町からくり櫓」があった。時間になると人形たちが生き生きと動き出し、道行く人々の目を釘付けにするという。こちらは「江戸落語からくり櫓」で、道の反対側には「江戸火消しからくり櫓」があった。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.7​​​​​​​ ​1/​125秒 ​7​​​​​​​​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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21.鉄造菩薩頭
この寺は大観音寺という。鎌倉の新清水寺にあった鋳鉄製の観音像が鎌倉時代に火災に遭い、後に頭部のみが掘り出され、その後鶴岡八幡宮に安置されていたが、神仏分離令により現在の大観音寺に遷座となったそうだ。それが明治9年のことで、安置されているここ大観音寺は明治13年に建立された。鉄造菩薩頭は関東に現存する中世に造立されたものの中でも特に優れていることから、昭和47年に東京都有形文化財に指定された、といったことが中央区教育委員会の立て札に記されていた。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.7​​​​​​​ ​1/​30秒 ​7​​​​​​​​mm ISO400 ) 露出補正 なし
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2015年12月18日

江戸城ウォーキング (2) 12月1日

「江戸城歴史ウォーキング」の一行32名はガイドさんの案内に従って中之門跡から御殿の領域にに入った。中之門跡【江戸城内最大級の巨石】・・・大番所・・・中雀門【本丸に通じる最後の門】 ・・・本丸御殿跡【大奥があった】・・・​展望台・・・​富士見櫓【現存する唯一の三重櫓】・・・松之大廊下跡【元禄赤穂事件発生の場所】・・・富士見多聞【長屋造りの武器庫】・・・石室・・・​天守台【天守閣跡】・・・汐見坂​(遠望)​・・・北桔橋門【東御苑の出入口】・・・北の丸公園・・・田安門と進む。
 途中になってしまったが環境省のホームページにあった皇居外苑案内図を参考にさせていただいたので転載させていただく。

ガイドさんが2本の大きな木を指さして、「ここからが本丸です」と教えてくれた。眼の前には本丸御殿のあった広い芝生が広がっていた。今上天皇が即位されたときは平成2年(1990年)11月12日に即位の礼が皇居正殿で行われ、11月22日から23日に大嘗祭が行われている。大嘗祭のための祭場である大嘗宮は、この広大な芝生の本丸跡に5日間で建てられ、祭後ただちに撤去された。トイレ休憩を兼ねて立ち寄った本丸休憩所には、その大嘗宮の模型が置いてあったがそれは立派なものだった。
  江戸城にはなぜ天守閣がないのかなど、今まであまり疑問に思ったことはなかったが、そのことについてもガイドさんは要領よく説明してくれた。
  北桔橋門で大手門でもらった入場証をお返し、東御苑の外に出る。そのまま歩いて北の丸公園へ行く。一旦、その出口である田安門まで行き、その説明を聞いて、再び北の丸公園の芝生へ戻ってきた。そこでなだ万のお弁当を配られ、思い思いのところで昼食をとって自由解散となった。九段下駅へで出て半蔵門線に乗り、渋谷経由で横浜に戻った。

27.大番所
中之門跡を過ぎて右側に大番所がある。本丸の中にあり、大判所の役割は極めて大きかった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 30mm ISO200 ) 露出補正 なし
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28.中雀門跡の石垣
本丸御殿に通じる最後の門。日光門主と徳川御三家もこの門で乗り物を降りて徒歩で本丸御殿に向かったという。この石垣の黒い石は元々 家光が造営した三代目天守台の石(伊豆石)を、天守炎上後さすがにボロボロになったのでバラして中雀門の石垣に再利用したとか。そしてこの中雀門も、幕末の大火で燃えてしまい、この伊豆石は二度の大火に見舞われたことになる。焼けて表面が剥がれているのが見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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29.本丸御殿入口
目の前に広い芝生の広場が広がる。ここが本丸御殿の跡で手前に見える2本の大きな木が本丸御殿の入り口だとガイドさんが説明してくれた。かってここには、大奥・中奥・表からなる 本丸御殿が建ちならんでいた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1250秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
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30.汐見坂
二の丸跡が展望台になっている。台所櫓があったところだそうだ。ここから白鳥濠、その向こうに汐見坂が見える。あの坂から海が見えたそうだ。かって二の丸には将軍の世子やその他の御殿があった。たびたび火災に遭い慶應3年(1867年)からは再建されていない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1400秒 56mm ISO200 ) 露出補正 なし
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31.10月桜
本丸御殿跡の芝生広場のそばに本丸休憩所があり、そこで小休止となった。その前にはちらほらと10月桜が咲いていた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/​2000秒 ​6​mm ISO​1000 ) 露出補正 なし
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32.本丸御殿跡
1863年に本丸御殿が焼けた。wikipediaによれば最初の本丸御殿は1606年(慶長11年)に完成、その後1622年(元和8年)、1637年(寛永14年)(同16年焼失)、同17年(明暦の大火で焼失)、1659年(万治2年)(1844年(弘化元年)焼失)、1845年(弘化2年)(1859年(安政6年)焼失)、1860年(万延元年)(1863年(文久3年)焼失)と再建・焼失を繰り返している。5回も再建された本丸御殿だが、文久の焼失以降は再建されずに、その機能を西ノ丸御殿に移している。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/​2500秒 ​7mm ISO​1000 ) 露出補正 なし
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33.本丸跡果樹園
皇居東御苑に江戸時代の品種である果樹を植えれば,訪れる人々に とっても興味深いことではないかとの(今上)天皇陛下のお考えを受けて、皇居東御苑本丸地区に果樹古品種を植栽した果樹園が整備された。これは柿の一種のようだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 70mm ISO200 ) 露出補正 なし
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34.富士見櫓
1863年の明暦の大火で本丸御殿が焼けたあと、4代将軍家綱が天守閣を再建しようとしたが、3代将軍家光の異母弟で、家光と4代将軍家綱を輔佐し幕閣に重きをなした保科正之に天守閣再建より江戸市民のために金を使えと意見され、それに従った。当時千住大橋しかなかった隅田川に両国橋を造った。家綱はこの富士見櫓を天守と思えとふれたとガイドさんは説明してくれた。現在の富士見櫓は明暦の大火の後、1659年(万治2年)に再建されたもので、高さは15.5mある。関東大震災で倒壊したが、主要部材に旧材を用いて修復されたものが残っている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
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35.イロハモミジ
南西の角にある富士見櫓を見てまた戻ってくる。東御苑にはイロハモミジの木があったがまだ緑のままだった。これはこれで美しい。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 140mm ISO560 ) 露出補正 なし
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36.お茶の花
茶畑があった。「ツバキ科チャノキ」という札が差してあった。チャノキの花は10月~12月に咲くが少しだけ残っていた花をガイドさんが教えてくれた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/​320秒 ​6mm ISO​1000 ) 露出補正 なし
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37.竹林 キッコウチク
皇居東御苑にある竹林は13種の竹が植栽されている。竹林というより、竹の種毎の坪庭のようだ。それらは、天皇陛下のご意向で、お印が若竹(わかたけ)であった昭和天皇の時代に献上され、皇居吹上御苑で増えた株を分け、移植したものだそうだ。 この竹はキッコウチクという亀の甲のような節をしている。一般財団法人国民公園協会 皇居外苑のホームページに自然歩きマップというのがあったので載せさせていただいた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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38.竹林 キンメイモウソウ -1
節を挟んで交互に竹の肌の色模様が異なる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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39.竹林 キンメイモウソウ -2
ネットで調べてみたところ、モウソウチク(金明孟宗竹)の稈が黄金色になり、芽溝部に淡緑色の縦縞が節毎に交互に出現している珍品とある。国の天然記念物に指定されている。この種は突然変異によって発現するため、時には普通のモウソウチク林から突如発生するという珍事が起こるそうだ。 キンメイモウソウは普通のモウソウチクと同様に大変生活力が旺盛なことから、庭園用に栽培されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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40.タチバナ
皇居東御苑には、実に数百種の植物が管理され育てられているという。武蔵野の 多くの野草、雑木が各所で見られる。.日本に古くから野生していた日本固有の柑橘であるタチバナがあった。果実は滑らかで、直径3 センチメートルほど。キシュウミカンやウンシュウミカンに似た外見をしているが、酸味が強く生食用には向かないため、マーマレードなどの加工品にされることがあるという。どなたかが「食べられるのですか?」と聞いたところガイドさんの答えは「食べられますよ。でも、食べると大変なことになりますよ。」だった。1937年に制定された文化勲章は橘をデザインしている。wikipediaをみると昭和天皇の意向で意匠が橘花とされたとする説があるという。タチバナは永劫悠久の意味を有してゐるものであり、その悠久性永遠性は文化の永久性を表現するのに最も適するものとの聖慮と拜察されるとあった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 140mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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41.天守台
高さ11mほどの天守台が残っている。江戸城の天守は慶長度(1607年)・元和度(1623年)・寛永度(1638年)と三度築かれているそうだ。家光の天守は60mあった。1657年にその寛永度天守が焼失した後、ただちに再建が計画され、現在も残る御影石の天守台が前田綱紀によって築かれたという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 22mm ISO200 ) 露出補正 なし
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42.紅葉
紅葉している木は多くはなかったが、この天守台近くの紅葉は赤く色づいていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 105mm ISO200 ) 露出補正 なし
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43.天守台から本丸跡を眺める
本丸御殿跡の東側を歩いて、松之大廊下跡、富士見多聞石室を見て天守台が見えるところまで来た。天守台は本丸御殿の北側にある。本丸御殿は表・中奥・大奥が南から北にこの順で存在していた。表は将軍謁見や諸役人の執務場、中奥は将軍の生活空間であるが、政務もここで行っていた。大奥は将軍の夫人や女中が生活する空間である。大奥は表や中奥とは銅塀で遮られていたそうだ。大奥と言えば春日局だが、ガイドさんの説明では、春日局は女性の地位を向上させ、大奥取締りを設け、老中と同等の給料にしたそうだ。また大奥に仕える女性は最低でも今のお金で約200万円の年収があった。年金制度も作ったという。明暦の大火では神田が火元で高さ60mの天守閣が燃え、本丸も燃えた。この時将軍家綱以下幕閣は西の丸に移ったという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1250秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
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44.天守台の石垣と桃華楽堂
桃華楽堂は、昭和41年2月に完成し収容人員200名の音楽堂で、音楽好きの昭和天皇の皇后である香淳皇后(こうじゅんこうごう)の還暦記念として建設された。屋根は、テッセンの花弁を形どっている。八つある壁画は、各画とも大きく羽ばたく鳥を中央に、それぞれ日月星、松竹梅、楽の音などをイメージした図柄が陶片で描かれている。香淳皇后のお印の「桃」にちなんで命名されたそうだ。東京の建築遺産50選の一つで建築家今井兼次氏の基本設計。ここで行われる音楽会の会場に入ることは困難なようだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 56mm ISO200 ) 露出補正 なし
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45.天守台石垣
ただただ立派な石垣と感心する。使用された石は伊豆石から御影石に変えて、より精緻な切石で積まれたそうだ。もとの伊豆石の石材のうち、再利用できるものは中雀門前の石垣に転用された。東京五輪に合わせて江戸城天守閣を再建しようという話がある。再建には300億円、いや500億円かかるそうだ。江戸城再建を提案するのは、認定NPO法人「江戸城天守を再建する会」(理事長 小竹直隆氏)だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/320秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
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46.大手濠 北桔橋門を出る
天守台を見た後 北桔橋門で入場証を北桔橋門の守衛さんに返却して城外に出る。北桔橋門は本丸の背後に位置し、本丸御殿に至近の地点であったので、はね橋であり、その濠は深く石塁は堅固であった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/320秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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47.江戸城米倉
現在毎日新聞本社のあるところは江戸城の米倉だったと説明があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1250秒 52mm ISO200 ) 露出補正 なし
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48.北の丸の主 大銀杏
北桔橋門を出て、真っ直ぐ北の丸公園へ行く。途中北の丸の主と言われる大銀杏があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/320秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
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49.田安門
北の丸公園を抜けて田安門に来た。ガイドさんの説明はここが最後だ。田安門は江戸城で一番古い門でおよそ380年前に建てられた。門名の由来は、門内には田安台といって、はじめ百姓地で田安大明神があったので門名に称としたといわれている。田安門は、寛永13年(1636)に建てられたと考えられ、昭和38年には解体修理が行われた。北面する高麗門(一の門)とその西側に直交する渡櫓門(二の門)からなる枡形門である。これはその渡櫓門の手前から石垣の上に見える弥生慰霊堂を見たところ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 66mm ISO200 ) 露出補正 なし
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50.枡形門の田安門高麗門
これは田安門の北側、つまり九段下の方へ下りる最後の門である。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 34mm ISO220 ) 露出補正 なし
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51.職人の残した文字
高麗門の扉の蝶番に「寛永十三・・・」と掘られた製作に携わったと考えられる職人の文字があった。確かに380年近く前だ。ガイドさんに教えてもらわなければわからなかった。たまたま通りかかった近所の年配の方がこのガイドさんの説明を小耳にはさみ「毎日のようにここを通っているが知らなかった。勉強になった。」と言っていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 95mm ISO4500 ) 露出補正 なし
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52.田安門を振り返る
昭和38年に解体修理が行われたという渡櫓門を高麗門側から見た。ここから再び北の丸公園の芝生まで戻り、お弁当が配られた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO450 ) 露出補正 なし
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53.北の丸公園の芝生前でお弁当
弁当を食べていると、スズメ、カラスが傍にくる。まだ1時を過ぎたばかりなのに冬の日差しは傾き始める。プログラムオートで撮っているがG12の動作がおかしい?気付かぬうちに何かダイヤルを動かしてしまったらしい。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/​1250秒 ​6mm ISO​1000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
54.常燈明台
高麗門を出て靖国通りに下りる。靖国通りに出て右へ行き東京メトロの九段下駅に出るのだが、左手を見るとこの石造りの塔が見えた。千代田区観光協会のホームページによれば、この石塔は靖国神社正面の常夜灯として明治​4​年(​1871​)に建設され​​た​とのこと。靖国神社(当時は東京招魂社)に祭られた霊のために建てられたといわれて​いる。​。正式には高燈篭と​いうのだ​が、常燈明台ともいわれて​いる。当時、九段坂の上からは、遠く筑波山や房州の山々まで見渡すことができ、品川沖を行きかう船にとっては大変良い目印として灯台の役目も果たし​たそうだ​。当初は靖国通りをはさんで反対側に建てられていたが、道路の改修に伴い昭和​5​年(​1930​)に現在地に移転した。午後2時に九段下から地下鉄半蔵門線に乗り、渋谷経由で横浜に帰り着いた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/​1250秒 ​6mm ISO​1000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2013年4月26日

深川散策 4月10日


 一度深川のアサリを食べてみたいと思っていた。
私は満州生まれの滋賀県育ち、小学校に入学の時から、東京は城南、そして神奈川に住むようになり、いわゆる下町で過ごしたことがない。昨年は、都電荒川線沿線を歩いたり、日本橋七福神めぐりをしたり、また、9月には東京スカイツリーにあやかって向島、墨田川沿いを歩くなど、江戸時代の面影を残す町を歩いた。
 この日は、深川丼に誘われて、富岡八幡宮や清澄公園がある深川を歩くこととなった。

1.東横線横浜駅
3月16日、東急東横線が渋谷駅で、地下鉄副都心線と直通運転となり、いままでの東急東横線、みなとみらい線に加え東武東上線、西武池袋線、東京メトロ副都心線が加わり、5社相互直通運転となった。
そのため、今まですべて渋谷行だった横浜駅での東横線行先表示板には見慣れない行き先が表示されている。50年以上は利用してきた頭端式の東横線渋谷駅は「昔語り」となる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/40秒 14.4mm ISO800 ) 露出補正 なし
東横線横浜駅;クリックすると大きな写真になります
2.大栄山永代寺
地下鉄を乗り継いで、都営地下鉄の門前中町駅で下車した。永代通りを東陽町の方へ歩くとすぐ深川不動の参道になる。その右手に永代寺というお寺があった。Wikipediaによると「1624年(寛永元年)、長盛の開山により永代島に創建された。江戸時代には富岡八幡宮の別当寺として栄えたが、明治初年の神仏分離により廃寺となった。跡地は現在の深川公園や深川不動堂などになっており、深川一帯でも指折りの広大な寺院であった。その後、1896年(明治29年)に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興されたのが現在の永代寺である。」とある。ひっそりとしていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( 2.8 1/100秒 4.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
大栄山永代寺;クリックすると大きな写真になります
3.深川不動尊
左右に「昔」を感じさせる飲食店や商店が並ぶ参道の正面に深川不動があった。この写真は旧本堂で、現在の本堂はこの左側にあり、護摩祈祷が行われていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( 2.8 1/100秒 4.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
深川不動尊;クリックすると大きな写真になります
4.石造燈明台
日清戦争の勝利を記念して、深川不動堂境内南側に建てられた。明治28年に起工し、同31年に竣工している。外壁には九世市川団十郎などの歌舞伎役者、土木実表組合や東京石工組合などの奉納者、奉納団体が刻まれた石板が359点張られている。平成19年に江東区指定有形文化財に指定されている。 

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/1000秒 6.1mm ISO125 ) 露出補正 なし
石造燈明台;クリックすると大きな写真になります
5.富岡八幡宮
  深川不動尊のお参りを終えて、境内に戻ると江東観光ガイドクラブ」のテントがあり、立ち寄ってみると、ボランティアガイドの方が付近を無料で案内してくださるという。「あまり時間がとれないので30分くらいでお願いできますか」とお願いしてみたところ、心よく「いいですよ」とのこと。前の写真の石造燈明台の説明を受けた後、富岡八幡宮へ向かった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/640秒 6.1mm ISO125 ) 露出補正 なし
富岡八幡宮;クリックすると大きな写真になります
6.横綱力士碑
事前学習で富岡八幡宮に横綱力士碑なるものがあることを知っていた。この横綱力士碑は、横綱の顕彰と相撲の歴史を伝えるため、江戸時代最後の横綱第十二代陣幕久五郎が中心となり、明治33年(1903年)に建てられたとのこと。重量は約五千五百貫(約20t)あり、初代明石志賀之助からの歴代横綱の名が刻まれている。懐かしい大鵬、柏戸や千代の富士の名が刻まれている。富岡八幡宮は貞享元年(1684)に幕府の公許のもと初めて勧進相撲が行われ, 以後年ニ場所の相撲興行が定期的に行われた事により 江戸勧進相撲発祥の地として知られるようになったという。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/250秒 6.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
横綱力士碑;クリックすると大きな写真になります
7.永昌五社稲荷神社
富岡八幡宮境内の婚儀殿の向こう側に永昌五社稲荷神社というお稲荷様があった。ここでも神、仏一緒になっている。。「五社」というのは、近隣にあったお稲荷様が5つ合祀されているかららしい。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/250秒 6.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
永昌五社稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
8.お神輿
4.5トンもある大神輿で有名である。大きすぎて屋根の部分は写し取れていない。この豪華絢爛な一宮神輿は平成3年に奉納されたが、非常に大きすぎて担ぐ事が出来ない。一度だけ担がれたことがあるらしいが、担ぎ上げるのに約300人程度は必要で、3~5分程で交代しながら総勢3000人掛かりで行ったようだとガイドさんに説明していただいた。平成9年に二宮神輿が新たに奉納されて3年に一度の例大祭では約2トンの二宮神輿が担がれる。「奉納・佐川急便グループ会長」という札が添えられていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/60秒 12.3mm ISO160 ) 露出補正 なし
お神輿;クリックすると大きな写真になります
9.伊能忠敬像
平成13年、江戸時代後期の測量家・伊能忠敬の銅像が境内大鳥居横に建立された。伊能忠敬は深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住み、測量旅行出発にあたっては、必ず当宮を参拝していたことから縁りの地であるこの八幡宮に銅像が建てられた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/1250秒 4.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
伊能忠敬像;クリックすると大きな写真になります
10.大関力士碑
永代通りの方から見て大鳥居の向こう側、伊能忠孝像の前あたりに大関力士像があった。 昭和58年に建てられた比較的新しい碑で、歴代の大関が顕彰されている。九代目市川団十郎と、五代目尾上菊五郎が明治時代に寄進した仙台石が利用されているという。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/500秒 4.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
大関力士碑;クリックすると大きな写真になります
11.富岡八幡宮 参道
これは永代通りの方から、大鳥居と本殿を仰ぎ見たところである。どうしても新しい建物が入ってしまう。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/640秒 8.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
富岡八幡宮
12.深川丼とあさり御飯
ガイドをしていただいた方に礼を述べ、ついでに深川丼の美味しいところをご存じないか伺ってみたところ、深川不動参道の「六衛門」という店をリコメンドしていただいた。品書きに深川丼とあさり御飯というのがあったが、私はあさり御飯(あさりの炊き込みご飯)にした。のども乾いたので、ビールと肴にはアサリのかき揚げを頼んだ。これがなかなか旨かった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/60秒 8.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
深川丼とあさり御飯;クリックすると大きな写真になります
13.下町散策
「六衛門」での昼食を終え、深川界隈を少し歩いてみた。永代通りと並行して流れる大横川にかかる巴橋を渡り、牡丹町通りを行ってみる。このあたりは夜は賑やかになるのだろう。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/250秒 18.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
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14.東富橋
大横川の木場寄りにかかる東富橋というのがあった。立派な橋だ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/1600秒 6.8mm ISO125 ) 露出補正 なし
東富橋;クリックすると大きな写真になります
15.古石場文化センター 小津安二郎紹介展示コーナー
先ほど、富岡八幡宮を案内してくださったボランティア・ガイドの方が、ここへ是非行ってみたらよいと勧めてくれていた。このあたりは映画監督・小津安二郎の生まれた町だそうだ。東富橋を南に下って、少し右へ行ったところに古石場文化センターという建物があり、そこに小津安二郎紹介展示コーナーが設けられていた。これは展示されていた映画のポスターだが、「彼岸花」の配役を見ると、わたくしたちより、もう少し前の世代の映画ファンにとって懐かしいであろう豪華俳優の名前が並んでいる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 6.8mm ISO800 ) 露出補正 なし
古石場文化センター;クリックすると大きな写真になります
16.古石場親水公園と小津橋
ふたたび大横川の方へ戻る。牡丹町通りの南側にきれいな水が流れる古石場親水公園(古石場川)があり、そこに小津家の名をとった小津橋が架かっている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/200秒 18.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
古石場親水公園と小津橋;クリックすると大きな写真になります
17.大横川に浮かぶお花見の和船
親水公園から永代通りへ戻ったが、その途中、大横川に、お花見と思しき客の乗った和船が漕がれていた。乗っているお客さんは若い女性たちと男性一人で、どうやら職場のお花見の会らしい。かみさんが橋(石島橋)の上から「桜が散ってて残念ね~」と声をかけたら、「船は花ばかりでーす」と船頭の声が返ってきた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/250秒 18.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
大横川に浮かぶお花見の和船;クリックすると大きな写真になります
18.深川図書館
最後に清澄庭園を見ていこうと、清澄通りを北へ歩く。仙台堀川にかかる海辺橋を渡って左へ行く。もうその右側が清澄公園のようだ。清澄庭園の入り口の方へ曲がる手前に明治42年9月10日東京市立図書館として設立された深川図書館があった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/400秒 4.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
深川図書館;クリックすると大きな写真になります
19.清澄庭園と清澄公園
要するに敷地の東半分が清澄庭園(有料)で、西半分が一般開放されている清澄公園である。深川図書館から歩いてくると左側が清澄公園、右側が清澄庭園(有料)だ。Wikipediaによると、この地には元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと伝えられる。享保年間には下総関宿藩主・久世氏の下屋敷となり、ある程度の庭園が築かれたと推定されている。1878年(明治11年)、荒廃していた邸地を三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取り、三菱社員の慰安と賓客接待を目的とした庭園の造成に着手。1880年(明治13年)に竣工し、深川親睦園と命名された。1924年(大正13年)、三菱3代目社長の岩崎久は当時の東京市に庭園の東半分を公園用地として寄贈。市は大正記念館の移築(1929年5月竣工)や深川図書館の新館舎建設(同年6月竣工)など整備を進め、1932年(昭和7年)7月24日に清澄庭園として開園した。1973年(昭和48年)に東京都は残る西半分の敷地を購入。翌年から整備を開始し、1977年(昭和52年)に開放公園(清澄公園)として追加開園した。65歳以上70円の入園料を払って清澄庭園の中に入った。この写真は雪見灯篭。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/200秒 18.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
清澄庭園と清澄公園;クリックすると大きな写真になります
20.涼亭 清澄庭園
数寄屋造りの涼亭は、明治42年(1909年)に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたもの出だそうだ。昭和60年に全面改築工事が施されている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/500秒 18.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
涼亭 清澄庭園;クリックすると大きな写真になります
21.サトザクラ
清澄庭園内のサトザクラが見頃だった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/640秒 9.5mm ISO125 ) 露出補正 なし
サトザクラ;クリックすると大きな写真になります
22.満開のサトザクラ
まだ、少し蕾を残しているが、サトザクラはほぼ満開でびっしりと八重の花をつけていた。この桜の木に「サトザクラ」の札があったので、サトザクラという種だと分かったが、桜の種類は多くて計り知れない。サトザクラとは、バラ科の落葉高木で、日本に自生するオオシマザクラ、ヤマザクラなどをもとに作られた園芸種だそうだ。 開花時期は4~5月。八重咲きのものが多く、葉と花がほぼ同時に出るものが多いという。 清澄庭園を最後に清澄白河駅から半蔵門線に乗り、地下に入った新渋谷駅で副都心線/東横線に乗り換えて横浜に帰った。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/1250秒 4.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
満開のサトザクラ;クリックすると大きな写真になります