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2020年12月15日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (4)金剛輪寺 11/26

2日目、この日は湖東三山と彦根を観光する。湖東三山は一昨年の11月にも行っているが、また、違う印象があるものと期待する。彦根城は初めてなので、楽しみにしている。
 天気もよさそうだ。朝は8時に草津のホテルを出発する。名神高速に上がるまでは朝の渋滞である。滋賀県草津市は人口14万3千人で県庁所在地の大津市に次ぐ県下第2位の人口を有する都市だ。私が描いていた懐かしい草津とは違っていた。1963年-1965年に名神高速道路が開通し、地の利の良さから大企業が多く進出し、有名となった栗東町は市に昇格し隣接する草津市も、ここ20年の間に大きく変わったようだ。私が育ったところはこの名神高速道路を少し瀬田の方へ行った追分というところだった。
 子供の頃に眺めた記憶がある三上山(近江富士)432mを正面に眺めながら、名神高速道路を走り、湖東三山スマートICで下りる。最初に行くのは湖東三山の真ん中にある金剛輪寺だ。「血染めの紅葉」とたとえられる本堂、三重塔を彩るカエデの紅葉の具合はどうだろうか。期待が募る。
 金剛輪寺 は琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西側山腹にある天台宗の寺である。寺伝によれば聖武天皇の勅願で奈良時代の僧・行基の開創とされ、創建は天平9年(737年)または天平13年(741年)と伝えられている。本尊の聖観世音菩薩は行基菩薩の作であり、ホームページによれば行基菩薩が一刀三礼で観音さまを彫り進められたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊としてお祀りされた。後の世に「生身の観音」と呼ばれるようになり、全国の観音信徒より篤い信仰を集めていると記されている。

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金剛輪寺境内図 金剛輪寺パンフレットより

53.金剛輪寺 参道
受付がある黒門から本堂へ参拝するには、長い上り坂を登って行かねばならない。参拝者は高齢者が多いので、バスは参道の最後、二天門の石段の下まで登ってくれる。そこから下の参道の方を眺めたのがこの写真。参道の両側にはお地蔵さんが赤い風車とともに並ぶ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/200秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126230_053 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
54.本堂とモミジ
石段を二天門まで登ると、本堂を背景に少し枯れ始めた葉と、まだ緑が残る葉が混在するカエデが現れた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126233_054 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
55.本堂
本堂は元寇の役(蒙古襲来)の戦勝記念として、時の近江守護職・佐々木頼綱によって建立された鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されている。堂内には本尊をはじめ、阿弥陀如来坐像、十一面観音立像など平安から鎌倉時代の仏像が安置され、その多くが国の重要文化財に指定されている。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126235_055 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
56.鐘楼
金剛輪寺の鐘は、参拝者が自由についていいのだそうだ。時々参拝者がつく鐘の音が聞こえてくる。 金剛輪寺の梵鐘は乾元2年(1303年)4月15日大工河内助安の刻銘がある県指定文化財になっていて、本物は総門(黒門)の脇にある愛荘町立歴史文化博物館に所蔵されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/320秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126238_056 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
57.二天門 -1
前後するが、階段を昇り詰めると二天門だったが、門の両脇には大きなわらじが掛けられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126239_057 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
58.本堂周囲の紅葉 -1
金剛輪寺の紅葉は「血染めの紅葉」と言われ、真っ赤に色づく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
201126242m_058 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
59.本堂周囲の紅葉 -2 「血染めの紅葉」
「血染めの紅葉」と言われるカエデの紅葉。まだ、緑いろの葉が残る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201126243_059 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
60.本堂周囲の紅葉 -3
建物はどうやらトイレだったらしい。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.7段
201126247_060 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
61.三重塔 -1
重要文化財の三重塔で別名「待龍塔」と呼ばれる。本堂に向かって左(北)の一段高い場所に建つ。wikipediaによれば、寺伝では鎌倉時代の寛元4年(1246年)の建立というが、様式的には南北朝時代の建築とみられるそうだ。織田信長の焼き討ちはまぬがれたものの、近世以降は荒廃し、塔の初層と二重目の軸部(柱、梁などの根幹材)と組物がかろうじて残るだけで、三重目はなくなっていた。現状の塔は1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)にかけて修理復元されたもので、欠失箇所は同じ滋賀県内の西明寺三重塔などを参考に復元したものであるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126250_061 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
62.三重塔 -2
金剛峰寺の紅葉が紹介されるとき、この三重塔と紅葉の写真が載せられている。すでに葉が落ちて始めている木もあり、光も十分でなく、鮮やかに撮れなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 31mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126254_62 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
63.本堂周囲の紅葉 -4 「血染めの紅葉」
ここも「血染めの紅葉」もあれば、すでに枯れ始めている葉、まだみそり色の葉が混在する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 76mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
201126260_063 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
64.本堂周囲の紅葉 -5
歩き回っていたので、どこで撮ったかわからなくなってしまった。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/100秒 45mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126270m_064 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
65.三重塔 -3
二重目、三重目が見える裏側へ回り込んで撮った。三重塔の説明板には、昭和47年に重要文化財に指定され、その後の解体修理で建立時には計画されたが未完成であった初重の縁、二、三重の柱間装置なども整備され、昭和53年に完全な三重塔が建立したとある。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 -1.0段
201126273_065 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
66.三重塔 -4
何とか色鮮やかなカエデと三重塔を映し込んだ。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
201126282m_066 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
67.二天門 -2
そろそろ下ることにする。二天門を潜る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201126286_067 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
68.千体地蔵 -1
二天門を後にして石段を下りると参道の両側にお地蔵さんが並ぶ。参道や境内などに鎮座したお地蔵様の数は、実際には2000体を超えると言われ、迫力を感じる。それぞれのお地蔵様には、家の名前が書かれていて、地域の人によって大切に守られているそうだ。 参道にズラリと並ぶ 高さ50cmほどの小さなお地蔵様はみな小奇麗に保護されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126291_068 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
69.二天門 -3
二天門を振り返る。wikipediaによれば、二天門は様式上、室町時代前期の建築。寺伝では、元来は楼門(2階建て門)だったが、2階部分が失われたものという。組物の形式などからみて、伝承どおり楼門の上層部分が失われたものか、または楼門として建立する予定だったものが未完成に終わったものとみられる。屋根は入母屋造、檜皮葺とするが、屋根材は江戸時代のもので、当初からこの形式であったかどうかは不明であるという。向かって右に増長天、左に持国天が祀られている。重要文化財に指定されている。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 36mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126298_069 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
70.二天門とお地蔵さん
二天門へ上がる石段のすぐ下までお地蔵さんが祀られていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126301_070 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
71.千体地蔵 -2
風が吹くと、一体一体に供えられた赤い風車がいっせいに回りだし、静かな境内がカタカタという音に包まれるという。 なぜ、赤い風車なのかと興味を持ち調べてみたがわからなかった。午前9時半だが、鬱蒼として暗い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126304_071 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
72.本坊 明寿院
帰りのバスは総門(黒門)の外の駐車場で待ってくれているので、お地蔵さんが並ぶ参道を下まで下りるのだ。途中右側に本坊である明寿院と木札が下がった門があった。白門という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126314_072 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
73.池泉回遊式庭園 入口
白門を入ると右側に名勝庭園(池泉回遊式庭園)の門があった。  門の中には桃山時代、江戸初期、江戸末期と時代の異なる3つの庭園がある。金剛輪寺のホームページには、「作者不詳でありますが、老杉蒼松の自然を背景とし、灯籠泉石樹木の配置等、素晴らしく、晩秋の深紅に染まる色鮮やかな紅葉は血染めの紅葉と広く知られております。観音様のやさしいお心が満ち、湖東三山一の名園古庭であり、国の名勝にも指定されております。」と紹介されている。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126318_073 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
74.門の屋根
その庭園入口の屋根瓦には、青い苔が生え、カエデの枯葉が落ちて、風情を感じる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126319_074 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
75.桃山時代の庭 護摩堂
桃山時代に造られた庭に護摩堂があった。滋賀・びわ湖観光情報によれば、桃山時代の庭は「石楠花の庭」と呼ばれ、庭の中央に架けられた優雅な石橋のそばに、鎌倉時代に作られたという苔むした多くの石が配され、品格のある雰囲気であるという。春になると、庭のそばにある護摩堂のカキツバタやシャクナゲが鮮やかに咲き、華やかになるようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126325_075 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
76.江戸中期の庭
同じく、滋賀・びわ湖観光情報によれば、江戸中期の庭は、滝から池に水が流れ、池の中に七福神の宝船を表わす岩で出来た舟が配されていいる。また、桃山時代の庭の宝篋印塔を見下ろすように立つ水雲閣は、湖東随一の茶室で、天井に桜、なでしこ、菊など四季おりおりの花が描かれている。またこの茶室からの庭の眺めは美しく、一見の価値があるそうだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126332_076 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
77.明寿院(本坊)の座敷
明寿院(本坊)は、江戸時代の創建といわれ寺宝を多く保存し、かつて学頭所として使われていた。この本坊の南・東・北の三方を囲むように庭園があり、心の字池が3庭を結んでいる。本坊に沿って庭園を周ってみた。座敷の戸は開け放たれていて、南側から座敷を通して、北側の庭園が眺められた。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO800 ) 露出補正 -2.0段
201126340_077 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
78.紅葉
名勝庭園鑑賞を終え、参道に戻る。この辺りにも美しい紅葉があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
201126344_078 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
79.赤門
名勝庭園(白門 写真右側)から、下りて来ると赤門があった。柵が置かれていて、入ることは出来ない。左へ曲がる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201126345_079 X800 金剛輪寺 赤門 RX10M4.jpg
80.受付
受付を通り過ぎて、下りてきた参道を振り返る。右手は華楽坊という食事処、左手に愛荘町立歴史文化博物館がある。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
201126346_080 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
81.総門(黒門)
金剛輪寺は国道307号線から少し東へ入ったところにある。聖観音と書かれた大きな提灯がさがっている総門(黒門)が参拝者の入り口だ。総門を出て境内を振り返った。バスの駐車場は総門を出て左側だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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2018年11月29日

高野山後編 11月6日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(2) 

古いお付き合いのある家内の友人から、高野山へ行くなら、その亡くなられた息子さんが眠る「正智院」に寄ってきて欲しいと言われていた。お土産を買った紀州南高梅の梅干し屋さんで場所を確認して向かう。杉木立が並ぶ壇上伽藍の北側にその「正智院」があった。別格本山の立派な寺院である。
 「正智院」は教覚正智坊によって永久年間(1113年~1117年)に開基され、鎌倉時代初期の学僧で高野八傑のひとりである道範を中興の祖とする。筑前の黒田家、薩摩の島津家の深い信仰があったそうだ。玄関で声をかけたところ、ご住職が出てこられた。家内が来訪の趣旨を伝えると、本堂へ案内してくださった。本堂でお参りした後、「お庭が立派だと伺ってきたのですが、見せていただけますか」と乞うたところ、快くご住職が庭と客間を案内してくださり、美しい庭と、その庭園に面した客間を見せてくださった。ここを訪ねられて良かったと思う。
 「正智院」とその庭園、そして客間の襖絵などを堪能した後、ご住職に礼を述べ、壇上伽藍へ向かった。時刻は午後3時になろうとしていた。
 壇上伽藍は蛇腹道から来ると東塔のところへ出るが、今回は「正智院」から根本大塔の西側へ入った。4年前に来たときは見られなかった172年ぶりに再建された中門を見たりしているうち、そろそろケーブルの駅へ行かねばならい時間となる。蛇腹道を通って梅干し屋さんに戻り、スーツ・ケースを受け取って、バスで高野山駅へ着く。丁度良く16:47発の特急「こうや」に接続するケーブル・カーに乗ることができた。
 高野山から奈良へ行くには一度大坂のほうへ戻らなければならない。難波のすぐ手前の新今宮で乗り換え、務めている人たちの帰宅時間で混み合うJR大和路線で、奈良へ到着したのは夜7時になっていた。JR奈良駅近くに予約しておいたホテルにチェックインし、何か美味しいものを食べようと三条通へ出かけていった。
 本編でもそれぞれのホームページや、パンフレット、および「神社・寺-御朱印めぐり.COM」というサイトから引用させていただいた。

22.「正智院」入口
「正智院」は全国レベルのアスリートの養成と指導者の育成を目指す私立高野山高校の手前にあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
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23.「正智院」の庭 -1
「正智院」の 庭をご住職に案内していただいた。庫裡の奥にある庭園は書院北庭で、面積は830㎡。昭和30年に重森三玲氏によって作庭されたもので水墨山水画的な構想をもとに造られている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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24.「正智院」の庭 -2
庭園の背後には岩山があり、高野山内八葉の神應岳と呼ばれる。神應岳を背景とし、州浜模様の苔に大小六十余りの石組みを配した枯山水庭園である。わざわざ見せていただいた甲斐のある庭だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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25.庭園に面した庫裡客間 -1
庭園に面した庫裡の襖絵は雲谷等益、長谷川等伯、谷文晁によって描かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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26.「正智院」の客間
庭に面し客間のひとつ。障子から入る光で気持ちが落ち着く。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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27.床の間の絵
前の写真にある床の間に掛けられた大きな絵は、円山応挙だそうだ。右下に「應擧」の銘が見られる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/160秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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28.縁側から眺める庭園
ご住職が庭園全体を眺められる奥の縁側に案内してくれた。ここからはモミジ、苔、裏山、庭の石、そして今は枯れているが春には美しい花が咲くツツジが植え込み眺められる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 28mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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29.「明王院」への道
「正智院」では、その庭園や、客間の襖絵に魅せられた。見せていただいてよかったという気持ちで、ご住職に礼を述べ、「正智院」をあとにした。壇上伽藍のほうへ歩いていくと、左手に先ほど見た 「明王院」への道があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
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30.壇上伽藍 金堂
壇上伽藍へはその北西側から入った。伽藍とは、僧侶が修行をする場所という意味で、由来はインドのサンスクリット語からきていという。 高野山の伽藍は、見た目では気づきにくいが、石段の上に伽藍が建立されているので壇上伽藍と呼ばれる。高野山全体を指す「金剛峯寺」の中心的伽藍である。色づいたモミジの向こうは金堂である。金堂は弘仁7年(816年)以前の平安時代後期に建立されたと推定されている。金堂は高野山の開創時から存在すると云われ、高野山内でもっとも古い歴史のある建造物だそうだ。根本大塔よりも先に造営され、金堂の落慶後まもなく根本大塔が完成している。現在の金堂は幾度もの火災に際し、その度に再建されてきた8代目の金堂であり、最近では昭和9年(1934年)に再建されている。残念ながら、現在見ることのできる金堂の姿は、創建当初の容姿を留めておらず鉄筋コンクリート造の堂舎である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO400 ) 露出補正 なし
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31.根本大塔と深紅のモミジ
根本大塔の朱色と競い合うように深紅のモミジがあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO160 ) 露出補正 なし
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32.山王院と明神社
弘法大師は高野山の開創に際して、日本古来の神々と仏教との融和のため、高野山の地主神として、丹生明神(にうみょうじん)と高野明神の分霊を高野山の守護神として「御社(みやしろ)」に祀った。その「御社」の拝殿として山王院は建立されている。渋い建物の山王院の奥、森の手前に建つ赤い春日造の神社は、高野山の開創以前から土地の神として信仰されてきた丹生明神、高野明神(狩場明神)を祀る「明神社」だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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33.六角経蔵
壇上伽藍の奥まったところに六角経蔵があった。平治元年(1159年)に創建され、昭和9年(1934年)に鉄筋コンクリート作りで再建された。高さ19,7mの二重六角造りである。「高野山・御朱印」というサイトを見せていただくと、六角経蔵は「鳥羽法皇」の菩提を弔うために、皇后の「美福門院(びふくもんいん)」が、平治元年(1159年)に建立した経蔵だそうだ。美福門院は鳥羽法皇や仏教に大層な思い入れがあったようで、なんと、自らの所領であった紀州(和歌山県)の「荒川の庄(あらかわのしょう/=安楽川荘(現在の紀の川市桃山町と打田町の一部)」を高野山へ寄進した。寄進した理由とは「六角経蔵の維持費のため」という。しかし翌年、美福門院は崩御され、なんと女人禁制が絶対の掟であった高野山に埋葬されている。一説には高野山の女人禁制が解かれた際の原動力のひとつになったとも云われている、といったことが記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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34.御影堂
高野山金剛峰寺のHPによると、御影堂は、弘法大師の持仏堂として建立されが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられた。桁行15.1メートル、梁間15.1メートルの向背付宝形(ほうぎょう)造りで、堂内外陣には弘法大師の十大弟子像が掲げられている。この堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた人しか堂内に入ることは許されなかったが、近年になって旧暦3月21日に執行される「旧正御影供」の前夜、御逮夜法会(おたいやほうえ)の後に外陣への一般参拝が許されるようになった、と記されている。余談だが、金堂と御影堂の中間に瑞垣で囲まれた松の木がある。 松葉が3本になっている三葉の松であり、「三鈷の松」として祀られている。現在では参詣者が、縁起物として松の葉の落ち葉を持ち帰り、お守りとして大切にするという。かみさんも3葉の松葉を見つけて持ち帰ってきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 41mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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35.中門
前回、高野山を訪れたときは、この中門は工事中だった。中門は弘仁10年(819年)/平安時代に創建されたと推定されるが、江戸時代の天保14年(1843年)の大火事で燃え尽きてしまい、以降、平成の現在まで「中門跡地」として残っていた。中門はかつて壇上伽藍の南を守護する門だったが、幾度も焼失を繰り返し、天保14年(1843年)/江戸時代後期)以降、平成27年(2015年)まで再建されなかった歴史がある。172年ぶりの再建工事だったのだ。そして、平成27年の高野山開創1200年記念の記念事業の一環で、中門が蘇った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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36.六角経蔵とモミジ
六角経蔵の近くにいってみた。赤い葉ではなかったが枝が張り出したモミジが良かった。六角経蔵には、紺紙(紫色の紙)に金箔を溶かした金泥(きんでい)で丁寧に、綺麗に書き写したした数々のお経が納められているという。これらの経典は紺紙金泥一切経(こんしきんでいいっさいきょう)、または、美福門院経と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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37.金堂とモミジ
高野山はこのとき紅葉の最適期だった。壇上伽藍のほぼ中央にある金堂の傍のモミジもきれいだったが、少し遅かったかもしれない。。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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38.根本大塔
根本大塔は真言密教の根本道場のシンボルとして建てられた、高さ48.5mの日本で最初の多宝塔である。大塔内陣は曼荼羅の世界を立体的に表現しており、胎蔵界と金剛界をひとつに融合した空海独自の立体曼荼羅となっているというが、私は何回も壇上伽藍にきているのに根本大塔の中に入ったことがない不届きものである。根本大塔は816年~887年に創建されたと推定される。創建後は、記録に残っているだけで5回も焼失し、焼失の度に時の権力者たちの助力により再建を繰り返ししてきた歴史がある。しかし天保14年(1843年)以降、再建計画がなくなり、そのまま更地状態になっていたそうだ。現在見ることのできる根本大塔は昭和12年(1937年)に再建された時の姿であり、残念ながら創建年当初のような木造ではなく鉄筋コンクリート造になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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39.不動堂の屋根
そろそろ戻ろうと思い、蛇腹道のほうへ向かう。壇上伽藍の東側にあった不動堂の屋根は苔むしていて、紅葉と美しいコントラストとなっていた。不動堂は建久9年(1198年)に創建され、その後天保5年(1834年)、明治41年(1908年)、平成10年(1998年)に再建されている。1952年3月29日に国宝に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 36mm ISO800 ) 露出補正 なし
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40.蓮池
不動堂の南側に池があり、太鼓橋が掛けられている。昭和の初頭まではこの池に蓮がたくさん群生していたようで、その蓮に因んで「蓮池」の名前が付けられている。 蓮池には、古来、東側から小島に向けて太鼓橋が架かっていたが、2015年に池の西側から小島に向けて新しい太鼓橋が造営された。見えている橋はその新しい橋だ。池の向こうは道路であり、道路の向こうに遍照尊院がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO500 ) 露出補正 なし
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41.根本大塔とモミジ
壇上伽藍の東端にある東塔の辺りから、モミジの葉と根本大塔の屋根を撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 51mm ISO400 ) 露出補正 なし
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42.蛇腹道
蛇腹道とは、伽藍の入口である金剛峯寺から壇上伽藍内(東塔)へ向かう小道のことを言う。写真は東塔の側からみた蛇腹道だ。蛇腹道という由来は、前編でもふれたように、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じるこの道が蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付いたようだ。ここは高野山一番の紅葉のスポットである。午後3時半、観光客の数は少なくなった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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43.金剛峯寺
時間が差し迫ってきていて、金剛峯寺にはお参りしなかった。総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指す。 高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になる。高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われている。 いわば狭義のこの金剛峯寺は、明治2年(1869年)に青巌寺と興山寺を一本化したもので、高野山真言宗総本山金剛峯寺の本坊が置かれた宗務上の中心地である。現存する建物の多くは文久2年(1862年)に再建された青巌寺のもので、大主殿、奥書院を中心に、経蔵、鐘楼など、真然堂、護摩堂、山門、会下門、かご塀など県指定文化財が並ぶ。この門を正門といい、金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日に至っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 37mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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44.極楽橋駅
秋は日が暮れるのが早い。千手院前前からバスに乗って、ケーブル・カーの高野山駅まで来て、極楽橋へ下りた。写真は極楽橋駅に停車している16:47発の特急「こうや」である。これに乗って新今宮まで行く。今夜の泊りは奈良だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20 mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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2014年6月 8日

高野山と京都 5/21~24 3泊4日 (1)墓参り 5月22日


  私の父母の墓が和歌山県の高野山にある。私の曽祖父が当時の恵光院のご住職と懇意の間柄で、お墓を設けたと伝え聞いている。その墓は「先祖代々の墓」として、それ以降親族が祀られていて、最近では、私の兄や、義理の姉が埋葬された。私の父母が元気なころは、3年に一度、父親の兄弟(7男2女)が菩提寺である恵光院に集まっていた。私は小学生のころから恵光院に泊まった記憶があり、その後も、兄や、義姉の納骨の折などに恵光院に泊まることがあった。
 今回は、結婚してから、10年以上経つのに、まだ私の父母の墓にお参りしていない娘夫婦を連れて行くのが目的だった。
  恵光院に一泊した次の日に、本堂での勤行と奥ノ院へと続く杉並木の石畳の道の「中の橋」の近くにある、父母、兄、そして、累代の人が眠る墓にお参りした。
  高野山の壇上伽藍などを見て歩いた後、京都に寄り、2泊した。
  写真も持ち歩きに楽なHS50で、1,000ショット近くは撮ってきた。何回かに分けて、順次アップさせていただこうと思う。
  まず、最初に今回の主目的である高野山での墓参りなどについて記録しておく。
  5月21日は前日から大阪に入っていた娘たち夫婦と難波の高島屋で合流し、そこで昼食にした。14:34発の南海電鉄:特急「こうや」で高野山に入る。
 翌22日は、宿泊した菩提寺でもある宿坊「恵光院」の本堂で朝6時半から勤行、7時から護摩祈祷、7時半朝食で朝食後、父母の墓にお参りした。

1.天候回復
5月21日朝、新横浜から新幹線に乗る。ジパング倶楽部を利用するので「のぞみ」には乗れない。8:22発の「ひかり」に乗る。出かけるときは 激しい雨が降っていたが、静岡に差し掛かるころには、雨も止み、晴れ間が出てきた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1000秒 11.0mm ISO125 ) 露出補正 なし
天候回復;クリックすると大きな写真になります。
2.南海電鉄 難波駅
改札口を入ると一番右側に関空へ行く特急「ラピード」が入線してきた。真っ赤な車体に 「NEO ZEON」 と書かれていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/60秒 18.6mm ISO800 ) 露出補正 なし
南海電鉄 難波駅;クリックすると大きな写真になります。
3.極楽橋駅到着
我々4人が乗った特急「こうや」は、私たち以外には、一組の女性グループが乗っていただけだった。人数は少ないがとても賑やかで、楽しそうだった。午後4時少し過ぎに、終点の極楽橋駅に到着し、ケーブルカーに乗り換えた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/100秒 7.8mm ISO125 ) 露出補正 なし
極楽橋駅到着;クリックすると大きな写真になります。
4.高野山ケーブルカー
特急「こうや」の乗客はすべてケーブルカーに乗って、標高867mの高野山駅へ向かう。外国人観光客も数組乗ってきたが、ガラガラに空いていた。ケーブルカーで高野山駅に着くとバスに乗り換える。5月21日は菩提寺でもある宿坊「恵光院」に泊まる。バスは刈萱堂前で降りる。夕食は5時半から精進料理。あとは何もすることはない。難波の「高島屋」で買い込んだワインとおつまみでテレビ、「TEAM」と「花崎舞が黙っていない」を観る。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/200秒 18.6mm ISO320 ) 露出補正 なし
高野山ケーブルカー;クリックすると大きな写真になります。
5.恵光院本堂 勤行
翌22日の朝は、6時半から、恵光院の本堂で勤行がある。これは毎日行われているお勤めだが、この日は私たちが行ったので、父母、兄の過去帳を私たちの前に置いてくれた。この勤行には、恵光院に泊まっている外国からのお客さんも座る。半分以上が外国人観光客だった。ご住職により、20分ほどお経があげられたあと、本堂奥にある、ご本尊「阿弥陀如来」と、あらかじめ前に出しておいてくれた先祖代々の位牌にお参りをする。フランス人が多いように思う。平成16年(2004年)に高野山が世界遺産となり、毎日、こんなに多くの外国の人たちにお参りしてもらって、父母もさぞ目を丸くしていることだろう。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/10秒 4.4mm ISO3200 ) 露出補正 なし
恵光院本堂 勤行;クリックすると大きな写真になります。
6.恵光院本堂前
勤行が終わった。外国人観光客も外に出てきた。若い僧が7時から毘沙門堂で行われる護摩供養の案内をする。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/75秒 4.6mm ISO400 ) 露出補正 なし
恵光院本堂前;クリックすると大きな写真になります。
7.恵光院本堂からの朝の眺め
本堂は少し高いところにある。見渡すと寺々の屋根が連なり、朝の光に新緑が映える。すがすがしい眺めだった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/600秒 7.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
恵光院本堂からの朝の眺め;クリックすると大きな写真になります。
8.護摩供養
護摩供養は恵光院の護摩堂である毘沙門堂で行われる。恵光院に泊まったすべての外国人観光客が集まった。若い僧は多分、高野山大学の学生さんか、その卒業生と思うが、立派な英語で説明をした。外国の人たちにとっては、とても印象に残る経験になったことと思う。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/15秒 4.4mm ISO1600 ) 露出補正 なし
護摩供養;クリックすると大きな写真になります。
9.毘沙門堂前
護摩供養が終わって、参加者が毘沙門堂の外に出て靴を履く。毘沙門堂には本尊として毘沙門天を、脇仏に舵取り不動明王と愛染明王が祀られている。7時半から朝食である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/340秒 6.0mm ISO400 ) 露出補正 なし
毘沙門堂前;クリックすると大きな写真になります。
10.奥ノ院への一ノ橋
朝食を済ませ、チェックアウトをし、荷物を恵光院に預けて、父母や兄たちの墓参りに出かける。恵光院の前から、奥ノ院への石畳の道の入り口である一ノ橋を望む。朝7時半過ぎ、さわやかな空気を胸いっぱいに吸う。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.6 1/160秒 16.7mm ISO100 ) 露出補正 なし
奥ノ院への一ノ橋;クリックすると大きな写真になります。
11.シャクナゲ
高野山はシャクナゲが多いそうだ。時期的には少し遅かった。恵光院の庭にも、見事なシャクナゲの花が咲き残っていた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/40秒 30.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
シャクナゲ;クリックすると大きな写真になります。
12.恵光院山門
恵光院の山門の塀には「Ekô-in」 と書かれた銘板が掛けられていて、下には一本のシャクヤクが植えられていた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/850秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし
恵光院山門;クリックすると大きな写真になります。
13.土足厳禁
恵光院の玄関には、ここから先は土足禁止、寺の中では荷物を引きずるな、たたみの部屋にはスリッパを脱いで入れ・・・などと英語で注意書きが。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/140秒 10.7mm ISO400 ) 露出補正 なし
土足厳禁;クリックすると大きな写真になります。
14.高野山 歴史上の人々の墓
一ノ橋から奥ノ院へ、大きな杉が立ち並ぶ石畳の道を進む。左右には、伊達政宗の墓、武田信玄・勝頼の墓、石田光成の墓など、歴史にその名を連ねる名将たちの墓がある。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/120秒 7.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
高野山 歴史上の人々の墓;クリックすると大きな写真になります。
15.中の橋
この橋の少し手前に父母や、兄たちが眠る墓がある。墓は前日に掃除をお願いしておいたのできれいになっていた。墓の前に立ち、手を合わせる。橋の向こう側の奥に「姿見の井戸」というのがある。その「姿見の井戸」を覗き込んで自分の顔が映らなければ、三年以内に亡くなるという言い伝えがあるという。覗いてみた。輪郭はわかるが顔の造作はよく見えない。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/110秒 6.4mm ISO400 ) 露出補正 なし
中の橋;クリックすると大きな写真になります。
16.写真業界先賢萬霊之碑
中の橋からさらに奥ノ院へ向かって進むと右手に赤い橋が見え、英霊堂がある。その手前に写真業界先賢萬霊之碑というのがあった。写真好きの私には興味があった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 6.2mm ISO125 ) 露出補正 なし
写真業界先賢萬霊之碑;クリックすると大きな写真になります。
17.東日本大震災物故者慰霊碑
平成25年3月11日、高野山真言宗、総本山金剛峯寺は平成23年3月21日の東日本大震災で犠牲になった物故者供養のため、慰霊塔を建立し、その冥福を祈るとともに、被災地の早期復興を祈念すると記されていた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/800秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし
東日本大震災物故者慰霊碑;クリックすると大きな写真になります。
18.水向地蔵
奥ノ院の手前に御廟橋があるが、その手前右側に水向地蔵があり、何体もあるお地蔵様に柄杓で水を掛けていく。水行場のシャクナゲがきれいだった。御廟橋から先、奥ノ院は撮影禁止である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/70秒 35.2mm ISO400 ) 露出補正 なし
水向地蔵;クリックすると大きな写真になります。
19.杉並木
一ノ橋から奥ノ院御廟までの参道約1.6kmの両側にそびえたつ樹齢200年から600年の大杉林は、和歌山県の天然記念物に指定されている。大杉の総数は1300本を超え、樹高50mの巨木もある。10時を回り、杉並木にも日が差し混んできた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/450秒 7.0mm ISO200 ) 露出補正 なし
杉並木;クリックすると大きな写真になります。


2011年1月18日

益子・那須・日光東照宮 3/3 日光東照宮


 2010年11月16日 11時半ごろ、日光宇都宮道路の終点、清滝出口を出て、少し、日光市内へ戻ると日光山内の駐車場の表示がでていた。車を誘導している男性がいて、停める場所を指示しているが、どうやら、そこは近くの食堂の駐車場だったらしい。駐車料金500円だったか1000円だったか忘れてしまったが、それを受け取ると、その金額が書いてある割引券をくれ、その食堂で食事をしたら、この分割り引きますという。妙に納得してしまった。

15.輪王寺本坊
そこに車を停めて歩き始めた。大きな参道の向こうに東照宮の大鳥居が見える。右手は輪王寺だ。輪王寺の三仏堂は大きな覆いがかけられ、改装中であった。その左側に誰も訪れる人がいない輪王寺本坊があった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/100秒 15.1mm ISOオート )
輪王寺本坊;クリックすると大きな写真になります
16.色鮮やかなもみじ
鳥居の手前の左側に、深紅に染まったもみじがった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/40秒 4.9mm ISOオート )
色鮮やかなもみじ;クリックすると大きな写真になります
17.輪王寺大護摩堂
東照宮の境内に入る手前の右側、輪王寺三仏堂の裏手に日光山随一の祈願所とされる護法天堂があった。朱に塗られた建物と黄葉が美しかった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/125秒 4.9mm ISOオート )
輪王寺大護摩堂;クリックすると大きな写真になります
18.東照宮
ここからが東照宮になる。鳥居をくぐると広くなっていて、左側に五重塔が建っている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/80秒 7.6mm ISOオート )
東照宮;クリックすると大きな写真になります
19.三猿(上)と眠り猫(下)
五重塔を左に見て表門を入ると左側に神厩舎がある。その軒下に彫刻があり、その彫刻は左から右へ8ページの絵本「三猿の物語」になって、猿の一生を描きながら人の生き方を伝えている。その中のひとつが有名な「見ざる、聞かざる、言わざる」で、叡智の3つの秘密を示しているとされる。一方、名匠、左甚五郎の作と伝えられる国宝の「眠り猫」は、陽明門を上がって、坂下門へと続く回廊の長押の牡丹の花の下で眠って居る猫の小さな彫り物だ。奥社を護る「眠り猫」は、前足をしっかりと踏ん張っている事から、実は徳川家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれているが、もう一つの教えとして(裏で雀が舞っていても)「猫も寝るほどの平和」を表しているという。

上:Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/100秒 18.6mm ISOオート )
下:Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/60秒 18.6mm ISOオート )
三猿(上)と眠り猫(下);クリックすると大きな写真になります
20.鼓楼と鐘楼
陽明門を背にして右側に鼓楼、左側に鐘楼がある。鐘楼と鼓楼は国指定重要文化財に指定されている。高さはともに12.6m。建物の規模や構造は基本的に同じだが、細部の飾りつけに違いがある。この写真は輪蔵(左)から鼓楼を眺めたところ。輪蔵の石燈籠の苔がきれいだった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 4.9mm ISOオート )
.鼓楼と鐘楼;クリックすると大きな写真になります
21.唐楓(トウカエデ)
陽明門に連なる回路の下のトウカエデが見事に紅葉していた。もっと赤く紅葉する葉もあるようだ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/1250秒 4.9mm ISOオート )
唐楓(トウカエデ);クリックすると大きな写真になります
22.陽明門の張
国宝に指定されている陽明門には、当時の技術の最高峰がつぎ込まれ彫刻の数は508体にのぼり、軒下には金と極彩色に彩られた麒麟、その下には白色の竜、さらに下が子供達の透かし彫りが施されている。1層目には獅子や子供達が彫り込まれ、1日中見てても飽きない事から"日暮門"の別称がある。柱は全部で12本あり胡粉が塗られ、グリ紋と称する渦巻状の地紋と鳥獣、草花が彫られている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/80秒 7.4mm ISOオート )
陽明門の張;クリックすると大きな写真になります
23.陽明門と神輿舎
陽明門の階段を上がったところの左側にある神輿舎は寛永12年(1635年)に建てられ、桁行3間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き正面には軒唐破風が設えられる建物で反対側にある神楽殿と対になっている。黒と金を基調とし高欄は朱色、組物、彫刻、欄間は極彩色で彩られ、内部には千人行列で渡御する家康(中央)、秀吉(左)、頼朝(右)を祭った神輿が安置されている。天井には狩野派が描いた天人舞楽が描かれていて神輿が無い時真下で手を叩くと鳴き竜現象が起こるそうだ。この神輿舎も国指定重要文化財に指定されているとのこと。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/250秒 6.1mm ISOオート )
陽明門と神輿舎;クリックすると大きな写真になります
24.参道のもみじ
参拝を終えて、駐車場に戻ろうと、再び参道を歩く。ここにも、深紅に染まったもみじがあった。さて、車を停めた駐車場の近くにあるその食堂に、さっきもらった割引券を持って入った。世界遺産日光としてはお粗末なレストランに思えた。中国からの団体ツアー客も入っているし、欧米人の個人観光客も入っている。トイレも清潔感はない。ちょっと、心配になった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/40秒 7.2mm ISOオート )
参道のもみじ;クリックすると大きな写真になります

2010年8月16日

高野山参詣


 祖先が若狭の出身で、私の父親の三代前がここ高野山にある恵光院の当時のご住職と懇意の間柄で、恵光院墓所に墓を設けることになったようだ。以来、先祖代々の墓として、物心ついたころから、数年に一度、お参りに来ている。その間、父親、母親、長兄の納骨もしたが、今回は義理の姉(兄嫁)の納骨があった。
  8月5日の朝、新幹線で横浜を立ち、夕方4時ごろ一の橋の手前にある恵光院に入った。高野山は「紀伊山地の霊場と参詣道」として2004年7月に世界文化遺産に登録された。前回、2005年10月に高野山にお参りした時はそれほど感じなかったが、今回、世界遺産となって外国からの観光客、特にヨーロッパからの人たちが多いのに驚いた。恵光院も宿坊であるが、トイレも奇麗になり、外国の客さんが泊まっていた。
  翌、8月6日に納骨を行い、奥ノ院をお参りし、金剛峯寺、壇上伽藍を見て、京都に泊まった。(以下 Wikipedia、金剛峯寺ホームぺージ等を参照)

1.新幹線車内
新横浜8時22分発岡山行き「ひかり」。久しぶりに新幹線に乗る。「大人の休日・ジパング倶楽部」利用で「のぞみ」には乗れない。しかし、3割引きは大きい。車掌さんも女性である。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
新幹線車内
2.南海電車「こうや号」と高野山ケーブルカー
小さいころから乗り物が好きだった。いわゆる鉄チャンではないが、近くに被写体が現れると撮ってしまう。上は大阪難波と極楽橋間を結ぶ特急「こうや」、下は極楽橋から高野山へあがるケーブルカーだ。全長800m、高低差330mを約5分で登っていく。標高約1000mある高野山は下界より涼しい。高野山は平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、ひいては比叡山と並び日本仏教における聖地とされる。

上:Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/100秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
下:Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/1250秒 200mm ISO400 ) 露出補正 なし
南海電車「こうや号」と高野山ケーブルカー;クリックすると大きな写真になります
3.刈萱堂
8月6日 朝6時半に勤行が始まる。その前に恵光院の近くを少し歩いてみた。すぐ近くに苅萱道心と石童丸の哀話の舞台として知られる刈萱堂がある。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/50秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
刈萱堂;クリックすると大きな写真になります
4.恵光院本堂 朝の勤行
朝6時半から勤行が始まった。兄嫁の納骨のお参りをした我々一行のほかに日本人客の姿はなく、他はすべて外国からの客さんで10名以上はいただろうか。聞いてみると、カルフォルニアから来た人、ローマから来た人・・・など。始まる前に写真撮影の可否を問うたところ、フラッシュを使わなければ良いとのことだった。しかし、さすがに暗い。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F4.8 1/30秒 56mm ISO3200 ) 露出補正 なし
恵光院本堂 朝の勤行;クリックすると大きな写真になります
5.護摩供養
朝の勤行が終わった後、毎朝、恵光院の護摩堂として本尊に毘沙門天を、脇仏に舵取不動明王と愛染明王が祀られている毘沙門堂で行われている護摩供養に加わった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 34mm ISO400 ) 露出補正 なし
護摩供養;クリックすると大きな写真になります
6.石畳と杉の参道
一の橋から奥ノ院に至る参道は石畳で、大きな杉が天を突いている。その参道の両側には、戦国武将たちの墓所が多い。これは、左側が石田三成、右側が明智光秀の墓である。他にも豊臣秀吉、上杉謙信、前田利家らの墓もある。私の父母、兄が眠る墓は、中の橋の少し手前の恵光院の墓所にある。朝9時半、納骨し、お参りををした。

左:Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F3.8 1/125秒 22mm ISO2500 ) 露出補正 なし
右:同じく
プログラムオートで撮影 ( F3.8 1/125秒 24mm ISO1250 ) 露出補正 なし
石畳と杉の参道;クリックすると大きな写真になります
7.奥ノ院 燈籠堂
さらに参道の奥へ進むと、織田信長の墓を左に見て、御廟橋があり、奥ノ院となるが、ここから先は撮影禁止になっている。弘法大師の御廟は、この写真で見える燈籠堂の向こう側にある。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/125秒 105mm ISO640 ) 露出補正 なし
奥ノ院 燈籠堂;クリックすると大きな写真になります
8.金剛峯寺
奥ノ院のお参りを終え、一旦恵光院へ戻った。一行と解散した後、高野山の町を奥ノ院への参道と反対のほうへ歩き、金剛峯寺、根本大塔などを見てからバスに乗り、ケーブルで高野山を下る予定である。まず、金剛峯寺へ行ったが、思いのほか人は少なかった。金剛峯寺は高野山真言宗の総本山で座主の住寺(世界遺産)である。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 20mm ISO640 ) 露出補正 なし
金剛峯寺;クリックすると大きな写真になります
9.壇上伽藍への道
金剛峯寺を出て、根本大塔などがある壇上伽藍へ向かう。空海が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、高野山の二大聖地の一つである(ほかの一つは奥の院)。金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。ほかに大塔、御影堂、不動堂などが境内に立ち並び、不動堂は世界遺産に登録されている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 48mm ISO3200 ) 露出補正 なし
壇上伽藍への道;クリックすると大きな写真になります
10.根本大塔
壇上伽藍には金堂や御影堂など数々の歴史的建物があり、それらは地味な建物だが、この根本大塔だけは華やかである。根本大塔は弘法大師空海上人が最初に開いたこの壇上伽藍の中心にそびえ建っている。現在の大塔は昭和12年、過去の記録をもとに再建されたもので、高さ48.5m、四方各25mの建物は大塔の名にふさわしい。内部には、胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏を安置されている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 48mm ISO640 ) 露出補正 なし
根本大塔;クリックすると大きな写真になります
11.大会堂と東塔
大会堂は鳥羽法王の皇女である五辻斎院内親王が、父帝の追福のため建立されたという。現在の建物は嘉永元年(1848)に再建され、本尊は阿弥陀如来が奉安され、脇士として観世音菩薩、勢至菩薩がともに祀られているが、見ることはできなかった。東塔は白河上皇の命により大治2年(1127)に建立。尊勝仏頂尊・不動明王・降三世明王が祀られている。現在の塔は昭和59年に再建されたとのこと。
このあと、高野山の町で昼食にし、バスでケーブル駅へ、特急までは2時間も待つので、快速に乗って難波へ、地下鉄で新大阪へ戻って、この日は京都に泊まった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 27mm ISO640 ) 露出補正 なし
大会堂と東塔;クリックすると大きな写真になります