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2014年9月17日

隠居の旅行:青森の秘湯を巡る:蔦温泉・青荷温泉・酸ヶ湯温泉


 情報システム部門の仕事をしていた現役時代の某システム研究会の役員だった(まだ現役もいる)人たちが、年一回集まる行事がある。「露天風呂研究会」と称して、各地の秘湯を巡る旅をしている。昨年は、同じ9月の初旬に、高山・奥飛騨温泉郷を旅している。

 今年は、元会長夫妻が訪れて良かったという八甲田山麓にある蔦温泉とランプの宿として有名な青荷温泉を訪れるという計画が立てられた。

 日本旅行がアレンジした旅程では、大阪からの二人は伊丹空港からJAL で青森まで飛び、新幹線でくる東京組と新青森駅で合流することになっている。名古屋小牧空港から FDA というLCCで来た名古屋組2名と空港で合流して、3日間世話になるツアーバスに乗り込んだ。
 この旅行、温泉を楽しむことが主目的であるが、アルコール好きが多く、東京組が到着するのを待つ間、10時から空いていた駅のレストランで、ホヤの刺し身をあてに、再会を祝して乾杯した。東京組は、新幹線の中で一升瓶を開けたという。

 はじめに訪れた三内丸山遺跡は、日本最大級の縄文集落跡ということである。浅学の身にとっては、あまり有り難みがよくわからないが、野球場が計画されていた土地を掘り返していて発見されたという遺跡は広大である。野球場の工事を中止し、遺跡を保存するとの当時の北村知事の決断を掲載した1994年7月27日付け新聞が展示されていた。
 ボランティアガイドの案内で、一通り見学した後、施設内にあるレストランで昼食をしてから、八甲田山雪中行軍遭難資料館に向かった。

 新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を原作とした高倉健主演の映画「八甲田山」の一部が上演される映像が15分ほど映写される。館の説明員は多弁である。建物横にある幸畑陸軍墓地は清掃が行き届いているが、亡くなった時の軍における地位がそのまま墓の大きさや場所に反映されているのには、いささか違和感を覚える。

 バスは八甲田山麓森林の中の山道を1時間あまり曲がりくねりながら走り、国道103号線沿いにある森に囲まれた一軒宿の蔦温泉に到着する。
 早速、浴衣に着替えて、古くからの内湯「久安の湯」に入る。熱い。蔦温泉の風呂はいずれも源泉の上に浴槽がありブナ材を使用した湯船の底板から湧き出す空気に触れていない「生の湯」ということである。確かに、風呂の下に敷かれた板の間から、熱い湯が湧いてくる。43.5度はあるということだ。

 翌早朝、もう一つの湯「泉響の湯」に浸ってから、朝食までの間、一周3kmという沼巡りの散策路を歩いた。ブナの森林浴は、気持ちが良い。鳥の鳴き声は、ときたま聞こえるが姿は見つけられない。トチの実が何回か音を立てて落ちてくる。
 朝食を済ませて、出発までまだ時間があるので、付近を歩いてみた。 蔦温泉には、大町桂月の墓がある。桂月は青森県の十和田湖と奥入瀬をことに愛し、晩年は同地の蔦温泉(現:十和田市)に居住し、1925年(大正14年)4月には本籍も蔦温泉に移したが、ほどなく胃潰瘍のため死去、57歳。と Wikipedia にはある。

 バスは奥入瀬渓流に向かう。2005年の11月に、奥入瀬にはレンターカーで訪れている。その時は、紅葉はもう終わっていたが、今回はまだ早い。その時は、渓流沿いの道は歩くことはなかったが、今回はバスツアーなので、1kmちょっとを歩くことができた。

 十和田湖の団体目当てのレストランで昼食を摂った。横には、中国から来られた方々が、昼食をとっていた。蔦温泉には、韓国の方々が泊まられていたし、近隣の国からの観光も着実に増えているようだ。
 40分ほどの遊覧船は、十和田湖をぐるっと回ってくれるが、緑が続く湖岸の景色はあまり変化がない。

 バスは、十和田湖の縁を巡ってから、緑一杯の国道102号線を外れて、ランプの宿青荷温泉に向かう。国道102号線を外れてからは、谷底に転げ落ちるように急坂を下っていく。
 谷底の幅10mほどの川沿いにある一軒宿は、ランプの宿という文字通り電気が通じている気配はない。スマホももちろん通じない。翌日の朝まで、電気のない夜を経験することになった。たまにはいいもんだ。
 この湯には、滝を見ながら浸かれる「滝見の湯」という露天風呂がある。泉質は炭酸泉であり、透明度の高い綺麗な湯である。風呂は、宿の敷地内に 5つありそのうち 2つが露天風呂である。宿の入り口にある「健六の湯」は、内湯ながら窓越しにせせらぎが見える最大の風呂であり、ゆっくりと手足が伸ばせる。
 LED 電球に慣れた眼には、ランプだけの夕食ははじめのうちは、何を食べているのかよくわからないが、段々と目が慣れてわかるようになってくる。

 翌日、八甲田で有名な酸ヶ湯(すかゆ)温泉に向かった。ここの公衆浴場は千人風呂といわれる混浴の広い風呂がある。男女の区分は、低い衝立があるだけである。
 泉質は、酸性硫黄泉(含石膏、酸性硫化水素泉) であり、白く濁っている。酸性がかなりキツイらしい。誤って金属製のバンドの腕時計をしたまま風呂に入ってしまったが、今も動いているところを見ると被害はなかったらしい。
 宿は、八甲田山中の一軒宿で登山帰りに立ち寄る登山客も多いということだ。入浴後、付近を散策してみると、日曜日とあって山登りの服装をした老若男女と多く出会った。

 名古屋に帰る二人(LCC のFDA は、昼前にしか便がない)を青森空港に送って、「青森県観光物産館アスパム」に休息する。りんご以外は土産に買うものもなく、隣接する青森港を見渡せる木製の散策デッキを歩いてみた。近くにねぶた会館があったが、見学する時間がなかった。
 東京に帰る仲間と新青森駅で別れた後、バスは大阪に帰る二人を青森空港まで送ってくれた。 天気に恵まれ、秘湯と緑にどっぷりと浸った、気の合う仲間との思い出に残る楽しい旅であった。

 行程地図を例によって Google Maps API で作ってみた。前回に作成して以来に、マップタイプに地形図がついかされているので、地形図で表現してみた。青荷温泉が、いかに谷底にあるかがよく分かるように思う。



 この旅行では、野鳥の姿をあまり見かけず、写真にも収めることができなかったが、蝶については、何種類かの写真をとることができた。名前を YAMAKO さんに同定してもらうと、こちら関西では見かけない蝶がほとんどであった。

旅行中に見かけた蝶・トンボ
アキアカネ;クリックすると大きな写真になります。 アキアカネ:葛温泉
2014/9/6
Fujifilm HS60EXR
50.9mm 1/160s f/5.0 ISO200
メスグロヒョウモン♂:葛温泉;クリックすると大きな写真になります。 メスグロヒョウモン♂:葛温泉
2014/9/6
Fujifilm HS60EXR
138.4mm 1/160s f/5.6 ISO320
ヒメキマダラヒカゲ:葛温泉;クリックすると大きな写真になります。 ヒメキマダラヒカゲ:葛温泉
2014/9/6
Fujifilm HS60EXR
43.9mm 1/200s f/5.0 ISO200
クモガタヒョウモン:十和田湖;クリックすると大きな写真になります。 クモガタヒョウモン:十和田湖
2014/9/6
Fujifilm HS60EXR
55.0mm 1/900s f/7.1 ISO200
メスグロヒョウモン♀:十和田湖;クリックすると大きな写真になります。 メスグロヒョウモン♀:十和田湖
2014/9/6
Fujifilm HS60EXR
55.0mm 1/480s f/5.6 ISO200
ウラギンヒョウモン:酸ヶ湯;クリックすると大きな写真になります。 ウラギンヒョウモン:酸ヶ湯
2014/9/7
Sony SO-04E
4.1mm 1/160s f/2.4 ISO40


2013年9月17日

隠居の散策:残暑の松尾寺周辺


 奥飛騨の旅行からぐずついていた天気が、12日残暑は厳しいが晴天となった。思い立って、車で20分ほどの松尾寺に行ってみることにした。
 いつもの通り、境内の駐車場に車をおいて、木陰の道を歩き始めると、足元や散策道よこにきのこが目についた。途中であった日本語の流暢な外国人が立ち止まって何か見ている。キノコだ。先ほど撮ったシロオニタケの写真をモニターで見せると、綺麗だと見入っていた。何種類かのきのこを撮ったのだが、ネットサーチしての名前の判別は難しい。名前がわかったのは、シロオニタケだけだった。どなたか名前がわかれば、教えていただきたい。

松尾寺近くで撮ったきのこ
茶色のキノコ:松尾寺;クリックすると大きな写真になります。 シロオニタケ:松尾寺;クリックすると大きな写真になります。 茶色のキノコ:松尾寺;クリックすると大きな写真になります。 ??シメジ?:松尾寺;クリックすると大きな写真になります。 薄茶色のキノコ:松尾寺;クリックすると大きな写真になります。
茶色のキノコ:松尾寺
2013/9/12
SONY NEX-7+SEL18200LE 18-200mm/F3.5-6.3
86mm(35mm換算129mm)
シャッター優先オート 1/640s F6.3 ISO1600
露出補正 0
設定ミス
シロオニタケ:松尾寺
2013/9/12
SONY NEX-7+SEL18200LE 18-200mm/F3.5-6.3
56mm(35mm換算84mm)
シャッター優先オート 1/640s F5.6 ISO1600
露出補正 0
設定ミス
茶色のキノコ:松尾寺
2013/9/12
SONY NEX-7+SEL18200LE 18-200mm/F3.5-6.3
42mm(35mm換算63mm)
絞り優先オート 1/80s F5.6 ISO500
露出補正 0
??シメジ?:松尾寺
2013/9/12
SONY NEX-7+SEL18200LE 18-200mm/F3.5-6.3
97mm(35mm換算145mm)
絞り優先オート 1/125s F6.3 ISO1600
露出補正 0
薄茶色のキノコ:松尾寺
2013/9/12
SONY NEX-7+SEL18200LE 18-200mm/F3.5-6.3
56mm(35mm換算84mm)
絞り優先オート 1/125s F5.6 ISO100
露出補正 0


 キノコがいろいろと見られたりして秋が感じられるが、日が高くなるにつれて、気温はどんどん上昇してきた。
 松尾寺公園に隣接する池には、チュウサギが池に突き出た枯れ木に留まって餌を狙っていたり、カイツブリの幼鳥が2羽遊んでいた。公園近くの樹に、コサメビタキが留まった。甲斐田川でいちどみかけて以来である。

松尾寺公園の池で撮った野鳥
チュウサギ:松尾寺公園;クリックすると大きな写真になります。 コサメビタキ:松尾寺公園;クリックすると大きな写真になります。 カイツブリ幼鳥:松尾寺公園;クリックすると大きな写真になります。
チュウサギ:松尾寺公園
2013/9/12
NIKON D7000+∑50-500mm/F4.5-6.3
500mm(35mm換算750mm)
シャッター優先オート 1/800 F6.3 ISO900
露出補正 0 トリミング
コサメビタキ:松尾寺公園
2013/9/12
NIKON D7000+∑50-500mm/F4.5-6.3
500mm(35mm換算750mm)
シャッター優先オート 1/800 F6.3 ISO1600
露出補正 0 トリミング
カイツブリ幼鳥:松尾寺公園
2013/9/12
NIKON D7000+∑50-500mm/F4.5-6.3
500mm(35mm換算750mm)
シャッター優先オート 1/800 F6.3 ISO800
露出補正 0 トリミング


 松尾寺公園から内田池に回るつもりだったが、途中で道を間違えた。間違いに気づいて太陽ギラギラ、風のない中をきた道に引っ返していると汗ぐっしょりとなってしまった。内田池に行くのはあきらめ、宝瓶寺から松尾寺への階段を汗をふきふき登った。
 蝶はヒメウラナミジャノメコミスジを見たぐらいで、他にはキモンガオニヤンマを見かけたくらいだ。

松尾寺近くで撮った蝶など
ヒメウラナミジャノメ:松尾寺;クリックすると大きな写真になります。 コミスジ:松尾寺;クリックすると大きな写真になります。 オニヤンマ:松尾寺公園;クリックすると大きな写真になります。 キモンガ:松尾寺;クリックすると大きな写真になります。
ヒメウラナミジャノメ:松尾寺
2013/9/12
NIKON D7000+∑50-500mm/F4.5-6.3
380mm(35mm換算570mm)
シャッター優先オート 1/800 F6.3 ISO1600
露出補正 0
コミスジ:松尾寺
2013/9/12
NIKON D7000+∑50-500mm/F4.5-6.3
170mm(35mm換算255mm)
シャッター優先オート 1/800 F5.6 ISO560
露出補正 0
オニヤンマ:松尾寺公園
2013/9/12
NIKON D7000+∑50-500mm/F4.5-6.3
380mm(35mm換算570mm)
シャッター優先オート 1/800 F6.3 ISO1250
露出補正 0
キモンガ:松尾寺
2013/9/12
SONY NEX-7+SEL18200LE 18-200mm/F3.5-6.3
83mm(35mm換算124mm)
絞り優先オート 1/80s F6.3 ISO1600
露出補正 0


 宝瓶寺の土塀の向こうには、まだサルスベリがのこっているが、萩やニラの花が咲き出して、やっぱり秋は確実にやってきているようだ。

松尾寺近くで撮った花
萩の花:松尾寺;クリックすると大きな写真になります。 >ニラの花:松尾寺;クリックすると大きな写真になります。 130912_011.jpg
萩の花:松尾寺
2013/9/12
NIKON D7000+∑50-500mm/F4.5-6.3
460mm(35mm換算690mm)
シャッター優先オート 1/800 F6.3 ISO720
露出補正 0
ニラの花:松尾寺
2013/9/12
SONY NEX-7+SEL18200LE 18-200mm/F3.5-6.3
49mm(35mm換算73mm)
絞り優先オート 1/80s F5.6 ISO125
露出補正 0
サルスベリ:宝瓶寺
2013/9/12
SONY NEX-7+SEL18200LE 18-200mm/F3.5-6.3
25mm(35mm換算37mm)
絞り優先オート 1/320s F5.6 ISO100
露出補正 0


2013年9月15日

隠居の旅:飛騨高山周辺を巡る(総集編)


 9月6日から8日まで、2泊3日で、下呂温泉・飛騨高山・白川郷・奥飛騨温泉郷を旅した地図を編集した。
 各地の個別の地図を総括した地図を、右メニューの私的観光地図に付け加えた。

2013年9月15日

隠居の旅:奥飛騨の露天風呂を巡る (4)奥飛騨温泉郷


 今回の旅行の最大の目的である【槍の郷】には、午後3時半頃に着いた。雨はいぜんとして降っている。小さなロビーの薪ストーブの前には、赤々と燃える火の前に岩魚が串刺しにして焼かれている。(風呂あがり、先輩のおごりで、飲んだこの岩魚の骨酒は喉にしみた)
 宿の窓から望める蒲田川は、おりからの雨で激流となっていた。この宿の露天風呂は、この川岸に、「タルの湯」、「子宝の湯」、「山伏の湯」と大小3つあり、貸し切りになっている。ロビーのフロント机に3つのランタンが置いてあり、風呂に行く時にはこのランタンを持っていく。このランタンがないときには、どこかのグループが使用中である。
一番小さな「タルの湯」が開いたので、4人で入る。小屋の中には、2つの檜の湯桶があり、一つには寝そべって入れるようになっている。外は残念ながら大雨で、晴れておれば見えるという槍ヶ岳はみえないが、なんとも贅沢な浴槽である。
 遅くまで続いた宴のあと「子宝の湯」に一人で入りに行く。こちらは、岩風呂だ。広い湯船に手足を伸ばした。

 翌朝、雨はやっぱり強く降っている。ロープウェイで上に上がっても、なんにも見えないだろうと「新穂高ロープウェイ」はあきらめた。
 その代わり、幹事は日帰り露天風呂を用意してくれた。まず、泊まった宿の親旅館である「深山荘」の露天風呂に向かった。簡単な脱衣場の向こうには、3段になった岩風呂が、川のそばまでつながっている。本降りの雨の中の温泉も乙なものである。といっても長時間留まるのは難しい。
 次に向かったのは、日本最大級という【佳留萱(かるかや)】という日帰り露天風呂である。この露天風呂は、下呂温泉の水明館が経営しているらしい。広さは、250畳ほどあるという。ゆるい段々になっていて、奥のほうでは滝のように湯が落ちている。滝壺あたりがもっとも熱い。女性陣も、この広さに気を許してか、体にバスタオルを巻き付けて、滝壺あたりまでお出ましになった。女性用の風呂は、段々の下の方にあり、どうやらぬるいとのことである。
 その次は、昼食を予約してあった【薬師の湯 本陣】という旅館の中にある露天風呂である。ここは、旅館の温泉らしく設備の整った大浴場もある。この旅行の最後の風呂を楽しんだあと、昼食には贅沢な食事を楽しんだ。風呂に入るのもエネルギーがいるのか、お腹は空いていた。
 名古屋・大阪組は高山まで送ってもらい、名古屋組はJRで、大阪組は直通バス(濃飛バス)で帰途についた。

奥飛騨温泉郷地図
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2013年9月14日

隠居の旅:奥飛騨の露天風呂を巡る (3)白川郷


2日目、東京組が乗ってきたバスに、名古屋・大阪組も便乗して、白川郷に向かった。高山からは、高速道路仕様の国道高山清見道路で、東海北陸自動車道の清見まで行き、富山方面に向かって走り、白川郷ICで降りる。この間は、ほとんどトンネルである。
 12年も前に、金沢での某IT会社のユーザー会からの帰りに、岐阜に向かった時には、まだこの道路はなく山間の曲がりくねった道を走ったのを覚えている。その時、白川郷に立ち寄っているが、まだひっそりとした田舎だった。

 バスは、ようやく走れるような細い道を丘に登って行くと、白川郷が一望できる展望台にでる。ここには、バスも停まれるような駐車場がある。だが、天気予報どおり雨が降りだした。昼食を予約している蕎麦屋「脇本」の草原駐車場でバスをおり、傘をさして白川村を散策する。
 郷土館にもなっている妙善寺は、この白川郷で最も大きい合掌造りの建物である。次に、江戸期には名主であったという和田家の合掌造りを見学した。昔は養蚕が主要な産業だったらしく、その名残が屋根裏に残っている。
 昼食は、蕎麦屋「脇本」で、「とろろご飯とざるそば」を楽しんだ。素朴な味がした。
 その日の観光はそれだけ。きた道を高山まで引き返し、平湯を経て、露天風呂が待つ【槍の郷】までバスに揺られた。

白川郷散策地図
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高山

2013年9月13日

隠居の旅:奥飛騨の露天風呂を巡る (2)高山


 下呂温泉を後にして、高山の【ひだホテルプラザ】に入った。駅で手にした「散策マップ」には、ホテルの位置は明示されていない。スマホで調べた位置は、微妙にずれていた。少々迷ったが、ホテルは高山市役所の横にあった。
 東京組のバスは、ホテルに入る前に古い町並を散策してくるという。こちらも歩いて10分もかからない古い町並に出かけることにした。この古い町並には酒蔵が多く、2011年秋に同じメンバーと訪れている。東京組と合流して、前回と同じように試飲させてくれる酒蔵を巡った。
 宿泊のホテルは、外観はビジネスホテルのように見えるが、階の上層部に展望風呂が、地下に脱衣場が畳敷きの浮世風呂がある。
 翌朝、出発までの時間を利用して、朝市でものぞきに行ってみることにした。撮った写真のEXIFを見ると、7時40分となっているのに、随分と閑散としていた。どうやら、この週末は、宮川を隔てた通りで「たかやまうもいもん市」が開かれたので、そちらに人が集まったらしい。

高山散策地図
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高山

2013年9月11日

隠居の旅:奥飛騨の露天風呂を巡る (1)下呂温泉


 露天風呂研究会(略してロテ研)なる集まりがある。年一回、某情報システム研究会の東京・名古屋・大阪で役員をしていた(している)皆さんとの懇親旅行に、そのような名前が付いている。いつも露天風呂に入ることと地酒などを楽しむことがメインである。
 毎回熱心に世話してくれる幹事さんがいて、下見までしてもらっている。今回は奥飛騨温泉郷で露天風呂に入ることがメインであるが、バスを借りきってやってきた東京組と名古屋・大阪組とは高山で集合し、一泊する。
 翌日は、名古屋・大阪組も東京組のバスに便乗し、世界文化遺産の白川郷を観光し、その後奥飛騨温泉郷にある【槍の郷】という宿に、宿泊する。
 翌3日目、天気が良ければ新穂高ロープウェイで西穂高まで上がり、北アルプスの絶景を見る予定である。ところが、3日目は朝から本降りとなって、ロープウェイは諦め、日帰り入浴を提供している露天風呂を巡ることになった。雨のお陰で、研究会本来の味を満喫することになった。

 一日目、大阪・名古屋組は、高山本線で高山を目指したが、幹事の計らいで、途中【下呂】に下車し、下呂の風呂を楽しむ計画をしてくれた。
 日本三名泉の一つと言われる下呂温泉には、沢山の温泉旅館があり、1200円で、「湯めぐり手形」を手に入れれば、これらの温泉のうち3箇所に入浴できるシステムになっている。ただし、ほとんどの旅館は午後の限られた時間となっている。午前に入れるのは、【白鷺の湯】などの温泉施設である。
 名古屋駅を8時30分すぎに出発し、下呂に着いたのは10時過ぎであったから、まず白鷺の湯に入浴した。さほど広くない檜の内湯のみであるが、飛騨川を見下ろしながらの朝湯は贅沢である。
 昼食は、【ひさご】というそばやで、しめじなどのきのこがいっぱい入った「きのこそば」を食した。幹事のおすすめ、第二の湯は、【湯之島館】という昭和天皇が泊まられたことのあるという老舗旅館の露天風呂である。この湯に歩いていく途中で、下呂温泉を一望できる温泉寺を参詣していこうという。
 玄関から曲がりくねった廊下を伝って辿り着く露天風呂は老舗旅館の湯というだけあって、きれいな庭園の中にある池という感じである。9月になったとはいえ昼下がりの強い日差しを浴びながらの露天風呂もなかなか乙なものである。

下呂温泉散策地図
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gero.JPG
   

2011年10月29日

隠居、奥飛騨平湯温泉と高山に旅する


 私も参加していた情報システム関連のユーザー会の人たちの旅行が毎年企画されている。10年以上も前に製薬会社の情報システム関連の仕事をしていて、OB である私にも声をかけていただく。メンバーは現役の方がほとんどなので、当然土日ということになる。この旅行会は、年に1~2回 露天風呂のある温泉地を訪れることをモットーとしている。
 今回の旅行は、もともと東北大震災が起こった翌日を予定していたのだが急遽取りやめとなったので、そのリベンジである。この旅行には、東京・名古屋・大阪からのメンバーが現地集合で参加する。

 大阪からは、今回の参加者で一番若手の方と一番年上だった私との2名だった。アクセスは、新大阪駅から平湯温泉まで直通でいける【中央交通トラベルクラブ】の【奥飛騨・高山バスの旅】という企画に参加した。この企画は秋冬限定であるが、現地まで直通でいける路線バスみたいなものである。値段も、平湯温泉まで片道 3,800 円、高山までだと 2,900 円と格安である。客がひとりでも運行しているようで、事実、高山から平湯までは、仲間と二人の貸しきりだった。帰りの高山からは、満席だったが。

 名神高速道路の一宮インターから東海北陸自動車道へつないで、北に上がっていくと山々の紅葉が見られるようになった。飛騨清見IC から高山までは高速道路仕樣の中部縦貫自動車道(無料)を走る。ここでは、ますます紅葉がきれいになった。さらに、一般道を走る高山から平湯までは、鮮やかに黄色に染まった銀杏の木、ブナなどの黄葉、ナナカマドやウルシなどの紅葉が山を彩っている。新大阪を8時に出発して、その日の宿である【ひらゆの森】についたのは午後2時10分頃だった。

 宿泊は、コテージ4棟に、4~5名に分かれた。温泉は、宿泊客ばかりでなく一般の人達にも開放されている。コテージには、開放的なかけ流しの内湯も付いている。 飛騨牛の焼肉で夕食を楽しんだあと、一番大きなコテージで、ビール・ワイン・地酒・焼酎を飲みながら尽きぬ話で盛り上がった。

 よく早朝(日の出は6時15分くらいだった)コテージを抜け出し、野鳥を求めて近くを散策した。どんよりと曇っていて、さえずりはわずかに聞こえるが、姿が見えない。途中でかなりの雨がふりだした。材木置場で雨宿りをしながら、止み間を見て、さえずりスマホでPCM 録音してみた。帰宅後、いつもの【ことりのさあえずり】サイトで同定してみたが、どうもよく分からない。今回も厚かましく、管理人の pika さん にメールで教えを乞うた。翌日に、ヒガラではないかとの親切な教示をいただいた。管理人の Pika さんは共著であるが、携帯電話でQRコードを読み取れば さえずりの音声を聞くことできる【鳴き声と羽根でわかる 野鳥図鑑】を出版されたようだ。早速 Amazon に注文した。(残念ながら、android スマホでは即座に再生されない。詳しくは、別のエントリーで取り上げたい。)

 朝食後、路線バスで高山に回った。日曜日とあって、バスは満員である。
バスターミナルでもあるJR高山駅のコインロッカーに荷物を預けて、古い町並みへ散策にでかけた。最初に、宮川にかかる赤い中橋 近くにある陣屋跡を見物した。無類の露天風呂好きで、落語にも堪能なメンバーの一人は、この陣屋で次のようなことを発見したようだ。古い文化に素養のない私には、ネコに小判だったが。
 最後のコーナーで山岡鉄舟の親が陣屋勤務で鉄舟が高山で育ったことを知って文書に見 入ってしまいました。墓所の方は谷中の全生庵で、鉄舟に傾倒していた三遊亭円朝の菩提寺にもなっていて、「毎年8月11日の直前の日曜日」に「圓 朝まつり」が落語協会主催で協会所属の全部の噺家が顔を揃えるビッグイベントになっています。参加者もついでに山岡鉄舟のお墓に墓参して、江戸を 灰燼になるのを防いだ西郷・勝の会談を段取りした鉄舟に感謝することになる。という次第です。

 質素な庭を見ながら居間と記された座敷に座ってみると、緩やかな年月もながれていたのではないかと思いめぐらした。大広間では、尺八と琴の生演奏が行われていた。アレグロの世界よりも、このようなアンダンテカンタービレ的な生活を取り戻さないといけないのかもしれない。

 陣屋を見物した後、古い町並みをぶらぶらと歩いた。日曜日と爽やかな天気ということで、お互いに肩が触れ合うぐらいの人出である。この古い町並みには、酒蔵がたくさんある。酒好きの仲間たちは、それが目当てで一軒ごとに試飲を繰り返している。少々歩き疲れて、古い町並みから外れたところにある蕎麦屋で昼食を摂ることになった。下見に来てくれていた仲間二人のおすすめである。ここも、待ち行列ができていたが、蕎麦屋は回転が早い。汗を掻いた体には、冷たい割子そばが美味しかった。
 昼食後、皆と別れてカルガモが泳いでいた宮川の赤い中橋あたりまで戻って、しばらく観察した後、閑散としている通りを駅までゆっくりと歩いて帰った。駅前の小さな公園の水場には、スズメたちが水浴びをして遊んでいた。

樹間にたつコテージ;クリックすると大きな写真になります露天風呂の外側;クリックすると大きな写真になります居間から庭をみる;クリックすると大きな写真になります大広間での琴と尺八演奏;クリックすると大きな写真になります
樹間にたつコテージ:ひらゆの森
2011/10/22
露天風呂の外側:ひらゆの森
2011/10/23
居間から庭をみる:高山陣屋
2011/10/23
大広間での琴と尺八演奏:高山陣屋
2011/10/23
高山古い町並み;クリックすると大きな写真になります酒蔵での試飲;クリックすると大きな写真になります中橋近くのカルガモ;クリックすると大きな写真になります水浴びするすずめ;クリックすると大きな写真になります
高山古い町並みの賑わい
2011/10/23
酒蔵での試飲:高山古い町並み
2011/10/23
中橋近くのカルガモ:高山宮川
2011/10/23
水浴びするすずめ:JR高山駅前
2011/10/23
 

  
野鳥図鑑 鳴き声と羽根でわかる

池田書店
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2011年3月14日

隠居に何ができるのか:東北関東大震災後の東京近辺の状況


 3月11日14時46分頃、マグニチュード9.0(当初は、8.8 と発表されていた)の地震が、太平洋三陸沖で発生した。これに伴って発生した、場所によっては高さ20m以上の大津波が、海岸から4kmの奥まで船舶・自動車・家屋などを巻き込みながら襲いかかっている状況が、TV (NHK 動画)で刻々と報道された。

 当然のことながら、私事ではあるが、12・13日に予定されていた奥飛騨地方への旅行は中止になった。
 普段、メールでコミュニケートしている仲間(ほとんどは、東京近辺に在住している)に、無事かどうかメーリングリストでメールしてみると、皆さん無事ではあったが、いろいろと影響を受けたようだ。中には、地震当夜の行動を詳しくメールしてくれた友達がいる。許可を得て、少々長いが、掲示板的に、記録としてブログに掲載してみたいと思う。

東京もだいぶ揺れたようですね。
皆さん、ご無事でしょうか。

土日に、平湯・高山への旅行予定だったのですが、中止となりました。
2011年3月12日8:47  n_shuhei(大阪堺在住)

ご心配いただきありがとうございます。
私は地震発生時、横浜駅地下街にいました。揺れを感じて地上に上がったのですが、周囲のビルがゆらゆらと動くさまを初めて見ました。もちろん家に帰る電車はストップしていましたので、徒歩で自宅に帰りました。おかげ様で自宅は無事でほっとしました。
楽しみにされていた平湯、高山の旅行が中止になり、お気の毒に思います。

みなさま、特に現役のみなさまは、昨夜は自宅に帰ることが出来ましたでしょうか? ご無事であったことを願っています。
2011年3月12日10:00  yamako(横浜在住)

太平洋沖から長野へも波及しており、これが駿河湾地震に連鎖しないかちょっと心配ですね。

我が家も外に出ている娘たちとの連絡がなかなかとれなかったのですが、深夜になりそれぞれ勤務地から住まいに無事戻りました。
友人や遠い親類が、太平洋側海岸近くにも住んでおり心配しています。

私は昨日は勤務日。
地震直後に停電となり、レジや店舗コンピュータが動かず、緊急物のみの販売を、勤務者6人の手作業で続けました。私は医薬品担当でお客様相談を。
販売した水、ローソク、ライター、ガスボンベ、乾電池は在庫完売でした。
近隣のスーパーやコンビニはすぐ閉店してしまったため勤務しているドラッグストアにお客様が集中。でも多くのお客様に「お疲れさま、ありがとう」などと声をかけてくださいました。
なかには緊急時なので必要なものはすべて販売しろ!なんて抗議してくる方もいましたが・・・・(:>_<:)

電気が停まるとすべて動かなくなることを再認識したところです。

7時半ころ家に戻りましたが、横浜青葉区はまったく停電もなかったとのこと。慌ててサイレン付携帯ラジオのチェックをした次第です。

余震が続いています。一ヶ月くらいは要注意とのこと、お互い気をつけましょう。

しかし、各国に支援の動きは素早い!日本も見習わないといけないです。
まずはここは与野党一致して対応してほしいいもの。
子ども手当なんかなくして緊急対応費用にまわすくらいの決断でもして欲しいものです。

また余震です。(:>_<:)
2011年3月12日16:42  edaats(薬剤師:横浜在住)

K@小山市です。

通常勤務で浮間事業所の5Fで仕事をしていました。
はじめはゆっくりの上下動が次第に大きく横揺れも加わり、これはやばいと机の下に一旦隠れたのですが、PCのディスプレイが机から落ちそうになっていのを見ていられずしばらく、押さえていました。
ちょっと落ち着いてから、ビルの外に避難したのですが、1時間ほどはビル内に戻れず、花粉を大量に被爆してしまいました。

当然ながら夜は家に帰ることができず会社に泊まりました。
社員の半数以上が泊まっていました。

私は、本日(12日)の11:00頃に退社したのですが、JRは新幹線、在来線がダメで私鉄を使って大きく迂回して帰ったため、家に着いたのは15:00前(4時間近くかかり、疲れました)でした。

交通機関はゆくりと回復しているようですが、福島の原発が大変なことになっていますね。

昨夜は、インターネットのUSTREAMを大きなモニターに出して、泊まり組は見ていたのですが、映画の日本沈没のようでした。
2011年3月12日18:58  K(栃木県小山市在住)

H@さいたま市です。

職場で通常勤務しておりました。

初期微動が非常に長かったため、皆警戒しておりましたが、次第に揺れが強まったため、机の下に入りました。直後に揺れが本格化し、それも随分長く続きました。

揺れの後、職場の人たちは、一斉に家族の安否確認を始めましたが、電話は相当かかりにくくなっていたようです。
僕は部長の指示で行方不明の部員を探しに、館内を駆け回ったのですが、エレベーターに閉じ込められたか、ラックに押しつぶされたか、ああ彼はもうダメかもしれない、と諦めたころ、ひょっこり現れて無事が確認できました。外に逃れて家族と連絡を取っていたそうです。

その後、僕も家族と連絡を取り始めましたが、家内と息子の安全はすぐに確認できました。職場の電話は、事業所電話でしかもアナログ回線であるため、比較的つながりやすいものだったようです。後日総括が必要と思いますが、回線が混雑する中でも、どうもつながりやすさの特徴があったようです。
たとえば、たとえ現在位置が東京であっても、東北在住の人の携帯電話は、つながりにくかったり、池袋駅周辺より大塚駅周辺のほうがつながりやすかったり、というようなことです。

それから、行方不明の娘を探すために、池袋まで徒歩で移動しました。
都バスは動いておりましたが、春日通り西方向はすでに大ラッシュとなっており、バス、タクシーとも動かない状況でした。
また、不忍通りは、北方向はガラガラでしたが、南方向はぎっしりつまっていました。
池袋にはサンシャイン60を通って行きましたが、ビル内のコンコースでは、壁に寄りかかって座っている人が多数おりました。夜になって気温も急激に下がってきましたし、ビル内コンコースに留まったのは賢い選択だと思います。ただ、娘は、サンシャイン60から締め出されて、二度と中に入れてくれなかったということで行方知れずになったので、そのギャップが理解できませんでした。

池袋の駅前はものすごい人でごったがえしていました。というより、ごった返す余地がないほど、人があふれていました。
立派だったのは、そんな状況でもティッシュ配りの兄ちゃんが働いていたことで、軽装で会社を飛び出してきた僕は、寒さでハナが垂れてきたため、申し出てティッシュをもらいました。いかがわしいティッシュでした・・・。
また、居酒屋の呼び込みも盛んでした。営業を再開しました!!時間調整にぜひご利用ください!!と言っていましたが、これもなかなか良い考え。

池袋駅前のバス停は、渋谷、西新井、赤羽、春日、東京ドーム方面などの方面別に停留所がありますが、いずれも大行列になっていました。ただ、バス一台には多くの人数を収容できますので、めげずに並ぶことが肝要かと思います。それに、池袋は始発ですので、いつかは確実に乗ることができます。
駅前の派出所では、ものすごい剣幕で警官に因縁をつけている若い男性がいました。なんか、言っていることがわけわからない感じで、単にヒステリーをおこしているだけのようでした。いわゆる「キレる」という現象でしょう。
けれど、ああいう非常時に迷惑なものです。その人の胆力が試されますね。

結局娘は見つからず、いったん会社に戻ることにしました。
池袋駅前ではまったく携帯がつながらず、自分の携帯から家内の携帯、娘の携帯、自宅の加入電話、宇都宮の実家の加入電話、実家の携帯など、一切つながらないため、会社に戻って出直すことにしたわけです。
帰る途中で、会社から、娘と友人の一行4人を保護したという連絡がありました。
まずはめでたし、めでたし。

戻るとき、不忍通りは、北方向南方向ともにぎっしりで、全く動かない状態でした。
春日通りは、西方向はぎっしり、東方向はそれでも流れている状態でした。
あくまで大塚から小石川周辺の様子ですので、上野御徒町方面ではどうなのか、わかりません。

僕の職場部署では、泊りが4人。うち女性一人は女子更衣室の休憩スペースで寝ることにして移動。
僕を含めて男性社員3人と女子中学生4人が残りました。
そのほかの社員は夕方6時ごろには帰宅の途につきましたが、その後の消息は知りません。自宅まで歩いて帰った人、ターミナル駅まで歩いてそこで野宿した人、池袋近辺のホテルに飛び込んだ人、いろいろいたものと想定しています。
女子中学生一人の父親が、スクーターで迎えに来ました。
道路は大混雑で、二輪だから何とか来られたということでした。

その後コンビニに買い出しに出ましたが、弁当や中華まん、ドック類の主食惣菜関係はのきなみ売り切れ。
しかし、お湯を使う必要のある、カップ麺、スープ類は潤沢に残っていました。
ただし、カップヌードル(R)は売り切れで、カップヌードルカレー味だけがたくさん残っているのが印象的でした。

コンビニのトイレは行列になっていました。首都大震災を想定して、帰宅ルートの整備を進めてきたことは、確実に役立っていると感じました。
春日通の歩道には、おびただしい数の人が、西に向かって歩いていましたが、コンビニは格好の中継地であり、そこで食料飲料を補充したり、暖を取ったり、たばこを吸ったり、見知らぬ人とコミュニケーションをとるなど、いろいろな役に立っているように見えました。

僕は、徒歩での帰宅を考えましたが、娘は20キロも歩けませんし、娘の友人たちへの責任もあるので、会社に泊まることにしました。
状況がある程度落ち着く、情報がある程度把握できるまでは、動かないことが得策だったようです。会社には屋根も暖房もトイレもお湯もありますので、これだけでも相当に楽だったと思います。椅子を並べて寝るのには慣れていますしね!!(中学生は、椅子を並べて寝るのは辛かったようです。まあ、応接室が女子社員でいっぱいでしたから、仕方ないでしょう。それに、総務担当執行役が、女子用の応接室に入れないので、女子中学生が自力で突撃しろ、と励ましてくれたのですが、中学生は尻込みしていました(笑))。

深夜0時ごろには、私鉄、地下鉄が運転を再開しました。
深夜2時ごろ、春日通、後楽園駅などを偵察しましたが、南北線春日駅では入場制限をしているということで、何百人・・・おそらく二千人近く・・・の行列ができていました。あれほどの数の人間が、いったいどこから出てくるのかと思ったら、春日通を通るバスがつくたびに、続々降りてくるのです。
JRが運転をあきらめているので、大塚駅まで行くよりは、ここで地下鉄に、という判断なのだと思います。
丸ノ内線は動いていましたが、ガラガラでした。南北線は入場制限の上、乗れるかどうかわからないと放送されていました。みんな、少しでも自宅の近くへという感じでしょう。同じ春日駅でも、大江戸線は入場制限がないそうで、警察官が多数出て誘導していました。
車のほうは、ものすごい混雑でした。ラッシュはまだまだ続く。まるで、バブル期の目白通りのようです。金曜の夜、深夜残業後タクシーで帰ろうとすると、なかなか独身寮に帰り着かなかったことを思い出します。

上野駅から職場の職場まで、3キロ程度ですから、歩くことはたやすいことです。しかし、道路不案内な人は、バスに乗らざるを得ません。
夜8時からバスに並んで、やっとバスが来たのが10時、職場に着いたのが、2時という難民がいました。これは、上野から職場まで6時間かかったことになります。道さえわかれば、這ってきても、これほどの時間はかからなかったでしょう。

娘の捜索や、夜中の偵察などで、僕の当日の歩行距離は、およそ15キロほどになりました。

一晩中余震が続きました。
あまりよく眠れませんでしたが、まあ、うつらうつらと。
翌朝、午前6時過ぎに、ひばりが丘在住の中学生が自力で帰宅。茗荷谷から丸ノ内線で池袋、池袋から西武池袋線でひばりが丘、通常45分程度のルートですが、6時20分ごろ出て7時40分ごろ到着したようです。
昨夜から動いている鉄道は、比較的朝から安定していました。
前夜2時ごろには全く解消されていなかった春日通の大混雑も、朝6時過ぎには解消されていました。あれほどの数の車がどのように消えて行ったのか、不思議な感じがしました。
ただ、茗荷谷は田舎なので、普段と変わらないようなのどかな風景でしたが、他の幹線道路がどうなっているのか、そこに行ってみないとわかりません。

僕は埼京線で、JRの出方は不明。それでも運転再開したらしいということで、8時半ごろ会社を出て丸ノ内線で池袋へ。間引き運転なのでかなり混雑していましたが、ラッシュアワーほどでは ありませんでした。
池袋のJR改札まで行きましたが、入場させていませんでした。
埼京線は、駅間の安全を確認しながらノロノロ運転ということです。インターネットには、JRの状況についていろいろ出ていましたが、現場に行ってみないとわからないことがたくさんあります。現場では運転再開などほど遠い状況だったりします。
営団地下鉄の改札口ではトラブルが起こっていました。
駅員が言い返しているセリフは、「申し訳ありませんが、こちらでは東葉高速鉄道の払い戻しは承れません、東葉高速鉄道の方に行ってください!!!」ということでした。
東西線利用者が、何らかのクレームをしていたのでしょう。

このころ僕の一行は、僕と娘、実家の母親と妹の4人に増えていましたので、電車は負担が大きいだろうと考えて、タクシー乗り場に並びました。しかし、なかなか駅にタクシーが入ってこないため、繁華街のほうで流しのタクシーを拾いました。
9時10分ごろタクシーに乗り、自宅に着いたのは10時50分ごろでした。 1時間40分で料金は7500円ほど。通常、池袋から自宅までは7000円弱ですから、時間がかかった割には無駄な費用は発生しませんでした。
17号をまっすぐ帰ってきたのですが、やはり、環状7号、環状8号、外郭環状を節目とした渋滞がひどかったです。
戸田公園のあたりから、裏道に入ってもらい、そこからはかなりスムーズに帰ってきました。幹線道路は混雑で厳しいということです。
また、外環が通行止めになっているため、その下の国道は、大混雑でした。特に、東方向が大混雑だったのは、東名、中央方面から東京を避けていくトラックが多いためかと思います。
なお、首都高5号線も、高島平で強制排出ということで、新大宮バイパスは大混雑。川越街道も大混雑とタクシードライバーが言っていました。
隣の奥さんと、帰宅がちょうど同じようになりました。
8時半新宿始発の埼京線に乗り、武蔵浦和着が10時半ごろ、ものすごい混雑で相当痩せたといっていました。池袋ですかさずタクシーに乗ったのは正解だったと思われます。

反省点としては、情報源がインターネットしかなかったこと。
あの状況下で、テレビもラジオもないのは、圧倒的に情報量が少なくて・・・。
ただ、テレビを見ていて首都圏の様子がほとんど報道されていないような気がします。
あれは、都内はアナウンサーや中継車、報道用の機器が移動したり現場に行ったりできなかったためではないかと想像しています。
いったん新宿駅に派遣したら、もうそこに行きっぱなし・・・というような状況ではなかったでしょうか。
インターネットは、サイトによって情報の速さや充実度が違うことを、つくづく実感しました。普段は何気なくいつものサイトを見ていますが、サイトを選ぶことが重要だとしみじみ感じました。
電話や携帯のメールがなかなか通じないところ、インターネットメールは威力を発揮しました。有線には有線の良さがありますね。
それから、NTT171番ですが、これは役に立ちませんでした。
NTT171にダイヤルして、伝言を入れようと2番を選ぶと、被災地の電話番号をいれなさいという指示があります。048から始まる自宅の電話番号を入れると、「被災地の番号でなければ使用できません」と使用を拒否されました。
仕方ないので、家内の実家、岩手県の、0191で始まる番号を入れたところ、これまた「被災地の番号ではありません」と拒否されました。
要するに、NTTから「被災地」として認定されなければ使用できないシステムで、しかも、NTTがどこを被災地として認定したかを知る方法はないわけです。
これでは伝言ダイヤルとして役に立ちません。
今回の災害では、さいたま市、および一関市は、被災地として認定されていませんでした。
したがって、東京に大量に発生した帰宅難民は、この伝言ダイヤルを使用することができなかたということで、それで本当に良かったのか、と思います。
運用の見直しが課題ではないでしょうか。

日通のペリカン便は、昨日は止まっていたそうです。
通常土曜日に来る荷物が先ほど届きました。今日から正常化しているとのことです。
ガソリンスタンドが混雑しており、行列してガソリンを入れているとの情報が、家内の友人から入りました。しかし、17号線をずっと北上してきた段階では、ガソリンスタンドに行列は見られませんでした。刻一刻と、人々の状況判断や行動は変化しているでしょうから、それが今現在はどうなっているか、ちょっとわかりません。

僕の周辺から収集できた情報は、だいたいそんなところです。
一関市の家内の実家では、まだ停電中、水は昨日から出るようになったとのことです。
家の中は続いている余震の影響もあり、ぐっちゃぐちゃ。
テレビが壊れてしまったということで、電気が通っても情報が入手できないようです。
実家の電話は黒電話なので、いろいろな人が借りにくるようです。
今どきの電話は、高機能化の影響で、電気がないと動かないものも多いですからね。

今、ジャスコに買い物に行った家内から電話が入りました。
食料品売り場は大混雑、買占めが始まっているそうで、食料品が品薄だとのこと。

今回、地震の後の都内をうろついてみて、特需が発生したのは、居酒屋、コンビニ、ホテル、自転車屋ではなかったかと想像しています。
2011年3月13日10:42 H:製薬メーカ勤務

Nです。

私は、Kさんの浮間から荒川を挟んだ、埼玉:戸田の4F建ての1Fに居ました。免震構造の建物のせいか、揺れよりも建物が「ギシギシ」と音がしたのが不気味でした。
この建物の隣リに、築20年程の耐震の5F建てが有り、4Fの連絡通路で結ばれています。
避難をして外からこの連絡通路を見て、免震・耐震の建物揺れの違いを見ることが出来ました。(この連絡通路は、免震側の接続部分が外れてしまいました)

長女、長男共に1時間ぐらいでE_Mailで連絡が取れて安心しました。
長女は、スカイツリーの直ぐ近くで地震に会い、揺れるのを見たそうですが、残念ながら携帯の動画の撮影は出来なかったようです。インターン・シップの時の会社近くにあり、そこで泊まらせて貰ったそうです。
長男は、家におり、少しの断水したそうですが、直ぐに回復し、以前の家より揺れは少なかった様です。
私も岸さん同様に、会社に泊まり翌日、11:30 頃家に帰りました。

昨日から、断続的に人に感じる地震が続いています。
今、セキスイ・ハイムの1年点検が終了しましたが、千葉の海岸沿いん場所では、液状化の影響での、建物の不具合が数多く出ているようです。

S さんのお住まいの近くは、どうだったでしょうか?

明日は、会社で化合物の自動倉庫システムが、問題なく動くか少々心配です。
2011年3月13日11:17  N (製薬メーカー勤務:埼玉在住)

H です

地震の直接の被害はありませんが、物流が不自由になっていることと、消費行動に変化があることから、小売店の店頭には変化が出ているようです。

我が家にいる難民のために、携帯電話の充電用ケーブルを買いに駅前の電気屋に行きました。その道すがらに見かけたことを報告します。

  • ・小学校校庭では、少年野球の練習が普段通りに行われていました。
  • ・ジャパンというディスカウントストアの駐車場は大混雑でした。
    トイレットペーパー、ティッシュペーパーを大量にカートに積んでいるひとが多くみられました。
  • ドラッグストアから出てきた若い夫婦が持っているレジ袋には、はちきれんばかりに、カップめんとペットボトルが入っていました。
  • 電気屋のレジは大行列でした。懐中電灯と乾電池は払底していました。
    これほどに、懐中電灯のない家庭が多かったというのは意外でした。
  • AC電源からの充電ケーブルは買うことができました。しかし、電池式の充電器は完売だそうです。
  • ガソリンスタンド大行列。
  • オリンピックのエスカレータは停止していました。
  • ジャスコは1F食料品のみ営業。

以上のようなことから、物流に対する不安と、電気の供給に対する不安、ガソリンに対する不安が、さいたま市南区の特徴とみられます。
こういうことには地域差があると思いますが、他の地域ではどうでしょうか・・・?
2011年3月13日12:19 H:製薬メーカ勤務(埼玉在住)

H さん

半ば主婦の様な生活なので
  1. スーパに簡単に食べられる物が少ない
    • 豆腐、油上げ、納豆
    • カップ麺のたぐい → 水も電気も無いと食べられないのに何故?
    • 牛乳 → 実はこれを買いに行った

    ※:通常の日曜日、14:00頃は、スーパはすいているのにかなり混雑している。 買いだめする必要ないのに
    ※:地元のスパー → 売る商品がかなり少ない
    ※:西友  → エスカレータが壊れており、年寄りが困っている
  2. 我が家の今晩の夕食は
    • 鶏肉としょうがの炊き込みご飯
    • まぐろのやまかけ
    • チキンソテー

    ※:とにかく、よく「ゆれる」

2011年3月13日15:02   N (製薬メーカー勤務:埼玉在住)

N さん
返信ありがとうございました。

  1. 我が家の今晩の夕食は
    • 鶏肉としょうがの炊き込みご飯← これ、うまそうですねー。
    • まぐろのやまかけ← これから魚は値上がりして食べられなくなるのでは??いまのうち、いまのうち。
    • チキンソテー← ビールに合いそうですね。

    ※:とにかく、よく「ゆれる」← うちもです。いちにちじゅう、ゆ~らゆら・・・。

2011年3月13日15:35  H:製薬メーカ勤務(埼玉在住)

宇都宮の実家の父と話しました。
宇都宮市は、震度6強という揺れを観測したためか、市民はあまり平静ではないようです。

  • 市内はあちこちで大渋滞。
  • スーパーでは食料品が軒並み売り切れ。
  • ガソリンスタンドは半数が休み、半数が給油量制限で、長蛇の列。もともと日曜は定休日のところが多いのではないかと思うのですが、こんな状況なので余計に不安をかきたてるのかもしれません。
  • 福田屋ショッピングセンターは、食料品と学生服のみ営業。

そしてポイントですが、やはり牛乳がまったくないそうです。
N さんと同じですね。
一方で家内は、ジャスコ北戸田には潤沢に牛乳があったと言っていますので、けっこう地域差があるのでしょうね。

テレビの情報では、首都圏の交通網がかなりビジーだということがわかりません。
僕は、幹線道路の大渋滞を自分で見てきたので、物流が混乱していて店頭への供給が途絶えているのではないかと想像していますが(正しいかどうかはわかりませんが)、やはり、供給不安に駆られた人は買いだめに走ると思います。
本当は、政府から、「首都圏は交通網が回復して物流の混乱が収まれば物資は安定供給される」ぐらいのコメントを出してほしいところです(出ないということはやはり供給不安があるのか?!!!)。

まあ、のんびり構えていますが、食べ物がなくなって泣きを見るかもしれません。
その時には、非常食の乾パン(賞味期限切れ)の処理ができると思っています。
ふ、ふ、ふ。 
2011年3月13日17:44  H:製薬メーカ勤務(埼玉在住)

皆さん

大変な生活になっているようですね。
東京は明日から、輪番(時間)停電になるようですね。
心からお見舞い申し上げます。

しかし、日本人というのはすごいものです。暴動も略奪もおこりません。
今朝の新聞に、中国人の話として、中国では50年経ってもこのように行儀よくならないだろう というのが載っていました。
2011年3月13日17:54  n_shuhei(大阪堺在住)

ご心配ありがとうございます。
心強いです。

僕も、日本人は大したものだと思いますが、一方で、西日本が健全な状態であるがゆえに(つまり「日本」である部分が全面的に被災したわけではないので)、破滅的な不安に陥らずに済んでいるのではないでしょうか。ある程度落ち着いていられるゆえんです。

あちこちで、駅員や警官にかみついている人もいましたが、こぜりあいやトラブルはほとんど見かけませんでした。春日通りをゾロゾロ歩いている俄か難民の人々も、大変行儀よく振舞っていたと思います。
コンビニでも、レジに行列している人たちは、おおむね順序良く。一人割り込みのおぢさんがいましたが、後ろの人が礼儀正しく注意したら、あっさり後ろに回っていましたね。ちょっとハラハラしたのですが何事もありませんでした。

そういえば、上野駅では、新幹線・在来線が運転見合わせとなったため、行き場を失った人が大量に出たのですが、その人たちが、駅で野宿しようとしていたところ、すかさず駅から排除されたそうです。駅員が並んでロープを持って、文字通り、駅からしめ出したそうです。どこへ行けというんだ!!という抗議に対し、駅員は、上野公園に行けと言ったといいますから、ひどいものです。 当地の避難場所は上野公園でしょうから、駅員の言うことは正論かもしれませんが、上野駅には土地勘のない旅行者(主に東北人)が多数いたと思われます。そういう人たちを上野公園の寒空に放り出すのは、あまり人間味のある対応とは言えないような気がしました。

明日は通常通り出勤できるでしょうか・・・。
2011年3月13日18:25  H:製薬メーカ勤務(埼玉在住)

浦安は埋立地の為液状化現象により歩道を中心に少なからずダメージがあります
地震当日家内と長男は都心から歩いて帰りました。翌朝2時39分!!。
近所に住む娘は亭主が出張中なので安全のため吸収しました
私は地震当時は高松におりまして当夜は羽田空港の床で一泊しました。

私は共同住宅の防災担当でもあり居住者の方々とご一緒にマンション共有地の修復作業をしていますが体力の強化にもなると思い頑張っています
みなさんよい人ばかりでうれしいです
現在上水道、下水道ともだめで困っています
自衛隊や市の職員の尽力をありがたく思っております

浦安以外の地区のところでもなにかしらご不便があろうかと思います
皆様のご無事を祈ります
2011年3月13日23:25 S (浦安在住)

皆さま,K です.
たいへんな状態になっていることは,こちらでも報道されています.
どうか気をつけてください.
2011年3月14日7:20 K (製薬メーカからの出向:米国アトランタ勤務)

 このメールのやりとりで、TV では報道されていないけれども、今回の地震で東京近辺に住む人たちがどのような影響を受け、どのように行動したかがよくわかる。良い記録だ。 隠居のできることはそれぐらいのことだ。

(追記:2011/3/14)
こんばんは

「被災地」としての東京、続報です。

計画停電が関心を集めていますね。
東京電力のずさんな対応が、注目の的です。
政府が問題なんでしょうねぇ。政府の無責任体制が、東電の迷走につながっているのでは?
政権が延命したからと舞い上がってしまい、節電大臣などと大臣ごっこをやっている場合では ないでしょう。
だいたい、本当の被災地である茨城県までが計画停電の範囲に入っているという噂を聞きましたが、本当でしょうか?????
本当だとしたらとんでもないことではないでしょうか・・・。

今日は、鉄道各社の運行情報が二転三転しました。
これは、東京電力からの情報が錯綜したことに起因していると聞いています。
また、聞いたところによると、乗っている電車が計画停電で止まった場合は、そこで運転打ち切り、電車からおろされてさようなら・・・なんですって????
もう無茶苦茶です。帰宅難民と出社難民を計画的に作り出すための無計画停電計画が、今行われている「計画停電」の実態ではないでしょうか。

今朝早く、京浜東北線が動いていると聞いて、駅に行きました。
しかし、駅のシャッターはしまっていました。
続々とバスに乗った通勤客が到着しているので、駅のバス停、タクシー乗り場には長蛇の列ができていました。
次に、埼京線が動いていると聞いて、埼京線の駅に行きました。
これまたシャッターがしまっていました。

仕方ないので、いったん帰宅して着替え、自転車で会社まで行きました。
片道20キロ、往復40キロの道のりです。
くたびれました。

会社で仕事していても、ネットの情報で、「○時から××線が止まるらしい!!」と知り、あわてて帰る人もいたりして。
どうやら、いったん出社したら帰れないつもりで、宿泊の支度をしてでかけるか、あるいは、オートバイ等、自前の足を確保するか、いずれかしかないようです。
とはいえ、今日のような無様な状態が明日以降も続くとは思えませんけどね。
いくら総理大臣が舞い上がっていても、官僚がもう少しましな状態にしてくれるでしょう。

自転車で街を走ってみて気づいたことは、確かに営業しているガソリンスタンドが少ないということです。そして、その少ないスタンドに、30台から50台もの車が行列しているということです。 特に、トラックは深刻だと思います。「運ぶ」「働く」ことに、燃料は不可欠ですからね。
本当にガソリンが不足しているなら、輸送機関とか、ごみ収集車とか、運送業者とか、日常生活を支える車に、優先的に燃料を供給するようにしないと、とんでもない悪循環に陥るような気がします。

一方で、幹線道路の猛烈な渋滞はなかったと認識しています。
もちろん、かなり混雑している、渋滞しているという印象はありますが、猛烈な渋滞がなくなれば、流通はある程度安定するのではないでしょうか。
それを期待しています。
流通のダメージと消費者行動の悪循環を断ち切らなければ・・・。

あー、それにしても、出たとこ勝負の交通機関、これがものすごいストレス。
行ってみないことには交通機関の様子がわからないというのは、すごいことです。
これまでの日本がいかに便利であったか、しみじみ感謝しています。
2011年3月14日18:48 H:製薬メーカ勤務(埼玉在住)

(追記:2011/3/15)
N です。

3/14は、千葉市は、総武線(緩行、快速)、京葉線、京成線と全く動かなかった為、朝5:10頃、駅に行ったんですが帰って来ました。

それからは、自宅がサテライト・オフィース状態でした。
私が管理する部門の人に連絡を取り、徒歩・自転車で来られる主な人以外は、自宅待機の指示を出したりしていました。
(管理するシステムは、3/12にシステムを停止していましたので問題ありませんでした)

それから、食料を買いにいったんですが、チョットしたスーパーは、「買うものが無い(特にカップめん等)」状態でした。
  家の近所には、昔から有る個人商店があるのですが、そこでは、結構ものが有り、店の人が「数日で流通が回復します」と言っていました。

15:00頃には、出勤していた人が帰りましたので、サテライト・オフィースも店じまいしました。

後は、3/15の準備で、「戸田公園近くの東横イン」を、15日/16日と予約し準備完了です。自宅の停電対策をしたのですが、「空振り」でした。

3/15 は、4:38の電車で会社に来て、システムを立ち上げ、デイリーJOBの再実行を行なっています。
3/15の停電が9:20-13:00ですので、稼動確認後、システムのたち下げます。そのころには、部下も出勤するでしょう。

3月末で管理職勇退(4月末退職、再雇用)になりますが、最後に来て思い出に残る出来事になりそうです。
2011年3月15日7:33  N (製薬メーカー勤務:埼玉在住)


2009年5月30日

隠居のドライブ:奥飛騨の秘湯、福地温泉

 50年近く前の大学時代に教育キャンプ場カウンセラーとして共に過ごした同期と長距離ドライブをした。まだ高速道路関連の会社で現役で働いている仲間のひとりが、このようなとき、いつも幹事を引き受けてくれる。

 彼が何回か行って気に入っている奥飛騨の福地温泉が、宿泊地である。この温泉は、TV で秘湯として紹介されているらしい。
 大阪からのアクセスは、名神で一宮JCT から東海・北陸道に入り、飛騨清見インターチェンジを経て、中部縦貫自動車道(高山清見道路)で高山ICで降り、平湯温泉を目指す。高山清見道路は、高速道路仕様だが、無料である。

 平湯や乗鞍、上高地には若いころに車で訪れたことがあるが、こんな立派な道はなかった。それから40年以上も経って、トンネル掘削技術も進化したのだろう。とにかく、この往復 800km あまりのドライブでは数多くの長いトンネルを走った。道路が整備されたことで、後期高齢者でも1泊で往復できるようになった。ただ、1日 400km は少しハードであったが。

 朝8時JR 茨木駅で仲間をピックアップして、新宿からバスでやってきた仲間と落ち合った平湯のバスターミナルに着いたのは、14時前だった。穂高岳がくっきりと見える。
 新穂高ロープウエイを使えば、その穂高の高いところまで手軽に上がれる。ところが残念ことには、その日は強風のため肝心の第二ロープウエイが運休してしまった。第一ロープウエイだけ乗って、早々に引き揚げ宿のある福地温泉へ。この温泉は、平湯バスターミナルから車で 20 分ほどの谷間にある。

 かけながしのナトリウム炭酸水素塩泉は、まことに心地よい。風呂上がりの夕食には、岩魚の塩焼きなどや山菜料理などで満腹となった。
 翌早朝入りに行った露天風呂は内湯とは別の場所にある。川のせせらぎ、小鳥の鳴き声の中で岩にもたれかかり、ひとり手足を伸ばすのは何とも贅沢だ。
平湯バスターミナルから穂高方面:クリックすると大きな写真になります新穂高ロープウエイ鍋平駅の新緑:クリックすると大きな写真になります旅館「孫九郎」の夕食:クリックすると大きな写真になります旅館「孫九郎」の露天風呂:クリックすると大きな写真になります

 上高地への釜トンネルは大型バスが問題なくすれ違えるくらい広く高くなっているが、マイカーは規制されている。平湯に車を置いて、格安価格で客引きに来たタクシーに分乗して、大正池まで。雨が予想されていたのに、帰るまで穂高上部の雲はかかったままだったが、幸いにも青空が広がる好天となった。

 若いころに、初めて上高地を訪れたときほどの感激はないが、新緑の向こうに残雪が残る穂高を望む景観は清々しい。
 今日の予定は上高地だけなので、14時に上高地バスターミナルから新宿へ向かう東京の友を見送りできるまでの時間を利用して、明神池まで歩いた。梓川左岸線の河童橋からすぐ近くのキャンプ場では、ニホンザルが餌をあさっていた。そういえば、ベンチに腰かけて弁当を広げるすぐそばに、マガモもよちよちと歩いてきた。これらの動物たちに不用意に餌を与えることで、自然の生態が破壊しているようだ。
 明神橋までの途中には、ニリンソウが群れとなって小さな白い花を咲かせていた。明神池からの帰りは、梓川の右岸を歩いてきた。清流にマガモが泳いでいた。マガモは本来は渡り鳥と思うが、この上高地では留鳥となっているようだ。 

河童橋から穂高を望む:クリックすると大きな写真になりますニホンザル:クリックすると大きな写真になりますニリンソウ:クリックすると大きな写真になりますマガモ♂
 

 そのとき、私はまだ現役だった頃に学んだ、IBM のトーマス・ワトソン・Jr.がよく語ったと言われるキルケゴールの教訓を元にした次の寓話を思い出していた。
 
 ジーランドの海岸に、毎年秋、南に渡る野ガモの巨大な群れを見るのが好きな男がいた。
その男は親切心から、近くの池で野ガモたちに餌をやるようになった。
しばらくすると、一部のカモは南へ渡るのが面倒になり、男の与える餌を食べてデンマークで冬を越した。

やがて、残ったカモはますます飛ばなくなった。
野ガモの群れが戻ってきたときには、輪になって歓迎したが、すぐに餌場の池に引き返した。
3、4年も経つと怠けて太ってしまい、気づいたときにはまったく飛べなくなっていた。


(追記:2009/6/1) 福地温泉・上高地で撮った花の写真を記録として追加しておこうと思う。どちらかといえば特殊な地域なのでネットサーチしても名前の判定が難しかったが、例の「この花の名は?」掲示板に投稿するとすぐに返事が返ってきた。Nawshica さん、エキウムさん ありがとうございました。
この掲示板には、1日10人近くの投稿があり、すぐにどなたかが回答しているようだ。ネット世界は特別なものではなくなっている。
(追記:2009/6/3)上高地で撮ってきた蝶の写真を Yamako さんに見ていただくと下のコメントのように珍しい蝶(コヒオドシ)であることが分かった。一部草に隠れているが、掲載することにした。
ラショウモンカズラ:上高地梓川左岸:クリックすると大きな写真になりますムシカリ:上高地明神池:クリックすると大きな写真になりますラッセル・ルピナス:福地温泉:クリックすると大きな写真になりますヒメウツギ:福地温泉:クリックすると大きな写真になりますコヒオドシ:上高地;クリックすると大きな写真になります